めぐみのにっき
西暦弐千年
ニ月二十八日(月曜日)三月五日(日曜日)まで
「歌」と内容は必ずしも関連していません(笑)
2月28日
白梅を 揺らす風さへ 東より
幼き桜花の 目覚め誘ひて
強い風が吹く。
窓から見える冬枯れの木々も
揺れてはいるのだけれど
陽射しはずいぶん暖かい。
鞄で一所懸命押さえていても、乱れる髪も気になって
短いスカートがめくれてしまう女の子がいる。
ほんとに若くて元気な
ストッキングも履いていない足が一瞬全部見えて
でもその事も友達と笑い合いながら
駅の方向へ小走りに駆けて行く。
黒いストッキングに
めくれないようにフェイクレザーの
タイトミニにブーツを履いた私は
帽子もかぶって駅へと向う。
今を盛りの白梅を見上げた時に
強い風が吹いて、帽子が飛ばされてしまった。
追いかけて拾い
ぽんぽんと土を払ってふと見た桜の樹には
小さな花芽がついていた。
そっと触れてみても
固い感触だけが指に残る。
ひと月もすれば花が咲き
そして、桜吹雪の道を私は歩く。
路地を曲がって
陽射しの無い道で、又強い風が背中を押す。
私はジャケットの衿を立てて
駅へ急いだ。
2月29日
わずかづつ 花芽も減りし シクラメン
春の陽射しに 色は はえれど
空の色に
春の青が少しづつ混ざってゆく。
冬を一緒に過ごした
白にピンクの縁取りのあるシクラメンが
遮る雲さへ無いお陽様の光の中で
まだ露を宿す窓ガラスを背に
ぽうっと浮かんでいる。
花はピンと立っているし
葉の緑も色褪せてはいない。
水をあげるために
根元を少しかき分ける。
あんなに沢山あった
首を傾げた小さな花芽は
今は数える程しかない。
季節は移る。
3月1日
うつ波の 泡も消ゆるや 一瞬の
変りし色を 砂に残して
ちょっと必要なものがあって
湘南の私の家で眠る。
朝早く目が覚めてしまって
私は海へ行ってみた。
防波堤の先まで歩いてゆくと
東にはすこしぼんやり江ノ島が見えていて
良く晴れた西の空には
富士山がくっきり浮かんでいる。
風はあまりないのだけれど
白い波が砕けていて
引き潮の浜辺は少しずつ広くなってゆく。
砂浜に戻ると
波打ち際で私はぐるぐる回って
まぁるい足跡をつけてみた。
リードから離れた、若いコーギーが
何かの遊びかと思って
私の後をついてくる。
彼と私は少し一緒にぐるぐるまわる。
彼が名前を呼ばれて戻っていった後
私は足跡の真ん中に座ってみた。
私の足跡とじゃれるように
ちっさな犬の足跡が
砂に残っている。
少し乾きかけた砂の上を
崩れた波が駆け寄ってくる。
泡立つ白い水が
砂を深い色に染めるのだけれど
私の少し手前で、吸い込まれ、そして色もすぐに消える。
道に戻って振返ると
砂浜にくっきり
足跡が残っているのが見える。
潮が少し満ちてくれば
消えてしまうのだけれど。
3月2日
この爪の 形や伝う かの人の
春の兆しの 写真見つめて
私の爪は
指がちっちゃいわりに
かなり大きくて長い。
幼い頃から
祖母に似ていると
何度も言われた爪だ。
数少ない残っている若い頃の写真の顔は
私とあまり似てはいないのだけれど
今でも爪の形はそっくりだ。
ほんとは
爪なんかじゃなくて
顔が似ていればなぁと思った事もある。
写真の背景には湯島天神の梅園が見えている。
鼻筋の通った
きりりとした表情は
色は判らないけれど江戸縞の粋な着物に
とても映えている。
その日何があったのか
知らないのだけれど
やはりまだ若い祖父と並んでいて
二人ともとても良い表情をしている。
長い事
使い込んだ桐箪笥の上に飾られていて
とても馴染んだ写真だった。
手を繋ぐ時に
無意識に爪を比べていた。
そして
同じ形をしている爪を見て
安堵していたりもしていた。
いつか
何十年も飾っておける写真を撮れるように
良い表情の出来る
私になりたい。
3月3日
流せしは 穢れではなし 厄でなし
佇む思い 雛に託して
一枝の桃の花を飾る。
季節には少し早いのだけれど
柔らかなかたちと
暖かな色が
部屋をほんのり明るくしてくれる。
日々の暮らしの中で
一針づつ縫われた衣は
寒さや痛みから守ってはくれるのだけれど
肩に重かったりもする。
雛に託して
衣を流してしまいたかった事もある。
流せない程の衣を
引き裂いてしまいたかった事もある。
肩に重く感じるのは
衣ではなくて
ちょっと失敗してしまった運針や
似合わない色を入れてしまった事に
囚われているからだと
少し気が付く。
衣は畳んでしまっておこう。
大切でなかった日なんて
ほんとはなかったのだもの。
3月4日

戴益の「春探」が私は好きだ。
ある意味ではテーマはありふれているかも知れない。
「春を尋ねて一日歩き回ったけれど春は見つからなかった。
藜(あかざ)の杖をついて多くの山を探してみたのだけれど。
家に戻って、庭の梅の梢を看てみる。
枝にはもう十分春があった。」
(読み下し文責@めぐみ)
私がこの詩を知ったのは
祖父が吟じてくれたからだ。
それまで聞いた事のある詩吟と言うと
「鞭声粛々」の「川中島」だったり
「人間至る処に青山あり」の「壁に題す」だったりして
なにやらいまいち馴染めなかった。
5人一緒の最後の家族旅行で
私は初めて大人として祖父と話し
初めて吟じる漢詩も聞いた。
それがこの「春探」だった。
低いのだけれど
胸に染み入るあの時の声を
今も思い出す。
「藜の杖」が老人の為の杖だと知ったのは
随分後になってからだった。
残念ながら祖父はそれからすぐに
逝ってしまったので
私は詩吟を憶える事はなかった。
色々な事があった人生の
最後の家族旅行が
庭にある梅だと思ってもらえたなら
良かったのだけれど。
3月6日
新しき 月を待ちせば 花筏
浮かせし川を 渡りせばとも
何年前になるだろう。
祖母に買ってもらった着物を着て
ちょっとした御縁で
千鳥ヶ淵のホテルで催された
観桜の宴のお手伝いをした。
暖かい日が続いてしまって
花は散り始め
水面には花筏がいくつも浮かんでいた。
時折ざっと吹く風に形を変えながら
いつしか、
風下の岸に花びらは寄り添う。
水面に茜がさす頃宴は終わって
待ち合わせをしていた祖母と
遊歩道を少し歩いた。
祖母は何度か立ち止まって
すこし離れて私を見る。
「なにしてんの?」
と私が尋ねると
「並んで歩いてるとあんたが見えないからねぇ」
と笑った。
ひらひらひらひら
花びらが舞っていて
灯りだした町の明りが
水面に写ってもいた。
月がもう一回りした頃には
きっと桜は咲いている。
今日は新月で
雲の上にも月は無い。
めぐみのにっきいんでっくす
All Rights Reserved by Megumi@sekken-oukoku
リンクはフリーですが無断転載はお断り致します