遊郭と江戸時代の風俗サイト
吉原遊び江戸の日々




2000年12月−2001年4月






12月24日

歌はお休みです


今年の私は年賀状を書かない。

2月29日に祖母は逝った。
今、読み返してみると
その前後の日記はやはり揺れていて
少し頑な私がいる。

ずっと家族と暮らしていた私は
一人暮らしを始めてからも
しょっちゅう会ってはいるので
両親から年賀状をもらった事はない。

あの年、
年始参りに家族で行って
帰って来た湘南の住まいに
祖母から年賀状が届いていた。

今会ったばっかりなのに

なんて思いながら読んだ年賀状には
言祝ぎと共に

「利口よりは愚直を貴べ」

と言う祖父の愛した言葉が記されていた。

そしてそれは
ともに暮らした祖母からの
消印の押された唯一の物となった。

紙の色は少し褪せてしまったけれど
なんとか
恥じない私でいたい。



クリスマスカード


12月31日
笑みはあり 確と憶えは せぬけれど
止まりし時を 運ぶ写真に


湯のみの向こうのテレビには
紅白歌合戦が映っている。

「ふーっ」と冷ましながら口に運んだのだけれど
まだちょっぴり熱かった。

最初の記憶にある私の湯飲みには
猫の絵が書いてあった。
ごろんと寝ころがってこっち向きに目を細めて
幸せそうな顔をしていた。

もちろん
急須からまだ直接お茶を濯いで貰える事はなくって
湯冷ましが無いときには私だけお茶が遅れて
時間潰しに玄米茶の粒を指で摘まもうとして
叱られたりもした記憶がある。

その湯飲みを割ってしまったのは
小学校の生活の時間に憶えてきた
ほうれん草の油炒めを家族に振る舞って
後片付けも自分でやるんだって言い張った時だった。

割れてしまった湯飲みを
接着剤でくっ付けてはみたけど
お茶はもちろん2度と飲めなくて
ペン立てにするんだと駄々をこねてみたけれど
いくつかの小さな欠けもあったりして
結局捨てられる事になった。

でも
猫は幸せそうに笑ってくれていた。

あれから何度も私は
湯飲みやコーヒーカップやお茶碗やお皿を
割ってしまった。

父と母は頂き物の
なんだかへんてこりんな魚の名前が一杯書いてある
大振りな湯飲みでお茶を飲んでいる。

おじいちゃんとおばぁちゃんのお揃いのお湯のみは
今年は並んで仏壇に供えてある。

私の湯飲みもまだ
ちゃんとこの家にもある事に
なんだかちょっと、安心した。



年越しなど


このページをご覧くださっている皆様
ありがとうございます。

私事によりせっかく頂いているお言葉にもお返事も出来ず
御無礼いたしております。

本年のご厚情に感謝致しますと共に
皆様の新しい年、そして新しい世紀が
輝かしいものでありますよう
御祈り申し上げております。




喪中につき新年のご挨拶は遠慮させて頂きます。



1月1日
結びたる 御籤の枝や 唐椿
揺らせし風に 言祝ぎの楽


ちょっとぞろりとした着物を着て
一人で街へ出てみた。

小半時ほどの用事を済ませ
帰りに近所のお宮へ寄ってみる。

戯れにひいてみた御神籤は
思いの外の素敵な未来で
どこかにきちんと結びたくて
社の壁伝いに裏へ回ってみた。

角を曲がった処に
侘助が一輪だけ咲いている。

ちょっと枝の奥に結ばせてもらって
小さく柏手を打って
手を合わせる。

叶いますように。
全部でなくていいから。



1月2日
今日は歌はお休みです


1月2日の縁起物初夢について。
ちょっと長くなったので別ファイルにしました。
よろしかったらご覧くださいね!



1月7日
朽ちせども 地にも戻れぬ 言の葉の
託せし思い 芽吹かざるやと



雪が舞う。

首筋の冷たさに
まとめていた髪をほどいて
少し手櫛で梳かしてみる。

もうそろそろかと思って
段ボールの箱を3枚かついで来ていたので
髪はひっつめにしていた。

駐車場の壁に沿った
僅かな風と雨のあたらない場所に
少し距離を置いて
何組かの猫が体を寄せている。

ガムテープで箱を組立てて
ビニール袋を張って
携帯懐炉をぐにぐに揉む。

一番長い付き合いの
三兄弟の猫は
さっそく一番奥が深い箱に陣取って
ほんの一袋のおかかを
仲良く分け合っている。

ごめんなさい、そしてありがとう
管理人さん。

去年私が勝手に置いてしまった箱は
暖かくなるまで
そのままにしておいてくれましたね。

今年もちょっと甘えてみます。

明日
捨てられていたら
ちょっと期待させてしまってごめんね
なんて
猫達に謝りながら
私は駅に向った。



3月4日
春弥生 風は定かで なかりせば
衣まといし櫻木の花



目覚めを誘う朝の陽射しには春の色が濃い。
昨日の朝はそうだった。

荒れる風の音に起こされた今日の朝は
冷たい雨も降っていて
駅に向かう道に、冬枯れの景色が広がる。

去年の今頃、私はおばぁちゃんを野辺に送った。

その日は、朝からとても晴れていて
冬にしか見ることの出来ないピンと張った青空に
優しい顔をしたお陽さまが、ぽつんと浮かんでいた。

さようならのあとに、少し独りで歩いたとき
たくさんたくさんの風景が流れていった。

その風景を言葉にしようと思ったのだけれど
涙以外
なんにも残す事が出来なかった。

横殴りの雨を受けながら
揺れる桜の枝には
色を隠した小さな花芽が
ぽつんぽつんと並んでいる。

満開の花の中で見上げる空の姿は
憶えているような気も
しないではないのだけれど。



3月8日
春色の コートの衿立つ 戻り寒
残り椿を 連れし北風



ひとつひとつ
窓辺の鉢植えの花が開いてゆく。

その色に誘われて
ちょっと早い
春色のコートをはおって
出掛けてしまった。

陽の落ちた帰り道は
北風がざわめいて
色の少ない季節を楽しませてくれた
残り少なくなっていた、あの家の椿の花が
歩道に
そのままの姿で落ちている。

せめて踏み潰されないように
生け垣の茂みに刺してみたのだけれど
思い直して
もう一度地面に戻す。

枝から離れた時に
もう
椿の花ではないような
そんな気がふとしたものだから。



3月9日
くらぶれば 僅かに違う そのいろの
褪せたる思い 残りし思い



晴天の予報に
早起きをして、カーテンを洗おうと思った。

一枚づつレールから外して
ソファーに置いていると
ひらひらする裾に
猫がちょっとじゃれつく。

最後に帯を外して
ぽいと投げてみたときに
おんなじはずだった色が
こんなに変わってしまっていたことに気付く。

そうだよね。

カーテンを干して駅に向う道で
振袖に袴をつけた女の子に出会う。

そういえば
私のあの日の道でも
沈丁花の香りがしていたっけ。



3月11日
きみの目に 映りし日々は 我の目に
見えはせぬやと 爪先立ちしも



玄関を出ると
お隣のお家のジョンくんがお散歩へゆくのに出くわす。

おとぅさんにちょっと頭を下げて
ジョン君にも手を振ってみたのだけれど
彼の頭はもうお散歩でいっぱいで
ちろりんと私を見ると
ドンドン歩いて行ってしまう。

路地から小道へ曲がると
ちょっと振り向いて
「さっきはごめんな」
って感じで、「くぅーんっ!」と鳴いてくれた。

小道の両側の花壇はもう春の色で
ちょっと早いチューリップや
桜草やすみれやパンジーや
路地咲きのフリージアをちょっと
くんくん嗅ぎながら
彼はドンドンまた歩いてゆく。

すこし腰を落として
彼の視点の高さで眺めてみた花達は
いつもの風景とは全然違っていて
得をした気持ちでなんだかうれしい。

見上げた春色の空に伸びていた
ゆきやなぎの花は
きっと
忘れられない色になる。



3月17日
ふんわりと 小花の柄の ストールで
包みたれども 残りし冬色


電車は止まっていた。

土曜日なので
あんまりザワザワしてはいないのだけれど
どうしても行かなくてはならない人達で
ホームはけっこういっぱいになる。

いつも乗るドアのあたりは
もう
並べないほど人がいて
携帯電話に
それぞれ色んな言葉を
押し込んでいる。

とことこ歩いて
端っこの方へ行き
私も用件だけを連絡し
柱にもたれて
ちょっとため息をつく。

電車の来ない線路に
季節はずれの猫じゃらしが揺れていた。

優しいお日様の色の中で
ちっちゃな春の花達に囲まれて
3本だけ揺れていた。

茶色になって姿だけ残った猫じゃらしに
あの日の想いを
ちょっとだけ思い出したりもした。



3月24日
春霞 消えゆく空に 手を伸ばす
白磁の肌や 木蓮に似て


すっと引いてゆく霞の向こうには
燕たちを待つ空の色がある。

レザーのコートを
クリーニング屋さんへ置いて
駆け上がる駅の階段の壁には
もう
満開の桜のポスターが並んでいる。

いつになく
電車の中は華やいでいて
月があけるとそれぞれが出会う
新しい暮らしについての想い達が
はじけていた。

短いスカートから伸びる
形の良いひざこぞうに
鉄橋の影が横切って、妖しいほどに白い。

吊革に伸びる
まだ幼さの残る指は
木蓮の花に似ていた。

帰り道
ちょっと疲れて立ち止まった曲がり角で
月のない夜の星の光に
紫の木蓮の影が、私の影といっしょに
地面に伸びていた。



3月25日
咲くを待つ 季節巡らば 枯れざれば
実る花やは 知りはせねども


窓辺に置いた
エニシダの花は盛りで
でももう
散り始めてもいる。

街には手をつないだ人達がたくさんで
ちょっとぶつかったりもする。
両手を握ってもらった小さな子が
わざと脚を上げて
ちょっと叱られながらも
楽しそうに笑う。

そんな頃は
待っていれば
季節は変ると思っていた。

袖あげをしたブラウスや
体操服や上履きは
何時の間にか小さくなるし
桜が咲けば
名札が変った。

ちょっとづつ
大切なものは増えてゆき
失敗しなければ
無くすものは少なかった。

稲毛神社で手を合わせてみた。

ぺこりと頭を下げて振返った境内は
昨日まで
伸びかけていた雑草が
きれいに刈り取られている。

すこし
花も咲いていたのに。



4月2日
なごりやも 舞いてわかるる さくら花
共にありしは 夢のまたゆめ


桜に逢いにゆく。

その樹
ずいぶん早く満開になっていて
もう花の毛氈を
敷き詰め始めてもいた。

私はあの日その桜に逢えた。

今思えば
初めて花を見上げた日から
思い出す柔らかな風景の中には
なんだかいつでも
いてくれたような気さえする。

思ったよりも今年の花は
足早に季節を駆けて行ってしまう。

帰りの電車で目を閉じると
花びらが舞う。

誘われる眠りに
まだ
桜に出会っていない頃の私が
くるくるくるくる
踊っている。

ゴトンと揺れて開いた目に
ぽつんと髪に付いている花びらが映る。

ぱくりと食べてみた花びらの味を
まだ私は
言葉にできそうにはない。



4月4日
はるいろの 帽子いだきて 菜の花の
見上げる空に 満ちてゆく月


普段着なのに
真新しい帽子をかぶったちっちゃな女の子が
ピンとしっぽを立てた
茶色い犬とお散歩をしている。

帽子はまだちょっと大きくて
とっとっとと、急ぎ足になると
片手で押さえて
犬に声をかける。

塀の上の猫にも
ちょっと声をかけたりして
猫も
ちろりんと視線をなげるのだけれど
また
そのまま眠っている。

この街で暮らしてきたんだね

って思いながら
ゆれるしっぽと、はねる帽子の跡を
私もとことこ歩いていた。

門灯のついているお家の前で
「帽子はまだでしょっ!」
って、大きな声がして
女の子は肩をすくめて、犬はしっぽを下げる。

声の主は
私に気付いて、ちょっと照れ笑いと一緒に
黄色い帽子をぽんぽんと撫でる。

軽く会釈をして見上げた空には
菜の花色の月が浮かんでいた。



4月20日
指先で たどりし地図の 彼の道は
坂はなけれど 花もなかりせ


上り坂を歩いていた。

その頃はまだ
ずんずんずんずんいっぱい歩いたって
もっともっと歩けるような気がして
うっすら浮かんでくる汗には
まだ女の香りさへ
してはいなかった気がする。

目が覚めて
そこには私の今日がある。

ごそごそと本棚を探して
あの時に買った地図にあるその道を
指でなぞってみる。

振返ると湖の見える道は丘に続いていて
花々の咲く庭に囲まれた洋館が並び
汗をぬぐうハンカチには
初めて私が針を使った
へたくそな
イニシャルの刺繍があったことを思い出す。

地図の上では
ほんの3センチほどの道だけど
何度も立ち止まって花に見惚れ
湖に金の波を立てる風が届くのを
ワクワクしながら待ったり
飛び立つ鳥の
羽音が小さなこだまになるのを聴いていた。

地図を閉じて私は仕事へ向う。
歩く事が楽しかったってことを
ちょっと思い出して
今日はいい日になる気がした。



4月28日
交わしたる 想いはゆきて ゆびきりの 
かの日の空の 雲はなかりせ


ツツジの庭に鯉幟が眩しい。

ボックス席には
いつもの朝とは違う笑顔が溢れていて
網棚にも
リュックや水筒が並んでいる。

きっとお出かけの約束のゆびきりをしたんだね。
ちょっと、おとぉさんは眠そうだったりするけど。

カーブを曲がる電車に
明るい陽射しが差し込んで
目を細くして見上げる空に
ぽつんと雲が浮かんでいる。

ごめんね。

守れなかったゆびきり達に
小さく手を合わせてみた。



5月3日
薄絹を まといたれども にほひたつ
若葉濡らせし 春の柔雨


窓からの風景は絹の雨にけむっている。

少し肌寒くて
七分袖のカットソーに
白いコットンブロードのシャツを羽織る。

久しぶりに乗るブルーのラインの入った電車には
房総の海へ向う若い恋人達も多くて
そこだけには、もう
夏の色がある。

駅を降りて歩く道の生け垣には
小さな紫陽花の花芽がついていて
違う季節の雨を心待ちにしている。

お休みのお店が多くて
やっと見つけて買ったお花は
なんだかとっても明るい春の色で
御線香の煙の向こうで
苦笑いしている顔が見えたような気がした。

庫裏にご挨拶をして
何気ない当たり前の言葉に
ちょっぴり傷つく。

いいひともいなくて
去年よりひとつ年を重ねた私は
ちっちゃな石をポンと蹴ってから
駅に向った。


端午の節句/鯉のぼり・柏餅について
まとめてみました



好きな場所画像当分表示中(うちの猫っすけど)


いんでっくす










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