261 石灰窒素
02/08/28
 石灰窒素という便利な農業資材がある。これは作物を作る場合、土壌改良剤と肥料、そして土壌殺菌剤というようなマルチプレイヤー的な働きのある、非常に便利なものということができる。もちろん化学的に作られた資材で、有機の方向性というわけにはゆかない。土壌改良効果は石灰によるもの。それと窒素。もうひとつ重要なものが含まれていてそれは『カルシウムシアナミド』と表示されている。これがほ場にすきこまれると、土中の水分と反応し、シアナミドという農薬物質を発生し、病害虫を殺したり、雑草を枯らすことができるというわけ。その後さらに水分と反応し、尿素に変わり、さらに炭酸アンモニウムという肥料成分となり、残留毒性がなくなるといういいことづくめのもの。このシアナミドという物質は毒性があり、殺菌、除草の効果をもっている。

 この石灰窒素は、アブラナ科の野菜を作るときによく使われる。たとえば、白菜やキャベツの連作から起こりやすい『根コブ病』の予防の目的で。この病気は作物の根がこぶ状に肥大し、水分や養分を吸収できず、発育がとまり枯れてしまうというもの。

 通常の慣行農法では、石灰窒素は作付けする半月以上前に畑にすき込むよう指導される。それをして間をおかず作付けしたりすると、シアナミドの影響で芽が出なかったり、苗が枯れたりということになる。またこれを扱うとき、毒性があるので気をつけないと人体にも悪い影響がある。

 はっきり把握してはいないけれど、この石灰窒素は農薬的効果はあっても、化学肥料として扱われているようだ。慣行農法から解釈すれば、これを使用することでいいことづくめのような感じに受け止められそう。しかしながら、土壌細菌は殺してしまうわけだし、化学肥料によって畑の土としての機能が落ちてしまうということで、有機農業の観点からすればよいとは決して言いがたい。さらに、化学肥料を工業的に作り出す過程でのいろいろな問題も見逃すことはできない。化石エネルギーの浪費、公害物質の発生などなど。

 現代にあふれている化学物質の多くは、なにかの目的のために生産されるわけだけれど、それに伴う危険について、見過ごすわけにはいかないと思う。



262 スタンド・バイ・ミー
02/09/03


 ソウルの名曲のなかに『スタンド・バイ・ミー』というのがある。これは60年代、ベン・E・キングの曲。曲の内容は「夜、どんなに暗かろうと、天地がひっくり返ろうとどうなろうと、ぼくは恐くも何ともない。だからいとしの君よ、ぼくのそばにいておくれ」といったもの。あなたも、恋のよろこびに小躍りでもしたかった過ぎ去りしあのころを思い出していただければ、たのしくこの曲を聴くことができるというもの。

 ところで、ぼくはポピュラー音楽の歴史の中でこの曲を歌った人物を何人か知っている。本人のキングとオーティス・レディング、ジョン・レノン(ほんとうはもっとたくさんいるらしいけれど)。このなかで本人キングのこの曲は以外にもいまいちな気がする。それに対してオーティス・レディングのそれは、じつにすばらしい。おそらく60〜70年始めにかけて最高のソウル歌手オーティスのこの曲での歌声には、これしかない、と言いたくなってしまう。

 75年ごろ、ジョン・レノンもこの曲を『ロックンロール』というアルバムだったかでカバーしている。この歌もすばらしく、スタンド・バイ・ミーといえばジョン・レノンと言われてしまうほど。

 ただし、この曲はカバーしようとする歌手にとっては、当然歌いたくなる曲なのかもしれないのだけれど、以外にむつかしい。つまりソウルのリズム、アフタービート(黒人が歩く後姿をみるとき、2ビートなのだけれど、その拍子ごとに一呼吸置くというか、お尻に「クッ」とワンクッション入るあの感じ)にこの曲を乗せるのが難しいということ。

 偉大なるジョン・レノンはこの曲をカバーするのに無理をせず、乗りのいいロックンロールで軽快にやっつけている(つまりオン・ビートで)。いつだったか、日本のテレビですごい『スタンド・バイ・ミー』を見てしまったことがある。それはむかし、有名グループサウンズのリードヴォーカルをしていた○×という歌手。よせばいいのにこの歌を、きらびやかに飾られたステージで臆面もなく歌ったのだった。それはひどいの一言で、ソウルでもロックンロールでもなく、延々と最後まで繰り広げられたのだった。ぼくもへぼブルースバンドをやったことがあり、この歌を奏ろうとしたことがあった。たぶん以来、ぼくは無口なカラオケ恐怖症になってしまい、今に至っている。


263 有機とGM
02/09/11


 有機農産物の規定からすれば、遺伝子組み換え(GM)については、欧州、米国ともに許されていない。それに対して日本では、今ひとつ明確になっているとはいえない。

 今、米国でも問題になっているけれども、GMに関して作付けしていないはずなのに、他の圃場からの交雑や種苗へのGM混入という理由によるGM汚染が伝えられている。現在、OCIA(米有機農作物改良協会)、IFOAM(国際有機農業運動連盟)、コーデックス委員会などの見解では、有機農産物に関してはGMの混入は認められていない。

 JAS法で定められているGMについての有機農産物の定義としては、それを作付けする場合、種苗にGM作物を使用してはいけない、ということにはなっている。しかしながら、生産された作物へのGM混入については記載がない。

 これではどうも腑に落ちないので、食糧事務所に問合せをしてみた。豊橋の事務所では解らないというので、名古屋に問い合せたところ、次のような答えが帰ってきた。「農水省の有機農産物に関するガイドラインというのは、あくまでも農作物の作り方の規格である」とのこと。要するに作付けにGMを使わなければ、収穫の際にもGMは含まれないであろう、という見解となる。有機の大豆の加工食品にGMの混入があったばかりだけれど、この場合にもその混入率が発表されたわけでもなく、有機認証が取り消されたわけでもない。現在、IPハンドリングという分別についての規定があるけれど、分別しているにもかかわらず起こってしまったGM混入については仕方がないのだろうか。

 現実的に、現在日本では、GMは作物として認められているものはあるけれども、収穫されているものはないことになっている。一部で、除草剤耐性大豆の作付けが行われていても、開花以前に処分されている。とはいえ昨年から問題になっている飼料用コーン種子へのGM混入という事実を考えると、JASの有機に対する規定に大きな矛盾が起こってきてしまう。農水省の見解では、5%以下のGM混入率は認めるというようなものがあったような気がするけれど、その規定が適応されてしまうのだろうか。

 とにかく、農水省のガイドラインというのは、農産物の作り方についての規定であり、その結果ではないところが今後、大きな問題になると思う。


264  
02/09/30


 ぼくがまだ小さかったころ、日本はまだ自動車が少なく、市内電車の走る目抜きの通さえ、アスファルトで舗装されてはいても穴ぼこだらけだった。東海道の現代版である国道1号線などが、りっぱにコンクリートで固められ、日本国の威厳を誇らんばかりに夏の暑さの中、その白い路面を輝かせていたもの。もちろん往来する自動車の数などまばらで、ちょうどその沿線の親戚にお邪魔するたび、ぼくと姉なぞ、道端に座っては西と東に行き来する自動車の数を数えては競い合ったもの。さらにガソリンエンジンから吐き出されてゆく排気ガスさえも、文化的でかぐわしくもあったのだった。

 あるとき、まだ小学生のころだっただろうか、ぼくの住むとなり町からずーっと西の名古屋に向かって道路工事が始まった。今のように高度な作業車があるわけでもなく、突貫工事でもなかったけれど、工事は着々と進んでゆくのだった。大地に直線的に伸びるこういった近代的な構築物にはついぞお目にかかることがなかったため、ぼくには何かすごいようなものに思えたのだと思う。道というのはそれがどこかにつながっているという意識を与えるからだろうか、神秘的というかひかれるものがあったのだろう。とにかくその建設途中の道路がどこまで通じているのか気になって仕方がなく、その道をときどき見に行くたび、ぼくは好奇心に駆られてしまうのだった。

 ある日、ぼくはとうとう決心をして、その道を自転車で行けるところまで走ってみようと思いついた。あれは春だったのか、また初夏だったのだろうか快晴の午前中だったと思う。まだ開通していないからか、延々に続くその道は、なぜか自動車も自転車も一台も往来していないのだった。ぼくは道の真中に一直線に等間隔に打ち込まれた鋲をスラロームして走る。そしてぼくの自転車が軽快にはしる音だけが聞こえるのだった。けれども、矢作川を渡る橋で事態はかわってしまった。その上り坂で、もうぼくはへこたれてきてしまったのだった。やっとのことで橋は渡り、さらに続くアスファルトの道のその向こうには、今度は見たこともない何か大きな水溜りのようなものが(かげろうだった)かなたにゆれているのだった。ぼくは好奇心に惹かれさらに走る。すると水はさらに向こうに逃げてしまうのだった。暑さと疲労でぼくは力尽き、仕方なく来た道を引き返したのだった。

 なぜかその先の記憶は、ふっつりと途切れてしまっている。

265 そろばん学校


 小学生のころ、学習塾などはまだなかったのだけれど、ぼくらはほとんどきまって『そろばん塾』や『習字』へ通っていた。読み、書き、そろばんというのは、言うなれば文化国家にあっての教育レベルを獲得するための、「これだけは」という、それぞれの親のかわいい子供にたいする『思いやり』というか『欲目』であったもの。そんな親心のおかげで通うことになっていたそろばんと習字なのだけれど、まったく皮肉というか残念なことに、それが後の社会生活のための『こやし』になったという人の話はついぞ聞いたことがない。

 ご多分に漏れず、ぼくの親も時を同じくしてか別でか、その愚息をそろばんと習字に通わせたのだった。もちろんぼくらはそんなところへ好んでゆくはずもないのだけれど、そんな子供たちは何か『救い』となることを探し出してしまうもの。そしてぼくらは、そろばん塾へ通うという親への忠誠心の傍らに、密かにも絶好のレジャーをも満たすことができてしまったのだった。ちょうどそのそろばん塾のとなりは田んぼになっていて、そこには一年中水が張られていた。その田んぼでの楽しみというのは、だれの発案か、あるいは自然発生的なものなのか夏は『ザリガニ釣』冬は『アイススケート場』。

 そろばん塾というところでは、学校が引けてからの夕方に何回かに分けて稽古をする。その待ち時間というのが、このレジャーに当てられるということに。今日も我が子は自ら進んでそろばん塾へ出かけるのだった。次の教室が始まるまでにはまだたっぷり待ち時間があるというのに、おどろくほど多くの子供たちが田んぼの周りにたむろしている。各々の手には先に糸を結びつけた1mほどの棒。さらに伸ばされた糸の先には『エサ』が結び付けられている。そのエサというのは、捕まえてとったザリガニの肉。少年少女たちの狩猟本能を十分に満たすことのできたこのザリガニ釣が、そろばん教室の壁を隔てたとなりの田んぼで繰り広げられていたのだった。当時しっかりと寒かった冬には(たぶん日曜の午前中)、凍りついた田んぼの上ではやはり少年少女の歓声が・・。夏も冬もエスカレートの余り、泥をかぶるものまで出る始末。時々、業を煮やしたそろばんの先生が(恐かった)怒鳴り付けにくるのだけれど、そして田んぼはけっこう荒らされるのだけれど、その遊びは不思議にも禁止されることがなく、四季を刻んでゆくのであった。

266 ニール・ヤング
02/10/08


 ニール・ヤング(カナダ出身のロック歌手)のCD『ハーヴェスト』というのを中古で見つけて買ってきた。以前このレコード盤は持っていたのだけれど、ブリティッシュ派には必要なしということで、売り払ってしまっていたもの。

 ニール・ヤングといえば当初、スティーヴン・スティルスとバッファロー・スプリングフィールドというグループを経験し、後に米国西海岸出身のC.S.&N.(クロスビー、スティルス、ナッシュ)というフォークグループとセッションをしており、そもそものジャンルはフォーク。C.S.N.&Y.として活動していた中での『ウッド・ストック(‘69)』のコンサートなどでは大変な人気だったし、アルバム『デジャヴ(‘70)』などは、発売前の予約だけでも2億ドルを売り上げたそうだ。それほどの人気グループであったのだけれど、グループはお互いの個性のぶつかり合いの中で解体をしてしまう。

 そういった状況もあるのだけれど、ニールという人間の個性というのはあまりに奔放で、フォークというジャンルでは狭すぎて、結局はすんなりとロックの方向へと進んでいってしまうことになる。アルバム『ハーヴェスト』は(当然アナログのレコード盤で発売されているから)A面とB面とでは趣がちがっている。A面ではゆったりとしたフォークロックのナンバーが中心となっている。ただし、詞の内容は自らの内面の表現に重きが置かれている。そしてB面では外的なものに対しての強烈な攻撃というか、ロックの精神がいかんなく発揮されている。『アラバマ』という曲では、人種差別の耐えないアラバマ州に対する強い批判を、他にドラッグのことなど。アメリカという歪んだ世界に対する批判が、奔放な波にのせて繰り広げられる。おそらく、このアルバムは彼にとって、フォーク歌手からロック歌手へと目覚めてゆくための大きな踏み台として位置付けられているのかも知れない。

 ニール・ヤングの演奏と歌というのは、どこか不安定な節をもっている。それがまたファンにはたまらないのかも知れないけれど、これは幼少のころの小児マヒを引きずっているため。そんなハンディを背負っての音楽活動へは、母親の苦労があったという話も聞く。

 また、逆境があってこそ、彼のロックの血は熱いのかもしれない。



267 男川ダム
02/10/15


 音羽町のとなりの額田郡額田町は、岡崎市に注ぐ男川の上流にあり、水資源としても重要な役割を果たしている。その男川に『男川ダム』というのが建設される予定があり、そのための見学会があるというので付いていってみた。
 男川ダムの予定地へ向かう前に、さらに上流にすでにダムがあるというので、そちらをまず見学をしに。それは雨山ダムといって、平成9年にすでに完成している。ダム高21m、総貯水容量25万1千立方メートルという(数字ではピンと来ないけれど)小規模なもの。現実的になぜこんなところにダムが必要なのだろう、と考えてしまう。

 ダム湖の廻りでは、時折ルアーを投げてはたぐり寄せている釣師が目立つ。「何がつれますか」と問うと「ブラックバスです」の答え。碧南高校の先生で環境問題に係わってみえる伴先生と、オンブズマン岡崎のメンバーに引き連れられて、ダム湖のほとりへ。ここで水質検査と投網による魚類の調査。水質で目立ったのは、植物性プランクトンの増殖を物語る溶存酸素量で8.9と高い水準(よろしくない)。そして投網にかかってきたのは、ほかならぬ『ブラックバス』の稚魚だった。今や日本の津々浦々、池や湖ができるとすぐにブラックバスがアングラーたちによって移植されてしまう。これはほんとに困ったことなのだけれど、ブラックバスの稚魚たちはダムからの放水にのって下流へと移動する。

 ここで間違いなく起こるのは、在来の魚類の駆逐ということ。これが上流から起こってしまうのだからたまらない。下流ではレッドデータブックの筆頭である、『ウシモツゴ』や『イタセンパラ』『ネコギギ』などの魚類が一気に姿を消してゆく。下流の男川では、バスに食い尽くされてしまうというので、鮎の放流さえ縮小される始末。

 雨山ダムに近接する工業団地用地も見学。この用地に出来るであろう工場への工業用水の確保ももくろみに有り、雨山ダムが建設されたこともあるのだけれど、なんと馬鹿な話、ここには一件の入居もなく、ただ山中に忽然と広大なススキヶ原をわびしくも秋の風にさらすばかり。数十億円もの無駄金が投じられた、と思うと腹が立つ。

 ダムは洪水を防ぐのであれば、水を貯めるわけにゆかず、利水のためには満水にしなければならない。両方の目的を満たすダムなどあるはずもないのに、ダム建設の目的にはいつもその両方の文句がうたわれる。そしてさらに下流、その16倍以上もある意義の薄い男川ダムの建設が決定されている。

投網にかかったバスの稚魚



268 10年目の地球サミット
02/10/29


 南アフリカのヨハネスブルグで持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD)がおこなわれた。この会議の目的は、環境への影響を最小限に抑えた経済開発を目指すこと。さらに貧困や砂漠化、人口増加などの地球的な規模での問題について具体的目標を定め、実行してゆこうという会議ということになっている。

 そのような目的のために、10年前、ブラジルのリオデジャネイロで第一回のサミットがおこなわれた。そこでは、ふたつの大きな目標が定められた。ひとつは、地球温暖化防止のための気候変動枠組み条約と、熱帯雨林の生物環境を保護するための生物多様性条約。以後、97年には京都での会議では、前者のために『京都議定書』が、そして00年には遺伝子組み換え生物による国際的なリスクを避けるための(コロンビアの地名にちなんで)『カルタヘナ議定書』が採択されている。しかしながらこのいずれの条約にも、米国、日本の批准はなされておらず、その効力もまだない。

 南アでのサミットは、リオデジャネイロから10年目ということでリオ・プラス・テンとも呼ばれ、その間でどれだけの事柄が実施され、状況がどんなふうに改善されたのかを検証する場としても位置付けられていた。

 しかしながら、南アでのWSSDでは米国大統領ブッシュが欠席(代理にパウエル)するありさまで、地球環境問題をまったく無視、またもやいずれの条約にも前向きな態度はまったく見られなかった。おまけにそういった動きにブレーキをかけるはずのNPO組織なども『蚊帳の外』に追いやられてしまうという結末。

 最近では、困窮するアフリカ諸国に対し、経済援助を遺伝子組み換え作物でおこなおうという米国の態度にはまったく理解しがたく、首を傾げてしまう。経済性最優先の自由貿易の押し付けによる国際化が進められ、その暴利と引き換えに途上国の貧困化が進む。そのような情勢の中、巨大資本主義国家に対する途上国の抵抗の形としては、頻繁に起こりつつある『テロリズム』もひとつの手段とならざるをえない。

 低開発諸国が富むためには、経済大国の無謀な開発、快楽の追及といったお手本しかない、などという幻想が大きな間違いなのだという証明がなされるには、これからさらに取り返しのつかない時間が必要なのだろうか。

269 農産物の加工


 地域の農業を活性させて、その中での存在意義を確立してゆきたいというのが今の道長がめざす方向。農業にはいろいろな可能性があって、作物を育てて収穫するのはもちろんだけれど、畜産や養鶏、農産物の加工、さらにはグリーンツーリズムなどの目的での民宿など。あげれば切りがないし、可能性を求めてもやっぱり切りがないほど。

 身近な農業者のつながりの『あいちあぐりねっと』というのをたちあげているのだけれど(なかなか進展しませんが)、これもそんな考えのもと。そんな中での多くのメンバーがさほどの規模で農業活動をしているわけではないので、市場の要求に応じた作物を大掛かりに出荷できるような組織作りというわけにはなかなか到達できない。さらに、それぞれの作物の余剰の利用であるとか保存というようなことを考えれば、当然『加工』という方法が考えられる。

 『あぐりねっと』の基礎固めのためには、『加工』の態勢を作らなければということで、最近はそんなことばかりを考えている。山間部では、比較的獣害の少ないコンニャクイモなどを作って、それをコンニャクに加工したらどうだろうとか、大豆をみそにしたら、糸引納豆は、とか。大麦で麦茶はどうだ、小麦で冷凍うどん、なま麸、パンなど。

 そんなわけで先日は、となりの額田町のコンニャク業者もたずねてみたり、大豆の加工ということで『糸引納豆』を思いつき、このあたりでは唯一のある業者に電話をかけてみたり・・。これはまったく情けないのだけれど、豊橋のある業者はぼくの願いに対して、取り付く島もないのだった。その理由は、北海道産のものが品質がよく、地元産では話にならないとのこと。それでは、それに適した品種で良質なものを用意したらどうか、という問いに対してもむげもなく。そのくせその業者氏は輸入の米国産大豆はだめで、やはり国産でなければ・・などと言うのだった。情けなくも、国産よりも地元産の質のよい原料があれば、それを使ってみようという気持ちなぞ臆面もないのだった。

 おそらくその業者氏も、かつては地元の原料を使って仕事をしてもいたのだろう。確かに北海道産は粒もそろい、品質もよいかもしれない。しかし、それはあくまでも『慣行農法』が基本であり、安全性という点では疑問もある。まずやってみましょう、という前向きな態度なしでは、その地域で農の加工として生き残るのは無理だと思う。

270 分別と有機


 IPハンドリング(分別生産流通管理)というシステムを導入して分別をすることで、農産物の遺伝子組み換え(GM)の混入を防ぐというのが、現在ではいちばん信頼のおける方法ということになっている。
 ある国の農家が大豆を生産したとすると、分別については、その地域の@カントリーエレベーター(農協などの集荷場)、Aリバーエレベーター(広域の集荷場)、Bエクスポートエレベーター(輸出のための港の集荷場)、C船舶、D日本の港、E港のサイロ、F各供給・加工ルートで必要となる。それらの各段階での非GMについての分別がなされていることが公的に認められた機関によって証明されていれば、GMの混入の可能性がないということになる。

 ところが、最近の農水省での有機JAS認証を受けた豆腐・納豆についてのGM混入検査をした結果、約3割についてGMの混入が認められたという事実が報道された。その中で、不正の表示をしていた場合は除くとして、実際に『有機』であるからには『分別』による流通がなされていたことになる。それにもかかわらずGM混入があったとすれば、分別に限界・問題があったか、生産の段階でのGM品種との交雑があったかのいずれかということになる。

 それでは、有機認証を受けていたにもかかわらず混入のあった3割のものについて、どう解釈をするのかという問題が生じてくることになる。IPハンドリングについては、(財)食品産業センターという機関のマニュアルによって示されている。それによると、大豆については混入率5%以下での取引が可能とされている。意図しない混入については(食品表示問題懇談会遺伝子組み換え食品部会というところの見解では)、その程度は避けられないということになっている。ただ、これは大豆についての見解であり、たとえばトウモロコシなどについては混入率の目安になる数値は定まっていない。しかしながら、昨年からコーン種子でのGM汚染が問題になっていることから、トウモロコシにも見解が求められるところ。さらにナタネ、綿実も?。

 とにかく、有機だろうがIPだろうが、調べてみたら汚染されていたという場合には、まったくといっていいほど対策がないというのが現実。すでに明確な見解がなされなければいけない段階が来ていると思う。