西暦弐千年
一月一日(土曜日)一月十日(月曜日)まで


「歌」と内容は必ずしも関連していません(笑)


1月1日

お詫びとご連絡


あけましておめでとうございます。
旧年中はご来場、お引き立てありがとうございました。

新年早々辛気臭い話しで申し訳ないのですが、PCが壊れました(^^;;
「来たかY2K」ってなもんです。
メーカー様も休業中なので、はっきり判らないのですが
恐らく10日前後は修理にかかってしまうとの事でした。

この為日記の定期更新とメールの送受信に関しては
PC帰還まで出来ないと思います。

せっかく頂いたお便り、年始のカードも一部紛失してしまいました。
まことに申し訳ありません。

大雑把な管理は、新宿の美味い長浜ラーメンを食わせてくれる
「博多天神」の近所のまんが喫茶兼ネット屋(笑)さん
及び病院と自宅の通り道にあるネットカフェを利用しておこなってまいります。
なるべく早くウェブメールも登録しようとは思っております。

そんなこんなの新年ですが
本年も「せっけん王国」、そしてめぐみを何卒宜しくお願い致します。



1月3日
つなぎたる 思いの数の えにしらを
光や包め 初春の朝

お参りに行く。

参道にはいつものようにタコ焼きや
鼈甲飴やあんまり当たらない福引きや
お面や風船や綿菓子の屋台が並んでいる。

もう陽は高いので、
参道を歩く人達にそそぐ陽の光は
すがしいのだけれど、ぽかぽかと暖かくもあった。

私と母は父を両側から支えて
一歩づつ歩いてゆく。

去年は祖母の車椅子を父が押していた。

手と口を濯いでから参拝を済ませ
昨年の御札と破魔矢を納めてから新たなものを授かる。

御神酒を頂き、振り向いて拝殿に手を合わせ
もう一度お願いごとを繰り返してみた。

参道をすれ違う人々は
支え合い、手をつなぎ、背負われて
歩いてくる。

目で語り
足並みを揃え、一体となって
歩いてくる方達もいる。

そして
誰かと一緒に参拝した記憶を連れて
一人で歩いてこられる方もいる。

そこを抜けると街へ戻る大きな鳥居の処で
私はもう一度振返り手を合わせる。

御縁を頂けた皆様の
せめてご健勝だけを祈りながら。



1月5日
乱れたる 衣の裾や 襟元を
直せばやとは 思いたれども

昨日初売りで実家のビデオデッキを買った。
壊れて随分経っていて気にはなっていたのだけれど
そのままになっていた。

今も新しく買った一冊の本は、家族を一回りする。
全部ではないのだけれど、歴史小説や時代小説
ちょっとしたエッセイなんかは確実に三人で読んでいて
時間にだけは余裕が出来てからは
父は、私が薦めるまんがも読むようになったりもしている。

映画や画像も祖父ほどではないのだけれどやはり好きで、
文庫本の小さい文字を前ほど集中して追えなくなってからは
ビデオで映画を見るのを楽しみにしていたりもしていた。

接続が終わって最初に見るビデオは
「銀河鉄道の夜」に決めていた。

ますむらひろしさんが原案を作られた
ジョバンニもカンパネルラもみんな猫っていう作品だ。

私はこの作品には思い入れが深い。
宮沢賢治さんは元々大好きだったし
猫好きの私としては、「アタゴオル」も好きだった。
でもキャラクターが猫の銀河鉄道って言うのは
なんとなく抵抗があってビデオ屋さんで何度も手には取っていたのだけれど
見ないまんまになっていた。

ある日ぱらぱら雑誌をめくっているとこの作品の紹介が載っていて
「脚本:別役実」
という処に私の目は吸い付けられていた。

別役実さんは間違いなく日本を代表する劇作家であり
「さみしいおさかな」「黒い郵便船」「星の街の物語」「そよそよ族伝説」
等の童話も好きだし
「当世商売往来」「虫づくし」「けものづくし」
なんていう戯曲的なトリックの散りばめられた本も好きだ。

そして私はビデオを借りて
煎餅をかじる間も無く一気に見てしまった。

作品としては確かに好き嫌いはあると思う。
「銀河鉄道の夜」自体が宮沢賢治さんの死後発見された
「最終確定稿」の存在しない作品でもあるし
読み手のあり方によって印象が異なる作品でもあったりする。

でも私はこの映画が好きだった。

そしてもう一つ大きな収穫があったのは
「食わず嫌いは損だなぁ」って事を実感した事だったりする。

元々まんがも小説も戯曲もアニメも映画も論説もテレビも
ごっちゃに見たり読んだりしていた私は
なんとなくそれまで持っていた、ジャンルによる上下感覚みたいなものを
とっぱらう事が出来て、私として好きか嫌いか
面白かったのかそうでなかったのかっていう事を
単純に考えるようになれたりした。

そしてそれは自分で勝手に目盛りを付けた物差しを使っていると
いっぱい損しちゃうなぁって思ったって事でもある。

最初いきなり出て来た「猫のジョバンニ」を見て
あっけに取られていた両親は
いつか、大切な台詞と大切なシーンを美しい画像で紡ぐ作品に見入っていて、
終わった後はひとしきりその話題で盛り上がる事が出来た。

次はどんな作品を一緒に見ようかなぁって
考える事もとても楽しい。

今日の街では
前よりは少なくなったけれど、仕事始めの晴れ着を見かけた。

慣れない着物で着付けや帯が少し乱れているのも
なんだか微笑ましい気がする。

前の私だったら、
「こんな下手な着付けをしてっ!」ってむかついていたりした事もあったけど
今日はほんとに困ってる幾人かの着物に少し手を触れさせて頂いて
ぱぁっと広がる笑顔が単純に嬉しかった。

そして街はいつもの顔を急速に取り戻してくる。

足早に歩く人達の鞄に
お年賀のタオルと一緒に入っている新しいスケジューラ−には
忙しい毎日の予定が詰まってゆく。

頑張んなけりゃね、今年も。



1月6日
握る手や 変わりたれでも その日々の
ありし忘れそ 変わらぬ思い

手袋を買いに行く。
って言っても私がちっちゃなキツネの子になったわけじゃない。

私は「手袋」っていう言葉を聞くと
新美南吉さんの童話を思い出す。

小学校に入ってすぐだったと思う。
みんなの手袋には、その頃流行っていたアニメのキャラクターや
キティーちゃんやスヌーピーや、色んな可愛い柄がついていた。

私の手袋は祖母が編んでくれた雪の模様がついている
長い毛糸でつながった暖かいミトンだったのだけれど
みんなみたいなのが欲しくてたまらなかった。

「ミトンではお人形さんが作れないよ!」
って言うと今度は指のある同じ色の同じ柄の
手袋が出来てきた。

ある日、我慢できなくなって、私は手袋をなくした事にした。
学校の机の引き出しの角に
ぎゅっと丸めて茶色の袋につめて隠しておいた。

少し粉雪が舞う道を母に手を引かれて
浅草の松屋まで手袋を買いに行った。
母も手袋をせずに、手をつないでいて
とても暖かい手のひらと、冷たくてたまらない手の甲の記憶がある。

私はお目当てのキャラクターのついた手袋を見付けて買ってもらった。
毛糸ではなくてビニール製だった。
「お人形は作らないの?」
って聞かれてどぎまぎした記憶ははっきりあるのだけれど、
なんのキャラクターが付いていたのかは忘れてしまった。

進級するときに、袋に入った手袋をこっそりお家に持って帰って
勉強机の引き出しに、またこっそり隠しておいたりした。

次の冬が来て取り出したビニールの手袋は
ちっちゃくなっていたし、キャラクターは時代遅れになっていた。
隠していた毛糸の手袋を私はランドセルにつめて学校へ行き
お家に戻って来て
「去年の手袋が見つかったよ!」
ってはしゃいでみせたりした。

今考えれば、家族にはみんな判っていたのだと思う。
去年の手袋を持って帰った時にもらった笑顔は
「捨ててはいなかったんだね」って事だと思うし。

その時に買ってもらったのが「手袋を買いに」の絵本だった。
もちろんその頃の私に家族の思いと、本の内容を読み取る力はない。
ただただ、雪の道を行く子狐が寒そうだったり
間違って反対の手を出さなければいいなぁ、ってどきどきしたり
ちゃんと手袋が買えてほっとしたりしていた。

私が持っていた絵本に翻案版はなかった。
ダイジェストって言うか粗筋だけを追う本は贈り物にもらっても
読ませてはもらえなくて
難しくてもほぼ原文に忠実な作品ばかり与えてもらえたので
おかげで今でも読み返す事が出来たりする。

丸井さんで男物としては小ぶりな手袋を
父の為に買った。

お金を払うときに
娘としての私の手は、ほんとはちょっと狐の手なのにって
思ってしまったりもしたのだけれど。



著作権の喪失した作家様の作品はネット上にある青空文庫様で無料で閲覧する事が出来ます。
新美南吉さんの作品も「手袋を買いに」は勿論、「ごん狐」や「赤い蝋燭・最後の胡弓弾き」
も拝見する事が出来ます。童話だけではなくて様々なジャンルの本が揃っています。
お時間のあるときに如何ですか?

私の作成途中って言うか意気込みだけの(^^;;童話のページはこちらです。



1月7日
七草に 箸つく朝や 松も明け
開ける窓より 入りしうつつか

なんとなく華やいでいた季節が終わる。

クリスマスリースを飾ってから
間も開かずに注連縄を張っていた玄関も
表札と「猫注意」だけに戻る。

今日は七草の日なので
昨日の帰りにパックのおかゆセットを買ってきた。

なんかちょっとしおれていて、情けなかったりもするのだけれど
この街では、これしか手には入らない。

まな板にのせた七草を
包丁、杓子、銅杓子、すりこぎ、菜箸、火箸
そして薪の代りのガスボンベ(笑)の七つの台所道具で七度づつ叩く。

ご存知の方も多いと思うのだけれど
七草の「七」は仏教の「七宝」から採った数なので
こんな風にするのが例となったらしい。

宇多天皇(887−897年)の代の頃に
それまでの稲、麦、豆、粟、黍、小豆、小麦の七穀を
年始に奉戴する儀式が変化して
現在の七草の儀式になったとの説もある。

私の実家では煮炊きやお風呂に
薪を使わなくなって、その代りに何を使って叩くか、みんなで考えたんだそうだ。
最初は紙に包んだ練炭で形だけ叩いた事もあったりして
それも使わなくなってしまって
ほんとは都市ガスなので、「ガスホース」って案もあったのだけれど
そんなもので叩いてもなんだかへんてこりんなので
携帯コンロのちっちゃいボンベにしたって言うのだけれど
それでも充分へんてこりんな気がする。

ほんとは何で叩けば良いのだろう?
ってどなたかご存知ないかなぁ・・・・

この時の囃言葉もあるらしいのだけれど
私はその言葉が書かれた短冊が神棚に供えられている処しか
見たことはない。

今年の無病息災を祈って七草粥に箸を付ける。

ちっちゃな保温容器に入れた七草粥を
母が祖母の病院へ届けにゆく。

一口だけでも食べる事が出来ればいいなぁ、って思いながら
私は仕事に出かける。

街はもう普段の顔で
私は少し寂しい。



1月8日
目に写る 姿は似れど それぞれの
瞳に宿りし それぞれの色

昨日で松も明けたのだけれど
お店はまだまだお正月の色が残る。

今年初めてお会いするお客様とは、
やはり「明けましておめでとう」だし
お年始の頂き物をしたりもした。

ちょっと必要な私物を取に控え室に戻った時
「めぐちゃん指名順位下がってたね。どうかしたの?」
って仲のいい女の子に尋ねられる。

今年の春から夏にかけて私は少し壊れていた。
前の日記にも書いているのだけれど
きっかけは、入店したときから私を可愛がってくれた
段突の指名トップだったおねぇさんが退店されて
私が日勤のトップになってしまった事がきっかけだった。
そして私事でも思い通りにならない事が重なって
疲れてしまってもいた。

それまでの私は
お客様にも恵まれていたこともあって
それなりの指名も頂けていたし
スタッフのみんなにも可愛がってもらっていて
のほほんとお仕事をさせて頂いていた。

それが突然トップという何か自分には縁のないと思っていた場所って言うか
思ってもいない立場になってしまって
とても戸惑い、そしてその立場に固執する心が生まれた。

競い合う事は決して悪い事じゃない。
自分を高める事に繋がるし、目標が出来て張りも出来る。
スポーツで一位になることは努力の結果だし
いっこしかない好きな人の心を掴む為に、自分を磨くってのは
辛いながらも楽しい事だったりもする。

背伸びをして指の先だけが届いていたり
ばれないように、こっそりずるをして掴む
立場や地位や場所はとても不安定で
自分自身を見失っなってしまったりする。

壊れた頃の私は
指名の本数も指名の戻りも
確実に増えていたのに「トップ」っていう立場に拘ってしまって
自分ではない自分を作ってみたり
競争相手を心の中で賤しめてみたり
付け焼き刃の人の真似をしてみたりして
「私」を好ましく思って下さっていた
大切な御縁のいくつかを失っていった。

出来ない事に違う理由を付けたり
出来る事にも今しない理由をつけたりしながら
いつか私は
ネットさえも出来ないくらい自分を壊してしまって
自分を見失う処だった。

お蔭様で私を大切にしてくださる実生活
そしてネットで御縁を頂けた皆様のおかげで
私は自分がへんてこになっている事に気付き
なんとか自分に戻る事が出来た。

それからの私は指名頂ける本数は

お蔭様で9月からは3位以内を推移していて
本数は安定しているし
新しい御縁も頂けていたりする。

仲のいい女の子に私は笑いながら答える。
「お店が忙しくなって来てよかったね。
私も指名増えてるけど、みんなの指名もどんどん増えてるんだねぇ。」

「そうだよね、お店評判悪いとフリーさん来ないもんね。」
なんて話しているとフロントから
「ご指名ご来店です」
って二人同時にコールが入る。

軽く手をぽんと打ち合わせて
ちょっとガッツポーズを二人で決めて
お客様をお迎えする為に控え室を後にする。

今日は時間内全指名を頂いた。
ありがとうございます。

帰りにいつもの猫を撫でる場所に寄ってみる。
固太りの縞虎でしっぽがL字型に曲がった
半年くらい前から顔見知りの猫がいる。

小さく呼んでみると
振り向いてくれて私をみて優しく「にゃぁ」と体を摺り寄せてくる。
実はこの猫はそっくりな兄弟3匹だって事に
この前初めて全員お揃いの処に出会って気付いた。

「今日はほんとはどのこなのかにゃ?」

私はまだ3匹を見分ける事が出来ない。
でもきっと猫達はそれぞれ違った時の私を知っている。

「こんどマジックで印でもつけて見ようかなぁ」
鞄に常備しているかつお節を一つまみあげながら
ちょっと思ったりもした。



1月9日
開きたる ページに宿りし 思い等の
拓けし夢に 紡ぐえにしや

本日も時間内全指名を頂く。
ありがとうございます。

今日久しぶりに「知ってるつもり」っていうテレビ番組を拝見した。
なにせ「手塚治虫」様と「チャップリン」様が取り上げられるってので
けっこう楽しみにしていた。

番組自体は好きでも嫌いでもないし
スタッフ様の取り上げる対象による熱量みたいな物の差が
すごくでっかい番組なので今回は期待していたりもした。

見た後の感想は「ふむふむ」って感じだったのだけれど
いくつかの言葉が胸に残ったりした。

「人は、そして生き物はどこかで手つないでいる事を忘れてはならない」

これは手塚さんの御自分の作品に対する言葉なのだけれど
「おたく」な私は違う事を思い出したりした。

私が最初に「手塚治虫」様という名前を記憶したのは
「不思議のメルモ」だったりした。
アニメの主題歌は今でも私のカラオケ18番だったりする。
と言っても再放送で見ていたのだけれど。

それまでは作者で作品を認識するって事はあまりなくて
ただ作品を一つ一つばらばらに見ていた。
それが「手塚治虫」様という一つのキーで括られて
アニメからまんがへ、まんがで触れらている事柄を追って他の書籍へ
書籍から新しいキーワードを見付けて、新しい分野に触れるっていう
振り出しになったりした。

ちなみに「不思議のメルモ」は昭和46年10月3日から47年3月26日までが
初めての放映時期だったりする。

私の祖父は風俗資料の収集家だったのだけれど
それまでの私はせっかくの資料に興味はまったくなかった。
それが「手塚治虫」様というキーを得たことで
「COM」と言うまんが雑誌を読んで
「009」ではない「ファンジーワールド・ジュン」の石ノ森章太郎様を知り
「ヤマト」ではない「四次元世界シリーズ」の松本零士様
「博多っこ」じゃない「正午に教会へ」の長谷川法世様
「人魚伝説」ではない「流れる石の様に」の宮谷一彦様
そして、萩尾望都様、竹宮恵子様、あすなひろし様をはじめとする様々な作家に出会い
泉谷しげる様がまんがを書いていた事を知って驚愕したり
「漫画少年」まで溯って筒井康隆様も漫画を書いていた事を知ったりした。

「アドルフに告ぐ」を読んで「我が闘争」を読むきっかけになったし
「陽ひだまり樹」から幕末って時代に興味を持てたし
「火の鳥」からは、輪廻や大和朝廷や騎馬民族やSFやたくさんの物に惹かれ
そして「ブッダ」へ戻ったりもした。

どこかで「縁」が繋がっていて今の私がある。

触れた色々な作品や、それを知ったことで語り合えた人や
そこから再度広がった世界が私を造っている。

「手塚治虫」様が映画好きだったのは良く知られているけれど
エッセイに「チャップリン様」の事が出ていて
私は「街の灯」や「ライムライト」「キッド」そして「独裁者」を見て
また五味川順平様や高橋和己様を読み直したりもした。

余りにも有名なチャップリン様の言葉をもう一度思い出す。

「思いやる心が最後の鍵になります。
判ろうと思わない心が争いを生み
そして自分を貧しくしてしまうのです」



1月10日
頂いたメール紛失のお詫び


ちょうど10日目にして
壊れていたパソコンが手元に戻ってきました。

結局バックアップ出来たデータはほとんど無くて
HDは真っ更だったりします。

残念なのはお正月休みに落ち着いてお返事しようと思っていた
せっかく頂いていたメールがお年賀メール含めて
すべて消えてしまった事です。
12月30日午後から1月1日8時頃までに受信したメールは
拝読も出来ていないのでほんとに残念です。

もし御用件がおありで「返信が来ていないよ」って方がいらっしゃれば
お手数なのですが再送頂ければ幸いです。
お手数おかけして申し訳ありません。
御無礼の段、何卒お許し下さい。



いんでっくす



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