021 那智勝浦・共同畑研究会の平岡さん
 正月明け、今年の梅のことで、共同畑研究会の方たちとの打ち合わせをするため、那智勝浦を訪問した。みなさん、正月の気分がまださめておらず、今年も新年会、ということになった。今回は、平岡さん宅にて。そこで宿泊もさせていただいた。各々持ち寄った酒、ビール。蜷川さんの猟銃の餌食になったシカの肉。さらに、前日勝浦の内海に迷い込んで捕らえられたという新鮮なクジラの肉。そのほか、平岡さんと太田さん(新しく色川に入植した独身青年)の手製のサンマの燻製、煮物、七草がゆ、などなど。普段味わえない海の幸、山の幸を思う存分いただいた。

 平岡さんは、色川へ入植して二年。お宅は、自動車の通る道からは、100mくらい離れたジグザグの急坂を降りたところにあり、家や車にちょっと忘れ物をしてきてももうたいへん。そんな道を、荷物を担いで往復するのは、運動不足の私には息が切れてしまうほどでも、59歳の平岡さんや、共同畑研究会のメンバーにとっては、何ともないのだそうだ。

 平岡さんのお宅のまわりは、それぞれ狭いながらも、段々畑や田んぼ、鶏小屋と、毎日の食生活には事欠かない。朝、目覚めると、小雨の降る中、それらのたたずまいをすっぽりと囲んだ深い森のある風景が小雨にかすんで、なつかしさで胸がいっぱいになった。

022 三重県白山町の橋本さん

 三重県の一志郡に、たい肥を作るための機械を開発してみえる橋本力男さんを訪問した。橋本さんは、農業は初代で、もう12年目の有機農法実践家。

 たい肥作りが有機農業の基本ということで、よそで講演の折、それを聞いて感銘した機械メーカーの社長さんの協力で、今では、都市での大きな生ゴミのたい肥化プラントを手がけるほどのエキスパート。いろいろな業種から、産廃物の処理をめぐって問い合わせや見学があり、その対応でいそがしいものの、やはり、ご本人の常々の目標は、「いかに土作りをするか、いかに素晴らしいたい肥を作るか」ということとなる。さまざまなものの複合した『生活ゴミ』とは違って、産廃物は単一の種類のゴミの場合が多いため、それだけではよいたい肥はできないのが問題点とのこと。

 橋本さんに案内していただいて、津市の住宅地に設置された、生ゴミたい肥の機械(グリーンサポート)を見学。電気を一切使わずに人力で管理するグリーンサポートは、細かいところまで工夫された完成度の高いもので、臭いの問題はみごとに解消されている。

 帰りの車中、音羽町での『たい肥作り』に話は集中したが、とりあえず住宅地の有志を募って、みんなで生ゴミたい肥を作る方法を考えようということとなった。

023 ヘアーショー

 先日、ヘアーショー(といっても、地方都市岡崎でのいたってローカルなもの)を見物する機会があった。ごくこぢんまりとしたショーで、モデルの頭を華麗な手さばきではさみを使い、デモンストレーションするというもの。

 そのショーの企画、そしてそれを見物しに集まったのは、すべて20歳そこそこの若者ばかり。だから、漬物屋の中年夫婦がその場に居合わせるのがはばかるほど。しかしながら、そのおかげで集団としての若者の姿をかいま見ることができた。

 今から25年前の若者の集団と大きく違う点は、まず、少しくらい開演が遅れても文句を言ったりしないこと。服装はモノトーンが主体で動作も落ち着き、もの静かで、集団としては整然としている。そんな姿を一見すると、今の若い者は主体性に欠け、地味で、積極性がない、という風に判断することもできる。しかしながら、元来、人間などというものは、そう簡単に性格の移り変わるものでもないと思う。それは、単純に、世間に順応するためのうわべの姿にすぎないのだろう。『集団』から『個』に立ち返ったとき、昔から大差のない一個一個の個性を見つけることができる。その証拠に、ショーを見るそれぞれの視線はやはり、非常に熱かった。

024 洋風の釣り

 オーストラリアではとにかく大物を釣りたいという人のための、観光フィッシングが用意されている。絶対切れないラインと、掛かった巨魚を逃がさない操舵技術、そしてそれをカバーするありあまるほどのエンジンパワーのクルーザー。いざとなったら助っ人までいる、という大名釣り。

 そんな釣りでリリースせずに済むサイズは、ブラックマーリンとよばれるカジキの場合、1000ポンド以上とのこと。そんな魚を仕留めた釣り竿をもっていた釣り人には、栄えある認定書があたえられる。

 ここで、釣られたカジキは、写真を撮った後どうなるんだろう、という疑問が生ずる。みんなで食べるには大きすぎるし、地元の漁協にでも売るのかしら。と、思いきや、なんと450kg以上ものカジキは、一匹たったの4〜500円でえびの養殖業者が、そのエサ用に引き取ってゆくのだそうだ。栄光の勇者の命をかけて戦った海の勇者にとっては、あまりに情けない末路。

 釣りは、単なるゲーム。生物保護のためリリース。などときれい事をいっても、結局は食べる習慣がないというだけのことではないか。

 ブラックバスだ、シーバスだといって大流行りのルアーフィッシング。合理的な洋風の釣りもけっこうだが、むかしから、それを『自然の恵みとして、ありがたく、おいしくいただく』という食文化までも捨ててしまうのは、非常に危険なことだと思う。

025 プラスチック

 塩ビ(ポリ塩化ビニール)樹脂の問題が、世間で大きく取りざたされている。さらに、プラスチック製品一般(特に食品にかかわる)にまで、その安全性が問われるまでになった。

 プラスチックは、今やわたしたちの生活になくてはならない素材となっている。成型加工のしやすさ、軽さ、いろいろな条件に対する高耐久性、気密性や絶縁性の高さなど、上げたら切りがない。これからも、益々プラスチック製品は主流となっていくだろう。その反面、ゴミになってからの問題、各々のプラスチックの安全性もさることながら、その特性を生かすための添加物については、訳のわからないほど多種多様の化学物質が使われている。今後、使用禁止の添加物が次々発表される一方、新しく開発されるものも増えてくるのだろう。まったくいたちごっことともいえる。

 口に入れる、身につける、肌に触れるものについてはもちろんだが、化学合成物質一般についても、その安全性について、ひとつひとつ検証してゆく必要がある。さもなければ、人間を含む環境全体の健康状態を、ますます訳のわからない不健全なものにしてゆくことになるから。

 人類がいなくなれば問題はすべて解決されるわけだが、その人間が主役としてこの地球にはびころうとする限りにおいては、しなくてはならないことがここにも明示される。


026 減 反

 去年の稲作の作柄は、例年よりも若干上回るまあまあの成績。そんな状況下で、今年の農業政策は『減反』という割当を、それぞれの市町村の農協を通して提示している。

 音羽町に課せられた『減反率』は、昨年の30%。となりの岡崎市では、なんと、50%とのこと。ここ音羽町では、音羽減農薬米を推進していて、数多くの消費者を抱えているため、需要と供給のバランスはとられている。むしろ、増産をしたい状況。それにもかかわらず、『減反』は半強制的に課せられてしまう。それを実施しない市町村には、農政に対して有利な立場が与えられなくなってしまうのだそうだ。まったくどうなっているのだろう。

 米が余る。その反面、ますます農畜産物の輸入が増え続ける。日本の経済が、自動車、電子機器の輸入でもっているおかげの『つけ』が、人間が生きてゆくための一番大切な部分の『食』をささえる農畜産業にまわってくるというのも、何とも解せない。米飯食は、日本人の大切な文化。学校の給食にパン食が主にされている現実が、それを食べて育つ子供たちに、少なからぬ教育的影響を及ぼしているにちがいないことも、再認識する必要がある。

 『減反』という言葉の向こうに、何やら訳のわからないものが、ちらちらとみえてしまう。

027 再 会

 20年前に会ったきりの中学時代の友人との再会を果たした。宮崎県から、埼玉県の奥さんの在所の法事にゆく途中、拙宅に立ち寄った。

 中学当時、宮崎からの出稼ぎで岡崎に住んでいた彼は、就職でおじさんのいる埼玉にゆき、そこで結婚して、また宮崎に帰って実家の後を継いだ。電話ではよく話はするものの、たまにやりとりする写真にも、なぜか本人の顔は写っておらず、一体どんな面を引っ提げてやって来るのだろうと思っていた。名古屋空港の到着ロビーでの彼は、もともとフケ顔のため、一目でわかった。それに反してこちらはというと、肥満気味のひげ面。何度か声をかけて、やっとのことで再会!

 お互い、むかしと変わったことが多々ある。しわが増えた。髪が薄くなった。毛染めを使っている。子供が4人もいる、3人もいる。二番目が成人した。なんと孫がいる。父親が死んだ。老眼鏡がいるようになった。そして年をとった。それに反して、やはりお互い昔と少しも変わっていない。一言多くて口が悪い。ひがみっぽいところがある、等々。とにかく性格は昔と少しも変わらない。

 20年ぶりというのに、思い出話をするでもなく、あれはどうだ、これはどうだという取りとめのないことばかりで終始した。じゃあな、と言って再会を約束した。


028 コンポスタ―

 先に、三重県の橋本力男さんを訪問したとき、音羽でもコンポスター(生ゴミたい肥製造機)を作ろうということになり、とうとう、見よう見まねの本体ができ上がり、道長の作業所に設置された。このコンポスター、生ゴミを受け入れ、雨ざらしになるため、オールステンレスでできている。

 元来、コンポスターには、生ゴミをたい肥にするということのほかに、密集した住宅地などで住民自ら生活ゴミを分別し、米ぬか、もみ殻を少量添加してこの機械に投入することで、悪臭を外に放出することなくゴミを減量することができるという便利点がある。

 今回完成したコンポスターは、20世帯分くらいをカバーするものだが、約3〜4か月で一次発酵した生ゴミで満タンになるというもくろみ。それを回収して、二次発酵のためのたい肥場で切り返しをするうちに、完熟たい肥を完成する。たい肥場ではボカシ、米ぬか、もみ殻など、さらにたい肥に必要なものが加えられる。当然ながら、このすべての工程にはたい肥作りのベテランがいなくてはならない。使えるたい肥ができてこそ、意味があるのだから。人口8000人の音羽町の生ゴミを、この町の農業に再利用することで、環境の保護を町ぐるみで考えてゆくきっかけになったらすばらしい。と、音羽の有機農業推進派たちは、いま、夢いっぱい。

029 コンポスター(その2)

 今回音羽町の『生ゴミ生かそう会』で製作したコンポスターは、オールステンレス製。コンテナ型の箱の中に手動で回すドラムがセットしてある。このドラムは3mm径のメッシュになっており、攪拌のための回転のほかに発酵をさまたげる水分を切る役目もしている。ドラムは生ゴミが詰まってくると重くなるため、それを回すハンドルとは約40:1の減速機でつながっている。

 このコンポスターは、三重県一志郡の橋本力男さんのものを参考にさせていただいたが、本体の試作にあたっては、『私たち道長の生産者です』の中でも紹介させていただいた、音羽の農業を考える会の鈴木慶市さんのご苦労あってこそ。あちこちからステンレスの廃材を調達したり、図面を引いたり、鉄工所に丸二日缶詰めになったり。本当に機械いじりの好きな鈴木さんのおかげ。

 このコンポスター、悪臭対策はどうなっているかというと、まず箱の上部の50cm開口部にぴったり合うザルをはめ込む。そこにもみ殻、米ぬか、ボカシを8:1:1で混合したものを入れて、雨でぬれぬように通気のできるフタをするというもの。こんな簡単な仕組みで、悪臭が取り除かれる。

 この試作機で、使えるたい肥の第一次発酵を試してみるわけですが、折を見て報告します。助言などありましたら、よろしくお願いします。

030 味噌づくり

 今ではそういう習慣も少なくなってしまったが、かつては日本の田舎では春先になると一年分の味噌を仕込んだもの。それほどに、味噌は日本の食文化に重要な位置付けがされていた。

 豊橋の東三河農業改良普及所でも、毎年今頃、味噌づくりの講座が開かれる。それだけでは物足りないので、今年初めて音羽米を主宰する鈴木さん宅で10軒ほどが集まって味噌づくりが行われた。

 薪を燃料に釜で大豆をゆで、さらに圧力釜で蒸す(時間を短縮するため)。3.5kgの生大豆が、蒸しあがると7.5kgくらいになる。蒸しあがった大豆はすぐにミンサーでミンチ状に(昔はすり鉢を使った)する。人肌ほどに冷めたところで、塩1kgと米麹1kg、大さじ一杯ほどに酵素を大豆のミンチと、たらいのなかでこねるようによく混ぜ合わせる。それをいくつものこぶし大の団子にして、焼酎で殺菌しておいた容器に投げつけるようにして仕込む。塩1kgの一部の50gを、表面にまぶし、ラップで覆いをし、さらにしっかりとフタをして、完了。あとは半年寝かせて待望の『手前味噌』ができあがる。一見、複雑な工程のようだが、理屈は簡単。ゆでてやわらかくなった大豆に麹菌を植えつけてやるだけ。塩は味付けと余分な雑菌の繁殖を防ぐため。

 道長では30kgほどの味噌を仕込んだが、そのおいしさは、今から考えただけでも楽しみで仕方がない。