071 おいしい梅ぼしの作り方
05/05/25
梅にはいろいろ効用があるといわれていますが、その中でとくにクエン酸の効果を考えてみます。『クエン酸回路』または『TCA回路』などと呼ばれる、生物が健康に生命活動するために必要な代謝をこう呼ぶそうですが、要するに摂取した食べ物をエネルギーに換えるはたらきです。このクエン酸回路にクエン酸などの有機酸(生物によって作り出される酸)が深く係っているといわれていて、これらが欠乏すると清浄なクエン酸回路が循環しなくなり、健康に異常をきたすわけです。代表的な有機酸には、クエン酸、酢酸、乳酸、コハク酸、リンゴ酸など。

梅の主な成分はクエン酸とリンゴ酸で糖分と水分だそうです。梅の核からは青酸が生まれることがあり、未熟な梅を生で食べないほうがよいといわれています。
体の代謝に必要な有機酸を豊富に含み、日本の米食に欠かすことのできない保存食が『梅ぼし』なのです。

梅ぼしの作り方
まず、おいしい梅ぼしをつけるためのポイント。@なるべく完熟した梅を使う(果肉が厚く、かじってみて渋みの少ないもの)。A塩は梅ぼしに使う唯一の調味料だから、特にこだわったものを選ぶ。

手順
青梅の場合は一晩、完熟なら2時間ほど水に浸して『アク抜き』をします
その後で、手でかき混ぜながらよく洗う
水から挙げよく水を切る
清潔な漬物容器を用意
塩は漬ける梅の重さの15%くらいが適当。最後に漬けた梅を塩でおおうのでその分を別にしておく(塩全量の8割ほど)
容器の底に塩を振り
全量の梅の1/5ほどを入れ、その上に塩を振り、梅を手で転がすように(塩粒で表面にキズがつくように)し
先ほどの量の梅を入れ、同じことをくり返す
後になるほど、塩の量をふやしていく
最後に、別にしておいた塩で漬けた梅にふたをする
重石(梅の重さの2倍くらいの)をかける
フタをしっかりとする。できない場合は、虫や異物が入らないように覆いをしておく
翌日か翌々日には、梅酢があがっているのを確かめる(手順どおりにすればまず大丈夫)
そのまま10日以上置き、頃合の赤しそが出回るのを待ちます
赤しその量は、軸つきで梅の半分から同量の重さ
赤しその根は切り捨て、葉をむしり、よく水洗いします
水切りしたしそ葉に塩を振り、しっかり塩もみする
水気とともにアクがでるので、よく絞りすてる
漬け梅の梅酢を少し取り出し、しそに含ませ、さらによくもむ
今度は絞らずに、漬け梅の間に少々はさみ、うえをしそで被う(しそに梅酢がよく染込むように)
10日ほど置いたら梅としそ(梅酢はよく絞って)を取り出し天日干し
梅酢に戻して2・3日後、再度天日干し
3回目の天日干しで干しあげとし、梅酢には戻さず出来上がりとします
梅酢は煮物に少量足してよし、サラダによし、一夜漬けの隠し味によし。重宝します。
お宅でもぜひ、自家製梅ぼしをどうぞ。


072 おいしい楽京漬の漬け方
05/06/08

最近では市販の楽京漬で国産の原材料を使ったものを探すのがむつかしくなっています。中国産の塩漬け楽京が日本産とは比べものにならない価格で輸入されているからです。『地産地消』『身土不二』といわれるように、日本で採れた農産物を食べるようにして、わたしたちの健康を守りたいと思います。

手順
土付きで届いた楽京をそのまま水洗いします。最初にある程度土を洗い流しておかないと、楽京の茎と根を刃物で切除する際に刃先を痛める結果になります
次に茎と根を切り落とします
洗い桶に加工の済んだ楽京をいれ、水を流しながらかき混ぜるようにして洗います(外側の汚れた薄皮が取れてきれいになる)
はがれてとれた薄皮を取り除き、きれいになった楽京をざるで水切りします
約10%ほどの塩水を用意し、楽京が浸るまで注ぐ(浮いている楽京が沈めば漬け上がり)。このとき、ポリ袋を用意し楽京をいれ、塩水をたっぷり注ぎ、袋の空気を抜き、輪ゴムでしっかり密封しておく方法もあります。冷蔵庫に保管するのがベター
楽京の塩漬けが済んだら取り出し、そのまま食べておいしい程度になるまで水で塩抜きします(塩抜きしすぎないように注意)
甘酢の作り方(漬け込み用楽京が1Kgの場合):
 みりん(220cc) 粗糖(350g) 酢(250cc)を沸騰しないように加熱して粗糖を煮溶かす
塩抜きの済んだ楽京をガラスの密閉容器に移し、そこへ甘酢を注ぎいれ漬け込みます。重石はせずに、楽京が沈んだら漬け上がりです。約2週間後くらいから食べられます


冷蔵庫で保存すれば来年でも歯ごたえのよい楽京漬をたのしめます。


073 大腸菌について
05/06/15


保健所で食品の菌検査を受ける場合、いくつかの検査項目があります。主なものとしては

一般生菌数
大腸菌群
大腸菌(Escherichia coli)
腸管出血性大腸菌
黄色ブドウ球菌
腸炎ビブリオ菌
サルモネラ菌

などのように分類されています。この中で大腸菌については、上記のようにいくつかの項目に分類されています。つまり『大腸菌群』『大腸菌(エシェリキア・コリ)』『病原性大腸菌』『腸管出血性大腸菌』などという具合にです。


大腸菌群:

自然界に存在するあらゆる大腸菌を総称してこのように呼ぶ。

大腸菌(E coli):
Eコリ、エシェリキア・コリと呼ぶ。これは特に牛やヒトの糞便(ちょっと聞こえがよくない)に由来する大腸菌だそうで、実際の汚染の度合いを判断する場合にこの項目での検査が行なわれます。もっともこの中には健康に障害を起こす可能性のないものも含まれています。そしてとくにヒトの健康に障害を起こす可能性のあるものを『病原性大腸菌』と呼びます。

腸管出血性大腸菌:


正確には病原性大腸菌の一種にこの種類が含まれます。腸管出血性大腸菌でおなじみなのがO−157ですが、そのほかにO−1、O−26、O−111、O−128、O−145などがあり、いずれもベロ毒素といわれる猛毒を産生します。O−157では1mg中に100個存在するだけでも、感染してしまうほどだそうです。ちなみにサルモネラ菌で1万個、腸炎ビブリオで1千億個ということなのでその威力は計り知れません。

病原性大腸菌にはこの腸管出血性のほかに、細胞侵入性、毒素原性、腸管付着性があるそうです。ただし、これらの大腸菌に感染した場合、赤痢やコレラなどと似た症状があったり、また、腸管付着性などについては詳しくわかっていないようです。

道長での対応:

道長ではまだすべての商品についてという段階ではありませんが、菌検査を実施しています。通常の漬物では『大腸菌群』と『腸炎ビブリオ』について行なっています。とくになぜ『腸炎ビブリオ』なのかというと、ほかの菌が塩水が苦手なのに対して、この菌は塩水中でも活発であるためです。また『黄色ブドウ球菌』も塩水に強いため、保健所と相談の上対応してゆきたいと考えています。


074 瀧 廉太郎
05/06/22

小学校の音楽室にはたいてい歴史に残る世界の音楽家の肖像がお決まりの額に納まり、廊下の窓枠の上などに、ぼくらを見下ろすように掲げられていたものです。

歴史の順に並べられているそれらの顔は、油絵調に描かれたバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンにはじまり、古い写真のドボルザーク、スメタナなど。そして最後にメガネを掛けたなんとも弱々しげな面持ちの日本人の肖像写真。このおかしげな日本人はいったい誰なんだろう、なぞとそれらの肖像を見るたびに首をかしげたものです。しかしながらその最後の人物こそ、日本の音楽史に名を残す瀧廉太郎その人。

瀧廉太郎は明治維新の近代化とともに生まれました。ちょうど1879年、西洋音楽を取り入れ、日本の音楽家を育成してゆこうという『音楽取調掛(後の東京音楽学校/東京藝術大学)』が設立された年です。音楽への道を志し上京、東京音楽学校入学。その天才的な作曲能力をかわれ、西洋留学まで。そして23歳というまことに短い生涯に数多くの名曲を残しています。代表的なものはなんといっても『荒城の月』『花』『箱根八里』などがよく知られています。この中で『花』は組曲『四季』の中の一曲。他の『納涼』『月』『雪』の曲についてはあまり聴く機会がありませんが、一度じっくりと聴いてみたいと思います。

以上の曲の他に幼児向けの童謡も多く手掛けていて、同じ東京音楽学校の学生だった東くめという作詞家の詞を歌にしています。『お正月』『鯉のぼり』『鳩ポッポ』『雪やこんこん』などなど。これらの童謡はいずれも口語調の詞で書かれていて、子供にもなじみやすく、そしてなんといっても今の時代にもそのままの詞で親しまれています。

このように様々なメロディー、曲調のものを名曲として作曲する才能には並外れたものがあったわけです。だからこそ1901年、ドイツへの音楽留学という栄誉が与えられた。

しかしながら、これはほんとうに残念なことですが、彼の名曲はそのほとんどがドイツでの勉学以前に書かれているということです。なんとライプツィッヒ王立音楽院に入学後、たったの2ヶ月後に結核が発病してしまったのでした。そして1902年、無念の帰国。そして翌03年6月29日、父親の郷里大分で没しました。なんという無残な結果なのでしょうか。

彼はドイツ留学の前に、西洋音楽に日本的なものを取り入れたピアノソナタ『メヌエット』を作曲しています。もしもドイツでの勉学が無事終了し、帰国し、作曲活動がさらに続いたとしたら、もしかすると瀧廉太郎は世界をも圧倒するような、東洋日本の名曲を残したのかもしれないのです。


彼の遺作となった曲に『憾み』というピアノソナタがあります。作曲は1903年2月ごろ。この憾みとは何あろう、彼が自分の運命に対し、これからできたであろうあらゆる音楽活動への憾み。彼の無念さがなんともやりきれない。そんな悲痛な叫びが表現されています。そんな曲ですから、これも世間であまり演奏される機会も少ないのでしょうが、立派に名曲だと確信します。

ぼくたちの孫や子たちも、おそらくぼくらと同じように、学校の音楽室の壁に掲げられた世界の名作曲家の肖像の中に一枚だけある『瀧廉太郎』なる人物っていったいどんな人?という疑問をきっともつことだろうと思います。そんな瀧廉太郎のすばらしさ、そしてその逸材を人生なかばどころか、これからというときに失ってしまった近代日本の、まことに残念な事実。そんな音楽の歴史の一部でさえ、音楽の教師から聞かせてもらうことができるとしたら、それこそがほんとうの音楽教育となるのではないでしょうか。そんな状況が、ぼくの学校での音楽教育の中で一度もなかったことに、深く『憾み』を感じてしまいます。

瀧廉太郎の無念の遺作『憾み』は niigata-u.com のHP
 http://www.niigata-u.com/files/oita/uramic.mid
 で聴くことができます。
『メヌエット』も同じサイトで聴けます。


075 複合耐病性遺伝子組み換え(GM)イネ
05/07/20




現在北陸上越市の北陸研究センターというところで、病気に強いイネを作るために、カラシナのディフェンシン遺伝子を組み込んだ『複合耐病性GMイネ』の研究をしている。このディフェンシン遺伝子は抗菌性のタンパク質を発現させるということになっている。今年は屋外の隔離圃場での栽培実験という段階。

今までの流れとしては、実験室、温室での選抜、栽培、掛け合わせが繰り返され、何種類かの有望な株を選び出し、今回の野外実験に望んでいます。

今回のGMイネについては、とくに次の点について注意が払われています。

1.屋外実験に際して、事前にその旨の案内がされている。
2.食べても安全なカラシナの遺伝子を組み込んでおり、安全性には問題はないとしている
3.隣接の一般圃場とは、安全とされる距離をおいて栽培されている

今のところ今回のようなGM作物の安全性、倫理性については論じても切がなく、平行線となるばかりという理由もあり、反対派よりの攻撃に対してはいわば『鉄壁』ともいうべき今回の栽培実験というわけです。

耐病性GMイネの必要性
そもそも農業試験場での新品種の開発とは、どういう目的で行なわれるものであるべきでしょうか。市民の税金で行なわれる開発ですから、当然その開発品種が市民の利益につながらなければなりません。

現在、たとえば愛知県では『あいちのかおりSBL』という品種が一般に栽培されています。これはイネにとって重要な病気、『いもち病』と『縞葉枯れ病』に抵抗性のある品種です。もちろん掛け合わせ技術によってつくられたものです。こうした耐病性のイネの品種作りは米作りのさかんな各県がしのぎを削りあうほど活発に行なわれています。富山県では『コシヒカリ富山BL』や、もちろん新潟県でも『コシヒカリ新潟BL』というような、いもち病に強い品種がすでに一般に栽培されています。

このように、通常の育種によって耐病性の新品種がつぎつぎと作出されています。愛知県では中国の研究機関との共同で、さらに耐病性の強い品種を開発しています。現行の『あいちのかおりSBL』との掛け合わせをすれば、さらに耐病性の強い品種を得ることが可能です。

GM作物は日本国民からは受け入れられない
日本の消費者はGM食品について否定的です。その大多数が「食べたくない」と言っています。これはGM技術が透明性に欠けるからではないでしょうか。安全性よりも「売れる」という経済性が先行してしまう可能性があるからです。

さらにバイエル、モンサントなどの多国籍バイテク企業が『国際化』の名のもとに、米国の経済戦略の兵器として世界中にGM作物を売り込みしようとしています。そしてその国、地域がむかしから栽培し続けてきた在来の作物に、GM作物を取って代わらせようとさえしています。

食料自給率を40%以下にまで落としてしまっている日本の農業事情。安全な食を確保してゆくために、GM技術は正しい選択とはいえません。

多額の予算を注ぎ込んで、実用化される可能性のない、不要なGMイネの研究のための研究は、野外実験以前の基礎的な屋内での研究の段階で止めるべきではないでしょうか。
遺伝子組み換えイネの野外実験に反対します。

こちらから反対の意思表示ができます。ご協力ください。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/sa-to/gm-joetsu.htm


076 GMナタネのこぼれ落ち自生
05/07/27

 日本では、食用油用として大量のナタネを輸入しています。ナタネの国内自給率は1%にもおよびません。ほぼ100%を輸入に頼っているわけですが、そのうち8割以上がカナダからというのが現状です。オーストラリアからも輸入されいて、それは一応非遺伝子組み換えということになっています。カナダ産の場合には、その5割以上が遺伝子組み換え(GM)だといわれています。日本の消費者はGM食品はいらないといいながら、知らぬ間にそれを口にしているのが現状です。

ナタネを輸入している港
 日本にナタネを輸入している港は。茨城県鹿島港、千葉港、横浜港、静岡県清水港、名古屋港、三重県四日市港、神戸港、岡山県水島港、博多港です。そのうち7港でGMナタネのこぼれ落ちが原因と見られる自生が確認されています。

 さらにそれらの輸入港のうちで、GMナタネの拡散が心配されているのが、鹿島、千葉、四日市の各港です。千葉港では50Km、四日市港では40Kmはなれたところにまで、拡散が確認されています。

 今、日本全国で春になると咲き乱れる野生の菜の花のほとんどが、かつては外国から持ち込まれたセイヨウカラシナやセイヨウナタネです。今では日本の在来の菜の花は景観用に植えられる以外、ほとんど見かけられません。もしかすると、確認されたばかりのGMナタネも、将来は日本のどこにでも見られる菜の花に取って代わってしまうかもしれないのです。そしてそのころには、他のアブラナ科の植物、白菜、野沢菜、キャベツ、コマツナ、大根などにも、GM遺伝子が入り込んでしまっているかもしれません。

GMナタネは非GMナタネより優位性がある
 現在日本で確認されているGMナタネは2種類。いずれも除草剤耐性(ラウンドアップとバスタ)のこれらのナタネは、いうまでもなく除草剤をかけられても枯れません。道路脇の除草には、頻繁に除草剤が使われていますが、この方法だとGMナタネにだけ生き残るチャンスを与えてしまっています。このことは、今後GMナタネが拡散するための要因ともなるでしょう。

さらに生き残るチャンスがある
 春になると菜の花はその黄色い美しい花をいっせいに咲かせます。河原や土手など、条件のよいところでは見事な群生を見せてくれます。しかし実はそれこそがGMナタネが生き残るチャンスとなるのです。美しく花を咲かせている菜の花を、草刈機や除草剤で枯らしてしまおうという人はおそらくいないでしょう。菜の花が終わるころ、熟れた実のさやははじけ、たくさんの種をまきちらせます。そのころになって行なわれる除草作業では、次の世代のGMナタネはすでに準備されてしまっているというわけです。そんなわけで、GMナタネは拡散のチャンスを与えられるというわけです。

その後、GMナタネの拡散は止められたか
 とくに千葉港と四日市港周辺では、その拡散の深刻さから、関係者や市民による自生GMナタネの引き抜きや、トラックによる輸送段階でのこぼれ落ちを防ぐための対策が立てられてきました。これらの拡散防止策がとられるようになって数ヶ月が過ぎています。トラック輸送されるナタネは日常的にこぼれ落ちており、ナタネの発芽も日常的に起きているわけですから、そろそろその成果があらわれるころといえます。

 最近になって、市民団体によるGMナタネの自生の追跡調査が行なわれました。その結果はまことにお粗末といわざるを得ない状況です。依然として輸送トラックが交差点で止まると、ハトがどこからともなく飛来し、ついばむという光景があいかわらず見受けられます。依然として、数多くのGMナタネの自生が確認されています。今後、さらなる対策が、官民産の協力のもとで行なわれてゆかなければならないでしょう。

 GMナタネが日本に輸入され始めてまだ数年しか経っていません。このまま放置しておくと、紛れもなく北米カナダで起こっている、GMナタネの雑草化が現実のものとなるでしょう。それが環境や健康への何らかの負荷となって、将来私たちを悩ませることのないよう、抜本的な対策が急務です。

GMナタネの群生(三重県鈴鹿市)



077 核 廃 絶
05/08/10


今年は戦後60年という年だそうです。ぼくは今年で54歳ですから、もう少し前に生まれていれば戦争体験者だったということのなります。ただそのころに生まれただけでは、記憶にも何にもないわけですから仕方ないわけですが。まあそれだけ太平洋戦争は大昔の出来事ではないということです。
さらに60年前に、世界ではじめて核兵器が使われたという事実も歴然としてあります。この世でおそらくはもっとも忌まわしく、残忍な兵器ということができると思います。

1945年にはじめての核実験が行われて以来、世界では地上、地下での実験は実に2000回以上にのぼるといわれます。核実験はあらたな核兵器を開発するために必要なものですが、それは再度の核兵器の使用につながるばかりか、広島・長崎でのあの悲劇以上の悲劇の再来ともなりうる。


現在世界には(というより米国とロシア)約3万発もの核弾頭があるといわれているそうです。この数は戦後から今日までまんべんなく核兵器が製造されてきたとすると、一日に1.4発の核兵器が製造されてきているということになり、まったく恐ろしい限りです。

さらに『臨界前核実験』などといわれる模擬実験まで行なわれるようになり、さらなる破壊力、殺傷力、あるいは効率的な威力を追求した核兵器の開発へと、その歩調は止まることを知らないといったところです。

1968年、核不拡散条約(NTP)という取り決めが行なわれた。これは米・ソ・英・仏・中の核保有国以外には核兵器を持ってはならないというもの。

1995年、核不拡散条約再検討会議というのが行なわれ、5年ごとの会議が取り決められた。ここでNPTの無期限延長が採択され、核保有国にも核軍縮の撤廃にむけた約束がなされている。2005年にも会議は行われたものの、一向に核軍縮の方向は示されていない。

1996年、包括的核実験禁止条約(CTBT)。保有国は自ら核実験をせず、他国にさせないとするもの。そのために1.国際監視制度、2.現地査察、3.協議と説明という国際的な信頼関係をもとに、核兵器を阻止しようというもの。しかしながら、当の核兵器や核施設を保有する40カ国以上の国々のうち、米国を含む10カ国以上がこの条約に批准していない。

そのほかにも、『第二次戦略核兵器削減条約(STARTU)』や『米露戦略的攻撃能力削減に関する条約(モスクワ条約)』などという、米露二国間での取り決めなどもおこなわれている。

核兵器については、それが広島と長崎で検証されたとおり、現時点ではこの上もなく残忍な最終兵器ということができます。それを使用するということが何を意味するかということも、理解されているはずです。ところが、いまだに以上のように核兵器をなくすという目的は、まったくといっていいほど達成されていません。とくに米露の二大国において無視されている。

今年も訪れた日本の終戦記念日。戦争はいけない、二度と起してはならない。そんなことはだれでもわかっている。確かに日本はこの60年間、戦争を起していない。しかしながら、世界ではあいかわらず戦争が行なわれている。

戦後日本が世界に対して訴え続けてきたはずのこととは核廃絶、核実験禁止ではあったけれど、それはとりもなおさず、戦争反対でなければならなかったのではないだろうか。日本はそのための発言を、毎年訪れる終戦記念日にこそおこなってきたけれど、それを世界の各国へ訴え続けてきたと胸を張って言い切ることができるだろうか。

日本は広島や長崎に世界平和を訴えさせるだけでなく、国として世界にはたらきかける努力をしなくてはならない。それをしない限り、アジア各国からも日本は認められることはないだろう。

広島・長崎のひとびとの被爆体験の思い出は次第に薄れてゆく


078 ゴマとエゴマ
05/09/14



ゴマ(ゴマ科)
・ゴマの起源
 ゴマの起源はアフリカのサバンナ地帯、エチオピア内陸部あたりといわれています。古代エジプトではその薬効について不老長寿を挙げていたようです。ペルシア人を介し、中国、日本へと伝えられたといわれていますが、日本では縄文時代の晩期には栽培されていたらしく、種子が出土しているそうです。

 品種として白、黒、茶の三種ほどと思うととんでもなく、世界で3千種もあるといわれます。一般に黒ゴマにはポリフェノールが多いといわれ食用に、白、茶などは油の含有量が多いことから搾油用に使われます。

 植物油は動物油とくらべて飽和脂肪酸が少なく、不飽和脂肪酸であるリノール酸を多く含んでいるといわれています。リノール酸はカノーラナタネ油などにも多く含まれていて、血中コレステロールの値を下げるはたらきがあるといわれています。しかしながらリノール酸は摂りすぎると肥満やアトピーの原因にもなるといわれるようになり、最近では悪者扱いにまでされてしまっています。

 ゴマ油にはリノール酸も多く含まれていますが、心臓疾患や成長障害の原因になるエルシン酸が少ないことと、セサミンという物質が含まれていて、血液をサラサラにし悪玉コレステロール、脂肪の代謝を促してくれるといわれています。

 飽和脂肪酸に対して不飽和脂肪酸があります。不飽和脂肪酸にはリノール酸のほかに、オレイン酸、αーリノレン酸などがあるそうです。

トランス脂肪酸
 最近問題になっているトランス脂肪酸は、本来常温で液体の植物油を固形化するために、水素分子を結合させている。マーガリンをはじめ、多くの加工油脂食品に使われているトランス脂肪酸は人工的に合成されたもの。私たちの身体にはなじみにくいものです。健康にも良くないことが証明されています。摂取はひかえましょう。

エゴマ(シソ科)
・エゴマの起源
 エゴマはゴマとはまったく異なるシソ科の一年草です。原産地はインド、東南アジア、中国あたり。日本では縄文時代中期以前には栽培されていたようで、ゴマの起源より古いといわれています。種類は48種ほど確認されているそうです。

 エゴマに多く含まれるといわれるαーリノレン酸は体内で、EPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)といった必須脂肪酸に代謝される。血液をサラサラにしたり、免疫力を高める、またはアトピーなどのアレルギー症状を緩和するはたらきがあるといわれています。さらにエゴマにはリノール酸の含有量が少なく、健康的な油として認められています。

 ゴマ、エゴマに共通していえることですが、いずれもその種子が小さいため、収穫、調整には非常に手間がかかります。その効用が認められてはいますが、残念ながらせいぜい自給が目的となっています。

 いずれにしても『過ぎたるはおよばざるが如し』。健康に良い油でも、摂りすぎはいけません。ほどほどにしておきましょう。

・エゴマの葉
 エゴマの葉は独特の香りがあり、ちょうど青シソの大葉に似ていますが、独特な香りがたまりません。エゴマの葉を醤油やキムチ漬にしたりするとたまらない逸品となります。

これはうまい
エゴマの葉の醤油漬
レシピ:エゴマの葉
    調味液:
     たまり醤油
     みりん
     唐辛子
     にんにく
 各おおざっぱに適量
漬けかた
・エゴマの葉を水洗いする
・一枚づつ水気を取る
・ポリ袋にエゴマの葉を重ねて入れる
・調味液を入れてポリ袋の空気を抜き、
 輪ゴムで密封する
・一晩置けばできあがり

エゴマの醤油漬の食べ方
なんといってもごはんとの相性は最高。ごはんを茶碗によそったら、エゴマの葉の醤油漬けを一枚取り出して、ごはんの上に平らに置き、ごはんを包むようにして。あとは口に運び込む。とにかくうまい!!ほかに食後のお茶さえあれば、おかずなんていらないっ。

エゴマの葉がなかったら、泣く泣く、青シソの大葉で代用しましょう。

エゴマの葉はこんな風に重ねて漬込む


079 長寿の祝
05/09/14


9月19日は『敬老の日』。その歴史といってはおこがましいですが、1954年に『年寄りの日』として制定されたのがはじめ。64年に『老人の日』となりましたが、いかにも爺くさいという理由からでしょうか66年『敬老の日』と改められました。
そもそも年寄りは敬われて当然なのでしょうが、こうしてその意義付けをしなくてはならなくなってしまった。というのもまた現実なのかもしれません。
長寿、『賀寿』の祝をする風習はかなりむかしから行なわれてきました。その由来はというと・・。

61才 還暦(かんれき)赤色
生まれ年の十二支が巡り、自分の干支にもどるという意味から、この呼び名となっている。
70才 古希(こき)

中国・唐の時代杜甫の詩の一節「人生七十古来希なり」にちなんでいるそうです。
77才 喜寿(きじゅ)

七の文字を三つ合わせた『喜』の字の略字を七十七に見立てたもの。
80才 傘寿(さんじゅ)紫色

『傘』の略字が八十と書くところから。
88才 米寿(べいじゅ)黄色(金色)

『米』の文字を分解すると、八十八となるところから。
90才 卒寿(そつじゅ)

『卒』の略字を『卆』と書くところから
99才 白寿(はくじゅ)白色

『百』に一本足らないから

もともと長寿を祝うというのは、中国の儒教の敬老思想によるものだといわれています。唐の時代には、長寿を祝って詩を贈る風習があったということです。平安時代には日本にも伝えられ、40歳から10年刻みで祝われたようですが、鎌倉時代以降から上に書いたような年齢で祝うようになってきたようです。

平均寿命が次第に延びてきたのも、還暦をその最初の祝とする由来となったのかもしれません。それにしてもそれぞれの祝が駄洒落じみた『当て字』で名づけられているところがおもしろい。もともとの出典が中国・漢詩というのも、納得のゆくところです。

西洋ではこういった賀寿の祝というような習慣はないようです。イタリアだったかで最近、やっと『敬老の日』というのが制定されたとのこと。

最近では、100才を越える長寿の老人が増えてきています。そのうち、白寿のそのまた上の109才あたりの『首寿(百八より一本多い)』なんてのができたりするのかもしれない。でもわすれてはいけないのは、長寿の祝とはあくまでもご本人がかくしゃくとして健康でなくては意味がない。そして
なんといってもその時、それを取り巻く人たちの敬老の精神もたいせつ。

『老い』をみずから、そして家族で、地域で祝う。「健康でよかったね。これからも元気でね」と応援のエール。

年寄り万歳!!


080 昔あって今無いもの
05/09/27



洗濯板:波型の溝がたくさん刻み込んである板。洗濯板をタライの中に立てかけ、それに石鹸をしみ込ませた洗濯物をこすりつけたり、しごいたりして洗濯物をきれいにする。

搾り機:脱水機が出回る以前、洗濯機に付属していた。2本のゴム製のローラの片方の軸にハンドルがついていて、それを回しながら洗濯物を挟み込んで通す。それまでは洗濯物は手でねじってしぼっていたため、非常な重労働だったが、搾り機のおかげで主婦はおおいに楽になった。搾り機にシャツなどを通すとき、ボタンをひとつづつローラーの間に入れてゆかないと、取れたり、割れてしまったりするので注意が必要。脱水機の出現で一気に消え去った。

はみがき粉:チューブ入りのペースト状のものが出る以前の商品。銀紙の袋の中にはみがき粉が入っていて、歯ブラシを少しぬらしてから、突っ込んで粉を付ける。スキッとした風味なので、子どもが指を突っ込んでなめたりするので気をつけないといけない。

蚊 帳:夏の夜、戸を開け放って就寝しても、ドロボーの心配のなかった時代の風流豊かな寝具。蚊の通れない細かな網で作ってある床面のないテント状のもの。上の四隅に取り付けてある輪を天井や柱に吊るし、その中に布団を敷いて寝る。非常に風情があるものの、風の通りが悪く、やっぱり暑い。

回転式テレビのチャンネル:ロータリー式のスイッチでチャンネル選びをする。兄弟が手荒にチャンネル争いをするので、スイッチの軸が磨耗してツマミがポッポラポンと外れてしまう。挙句、ツマミではチャンネルが廻らなくなるので、最後はペンチなどで回した。このとき、感電することがあるので気をつけなくてはいけない。

テレビの垂れ幕:かつてテレビが家宝だったころ、劇場の幕を模したゴブラン織りの布。テレビを買うとちゃんと付属品で付いてきた。重厚さがたまらない。ステータスの証。

テレビの三本足の台:木製の足のついた回転式の台。ゴブラン織りの垂れ幕とのセットでゴージャスな雰囲気。

アイスキャンデー(ノンカロリー):とはいえ、健康志向でもなんでもなく、砂糖のかわりにズルチン、サッカリンなどの人口甘味料だけで味付けした氷菓。自転車の荷台に保冷の木箱を積み、チリンチリンと鐘を鳴らしながら昇り旗を立てて売りに来る。木箱の中は氷点下になるように、氷に塩をかける。アイスキャンデーは無糖なのでとにかく硬かった。

ゲルマラジオ(ゲルマニウムラジオ):鉱石受信機とも呼ばれる。ゲルマニウムダイオードとクモの巣状に編んだコイル、わに口クリップ付きアンテナコード、コンデンサー、クリスタルイヤホンと5つの部品だけで作るラジオ。電源は必要ないが音量がとにかく小さいため、イヤホンで息を殺して聴く。その緊張感がたまらない。

みかん水:駄菓子屋の夏の定番のビンいりドリンク。王冠を栓抜きを使って取るとき、なんとなくオトナの雰囲気。なんともあやしげな飲料。

2B弾:マッチのペーパー部分にこすり付けて着火し、放り投げると、しばらくして爆裂する花火。男の勇気を示すため、この爆裂を手持ちで演出したりする。導火線を使う『爆竹』の使えない、低学年向けの花火。後に発売禁止。

カンシャク球:地面などに投げつけると衝撃で爆発する丸玉花火。これをたくさんポケットに入れていると、転んだりしたときの衝撃で暴発しキケン。発売禁止となる。

ソロバンでローラースケート:親に見つかるとたいへん。ソロバンを床に置き、それに乗って板縁をすべる。なぜかソロバンがこわれるのはこれが原因。

春日井シトロンソーダ:粉ジュースに発泡剤が入っていて、水に溶くとソーダ水のようになる。粉のまま口に入れるとなんともいえない爽快感が味わえるが、着色料がきついので舌が真っ青になったりする。

昔あったけど、今は無いもの。