271 浜 納 豆
02/11/05
 静岡県浜松から愛知県豊橋にいたる間に、『浜納豆』という大豆を原料にしたたべものがある。蒸した大豆に麹菌を植え、醗酵させ、塩水に漬け込んで1年ほど熟成。さらに天日で乾燥させたもの。大豆の形がそのまま残っており、ほおばると、みそというか醤油の風味が口いっぱいに広がる。

 この食材、このあたりだけのローカルなものだと思っていたら、日本では京都で(一休和尚がつくったといわれる)『大徳寺納豆』という由緒あるものがあったのだった。それが浜松方面へも伝わり『浜納豆』。戦国時代には兵糧としても活躍。戦場では、ごはん一膳分ほどに数粒の浜納豆で食が足りたという言伝えもある。徳川家康なぞは浜納豆を好物とし、歴代の将軍に謙譲させたという話も。

 起源をたどると、さらに中国は漢の時代へ。それが遣唐使によって日本の奈良の都に伝えられたのが始まりらしい。後の中国では『豆鼓(トーチ―)』と呼ばれるようになり、中華料理には欠かせない調味料となっている。

 この浜納豆が、いわゆる糸引納豆とちがうところは、糸引納豆の場合、蒸した大豆に納豆菌を植え付け、醗酵途中で生のうちに食べる点。また両者に共通していえることは、いずれも醗酵により『うまみ』が引き出され、ごはんの友となる点。そして高い栄養価。

 この浜納豆、食べ方としては、そのままごはんに、おかゆに、おにぎりというのもいいのだけれど、調味料としての使い道は相当に広いようだ。たとえば、肉じゃがなんぞを煮るとき少量使えば、おどろくほどコクが増す。

 そんな『浜納豆』『大徳寺納豆』なのだけれど、今では販売目的で製造しているところは非常に限られている。豊橋に一軒造っているところがあるというので見学をさせていただいた。豊川(川の名前)の豊橋(これは橋の名前)のすぐ近く、『国松』という機械屋さんが本業のかたわら、この浜納豆の味を受けついでいたのだった。国松さんは、この日本の伝統の味を絶やすわけには行かないと、浜納豆造りを続けている。

 道長ではこの伝統の味を、地元音羽産の減農薬大豆でこの『浜納豆』を造ってもらい、みなさんに食べてもらえるようにしたいと考えています。

272 『鉄腕ダッシュ』
02/11/14


 鉄腕ダッシュというテレビ番組がある。どうしてこんな話題になるのかというと、第2回ストップ!遺伝子組み換えイネ全国集会の午前の部で、その番組のプロデューサーの方に講演をお願いしたため。

 この時間(日曜日のPM7時)にはぼくは仕事場にいてめったにテレビを見ないため、この番組自体どんなものなのか知らなかった。まったく不覚にも、最近の『ダッシュ村』も見逃してしまったのだった。これではいけないので、この番組のインターネットの公式サイトをのぞいてみた。そして、少なからず驚いてしまったのだった。
 番組作りのための田舎での生活、そして作物作り土作りなぞお遊び半分と思いきや、なかなか。特に米作りでの苗代への種まきから田植え、さらにその除草のためのアイガモ軍団の編成と、その一連のことが克明に紹介されている。実際に米作りを体験したものには、なるほどと納得のいく内容。道長でも米作りはさせていただいているけれども、ここまでしっかりとしたレポートはとっていない。さらに話題性はあるけれど、動物を駆り出すという意味で手間のかかるアイガモ農法というのにはいささか敬服してしまう。

 ぼくも、勇んで『鯉農法』などというのに昨年挑戦したのだけれど、やはりたいへんだった。どういう意味でたいへんかといえば、それは相手が動物であるということ。いったんうまい具合にはこんでくれればこれほど気楽なことはないのだけれど、いろいろな自然現象や事態に遭遇したときにはそうともいえなくなってしまうからたいへん。鯉農法の場合、日照りが続いて水不足になると非常にくるしいものとなる。『アイガモ』の場合でも、猫やカラスにやられる。はたまた盗賊にそっくり盗まれてしまうなど、音羽町でアイガモ農法をしてみえる農家ではけっこうな苦労があるようだ。さらによく年のために、2代目の軍団をしたてるというあたり(ダッシュ村の場合)よくやるものだと感服。

 こういう番組がしかも、若者をターゲットに続いていて、人気があるというのにはやはりなにか決定的な魅力があるのかもしれない。泥だらけで遊ぶ。粉だらけになって食べ物を作る。動物たちとふれあう。農を媒介にして自然環境と接する。さらに日本の文化が何たるかを知る。今の農政も安全だ何だという前に、どうやって米を作るのが魅力なのかを問い直す必要があるのではないだろうか。

273 第2回ストップ!遺伝子組み換えイネ全国集会
02/11/20


 11/17(日)、第2回ストップ!遺伝子組み換えイネ全国集会(以後GMイネ全国集会)が名古屋市中区のナディアパークで開催されました。午前の部を『鉄腕ダッシュ』のプロデューサー、今村司氏の講演、『ラブ・アース・ネットワーク』の歌と演奏。午後をGMイネに関する基調講演、シンポジウム。その他関連団体による、出展などと多彩なプログラムが用意された。遠くは、秋田県大潟村より黒田 正、喜多さん夫妻(ライスロッジ大潟での安全な米の生産と出荷をしてみえる。奥様は大潟村の村長)も駆けつけてくださり、有意義な発言をしていただくことができました。

 一日に及ぶプログラムではありましたが、大変な盛況ぶりで、GMイネに対しての意識の高さを痛感する全国集会でした。午後のシンポジウムでは500名ほどの聴衆で立ち席まででるほど。

 天笠啓介(市民バイテク情報室)、河田昌東(名古屋大学理学部)両氏の基調講演では、EU(欧州連合)でのGM事情(特に食品の表示について)、最新の遺伝子汚染について報告されました。GM作物が引き起こしている相次ぐ汚染問題。それを食い止めようという、欧州での消費者運動とそれに影響され立ち上げられつつある徹底した表示のシステム。これからの日本での消費者運動にも大いに参考になる内容となった。

 東北でただ一人の女性村長、黒瀬喜多さんのたのもしくも力強い農へのエール、GMイネへの反対宣言。

 黒瀬 正(ライスロッジ大潟)、松沢政満(愛知県新城市の有機農業家)、中村友美(民主党愛知県議会議員)、そして天笠、河田両氏を交えてのシンポジウムは、斎藤まこと氏(名古屋市議会議員・わっぱの会)の司会で進められた。

 黒瀬氏は、GM技術や大量の化学物質を使わなくても大型稲作は十分可能であるし、今後の自然な姿である。松沢氏は農業は循環という自然界のサイクルを無視しては考えられない。稲作の低コスト化のための『乾田直播農法』に照準を合わせての今回のGMイネ(祭り晴)だが、この農法による水田の砂漠化は水田農業にかかわるあらゆる生態系を根底から破壊してしまう。また、県政にかかわる立場として中村氏は、議会でのGM食品・イネについての質疑の模様。そして、直接『食』にかかわる立場として、その安全性には気を配っている。生産者とのネットワークに参加しているが、生産者と消費者の信頼関係が大切だとの発言。

 前回7月の全国集会では、その大半が消費者により占められていたように思うが、今回第2回では生産者側からの発言が目立ったように思う。

 関連団体による展示、試食、販売なども平行して行われ、来場者のGMについての疑問に答えてくれた。

 総じて、予想以上の盛況ぶりで、全国の消費者、生産者、流通業者のGMイネに対する意識の高さを見せ付けるものとなった。さらに愛知県農試での研究をストップさせようというエネルギーも、十分すぎるほど感じられる全国集会であった。

 ここで忘れてはならないのは、今回の研究に対する反対署名だ。前回の集会では323100筆、そして今回はさらに257730筆の署名が集められ、合計580830筆ということになった。

11/18、署名の提出
 翌日、愛知県農試で(先回は県庁であったが、なぜか今回はこちら)、32名の訪問団により署名提出が行われた。

 席上には、県側から県農林水産部農業経営課・神田多喜男主幹と県農試企画情報部長・塩田悠賀里両氏が出席。訪問団からの質問があびせられた。質問の内容としては『研究がこのまま続くのか』『中止の予定はないのか』がメインとなった。それに対し、「今年の研究結果を見ないと判断はできない。さらにモンサント社とのかかわりもあるため、最終的な結論は来年2か3月になろう」という回答。今年の一般ほ場での栽培試験については、なにも情報公開を得ていなかった。『これほど重要な実験について、情報公開がなされないのは問題だ。今後は十分気をつけてほしい。自らの研究について、その社会的責任を十分に考慮していただきたい』という申し入れもされた。生活クラブ生協からは、全国の自治体に向けてのはたらきかけの報告がされた。

現在全国の自治体に対し、
@学校給食で遺伝子組み換えの米を使用しない
A食品や飼料として遺伝子組み換えイネを承認しないよう国に対して意見書提出
B全遺伝子組み換え食品に表示を義務化するよう国に対して意見書提出
の要請をしている(すでに250の自治体に)。こういったはたらきかけは、各自治体からの愛知県農試に対する『問い合わせ』というかたちで伝わってきている、と塩田部長。

ここまで広がった運動のすそ野
 今まで、「食の安全は自ら守る」とその運動を展開してきたのは消費者であった。GM食品の安全性に対する不安、コーンや大豆のGM汚染が食品の流通という場面で起こっていたのに対し、愛知県農業総合試験場とモンサント社の共同研究に見られるような、その作付け、栽培による日本国内での自然環境に影響を与えるかもしれないという大きな問題が現れた。このような研究を見逃せば、取り返しのつかない事態を招きかねない。

 純粋に、『乾田直播』農法のための切り札としてのGMイネというのが、県農試の目論見であったのかもしれないが、これがバイテク企業モンサントにとってはGM米の市場独占、さらにはアジア全体を照準にした種子支配というまったく時限の異なったもくろみである点について留意しておきたい。今やモンサント社は、大豆で、綿、菜種で種子支配を確立しようとしている。さらにその支配域を世界の二つの主食である、『米』と『小麦』へと広げようという段階にまでこまを進めようとしている。

 米国では『小麦』が食品として認可されるかもしれないという、緊迫した状況にまで達しているそうだ。それを躊躇するのは消費者ばかりでなく、むしろ生産者そしてその両者をつなぐ農協側であることに注目しておきたい。すでにコーンと大豆で現実のものとなっているGM汚染が『交雑』により、『分別の不備』により、常識のものとなってしまっている現実は見逃せない。もし『米』と『麦』がGM化されれば、これと同じ汚染が、世界の重要な主食に起こってしまうことになる。これは大豆やコーンなどといった規模とはかけ離れているところが恐ろしい。とりもなおさず、これは地球規模での環境汚染ともなりかねないのだから。

 今や、すでに認証されているGMについての安全性も大きく揺らいでいる。すでに環境ホルモンによる、半ば取り返しのつきにくい環境汚染が問題となっている。このうえさらに、GM汚染という今度は、自ら増殖することのできる生命体としてこの汚染が起こるとすれば、さらに深刻な危機となってしまいかねない。

 遺伝子組み換えイネ、食品はいらないという意思表明が、つまるところ、地球的な規模での問題にかかわっているということにも、深く認識しておかなくてはならないと思う。


274 道長のこと
02/11/27


 ある機会で、ある団体からの作業所の検査を受けた。いろいろ取り繕うところなしで、まずは現状のありのままを見ていただこうとのぞんだのだけれど。結果はやはり問題になりません、という見解。

 この見解は、はっきりいって当然のこととして道長として受け入れたのだった。すでに県農業普及協会(旧農業改良普及センターで、県農業総合試験場の下部組織)の普及員に作業所の今後について相談していた矢先でもあり、やっぱりそのとおりなのだなと実感。

 今回のことでぼくとしては、そういう見解をいただく段階になってきたのかなという感慨にも及んでしまったりもした。実家のある岡崎で闇雲で過ごしてきた13年。とうとう農産地の音羽へ作業所移転をして8年近く。この8年という年月もまったくあっという間にすぎてしまったのだけれど、よくもまあ何とかなってきたものだ。とくにこの音羽町へ来てからの道長は、多くの人たちの後押しもあって、たいへんに意義のある8年だったと思う。

 この8年を思い返してみて、とくに思いとどめておかなくてはいけないことは、@多くの生産者の人たちと出会うことができた。A自分も農産物の生産者なのだという実感をもてるようになった。Bそしてこれからの方向が少し見えてきたということ。さらに付け加えるとするともうひとつ『自信は過信につながる』とこれはちょっと横に置いておく。

 いちばん一般的な例として、漬物などは農産加工品の第一候補といえる。農協の直営する農産品の販売所でも、町内の女性が腕を振るった漬物が並んでいる。さらに乾製品、瓶詰めの保存食品など。減反による転作作物を使った農産加工品が、これから『地産地消』の考え方のもとで考案されてゆく。まずは伝統的なものからはじまり、個性のあるものも。道長もそんな作業に仲間入りしてゆきたい。農業を前面に置き、地域に貢献できる道長になりたい。

 さっき横に置いておいたことば『自信は過信につながる』だけれど、これはとくに戒めておかなくてはいけない。今までの実績は自分の実力だけでできたことではないということ。つまり、これからのいろいろな試みすべて、地域や消費者のひとたちの好意的な協力なしにはできることではないということ。そういった初心にもあてはまる気持ちを再確認したいとおもう。

275 雪国大野
02/12/02


 福井県大野市というところでおいしい米酢を造っている『河原酢造(こうばらと読みます)』を訪問した。かねてよりの念願がかなった。そしてとても有意義だった。

 訪問の前日、河原氏から、雪がひどいので気をつけて来てくださいとの電話。道路情報を調べてみると、北陸自動車道は雪のためチェーン規制となっている。一緒に見学に行く約束をしていた音羽米研究会の鈴木さんは、行ける所まで行って、だめならどっかで遊んでくればいい。とのんびりしたもの。

 冬が仕込みの時期なので、見学するなら今がいいとの河原氏の勧めもあったため、期待はしていたもののこの雪にはおどろいてしまった。もっとも、今を逃すとさらに冬が深くなってしまうため、訪問するなら今しかない。

 運よく、翌日には雪が雨となり、雪による規制は解除。カーナビ付の鈴木さんの車で出かける。高速道路伝いに福井IC、158号線を大野市へ。ということになるのだけれど、トンネルをくぐると突然雪国という有様なのだった。もし音羽町あたりで大雪(せいぜい道路へ積もるくらい)でも降ろうものなら、一大事ということになってしまう。ちょっとした上り坂で信号待ちでもすれば、発進できずによこすべりでゴツン。カーブでは落輪。大渋滞。

 河原さんのところでは、エンジン式の除雪機があり、それがないと冬の一日が始まらない。大野市付近の地図をみても『冬期通行止』の文字がいっぱい。とにかく、メーター級の雪が降るとのこと。

 これでは雪の降らない地域とくらべると、大きなハンディを背負ってしまっていることになる。ぼくがもし大野で一冬暮らせ、と言われたらきっと困ってしまうにちがいない。仕事もままならず、どうしてよいかわからない。にもかかわらず、雪国の人たちはなぜ負けてしまわないのだろう。

 これにはいくつか答えがあるのかもしれない。雪解けのおかげで、一年中豊富な水がある。・・・の他にというと、何かあるだろうか。答えは簡単だ。大雪の降った翌朝、ぼくたちは窓越しに明るく白い雪明りを見るとき、雪で困ると思う前に、わーいと心中で叫んでいる。

 純白の銀世界、それは厳粛ですばらしい。それが答えだと思う。

276 橋本力男さん
02/12/09


 三重県の土作りの研究家、橋本力男さんをたずねた。約6年前、音羽町で生ごみのたい肥化を始めようとしていたころ、その指南をもとめ白山町をたずねて以来のこと。

 当時、生ごみのたい肥化はまだ、あまり一般的に行われてはいなかった。だからぼくたち『生ごみ生かそう会』は、橋本さんの所にあった試作のコンポスターをコピーし(13万円かかった)、近所の住民に生ごみの投入をお願いしてまわった。備え付けのハカリで各自生ごみの重さをはかり、それをノートに記入し、コンポスターに投入してもらう。約3〜4ヶ月の間に投入された600Kgの生ごみは、コンポスターから取り出し、再発酵させ、切り返しをし、熟成させる。コンポスターへの最初の生ごみ投入から最低6ヶ月で、良質な生ごみたい肥ができることもわかった。

 回を重ねるごとによいたい肥作りができるようになり、今ではそれも日常的な仕事のひとつとなっている。できあがった生ごみたい肥は、実際に野菜づくりや、生ごみたい肥の展示会のときに、見本として配布したりしている。好評。

 3年ほど前から、橋本さんはさらにお金のかからない生ごみのたい肥化の方法を考え出した。透明な樹脂製の衣装ケースを使っての、家庭用の生ごみ処理機。通気口の穴を開けたケースに、もみ殻、米ぬか、落葉、土などを定量混ぜ合わせたものを床材として入れ、それに生ごみを投入してゆく。これはケースが透明なので、日光を受けると中の温度が急上昇し、生ごみの発酵をうながす。この方法での生ごみのたい肥化は、お金もかからず、手軽でしかも上質なたい肥を作ることができる。これは三重県のあちこちでけっこうな評判で、今度桑名市で1000個が試されるとのこと。

 橋本さんのこれら一連の努力がみのり、今年初めから、三重県の『コンポストマイスター養成講座』の発足にまでこぎつけている。社会での生ごみや畜ふんなどの有機廃棄物のたい肥化を進めるには、まずその技術者を養成するのが先決、というのがこの養成講座の意味。農業県である三重県が、地域循環型農業への移行が必要であるとし、一歩踏み出したことはすばらしいと思う。そのために、橋本力男さんのたい肥製造技術が認められたことも。

 ここ音羽町での進展はいまいちだけれど、地道に続けて行くことこそ意味のあることと、ぼくたちもがんばろうと思う。


277 しめ縄市
02/12/18


 ぼくの生まれ故郷、岡崎では毎年歳末になると恒例の『しめ縄市』が市の中心地で行われたもの。父の在所は矢作川のほとりの農家で、稲刈り、脱穀、籾すりがすんでひと段落ついたころから、年末の市のためにしめ縄作りにはげんだもの。だから秋の深まるころに父に連れられ彼の在所を訪れると、そのための作業部屋ではおじいさんや叔父がほとんど徹夜状態で、しめ縄作りにはげんでいるのだった。

 30日の晦日の前日となるといよいよしめ縄市ということになる。岡崎では『康生通り』という商店街の歩道沿いでこの市が開かれた。戸板の陳列台は白布で覆い清められ、紅白の鯨幕で囲い、竹の枠や杭棒でテントを張り、ムシロを敷き、座布団と火鉢が持ち込まれ、裸電球がセットされると、いよいよ『しめ縄市』の露店が準備完了となる。なかにはコタツまで持ち込んでいる者までいたりして。そのような露店が沿道に連なる様はなかなかのもので、次々に支度の出来上がってゆく露店を横目でながめる往来の人々の心もおのずと師走気分たけなわということになるのだった。

 なにしろ岡崎中の人々がここ康生通りの『しめ縄市』を目当てに寄るものだから、そのごった返しの様はすさまじかった。つまり『年末』 = 『しめ縄市』=『康生通り』という図式になっているからなのだろう。

 ぼくも父に連れられ、在所の営む露店へよく行った。山に積み上げたしめ縄の向こうには往来の客の波、露天の中はその喧騒とは裏腹になんともくつろいだ雰囲気で、火鉢の炭火で餅やするめをあぶったり、みかんをむいたり。師走の空っ風が吹きぬける中、隙間風だらけで寒々としていたはずなのに、なぜかすごくあったかかった。

 大晦日の夕刻ともなれば、売り残してなるものか、買い逃してはなるものかで、二つでいくら、三つでいくらという売り手と買い手の駆け引きの声。子供心に、年の瀬なのだ、除夜の鐘、初詣の甘酒、ああもうすぐ楽しいお正月と大きく胸をふくらませたもの。これはすごくはっきりとわかるのだけれど、かつてのぼくらには貧しさこそ切実だったかもしれないけれど、こんな四季折々の決まり事の数々が、なんともせつなくてたのしくて、そして待ち遠しかったことだろう。今の時代、そんな心はどこに行ったのだろうとさみしさこそ感じてしまう。

278 一神教と多神教
02/12/27


 梅原武という哲学者が米国とイスラム圏との関係について、まことに明快な発言をしてる。彼は世界にある一神教と多神教という観点から、2001年に起きた同時多発テロとそれに対する米国の報復について分析している。

 キリスト教とは、ユダヤ教から発展した一神教でひろく西欧、米国に広まる。一方、イスラム教は7世紀にモハメッドが創始。多くの戒律を守ることが大前提とされる。イスラム教はアラーを唯一の神とし、ユダヤ教やキリスト教をさらに過激に踏襲したかたちで、いわば申し子として生まれた宗教といえる。

 米国とイスラム圏との対立は、キリスト教とイスラム教とのものというのとはちがう面がある。つまり、イスラム原理主義の矛先は、欧州ではなくて米国に向けられている。梅原武はこの点について「ブッシュ大統領の解釈する米国とは、キリスト教としてのものではなくて巨大な資本主義立国としての、世界で唯一の存在という意味での一神教をイメージしている」と言う。さらに解釈すれば、富める米国と貧窮するイスラム圏との一神教をめぐる対立、という様相となっているということができ、いずれも過激といえる。このふたつの対立には、経済と宗教とが複雑に絡み合っているところが事態をさらに厄介なものにしている。

 本来、太陽や大地、海などにはそれぞれ神が宿っているという自然発生的な意味で、太古には宗教は多神教であったといえる。現代においても、仏教やヒンズー教などは多神教であり、その教義について過激ではない。

 いうなれば、一神教とはその意味をたとえれば『正義』と置き換わってしまったりもする。日本においても、太平洋戦争では『天皇』の存在がそのように用いられ、悲劇へとつながった。それに対し、多神教ではその意義は『寛容』につながる。あのガンジーは『非暴力』というあまりに寛容で『過激』な思想ゆえに暗殺されたけれど、それによりインドは自治を得た。人を許そうと努力する思想と、正義は相手を打ち砕いてでも勝ち取るそれとでは、結果として非常に大きなちがいがでてしまう。この日本をごらんなさい。何でも許してしまう。この宗教観をして、なにか世界に対して大きな貢献ができるのかもしれない。米国の行く末も見えてきた観もあり、そろそろ、多神教の出番なのでは。

 それにしても、何でも許しちゃう、というのはちょっと問題あり。

279 里の便り
02/12/30


 里の便りが宅急便でとどいた。ひとつは『そば粉』。ぼくの中学の時の友人で宮崎県の在、とってもいい奴。もうひとつは『野菜セット』。ぼくのたい肥作りの先生で三重県の在、すばらしい方。

 「そば粉は蕎麦掻にしてたべなさい」と言われ、かんたんにお湯でそば粉をこねて醤油をつけて食べてみる。なんとなく粉っぽい。母親に聞いてみると「昔よく食べたが、こんなものだ」とのこと。念のため調べてみると、加熱しながらでんぷんが透明な感じになってじゅうぶん粘りがでるまで、すりこぎ状のもので混ぜるとあった。ちょっと間違ってしまったよう。もう一度試してみるとそばの香りが口の中でひろがり、ほのぼのとしあわせな心もちになった。

 箱を開けると、よくありそうな野菜セットが入っている。白ねぎ、大根、人参、菜花の菜、ごぼう、水菜。そういえば、仲間で野菜の宅配もしてらしたっけ。ぼくの奥方が夕食にすき焼き風のおかずを作ってくれ、その中にみつけたネギは甘く、つるっカリッとしてうまい!。ぶりの粗と煮た大根は魚の旨みをしっかり含んみ、とろりとして、甘みと香りが口いっぱいにひろがった。

 送っていただいた『そば粉』と『野菜セット』、そのうまさのひけつを化学的に分析すれば・・。たい肥を施し、土作りをしっかりとし、N、P、Kほか適正な微量要素を含んだほ場で、適当な日照と降雨かん水の結果できた農産物であるから健康で甘みのある収穫物が得られた。と判断すれば、なるほどそれはおいしくて当たり前なのだといえるかもしれない。しかしながら、それでは判断しきれない『うまさ』がふたつの『里の便り』にはある。

 月並みないいかたをすれば、つくった人の心を忘れてはいけません、ともいえる。これはこのおいしさの非常に重要な要素なのは当然。にもかかわらず、それを足してもまだ足らないうまさがある。このおいしさの要素としては、それこそいろいろな特殊な条件が考えられるのかも。作り手の個性、たい肥の質、ボカシ、追肥。株の間隔、土質の微妙な違い。農法。土着菌・・。

 バイオテクノロジーがここまで進み、イネの遺伝子情報が解読されるほどの生命科学の発達が叫ばれる世の中で、このふたつの『里の便り』のうまさを説明できるだろうか。たぶんそれをしようとすればするほど新たな疑問が湧き出しさらに深まるというのが落ち。科学とはそれほどのものでしかなく、その力で明文化されているのは、広大な砂漠の砂を手にすくうほどのものでしかない。科学の当事者はそれを深く認識しない限りは、この『里の便り』の疑問は永遠に解明されることはないだろう。

280 世界の小沢
03/01/08


 ボストン交響楽団の音楽監督を25年務めた世界の小沢征爾の素顔を写そうという、NHKの番組を見て感激をしてしまった。世界の小沢は今年、オーストリアのウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。音楽監督というのは指揮者以上に役割が重い。ある交響楽団があるとすると、その楽団があらゆる指揮者にも対応する技術的、あるいは楽曲に対する音楽的な解釈などをも十分に理解させ、レベルの高い演奏ができるように育てるという重責を担っている。

 その番組では、小沢征爾の公的というよりはどちらかというと、私的な部分での音楽活動について記録していた。彼は日本を訪れては各地でミニコンサートを行い、子供たちやクラッシック音楽に縁遠い人たちにも身近に音楽を体験させながら、一緒に音楽を楽しむといった活動もしている。その中でこんな場面があった。あるスキー場近く(彼はスキーが好き)の中学で、初めてコンサートをした時の話を彼がしていた。そのコンサートのお返しに、生徒が合唱をしたのだけれど、その中で嫌々歌っている生徒がいたことを思い出しながら、それでも小沢のために歌ってくれたことに彼は涙を流してしまっていたのだった。その中学校では毎年といっていいほど、ミニコンサートを開いているのだそうだが、そこでの一番の楽しみはといえば、生徒たちの合唱なのだそうだ。また、こんなことも彼はいっていた。素人の奏でる音楽にも、それを演奏する本人たちがほんとうに楽しんで、その音楽を理解しながら奏でる音楽も好きだと。それが、未熟であっても感激する、と。

 とかくプロというものは、技巧的な方向に偏ってしまったり、理論的な部分で音楽を理解したりしてしまう危険性がある。音楽を演奏する立場として、いちばん忘れてはいけないことは、その奏でようとしている音楽がだれに、どのような感情のもとに作曲され、何を伝えようとしているのかということ。さらに、その音楽を演奏し、観客がそれを聴くとき、その場で共有することのできる感動のすばらしさが重要なのだ。小沢征爾はそんなことを言っていた。

 ぼくはそんな彼の姿にすっかりと感激してしまい、それこそ感涙してしまったのだった。彼が『世界の小沢』と呼ばれている理由がよく分かったし、あらためて音楽というものを、考え直さなくてはと思ったのだった。