011 あやまち
 一番下の息子のことで、中学の担任から電話があった。二か月程前、ある小売店の店先においてある通称ガチャガチャ(球形のプラ容器に入った玩具の手動式の自動販売機)にいたずらをして、中身を盗ったらしい。担任は、その店にいって謝ったほうがいいと助言をしてくださった。しかしながら翌朝、うなだれて登校しようとする息子を見て、本人も反省している事だし、その店に行かずにもう許してやろうと、担任にその由、相談した。担任もそれに応じて下さった。

 ぼくは以前、スーパーで働いていた事があり、その店先にも『ガチャガチャ』が10台やそこら並んでいた。その自販機には、中に美味しそうな『当たり』の玩具がみえていて、ちょっと細工をすれば盗れてしまう。ちゃんとお金を入れて『当たり』をほしがる子供も、『はずれ』の玩具をそのまま放り投げていってしまう。業者の方には申し訳ないが、こんな販売機は店頭から無くしたほうがよい。

 考えてみれば、現在の社会はこの類の販売のシステムであふれている。銀行のCD機、無人でキャッシュを借りられるオールタイムの機械。青少年でもOKのタバコやアルコールの自販機。何と軽率に『物』が売られていることだろう。こんなことを考えている自分自身も時々ひっかかる。とはいえ、わが息子よ、同じあやまちはくりかえさないように!


012 音羽まつり

 音羽町に作業所を移転して、2年以上経ったということもあって、昨年は見送りした音羽まつりへの参加を、今年やっとのことで実現した。このまつりでは、企業誘致により進出してきた工業所の紹介を兼ねたPRや、農協、各種団体や農業普及所の応援で活動する婦人部の参加、商工会の会員によるバザーなど、総合グラウンドに一堂に集めて催そうというもの。

 音羽町は人口は8,000人の地域だが、さすがにこういったイベントにはその半数以上の5,000人の人手が繰り出されて、ごった返す。町内を遠いところから順に廻ってくる送迎バスも用意され、足の便のない年寄りもたくさんやって来る。何せ、狭い町なので、知った顔があちこちに目立つ。

 大きな企業にも、道長のような小さな企業にも、平等に一張りのテントが用意されるため、最初は少し戸惑ってしまったが、漬物の販売などをするうち、「来年はこんなふうにしてみよう」などと意欲を燃やしてしまった。

 音羽町で、漬物を製造していながら、実際の販売はしていないのだけれど、その存在が有機農業、減農薬農業の方向の手助けになれたらと自覚を新たにした。将来も、農業と切っても切れないこの音羽町。道長としてできることを、模索して行きたいと思う。


013 適地適作


 以前、まだ道長を始めてあまり経たない頃は、現在ほど、遠方から有機野菜を手に入れるのが難しかった。だからシーズンオフとなった野菜については、一般のものを市場で仕入れたりもしていた。また、野沢菜など、平野部ではなじみの薄い野菜については、生産者の方にお願いして作ってもらったりもしていた。

 白菜などと同じ時期に種をまけば、野沢菜はちゃんと三河地方でも生産することができた。だから毎春、秋に作付けをしてもらった。しかしながら、なぜか質のよい野沢菜が採れるときとそうでないときの差がけっこう大きく出てしまう。あまり背丈が伸びなかったり、肝心な菜っ葉の軸が細くなってしまったり、不作だったりといった具合に。もちろん、良好な作柄のときもあった。

 野沢菜の生育には、たっぷりの雨と、昼と夜の寒暖の差が必要となる。そういった条件の気候があってはじめて健全で、アク味のない、漬けると甘みの出る野沢菜ができる。このことは、安城市などの平野部で、何年か野沢菜、高菜を作ってもらってよく解ったこと。

 野菜作りの名人ともいえる人たちと、おかげさまでおつき合いさせていただいているけれど、彼らは、自分の畑で何を作ればベストなのか、まずは熟知している。

014 宮 路 山

 音羽町に移転してきてはじめて、宮路(みやじ)山の山頂へ登ってみた。宮路山は音羽町と蒲郡市との境界にある標高362mの小さな山。近くに宮路山より高い五井山、北の岡崎市、額田町との境界にはもっと高い京ヶ峰、額堂山他もあるが、この山から眺める豊橋市から渥美半島に至る三河湾はなかなかのもの。

 山頂への途中、ふと疑問が頭をかすめた。小学校のとき、担任の先生の家にあそびに行ったことがあるそのとき先生がハイキングに連れていってくれた山があった。あのときの景色、眺望が実に鮮やかで、今も心の中に焼きついていて、わすれられない。そのとき、登った山はこの宮路山だったといままでずっと思っていたのだけれど、実はちがうんじゃないか?。先生の家は、岡崎市山綱町。この宮路山は、そこから小学生の足で行ける距離ではとてもない。というわけで、帰ってから地図を開いてみると、あのときの山は、桑谷(くわがい)山という山だったことがわかった。

 想い出というものは、そのときの情景などははっきりしてはいても、その具体的な場所、地名などというものは実に曖昧なものなのだと、実感する。そして、それがひとつ具体的になったということで、今回、あらためて小学時代の想い出を呼び起こすことができた。

015 カワラケツメイ

 春に、那智勝浦の共同畑研究会の城 正さんを訪ねたおり、野草茶を飲ませていただいた。違和感もなく、甘みのある香りの慣れてみると美味しいだろうなというもの。漢方薬を扱っている薬局でも売られているのが、この『ケツメイ茶』。

 城さんにいただいたカワラケツメイの種をまいたのが、今年4月。しばらくして、オジギソウに似た葉の芽がでてきた。周りの雑草を取って水をやるくらいの世話にもかかわらず、秋には1m以上の背丈に育って、小さな白い花がたくさん咲いた。そして、ちいさなマメの入ったさやをたくさん実らせた。10月になってマメのさやが褐色になる頃、根元から刈り取り、何本かを束ねたものを逆さにぶら下げて、風通しのよいところで日陰干し、3〜4日。わらなどを切る『押切り』で、2〜3cmに刻み、油分のないフライパンで香ばしくなるまで煎ると、待望の『ケツメイ茶』のできあがりとなった。一日中、このにおいで部屋が香り、何とも幸せな気分でいっぱいとなった。

 カワラケツメイは、別名エビスグサ、生薬名を決明子と呼ぶそうで、原産は北米。一昔前、農家で栽培、愛飲されたこともあるそうだ。便通、強壮、高血圧などの薬効があり、十分に煎じたものを疲れ目にぬったりしてもよいとのこと。

016 日本のロックミュージック

 いままで、日本でも『ロック』は流行ってきた。けれども、どちらかというと洋楽ロックを聴く、ということにとどまっていて、日本人の演奏するロックは絶対数が少なく、「これは」というものも少なかったと思う。それがここ数年の間に、日本のロックもちょっとおもしろくなっている。

 ケーブルテレビでも、洋楽専門の『MTV』のほかに、邦楽専門の『スペースシャワー』というチャンネルがあるほど。数々のロックバンドが乱立し、しのぎを削っており、しかもけっこう質も高い。フラワーカンパニー、B'z、ウルフルズ、スガシカオなどなど。そんななかで、まいってしまったバンドがある。『Thee Michell Gun Elephant』、これはまさに、筋金入りといえる。モッズスタイル(ちょうど初期のビートルズのような格好)の彼らの出す音は、単純明快のロックンロールで、どハードなパンク。テクニックも素晴らしく、ちょうど80年代前半イギリスやドイツでニューウェイヴが素晴らしかったころの緊張感あふれるパンクロックそのもの。へヴィメタや今流行のオルタナティヴのようにディストーションでごまかさず、ソリッドな音作りがたまらない。カーステレオを目一杯の音量で聴きたいけれど、音羽の作業場に通う車の中には、眠い目をこする『奥様』もいらっしゃることだし、がまんがまん。

017 一宮の市川さん

 音羽町の東隣、豊川の川沿いに、一宮町がある。市川靖雄さんは、有機農業に積極的に取り組み、その研究もしてみえる。

 ちょうど、音羽の農業を考える会でも『生ゴミ』でたい肥を作ってみようということで、東三河農業普及センターの普及員さん共々、おじゃまして、市川さんに講習をしていただいた。

 『生ゴミたい肥』に必要な材料として、@生ゴミ、A緑汁をとるための野菜、茎、葉、B精蜜(黒砂糖でも可)、Cミネラル活性水(井戸水に落ち葉、完熟たい肥を足して作る)、Dジューサー(高速回転しない、ミンチ器のようなもの)、E底に水抜き用コックのある密閉式バケツ(ホームセンターで買う)。ジューサーでしぼった緑汁:1と、精蜜:1、ミネラル活性水(有効微生物が生きている):8を合わせる。それを、30〜40℃に保って(注:強い光と酸素を嫌う)、一週間発酵を促す。でき上がった『有効微生物群』を、水で100倍に薄めたもの7リットルと、米ぬか:30sを混ぜ合わせると、『ボカシ』ができあがる。毎日出る生ゴミを、Eの密閉バケツに入れ、ボカシをふりかける。それを繰り返して、いっぱいになったら、暖かいところにおいて一か月発酵させると、待望の『生ゴミたい肥』ができあがる。あとは、作物の横に少しずつ埋め込めば、さらにそこで発酵分解して、美味しい野菜が育つ、という、りっぱな有機農法。

018 有効微生物群

 EM菌、島本微生物、万田酵素、天恵緑汁など、効率的な有機農業には欠かせないといわれる『有効微生物群』が、紹介されている。かなり豊潤な香りがして、口に入れてみると、甘味と酸味を感じることができる。これは、多量に増殖した乳酸菌や、酵母菌、放線菌と、そのエサとなる成分のせい。

 その土地に合った『土着の微生物』を増殖させ、『有効微生物群』を作ることも可能で、『生ゴミたい肥』の研究をしてみえる一宮町の市川さん(先回の道長だよりで紹介)も、実践している。

 それらの『有効微生物群』と米ぬかをもとに、ボカシ肥を作ってみると、何やらとても懐かしい香りがする。他でもなく、道長の作業所の片すみにおいてある、『ぬかみそ』のおいしそうな香りと大変似た香りなのに気づく。

 夏の間、なすなどを漬けて十分発酵、熟成した『ぬかみそ』は、シーズンオフの今、密閉したタルの中で、来年の夏をひっそり待っている。ためしにこの『ぬかみそ』、コンポストに山と入れた野菜くずにふりかけておくと、おどろいたことに翌日、もう半分以下になっている。

 道長でも、けっこうたくさんの野菜くずがでる。近所のお百姓に、畑に打ち込んでもらっているけれど、これを『ぬかみそ』でたい肥に作りかえることができたらもっとすばらしいだろうなと、夢をふくらませている。

019 CDの取り扱い

 アナログのレコード盤が、一般のレコード店から姿を消して、まだ、そんなに年月がたったわけでもない。実際、いわゆる『音楽ファン』とよばれる人達にとっては、やはり、30cmLPという盤がコレクションの対象となる(往年の、落とすと割れてしまうSP盤にこだわった時代もあったように)。

 90年代のロックを聴くには、当然CDで、ということになる。最近は、一枚二枚と買うようになったけれど、やはり、額に入れて飾れる(レコード盤用の額があるのです)LPがなつかしい。

 CDの良いところは、何といっても手軽なこと。レコード盤ほど気を使わなくても、クリーナーでさっと拭いてやるだけで良い。しかし、先日、大失敗をしてしまった。中古のCDを買ってきたところ、レンタル用の『落ち』らしく、管理用のシールがCD盤のウラに貼ってあった。目ざわりなので剥がしてみると、のりが残ってしまった。そこで、よせばいいのに、エタノールでティッシュを湿らしてこすった。確かにノリは取れた。が、なんと、鏡面状の肝心の部分もはがれてしまった。もう完全に手遅れで、一曲がパアになってしまった。腹が立って、もう、そのCDを聴く気にもなれない。

 CDは、その裏面にアルミで情報が印刷されていて、それに簡便なコーティングがされているだけ。だから、すぐにキズも入ってしまう。気をつけましょう。


020 新 年

 道長の作業所には、番犬とチャボと水槽に入った魚がいる。魚はいいとしても、愛犬きくと鶏だけは毎日世話をしてやらなければいけない。だから、正月元旦といえども、岡崎から30分あまりの道のりを、音羽まで出かけることとなる。

 われわれ人間は、暦をもっているおかげで、年末といえばいそがしく、正月といえばめでたい。しかしながら、音羽の作業所に正月にいってみれば、いつもよりかなり遅いご主人の到着に、きくは半分あきれ顔ながらいつもどおりのよろこびを現す。鶏たちは、からっぽのエサ箱と水差しに、いらいら気味の視線と声を出す。つまり、いつもと変わらない時間が流れているだけ、というわけ。

 田舎では、生活に欠かせない部分の『暦』に基ずいた行事は、毎年毎年行われる。年末の餅つき。正月のくつろぎ、春を前にした種まき、田植え、草取、収穫、まつり。その多くは、人間の存在した以前からある『暦』に基づいて行われる、命のいとなみといえる。

 世の中は、『仕組まれた暦』に、いかにあふれかえっていることだろう。そのおかげで、無駄な生産と消費がくり返される。

 新年だからこそ、自分にとって欠かせない今年の『暦』をこの道長の作業所の壁に貼ろう。