291 グローバリゼーション
03/04/01

 最近、グローバリゼーションという言葉をよく聞く。この単語の意味を辞書で引いてみると、『国際化』ということになる。この言葉が使われだしたのは83年ごろだそうで、米国の洗剤会社が同じ商品をちがう呼び名で日本で売り出したものが良く売れた、というのがきっかけであったらしい。

 とはいえ、現在つかわれている意味合いとはすこし違うような気がする。その後、この言葉が経済の国際化、さらには経済至上主義、そしてさらには覇権主義へ。

 聞こえのいい表現をすれば、経済の国際化ということ。だとすると、日本人が表面的な解釈をすればなにか『よろしいこと』というような意味合いを感じてしまうのではないか。だいたい『国際化』などといえば、保守的に閉鎖された考え方が開放的なものとなって、他を受け入れることのできる寛容な精神への明るい兆し、のように錯覚してしまう。つまりは、経済を最優先する国にとっては、いいことづくめの言葉なのではないかしらん。

 それに対して、途上国にとってはこの『グローバリゼーション』という言葉は、非常に忌まわしい意味合いのものでしかない。遺伝子組み換え作物や農薬などを商売の種にする多国籍企業の市場独占を目的とした、一方的なビジネスなどは、まさにこのグローバリゼーションという言葉が当てはまる。なぜならば、経済至上主義にとって、開発国に売りつけることのできるものといえば、まずは基本的な食、つまり『農』ということになるから。

 日本人にとって一見『国際化』を連想させるこの言葉が、開発国にとってはまったく逆を連想させてしまう。しかしながら、このグローバリゼーションなる言葉は、もっとわかりやすい言葉でいえば『アメリカ化』という言葉に他ならない。ここではっきりさせておきたいのだけれど、この『グローバル化』がいちばん完璧におこなわれた国といえば、それは他ならないこの日本なのだといういこと。

 こんな『グローバなんとか』などというふざけた言葉を、さもほかの開発国で起きている問題と片付けている殿方がいるとしたら、よほどの低脳としかいいようがない。今の日本を冷静にながめてみればすぐにわかることだ。まずは、その食生活。米飯食が洋食に取って代わられ、町のあちこちにマックだケンタッキーだが立ち並び、それにかぶりつく。訳のわからないカタカナ語を、自分の手足のように自由に使いまくる。アプリケーションだ、ソフトだ、バイテクだなんだかんだ。もういい加減にしてほしい。

 これだけ日本がグローバリゼーションの餌食になっているのだ、という意識をはっきりと認識せずして、何が世界大国といえるだろう。日本などそれこそ『カモ』でしかない。はい、カモというのは人間ではないのです。獲って食われるただの肉なのです。

 大体、ブッシュの言葉を、右に同じ、などといっているようでは、日本もグローバなんとかの手先としか存在意義がないのかもしれませんよ。

292 オルタナティヴ
03/04/07


 オルタナティヴという言葉も最近よく聞く。これは『選択肢がある中で、今選んでいるものと別のもの』というような意味として使われる。この場合、『今選んでいるもの』とはニュアンスとして『主流』を差す。

 ぼくの知るところでは、このオルタナティヴという語は80年代の英国のロックでも使われた。当時、全盛であったパンクロックが下火となり方向を失いかけていたころ、オルタナティヴ・ロックは頭角を現した。当時はほかにニューウェイヴなどとも呼ばれ、ロックというか若者の芸術としての大衆音楽の可能性を求めたとき、その音楽がオルタナティヴと呼ばれたと思う(90年代にもこの言葉がへヴィーなロックに使われたが、こちらのほうは米国が中心であったし、かなり商業目的なものでもあった)。

 80年代のオルタナティヴはとても新鮮であったし、衝撃もあった。音の大きさというか、重さについて衝撃があったというのでなくて、むしろ常に前進的な音楽としてロックを位置づけるとすると、自由な表現が要求される。当時こんなのもあった。一枚のLPレコードがすべて紙を摩擦する音だけというものがあったり、聴いているとかえって欲求不満に陥り悶々としてしまうものなど。もともとロックとは既成の音楽を打破し、新しい表現でインパクトを与える音楽といえる。だから、どんなことをしてもそれが斬新で、個性的な音で表現されるものならばそれでよしとする。

 80年代前半、あれだけすばらしかったオルタナティヴの運動も、あるものは主流となり、あるものは自主レーベルのレコード会社の倒産、または例により解散ということがあったりで、消滅していってしまう。今もそれらは新鮮なのだけれど、その多くは二度と再発売されることもなしに忘れられてゆく。

 最近、経済の国際化(グローバル化)というか、商業主義一辺倒にたいしても、オルタナティヴという言葉が最近は使われている。大量生産に対しては質で勝負の少量生産、慣行農法に対しては有機農法、GMに対しては非GM。という具合に、現在主流となってしまっている『人の健康、自然環境に負荷のかかる経済』に対して、そうではない、なかば人類が取らざるを得ない、むしろ『二者択一』の緊迫した意味での方向・・・というような意味でのオルタナティヴを指し示していると解釈するのがいいのではないかと思う。

 ぼくの解釈が少し足らなかったのかもしれないけれど、このオルタナティヴという言葉には、かなり差し迫った状況というニュアンスも含まれていることを忘れてはいけないのだろう。

 世界というか文化というものは、常に主流と反主流とのせめぎあいの中で均衡というか継承というか、改新されてゆくのかもしれない。一見無意志というか思いつきの集大成の結果、世界が動いているかのように見えるのだけれど。この緊張感を自覚してのオルタナティヴな方向に進もうとする、反主流というか『少数派』の涙ぐましい行動のパワーが大きな影響力をもっていることを忘れてはいけない。

293 農家資格 U
03/04/08


 二月の終わりころ、枯草に火をつけて危うく燃え広がりそうに・・という一件もあったのだけれど、その後。もう二度とヘマはしまいと自らに命じつつ、3月に入ってしばらくして畑の枯草は首尾よく燃やすことができたのだった。

 なんとか枯草の処理は終わったものの、畑をきちんと起こさなくてはいけない。残念ながら道長にはまだ農業機械というものがない。鈴木慶市さんがとりあえず全体をトラクターで耕してくださり、りっぱな畑ができあがった。道長にある機具といえば、草刈機くらいのもの。「管理機くらいはないといけないよ。道長さん」と慶市さん。

 新品は高いから中古を探しに農機具店をいっしょにまわっていただいたのだけれど、適当なものがない。仕方がないというので、なんと慶市さんは、使っていない3台の管理機をバラして1台の極上中古管理機を完成してくださったのだった。3万5千円で分けていただいたその管理機はなかなか頼もしく、けっこう用途が広い。

 管理機というのは、耕運機を少し小型にしたようなもので、畑での基本的な作業をこなすにはとても重宝な機械。前進で畝立て、後進(ハンドルをぐるっと180度回転して入れ替える)で耕すことができる。ロータリー(耕すための回転する刃)の幅の広いのと付け替えれば耕す幅も広がり、畑全体を耕す作業にうってつけ。時々しなくてはいけない畝間(うねま)の中耕作業(耕作の期間中、畝間を浅く耕すこと。こうすると除草もできるし、作物の根に空気の流通を促すことができる)も幅の狭いロータリーをつければうまくできる。

 4/1、大根の種まきもしたことだし、ひとまず安心といったところ。といっているとさにあらず、まだ手付かずの農地があと3反弱ある。米作りをそちらの一部でやろうと思っていたので、早く田起しをしないといけない。と、借地の図面をもって現地に行ってみる。その光景をみて、ぼくの口はあいたままふさがらず、途方に暮れてしまうのであった。たぶんこの田んぼの地主はもう10年以上も放っておいたのかもしれない。雑草が生い茂っては枯れる、を繰り返したおかげで田の地面は隆起してしまい、隣の田んぼとの畦さえ、はたまた境界さえわからない状態になってしまっているではないかいな。傾斜地にある田んぼなので段差があり、自分の田でも一枚になっていないのでこんな風になってしまっているのだろうけれど、はっきりいって手におえそうもない。おまけに田んぼの真ん中に、すでに15cmくらいの太さに育った立木が3本も!!。これらの田んぼ、復旧するのに相当な労力と時間がかかることまちがいなし。今年は米作りは無理なのかも・・、うーん。おまけにここの田んぼ、何年か前、訴えられてそのままほったらかしになっている悪名高き産廃業者のごみの山のすぐ近く。確かあのとき水路の泥からダイオキシンも出たんだった。

 気軽に貸してあげる、という田畑だから仕方ないのかもしれないけれど、これにはほとほと参ってしまう。どうしたらいいのかしら、と考えているうちに時間も過ぎてゆくのだった。
 つづく

294 竹 の 花
03/04/15


 道長の作業所の裏は淡竹(はちく)の竹やぶになっているのだけれど、そのやぶに異変が起きた。その異変は2、3年前だったかにもあったのだけれど、なんと竹の花がさいた(厳密に言えばまだつぼみなのだけれど)。

 竹の花というのはめったに咲くものではなくて、孟宗竹で70年、真竹で120年くらいだろうといわれているそうだ。そして竹の花が美しいものとはちょっとほど遠い感じもあるからか、その開花は不吉なことの予兆のように言われたりもするらしい。

 たとえば、竹の花が咲いた後のたくさんの実というか種が地面に落ち、それをネズミが食べ、その大繁殖を招き、そのおかげで作物が食い荒らされ、凶作となる。とか、天変地異・・というような一大事が起こるとか。とにかくめでたい花ではないらしい。

 竹というのは、イネ科タケ類の多年草だそうで、そういわれてみればイネの茎は空洞になっているし、節もある。花といえばそれらしい感じのものでなはく、ちょうど笹の枝状のものが垂れ下がってさらにカールして跳ね上がり、そこからさらに小さな枝のようなものが上を向いて出ているという・・・。その一本づつに花が咲くことになるらしい。

 花をつけようとしている竹の幹というか枝、葉は、どことなく生気がなく、さびしい感じもしてしまうのは気のせいだろうか。お互いが地下茎でつながっているため、一般的にはそれらの竹が花をつけることになる場合が多いとのことだけれど、実を付け、種を落とした後はいっせいに枯れてしまうらしい。ただ、ひとつの竹やぶのすべてが同じ『家族』というわけでもないらしく、すべてが枯死してしまうわけでもない。

 とにかく、花が咲いてしばらくして後には、立ち枯れた竹が累々として、無残な姿となってしまう。そして今回またも花が・・・。

 竹が花をつける様は、不吉な感じもしてしまうのだけれど、もっとも何十年という、竹にとっての『一年』が終わり、実を付け一生を終えるというだけのこと。その後には新たに新生の若竹が幾本もということになるわけで、めでたい出来事ともいえる。

 竹の花の咲く周期(開花周期)についてはおおよそわかってはいるようだけれど、その周期の長さゆえに、同一の人物による研究、分析がむつかしい。100年前後も昔の記録を、正確に保存しておくことの難しさが、竹についてのなぞ、神秘性を深めてしまう理由にもなっているのかもしれない。

 あろう事か、タケの花の一件と時を同じくして、事実、身近な人に不幸な出来事も起きてしまったのだった。その始末についてここで書くことはできないけれど、まさにそれは予兆が当たってしまったとしか言いようがなかったのだった。なんとも心重く、竹の花の意味を考えてしまう。

295 農家資格 V
03/04/23


 この間種まきをした大根はもう芽を出して元気に育っている。大根が育つのと同時に、当然のことだけれど雑草も生えてくる。種をまかなければ芽を出さない大根なのに、いったいこの雑草というのはどういう仕組みになっているのか、何もしていないのに間違いなく芽を出す。まったくたくましいというか、憎憎しいことこの上ないといったところ。

 1反ほどの畑一面に大根を植えるのは、夏に向かっては手に負えないということで、今回、半分以上はなにも植えずに遊ばせている。だからといって雑草だらけにしておくわけにはゆかないので、せめて草かきだけでもしておこうというわけ。道長の新鋭『管理機』で雑草退治。鋤の刃が回転するロータリーを、畑の表面だけ引っかくようにすることで、生えたての草を退治する。定期的にこれをしないと、畑は雑草の天国となって、百姓の地獄となる。

 管理機の活躍のおかげで、みごと畑は雑草を退治することができた。・・っと思っていると、さにあらず。道路との土手、隣の畑との境に『新緑の雑草』がすくすくと。今度は草を刈らないといけない。

 さっそく菜種梅雨の合間をぬって本日、草刈。エンジン式の草刈機というのはまったくすばらしい威力の持ち主で、にっくき雑草をばったばったとなぎ倒すことができ、これはけっこう気持ちのいい作業。・・っと思っていると、軽快に回転していた草刈機の刃が突然『ガッ』っと止まる。何事かしらん、と見ると古いヒモだ、ロープだ、草よけに使ったカーペットの切れ端がしっかりと絡み付いている。「またか!」。この絡みをなおすときには、まずエンジンをとめること。回転刃にはいつもテンションがかかっているので、絡みを直したとたんに回りだしてとても危険。なにしろ荒れ放題だった畑だったものだから、訳のわからないものが脇の草むらにたくさん散乱している。困ったもの。おまけに隣の畑の脇にはだれ仕業なのか、ナンバープレートをはずした廃車まで放置してある始末。

 なにはともあれ、機械という便利なものを使うことができて、ほんとうに今の百姓仕事は昔と比べると気楽といえるかもしれない。大型のコンバインやトラクターなどには、キャビンまであり、エアコンだ、カーステレオだ、まで装備している。夏の炎天の下でも一日涼しい室内でBGMなど聴きながら、仕事もできてしまう。ラジコンのヘリまで繰り出して、農薬の散布も。コンピュータ組み込みの無人トラクターまであるそうだ。

  機械化を進めて省力化すをし、広い耕地を相手にすれば、農業の商業化も進むのかもしれない。それも日本の農業を維持してゆく一つの道なのかもしれない。でも依然として、山間地での農業の抱える問題は、それで解決するわけではない。商業生産の進む近郊型農業、あいかわらず限られた農機具で行われる小規模な山間型農業。二つのあいだの隔たりは今後ますます広がることにもなるのかもしれない。

 それにもかかわらず、動かしがたい事実がある。『農』の堅気を持ち、その気質をいかんなく発揮できる農家であるなら、食の安全と自然環境の維持改善といういわば、地球規模の健康を守る最先端の仕事ということにほかならない。

296 釣に行く
03/04/29


 ほんとうに久しぶりに釣りに行った。今年1月、母親の手術やらなにやらというすっかりごたごたした日々のおかげで、昨年大晦日のころの竿納め以来、まったくの無趣味の4ヶ月をすごしていたのだった。

 もともと釣りというのは、わずらわしい日常やしがらみから逃げ出して浸り込む、自分だけのひととき。はっきりいって、いそがしい時やストレスの蓄積のはげしいときにこそ、釣りというのは意味があろうというもの。なのにしばしば世の中の釣り師という連中にとって、釣りというのは全知全能をかけた、趣味・余暇を通り過ぎたというか本望というか、死んでもいいというような、ばかげたような懲り方であったりもする。こうなってしまうと、釣りが現実からの逃避とかストレスの発散というような生易しいものではなくなってしまうことさえ。

 多くの『チヌ釣り師』は、釣りのおかげでストレスが溜まり、日常でも同様のものが溜まるという悪循環をむしろ原動力の源とするかのように、釣り場に通ったりもするもの。それとも、最後に釣ったあの一匹の、あの感触に再会することのみの一念が彼をして釣り場へといざなうのかも知れない。

 だから彼らは顔見知り同士では、すこぶる強固な結束を示す。まず釣った釣れないの情報交換。日常の世間話などどうでも良く、ひたすら日頃磨いた釣りの技術というか、あるいはいかにも自分が見てきたかのごとき海底の起伏や障害物の様子を語り、またその深さ、さらには獲物はいつ、どんな時合いでお出ましするのかなどの講釈を余すところなく披露したりする。この場合『語り部』はいつも、相手よりよく釣ってる人。

 話が横道にそれてしまったのだけれど、まあぼくの場合はそういう危うい段階をすでに克服してしまっているので、そういうことはないのだけれど。でもたまには・・とあこがれの海へと『メバルの仕掛け』とともに向かうのだった。 その道すがら、豊川の放水路(昔豊川は暴れ川だったのでこのようなバイパスがつくられた)を渡ろうとして走っていると、なんと新しくたいそう立派な橋が忽然と新造されているではないか。まったく、こんなことも知らずにいたとは、とんだ世間知らずだったものだ、なぞと納得もしながら鼻歌交じり。

 まもなく、目的の釣り場の入り口に到着。ここから先は車乗り入れ禁止。釣り場までは1.5Kmほどの道のり。用意周到、自転車まで持参していたのでした。

 菜種梅雨の雨模様の雲の切れ間。時々思い出すように雨がぱらぱら。夕刻の『夕まずめ』。黄昏、宵闇、電気ウキ。不思議なほど気持ちが平坦になってゆくのがわかる。獲物のメバルもそこそこといったところ。こんなにすばらしいひと時がぼくの人生にあって、今ぼくはそこに居合わせている。ほんとに久しぶりに、時のたつのも忘れ、ひとときの自然のながれに身を任すことができたのだった。

297 ア メ リ
03/05/07


 フランス映画の『アメリ』というのを観た(ビデオで)。02年の1月に公開されたもので、監督はジャン・ピエール・ジュネという人で、ほかに『デリカテッセン』『ロストチルドレン』があり、『エイリアン4』なんかも。

 アメリというのは父親に大切に育てられたおかげで、おとなになっても少女の部分を引きずったお茶目な女性。というのも、低学年のころ父親に抱っこされたいという潜在意識のため、彼を目の前にすると胸がどきどき。それを心臓の病と勝手に勘違いされ、自宅でひとり小学校教育を母親から受ける羽目に。そのころ、母親は事故死してしまう。

 少女時代を友達とはしゃぎまわることなく過ごしてしまったからか、アメリは成人してウェイトレスの仕事をしていても、いたずら心ばかりが日常生活に反映されてしまうという始末。だからモンマルトルの駅で出会った一目ぼれで恋をした男性にも、いたずらの数々で翻弄させてしまう。たとえば、彼を姿を隠したなぞの女役で振り回してみたり。かと思えば、同じアパートの住人の夫人には、むかし外国で死んだはずの夫からの何十年ぶりの未配達の手紙を模造し送ったり(でも婦人はおかげでとても幸福なのでした)。または、アメリのつとめているお店のとんまな男客と、たまらなく奥手(おくて)な女店員を結びつけるいたずらなキューピット役をしてみたり。

 しかしながらおとなへと成長しきれない、そんな彼女を心配してくれる老人画家もいてくれたりする。彼女自身も、『少女』を引きずってしまっていることで彼との直接の対面ができず、悲しくなってしまっているのだった。そんな彼女に、老人は「今、このときを逃すと、君は一生悩まなくてはいけなくなる。何とかして彼に告白をしなさい」とかなんとかいって聞かせる。

 日本で言えば『向こう三軒両隣』とでもいうのか、狭いアパート暮らしをする個性豊かな人たちが、近所同士、せいいっぱいのお付き合いをしている。みんながお互いのことを思っていて、窓からビデオカメラや双眼鏡で覗きっ子しながらも心配している。登場のみんながお互いの幸せを祈って暮らしている様が、なんともほほえましくて暖かい。

 結局アメリは彼『ニノ』を獲得することができるのだけれど、そのあらすじすべてにこれまたジュネ監督のいたずら心がちりばめられていて、観ているほうは心がキューっとなって楽しくなってしまう。そういったアメリの心が、身の回りの人たちに温かく向けられているのと同様に、ジュネ監督のいたずら心いっぱいの温かさが、それを観る観客にも向けられているのだなとうれしくもなってしまう。

 観客は映画に何を求めているのだろう。スカッとするアクション。スペクタクル。目くるめく官能。大悲恋。ハッピーエンドなどなど。それらが観客に与えるのは『感動』に他ならない。飽き飽きというか、これでも食らえというような暴力的な米国映画もあるのだけれど、終始が美しい画面でつづられ、心温まり、生きるための『勇気』までも与えてくれるような『アメリ』という映画。よかったです。

オドレイ・トトゥ/マチュー・カソヴィッツ/ヨランド・モロー/ジャメル・ドゥブーズ/イザベル・ナンティ/ドミニク・ピノンほか
製作:クローディー・オサール/監督:ジャン=ピエール・ジュネ/脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、ギョーム・ロ-ラン/撮影:ブリュノ・デルボネル


298 家庭教師
03/05/13


 むかし、柄にも似合わず家庭教師をしたことがある。学生だったぼくは学問にいそしむものとして、アルバイトに明け暮れるわけにも行かないので、週に曜日を決めて夕方か夜、家庭を訪問して子供に勉強を教えていたのだった。

 小・中学生の子供に家庭教師をたのむというのは、多くはその子の学校の勉強がかなり遅れてしまっているというケースが多いもの。高校生で家庭教師をという場合は、大学受験などの目的がはっきりしているため、本人にはっきりした意識もあり、教える側としてもやりやすい。しかしながら、この中で小学生の子供というのには、少々、苦しいところがあるというもの。これでも10人以上の子の家庭教師をしたという経験者なのだけれど、小学生は苦手。

 ある子供の場合は(小学3年生くらい)学校の勉強などまったく興味がない。母親はアルバイトにでも行っているのか、ぼくの訪問する時刻にはその子しか家にいない。はなから勉強なぞする気もないものだから、教科書を開けてもまったく進展の余地もない。とうとう本人、自分で作ったインスタントラーメンを訪問したぼくの目の前で「うまい、うまい」といいながら、ぼくにもすすめる始末。仕方なく、いろんなことをして時間をつぶすという日々が繰り返されるのだった。そのうち、こんなことをしていても何にも意味がないということで、こちらの気持ちもいらいらしはじめてくるというもの。何をやってもだめなら、いっそ本人のやりたいことをさせたらどうかと思い立ち、トランジスタラジオの組み立てキットでも買ってきて与えてみたのだった。

 本人にとって、この電子工作というのが初の体験だったからか、はたまた潜在的な能力を発掘してしまったのだろうか、当の本人、痛くこれが気に入ってしまったのだった。今まで見せたこともない、本領の発揮というかなんというかかんというか、とにかく彼は夢中でこの電子キットに没頭するのだった。小学3年には難しいかもしれない、組み立て説明書も読破。とうとう彼は半田ごて片手にトランジスタラジオを完成してしまったのだった。彼の勉強を見てやるようになってはじめて、ぼくにも充実感のようなものが生まれたというもの。「これをきっかけに、勉強の仕方なんぞ、少しづつ教え込んでやろう」と順風満帆。

 しかしながら、そのあとがいけなかった。その子の親はこの日に至るまでの、家庭教師君のありようをすべて子供から聞きだしていたのか、とにかく、「勉強を教えてくれと頼んだ覚えはあるが、遊んでくれとたのんだ覚えはない」とかなんとか宣(のたま)うのであった。若気の至り。頭にきたぼくはその場でどういった御託を並べたのかどうかおぼえていないのだけれど、かくなる親ばかにあきれ果てたぼくは、ああだこうだと思うがままを述べた後、その日限りでその子の家庭教師を辞めてしまったのだった。

 ある意味で、あそこでさらなるおもいやりというか、相手を説得するだけの心の広さでもあれば、その先にもう少しおもしろい子供の成長も見られたのかもしれず、残念。今、あの子はどうしているのだろう。

299 冷蔵会社


 学生のころ、夏休みなどの長い休みの間には、きまってアルバイトをしたもの。当時、手を汚さずにするような仕事はめったにはなく、工場での誰でもできる仕事とか工事現場などがおもなものだったようだ。

 ぼくなぞも友達の手づるで、夏には格好の冷蔵会社でのアルバイトを獲得。そこでのおもな仕事はふたつあり、ひとつは冷凍庫の中の清掃、整理。もうひとつは氷つくり。一見涼しくて『避暑』がてらありがたいと思ってしまうのだけれど、さにあらず。冷凍庫(旧式なのでせいぜいマイナス20℃くらい)に2時間入っては出る、そして今度は氷づくり。さらにはクーラーなしの事務所で休憩、昼ごはん。そんなことを繰り返していると、1週間くらいのうちに必ず体調をくずしてしまうことになるのだった(ちょうど夏バテのひどい状態)。それでも、その仕事の、とくに氷つくりの奥の深さにとり憑かれてしまうことになり、夏休みの終わりには次の冬休みのアルバイトを約束してしまうのだった。

 カキ氷や勝ち割りに使う氷は高さが1mくらいで、透明感があり、とてもきれい。これを作るにはけっこう手の込み入った職人技の仕事が必要となる。長尺のブリキ製の缶に水を入れ、冷凍機でマイナス10℃くらいに冷やした塩化カリウムの飽和溶液の流れるプール(5×10mくらい)に差し込んで氷らせるというしくみ。また、ただ氷らせては泡だらけで汚いものができてしまうため、さらなる工夫が凝らされている。プールに漬け込まれた氷缶の一本づつに勢いよく泡のでるノズルを差込み、氷が周りから少しづつしか氷ってゆかないようにする。

 丸2昼夜経つと、氷缶の中は中心に汚れた水を残して透明な氷が出来上がっていることになる。ここで中心の水を抜き取り、洗い、再度きれいな水を注入しておけば、翌日美しい氷の完成という寸法。こうして作った氷は、水道水とは似ても似つかないおいしいもので、そこいらの製氷機で作ったものとは比べ物にならない。

 ここでまだひとつ、技術のいる仕事が残っている。真水の水槽に漬け込んで少し解かしてから氷缶から氷を抜き出すという作業。けれど、ここであわててはいけない。塩化カリウム槽から抜き出し(ウインチで)てすぐに水に漬けると、氷缶の中の氷はまだ冷たすぎてバリバリに割れてしまう。しばらく室温で慣らしてからの微妙なタイミングが必要というわけ。

 さらに、出来上がった氷柱の重さは36貫(135Kg)もある。それをきちんと立て起こして、傷がつかないように床を滑らせて移動、保管するには気を使わないとかんたんに割れてしまう。またそれを小分けしてほしいという客には、丸ノコで1貫目づつの切れ目を入れてきちんと切り分けなくてはいけない。もうここまでの仕事ができるようになるには、アルバイトも夏と冬休みのすべてをつぎ込むほどの熱意も必要となるのだった。

 かくして、冷蔵会社での長期アルバイト生は、新米の諸兄からの熱いまなざしを受け、得意満面なのであった。


300 筍掘り
03/05/28


 今年竹の子の水煮を企画したことがあって、ひんぱんに町内の竹やぶに入らせてもらっては、竹の子堀りにいそしんでいるという今日このごろ。シーズン前には、孟宗竹と淡竹の見分けもつかず、竹の子はどうやって掘ったらいいのかすら知らなかったほど。ところで今年は筍は不作らしく、道長の作業所の裏の淡竹の藪もさびしい感じ。

 孟宗竹と淡竹の見分けは2点あって、まず笹の葉の大きさが明らかに違う。孟宗のそれは淡竹と比べて小振りで色も少し淡い感じ。つぎに、淡竹の場合、竹の節と節との間隔が広い。とくに葉の大きさのちがいは一目瞭然といったところ。そのほか、収穫時期でいえば孟宗竹が早く、音羽町あたりでは4月下旬から。淡竹はそれが終わってからで、5月中旬から6月上旬までといったところ。ただし筍の出盛りは地域で多少違いがあるようだ。

 5月も終わりのこの時期には淡竹がさかんな時期となっていて、唐鍬(とうぐわ)と米袋を持って筍堀に行く。唐鍬というのは、普通の鍬よりも先が細く、刃が肉厚になっていて全体に重量感を持たせたもの。丁度『つるはし』の尖った部分を取って、その反対側を少しずんぐりとさせた感じ。これで筍の横の土を除けておいて、唐鍬を振り下ろす。こして地中にある食用にできる部分を傷をつけないように、注意深く掘り出すという感じ。孟宗竹のほうが淡竹よりも根が深いので少し深く掘る必要があり、ちょっとしたコツもいる。よい型の筍を数掘って重くなった袋を、藪の出口まで運び出すのはなかなか重労働だけれど、けっこう楽しい。

 この『けっこう楽しい』というのは、どうやら僕だけではないらしく、ほかにも関係者がいるのでした。それは最近多くの中山間地で問題になっている『いのしし』。竹やぶの中はここにもあそこにも掘り起こした穴があいていて、そのすこぶる精力的というか執着ぶり、猛進ぶりにはおそれいってしまう。夜な夜な現れているのであろう、いのししの家族が5・6頭で、だれにも邪魔されることなく、それこそ我が物顔で筍堀りをしているさまを想像すると、ちょっとぞくっとしてしまう。しばらく時期が過ぎてくるといのしし軍団も旬の味に飽きてくるのか、せっかくこちらで掘りごろの大きさのものを無造作にへし折って放っぽりぱなしにしてあったりする。遊んででもいるつもりなのだろうか。そんな光景を想像するだけでも、その鼻息が聞こえてきそう。

 でもそんなことで感心していてはいけない。どうしてかというと、筍が終わるといのししたちは里に降りてゆくことになるのだから。これから初夏に向けて野菜の採れる時期にもなるのだけれど、そのついでなのか帰りがけの駄賃なのか、せっかく植えてすくすく育ってきている田んぼの稲をむちゃくちゃにしてしまう。聞くところによると、親子でやってきて、運動会よろしくという感じらしい。とくにウリ坊。

 いちどこういった、里山での獣害について調べてみようと思ったほど。現実、全国的に獣害は深刻で、これにはまだ明確にされていない自然環境と中山間地の農業との関わりがあり問題も大きいといわざるを得ない。