181 小谷純一氏に学ぶ
01/02/05

 小谷純一氏(全国愛農会創始者)の講演を聴く機会があった。彼は西暦1910年生まれで、今年91才と高齢。講演の内容は新世紀にあたって、愛農会の原点に立ち返る、というもの。

 国家というものはほんとにやっかいなもので、何かのきっかけがおこって熟してくると、おかしな方向に走り出そうとする。この日本は20世紀、西洋文化の流れ込みをきっかけにか、はたまた列強の威圧に対する反発・恐れからか、『大東亜共栄圏』などという旗印の下、取り返しのつかない結末へのシナリオを用意してしまった。

 今にして思えば「そんなばかな」といいたくなるような『洗脳』が『教育』という正義の名のもとにおこなわれてしまったのだった。成年男子の最高の名誉とは、尊王国家のために戦って死ぬこと、などというたわけた教育を、日本は50年近くもしつづけた。そして、多くの青年がなさけなくも『御国』のために死んだ。そして、沖縄、広島、長崎。

 話は変ってしまうのだけれど、1970年前後から『生協運動』が活発に動き出した。消費者として、自らの生活の経済、安全を守るため、共同購入を基盤にしながら、政治的レベルにまで影響力を高めようというものだったと思う。そんな努力とは裏腹に飽食、物余り、不況、公害、環境汚染、ダイオキシン。

 侵略戦争がだめなら、今度は金だといわんばかりに『経済戦争』。これもやっぱり結果的には暴力行使と変わりなく、結局はこのありさま。まさに日本は『身』も『心』も汚染されきってしまっている。もはや『上塗り』では取り返しがつかない。政治なぞはその最骨頂といえる。

 何ともならないからなのか、嫌気醗酵の失敗したような脳みその輩が「日本は神の国」なぞと口を滑らせる。学校での『君が代』斉唱を強いようとする。『君』とはそういう意味ではありません。なぞと言い訳を言おうが、過去においてそれが『教育』の場に持ち出され利用された事があるという事実を忘れることはできない。

 いま、生協活動、市民運動は岐路に立っているといえる。百人百様の人が資本主義のもと、生産し、消費し、さらに生活を守るための運動もする。運動は矛先も鈍ればいいかげんにもなるかもしれない。なのに事態は切迫している。すぐ近い未来には、それこそ自宅の土という土に野菜を作り、残飯、糞尿までもいやでも自分で循環する時代がくることを自覚しなくてはいけない。そのために、自分の生活を根本から考え直してゆかなくてはいけないのです。

 二度と自分をふくめて、連合い、子や孫を不幸にさせないように、いざとなれば、カッコのいいところを見せられるように、心構えだけははっきりとしておかなくてはいけない。


182 クラッシック音楽


 ぼくの連合いは歌うのが好きで、音羽町でコーラス部に入っている。その指導をしてくださっている先生がやはり釣りが好きというきっかけでぼくもお付き合いさせていただくことになった。

 彼は音羽町の小学校で音楽を教えていて、クラッシック音楽が好き(あたりまえですが)。そんなきっかけで、最近ぼくもクラッシックを聴くようになった。もともとクラッシックのレコードというと30か40枚程度しかなく(因みにロックは5〜600枚くらい)、でもそのすばらしさは十分すぎるほどわかっているつもり。ただ、最近は自宅のステレオの前でじっくりと腰を落ち着けて、という心の余裕がなかったために、あまり『聴く』ことがなかった。

 そんなわけで近ごろクラッシックに縁遠い、と言い訳したところ、彼はこんなことを言ってくれた。クラッシック音楽だからといって、いいステレオで、静かな部屋で、じっくり聴くのもいいけれど、「ぼくなぞは、録音しておいて車の中でも、断片的にでも聴くんです」。その一言で、ぼくのクラッシック音楽に対する考え方も少し変えることができた。

 音楽が好きならば、べつにどこどこでなければ聴かない、聴けないなどといっていられない。どこにいても聴けるときに聴く。なるほど、これはとっても自然なこと。

 おそらく(たとえばベートーベンの第九交響曲が上演された)当時は、音楽ファンたちは、蓄音機なぞあるわけがないし、譜面を買ってそれを見ながら口ずさんだり、空で覚えたりしたのだろう。街角や酒場などで、好き者同士で、楽器に模した自分の声や、身振り手振りで謳歌したことだろう。当時それはクラシック音楽ではなかったわけで(高尚なものではあったのだろうけれど)、ちまたで大流行のドラマチックな音楽だったといえる。

 各時代、とくに著名ですばらしい作曲家の音楽が語り継がれ(けっして譜面があるから残ったというものではないでしょう)てきた。その結果が、今、ぼくたちがジャンル付けをするところの『クラッシック音楽』というだけのことなのだろう。ようするに、気楽に聴けばいいんです。

 というわけで、さっそく、ドボルジャーク『スラブ舞曲』とR.シュトラウス『ツァラツゥーストラ・・』、それにやっぱりロックのCDを一枚、仕事の帰りに買っちゃった。


183 その後


 「こんな『生ごみたい肥』ができたのでみてほしい」ということで、お客様が来訪。

 ちょうど一年ほど前、ある企業の方が生ごみ処理のことで相談にみえたことがあった。何百万円もする処理機を設置して、食堂の残飯など(約130Kg/日)のたい肥化をはじめたのだけれど、うまくいかない。ということだった。

 その企業が取り入れた処理機は攪拌しながら乾燥するという方式のものなので、短期間で処理が完結するかわりに、醗酵が完結しない。つまりは未熟たい肥しかできないというお粗末なもの(残念ながらこれが主流なのです)。

 ちょうどその頃、ぼくたちは牛ふんの醗酵、たい肥化の切り返し作業の実習をしていたとき。牛ふんに限らず、生ごみを含めて、有機性廃棄物というものは水分さえ調整してやれば醗酵するのだから、機械はあきらめて昔ながらの『切り返し』作業で挑戦してみたら、というアドバイスをそのときは差し上げたのだった。

 それっきり、その方たちの『生ごみ処理』のてん末を知る由もなかったのだけれど。今日、「こんなのが出来たので見てほしい」ということで、見本を携えておいでになった。

 早速見せていただいておどろいてしまった。一年の奮闘の結果、なんとそのふたりの担当者は『生ごみたい肥』をみごとに完成させてしまったのでした。あのモンスター処理機のヒーターは取り払い、水分調整のための定量の床材との攪拌だけをさせる。すぐに取り出したものをコンパネで囲っただけの(4マスの)にわか『たい肥舎』にもってゆき、2〜3週間ためこんでから、切り返し。これをその周期で4回くりかえしてから、山にして『熟成』3ヶ月で、完了。全工程が約5ヶ月間というもの。よくもまあ、ぼくのアドバイスどおりのことを、一年間も貫徹してくださったもの。その根気というか、バイタリティーには、あたまが下がってしまうとともに、感激してしまったのだった。

 成分分析は一応したほうがいいけれど、「まったく問題ありません」と太鼓判を押させていただいた。そのときのお二人の目は確かに『キラリッ』と輝いたのでした。さらにその会社では、約400坪の『一坪農園』を社員向けに開設するとのこと。ふたりの視線のかなたには、みなが『生ごみたい肥を使う、の図』が浮かんだことでしょう。

184 ひよこの悲劇


 少し春めいてきたと思っていたら、道長のチャボ、産み落とした卵を後生大事に抱え込んでいる。それも五つ、六っつ、七つ八つも。そんなにがんばりたいんなら孵化させてやろうと、七つだけ残してあげたのでした。そのうちのひとつがめでたくも孵化し、かわいいヒヨコが生まれたのだった。めでたし、めでたし。

 と思っていたら、夕刻薄闇の中でそのヒヨコはひっそりと横たわっているのを、ぼくにみつけられた。敷き詰められたもみ殻のうえ、白い固まりがおぼろに見えたとき、なぜか直感してしまうぼくなのだった。

 それはまだかすかにぬくもりをとどめ、くたりとしており、少し前まで息づいていたのだろう、まだ『生気』をとどめていた。昼間はヒヨヒヨと母親のあとをついてまわっていたのに、いったい何があったんだろう。ふと見ると、コテンと裏返った側頭部に、ヒヨコにしては大きすぎる、おそらくは致命傷ともなりかねないキズがみつかったのでした。
なぜ、こんなキズができたのだろう。ころんだからなのか、はたまた・・・。はたまた、チャボに突付かれたのだろうか。ああなんとひどい仕打ちなのだろう。それはそういう運命だったのだろうか。

 この鶏小屋には母鶏と雄鶏、そして、母鶏の娘(ときどき卵も産んでいる)が三羽で同居している。そのうちのだれかが突付いたのだろうか。明確な事実として、ぼくの目の前のキズを負って死んだヒヨコ。いったい、どうなっているんだろうか。生まれたばかりのかわいいだけなはずなのに、この仕打ちは。

 しばしば鶏小屋の中ではこういうことは起こるのだそうだ。ヒヨコでなくても他の仲間に突付かれ、いじめられてしまうのがいる。以前、渥美の『どろんこ村』の鶏舎を見学した折、いじめられてばかりいるのが一羽いた。頭はハゲてからだもぼろぼろ。たいていこういうのが一羽いて、それを除いてもまた標的になってしまう一羽が現れてしまうとのことだった。いったい動物のこころには、そんなわけのわからないものが、すでにプログラムされているのだろうか。

 そんな何かが、ぼくたち人間の深層にも宿っているのだろうか。理解のできない、複雑な気持ちがぼくの心にわいてくる。

 ああ、ぼくはひとりの人間でありたいと切に思う。

185 BMW農法


 静岡県清水市でBMW(バクテリア ミネラル 水)という方法で、無農薬無化学肥料栽培の茶園を経営してみえる村上倫久さんを訪問した。このBMW農法については、ぼくの試行している『たい肥作り』とは違った世界ということもあり、興味津々。

 村上さん宅は急斜面にあり、その立地を利用したBMWシステムが設置されている。それは村上さん宅のトイレで活用されていて、し尿はすべてこのシステムを循環することで、無機化、さらにはミネラルをたっぷり含んだ活性水となって茶園、農園に余すところなく活用されている。

 システムの概要。水洗トイレからのし尿は、いったん浄化槽へ(これは保健所の指導上避けられない)。次に5トン弱のホーロー引きのタンクに移る(ここでは微生物の繁殖を促進するため、軽石が投入されている)。この段階で、窒素分の補給と土着菌の移植のため、鶏フンとたい肥を追加する(このタンクは醸造会社からの出物)。

 さらに同じ大きさのタンクが3基並べてあり(それぞれのタンクには小石大の花崗岩が投入されている)、汚水が次のタンクに移るにつれて、無機化がすすみ、ミネラルの補給が(花崗岩で)される。各タンクには豊富な酸素を補給するためのエアーレーションがなされている。いよいよ、最後のタンク(4番目)に流入するときには、すでに汚水ではなく、BM活性水となっているというわけ。この水は再度、トイレの水洗に使われる(飲んでもだいじょうぶ)。

 農園への活用はというと、このBM活性水を500〜1000倍に希釈したものを葉に、根元に散布してやるだけ。

 今日、村上さんからEメールが届いた。次のような文面。「私どもは、無農薬栽培を始めてから30年近く経ちますが、その間失敗の連続で最後にたどり着いたのが、本当の土つくりでした。BMWを始めて7年目になりますが、他の農法と違い、その土地の環境や微生物にこだわり、収穫も安定的です。おそらく私の知っている限りでは一番低コストで楽に無農薬栽培が出来ると思います。是非勉強することをおすすめいたします」。

 ぼくも機会をとらえて、このシステムを取り入れたいと思います。
村上園さんはこちらで紹介されています
http://www.eu-ki.com/html_1/st_surug.html

186 未 来


 世界の人口は、とくに第三国で増加がいちじるしいのに対し、日本の人口は減少の方向に進むといわれている。たぶん、3〜50年後には世界は飢餓にあえぐだろう、とさえ言われている。

 そのころにはおそらく、日本の生活文化、経済も、おおきく変っているのかもしれない。海外からの輸入食糧があてにならなくなり、やたらと食料が不足して高価な都市部では生活がおぼつかなくなってしまうのかもしれない。おおかたの事務仕事などは、コンピュータの発達でいわゆるSOHOということになって、会社など出社せず、家庭で仕事を済ませてしまうようなことになってしまうのかもしれない。会社に行くのは一月のうちに一日か二日だけ、なんていうふうになってしまったり。

 都会の会社に通勤する手間が省けるなら、土地の安い『山里』に住もうという人たちが増えてくるのだろう。そんな時代には、おおかたの野菜、米、卵などは自分の土地で、自分で作るようになっているのかもしれない。現在の農業が大規模化して企業化の方向に進もうとしているのに反して、『自給をめざす』という小規模なものになっていたりするのかもしれない。山里に住むビジネスマンたちは、仕事は雨の日や夜ホームオフィスで済ませ、晴天の日や昼間には野良仕事に畑にでる、というような生活になっているのかもしれない。自分で食べるもののおおかたは、自分で耕して作る生活。必然的に農薬や化学肥料を使わない、有機農業が主流になっているのだろう。

 買い物などもわざわざ都会に出てせずとも、ネット上でほしいものが安く買える。だからよぶんなものも買う必要もない。生活態度も今よりはずっと変っていて、環境を害するようないちじるしい『消費経済』などとんでもないというようなことになっているのかもしれない。ごみの処理には多額の費用がかさむから、生ごみは自前でたい肥化して自分の畑で使う、貴重な物資は大切にリサイクル(むかしはどの家でもそうだった)。「落としたごはん粒はちゃんと拾って食べなさい」という母親の口癖。『お古』も大事に着たりして。

 現在の世の中からは想像もつかない。けれども、そんな未来が、以外に間近に迫っているのかもしれないのです。

187 武 器


 ある宗教の宣教にやってきた方が置いていった冊子の表紙を見て、はっとさせられてしまったのだった。アフリカ人の少年が、自動小銃のトリガーに人差し指を掛け、銃口を上に向け、片手で支えている写真。その目は「人を殺せる」と物語っている。その右肩に縛り付けてあるナイフ。

 ぼくたちの日本では考えられないことが、アフリカで中近東で、またその北方でくりひろげられている。若者が、そして、少年までもが、民族の正義の名のもとに人を憎み、殺し、殺されている。

 いったい民族紛争というのは何なのだろう。宗教の違い、人種の違い、埋蔵する資源の利権の争いなどなど。つい最近まで隣人であったものが、なんの仕業からか反目の対象となり、殺戮におよぶ。肉親を奪われ、いわれのない憎しみをもやし、今までの日常では望めた『夢』どころか、ささやかなひとときさえもが失われる。なんと悲しいことだろう。

 核兵器、ミサイル、重・小火器、爆弾、地雷・・・。その目的のすべてが、人の殺傷。第二次世界大戦以後(長崎・広島以後)の戦争で死んだ人の数は、5000万人以上とのこと。とくにそのほとんどの犠牲者は、小型の武器による。

 異民族間の紛争とは、はじめからそんなに深刻なものとしてあったと言えるんだろうか。武器を売りつけて私腹を肥す大国の死の商人たちの作ったシナリオなのではないだろうか。あるいはその権化が、実は大国自身なのではないんだろうか。武器というものは、ただただ消費されるだけ。大国にとって、紛争のない自国では消耗品とはいえないはずの武器なのだけれど、紛争の火種のある地域にもってゆけば、売れるし、消費される。

 武器を売りつけるものたちにとって、その代償として支払われるダイヤモンド、麻薬、その他の末端では高価となる品々は、このうえもなく魅力的なものにちがいない。一度やったらやめられない商売なのにちがいない。あのフセインの核兵器も、大国の裏の裏から売りつけられた代物なのだから情けない。

 かつての日本の軍国主義も、その裏で暗躍する『財閥』による軍需産業のおかげで、あそこまで行き着いてしまったのだから。

 写真で見た、アフリカのあの少年の目は、するどく、あまりにも悲しい。

188 素直に


 まだ小さな子供のころ、たぶんぼくのからだは今のぼくの何分の一かの大きさだったのだろう。たぶん、そのおかげで、ぼくの身のまわりのいろいろなものが、今のそれとはかなりちがって見えていたのだろうと思う。

 思い起こしてみると、いろいろなものがちがっていたというもの。まず『大きかったもの』というと、父親。いろんな昆虫や、川の魚、ザリガニなど。とにかくそれらが大きいものだから、しょっちゅうそれに驚いていたんだろう。『高かったもの』というと、天井、屋根、こいのぼり、父親に乗せてもらった肩車。そして、『遠かったもの』というと、家から学校までの距離、犬を連れてよく遊びにいった矢作川、遠足で行ったあちこち。

 そんないろんなものは、ぼくがまだ小さいころには、とんでもなく大したものだった記憶がある。あつい夏なぞ、プールの開放かなにかで疲れきったぼくにとって、家までの帰路はほんとにがっかりするほど遠かった記憶がある。そんな道のりを毎日毎日。

 そういえば、父親のあぐらをかいた足の間にストンと滑り込んだ感触をなぜか今、思い出してしまった。しばらく先の遠足なぞ、とてもとても待ち遠しかったもの。実際幼いぼくには時間というものも、とんでもなく長いものという印象があった。

 そんなころの思いでなぞ、いつのまにか遠いむかしに置き忘れてきてしまうのか、そういったもろもろのものを、小さく、低く、狭く、近く、短く感じてしまうようになる。長年見なれたいろいろなものも、いつのまにかあたりまえのものとしてしか見られなくなってしまうようになる。

 夢だってそうかもしれない。小さいころにはしょっちゅう、いろんな夢をめぐらせていた。それも年をとるに従ってだんだんあたりまえになり、些細な夢、小さな夢となって、期待でわくわくすることもなくなってしまう。

 でも、ほんとはおとなになったって、夢はあるんだし、とんでもなく大きかったり、遠かったりなんかするものも、まだまだたくさんあるはず。そんなものに出会ったとき、素直にわくわく、びっくりしたいと思う。

189 コイ農法


 水田で除草剤を使わない方法としては、大きく分けてふたつあると思う。ひとつには資材・道具を使う方法。最近話題になっているのが、米ぬかをまく、紙マルチなど。もうひとつは動物を使う方法。最近取り入れて話題になるのが、アイガモ農法。なんといっても、アイガモの子供がガアガア田んぼの中を行き来する様はとってもかわいい。

 最近、長野県の佐久市というところへ、イネの苗に使う育苗用のボカシ作りを見学しに行った折、農業改良普及センターにお世話になった。佐久というところでは、魚を水田に入れて『除草』をさせる農法が伝わっているという話を聞いていたため、センターの担当者に尋ねてみたのだった。

 水田にコブナを入れるという話もきいたことがあったのだけれど、その目的はどちらかといえば『食用』だそうで、秋口に取り上げたフナは甘露煮用などのため、地元で消費されるとのこと。除草を目的に利用されるのが『コイ』だそうで、佐久養殖漁業協同組合というところで分けてもらえるのだそうだ。値段も約600円/Kgくらいと値打ち。

 とはいえ、10アール(1反)あたり、10〜20Cmくらいのコイが300〜400尾ほど(1Kgで10尾くらい)必要で、2万円前後の費用がかかることになる(翌年もつかえます)。

 コイの場合はアイガモと違って、大掛かりな囲いの必要がない(逃げないように入・出水口にアミをつけたり、大型のサギやイタチ、タヌキなどにさらわれないような工夫がいる。

 コイ除草の利点は@コイが底泥をほじるため、雑草が断根される。Aコイが泳ぎ回ると水がにごり、雑草の光合成を阻害する。B深水管理で草がはえにくい。とにかく除草効果はかなり高いようだ。アイガモとちがって、何年も除草用に使うことが出来る。

 気をつけなくてはいけない点は、つねに10〜20cmの水位がいること。水温が35℃を越すとコイは死んでしまうので、温度管理にも気を配らなくてはいけない。

 実は今年、米作りをしてみようかな、などと考えていることもあり、このコイ農法、とても興味があるというわけなのです。
お問合せ
佐久養殖漁業協同組合
長野県佐久市高柳388番地
TEL:0267-62-0737


190 思い違い


 ある申請書を提出するため、あるところで順番待ちの列のなかにいたときのはなし。

 申請をするためにその他何種類かの書類が必要なので、順番を待つ間、各人それを確かめることになる。ぼくのもう一人まえの夫婦は子供連れのため、ご主人は後方の腰かけで子供のおもり、奥様が順番待ち。

 しばらくすると、奥様は何か書類の不備に気付いたらしく、後方のご主人を呼ぼうとしている。大声をだして呼べばいいものを、ただ手を振ってそちらを「こっちをむいて」といいたげにいらだっている様子。その視線の間にいるぼくは、「この人は声を張り上げるのがはずかしいのかしら」「へんなひと」と思い、その場が過ぎる。そのうち、ご主人がそれに気付き、奥様のところへ歩み寄る。ふたりは無言で『手話』をはじめた。そのときになって初めてぼくはその二人が聾唖(ろうあ)なのに気付いたのだった。

 それからというもの、ぼくはその状況を察することができなかったことに恥ずかしさをおぼえずにはいられず、しばし、よそ見をしたりしてごまかしていたもの。

 その夫婦が申請書を出す番となり、最初ちょっと戸惑い気味だった窓口の女性だったけれど、すぐに要領よく、二人の申請書の処理をはじめるのだった。その二人の手続きは、他の場合より若干時間はかかったものの、問題なく終了ということに。

 子供を抱き上げ、歩き出そうとするご主人のどこかから『カチャッ』と音を立ててライターが落ちた。もちろんそんな音聞こえないから、そのまま行ってしまおうと・・・。今度はほんとにぼくは、自分で自分にほっとすることが出来たのだった。そのご主人に声でなく、腕に触って呼び止めることが出来たのです。幸い、後の奥様もライターが落ちるのを見ており、それを拾い上げてご主人に渡す。

 先ほどのぼくは、恥ずかしさで顔を合わせることが出来なかった。けれど、今度はその奥様と目をあわせることができました。その奥様、そんなぼくにやさしく笑って会釈をしてくれたのです。ほっとしたのだった。