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ひとり言    ときおり思うことを思うままに 

 新しい気持ちで 2112年1月17日                                    
 昨年の東北地方の震災と原発事故のために、今なお、日本の国が揺らいでいる。東北地方の皆様が一番大変であるけれども、少なからず影響を受けて、大変になっている方々も大勢おられる。けれども、きっと、いつか、あのことによって学ぶことが多かったと語れる日が来ることを信じて、希望を持って生きていきたい。
 小さな教会であるけれど、精一杯の出来る支援にかかわらせていただいている。新しい年も、何が起こるかわからない時代にあって、けれども、天地万物の造り主なる神様に従い、頼って、歩んでいきたい。
 今までの年よりもさらに、新しい気持ちで新しい年を歩みだせることの出来る幸いを思う。

 しばらくぶり 2011年5月20日                                       
 このページを開くのも、本当に久しぶり、時は流れ、新緑の季節であるが、東北地方の震災に会われた方々のことを思うとき、緑も流されてしまった町々のことを考えて、胸が痛む。小さな教会としてもできるだけの支援をしたいと思いつつ、わずかなことしかできないが、現地に赴いてがんばっている方々と災害にあわれた方々のために、祈る日々である。 

 秋らしく 2010年11月14日                                       
 前回秋がないと独り言を言ったが、最近は順調に秋が深まっていると感じさせられる気候となっている。公園の木々も彩りよく色づいて、美しい。
 しばらく、HPの更新がなかなかできなかったのは、PCの状態が悪かったためであるが、今、それが直って、仕事がはかどることを感謝している。
 

 秋がない 2010年11月2日                                       
 あまりにも暑い夏が過ぎて、ほっとしたかと思うと、今度は真冬の寒さに震えるという気候に、体調も崩れる。最近故郷である京都に行ってきた。まだ紅葉には早い時期であったが、少しだけ色づいていた。
 駆け足の旅であったが、日常から離れることは、リフレッシュのときとなる。若いときは、旅行に出かければ、日本であれ、外国であれ、その目的を果たすために動き回ったが、今は、旅先で、何もしないでごろごろしている、そのような旅に憧れを持つ。
 けれども、そのようにできるのは、まだまだ、先のことだろう。そう思いつつ、こんなことを考えるのは、疲れているのだろうと思わされる。
 「主よ、どうか、力を与えてください」と祈ることのできることを感謝する。

 暑い  2010年8月1日                                       
 ホームページを始めてから、ひとり言の欄に気候のことなどをよく書いた。夏の暑さについても書いているが、2007年には暑い中でもクーラーなしで、汗をかきながら仕事をしていたように記されている。一日中、クーラーの中にいると足が痛くなるから、我慢するのだ。昨年まではそのようにしていたと思う。けれども、今年は無理である。
 今年の暑さはニュースで見るまでもなく、体温より高い日を体感している。教会の集まりの時も、始まる前に、まず麦茶をどうぞといつも用意しているが、高齢の方も熱中症などに、無縁で過ごして欲しいと祈る。
 新会堂になって、もう少しで一年になろうとしている。振り返って多くのことがあり、忙しいときを過ごしたが、充実の一年だったと思う。ようやく、夏から始まって、秋、冬、春、夏と季節を一巡した。そして、これから、これから、と思う、このごろである。

 集中豪雨 2010年7月10日                                  
 ここ数年、集中豪雨があったが、今年は特にひどいと感じさせられている。今日は天気がよく、暑さはあるがそれでも、しのぎやすい。昨年の豪雨の時には、バケツをひっくり返した雨という表現があるが、そのような言葉を超えて、まるで、雨が板となって屋根に落ちてきているのではないかと思った。
 しかし、今年の各地での1時間の雨量をニュースで聞いていると、そのとき以上の雨が降っている。 どうか、人々の切なる祈りが聞かれ、守られますように。  

 アジサイ 2010年6月25日                                  
 毎年のように、自宅(元教会)に咲くアジサイについて、このシーズン書いていたので、今年はさつきですか?とホームページを時折見てくださっている方から、尋ねられた。今年のアジサイは色とりどり見事で、6月中、講壇の横に飾ることができた。
 特に昨年、隣との境の木が駄目になりつつあったので、上を切り詰めた。その結果、何とか、頑張って生きているが、そのために日当たりが良くなって、今まであまり咲かなかったアジサイも可愛い花をつけた。もともと日本にあるアジサイと、洋アジサイがあるが、両方の木が有って、それが彩りを豊かにしている。 

  さつき((U) 2010年6月12日                                  
 さつきが咲いた。咲かないと思いつつ、気にしていたが、ようやくオレンジ色の花 が咲いた。朝一番に太陽が当たる場所から咲き始め、花の満開が移動していく。想像していたような、花でいっぱいの植え込みとならなかったけれども、嬉しい。でも、さつきの間に植えられていた木が1本枯れてしまった。
 明日は聖徒記念礼拝を行う。聖徒記念礼拝では、教会のメンバーで先に天国に行かれた方を偲びつつ、神様を礼拝する。神様はイエスキリストを信じる者が永遠のいのちを得るようにとイエスキリストを地上に送られた。いのちについて、今日も思う。 

  さつき 2010年5月18日                                  
 月日のたつのが早いと感じるのは、年のせいかどうか分からないが、桜の季節から、いつの間にかつつじの季節も終わっている。教会の前の植え込みは、さつきなのだろうか、まだ花が咲かない。所々、小さな花目をつけているが、それが全体に及ぶようには見えない。昨年は咲いたのだろうかと思いつつ、目を凝らしてみる。
 寒暖の差の厳しさにさつきも困っているのだろうか。もし、植え込み全部に花がついたら、それはそれは見事になるだろうにと思いつつ、???と眺めている毎日である。花が終わったと思ったら、今年は思い切って、刈り込んでみようと思う。 

  桜 2010年4月8日                                  
 ひとり言を読み返して見ると、寒暖の差が激しいのは今年だけのことではないようである。けれども、今年の寒暖の差はかなりのもので、少し早めだと思いながらも、外に出した鉢物のいくつかがが枯れてしまった。
 それを補ってくれるかのように、寒さの中で長く桜の花を見ることができる。昨年、キッチンの窓を透明ガラスに変えた。おかげで、まだ寒くてあけることのできない窓から、遠くの桜並木が見えて、春を感じさせてもらっている。
 桜を見るたびに、あと何回見ることができるだろうと思わされている。人生の終わりに差し掛かって、神様を信じ、イエス様と共に歩ませていただいた恵みをさらにさらに感謝させられている。

  巨大地震に思うこと 2010年3月2日                                  
 つい、この間、ハイチで大きな地震があった。ささやかながら、教会も支援の手を差し伸べた。大きなことは到底できない。でも、少しでも助けになればと思わされる。そして、またもやチリで、大きな地震が起こり、日本にまで津波が押し寄せた。
 地球の裏側の出来事が、、、、地球は一つだと分かる出来事と言ってよいかもしれない。いつ、また、私たちが体験することになるか分からない。世界にはまだまだ平和と言えない国があるが、争いなどしている余裕などないのではないか。
 聖書には、終わりの日が必ず来ることと、終わりの日の前には、地震や飢饉が起こり、偽キリストや偽預言者が現れ、人々を惑わすことなどを伝えている。また、終わりの日には、山に逃げるようにとも記されている。それがどのような事であるのか分からないが、今、どのように生きるかを問い直すときではないだろうか。

  寒暖の差 2010年2月11日                                    
 この冬は毎日の気温差が激しい。身体がついていかないという声を耳にする。久しぶりに積もった雪、教会のガレージに小さな足跡が飛び跳ねていた。それから、1週間後には、春を思わされる日があり、翌日である今日また、寒い雨が降っている。夜にはまた、雪になるのだろうか。
 雨に濡れて色鮮やかな紅梅はどのように、この気温差を感じているのだろうか。毎年咲く花々が、毎年少しづつ、時期を変えて咲くように思う。この季節にはこうだとなかなか言えなくなっているような気がする。
 健康が守られますように。

  新しい年 2010年1月4日                                    
昨年は、思いがけずも新しい会堂が与えられて、すばらしくも忙しい年だった。HPも新会堂への変更がなかなか、進まないが、HPを見ていてくださる方がいらっしゃると聞いて、嬉しく思っている。今年は少し、スピードダウンして歩みたいと思っているので、更新もゆっくりとなるかもしれないが、少しづつでも更新したいと願っている。
新会堂を整えるので、忙しく、クリスマスの準備が遅れたが、クリスマスイヴには、音楽のゲストを招くことができた。11月になってからの準備では、ゲストを招くのはとても無理である。しかし、神様の導き、祝福と感謝している。
新しい年もどんな歩みだろうか。楽しみである。読んでいて下さる方の上に神様の豊かな祝福がありますようにと祈ります。

     献堂式 2009年10月15日                                    
11月8日の午後献堂式を行う。献堂式とは神様から授かった会堂を神様にささげ、感謝を表すために行われる。近隣の教会、日本バプテスト教会連合の教会の方々もお祝いに駆けつけてくださる。
喜びをこめて感謝をささげる日を楽しみにしている。それが終われば,HPも少しづつ改定できる予定である。

     新会堂 2009年10月10日                                    
8月の終わりに、新会堂に引越しをした。掃除に明け暮れ、また、さまざまな出来事の中で、HPの更新に時間を割くことが出来なかった。そして、まだ、一部分しか更新することが出来ないが、見てくださる方がおられることに感謝する。明日は教会としてはじめてバザーを行う。多くの方が来てくださるとうれしい。

     新会堂 2009年7月20日                                    
8月に新しい会堂に引越しする予定。まだ日にちなど分からないが、忙しくも充実した日を送っている。教会が始まってまる9年、10年目の神様からの祝福、プレゼントに感謝をなんと表そう。はっきりした段階で写真を掲載できるのが楽しみ。

     紫陽花  2009年6月8日                                    
今年も紫陽花の花が咲く季節になった。2年前にも、紫陽花の季節に紫陽花について記したが、読んでみて、毎年違いのあることに気づかされた。2年前咲かない木もあるとと記したが、今年は全部の木につぼみがついている。
しかも、いつも良く咲く紫陽花の木は、さらに見事な花をつけ、満開に近づいている。今年の紫陽花は梅雨を待たずして、満開になろうとしている。それも温暖化のせいかと思わないでもないが、しばし、花の見事さを観賞して楽しみたい。

      新緑   2009年5月15日                                    
今年も新緑の季節を迎えた。いつもの年と違うと感じさせられることは、寒暖の差の厳しさがいまだに続いていることである。けれども、新緑の季節は気持ちの良い日を提供してくれる。今年は、プロテスタント宣教150年の年であり、また、日本伝道会議という10年に一度の大きな大会のある年でもある。
また、秋には橋本において、星野富弘詩画展が行われる。その実行委員の一人でもあり、出席予定のものを入れると大変忙しい年となるように思っている。けれども、新緑と5月の風の心地よさの中で、創り主を覚えて、すべてのことに感謝する。

 春   2009年4月21日                                        
近年では珍しく入学式に間に合うように、桜が咲いた。満開になるまで時間がかかった割には、満開になってすぐに散ってしまった。急に気温が高い日が続いたためである。そして、今、早めの新緑の季節を楽しんでいる。
そして、毎日、夏を思わせる日と、3月に戻ったかのような日とを経験させられているが、やがて、慣れてこんな変な気候を当たり前に思って生きていくのだろうか。それとも、なおも、今までにない気候を経験させられていくのだろうか。
たとえどうであっても、地球の一員として造られた人間、いかに生きるべきかを考えながら、日々の歩みを大切にしながら、過ごしたいと思う。時間は刻一刻進んで行って止まらないから。


 新しい年に  2009年1月16日                                        
派遣切りなどと言うことばが生まれて年が明けた。新しい年も生活に困る方々のニュースから始まった、そのような2009年の幕開けである。
少子高齢化、政治の混乱、世界的な経済の悪化、戦争の話、事件、事故、日本も世界はどうなっていくのか、心配なこと、心痛むことの多い時代である。
私たちには、先が見えない、けれども、唯一、すべてをご存知の方がおられる。そして、その方が私たちに与えてくださった「ことば」、聖書が時代も、未来も、人の行く道も教えている。そのことに関心を持つ人々が大勢起こされますようにと新しい年を迎えて願い、祈る。
そして、そのような中にあって、心配しないで歩むことの出来る幸いを感謝する。なぜなら、心配してくださるお方(神)がおられるから。
 

 クリスマスが終わって   2008年12月26日                                    
今年はクリスマス前から、風邪を引いてしまった。ここ十年以上、明らかな風邪は引いたことがなかったので、結構つらく感じた。何よりも、クリスマス、牧師にとって一番忙しい日々、また、おいでになる方に風邪を移しては、と思い、祈らされた。
けれども、すべて、無事に終えることが出来、また、神様の祝福豊かなクリスマスであったことを、感謝している。初めて、教会にこられた方があり、また、教会の方のご家族がおいでくださったこと嬉しく感謝している。
何よりも、イエスキリストがどなたであり、何のために地上に降誕されたかを知っていただければと思うから。
2008年も暮れようとしている。キリストの救いによってもたらされる平安を、ひとりでも多くの方が知ることができますようにと、祈りつつ、新しい年を迎える。

 アドベント2008年12月1日                                        
今年も、アドベントがやってきた。アドベントとは日本語では、待降節という。すなわち、キリストが降誕されるのを待つ季節、と言う意味で、12月25日の前の日曜日を4回目と数え、4週前の日曜日にそれが始まる。つまり、今年は11月30日からアドベントに入ったことになる。
教会では、12月21日にクリスマス礼拝を行い、礼拝後、イエスキリストの降誕を祝って、祝会を行う。大勢の人が来てくださり、共に祝っていただければ嬉しい。また、24日には静かにロウソクをともして、キャンドル礼拝を行う。
教会が始まって以来、クリスマスには、必ず、ゲストを招いて、コンサートなどしてきたが、今年はそのような企画はやめて、静かに主の降誕を祝おうということになった。クリスマスは、人が教会に来てくださることを願って、催しをしてきたけれども、馬小屋でお生まれになったイエス様だから、静かに礼拝し感謝しようと思う。
 

 プレスリー  2008年9月19日                                        
戦争が終わって世の中落ち着いて、経済的にも成長し始めた頃、外国のシンガーたちの音楽が日本にもどんどん入ってきた。その中でも、プレスリーが群を抜いていたように思う。いつの時代も若者は憧れの歌手やアイドルを持ち、心惹かれ、夢中になることがある。私自身の人生の中でプレスリーの音楽は、そういった意味での唯一のものだったような気がする。
当時は、歌詞の意味を知ることもなく、ただ、その歌唱力とルックスにあこがれていたのだと思っていた。最近、あるクリスチャンの方がプレスリーについて、教えてくださり、CDを紹介してくださった。聞いてみて驚いたのは、その紹介されたCDの中に収められている歌のすべてが、神への賛美、ゴスペルだったのだ。
その頃から、教会に行っていたけれども、まだ、イエスキリストの救いについて、理解していなかった。当時、歌詞の意味を知らなかったとはいえ、そこで、歌われていることが、私の心を惹きつけていたのだと思わされて、懐かしい歌声と共に、神への賛美を共にする時間を感謝している。
 

 天の御国   2008年7月21日                                        
しばらく、ホームページを更新しなかった。出来なかったといったほうが正しいかもしれない。高齢化社会において、教会もまた高齢者の割合が多いのは、今の時代だと言える。当然といえば当然かもしれないが、人はやがて、死のときを迎える。
私たちの教会も一人の方を天に送った。クリスチャンは、単に亡くなったとは、言わない。聖書にイエスキリストを信じる者は、確実に天の御国に行くことが約束されているからである。
昨日まで、そこにおられた方が、今いらっしゃらない、そのことは深い喪失感を覚える。けれども、彼女は今、この地上のどこよりも、すばらしい所におられる、そのことを覚えて、慰められる。
寂しさ、悲しさは時折、襲ってくるが、人の死を思うときは、また、自分が今日どのように生きるかを覚えさせてくれる。
しばらく、忙しさと疲れの中で、ホームページの更新を怠っていたが、少しずつ、できればと思う。
 

 地震   2008年6月15日                                        
中国の四川で大きな地震が起こったばかりなのに、日本でもまた、岩手において地震が起こった。関東も東海も地震がいつ来てもおかしくないと言われて久しい。しかし、思いもかけないところで、次々に起こっている。
そもそも四川の地震はその規模から言うと日本列島がすっぽり入ってしまうほどの面積において、被害があった。何事もなく過ごさせていただいていることは、むしろ、不思議と思える世の中であることを思わされる。守りを感謝して今日も終える。
 

 自給自足   2008年4月14日                                        
教会のメンバーの一人が、無農薬、有機栽培農家と提携して、野菜や果物を取り扱っておられる。彼曰く、「日本の庭のある家の一軒一軒が庭で野菜作りをするなら、日本の自給率は上がります」。 畳一畳ほどの畑を少し拡張した。せいぜい、きゅうり、トマト、ナスを2本ずつ植えるくらいだと思うが、昨年、植えたアスパラが今年は収穫できそう。つくしの親分のようなアスパラがニョキ (ニョキニョキではなく) と伸びてきた。  

 最近    2008年2月17日                                        
最近は、PCの前に座ることが少なくなった。忙しいこともあるが、肩こりが ひどいためもある。HPの更新が出来ないことが残念。
今年も日本バプテスト教会連合の教職セミナーがあった。精進湖のほとりにある富士山がすばらしく見える場所で、行われた。冬の富士山を間近で見ることが出来て、感謝。
  

 年明けて    2008年1月11日                                        
 年が明けて、心を新たに歩み始めている。今年はどのような年になるのだろうか。和歌山の海に広くテーブルサンゴが現れ、東京湾にもサンゴと熱帯魚が越冬しているとのこと。鮭は日本の川に水温が高くて帰ってくることが出来なくなる日もそうは遠くないと報道されている。
 気温上昇によって、絶滅していく種があっても、それでも、適応していくことのできる生物はあるだろう。しかし、分かることは、人類が今の繁栄を謳歌することは出来ないということである。
 本当に必要なもの、本当に大事なものは何か、そのことを考えて、天を見上げる人が大勢起こされますように、と祈る。今まで価値あるものとされてきたものが本当に価値があるのかどうかを考えて生きる時が来ていることに気づく人がおられますようにと、祈る。
  

十字架   2007年11月14日                                  
 台風が関東に直撃すると聞いたある日、十字架を下ろした。折れたり、飛んだりして近所に迷惑がかかってはと思ったからであるが、ペンキを塗りなおそうとして、木が腐食しているのに気づいた。迷惑をかける前に気づかされて、感謝。
教会の皆さんと検討した結果、発光ダイオードの十字架をつけることになった。今、真っ暗な夜空に、光り輝いている。十字架を見て、光としてきてくださったイエスキリストを求めて、教会においでになる方がおられるようにと祈る。クリスマスも近づいている。今月末には主イエスキリストのご降誕を知ってくださればと願ってイルミネーションで飾る予定である。

 秋    2007年10月15日                                        
  ようやく、秋らしくなってきた。庭では鈴虫(?)が鳴いている。
 先日の礼拝はピアソン宣教師の説教だった。伝道者の書からお話くださったが、伝道者の書には、この世の富も知恵も名誉も勝ち得た人が、どんなにそのようなものを得ても人生は、すべてはむなしい、「結局のところ、、、、神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と悟ったという結論が記されている。
 秋は、とりわけ、寂しさやむなしさを感じる季節。そのようなときに、神を求める人々が起こされますように、と願う。心寂しい人の心が満たされますように、支え見守る方(神)に気づかれますように。

 英会話クラス 2007年9月15日                               
 英会話クラスを行っているが、始めたのは、「すっかり忘れているので、中学生の英語から教えてください」と言われたから。教える私自身、初級クラスの上くらいの実力とだと自認している。今は、頭の体操と言いながら、進歩がなくともよしとして、楽しく学んでいる。最近は、英会話クラスというのも恥ずかしいと、英語クラスと名前を変えようかと考えている。
 しかし、今回、パメラ・ピアソン先生が2ヶ月ほど教えてくださることになった。初めてのときは先生も皆さんも緊張されていたが、すぐに打ち解けて、楽しく授業が行われている。来週は、お弁当を持って公園に出かけ、また美術館を見学しながら、英語で聞くこと、話すことの訓練をすることとなった。
 「継続は力也」と言われているように、一歩一歩、私も生徒さんたちも、少しずつ上達するのを嬉しく思っている。そして、さまざまな機会を与えてくださる神様に感謝。

 暑い  2007年8月14日                               
 猛烈な暑さが続いている。一日中冷房をつけていたいところだが、汗をかきながら仕事をする。地球温暖化が叫ばれている中、少しでも、胸の痛みを軽減するため。便利さ、快適さを追って人類が地球を壊してきたと思うから。  しかし、暑い!

 HPをご覧になっているおひとりお一人の健康が守られますように、神様の祝福が豊かにありますように祈ります。

 地震  2007年7月24日                               
 中越沖地震のとき、町田の我が家にもその揺れを感じた。テレビのニュースで、それが新潟における地震であることを知ったとき、大きな被害でないことを願わされた。しかし、報道によって、大きな被害であったことを明らかにされて行った。
 被害にあわれた方々の生活が一日も早く、回復するように、祈ります。それと同時に、いつでも、どこに住んでいても、日本に住んでいる私たちにとっては、とても他人事ではないことを思わされる。聖書には、やがて、この地上に終わりの日が来ることが記されている。
 その終わりの日に耐えられる唯一の道が、イエスキリストを信じる道であることを、多くの人々が謙虚に受け止めてくださるように、そう祈り願いながら歩む日々である。

 軽井沢  2007年7月11日                               
 今年の夏の教会キャンプは、軽井沢で行われる。恵みシャレーと言って、礼拝堂や祈りの部屋を持つ広大な敷地のキャンプ場である。初めて、そこに行ったのは何年前だろうか。軽井沢は、涼しかった。しかし、その何年かあとに、とてつもなく、暑い軽井沢の夏を経験した。地元の人もこんなことは、かつてなかったと驚いておられた。
 それから、今年で何年たつだろうか、クーラーも扇風機もなかったところが、今は、扇風機だけでなく、クーラーも付いている。地球は、確実に暑くなっているのが、そのようなところでも、実感する。
 少しずつ、わずかなことだけれど、生ゴミを庭に埋めたり、電気をこまめに消したり、しているが、そんなことで温暖化を止めることが出来るとは思わない。
 神が地球を造られ、人を造られたとき、地球を支配する者として造られた。支配という漢字は、命令し束縛するという意味をまず考えるかもしれないが、王が国民を統治すると言う意味である。賢明な王は暴君ではなく、国を思い、民を思い良き国の管理者である。
 支え心配るという漢字が使われているのはそのためだろうか。神が人を造られたとき、実は地球のよき管理者として,造られたのである。
 今、人間は地球のよき管理者だと言えるだろうか。地球に住む人間、特に、日本を始め先進国の我々は、神の前に、赦しを乞うて生きなければならないと思わされる。 

パソコン  2007年6月21日                               
 ホームページの作成の仕方を教えていただくようになって、1年数ヶ月が過ぎた。パソコンをタイプライターの代わりにさわるようになって、もう20年くらいになるだろうか。けれども、なかなか、難しい。忙しさの中にあって、時には、パソコンの前に座れない日もあるけれど、以前よりは気持ちよくかかわれるようになって来たのは、少しは分かってきたのかと思わされる。
 教えてくださる人との出会いに感謝。自分の人生における出会いや出来事のすべてに、偶然はなく、神の御手にの中にあると信じ生きている。だから、すべてのことを神に感謝する。
 初夏を思わされる風と緑の中で。。。。 

気候                                
 入梅宣言がなされて、一日雨が降った。しかし、その翌日から梅雨の中休みとなり、快晴である。気温は高く何かすると汗ばむが、真夏のようではなく、風は涼しい。気持ちの良い日である。しかし、降るべきときに降らない雨の悪い影響が後になって出ないように、祈らされる。
 子どものころは、毎年同じ季節には同じような気候であったと思うのは、思い過ごしであったら良いと思わされる昨今である。毎日地球温暖化と言うことばを聞かない日はないように思うから。

紫陽花                                
 いつの間にか、紫陽花の花が満開になった。教会の庭には、紫陽花の木が合計6,7本ある。花は正直である。そのうちきれいに咲くのは、半日以上日のあたる場所にある4本だけ。あとのは、あまり大きくもならないし、花を見るのは、数年に一度である。
 私たちも、同じではないだろううか、暖かい愛が降り注がれてきれいに花咲くのは。神の愛、イエスキリストの救いの確かさ、聖霊の導きを覚えて生きることの幸いを思う。

イスラエル                                
相模原市で行われた、イスラエルの駐日大使コーヘン氏の講演を聞いた。日本人の武道精神とイスラエル人の精神が非常に似ているとのことであった。また、宗教観も似ているということで、驚いた。唯一神を信じるユダヤ人と八百万の神々の日本社会とどこが似ているかと思ったが、大使によれば、神道の神々、数々の如来など仏を、神とするのと唯一神を信じるのとでは違う。
しかし、八百万といえば、もう数えられないのだから、それは、どこにでも存在することの出来る唯一なる神のことではないかということであった。
日本人は古来、山に、水に、木に神が宿ると信じてきた。聖霊なる神がどこにでもおられるというのと似ているのではないかということだった。
新しい視点であった。ちょっと考えて見よう。

黙想                                
聖書は、とてもすばらしい。人生の歩みと共に、その教えが深く、心に届いてくる。黙想していると、初代教会における、人々の動きと心が見えてくる。賢明さも愚かさも何千年の年月がたっても、変わらない。それが人間である、と今日も思わされる。

新緑                                
新緑の季節となった。教会の窓から見える小学校や団地の建物が緑に埋まっていく、そんな感じがする今日この頃。冬の間、葉を落として枯れ枝のようになった木々の枝が美しく緑の衣で装った、そのように見える。
今日も神様の恵みを感謝して歩みを始めることを思うとき、心に静かな喜びがわいてくる。

銃社会                                 
 今週は三浦半島において、セミナーがあった。ずっと雨で寒くて、セミナーには良い環境だったかもしれない。三浦半島は教会から1時間10分の距離で、意外と近い。
 新聞もテレビも見ない3日間を過ごし、帰ると、日本でも、アメリカでも銃による事件が起こっていた。第二次世界大戦の前にも、テロなど力で解決しようとする事件が相次いだとコメントする方がおられたが、不平不満でなく、心の平安をもち、感謝して生きる人々で世界が満たされますようにと祈らされた。

                                 
 今年は、暖冬でありながら、最後に寒い日が続いたので、予想に反して、桜の開花が遅れている。教会の近くの団地も桜祭りを始めているが、桜の満開はまだ先のよう。しかし、咲きはじめるなら、桜はそんなに長くは、咲き続けてはいない。
 人の一生もそのようであるかもしれない。長い下積みの苦労をして、始めて、きれいに咲くことが出来、また、そのときと言うのは短いのかもしれない。しかし、私たちの人生は、長い忍耐の年月があってこそ、すばらしい花を咲かせるのだろう。
 そして、次の忍耐の時には、その忍耐がそんなにつらいものとならないのではないだろうか。短くても、また、花咲く日が来るのを知っているのだから。ちらほらと咲き始めた桜を見て、思わされる。

レント                            
 レントとは日本語で受難節という。プロテスタントでは、受難週および、復活(イースター)を覚えて、それぞれの時を持つが、レントのときに、何か行事をすることは、あまりない。それはレントの起こりや歴史の中での事情によるものがあると思う。
 しかし、聖書に書かれている受難に関することは、たくさんある。だから、いつも、受難週一回の説教では語りきれないと思わされていた。
 それで、今年から、イースターまでの3週間をキリストの受難の説教をすることにした。そして、4月8日のイースターの日には、十字架にかかられたキリストのよみがえりを大いに喜び感謝できたらと思わされている。

水仙
 庭のあちらこちらに水仙の花が咲いている。本来お正月ごろに咲く日本水仙にミニ水仙。可愛らしい黄色い花。今 蕾をつけているのは、白い水仙かもしれない。昨年は手を骨折したので、庭の手入れも怠っている。けれども、春の近づきを教えるように、少しずつ、さまざまな草花が芽を出し始めた。そのことは、毎年変わることなく続いている。
 しかし、大きな変化もある。家の中に在るシンピジュームの花も終わりに近づいているが、最後に咲くシンピジュームは、遅咲きの緑の花でいつもの年なら3月の終わりから4月にかけて咲く。しかし、今年は、もう咲いている。梅の花も早かった。
 夜、書斎でPCの前に座っていても、暖房の要らない日が多かった冬である。花粉も早くから感じ始めている。温暖化が叫ばれている。温暖化と呼ぶのではなく、クライシス、危機と呼ぶとは、元アメリカ副大統領のゴア氏の言葉。私たちの手にはどうしようもない、大きな変化が来る予感のする否、日常に感じさせられている昨今である。
 何が大事か、どのように生きるか、考えなければならないのではないだろうか。主イエス・キリストの恵みが大勢の人々の上にと祈る日々である。

ハワイにて思ったこと              
 日本バプテスト教会連合の教職セミナーがハワイで行われた。なぜ、ハワイでと言うことはさておいて、有意義なときをもたせていただいた。日本から、65名、アメリカから20名くらいの参加者であった。セミナーの講師から教えられたこと、励ましを受けたことも大きく、疲れるけれど、時折、海外に出ることの必要性を覚えさせられた。
 特に今回はハワイということで、パールハーバーに行ってみて、個人的感想を言わせていただくなら、パールハーバーがなければ、沖縄戦、空襲、広島長崎もなかったのでは、と思わされた。そして、戦争は絶対にいけない。地球温暖化の問題が言われているが、一個の爆弾が、地球を汚すのはいかほどだろうか。核実験なども含めて、人類はどんなに地球を汚してきたのだろうか。
 終わりの日がますます近づいてくると感じさせられる昨今、多くの人がキリストによって救いを受けますようにと、祈ります。
感謝
 最近当教会のHPをみてくださる方が増えていることに感謝しています。カウントはPC一台につき1回数えますから、何度か開いてくださる方も1回だけのカウントであることを思うとき、本当にすばらしいことだと嬉しく思っています。
 質問や感想などあるとなお嬉しいのだけれどと思うこのごろです。
新春
明けましておめでとうございます。新しい年も神様の祝福が豊かにありますようにと祈ります。
クリスマスが終わって
 クリスマスは、教会にとって、一年で一番忙しい日です。しかし、また、嬉しくも楽しい日でもあります。イエスキリストが地上に来てくださったことの幸いで、心がホカホカしています。多くの方々の上に、イエスキリストの恵がもたらされますように、祈ります。
氷点
 土曜、日曜にかけて、三浦綾子さん原作の「氷点」がテレビで放映されました。綾子さんがクリスチャンとして、人間の持つ原罪をテーマに、赦すことの大切さとともに難しさを描かれた作品です。原作者が知らしめたいと思われたことを十分に伝えることは難しいと思わされますが、それでも、一人ひとりの心はよく演じられていたと思わされました。主人公の陽子の清く生きたいと願う心の中にも氷点があることに気づいていくことが良く現されていました。
 赦すことは、本当に難しいことです。しかし、イエスキリストは、原罪をもち、罪を犯してしまう人間のために、代わって罪を負い十字架にかかって罰を受けてくださいました。神であるキリストが身代わりとなってくださったので、そのことを信じ受け入れるだけで、罪が赦される。これがキリストの「福音」、良き知らせなのです。キリストによってもたらされた神の赦しを受け止めて、初めて人は真に、また、心から、人をまた自分自身を赦し得るのだということを、多くの人が知ることができますようにと、祈ります。
小春日和
今日は小春日和といってよい暖かな晩秋の一日でした。紅葉も終わりに近づきつつありますが、書斎の窓から見える公園と団地の中にある木々の美しさに神様の造られた自然すばらしさに感動を覚えます。
 クリスマスが近づいています。イエスキリストのご降誕の恵みが一人でも多くの方にとって、真実なものとなりますように、祈ります。
最初の一言
いつも、ニュースを見ていますと、悲しいことが多い時代のように思われます。毎日のように、親殺し、子殺しなどのニュースが続くとそのようなことを見聞きするのがいやになる方も多いでしょう。いのちの大切さを教えることの大切さが言われています。言葉で言うことは簡単ですが、難しいことかもしれません。
 いのちの大切さは、人がどのような存在であるかを認識するときに、初めて分かるのではないかと思っています。人は愛される存在。価値ある存在であると聖書は語っています。
 
神は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と私たち一人ひとりに語りかけておられるのです
 もし、自分自身をそのように受け止めることができるなら、今起こっている悲しい出来事もなくなっていくのではないかと私自身は、思うのです。