「韓国映画の面目815」
ver2(2000.2.13)

*韓国新世代映画祭'99についてはここ

ここのページの意図

 練り飴が好きだった。
 練っていくうちに硬かった飴に空気がほどよく廻ってきて、膨らみはじめる。練りに練られた飴には、不細工でも自分が手をかけたという喜びがある。その飴の味は格別だ。たとえ、手がべとべとになっても。
 にしがや工房は、練り飴である。
 なにより、自分のために書いているものだ。
 そんな文章は思いつきで書けることもあるが、そのような幸福な生まれ方をすることはまれである。たいていは、練りあげる労をいとわずに、絶え間なく、できうる限り繰り返すことで、喜ばしい形になっていく。読書百篇自ずから通ずというが、文作百篇自ずから立つもまた真実であろう。
 テキトーに他人の書いたものを貧乏臭く引用しただけだったり、翻訳しただけだったり、やっつけ思いつきで書いた文章は、無味簡素で右眼から左眼に抜けていくだろう。私はやりたくない。
 文章というのは、よく書こうとすれば時間のかかるものである。
 これは、載せるにはあまりにもおそまつな感想を、忘れないために記しただけの空気の廻っていない練り飴である。文章にギャグが薄いのもそのためだ。ああ、分かりました。先生、空気ってギャグのことだったんですね。

 

 

疾走

 現代若者性春文化スケッチとでも言うべき、映画。
 快楽的なセイ活をおくるバカ者がある日恋をしました。彼女は他の女どもとは違う。
 また、あるバカ者はキャバクラ嬢でありまして、男とドーセイしつつせっせとつばをつけた男とはめはめしたり、お気軽に楽しんでいます。
 などと、まあ、いろんなセイ春が登場する。
 で、だからなんなんだよ。と、見ていてむかついてきた。おらおら、何がいいたいんだ。
 稚拙な心理描写をこれまた下手な台詞で描こうとしているから、茶番にしか見えない。

幽霊

 処刑され、死んだと思っていた男が、生きていた。
 男が目覚めた先はどっかの基地内でありました。
 中には核を積んだ潜水艦がありました。ほんで、これに乗せられる。他の乗り組み員も同じような境遇なのかもしれないけど、私事には触れてはならない掟なので分かりません。
 いろいろあって、艦内で下克上が起こり、アブネーヤツにのっとられる。
 げへへへへー、日本を攻撃しちゃる。歴史に名前を刻んじゃるんじゃい。などと狂っております。でも、バイオレンスでもって、艦内を軍事独裁に染めていく。そういや、もともと軍人ばかり乗った軍艦だったっけか。ほんでまあ、実際に日本の潜水艦が撃沈されたりする。
 男ばかりの映画であり、冒頭のストリッパーもパイオツないから、やっぱあれも男だと思うよ。男ばかりの映画というと、日本では「戦場のメリー・クリスマス」という映画があって、ホモの好きな映画で必ず上位に食いこむそうな。坂本竜一の姪主演のエロビデオ「煽情のメリー・クリトリス」もよろしく。でも、この映画にはあまり、セクシーな描写はないやな。
 一番目に焼きついたのは、カギを呑み込んだ男の腹からカギを取り出すシーンで、あの残酷さはある種の男たちには受けるかもな。
 ほとんど潜水艦の中だけのお話なので、画的にどうも暗くていけません。でもお金はかかっているみたいだし、水準は高いです。

カラ

 キム・ヒソンが出ているし、準主演なのだが存在感がとても薄いのが不思議である。
 ひとりの男を巡ってキム・ヒソンとキム・ヒョンジュが恋したりされたりする。三角関係とも言えなくもないが、やや事情は複雑である。少女漫画のようなアナクロな誤解による恋のすれ違いを、さわやかに描いているのだが、高校生が見るような映画にも見えないし、いったいターゲットはどういう階層なのかよく分かりません。
 前半はあくまで、キム・ヒソンが準主役なのに、全体での印象は薄い。でまあ、悲劇のヒロインばりにキチガイに襲われて男の目の前で死にます。男の手中には彼女に渡そうとしたクリスマスのプレゼントが残りました・・・。ああ、残念くん。さんざん後悔しまくりの三年間の日々である。もしも、あの日に戻れたらなあ。とありえない夢を想像していたら、あれあれ、本当に戻ってしまったんですねえ、これが。
 で、後半はヒソンを救うべく行動する男の一日のお話。
 でも、ここでヒソンの影が薄かった理由が分かる。なぜなら、実は本当の恋の主役はヒソンではなかったから、という仕掛けが後半で展開する。実はヒョンジュの行ってきたことを、ヒソンが勘違いされて男から愛されていたということが分かってしまう。それで、ヒョンジュは苦悩する。結局結論から言うと、男の行動は報われませんでした。ついでに、ヒョンジュもどっかに行ってしまうし。でも、数年後再会して二人は微笑みあう。
 あまり面白いとは言えない映画なのだが、実は構成はよくできている。
 そこには、普段スポット・ライトの当たらない脇役的な女の子が、主役になるという醍醐味がある。
 人生に主人公などないんだよ。ということを私はこの映画から学びました。などと書いておけば、子供の作文なら及第点だな。

情事

 よくある奥さんよろめきもので、ストーリーらしいものと言えば、若い男に主婦がよろよろよろめいてしまうだけ。なぜって、カレったらとっても積極的なんですもの。
 というだけなのだが、だが、この映画は素晴らしい。
 愛というものの怖さがよく分かる。夫から愛されない主婦の孤独を描いている。主演女優のイ・ヘスクが、そういう境遇であるからして、若い男とあんなことやこんなことをしてしまうようになったという、そういう無理からぬ感じが伝わってくる素晴らしい演技をしている。

若い男

 芸能界で成功を志す享楽的な男の裏切の物語。自分と似たところのある女と性交することで、実際あるていどまでは成功しますが、人性至る所性山ありと申しましょうか、いいこともあるし、ワナありと申しましょうか、悪い事もあって、死体遺棄したりするハメに陥ったりします。
 モーパッサンの「ベラミ」に似たところがあって、人間にとって、人生で成功するとは何か、という哲学的な命題を含んでいる映画であることは感じられるんですけど、いかんせん映像的にそんなに面白くないのであります。主人公の好きな歌というやつが唯一記憶に留められるくらい。
 たぶん、「若い男」というタイトルなので、若いからこそ成功するとは何かなどと考える暇もなく、ただ人生街道を突っ走るのみ、それこそが若いってことさ、という主張が隠れているのでしょうか。

檀君物語

 その器ではない男が玉座につく、母親が死ぬ、やけくそになり酒池肉林を繰り広げる。
 時折、底知れない孤独の影を見せるが、ついやけくそになってしまう。
 王はかつて、後世からどう見られるかを恐れて、行動したものだが、などと側近から諭されればどんどん処刑する。
 そういう暴君の話。
 ゴージャスな映像に、説得力のある俳優たちの演技。いささか古いが今でも十分見ごたえがある。

ランナウェイ

 いわゆる逃走モノ。殺人事件を目撃したせいで、殺人者達に追われまくる。周囲の人々は続々殺されるが、主人公は死なないというセオリーもきちんと抑えてある。
 どんでん返しがあるところもいいし、緊迫感もあるし、映像的にも見ごたえがある。
 逃げるというテーマで冒頭から最後まで引っ張っている。悪夢のような現実感があり、なかなか面白い。 

リング

 日本の「リング」と同じ原作で撮った作品。
 ひとことでいうと、ビデオがちっとも怖くないのがいけません。
 でも、これはこれで悪くはない。・・・ってどっち。

ver2 追加は以上


北京飯店

 爽やかな映画では、ある。
 少年の日、夢を語り合った2人がいた。
 その夢を果たしたくても果たせず、息子に友人のやっている店で修行してくるようにと託す。
 青春モノなのか、グルメものなのか判然としない、どちらととっても、まとまりにかけた映画ではあるが、主演女優のミョン・セビンの魅力がこの映画の最大にして唯一の救いになっている。

粉々に砕け散った名前よ

 仏教もの。主に僧侶たちが性愛に苦悩する様相を描いている。
 ある老僧が死を身近に感じたとき、6歳で出家して、女の裸を見たことがないおのれの人生を後悔する。この挿話が物語りのクライマックスである。
 人はどんなに立派な人物に見えても、苦悩していることは同じである。
だが、苦悩を直視する者にはそれを避けた者には見えない色が見え、細部が見える。誰も太陽は直視できないが、目がつぶれるまで見ようとした人間はそれだけで偉大である。彼は凡人には見えないものを見たかもしれない。
 老僧の見た尼僧の裸体は、ヌードの溢れたわれわれの環境では想像するだに難しい。われわれの世界は、見まいと努めた果てに初めて見えてくる真実で溢れている。
 この映画を観ないことで、初めてこの映画の描こうとした真実がわかったりしてな。

三人組

 ギャングのコメディなのだが、どこかかっこいい雰囲気がある。
 このかっこよさを表現する言葉をみつけるまでは、評論にはならないんだよねえ。

スーザン・ブリンクのアリラン

 チェ・ジンシルもの。孤児として外国に出された女の子の幼少期の涙涙の物語からスタート。学生になってからはチェ・ジンシルが演技を引き継ぐ。民族的アイディンティティの喪失をテーマにしているようで、非常に重苦しい。

誰がおれを狂わせるか

 チェ・ジンシルもの。キャリア女とその女との愛を貫くために全てを捨てた男の物語。それでも女からはなめられている。どんどん女との社会的な地位の差が開いていく。
 コメディタッチだけど、とっても、悲しい話である。とってつけたようなラストも含み、愛とは無常なものだよな。

マヨネーズ

 チェ・ジンシルもの。会えば喧嘩ばかりしている母と娘がいる。
 その母と娘の思い出話。母親は父から虐待され続け、無抵抗である。そのぶつけるところがない怒りが愚痴に向かっていたのだろうか。
 ふとわが身をふり返り、愚痴ばかりこいていた生前の父を思い出させる。いい作品です。

間諜リ・チョルジン

 北のスパイが浸透するが、いきなり強盗にあってスパイ道具を奪われる。面白くなりそうなスタートだ。
 ところどころ、やけに笑えるシーン、なるほどとうなづくシーンがあり、ありがちなドタバタもある。
 でも、いろいろ入れようとしすぎているかもしれない。
 現代っ子がスパイに恋するくだりだけが、妙に心に残る。この二人の関係は、韓国と北朝鮮の関係を投影しているとも言える。
 ここだけ拡大しても良かったかも。
 スパイのやるせない悲しみを描いた惜しいシーンがまばらにあるのだが、物語的に盛り上げるためのわざとらしくなるような意図的な嘘を入れていないため、ふーんという感じで流して見てしまう。
 リ・チョルジンの生真面目な顔と、ラスト・シーンの二人の淡々とした会話が印象的である。

人情事情を汲むことはない

 意図的に劇画的な表現方法を用いて、刑事たちがある事件を追うさまを描いている。
 この映画では、その事件がどういうものなのかというのを書いてもあまり意味がないので省略する。
 そうした表現のうちいくつかは鮮やかで、おっと思わせる。
この作品では、時間の経過が表示される。特に何時に起きたということまで必要がない時は事件後何日と表示され、大きな動きがあるシーンでは、時分までが表示される。私が感心したのは、最も重要なシーンで秒までが表示されていたことである。
 まあ、ほかにもいろいろあるのだが。
 もうひとつあげると、犯人を追っている時、だしぬけに緊張感のないおばさんが登場する。これに近いシーンは他にもあって、非日常的なシーンに、こういう市井の感覚の人が登場する。
 これは劇画のパロディなのだろうかとも思える。
 いくら活躍してもヒーローとしては扱われない刑事たちと、アンチ・ヒーローではあるが事件の中では主人公扱いの犯人。
 ともかく、この映画には独特な世界観がある。
 劇画的手法を意識しているようなのに、とても映画らしい映画である。

建築無限六面角体の秘密

 タイトルがクールで、期待させた。
 で、結論から言うと、タイトルが一番おもしろかった。あとはB級そのもの しかもアメリカのB級映画のようなお色気シーンがあるでなし、ひたすらグロに徹した投げやりなとこもなしで、単に失敗している。
 韓国では日本人が朝鮮半島を支配するために、秀吉の時代よりナガキにわたって風水にしたがって杭を打ち続けたという伝説があって、時々その証拠の杭が発見されたりしてニュースにもなっている。
この映画は、そういう伝説(大半の韓国人は事実であると信じきっている)を材料に、李箱という韓国でいまも人気がある日本の植民地時代に活躍した文学者の詩に暗号が隠されているという、まあ、あるかもしれないなという謎解きで味付けしている。謎解きの部分は、個人的には、おやまたですかといった性質のものだし、主人公にヒントを残したあとは、わき役の方々はお役御免とばかりに速攻死ぬとこなどギャグじゃないかと疑うほど、ご都合主義だ。いやギャグだったのかな。
何度となく侵略された過去をもつ韓国人は、忍耐強い民族だと言われる。この映画で席を立たない観客がほとんど立ったとしたら、説得力のある指摘である。まあ、おれも嫌な仕事のことや、親の老後の心配など、日頃思い出したくないような様々な雑念が脳の中を去来しつつも最後まで見届けたんだが。
そこかしこに不適切な映像表現が多く、ありていにいえばダサイ。
最後、アクションものっぽくなるのだが、まるで必然性を感じずいかにもとってつけているかのようである。

口紅を濃くひいて

 成人映画。やくざの女が金もってトンズラ。その女と知り合いになった男がいて、いつしか二人は合体というありがちな話である。
 妙にまじめに作っていて、やけに映像が古臭いことが哀しいのだが、丁寧につくられている。
 男と女が互いにひかれあうまでがやたら長く、一時間半もない作品なのに、ようやくふたリのお楽しみシーンが始まるのは、一時間後だったりするし、そのシーンも時間的には短い。
 女優の何かいいたげな表情が、記憶にとどまる。
 女にとって恋愛とは何かいいたいこと男に聞いもらうこと、と心理学者の書いた本によくある。これって、思想的には誰からきているんだろう。

ヌードル・ヌード(1998)

 短編アニメのいわゆる「ちょっとエッチな物語」集。
 画のタッチも様々で、内容も基本的には下半身の物語だが、ばかばかしい冗談を映像化したような感じだ。レベル的には、スポーツ新聞の漫画のようなもんか。
 なんともおおらかな巨根願望まるだしのやつが多い。
 笑えます。

新装開業(1999)

 とある、ど田舎の物語。村には一軒だけ中華屋があったのだが、そこに新たに中華屋ができる。なんだか窓もないし配達してくれというと、配達もしていないし、店の人は無表情だし怪しい。
 最初、客は寄りつきもしなかったが、ひょんなことから、店をあぶれた客が入ってみると食い倒れしたくなるほどにおいしい。
 中華屋のコックの料理人がおのれの人生を真っ向から否定したくなるほどにおいしい。村には、その店の評判と味に対して感動の嵐が吹き荒れる。
 しかし、もともとあった店の店主はなんだか、おかしいぞと思いこんでいるので、何かと疑惑を抱いてしまう。そんな拡大しつづける疑惑を徹底的に拡大させていく映画。
 ようは人を殺して材料にしているんじゃないかってことね。
 それを、「静かな家族」風に描いている。音楽といい、雰囲気といい、パクリとは言わないが、少なくとも意識していると思うが。でも、こっちはギャグの抜けが悪い。

結婚物語(1993)

 バラ色の新婚生活。あっちゃハメこっちゃハメして、大変に仲がよろしい。
 そりゃ、たまには痴話喧嘩もするけど最後は、合っ体っ。しゃきーん。
 大学時代からシリアイだったそうだが、何でそんなにいちゃつけるか不思議だな。
 ちなみに、職業がセイ優でこれが全体の軽薄な雰囲気にマッチしている。
 これを観て、独身のあたしは思いましたです。
 「夫婦とは合体することと見つけたり。」
 自分の片割れであり、どちらかが欠けては生きていけない。英語でいうと、ソウル・メイトだな。ソウル出身のルーム・メイトではないぞ。あ、脱線した。
 離婚の危機みたいのも後半お約束で訪れたりするわけですけど、予定調和ってやつにしか見えない。
 観ている方が恥ずかしくらい、ただひたすら、いちゃついているだけなのだが、何だか楽しそうに見える。
 シム・ヘジンってHっぽい顔つきだし、いい感じだ。

結婚物語2(1994)

 1の夫婦とは旦那が違うので、違う夫婦の話だと思う。案外、1の妻が再婚した相手が2の旦那だったりと妄想したら話に広がりが出るよな。
 ちなみに、合体シーンが少ないため、「高校生以上観覧可」のランクがついています。
 ある夜、就寝前ことに及ぼうとした時、なんかどちらともなく戦意喪失してしまった。倦怠期ってやつだね。
 つまんないねー、どっかいくかぁ?
 てなストレートな展開で、やや倦怠期に入りつつある夫婦がオーストラリア旅行に出かける。
 それで、冒頭の7分で、地元のまぬけなマフィアから奥様がやばいぶつを間違って受け取ってしまうわけです。
 あとは、そのマフィア2人組に追い回される。ずっと、そればっかし。
 単純明快なストーリーなのであります。
 でも、なんか話の先が見えるんだよな。観光映画としてもそんなに見せ場が多くはないし、2人組のマフィアもあまり緊張感がないし、夫婦もべつにいちゃつきまくっているわけでなし。倦怠期夫婦がテーマだから倦怠でもま、いいんかな。

雨降る日の水彩画(1990)

ようは、雨男、雨女のカップル

 ある若い美男美女のカップルがいる。よくある、泣いて笑って喧嘩してぇーという、その恋愛風景を、雨の降るシーンを背景に綴った映画。女のほうが画をたしなんでいて、雨の中でスケッチしていたりする、いかにも、とっつけたようなシーンが何度も挿入されるが、それがタイトルの由来なんだろうなあ。
 実際、記憶に残るのは雨だけなのだが、想像されるほど退屈な映画ではなく、不思議と観てしまう。セールス・ポイントがはっきりしているだけに、分かりやすくていい。
 ようは、雨男、雨女のカップルだったんだろうねえ。
 

ホワイト・バレンタイン(1999)

鳩の映画

 若い女の子と、ちょっと中年にかかろうかという青年の奇妙な関係。ある日、女の子の部屋に伝書鳩が、間違ってラブ・レターを届ける。その送り主は誰?と辿っていくと、ある鳥専門のペット・ショップにたどり着く。女の子は恋人を装い、手紙の返事を書きつづける。二人は同じ町に住んでいて、手紙を介さない世界でも知り合いで、少しづつ心をひかれあっていく。
 と解釈してみて、ついでに伝書鳩をAOLに置き換えたら、どこかで聞いたようなストーリーであるが、気のせいだろう。
 やがて、二人の出会いには因縁めいたものがあるのを互いに発見するのでした。で、この因縁というのが、この映画のポイントなのかしらん。
 台詞に凝ったところがあり、軽いギャグが笑える。あと、パク・シニャンの似合わない髪形も。
 意外と複雑なストーリーで、いろいろ納得いかない点があるのだが、細かいことは考えないで、広い心で見れば、実は監督は鳩の映画を撮りたかったのだろうなということに気がつく。

  

失樂園

失策編

 日本の失楽園というと、良識ある人たちからは、ダサクの代表のように言われるが、Hシーンには幾分か見所があった。別名チツ楽園と呼ばれ、日本中の良識のない人たちから支持されたものである。
 中年のおばはん達の欲求不満解消ムービーとして、実用化されてヒットしたことは記憶に新しい。
 しかし、コリアいかんわ。Hシーンが普通なんである。もっと、腰を入れておやんなさいよ。
 こんな映画、日本の映画がジャンルや、映画祭などの賞の有無を問わず、ダイレクトに輸入上映されるようになったら、即死するような泡沫企画モノだ。
 服装や髪型まで似せてあるのはいいが、そこまでやるなら、オリジナルで一番カンドー的カンノーのシーン、2人切でしっぽり露天風呂Hもヤラないとな。泡風呂じゃあ、いまいち。
 新宿某所にある韓国料理屋のカムジャ・タンには、カムジャ(じゃがいも)が申し訳程度しか入っていないが、そんな感じである。まったく、いい気になってんじゃないよ。ちょっと人気が出たらすぐこれだ。味も落ちたぞ。骨ばかりじゃないか。松屋。
 

ドクターK

ムダンの医者のにぎやかな診療生活

 大学病院の特別室に入ってきた若い女の子の患者は、病院を転々としてきた。つまり、超難病をわずらっていた。
 この患者の女の子が、ハンサムな主人公の医師に恋をする。
 医師の方もまんざらでもないらしい。女の子は医師に恋して、家まで尾行してみる。おっと、医師はムダン(霊媒)の家の息子で、自らもそういう能力を開発しているらしい。
 という医師の学生時代や幼年期の挿話などは、その後の展開を期待させたが、全然つながらなかった。
 もしかしたら、面白くなったかもしれない話である。B級ノリで、ばりばり治療しまくっていたら、あるいは、どこまでもクソ真面目に科学的治療とムダンの対立、あるいは融和を描いていたらと思うが、どこまでも中途半端である。
 一番印象的だったのは、最初のタイトルだったりして、悲しい。。あと、キム・ヘスが必要以上に濃い。
 キム・ヘスといえば、日本人がイメージする濃い韓国女性の代名詞のような派手な化粧、派手な演技をする女優である。
 この作品では女医の役なのだが、ここでも怖いくらい濃い。
 本当は一番盛り上がらなければならないラスト・シーンでは、つい失笑してしまった。
 

未婚娘たちの夕食

女の大人のおもちゃは男

 いわゆる3人の女性モノ。
 結婚適齢期の峠をやや越えたあたりの女性たちが、それなりに充実したセイ活の中で、さあ、これからナニしましょうか、ケツ婚でもしますかという話。セイとケツ婚は、未婚女性が一番興味ある話題ですもんね。
 いちおう、現代のキャリア・ウーマンたちの心の空虚を描いたなどと、セイ作動機がこじつけてあるんだろう。
 取りあえず表向きのテーマは別にあるので、女性がポルノを観るという、ちょっとした勇気の後押しをしてくれてはいる。が、ポルノにしては、(男から観て)あまり官能的ではなく三度の食事のように当たり前にやっている。いたすシーン以外では、3人が食事をとりつつあけすけに奔放に、セイを熱く語りあっている。セイ・ヤングってやつか。
 男はこれでは、納得しないかもしれないが、女性向けポルノと考えたら、これはなかなかのものである。
 というのが、女性は心と肉体が常に一体化しているものだから、性生活は生活の一部になりがちなのではないかと、男の私は偉そうに解釈しました。
 その他のシーンも、リアルな小道具がさりげなく利いて、飽きずに見せてくれている。これも、女性は細部から全体を構成するという思考方法をとることから来ているのだろう。男性たちも、男根に目鼻がついた女の玩具のような描写になっている。
 くそ。なんか、むかつく。やっぱり、おれは玩具だったんだな、あのアマ。そういや、大人の玩具屋に三人の女性が入って歓談するというオシャレなシーンもある。あれは抽象的伏線だったんだな。
 ともかく、男が観るとむかつくほど、女性心理の独善的思考方式をよく捉えている。女性誌の投稿欄で見かけがちな「あたし的大事件」が満載。
 女性向けポルノ作品というと、イージー・ゴーイングな駄作を連想しがちである。が、この作品では、観客動員のツボを押さえており、そうした目的を名人芸にまで高めている。これと似た作品は、観たことがない。観ていて不快で仕方なかったが、非常に目新しい作品である。
 やはり、韓国でも女は残酷だな。特に未婚の女は。
 

青い門

性に目覚める少女から成熟した女性へのあこがれ
 
 性に対する観念が大きく異なる二人の若い女性が、心の交流を重ねて行く様子を描いている。
 海辺にある家族経営の旅館で、女の子が働き始めるところから話は始まる。そこで彼女は、夜に客をとる旅館つきの売笑婦として働く。
 そこの旅館の娘は、最初は彼女を軽蔑する。しだいに、その軽蔑は強い嫌悪感に変わる。
 周囲の男たちは様々な思いで彼女に欲情し、たいていは、金や権力や哀願や、あるいは愛情により思いを遂げる。
 これらは、男が女に期待するあらゆる肉欲を描こうとしたものではないだろうか。男たちの年齢も性的な嗜好も様々である。
 時には客だけが相手ではなく旅館の家族にまで性的衝動を誘発させる。家庭の騒動の元凶となった彼女のことを、旅館の娘は憎むようになる。
 一人の魅力的な女性は、周囲の男たちをどれだけ幸せにしていることだろう。男たちの性の慰み者となりつつも、確実に男たちを幸せにしている女性がいる。そういう観点から、シーンが重ねられる。
 やがて、旅館の娘は彼女の優しい性格に気づき、次第に性的に成熟した年上の女性としてひかれはじめるのであった。
 どう贔屓目に見ても悲惨な境遇の女性の話ながら、鑑賞後に爽快な気持ちになれる。不思議な味わいがある。
 海辺の、のどかな風景が印象深い。
 

陽が西に昇ったら

光っているね、キミタチ

 プロ野球の審判と今を時めく美人女優のさわやかカップルが、恋を育んでいく映画。
 出会った頃は、お互いに夢を語り合っていた、ただのふたつのタマゴだった。それがしばらくして、偶然に出会い、夢をかなえた姿を見る。
 良かったね。お互いにね!などと恥ずかしいくらい青春した映像が続く。どこまでもハッピーなカップルである。でも、そういう挿話には、ちっとも嫌味な感じがなく爽やかにまとまっている。ついでに恋の炎も弱火でじわじわ煮込み料理のように、ゆっくりと心を絡めとっていきます。もちろん、恋のスパイスとしてかかせない、当て馬君や当て馬子ちゃんたちも当然揃えています。そう、こなくっちゃだわ。
 恋っていいよねと、今ではすっかりひねくれ者のおいらも、若かりし頃、二十歳の頃、だいたい十年くらい前か?ってこんなところで、長話すんなよ、誰もおれの思い出なんか気にしてないっての的な思い出に浸ってしまいたくなるほど、かわいい恋愛の話である。とっても、さっぱり。
 光っているね、キミタチ。
 反面、さっぱりしすぎて全体的にここという見所はさっぱりなく、インパクトには乏しいし、感動という言葉はさっぱり感じられない雰囲気があるが、さっぱりダメというわけでもない。素直に観れれば、楽しめるんじゃないか。みんな、ヒネクレタっていいことないよ。素直に観ましょう。と、無理な注文をしておこう。
 余談ながら、主演女優のコ・ソヨンの学生時代シーンの化粧が、その後の女優になってからの顔と格別に違っていて面白い。最初登場した時、主演女優の名前を知っていたのにも関わらず、誰かと思ってしまった。それが一番のインパクトだったりしてな。
 

約束

運命を悲劇的にしてしまう女

 ヤクザなリゾート開発屋の社長が、利権がらみで刺されて入院する。
「あらこの人ヤクザなのに、おめめがかわゆいわ」と女医が思えば。
「ストッキングがデンセンしていることにも気づかないなんて、この女医さん、人生をエン女医しているのかな」てな具合に、社長が感じる。
 さあ、恋愛の始まりです。
 恋に不器用なヤクザというキャラで、前半コメディちっくに進む。
 これでもかこれでもかと、ゴージャスなプレゼント攻撃をかます。
 たとえば、不器用な女医が運転免許取得で悪戦苦闘しているかと思えば、ハイ、偽造免許証。でもプレゼントで女の心は動かせない。女にとっていちばん大切なのはココロ、ココロなんですよ。あー、ココロって何だあ。
 でもまあ、いろいろあって、ベッドの上でお医者さんごっこする関係になりましたとさ。その時の寝物語で、約束をする。
「煙草やめるって約束して」「約束はしたことないんだ」。しばらくしてキスした時に匂わなかったので、女医さんは感激。こういう小さな信頼がこの恋を強くしていく。
 で、何回か修羅場がある。そういう時に、女医の性格が極めて強いために、コトが大きくなったりもする。そうして、後半はコメディタッチでなくなっていく。
 最後は御都合主義的に、神の前で愛を契り会うまでになる。めでたしめでたし、というところだったのに、そうは簡単に問屋が卸さねえんだよ。
 ヤクザな男は仁義のために、何人かぶっ殺し、自分の身代わりに兄弟分にムショ暮らしをしてもらっているのでありました。あんたは社長だ。社員が路頭に迷ったらいけねえ。一度は、そういう舎弟のお言葉に甘えさせていただきました。
 でも、他人に罪を擦り付けては、幸せにはなれないんだよ。おれは、おつとめをしてくるよ。いやいや、いかないで、あなた。せめて一日いっしょにいて。だめだ、別れがよけいに辛くなる、じゃあ、行くよ。
 ああ、涙涙。
 となるはずなのですが、何か釈然としません。この2人が、自らわざわざ自分たちの恋愛の試練を大きくしていたのが、ラストではっきり分かってしまうからだろうなあ。墓穴を掘るってやつですな。
 

美術館となり動物園

劇中劇とシンクロする恋愛

 いわゆるラブ・コメ。とは言い切れない妙な味のある作品。
 ひょんなことから、同居生活を始めることになってしまう男と女。趣味は違うところが多いが、性格は似ている。
 美術館と動物園が隣り合わせているところに行けば、女は美術館を目指し、男は動物園である。こういう場合どちらかが折れるものだが、二人とも強情さんなのでした。べつべつに、美術鑑賞、動物見物に行く。こんな互いの違うところを認め合えるカップルっていいよね。
 そのうち2人でシナリオを共同執筆する。
 シナリオの中で二人の思い描く理想の恋愛像が明らかにされていく。シナリオの登場人物と、現実の登場人物が微妙にオーバーラップしていたり、シナリオの世界と現実の世界が微妙にシンクロしていたり、ただのラブ・コメに堕さない仕掛けが見られる。後からじわじわと、くるヘンなテイストの作品である。
 ラストは、そのシナリオの続きが知りたくないかい?と男が聞いて、そして口づけを。というやつ。
 でも、キスした後、女の子が嫌がっている顔を観客の方に向ける。
 シム・ウンハ(個人的にはシムナと呼称。シム・ウナも可能)のいかにも韓国の女の子っぽい、顔のシカメ方や歩き方、喋り方やふとしたしぐさが新鮮である。彼女のそれまでの演技と言えば、韓国ぽくない雰囲気だったが。韓国の女の子ってどんな感じか知りたい人は、どうぞ。こんなにかわいい女の子は、そうそういませんけど。
 アン・ソンギが、準主役でいい味だしています。でもなあ、シム・ウンハに憧れられる王子様って役はミョーだぞ。年を考えなさいよ少しは。