111 惨 劇

 家禽を飼っている人の話を聞くと、たいてい鶏小屋には大きなヘビが住みついていて、時々悪さをするそうだ。音羽町内でおつきあいしていて、趣味でいろんな種類の家禽を飼っているあるひとの鶏小屋でも大きなアオダイショウに鶏を襲われたことがあるそうだ。それはまったく悲惨で、朝鶏小屋へ行ってみると、ヘビが鶏の頭だけを呑んで動けなくなっていたとのこと(その話の続きはちょっと気持ちが悪くなるので、割愛)。

 道長の作業所でもチャボを飼っていて、ふたつの鶏小屋にひとつがいづつ。ちょうど二日前、かわいいヒナが二羽うまれたばかり。鶏小屋に近付くと、ヒヨヒヨと母鶏について回るほほえましい姿が見られ喜んでいたところ。

 ところがところが、惨劇はここでも起きてしまったのだった。ふと気づくと、鶏が変な鳴き声でけたたましく鳴いている。犬もなにか威嚇のほえ声を上げている。なんとなく異変に気づき、夕闇のなかを懐中電灯片手に鶏小屋に近付く。悪い予感がよぎり、頭の中には一瞬、『ヘビに襲われているの図』が浮かぶ。懐中電灯を向けてみて、アッと度肝を抜かれてしまった。まさにそのものズバリの身の毛もよだつ光景が、繰り広げられていたのだった。時々姿を見る1.5mはあろうというあのアオダイショウが母鶏をがんじがらめに締め上げている最中で、彼女は断末魔の状態。あまりの気持ち悪さと恐ろしさに素手が出せず、懐中電灯でヘビを何度も叩きつづけた。しばらくは巻き付いたからだを離そうともしなかったけれど、叩きつづけるうち(もちろん母鶏を外して)、やっとのことではなれた。ヘビは鶏小屋の奥に。急いでパニックに腰を抜かせた雄鶏雌鶏と、半分仮死状態のヒヨコ二羽を見つけてもうひとつの鶏小屋に移した。情け容赦は無用と思い、草刈ガマでヘビを引きずり出し...。殺してしまわなければ、と自分に言い聞かせるもののそれが出来ずで、叩くだけで逃がしてしまった。

 まったく不幸中の幸いとでも言うべきか、全員無キズだったのだった。ほんとに一安心、間一髪。

 今度はぜったいだいじょぶなように、小屋の修理をしたのだった。


112 進 化


 地球上のあらゆる生物は程度に差こそあれ、進化を遂げてきている。『進化』という現象は、生物の生存競争のうちで、生き残るための変異をその種にもたらすこと。『プラス』要因となる変異のみが受け継がれ、その種は保存される。

 人間の独断的思いあがりから判断すれば、地球上のあらゆる生物の中で、もっとも理想的に進化を遂げてきているのが『人類』なのだろう。頭はいいし、あらゆる機械、道具を作れるし、言語を持ち、思考することができる。おかげで、この地球上で君臨している。

 ここで、もういちど『進化』とはなにかを考えてみる。それは『生き残る』ためのプラス要因となる変異。けっして勝ち残り、君臨するためのものではない。歴史に残るあらゆる文明も、うたかたの水泡のように現れては消えてしまった。おそらく、今ある巨大な文明も、遠い将来には似たり寄ったりの末路となってゆくのだろう。

 いったい、人類の『進化』という現象は、その後、もたらされているのかしら。歴史的事実から判断すると、小手先の技術は進んできてはいるけれど、それは実際、『進化』とはいえないのかもしれない。ただ進化という土台に応用や工夫によって物質的な膨張をとげただけなのかもしれない。もし、今、人がたったひとつがいで何もない孤島に幼児の世代で放り出されたとしたらどうだろう。言語もなく、自分が崇高な人類であることすら知らないかれらは、あわれにも古代人そのものの生活文化からはじめる以外にはないだろう。また何千年もかけておろかな歴史をくりかえしながら文明を築き上げるのだろう(運がよければ)。

 この人類に将来、突然変異的な『進化』はめったなことでは起こるはずはないだろう。ただ、もし人類にさらなる可能性があるとするなら、人類はその知性、理性を持ってして、自らを精神部分で『進化』させる努力をしてゆく以外に道はないのだろう。



113 堆肥センター見学


 生ごみ生かそう会で近隣にある畜産業者の運営する堆肥場を見学した。今回は農業普及センターの推薦する3ヶ所。うち1ヶ所は地元音羽町で唯一の養牛業者で、その堆肥も販売している鈴木さんという方の堆肥舎を見学。

 農業者の立場から考えると、畜産業から発生する産業廃棄物(畜ふん)は、畑の土壌改良のためには必須の資材で、わざわざ高いお金を出して業者から堆肥化したものを買う、というのが通常のパターン。農業者自らが堆肥を生産しているという例は非常に少ない。良質の堆肥を大量に作るには熟練した技術と手間がかかるのと、それなりの設備が必要となるのがその理由。

 その一方、多くの畜産養鶏業者がその糞尿の処理に苦慮している。後継者がなく、高齢化のため畜ふんの堆肥化まで、手が回らないのが現状。さらに、平成13年より、環境汚染(特に地下水)の心配から畜ふんの『野積み』ができなくなるため、処理のできない業者にとっては大きな問題となってきている。

 今回、見学させてもらった3ヶ所のうち、正直いって良質の堆肥が生産できているところは、1ヶ所だけ。宝飯郡一宮町の養豚業者が組合組織で運営するその堆肥センターは、楕円形で一週150mのレーンと呼ばれる幅3m深さ80cmの溝に投入された畜ふんを、トラクタ用の鋤で切り返しながら発酵を促すというもの。そこで1ヶ月以上の1次処理の後、堆肥舎に移された『もの』はホイルローダで何度も切り返され、熟成されて立派な完熟堆肥に生まれ変わる。最低5〜6ヶ月の工程。組合長さんいわく、堆肥センター発足5年間はよい堆肥ができず、売れずで大変だったとのこと。今では需要に供給が間に合わないというありさまだそうだ。

 とにかく身近から、処理に困る『産業廃棄物』が消えてくれさえすればいい、というコンセプトでしか畜ふんの堆肥化を考えていない業者がほとんどなのが現状。これでは地域循環型農業というにはほど遠いといわざるをえないなと、その未開拓ぶりに感心してしまった。


114 君が代日の丸


 政治というものはひとびとがちょっと油断していると、それをかいくぐって何かきな臭いことを進行させていたりする。政治はそれが社会の動きにともなって機能しているうちはいいのだけれど、ひとたび、『権力』という一面で機能したりするとこれはもう始末に終えないことになったりする。

 最近、国会で『君が代』と『日の丸』のことが取り沙汰されているとおもっていたら、なんとあれあれという間に立法化されてしまったからたまらない。「国歌だ国旗だ」といろいろな学者が取って付けたような理屈をいっていたような気もするけれど、どれもやんわりとした故事付けの感じ。『君』とはとか、『日の丸』とはとか、今現在どれだけあいまいに解釈しておいたとしても、なにかのどさくさで、『現人神』とか『紀元2600年』とか、頭の痛くなるようなまやかしをもって、ひとびとを、それも血気盛んであらゆる可能性を持っている若者たちを洗脳したりする。挙句の果てには『命』をもささげる若者(ばか者)まで生産してしまったりして。国家、政治とは、歴史が物語るとおり、まったく始末に終えないところがある。冷静に考えてみると情けなくも恥ずかしい。

 『盗聴』、についても合法化されたみたいだ。いざというときには、あらゆる反体制派をせん滅するために、この法律がおおいに活用されるのだろう。その試金石というか、予行演習というか、今まさに『オーム真理教』あたりなどは格好の材料にされているのかもしれない。

 国家(権力)とは、今でこそふにゃふにゃかも知れないが、ひとたびドサクサをむかえたりすると何をしでかすかまったく油断もすきもない。それほどに、金や権力を手中に収めることを生涯の『夢』とする愚か者がチャンスをうかがっている限り、ほんとに油断大敵。

 世紀末ともなり、環境問題などで人類の将来は予断が許さない。そんな折にも『たわけた輩』がちらつくのはいらだたしい。



115 肥料と堆肥


 畑に施す有機資材として、大きく分けて『肥料』と『たい肥』がある。ぼくも以前は、この肥料とたい肥の違いについてはっきりとはわからなかったのだけれど、生ごみたい肥を経験してから、理解ができた。

 まず『肥料』とは、作物にとっての『食料、栄養元』。それに対して『たい肥』は作物にとっての生活環境を改良するための資材と考えてよい。

 とくに、このたい肥について定義付けるのはややこしいけれど、こんな説明でよくわかるかもしれない。『たい肥』には、『肥料』ほどの栄養分(とくにたんぱく質など)は含まれていない。たい肥を作る過程で、発酵、熟成をさせることで、大半のたんぱく質、脂肪などが微生物の『えさ』として消費されてしまっているのがそのわけ。それではどうして、わざわざ一見無駄とも思える『発酵、熟成』をさせるのだろう。

 微生物たちは豊富な『えさ』のおかげで膨大な量に膨れ上がり、えさを消費しきって水分も発散しきって(発酵による発熱のため)一時休眠状態となる。これは非常に安定した状態。『たい肥』に含まれているたくさんの微生物はいったん畑に入れられると、『土(微生物にとってのふるさと)』と水分のおかげで、一気に元気をとりもどす。あらかじめもみがらなどの腐熟しかけた『セルロース』という、微生物にとっての『住家兼お弁当』がたっぷりあるため、かれらはそれを食べながら『排泄物』を出す。この『排泄物』というのが肝心で、それが作物にとって格好の『えさ』となってしまうところがほんとうによくできている。

 肥料とたい肥のほかに『ボカシ』というのがあるけれど、これはたい肥作りの過程で微生物にとってふるさとともいえる『土』を加えてやることで作ることができる。『たい肥』よりもさらに凝縮された状態の微生物たちは、畑に入れられることで、たい肥以上に強力に活動するため、『追肥』の必要な作物にも十分な栄養分を持続的に補給してくれるという、よいところがある。


116 


 今年はいつまでも暑いと思っていたけれど、このニ三日、宵ともなると、ハッとするほどの肌寒さ。「秋はここまでやってきていたんだ」と季節という時計の正確さに驚くばかり。

 野外に出てみれば、真っ赤に開いたヒガンバナ、黄色にあざやかな菊芋の花。咲き乱れるというにふさわしいほどの秋桜、コスモス。暮れなずむ西空には、茜色に染まって明日の晴天を予告するうろこ雲。それをつらぬく不自然なはずの飛行機雲にさえ、「秋だなあ」としんみりしてしまうからおもしろい。

 犬の散歩の途中、児童遊園の一角でおばあさんがスーパーバッグをいっぱいにして「かえろうかな」、という様子。袋の中身は大きなイチョウから落下した黄色の銀杏だった。「ネット袋に入れて、川へ行って足で踏みゃあいいだが。暇だでやるだがん。炒ってたべるとうまいでの」と少女のようなあどけなさで教えてくれた。自転車をひいてゆく後姿を、夕日に引かれたながい影がすばしっこく追いかけていった。

 ぼくの作業所の街灯の下あたりには、夏の間はそこかしこの日陰にアマガエルたちが夜の灯火にあつまる羽虫をいただこうと、場所取りをしているのか、昼寝をしているのか、昼間のあいだ、じっと身を潜めていたものなのにその数もめっきりと減った。ふとみつけたアマガエルは冬ごもりの支度なのか、がっかりするような地味な土色に変身。こころなしか、夏のあいだにしっかりとたくわえたのだろうか、ぽってりとして「ひと安心」、といった面持ちは気のせいかしら。

 欲張りなぼくの心は、ふっと、もっと、もっとあざやかな夕焼け、夕日が恋しくなった。あたり一面の俗な世間をすっぽりとつつんでくれる、燃えたつような西空。この秋も、そんな劇的な秋の夕日との出会いを願う。

 天よ、そんなぼくのおおきな望みをかなえてほしい。


117 レコード


 レコード(CDをふくめて)というか、『音楽』との出会いというといろいろあると思うけれど、いちばんありがちなのが、テレビやラジオで聴いてというもの。そんな場合はすでに知っているので、レコード屋でも安心してお金を出すことができる。

 それに反して、まだ聴いたことのない、しかも知らないアーティストのレコードを買おうとする場合、これはちょっと戸惑ってしまうところ。かつては、自分が買おうとするレコードを店員にたのんで、まず、視聴することができたもの。今では、売出し中のものは視聴ができるものの、それ以外のCDなどはきちっとフィルムでパッキングされてしまっていて、解説書さえ見ることができない(おまけに、盗難防止の警報装置までセットされていたりして)。そんなとき、判断材料となるのがその『ジャケットデザイン』ということになる。だから、すばらしいデザインのレコードに出会うと思わず買ってしまったりして。

 ぼくのレコード(CD)で気に入っているものは、やはり『ジャケットデザイン』もすばらしかったりする。その一枚にこんなのがある。青空の雲間を横切る飛行機雲のジャケット。これは、1976年のドイツのプログレッシヴ(前衛)ロックのもので、「Katzen Musik(ねこの音楽)」という題名。「ノイ」というバンドを経たM.ローテルというアーティストのもの。イメージとしては、雄大な青空の下を一匹のねこが無心に歩いたり、駆けたり、止まったり。身も心も洗われるような、すがすがしくも、力強く、繊細かつ、躍動感のあるもの。

 このレコードは、知り合いに聴かせてもらって好きになり、あちこちの中古レコード店で物色するうち、偶然見つけたのだった。その時の出会えた喜びは、ちょっとない。

 自分のほかにほとんど知る人のない、レコード、音楽。それも珠玉の名曲。それを秋の今宵、人知れずこのぼくが、聴く。そんなよろこびはちょっとない。


118 音羽まつり


 音羽町あげてのイベント、音羽まつりが盛大に開かれ、われらが『生ごみ生かそう会』も初めての出展をした。昨年も参加の予定をしていたのだけれど、季節はずれの台風のおかげでまつり自体が中止となり、まったく残念なことだった。

 今年の音羽まつりでは『生ごみのたい肥化』『生ごみリサイクル』について、町民の意識はどの程度のものなのか確認をしたかったし、それをデータに残せば何かの役に立つかもしれない、ということで、アンケートをとることにした。その景品として、生ごみたい肥のサンプルを進呈する、というもの。

 まつりのために用意したものは、コンポスター(不潔、と思われるといけないので中身は空にして)、アンケート用紙、チラシと生ごみたい肥のサンプル。

 けっこう質問事項の多いアンケートだったけれど、景品の生ごみたい肥ほしさにか、はたまた、生ごみに対する意識の高さからか、けっこうな人気で、250個余り用意した小袋入りの生ごみたい肥は、昼をまわって1時ごろには品切れとなってしまった。アンケートに応じてくれた人たちの年齢層はというと、中年女性がいちばん多かったものの、老若男女、ひととおりをカバーするものとなった。いろいろな質問をしてくる人もいて、かなりいそがしい時間を過ごさせてもらった。質問の中で多かったのは、「自分で生ごみをたい肥化しようと思うが、うまくゆかない」、展示してあるコンポスターの構造、使い方。どれくらいの期間でたい肥ができるのか、生ごみのほかになにか入れるのかとか...。常時4人ほどで客の対応をしたわけだけれど、その忙しさには(予想はしていたのだけれど)少々おどろいた。

 今回のアンケートの結果も楽しみなところだし、その使い方についても非常に楽しみなところ。とにかくみなさん、ご苦労さんでした。


119 アンケートの結果


 去る10/17、音羽まつりが開催され、われらが『生ごみ生かそう会』も出展した。そこでのアンケート調査の集計ができた。

 アンケートの内容に若干の不備はあったものの、かなりためになる数字を出すことができた。アンケートの回答者数は247名。そのうち90%以上が『環境問題に関心がある』。生ごみを『分別、リサイクルするべきだ』が98%。『分別ができる』という人が、90%。というようにかなり高い割合で、生ごみリサイクルに対して前向きな姿勢。

 現在、『自宅で生ごみのリサイクルをしている』人が、44%。さらに『したことがある』人をいれると、64%にもなる。ただ、『畑がない』(21%)。『臭いが気になる』(14%)。『うまくできない』(9%)などといった具合で続けられない家庭も多い。

 生ごみ処理の方法は、 『屋外用コンポスト容器』(41%)。 『畑に入れる』(30%)。『EMボカシ』(12%)。『家庭用電気処理機』(3%)。

 『自宅で生ごみのリサイクルをしている』人を年代別に比べてみると、20代(8%)、30代が(39%)、40代(34%)、50代(50%)、60代(65%)、70代(43%)といった具合。50代から70代にかけての年代が、もっとも意識が高いようだ。40代の人がその割にパーセンテージが伸びないのは、いそがしいからなのかもしれない。

 20、30代が 『EMボカシ』や、『家庭用電気処理機』のような画期的なものにかたよる傾向があるのに対して、40から70代がオーソドックスな『畑に入れる』『屋外用コンポスト容器』という方法を取っているところなども、なかなか興味深いところ。詳しくは、道長のホームページにも掲載します。


120 


 暗くやさしくつつんでくれる夜が明けると、やっぱりきまって朝が来る。ぼくは夜も好きだけれど、明るく、さわやかな朝も好き。朝起きてそんな雰囲気の中で、ひとはウーンと伸びをしたりして朝を満喫したりする。なぜ朝はさわやかで新鮮なのだろう。

 まず、夜の間に睡眠をとることによって疲れが取れて、すっきりしているという理由(これはあたりまえ)。次に、太陽がのぼってあたりが明るくなるという理由。そしてまた、いろんな生物が目覚め、活動をはじめるという理由。理由は他にもたくさんあると思うけれど、やはりその第一の理由は、朝が光りかがやいているからだろう。

 朝の冷え込みのおかげで降りた朝露の球形の粒が、斜めからあたる朝日を通して光りかがやくという理由。そんな朝露の道をあるいたり(車で走ってもよい)すると、かがやかしい朝の風景を楽しむことができる。朝露のおかげで銀色の輪郭を際立たせるいろいろなもの。あたりまえな道路標識であれ、電柱の間をわたる電線であれ、路傍の石であれ、百姓を悩ませる雑草であれ、一日の始まりの朝にはみんな光りかがやいて美しい。

 これがさらに、これからの冬の寒さで霜でも降りるようになれば、朝はあたり一面をさらに銀色にかがやかせ、世界をすばらしいものにしてくれる。そして早朝の厳しい寒さも手伝って、冬の朝はさらに新鮮でさわやかで希望にみちあふれる。朝をあるく人たちの吐息や、信号待ちの車から吐き出される排気ガスでさえ銀色に光かがやいてうつくしい。これがまたさらに雪の降った朝だったりしたら、もう言うことは一言もなくなってしまうほど。

 冬の朝の寒さは苦手だけれど、きっと深い雪につつまれる北国の人たちは、そんな朝を満喫できる理由で、冬にも「負けない」のだろう。

 今夜の眠りがさめて、外に出ると希望の世界が人々の目の前に光かがやいている。なんとすばらしいことだろう。