青春18切符の帰りに ハプニング 
京都で木賃宿 というか バックパッカーの宿に泊まった思い出
2005.1.9-10

昨冬2005年一月 静岡磐田からの帰路 地震で電車が岐阜 大垣の間で 夜七時半ころから 安全確認の為に 二時間ほど止まりました その後ノロノロで大垣を通り やっと米原 午

11時半  

最初は 米原どまり 電車は動かさない 若い車掌は きれいな車掌鞄を下げて ニコニ

コしながら 皆さん 大変ですねー という仕草で 消えていきました 

大勢のお客が ホームを駆け上がって 改札口の駅員に 特に厳寒の時期に 夜中に泊ま

るところもない米原でほり出されて どうするんだ ホームで朝まで居るのか と きつ

い交渉をして リタイヤして 別会社で深夜の保線の仕事をしているように見うけられる

 だいぶ年配の人が 動かすと言いにホームに来て やっと 京都まで 電車が動きだし

ました このときは 歓声と拍手がとどろきました 

やっと 京都に着いたのが 深夜の午前一時半 私は レンタカーを借りて 大阪まで帰

ろうと思案していましたが 

駅頭は真っ暗でした どこもやっていません タクシーでは 五万円はしそう 

大阪駅から自宅まで 更に一万五千円 デジカメが買える 

米原駅 京都駅でも 何人ものお客が 少ない駅員に どないしてくれるんだ とくって

かかっていましたが

馬耳東風 

車中で 京都に着いたらどうするかと 話しかけられていた東京から来た若者(30前後 

がっしりした体格)  

「駅員にいくらどなってもおなじですよ 彼らにはどうしようもないことなんで 彼らに

は決められませんよ これもひとつの思い出として 人生 ものは考えようです」

 というさめた 人生訓を隣の方に居た 同じ年代(年寄り)の人にしてくれ 私も聞いて

いて なるほどと 得心しました 同年代の人が あなたはどうするつもりかと尋ねると

若者は 沢山泊まるところはありますよ 歌声喫茶とか 安い旅館とか 旅館 空いてい

るか聞いてみましょうか ご紹介しましょうか と  携帯電話で空きを確認してくれた

 

私も 聞いていてその話に乗り 若者に紹介してもらった旅館に泊まることにしました 

その同年代の人と 大阪の人妻(30歳くらい 東京のディズニーランド帰り タクシーの

中で 主人に電話したら 大阪まで帰ってきたら迎えに行くが 京都では と電話を一方

的に切られたと 悔やんでいた) と 近くですが 夜中なので 三人で若者の案内でタク

シーに乗りました 

一泊2000円です 朝食付き 

二段のパイプベッドの大部屋 隣の居間のコタツで 若い外国人男性を囲んで 女の子が

キャアキャア と朝方まで騒いでいました 私は 午前二時半ころ やっと そのままの

服装で マフラーをして 帽子もかぶったまま 横になりました  

お風呂は 百円だったか 有料と言っていました 

朝食 何も食べてなかったので 味噌汁を飲みたいと 楽しみでしたが

トーストの食べ放題 勝手に焼いてスプーンでバター ジャムを塗って コーヒー紅茶で

 どうぞ

大きなダンボール箱に 豚に食べさせるほど おいてありました

ドイツ人も食べていました 

勝手に食べて 勝手にチェックアウト 旅館の人が 玄関の受付のローソファーで寝てい

るのを起こさないように そっーと  六時半ころ出ました 料金は前払い 

京都駅から自転車なら10分ほどでしょう 電車なら一駅です

こんな旅館なら 知っています

いわゆる バックパッカーの旅館 若者の言うとおり とても良い思い出になりました

地震が無ければ あの若者の紹介が無ければ あんな旅館に泊まることは一生なかったで

しょう

その若者は 京都市内の歌声喫茶に行くといって そこには泊まりませんでした

私が 払ってあげれば良かったと後で思いましたが 私たちがチェックインしている間に

 出て行きました あの若者 合気道を外国人に教えていると言っていた 今頃あちこち

旅をしているでしょう 

京都に行ったとき 時々 その旅館の前を 走ります