061 産廃業者さんは恥ずかしがり屋

 岡崎と音羽の通い道に、煩わしい国道を避けて東名高速の側道をよく利用する。ちょうど岡崎との境目、音羽町内のその道は山中のため車もあまり通らない。

 最近そのあたりに、あれよあれよという間に産廃業者が店を開いた。岡崎や豊橋では許可が出ないので、音羽町のような田舎のしかも人目につかない所へ許可を得たのだろう。こんな場所に開業するくらいだから、やることもけっこうえげつない。やはり岡崎から週一で通ってくる音羽米研究会の方が見かねて、中を見ようとしても入れてくれず、物騒な雰囲気だったとのこと。どうやら大量の有機物も埋めているらしく、そこを通るとイオウのような悪臭におどろくこともある。営業を許したのが音羽町や豊川市でもないため、保健所が指導するくらいしかできない。

 天から降った雨はこういう谷間に集まり、沢となるかしみ込んで伏流水となる。音羽町ではその水を水道や稲作に利用しており、いわば命の水。どうしてこういう場所を選んで、こういうことをするのだろう。単に『目立たない』からなのだろうか。対して今、運動が持ち上がろうともしている。

 今私たちにできることは、住民の環境に対する意識を高めることと、行政を巻き込んだ産廃対策。とりあえず、あした保健所に苦情の電話をするとしよう。


062 続コンポスター


 8/3現在、生ゴミコンポスターの二回目の投入を始めてから78日間が過ぎ、340回、421kgの生ゴミ投入があった。本当にこんなにまばらな田舎の集落にもかかわらず、せっせと協力してもらえてありがたい。自動車で乗りつけての、生ゴミ投入の人もあり、ご苦労さま。

 6月と7月で比べてみると、6月の投入回数122回、投入量135kg、7月が161回、202kgと7月の方が利用の頻度がぐっと増えている。これは、夏も盛りということもあり、水気の多い生ゴミが増えているからなのだろう。夕方にコンポスターのなかをのぞくと、かなりいっぱいの『かさ』となっているけれど、翌日にはその量もぐっと減ってしまっているのにはおどろいてしまう。先日など、今回初めて利用という人が、一度に15kgも生ゴミを投入したのにもかかわらず、翌日には何事もなかったかのようにもとに戻っていたのにはおどろいた。

 最近になって、コンポスター内のドラムを回転させるためのハンドルを、各自利用のたびごとに10回ずつ回してもらうようにしたところ、なんと、生ゴミの発酵温度が確実に3〜5℃上がるようになった。やはり、回転させることで、酸素が行きわたるため結果も上々といったところ。まったく、休みなくはたらいてくれる微生物のみなさん、ご苦労さん。


063 ワイト島


 テレビで、イギリスのワイト島というところで行われたロックフェスティバル(米のウッドストックに対抗して行われた)のドキュメンタリー映画を放送していた。その年、1970年といえば、日本も米もベトナム戦争、日米安保で大荒れ状態。そんな最中でロックミュージックは、その破壊と反抗の精神も手伝って大いに花を咲かせていた。フェスティバルの出場メンバーは、フー、ジミヘン、フリー等々、そうそうたるメンバーばかり。

 野外でしかも大掛かりなコンサートのため只見の客が多く、主催者側は大困り。「入場料を払え」「払わない」で暴動も起こりかねない雲行きに、ジョーン・バエズという女性シンガーがインタヴューに対して、「腐りきった劣悪な世界を押しつけられたあの世代は、ああやって反抗の姿勢を示すしかないのです」、と答えていた。どうしようもない苛立ちにただ、無目的に反抗を表してしまう。

 権力に対しては権力で、という闘争が終焉した結果、再度、大荒れとなっている現代において、青少年たちの『反抗を示す行為』の数々は、まさに千差万別、そして凶悪化している。社会の人間に対する精神的な環境破壊。多くの若者の犯罪が、『家庭の教育』だけではすまされない、もっと取り返しのつきにくい社会構造の腐敗にあるところが悲痛ともいえる。

・ワイト島のジョーン・バエズ

064 キジのひな


 六月の終わりころ、有機野菜を生産している方が畑の草刈りをしていて、キジの卵を11個も見つけて持ってきた。我が作業所ではチャボを飼っているので、試しに鶏小屋の奥のもみ殻を入れた仕切りの中に入れてみたところ、なんと気前よく雌鶏が抱いた。ニワトリよりも二回りほども小振りなチャボが、体を目一杯ひろげて11個の卵を抱える様はなんともユーモラス。

 七月も半ばになりかけたころ、なんとキジのひながぞろぞろとかえった。それも、卵から産まれかけで力尽きた1羽を除いて10羽も。ひなは、上から見ると3本のしま模様があり、『うりんぼ』を連想する。結局、二日のうちに2羽が死んだものの、あと8羽がせまい鶏小屋を、親(?)鶏夫婦の足下を所狭しと駆け回ることとなった。そのすばしっこさはチャボのひなとは比べ物にならず、エサやりに小屋の戸を開けるときは、ひやひやもの。最近では、ヒヨコのくせに羽ばたいて、高いところへも飛び上がるようになった。このままだと狭過ぎて巣立ちの練習もできないため、やはり有機農業をしている方(家禽ばかりでなく、クジャクまで飼っている)に自然に返すまでの世話をお願いした。

 それにしても、チャボという鶏、他人の卵、ひなにもかかわらず、その子育てのうまさにはまったくまいってしまう。先日には、合鴨の卵さえかえしたのだった。


065 三河湾の汚染


 豊川を勉強する会という集まりがある、というのでその展示会におじゃました。愛知大学で講師をしてみえる渡辺さんという会のメンバーの方とお話をさせていただいた。

 豊川は豊橋市内を流れて、三河湾にそそいでいる。僕が子供のころは、三河湾は海水浴ができるほどまだ水はきれいだった。それが高度成長と、バブル景気、そしてその後の悪あがきのおかげで、遠浅の三河湾沿岸は次々埋め立てられ、コンクリート護岸がなされてきた。豊川港(三河湾)の入り口には1km以上もある沖の防波堤が建設され、近隣の港も自動車関係の船の出入りのために整備され、それと同時に防波堤で囲われる工事が進んでいる。清水の補給源であるはずの豊川も、豊橋市、豊川市、宝飯郡、渥美郡を潤すために使われる結果、水量が減るばかりでなく、水質の悪化が進んでいる。

 今や三河湾に堆積するヘドロの厚さは3mに達するといわれ、それを自然の浄化力でどうこうすることはまったくの不可能となってしまっている。過去40年ほどでここまで来てしまった『汚染』。その原因を取り払うわけにはいかないのだけれど、ここらで頭と労力を使わないと『環境の汚染』は私たち自身の汚染へと進んでゆく。水俣公害裁判は特定の団体の責任として帰着したが、今後の汚染問題は、その共犯者たる『私たち』に関わってくるのだから。


066 遺伝子を組み換える


 敗戦後、日本の農業は大きく変わったと思う。それまで、日本では伝統的な農業がなされていた。それがアメリカに何とかして追いつこうとしてその方式を取り入れ、合理的で、生産効率の良い農法が展開された。雑草には除草剤、害虫には殺虫剤、病気には殺菌剤、畑がやせたら化学肥料。そういった農業に関するあらゆる資材が開発され、売り込まれてきたし、昨今では有機資材までもが。

 ここで考えてみたい。そういった資材はいったい誰の要求で、誰の手で開発されたのだろう。それは学者と呼ばれる人たちによって、政治や会社という団体のために営利目的で行われてきた。ここではっきいりさせておかなければならない点は、農業者の要求によるものでは決してなかったこと。手塩にかける作物に、どうして、だれが『毒』をかけようなどと思いつくものか。

 遺伝子を組換える。問題はその真意の部分。それが農業者の切なる願いからなされる行為でない限り、欲望を満たすための単なる錬金術でしかない。化学は何のためになされるべきなのか、と問うならば、それは遠い昔に忘れてしまった母なる自然を理解し、『知』を通してそこに回帰する願望であるはず。変えたり、支配する目的では決してない。

 韓国の自然農業家、趙 漢珪氏の講演を聴き、感動し、そして確信もした。農業者も、それを食べる消費者ももう目覚めなければいけないときなのです。


067 漬物会社見学


 愛知県の蟹江町というところに、「一度、見学させてもらいなさい」と、ある方の紹介で老舗の漬物会社におじゃまさせていただいた。

 主に関東方面の有名デパートなどで、高級志向の出店展開をしているその会社の特徴は、その漬物の材料の7割を主に契約農家からの有機野菜でまかなっていること。そして、アミノ酸や化学調味料に極力頼らず、素材の風味をいかした漬物作りをしている。社員の総数160人という大所帯を、このようなこだわりで支えてゆくのは大変なこと。

 それもこれも、先代の会長という方の伝統の味への飽くことのないこだわりによるもの。おかげで下で働く人たちは、そうとうの気を遣ったとのこと。30年勤めてみえる工場長さんも、「それは大変だったけれど、今年亡くなられてみると色々と納得することが多い」とおっしゃっていた。先代の会長はかなりの文化人であったようで、山田耕作、三角 筧、熊谷守一といった人物とも親交が深かったとのこと。この会社を興して50年、そしてその前進となる名古屋の漬物にこだわったある料亭の歴史が110年。合わせて160年の重みと、漬物を日本の重要な食文化として位置づけ、自らの漬物作りを『文化、思想』にまで高め、守り続けて来たのはさすがだと思う。


068 続コンポスター


 我らが『生ゴミ生かそう会』のコンポスターの第2回投入テストも、5/27以来9/8で114日間が過ぎ、いよいよ中身の取り出し、二次発酵のための切り返し作業へと進んだ。

 実際は、まだまだコンポスターの生ゴミの収容にはかなりの余裕があるけれど、前回の投入テストがやはり3か月間であったため今回も同じ期間で切りをつけた。前回は、生ゴミがあまり集まらず、漬物から出る野菜くずなども投入したけれど、今回は住民の協力があったため、純粋に家庭から出る『生ゴミ』だけの投入テストができた。さらに、ハカリでの生ゴミの計量、ノートへの記録など、生ゴミ投入ごとに整然と行えた結果、詳しいデータも取ることができた。だから、今回の『生ゴミたい肥』の成分分析が楽しみなところ。このデータは、行政に対して、説得力のある貴重な資料となる。

 今回の反省点もある。それは、生ゴミの分別が徹底していないため、まだ異物が混入している点。これは今回のテストでは大目に見たこともあるけれど、第3回投入テストではなによりこの異物をどこまで減らせるかを課題としたい。

 第2回投入テストの結果は次のとおり。生ゴミ投入量計:639.8kg、利用回数:500回、平均利用回数/日:5.6回、平均利用量/回:1.3kg。


069 生ゴミたい肥の二次発酵


 第2回のコンポスター投入テストを終えて取り出された生ゴミたい肥は、現在切り返しをしながらの二次発酵程中。すでにコンポスター内で活発な一次発酵がなされてはいるものの、『たい肥』とはとてもいいがたい代物のため、二次発酵作業をする。

 一次発酵完了時点でめだつことは、悪臭はほとんど気にならないものの、@水分が多く、A不潔感があること。そして、Bウジムシが非常に多い点。コンポスター内では発酵温度が中心部では60〜70℃にも上昇するため悪玉の雑菌類は死滅するものの、自力で移動できるウジムシは温度の低いコンポスターの壁面に集まって、たくましくも生存している(これでも、ちゃんと有機物を分解する役目を果たしている)。

 そんなわけで、二次発酵段階にもたくさんのウジムシがふろくとしてついてくる。「困ったものだ」と思っていると、なんとウジムシたちには大変不幸な運命が待ち構えている。当然のことだけれど、ウジムシたちは切り返した山の表面の涼しいところでサナギになっておとなしくなる。そんな、サナギたちはいつの間にか糸状菌に覆いつくされ、みごとに死滅してしまう。そして、自ら『たい肥の素』にされてしまうのです。成虫になれるサナギはありません。


070 北風と太陽


 大航海時代、植民地時代から、黒人種はとくに、その肌の色ゆえに迫害や差別を受けてきた。その歴史は常識では信じられない事実で埋めつくされている。

 いうなれば他の国家、民族を侵略とか征服するための手段としては、人種を差別するのが一番手っ取り早い。そんな風に世界をも征服しようという企てがなされてきたし、おおかたそのようなレベルで、政治的、権力的、経済的な優位が獲得されている。しかしながら、全世界を征服しえた民族はいまだかつて存在しない。.....とばかりも本当はいえない。

 現代、情報が世界を駆けめぐる時代になって、あらゆる人たちの『心』をとらえて離さないものがある。それは『ロック』をはじめとする『ポピュラー』というジャンルの大衆音楽。そしてこれらの音楽のルーツはジャズ、ブルース、ソウルなどの『黒人音楽』。『ブラックミュージック』が世界の若者に無条件で受け入れられた理由は、第一にそのリズム、歌唱力。そしてそれがなによりも『自由に幸福になりたい』という『希望の音楽』だったこと。あのE.クラプトンも、R.ステュアートもそれに憧れ、その道に入ったものだ。『北風と太陽』という童話がある。力によってはなし得ない世界制服を、黒人種は『音楽』によって果たしてしまったといっても過言ではありません。