031 音 楽

 人間にとって音楽というのは、一体何なのだろう。私たちはそれを聞いたり、奏でたり、あるいは口ずさんだりして楽しむ。そう、音楽とはまさに『音を楽しむ』こと。

 この世には、さまざまなジャンルの音楽がある。民族音楽、クラシック、ジャズ、ポップス、ロック、マーチ、国歌などなど。あるときは民族意識を喚起し、深遠の感動を与え、精神を洗練し、またはストレスを発散してくれる。

 『名曲』というものが数多くある。幾度となく奏でられ、聴かれ続ける名曲もあれば、まったく残念なことに無数にある曲に埋もれて、忘れ去られてゆく名曲もある。名曲のなかには、一部の、あるいはその人にとってだけのものもある。そんな名曲を、ぼくはたくさん知っている(つもり)。ベートーベンやモーツァルトの曲は、人間が存在しうるかぎり存在し続けるだろう。けれど、時代とともに消えてゆく曲がいかにたくさんあることだろう。

 E.ドルフィーというジャズ奏者が、その遺作となったライヴレコードのなかでこんなことを言っている。「あなたが音楽を聴き、それが終わる。すると音楽は空間へと消え、あなたはもう二度とそれをつかまえることはできない」。はかなくも、感動的な、音楽!

032 桜 花


 二三日とても暖かい日が続いた。犬を散歩に連れてゆく途中、ふと山なみに目をやると、いつもとちょっと違う景色に気がついた。春になって緑が濃くなってきたと思っていた山々に、ところどころ白っぽいまだら模様ができている。

 いつもの年より一週間ほどはやく、桜の花が咲いた。あちらこちらの山でひっそりとまぎれていた山桜が、その存在を主張している。春のほんのつかの間だけ。山桜は日本の、古くから手をつけられていない雑木の生い茂る山にある樹。桜はおそらく、日本で一番季節感のある花といえるだろう。その色を見ても、花の形、大きさを見ても、たいして見栄えのする花でもない。でも、それが枝いっぱいに咲く様は、すばらしいし、なんといっても生命力に満ちあふれている。

 日本は、春夏秋冬と、なんと季節にめぐまれた国だろう。こんなに狭い島国で、人々は、肩を触れあわんばかりに暮らしているけれど、四季折々月や、雪花を題にして詩をうたい、語り合う。日本人は、経済的に意味もなく、役に立たないものであろうと、それに季節感を求めたり、謳歌したりする。

 雑木の山は、杉山のように財産を産み出すことはないけれども、毎秋落葉し、土をこやし、水を蓄え、命を育む。雑木の山は、それ自体が日本人の財産なのだろう。

033 環境破壊


 一昔前は、公害。少し以前は、自然破壊といわれていた。それが最近では、環境破壊という言葉に置き換わってしまった。私たちもやっとのことで、汚染は自然にだけでなく、生活環境までにもおよんでいることに気がつきはじめた。

 経済至上主義の時代に、効率の悪い農業より、あたかも錬金術でも見つけたかのように工業の方が優先されてきた。人間は、経済という図式の中に、『生産』と『消費』しか思いつかず、一番厄介な『後始末』『尻拭い』という言葉には見向きもしなかった。その結果が、環境ホルモン、遺伝子組換え、その他わけのわからない汚染。もはや汚染の魔の手は、私たちの体にまでおよんでいる。

 少年の引き起こす凶悪事件が問題になっている。家庭の仕付けだ、学校教育だ、何だかんだと、マスコミや政治家が騒いでいる。でも、そんなレベルの問題などではないのかもしれない。すでに、汚染は私たちの体ばかりでなく、その心、精神にまでおよんでしまっている。テレビ、雑誌、新聞。マスメディアなどというものも気がついてみれば、深刻に汚染されてしまっている。身の回りのこの環境が何とかならない限り、問題はなにも解決されないということにみんな気が付いているはず。もう一度始めから考え直すことだけが、今えらべる道なのだろう。


034 綱 渡 り


 いつも道長のものを流通して下さっている先様から、末端の消費者向けの『会報』をいただいた。生産者や消費者、そして、会の事務局からの意見やお知らせ。日常の、些細でもポイントを押さえたものから、社会的、政治的な辛口の文章まで、読み出もあり、思わず納得したり。道長の夫婦の似顔絵入りで、『わたしたち道長の生産者です』の紹介までしてくれていたりして。

 その中で、こんな一説が目についた。「(消費者の方に)この会がしっかりした会だと勘違いされることがあるなら。それはとっても残念。しっかりどころか、綱渡りとか空中ブランコに近いと、私は思っています(編集後記)。」

 「綱渡り」、高いところは嫌いだけれど、これは好きな言葉のひとつ。どんなに気楽な生活だろうと、順風万歩だろうと、親しい間柄だろうと、長年の夫婦だろうと何であろうと、これだけは忘れてはいけないことだと思う。「うまくいっている」ということは、物事のバランスがとれているということ。けれども、バランスというものの「支点」には、かなりの加重がかかっていたり、そのうえに、変化しつつ、長い道を歩き続けていかなければならないとすると、これはもうたいへん。

 万物は実は「綱渡り」をしているのかもしれない。


035 たい肥づくり


 たい肥は、有機農法でいちばん大切な土づくりをするために、必要不可欠なもの。その原料は、基本的に有機質の廃棄物。例を挙げると、@生ゴミ、A人畜の糞尿、B食品関係の廃棄物、C有機質汚泥等々。それと、微生物の温床となり、後々ゆっくりと微生物に分解される植物性繊維。例えば、@もみ殻、Aおがくず、Bバーク(樹皮)、Cおからなどの植物繊維質の産廃物等々。

 要約すると、窒素分(N)を多く含んだ有機物質と、炭素(植物繊維=C)を多く含んだものを混ぜ合わせ、発酵させ、熟成(腐熱)させるということ(このCとNの比率が大切)。

 発酵には大きく分けて、酸素を必要とする『好気性発酵』と、そうでない『嫌気性発酵』があるけれど、ふつう、たい肥づくりというと『好気性』の場合が多い。家庭での生ゴミ処理のように、悪臭を嫌うため、密閉容器での『嫌気発酵』が利用されることもある。

 『好気性発酵』によるたい肥づくりでは、発酵を促進するための米ぬかやオガクズを添加して、切り返しをすることで活性がたかまり、60〜70℃くらいにまで発酵温度が上がる。これが肝心なところで、悪玉の大腸菌や腐敗菌、ウジ等が死滅し、余分な水分もとれる。これを何度かくり返して、植物によろこばれる『おいしいたい肥』が育ちます。


036 チェルノブイリからの使徒


 チェルノブイリの原発事故から、早くも12年が経とうとしている。sのウクライナ国ジトーミル市(事故のおかげで、その約50%の区域が放射能汚染のため立入禁止となっている)というところから、チェルノブイリ救援団体の関係でお客が来た。消防署員が二名。ロシア崩壊後、破綻状態の経済の中、消防署では給料も滞りがちで満足な消火活動もできないありさま。そこでこちらの消防署で『お古』となった耐火服などを使ってもらおうということになった。それで、とりあえず集めた品々の中から必要なものの品定めを、というわけで、この音羽にも来ていただいたというわけ。

 その夜、手巻き寿司、山菜等の家庭料理を囲んで交流会となった。原発事故のとき、爆発で吐き出された熱いウラン燃料を知らずに処理しようとして、その場で殉職した6名の同僚のこととか、その後、ばたばたと逝ってしまった25名のこと、生き残ってもいまだに病院で検査を受けなければならないこと。5千円ほどの月給で、車を買おうとすると、そのすべてをつぎ込んでも、20〜30年もかかってしまうこと。ジトミールが農業の町にもかかわらず、その農耕用機械の燃料もないこと(消防自動車でさえ)。ロシアからの救援は一切ないこと等など。限られた時間の中、早口での現状報告、質疑応答。希望を捨てずに頑張る彼らに、反対に勇気付けられた。


037 経済のゆくえ


 経済の不況が、マスコミ等で取りざたされている。「経済を活性させるには」「もっと売れるようにするには」などと問いかけしたところで、だめだめ。

 日本人は敗戦後、必死で頑張り、欧米なみをめざしてきた。そして、物質的にそれは達成されたのかも。では、なぜ今不況なのだろう。日本人は「エコノミックアニマル」「経済至上」「消費経済」という無茶な生活に少し疲れたのではないだろうか。ここで、もっと健康にいいこと、お金目当てでなく社会のために体を動かす、捨てるより循環させる。というような、今まで日本経済が「儲けを食ってしまう」という理由で責任を逃れてきたことに、ちょっと反省しているのかも。

 農業生産とは違って、工業生産は人工的、科学的な行為のため、循環させるには自然の力に任すことはできない。同様の方法でしか循環しない。そのために今、行政と市民、企業がそのためにお金と労力を使う、科学技術が使われる、ということに(一部の金権主義者を除いて)、人々が「納得する」時代に入っているのかも。敗戦後、その多民族的な立地ゆえに、自らの「非」を認めたうえでの国際関係を築いてきたドイツには後れはとっているものの、やっとのことで、日本人がそのとるべき態度を明確にできるとき。そのためなら、よろこんで経済は動きます。


038 タイムマシンでもあったら


 いまではあまり考えませんが、道長がまだちがう名前で漬物屋さんをしているころ、よく、こんなことを考えました。「売れもしない漬物屋なんか、やめたほうがいいんじゃないか。ひとから必要とされていないんじゃないか」なんて。だから仕事もおもしろくない。自分で作る漬物にも、自信がない。それでもなぜか漬物屋をやめずに続けてきてしまいました。もう、17年もたちました。

 最近、漬物屋がおもしろくなってきました。少しだけ、自信もついてきました。ときどき、お客さんにもよろこばれます。だから、もっとこだわった、美味しくてからだにいい漬物を作ってゆこうと思っています。

 もし、あなたがいま、自分はだめなんじゃないか。誰からも必要とされてないんじゃないか。と、思っているとしたら、それは大まちがい。あなたを必要としている人は、いまでもきっといるし、もしも、タイムマシンでもあったら、未来のあなたを見に行ってごらんなさい。いまよりもっと、みんなから必要にされているあなたを見つけられるでしょう。

 そのときのために、いやな今日は、なんとかしてやり過ごしてしまいましょう。


039 表計算


 ワープロで文章をつくる、ということは文科系の頭には比較的なじみやすいもの。だけれどもそんなアナログ人間には理解のしにくいのが、当世ではワープロにも当たり前な『表計算』という世界。

 『表計算』というくらいだから、表を作ったりそれに当てはめたいろいろな数字と数字を足したり掛けたり。それは大変に応用範囲が広く、道長程度の計算を伴う事務仕事くらいの省力化くらいならば、けっこうこなすことができる(確かにパソコンと比べると、記憶容量、演算時間などかなり劣るけれど)。

 その表計算のひとつの画面(シート)には、膨大な数のマス(セル)があることに気付く。その数なんと1,064,096個。その一つ一つにデータを打ち込んでは、やれ計算が楽になったとかかんとかいって悦に入っているわけだが、これでは人間の脳みそがその何分の一しか使われていないという話に比べるとなんとも情けない。せいぜいひとつの表シートで使うセルの数は数百といったところだろう。しかし、デジタル式の頭ではこれはちっとも不思議なことでもなく、それはグラフでいえば個々のセルはたくさんの座標のなかのちいさなますにすぎないのだそうだ。それをちまちま利用して喜んでいるのだから、なんともスケールの小さいことだろう。


040 修学旅行


 一番下の息子が、小学校の修学旅行にいってきた。昔からこのあたりの修学旅行といえば、『京都・奈良』と相場が決まっている。

 その昔、ぼくらにとって修学旅行は、学制の区切りとしての一大イベントとして待ち遠しくも、そして、あっけなく過ぎてしまう一泊二日だった。

 昔と今とでの修学旅行の違いといえば、まず、専用列車と新幹線の違いがある。ガタン・ゴトンと躍る心を乗せて延々と乗る列車の旅は、それが長ければ長いほど車中でする遊びも盛りだくさんとなる。景色を見ながら唄う「汽車の旅」。先生とのゲームの数々。そんなたっぷりとあった車中の時間が、今ではただ合理的に時間の短縮でちょっとさみしい気もする。

 ともあれ、京都は新京極での夜の買い物は今も昔も修学旅行の一番の楽しみだろう。限られた予算の範囲で、家族の皆におみやげを探すことに、お金とはこんなにも貴重で使いでのあるものなのかと実感もする。軟球の肩たたきのついた「孫の手」、小さなガラスのケースに入った「金閣寺」、たたくと目の出る般若の面のキーホルダー。情けなくも頭の痛くなるような品選びをしてしまったものだが、それがまた修学旅行らしくもあり、よい想い出でもある。