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名探偵登場

季刊ミステリーナビゲーター 96年冬号
シャーロック・ホームズの事件簿:シャーロック・ホームズ




 ポーの創作したオーギュスト・デュパンに始まって、ドイルのホームズ、チェスタトンのブラウン神父、クリスティのポアロ…。それまで悪霊や幽霊の仕業であると信じられてきた怪奇な事件に、人間の英知の光に当てる者。あるいは絶対に不可能な犯罪を、現状証拠から可能と判断し、理路整然と究明していく名探偵。幼少のみぎりにはじめて彼らの物語に触れた時から、私にとって彼らは憧れのヒーローだった。今日の子供達が地球を守る宇宙ヒーローや、魔法の国を守る勇者に憧れるように、私は名探偵に焦がれ、あまつさえ彼らのようになりたいとさえ思った物だ。
 そんな私であるから、シャーロック・ホームズという探偵が好きか嫌いかと問われれば、やはり好きとしか答えられない。実際今日の推理小説・探偵小説の祖は彼だと言っても過言ではなく(デュパンという説もあるが、やはり探偵という職業を知らしめた功はホームズにある)、名探偵大好き人間としては、ホームズを嫌いになることなどまずできない相談である。
 ホームズは傲慢な男だ。ヴィクトリア貴族にありがちな高慢な態度が鼻につく。世捨て人を気取りながら、頼ってくる者に対する優越のような感情がかいま見える。天才である彼の不遜さを毛嫌いされる方も多いだろう。が、それゆえにこそ憎めない所が多々あるのだ。
 何よりも愛すべき所は、ワトスン博士との関係だろう。元従軍医師であるワトスン博士は、あらゆる意味で一般人である。そのワトスンへの天才ホームズの傾倒は実にユーモラスで微笑を誘う。俗世を疎み、人間嫌いを装うホームズが、時に自分から博士の診療所に顔を見せる。その時のホームズの内心を想像するに苦笑を禁じ得ない。
 どんな天才であろうと人間である以上、外と繋がらなければ生きてはいけない。孤高を気取るホームズとてそれは同じだ。あるいは自らを天才と称し、数々の難事件を解決してきながらも公衆の前に立つことのなかったホームズは、思う以上に「評価される事」に飢えていたのかも知れない。
 一般に男にとって、誉められる相手は女性と相場が決まっている。若く麗しい女性・あるいは身分卑しからぬ女性に誉められれば、とたんにのぼせて自分の実力以上の力を発揮してしまう(かくも男とは愚かしいものだ)。女性の社会的地位が低かったあの時代、医師という社会的に認められた存在であるワトスンから「すごいじゃないか、ホームズ」と手放しで誉められる事は、ホームズのような男にとって、女性の言葉に勝る栄誉だったのかも知れない。――全ての感情を押し隠す紳士の美徳に従って、彼は絶対に認めようとはしないだろうが。
 さて、このコラムは古今東西の探偵を挙げ、その魅力を論ずるのが趣旨だ。
 ホームズシリーズのうち、作品としての面白さを考えるなら『バスカヴィル家の犬』か短編『赤毛同盟』『消えた花婿』『唇のねじれた男』が上がる所だろう。しかし、ホームズという男の人間性を強く印象づける観点から――推理小説ファンの評価は決して高くないが――『シャーロック・ホームズの事件簿』を挙げたい。何しろあの誇り高いホームズが、結婚してベイカー街を出ていってしまったワトスンへの恨み事をこぼし、都合が良くても悪くてもすぐ来いと電報を打ち、あるいは当のワトスン博士から「自尊心が高いヤツだから礼を言わないのはしょうがない」とさじを投げられているのである。実際私のようなホームズフリークには堪えられないほど示唆に富んだ物語である。
 ホームズの高慢さを嫌われている向きに、ぜひにも読んで欲しいと思う。

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