韓国韓国映画について思う事など

韓国映画を観る目的について

 ひとくちに韓国映画といっても、さまざまである。
 歴史に名を残す堂々たる駄作もあれば、民族的な感動を呼ぶほどにつまらない作品、巷で話題の万人にとって観る価値のない作品などなど、あ、それと僅かながら名作もあるようである。
 さて、あなたは、どういう動機で韓国映画に興味をもったのだろうか。え、べつに興味ないって。すまん。  小生の場合、韓国に興味を持ってしまったがゆえに、つい出来心で韓国映画のビデオを貸すお店に足を踏み入れてしまい、悪気はなかったのに、身体が勝手に次ぎから次ぎに観てしまったのである。今でも観ることだけが好きで、ああだこうだのデータなどどうでもいいです。
 というのも、最初に観た一本が心から楽しめたからだ。いま思えばひとめ惚れだった。
 韓国にはもっともっとたくさんの楽しい作品があるに違いない。きっと、輸入など永遠にされない珠玉の名作が、かの国には掃いて捨てるほどあるんじゃーん。無邪気にも夢想した。
 過ぎ去れば、すべて昔は美しい・・・。
 これは、韓国に美人が多いという、日本における風説に似ている。
 確かに、韓国には思わず「あ」と声をあげてしまうほどの美人がいる。
 プサンのフェリー乗り場の受付嬢、ミドパ百貨店の受付嬢、シネコアの受付嬢などは、生涯忘れることなどけしてできないほどに、心にその輝ける容姿を深く刻まれた美しい女性たちだった。って、単に制服を着た受付嬢が好きなだけじゃーん。
 かように、韓国に美人がいるというのは、厳然たる事実だが、その引きたて役となるその他大勢もいらっしゃる、という事実に、我々は目を背けてはならない。
 韓国映画も同様だ。へなへなな、その他大勢の映画がある。
 韓国は世界の中では経済力のある国として、上から数えたほうが早い国だ。なので、芸術も相応しく発展しており、世界中の映画祭でもいろいろと賞をとったりしている。
 だから、賞をとる作品が多いからといって、韓国が優れた映画をたくさん排出していると早とちるのは危険なことだ。わざわざ遠いところからおこし下さって賞というのもありがちだし。
 韓国映画が今面白い!というのはつまらない冗談に過ぎない。
 経済力の話がでたついでにいうと、かつて「韓国の女の子はすらっとしている。太った女の子がいない」という噂があった。これも、もはや「虎がタバコを吸っていた時代」の懐かしい話でしかない。今や年頃の女の子ですら、歩くより横に転がした方が早く進めるほどに肥大化した物体が、何体も何体もソウルの広い道路を転がりまくっている。
 ところで、賞をとった映画が全部あなたにとって面白いわけではないので、そんなものを参考にするのはやめたほうがいい。
 また、韓国内で非常に話題になっているからだの、他国が版権を買ったから、だのいうのも何の参考にもならない。
 楽しめる作品に出会いたいならば、濫読ならぬ濫観をお勧めしたい。
 このサイトの趣旨は、濫観したことを自分の心で感じ書き溜めておくことにある。
 目が肥えると自分にとっては、どういう映画が楽しいのかが分かるようになるものだ。ものの感じ方は人それぞれであるということも実感できる。気がつけば、人がけなすC級D級あるいはZ級の作品を慈しむ暖かい人間らしい心を密やかにあなたも育んでいることであろう。(991205)



韓国映画に限らず外国の映画を観ることについて

 英語を聴いても、ぱあぱあ言っているようにしか聞こえない大多数の日本人の方々。
 私も同じである。
 実は翻訳された字幕は作為的に日本人翻訳者によって創作されたものであって、原語では、実際にもぱあぱあ言っているだけで、あの音声に意味はないのである。  などと考えたことがあるパラノイアな人は、たぶん私だけだろう。
 さて、外国の映画を理解するにはどうすればいいか。
 映画を理解するには、その国のCMや芸能情報、慣習、言いまわし、韓国人固有の癖などクリアしなければならない高い壁が幾重にもある。それだけでも十分ではない。ものの感じ方が民族によってかなり異なることも知っておらねばならない。情報伝達の意味での言葉が完璧に理解できたとしても、同じギャグで笑える場合とそうでない場合がある。
 ようは心。心です。
 これだけは、どうしようもない。
 ある高名な翻訳家が、死の床で弟子を前にして、「辞書を引きながら読むようでは、文学を分かるとは言えない」といったという。そして、翻訳という行為はむなしいと続けたそうだ。この感動的な話の原典がどこにあったか、忘れてしまった。
 外国の芸術作品を分かるというのは、そういうものなのだ。むなしいのだ。
 日韓の若者の考え方、モノの感じ方は20年前よりも、10年前よりも近くなっていることだろう。共に資本主義思想にどっぷり首まで、否、頭のてっぺんまで浸かった仲間である。ハリウッド映画が世界中の多数の資本主義国(のみならず社会主義国にまで)浸透しているのも、われわれが文化的な仲間であるからだ。  だから、字幕があればいちおう分かる、というのもひとつの考え方だし、私のように開き直って、よく分かりもしない韓国語の原語で見るのもひとつの手である。
 さて、むなしい翻訳を通して見る映画だが、翻訳がマズイ時はそれなりに害が有る。
 翻訳がマズイか否かを判定するには、実は原典はあまり必要ではない。
 言いまわしが日本語として自然か。全体的につじつまがあうか。台詞が唐突過ぎないかだけに気を回せばよい。  だが、映画の場合、映像が言葉以上に雄弁に語っているので、文学作品ほどの害はないのが救いではある。むしろ、その背景文化を知っていることのほうが重要だ。
 ともかく、ある程度までは楽しめるのだが、外国映画は基本的にはむなしい。(991205)



まだ、リンクとかぜんぜんつけていませんな。(1205)