001 カリカリ小梅漬
 せっかく小梅を漬けて食べるなら、カリッとした歯ざわりを楽しみたいというのが人情というもの。何とかお店で売っているように漬けたいと思うのだけれど、なかなかうまくいかない。

 小梅漬は、梅ぼしのように土用の天日干しはしない。しても漬けダルごとフタを取って、天日にさらすくらい。天日干ししてしまうと、せっかくの小梅がしぼんで皮とタネだけになってしまい、おまけにやわらかくなってしまう。

 小梅は、塩漬けして色づけのための赤しそを入れただけなら、やわらかくはならない。ただ、時間が経つにつれて、やわらかくなってしまう。これは、梅がそれ自体酸性のため、塩で漬かった自分自身を酸化してしまうから。一般の小梅漬がいつまでたってもカリカリなのは、酸を中和するための中和剤を使っているから。酸性の強い梅酢は取り去られ、酸化防止剤とどぎつい着色料の入ったアミノ酸等の調味液に漬け込まれて、製品となる。これではせっかくの梅のエキス分がぬけてしまい、かわりに小梅のぬけがらと食品添加物を、健康のためと勘ちがいしていただくことになる。

 小梅漬を少しでもながくカリカリでいただくには、冬から来年のぶんだけでも、冷蔵庫に保存しておくこと。低温では、酸化する時間がゆっくりになるから。

002 イタセンパラ

 ほんのまだ小さな子供のころ、父の在所の田舎でのこと。

 当時、矢作川は水量が豊富で、その流域ではいたるところ湧水があり、小川がいくつもあった。ある夏の暑い日、ぼくはひとり小さな丸いタモを持って、小川に入って魚採りをしていた。水は結構冷たく、とても気持ちが良かった。タモを入れては、ガサガサと獲物を探っていたら、それまでに見たこともないような美しい魚が掛かった。全身が深い紫色で、いたるところがプリズムを通して見えるような虹色で施されている、5センチほどの魚。ぼくはその魚のあまりの美しさにすっかり驚いてしまい、ほんの一瞬のぞき込んだだけで、また小川に放してしまった。そのときの胸の高まりを、いまだによくおぼえている。後で父に聞いてみて、『ニガッペ』という魚だと知った。

 『ニガッペ』とは、学名を『イタセンパラ』といい、最近では愛知万博の予定されている瀬戸市でも発見されている。絶滅危惧種のこの魚は、その美しさ故に、ヤミでは数万円で取り引きされているそうだ。農業の合理化、地球開発の名のもとに、いずれはこの日本から姿を消してしまうのだろう。まったく残念な話。ぼくらの子孫たちにも、ぼくの幼い頃の自然との、心ときめく出会いができるような環境を、取り戻してゆかなければいけないと実感する。

003 火星探査機

 半年ほど前、米国で打ち上げられた火星探査機(マーズパスファインダー)が火星に着陸して、今、色々な調査をしているそうだ。そこで、火星にまつわる(ぼくにとっては)新しい事実も去ることながら、着陸、探査のためのアイデア、方法のユニークさには驚いてしまった。

 NHKの番組で、「アイデア対抗・ロボットコンテスト」というのがある。まるでその中に出てきそうな新案メカによって、火星の探査が行われている。着陸船が、ゴムまりが地面に落ちるように、何回も弾みながら着陸する、などは、まったくの驚き。写真を撮ったり、地球と交信する母船と、それを中心に数十メートルの半径で動き回るローバーと呼ばれる電動カーとでワンセットになっているのだが、その小振りさにも驚く。実際、莫大な費用がかかっているわけだが、良くもまあこんな装置が、こんな計画に採用されたものだと思ってしまう。

 米国というところは自由の国だといわれる。世界中の人間が集まり、良いことも悪いことも、あらゆることが『有り』の国。実は、アメリカという国が存在しているのではなくて、地球上の全人類の集約がそこでなされえている場所、だけなのかもしれない。失われてしまうものもあり、生み出されるものもある。それが人類の平和につながったらいいと思う。

004 Mr.ビーン

 イギリスのテレビでは相当人気があるらしく、そのビデオ版が日本でも販売されている。そのビデオをうちの娘が最近よく買ってくるので、いっしょになってみている。

 Mr.ビーンなる人物は、テレビのお笑いのヒーローで、その粗忽さ故に頭の痛くなるような、情けない失敗をしでかしたり、その極端にエゴイスティックな性格のおかげで、人に迷惑をまき散らしたりもする。そんなこと、する奴があるはずない。とは思うのだけれど、まんざらそこいらであってもおかしくないと、更なるエスカレーションを期待してしまう。

 われわれは善良な市民とはいえ、時としてモラルという戒律をすっぱりと無視してしまいたいと思うこともある(えげつない割込とか、カンニング...)。そんな抑圧を、見事にはねのけてくれるヒーロー、Mr.ビーン。

 イギリスという国においては、その多民族性ゆえに『個人主義』とは、欠くべからざる人格なのだけれど、ひとつ大事なものが欠落していると、取り返しのつかないような『愚か者』となってしまう。

 しかしながら、そんな人物でも思わず喝采をおくってしまう。それほどに、Mr.ビーンは善良な小市民のささやかな代弁者なのかもしれない。


005 盆休み

 今年の盆休みは都合で少し早めにとった。そして、今年の梅ぼし用の梅を一手にお願いした、那智勝浦口色川の共同畑研究会のみなさんに会いに行った。
 音羽を出発したのが昼を少し過ぎたため、現地に到着したのが夜7時半になってしまった。すでにみなさんバーベキューを始めていて、キャンプ場はにぎやかな雰囲気。目の前のごちそうに旅の疲れも吹き飛び、明るい空気のなかでお互いの自己紹介。共同畑研究会のメンバーは5家族からなり、城さん、合鴨で稲作をしてみえる竹内さん、猟銃の免許を持ってみえる蜷川さん、原さん、そしてメンバーの中では一番後の入植で一番年配の平岡さん。そして、口色川では一番最初の入植で、「耕人舎」という名前で梅ぼしの生産をしてみえる、村上さんも。

 口色川は、入植希望者がけっこう多いため、一日目に宿をとったこのキャンプ場といい、二日目にお世話になった『ふるさと塾(入植希望者のための研修を兼ねた宿舎)』といいなかなかの設備で、不便さはまったくない。最近では、過疎による空き家もないため、入植者のために住宅も新たに建てられているほど。いろいろなタイプの人たちが、奥深い山間での『農』を実践してみえる。ちょっとした思いきりも必要だが、みなさんとっても良い顔をしてみえた。

006 共同畑研究会の竹内さん

 那智勝浦の共同畑研究会のメンバーの一人、竹内さんは色川入植9年生。現在、口色川地区の区長を務めてみえ、ご夫婦そろって色々なことにチャレンジ中。

 竹内さんは、色川で最初にアイガモを利用した稲作を始められた。色川は山の傾斜がきびしく、水田の規模も大きく出来ないものの、とにかく水が豊富なのでアイガモを導入するには条件が良い。

 アイガモ農法のポイントとしていくつかあげられる。まず、生後4か月たつと羽根が生えそろい、どこかに飛んでいってしまうため(コガモのうちしか利用できない)、田植えに合わせてヒナをそろえなくてはならないこと。したがって、成鳥にならないうちに水田から引きあげ、採卵用と翌年の稲作のための種親を残して、後は食肉用とする。アイガモの解体は一般のニワトリ業者には委託出来ないため、竹内さんのところでは自前で加工できる免許を持ってみえる。後ひとつ、アイガモ農法には、水田を囲うためのネットを張らなくてはならない。これには少々費用もかさむが、アイガモの脱走を防ぐのと、キツネやタヌキ、猫などの攻撃から大切な草取番を守る意味で欠かせない。

 とまれ、アイガモたちがせっせと水田中を泳ぎ回りながら、雑草や虫類を探る様は何と言ってもかわいくも、ほほえましい。

007 共同畑研究会の蜷川さん

 共同畑研究会の五人のメンバーの中で、米作りでは周囲が彼に一目を置いているという人物、蜷川勝彦さん。彼の農法は、苗代にたい肥として、木酢液とタケノコの天然緑汁を米ぬかに混ぜたものと、ボカシ肥などを使用するということで、高品質・高収量の米を生産する。

 そんなふうに農業一筋と思いきや、8月に色川を訪問した際にこんな一面を見せてもらっておどろいた。朝、梅干しの生産をしてみえる耕人舎さんを見せてもらうために移動中、なにやら向こうのほうの土手で、シカよけの網にシカが角を引掛けて動けなくなっている。何気なく見ていたが、はっとして思わず顔をそむけてしまった。なんと、共同畑研究会の竹内さん、シカの頭めがけて重そうな石を投げ降ろしたのだ。こんなことはめったにないのだそうだが、自給自足の山間の生活では、かわいい目をしたシカであろうと大切なタンパク源とのこと。しばらくすると、知らせを聞いてか蜷川さんがいそいそと駆けつけていった。聞くところによると、蜷川さんは猟銃の免許も持ってみえ、シカの解体はお手の物、とのこと。昇天したシカをみごとにさばいてしまわれたそうだ。

 まさかとは思ったが、やはりその夜の食事にあのシカの新鮮な刺身が差し入れられた。ためらいながら口にはこんでみたが、美味しかったです。ごめんなさい。

008 中学校


 ぼくが中学に入学したころ、黒い制服、手提げかばん。いよいよ子供から、ちょっとおとなになれるような、くすぐったいような期待をおぼえたもの。

 しかしながらそんな予想とは裏腹に、現実はちょっとちがっていた。宿題が多い。序列のついてしまう試験がある。マイペースが許されない。おちおちするとおくれる。そんなこんなで、いっぺんに成績も落ちてしまった。二年生の夏、中部統一テストなるものがお目見えした。おりしも、ぼくらの年代から、『受験戦争』『受験地獄』という言葉が使われるようにもなった。恥ずかしいけれど、塾にも通ったことがある。

 ぼくの一番下の息子も、今年、中学に入学した。そして、約半年が過ぎた。やはり中学生活に対して、期待がはずれたことに気づいたようだ。「中学の教育はどうなってんだ」、「序列で人間を判断するな」。と叫んでみても、あまりに情けない、安っぽい。それよりも、そんな社会にもやはり人間であるかぎりは、多かれ少なかれ関わりをもっていかなければならないからと、人生の一時だけでも経験だと思って、少しだけおつき合いしてみては。などというあきらめは、もっと情けない。

 『社会は、個人の犠牲の上に成り立っている』。

009 落ち


 釣りが好きなので、暇をみては出かける。釣りもののなかでも特に春から初冬にかけては、クロダイ(チヌ)を目当てにする。港の防波堤や、海岸線の侵食を防ぐためのテトラポット、河口など、その旺盛な食欲を満たすだけの豊富なエサノある場所ならば、必ず居る、というのがこの魚。下手物食い、悪食家の割には、いぶし銀に精悍な顔つき。釣り人に釣り上げられた時、「よくも釣ってくれたな」とばかりに、背びれ、尻びれ、尾びれを目一杯広げて威嚇する。そんな荒武者と出会いたい一心で、釣り人はもくろんだ釣り場へ、ときめきながら出かける。

 とはいっても、釣り人に許された事情に合わせて釣れてくれるほどとんまな魚ではないので、ボーズまたボーズと時を重ねてしまう事も多い。そんな意地悪な魚でも、9月の秋分を過ぎる頃から、意外にたやすく釣れてしまう魚に変身する。寒い冬を過ごすため、水温の変化の少ない沖の深場へ向かう前に、からだに脂肪を蓄えようと荒食いするのがその理由。その行為をチヌという魚は、集団で行うので、このころ『落ち』と呼ばれる。この『落ち群れ』に出会った幸運な釣り人は、人生の極楽、エクスタシーを味わう。やっぱり俺はヘボ釣り師ではなかった。名人は、釣るときには釣る、とばかりに。

 あ〜、生きててよかった。

010 

 ある機会に、小学生になるある方の娘さんの写真をいっしょに撮る機会があったので、早々一枚お送りした。そして、しばらくしてお礼の手紙をいただいた。

 その手紙は、厚紙を二枚張り合わせた手製のもので、さらに一枚の写真が貼られていた。その写真には、『油』でかかれた古い型の灯油ランプの絵が写っていた。灯の点されていないそのランプは壁際に吊り下げられていて、それに部屋の電球の明かりか、夕日があたり、その影を壁に落としている。筆のタッチはけっこう荒いものの、なんとも暖かさの伝わってくるその絵は、その方の描いた絵だとすぐにわかったけれど、どうしてなんだろうと考えていた。

 その絵は、学生時代に描いたものだそうで、しかし、今はもうないとのこと。当時、優秀な絵は学部が買い上げてくれたため、大学に置いてきてしまったのだそうだ。写真で見るよりも、下の絵はもう少し茶っぽくて、くすんでいた由の説明をお聞きしたけれど、何度見てもその絵は、ランプの灯のように燃えつづけるその方の心を映しているように、暖かい。

 なぜその絵の写真を貼ってくれたんだろう。などという疑問はどこかへ置いておいて、どうもありがとう。またどこかへいっしょに行きませんか。