081 生ゴミ生かそう会 音羽

 我らが『生ゴミ生かそう会』も結成以来一年が経過した。当初、8名ほどの会員もすでに20名を越すほどとなった。昨年はみなで自作したコンポスターを活用して、生ゴミたい肥を作るべく近隣の住民の協力をお願いした結果、なんとか実用的な『もの』を作ることができた。

 昨年末、音羽の農協主催の農産物品評会にコンポスターを展示させていただいたおりも、たくさんの人たちの反響があり、十分な感触を得ることもできた。

 今年は住宅地に近いところにある休耕田を貸し農園として解放する計画も進んでおり、そこで使ってもらうための『生ゴミたい肥』を量産する試みも進行中。音羽町の町民にも生ゴミをたい肥化することの意義をすこしでもPRしたいと考えている。

 いまでこそ『試み』でも、将来は『日常』としてゆかなければならない『ゴミ』の分別、リサイクルの徹底。それは、わたしたちの未来を『明』とするか『暗』とするかの大きな一選択肢ともなる。

 『活動』というものは常に『原点』に立ち返るという作業が必要なもの。『生ゴミ生かそう会 音羽』の場合、有機農業を進めるための安価で良質な『たい肥』の自給を図るため、の努力を今年も地道に続けてゆきたいと思う。


082 ラーメン店


 音羽の作業所からの帰り道、幹線沿いのラーメン店による。仕事が忙しかったので手伝いに連れてきた末の息子とぼくたち夫婦。息子は『キャベツ卵麺』、女房は一度食べたいといっていた『スペシャル麺』、ぼくは今日もやっぱり『ネギ味噌辛子麺』。ここのラーメンはトンコツだしのスープが決め手でたいそううまい。この店でのそのBGMにモダンジャズばかりを使っており、店員もすべてが若く、長髪を後ろで束ねていたり、茶髪だったり普通だったり、タオルをかぶっていたりそのままだったりで統一感はまったくない。それなのにその動作の一部始終に気持ちの良い『切れ』があり、今までに一度も私語というものを聞いたことがない。岡崎にもこの店の本店があり、そちらに行ったことがあるけれど、やはり同じ雰囲気だった。

 そこに食べにやって来る客もほとんどが20代の若者ばかりで、そのほとんどが注文した品をただもくもくと食べ、帰ってゆく。だから店内はいつも不思議に静かだったりする。

 ぼくらの隣の席には一人で来た若者が、早々『代え玉(この店では麺だけの御代わりを50円でしてくれる)』の御代わり。斜め向こうの席の若いカップルは向かい合っていて、女性の方がこちらを向いて座っている。そのうち、男性の方が『代え玉』を注文し、やはりもくもくと食べ始める。男性は背中をこちらに向けているのでその食べっぷリ、表情はわからない。でも、その相手の女性のそれを見つめる表情がなんとも幸せそうで、その笑顔がはっとするほどぼくにはまぶしくうつった。大人になって久しく、最近では「そういう目でぼくの女房や子供を眺めることがなかったな」とちょっぴり反省させられた。年の瀬のひとこま。



083 生ごみのたい肥化


 現在、いろいろな方面で生ごみのたい肥化が試されている。その目的はというと主に次の2点があげられる。@焼却ごみの減量化、Aたい肥作りのため。いずれも現代のごみ問題について、一石二鳥の方法と考えられる。しかしながら、各地の自治体で進められているこのプランも、『減量化』と『たい肥化』のどちらに重点を置くかでその意義は大きく違ってくる。

 主に大きな都市でこういった施策が挫折している例が多い。東京都などは巨大なコンポストセンターが数年の稼動の後廃止されているし、音羽町の近くの豊橋市でも現在稼動を停止している。せっかくのプランが挫折してしまう理由はただひとつ、『異物』が多すぎて良質のたい肥が生産されないということ。先日見学に行った小諸市の場合などは、残念なことに出来上がる製品のうちなんと8割が『残さ』で、結局は埋め立て処分されてしまうとのことだった。せっかくの『生ごみたい肥』がただの『ごみ』に生まれ変わるだけでは、はじめからやらないほうがよいということにもなりかねない。

 『良質のたい肥作りのため』という大前提があるかないかで、結果として生産される『たい肥』の質の良し悪しには雲泥の差が出てきてしまう。

 農業者と消費者、それを包括する行政がそれこそ『意識』の部分で『地域循環』することが大前提といえる。


084 トマトの会


 名古屋市港区で生ごみをたい肥化ようというグループがあるというので、訪問をさせていただい た。その会の代表者神野さんは当地での代々の農家。すでに4台の機械式コンポスターを導入して活動をしており、うち1台は電動式。

 トマトの会のこれらのコンポスターは既製品で、三重県の石川キカイというところが開発したもの。実は我らが『生ごみ生かそう会』のコンポスターは一年前、橋本力男さんを三重県に訪問した折、開発途中のそれを見本にして製作したもの。1台が100万円ほどもするこの機械を何台も導入できた理由が、熱心な市会議員さんの尽力によるところも大きいのだけれど、全額が市の補助でまかなわれているというのはさすが。その設置されて いるところを順番に案内していただいた。そのうちの1台は高層の団地の広場にあったのだけれど、なんとコンポスターが厳重な柵と南京錠で守られていて物々しい雰囲気。ちょうど居合わせたトマトの会のメンバーに聞いてみると、こうでもしないとコンポスターの中にごみ袋のままのものやとんでもないもの(猫の死体など)まで放り込まれたりするのだそうだ。

 良心で行われようとすることにたいしこのような無頼者がいることに、音羽町との大きな格差を感じざるをえなかった。



085 パソコン


 長い間ほしいと思っていたパソコンをとうとう買った。自宅に 持ちかえっても仕事ができるよう、ノート型のもの。導入してかれこれ1ヶ月たった。

 まず事務の仕事をもっと楽にする。念願のホームページを開いて、全国のいろいろな人と生ごみのこと、有機農業のこと、発酵のこと、たい肥のこと、もちろん漬物のことなどで情報交換の場をつくりたい。それにはどうしたら一番いいだろう。などと思っている間に、なんと状況はどんどん悪化してきてしまった。

 事務仕事はまずは「アクセス」というソフトのデータベース作りで足踏み状態。インターネットはホームページを作る段階にも行けず。表計算だ、一太郎だ、Eメールだとそのうちわけがわからなくなってしまった。一時は睡眠不足で目が赤く腫れてしまい、人目をはばかるほどになる始末。これでは夢見ていたいろいろなことに到達できる前に参ってしまう、という結論に達した。

 まずはパソコンとは一体どういうものなのか、あそびながらいろいろやってみよう。ということでただいまその奥の深さ、幅の広さを探索中(アクセスに詳しい方、お見えでしたら助言を!)。

 道長のEメールアドレスは、 michinaga@bea.hi−ho.ne.jpです。道長へのご意見、ご希望、情報などありましたらお寄せください。お待ちしてます。
1999/12


086 春遠からじ


 音羽町は岡崎市とは山並みを西に挟んでいるおかげで、降る雪の量はおどろくほど少ない。その割に寒さはけっこう厳しく、毎年、水道の水が完全に凍結してしまうような朝が一度や二度はある。最近は、防寒服で身をかためての犬の散歩が日課だったけれど、きょうは寒の最中にはめずらしく無風で暖かい。ジャンパーをかるく羽織ってでかけた。

 穏やかな夕焼けが西の空をうっすらと染めていて、なんとなくなつかしいような感じ。小川のかたわらの竹やぶでは群すずめが騒がしく枝をゆすっている。遠くはなれてきたのに、道長の作業所のほうから「コーケコッコ」というチャボの透き通った遠鳴きが聞こえてくる。散歩する犬の足取りがいつもよりリズミカルで軽く、ハアハア息づかいがきこえてくる。ちょっと遠回りをして神社の向こうをぐるっとまわっていく。犬に連れて歩くとかすかにあたってくる風がすずしくて心地よい。こんな春めいた天気もおそらくこの一時のみで、あしたからまたきびしい西風が吹きまくるのだろう。とはいえ、こんな日が時々はおとずれるようになってしだいに春めいてくるのだろう。春の到来を告げるもの。春一番、つくしんぼ、うすくかすむ山、彼岸花。そのほか、毎年見慣れたはずの春の息吹にまた今年も、心がときめくことだろう。



087 小 秤


 ある日、町内の回覧版を見てみると、「小秤のご案内」とあった。「小秤」とは一体何かしらんとさらに目を通してみると、開催される日時と集合場所、会場、会費まで記されている。

 恥じはかきたくないので、広辞苑を開いてみたが載っていない。わが奥方も知らないという。そのうち、彼女は電子ばかりの検査か何かじゃないか、とまで言い出す始末。仕方なくパートさん(道長の筋向いに住んでみえる)にきいてみた。

 小秤とは、この町内30軒の年に一度の会合なのだそうだ。新しい年度の始まる前に、次の年度の役員やいろいろな決め事を確認し合うため、観光ホテルで食事でもしながらわきあいあいとやろうという行事。

 3軒のみの欠席ということで、神社の前から送迎用バス。会場に着き役員の交代など、一通り終わって宴会が始まる。ここで困ることは、それぞれの人の名前がさっぱりわからない。そのうち知っているはずの人の名前さえ忘れてしまう始末。飲めない酒を断りつつ、苦手なカラオケをかわしつつ、ビール片手に一巡二巡。自己紹介、生ごみの話などで時が過ぎ、爆音のようなカラオケの嵐の中で会は終宴。

 翌日、同じ音羽町内の違う地区の人に会った折、この小秤について聴いてみたところ、そんないい方は聞いたことがないとのこと。どうやらこの辺だけでの呼び名であるらしいことがわかった。


088 講 演


 過3月9日、生ごみ生かそう会が主催して講演会を開いた。演者は愛知県農業総合試験場の専門技術員の加藤 保氏で、今までにも生ごみのたい肥化、そのテストのためのいろいろな指導などで折にふれ、お世話になっている方。演題は『環境問題と生ごみリサイクル』。

 当日は雨にもかかわらず、予想以上の39人が集まり、用意したレジュメを急遽増刷。内容としては、今音羽でも話題の環境ホルモン(ダイオキシン)について終始。日ごろ、なまかじり、付け焼刃の知識しかないぼくたちには硬すぎて専門的ではあったけれど、現在の農政サイドの環境ホルモンについての見解や見通しなど、非常にていねいでわかりやすく、2時間余りの講義が終わったころには『目からうろこがとれ』て晴れやかに締めくくることができた。

 とはいえ、ダイオキシン、遺伝子組替え作物の問題は『わからない』部分が多く、かといって『疑わしくは罰せず』では済まされない。日本の戦後の農業が散々なまでに汚染してしまった土壌を、『有機』の力で回復させ、自給率をたかめてゆく努力が最低限農政と農業をする立場のひとたちにとって、第一の命題でもあることも教わることができた。

 これからの日本、農の果たすべき課題は実は山積しており、しかるに希望は山ほどあると実感もさせられた。



089 ダイオキシンの検査


 現在、音羽町には2つの産廃業者が営業している。いずれもわけのわからない産廃物や持ち込んではいけない処理物なども、東名高速を利用して他県から移送されてきたりもしているようだ。うち、ゲンゾウという地区にある業者はすでに10年間も営業を続けており、それによって築かれたごみは『ゲンゾウ新山』と呼ばれるほど。それは一見すると『山』のようだけれど、ごみの山に土で覆いがしてあるだけのまさにごみの山。ここでは焼却場もあり、朝夕のたそがれ時かはたれ時にはなにやら『おかしなもの』を燃やす黒い煙が立ち昇る。再三の業務停止の行政処分にもひるむところを知らない。

 こんな状況を許しておいては、『産廃銀座』にもなりかねない、と、このほど音羽町の『有機農業推進派』により、ダイオキシン検査が敢行された。約20名で現場にでかけてみると、あいかわらず大型トラックに 積まれた産廃物が今日も持ち込まれている。

 今回、産廃場から東名高速をはさんだこちら側へ流れ出ている汚水の泥を検体として摂取。その作業を見守るなか、不安とも期待ともいえない鋭い視線が交錯する。

 業者を締め出すため、音羽町は『環境の町』宣言をし、町の条例で、業者の開業を許さないという体質をつくりあげたい、と全員で意識が一致した。


090 冬再来


 土筆も出尽くしたし、春も本番と思っていたのだけれど、ふたたび冬が逆戻りしてきた。

 犬を夕方の散歩に、と思い、引き戸を開けてみておどろいた。屋根をたたく音が雨だと思っていたのになんとそれは大きなボタン雪まじりのみぞれなのだった。これではかなわんと、カッパを着込んで傘を差して横なぐりのなかを犬に引かれてでかけた。なんと寒いことだろう。舗装路以外のところは一面かき氷のような雪が積もっている。

 つい二三日前はもうぽかぽか陽気で、やはり犬の散歩がてら、毎年そこでは『取り放題』の土手で土筆をとったばかりだし、早々冬眠から目覚めてしまった巨大ガマガエルを見かけたし、雨水のたまった器にもうボウフラがわいたとさわいだばかり。そうそう、どうも足元が寒いと思ったら、この二三日の陽気でズボン下はもう履いていないのでした。

 ぽかぽか陽気のあとでのこんな天気なので、寒さもこたえる。今日は犬の散歩は手っ取り早いところできりあげて、急いで作業所に帰ろうといつものように音羽の西側にそびえる山なみを見て思わず立ち止まった。なんとそれは真っ白な雪帽子を深々とかぶり、静寂とした表情をしてぼくを見おろしている。その厳粛さに、ぼくの精神は思わずおじぎをしていた。