西暦弐千年
六月五日から


「歌」と内容は必ずしも関連していません(笑)

月5日
ことのはの 我にとどきし その色は
君の送りし ままに見えしや


雨の香りのする青空が広がる。

古くからの友達から
手紙が届く。

たまには電話もしているし
春には会った。

懐かしい言い回しや
少しだけ触れる、共に持つ思い出達は
いつもと少しも変わらない。

美しい筆跡が
少し乱れている。

去年の私の日記は
言葉は私の言葉に似ていたのだけれど
文字は途切れがちで
ところどころ
滲んでいたりした。

そして
そんなときに
友達に手紙を書いていたことを思い出す。

杞憂ならいいのだけれど。



六月の 茜さしたり 濃き藍の
幕や降りゆく 火灯しの頃


薄い雲に淡い茜がさしている。

空の色は夏の色で
地平からゆっくり闇が現れて
そこここの灯りが灯り
そしてネオンが瞬きはじめる。

久しぶりに六本木の「エラワン」で食事をする。

ちょっと酸っぱいココナツミルク入りの鶏のスープも
タイ風のヤキソバも昔の味とあまり変わっていなかった。

13階の窓からは
遠く一の橋のランプまで見渡せる。

席についた時にはまだ西日が当たっていて
食事が終る頃には
夜の化粧に街は変わっていた。

幼い頃に遊んだ路地の夕暮れを思い出す。

地面にチョークで丸を書いて
ケンケンをしたり
時々軒にぶつけて止まったりする
縄跳びをしたり
どこの路地までと範囲を決めて
缶蹴りをしたりした。

5時の鐘が鳴って佳境に入る私達の遊びは
だんだん影が長くなり、
少しづつ暗くなる路地に最初の灯りが灯ると
お開きになっていた。

暗くなるから燈る灯りが
なんだか恨めしかったりもした。

下りのシースルーエレベーターから見える六本木の街は
なんだか見慣れない街になっていて
ロアビルから駅に向う交差点の角の
ミスタードーナッツも、もう無い。

火灯し頃がなんとなく嫌いだった私は
それでもお家に帰れば
楽しいごはんが待っている事も知っていた。

今は
もうそのお家はないのだけれど。


月7日
その音の 聴こえし朝や かほり立つ
薔薇の一輪 落ちし窓辺に


今日の朝は少しいつもと違う目覚めだった。

日曜日に頂いた薔薇の花束を
猫が食べないように
天井から逆さにつるしていた。

エアコンの吹き出し口を少し上に向けて風を当て
もう何日かすれば乾いてくるはずだった。

私はその薔薇を見上げ
ゆっくり降りてくる香りを楽しみながら
昨日眠りについた。

今日の朝
なにかの音に私は浅く目覚める。

濃い薔薇の香りに目を開いて
寝返りを打ってその方向を見ると
板張りの床に
少し茶色の混じった赤い花びらが散っている。

長く愛でる事は出来なかったその一輪の薔薇は
ほかの薔薇より
私の記憶には残ったのかも知れない。


月9日
見晴るかす 砕けし前に 我の巣を
望みしばやか 波頭伸ばして


6月の雑木林は緑が淡い。

屋根瓦は真夏よりも光っていて
いくつかの洋館が白く浮き立ち
芝生の庭に、
滑り台とブランコが見えていたりする。

その丘から見える風景が私は好きだった。

ほんのささやかな展望台には
木製のベンチが海に向って3つ並んでいて
一番端っこに座り、わずかに潮の香りがする
風を感じるのが好きだった。

小さな森のあるその丘は
海に向って開いている。

まだ若い雑木の葉は
波に連なるように
きらきらきらきら光っている。

避暑地だったその街に
初めて行ったのはまだ幼い頃だった。

祖母の知人の家に手をつないで訪れた後
少し汗ばみながら登った細いつづれ道の果てに
その丘はあった。

その景色は今思えば素晴らしいものだったのだけれど
遊具も売店もない目的地に
私はなんだか不満だった記憶がある。

祖母は竹の若芽を摘んで
笛を作ってくれて
私はその音色が珍しくて
一人で遊んでいた。

ふと気付くと
祖母は海をじっと見詰めていて
その横顔がまるで少女のようで
私はとても驚いた。

なんだかなんだか
言葉にならない思いが押し寄せて
そっと近寄り、そっと手をつないで
それでも海を見詰める祖母の横で
私も海を見詰めていた。

聞こえるはずのない遠い潮騒を
ほんのちょっとだけ
一緒に聞いていたような気がする。

それから随分経って大人になってから
何度か一人でその丘へ行った。


窓の軋む音で、今日の私は目を覚ます。

眠りの中で潮騒を感じたのは
強い風と雨音だった事に気付く。

その日の帰りに歩いた浜辺で
私は祖母から
砕ける波が一瞬伸び上がるのは
遠く離れてしまった水平線を見るためだという
御伽噺を聞かせてもらった。

今日のドアの外は
まるで嵐みたいだったのだけれど
髪をひっつめて、レインコートに雨靴をはいて
私は仕事へ向った。


月12日
こころもち 歩幅をとりて 水溜まり
踏むも楽しき 雨靴の朝


朝の雨が 街に馴染む。

梅雨に入って会わなくなっていた犬達が
雨具を付けた人達を引っ張って
道を歩いている。

レインコートを着ていたり
帽子をかぶっていたりもするのだけれど
ちょっと濡れた毛足を
ところどころでぷるぷる振って
元気に歩いている。

思い切り飛び散る水滴を
背中で受けたり、雨傘で受けたりしながらも
顔を見合わせて楽しそうだ。

毎日足が濡れるのもなんだか面倒なので
私は雨靴を新調した。

短いスカートにストッキングもはかず
ソックスに雨靴を履くのは
何年ぶりになるだろう。

路地の水溜まりを追って
少しぴょんぴょん飛んでみる。

空は重くて低いのだけれど
山吹色の雨靴の色が
水溜まりへ映って
すこし明るい波紋を立てる。

黄色い傘もさしていれば
もうすこし少女の頃に
戻れただろうか。


月13日
見上げたる 黴雨の鉛の 雨どもや
避けるやなしに 降りしこの頬



すこし弱くなった雨に
傘を倒して
空を見上げてみる。

一瞬だけなのだけれど
雨粒達が
見上げる私を避けているような気がした。

ネオンの赤や,ビルの窓の灯りを映して
尾を引きながら
落ちてくる滴がはっきりと見えている。

水溜まりに目をやると
雨は休み無く降っているわけではなくて
ぽつりぽつりと間を置きながら
ちいさな波紋が立っている。

そうだよね。

雨が私を避けてくれるはずなんて
ありはしないんだよね。


月18日
その時の 言葉はありし 行く時を
経しも変わらぬ 留守電の声



捨てられない言葉がある。

モバイルフォンを持つようになってから
留守電のランプが点いている事は
めっきり少なくなった。

私の自宅の電話はとても古いので
今でもメッセージは小さなカセットテープに録音される。

今日は大切な男の子から留守電が入っていた。

「プレゼントとカードありがとう!」

「これでいいの?よくわかんない・・・・」
とちょっと戸惑った幼い声がする。

「だいじょうぶだいじょうぶ」
と友達の声がして
「**くん4才にして初めての留守電でした!
ありがとう.またね!」

去年の今日の事が鮮やかに浮かんで
柔らかな思い出が蘇る。

鼻歌を唄いながら食事の用意をして
スイッチを押したFMから
あの曲が流れる。

少し箸が止まってしまって
宝物の箱を取り出して
小さなカセットテープを指でつまむ。

留守録用のテープを取り替えると
再生ボタンをちょこんと押してみる。

その言葉の背景に
そのころよく一緒に聴いていた
あの曲が低く流れている。

テープを取り出す時の私のマニキュアにはラメが入っていて
きらきらきらきら光っている。

その頃の爪は
まだ
マニキュアをしなくても
桜色だった事をちょっと思い出したりもした。


月20日
沈む陽の 色は映えしも 待ちわびし
星は未だ出ず 短夜の頃



帰りの電車からホームに降りても
まだ陽射しは強い。

心持ち早く帰って来た私は
ゆっくりと西へ傾くお陽様に誘われて
スーパーマーケットの屋上へ昇ってみた。

あまり広くはない屋上には
コインを入れると動いてくれる電気自動車や
5分間乗り放題のへんてこりんな自転車達や
おんなじ場所で
ぐるぐる回ったりがったんがったんと動く乗り物が揃っていて
ベンチに座ってソフトクリームをなめたり、ジュースを飲んでいる
おかぁさんやおとうさんに手を振りながら
子供達が遊んでいる。

ちっちゃい頃の百貨店の屋上には
もうちょっと遊園地みたいな遊具が並んでいて
隣の席のお子様ランチには
いつも珍しい国の旗が立っているのに
何故か私のは日の丸ばっかりで
残念だった思いを胸に
がったんがったんと
乗り物に乗っているうちに
忘れてしまったことなんかを思い出す。

硬貨を渡してくれたのは
おじいちゃんやおばぁちゃんだったり
もちろん
父や母だったりした。

そして当たり前のように繋いで歩いていた手に
余り触れなくなったのは
屋上にこなくなった頃だったなぁって思う。

ぼんやり夕陽が沈むのを見ていると
振返った屋上にはもう誰もいなくて
係のおねぇさんが片付けを始めている。

ちょっと大き目の2人乗り消防自動車の前に立って
「乗ってもいいですか」って声をかけると
うんうんって離れた処から大きく肯いてくれた。

硬貨を入れて走り出した消防車は
サイレンも鳴るし、くるくる赤い灯りも回る。

コースをぐるぐる廻っていると
西の茜はすっと消えていて
東からは
濃くなる闇の中で星たちがまたたく。

ぴょこんとお辞儀をして屋上を後にするときに
明日が夏至って事に気付いた。


月22日
足音を ひそめ歩くも あまたなる
水面の波紋 畦道を行く


蛙が鳴いている。

浅草で育った私は
残念ながらあまり自然に縁がなかった。

湘南の街には
ちょっとした森を抱えた邸宅もあって
駅に向う道には
この季節には蛙の声が聞こえる池さへあったりもする。

ありがちなのだけれど
実物をほとんど見たこともないのに
幼い頃は蛙が嫌いだった。

童話の中でも
威張りかえってお腹をパンクさせたり
嫌がるお姫様と無理矢理結婚しようとしたりするキャラクターなので
なんだか「嫌な奴」って印象が強かった。

今のお仕事を始める前に
ちょっとした御縁とちょっとした偶然があって
本州の西端の街に行く機会があった。

古代の遺跡や源平時代や戦国や
そして明治維新の史跡を訪ねたり
その街の名物なのだけれど
ちょっと季節外れの河豚料理を食べた私は
知人の家に泊めてもらうことになっていた。

駅から車でほんの10分程しか離れていないのだけれど
そこには、蓮の田んぼが広がっている。

通された蚊取り線香の香りのする部屋は
窓を閉めていても蛙の声が溢れている。

「うるさいなぁ・・・・・」

私はちょっと後悔していた。

カーテンを閉めようと手をかけた窓に
小さな緑色の蛙が指をいっぱいに広げて張り付いている。

思わず乗り出して伸ばした指に、蛙は移って来て
吸盤でしっかり身体を支えて私を見上げた。

「かわいいじゃん」

宿を貸してくれている知人に
「こんなちっちゃな身体でなんであんなでかい声が出るの?」
って真顔で聞いて大笑いされて
サイズの合わないゴム長を借りて
細い蓮田の畦道へと蛙見物に行った。

足音を忍ばせても
幼い蛙達が、水に飛込む音が続く。

鳴袋を大きく膨らませている縦縞の蛙は「とのさまがえる」で
ちょっと小柄なつやつやした流線形の蛙は「アカガエル」で
ふてぶてしい面構えのでこぼこな蛙は「がまがえる」で
低い声でなくでっかい蛙は「うしがえる」だってことを
一晩で憶えた。

今日の朝
駅に向う道の真ん中に「とのさまがえる」が陣取っていて
私を睨んでいる。

ひょいと胴体をつかんで
急ぎ足で池のあるお家まで引き返す私を
子供達が指差して
「蛙だ!蛙だ!」
ってざわめいている。

生け垣の処で
向こう向きに地面に降ろすと
ちょっと身震いをして、庭へと戻っていった。

来年も会えるといいね。


月28日
朝なれど 灯り燈せし 梅雨曇り
湿る枕は 季節のせいやと


押し入れから出してみた
ビーチチェアやパラソルは
すこし湿っていて
パイプにうっすらと錆が浮いている。

湘南に住むようになった最初の年は
寸暇を惜しんで波乗りへ行った。

腰高くらいしか無いときには
憶えたてのボディーボードを楽しんだし
ウエットスーツで
秋風が立っても海に通っていたりもした。

その夏のクリアランスセールで
定価ではちょっと手の出なかった
御揃いの大きなお花模様のついた
布張りのビーチチェアとパラソルを買い
勢い余って
バーベキューのセットまで揃えてしまった。

部屋で荷開きしてみると
なんだかそこには
沢山の笑顔に囲まれている私の時間達が
約束されて居るような気がした記憶がある。

あまり波乗りをしなくなった
去年の夏に一度だけ
私はころころくんに全部の荷物を積んで
ひとりで海へ行ってみた。

ちょっとだけ用意したお肉とお野菜を焼いて
ビールを飲んで
チェアに寝そべり、パラソルの影の下で昼寝をした。

うつらうつらの中で
ビーチに溢れている歓声や笑顔達が
私のものであるような夢を、繰り返し繰り返し見ていた。

今年の私は
まだ一度も海に入っていない。

錆はきれいに落ちたので
この夏の終りまでには、誰かの笑顔と一緒に
海辺ではためくパラソルを見てみたいなぁなんて
思ったりもした。



いんでっくす



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