兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま今日まで残しています。
もともとは、金沢城の外郭として城に属した外庭で、延宝4年(1676年)五代藩主綱紀が
蓮池亭を造り、その庭を蓮池庭と呼んだのが始まりと伝えられています。その後十二代藩主
斉広が東南平坦地千歳台に竹沢御殿を造営し、その間、新たに庭を造り蓮池庭との障壁を除き、
蓮池、辰巳、山崎等35門を建てました。十三代藩主斉泰は、天保8年(1837年)霞ヶ池を
堀り広げて増庭し、今に見る兼六園はこのときできたもので、その構図の雄大さと技術の優秀さは、
他の追随を許さぬものです。
金沢城は、加賀一向一揆の本拠地、金沢御堂としての時代や佐久間盛政の居城した時代を経て、
天正11年(1583)の前田利家入場後は、加賀藩主前田家の居城として本格的に建造が行われました。
天守閣は慶長七年(1602)の落雷による消失後は再建されなかったが、櫓(やぐら)の数は
多いときでは二十棟を数えたといわれ、鉛瓦や海鼠塀(なまこべい)が貼られた石川門や
三十間長屋など、金沢城独自の威容を誇ったと伝えられています。明治期には兵部省、昭和期
には金沢大学が置かれ、現在は金沢城公園として整備されています。
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兼六園1 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 兼六園の象徴、徽軫灯籠(ことじとうろう)です。 |
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兼六園2 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 日本で最初の噴水と桜。 |
兼六園3 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 園内で説明するガイドさん。 |
兼六園4 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 金沢城石川門と桜です。金沢城跡として残る遺構の1つです。 |
兼六園5 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 花より団子1(笑)。 |
兼六園6 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 花より団子2(笑)。 |
兼六園7 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 金沢城石川門と桜です。重要文化財です。 |
兼六園8 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 石川門は、金沢城の時代は搦手の門で、石川郡の方を向いていたので「石川門」と称されました。 |
兼六園9 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 金沢城公園の新しいシンボル、新しく復元された五十間長屋です。 |
兼六園10 |
14秒 〔登録日:2003/04/19〕 五十間長屋です。平成13年7月に復元工事が完成しました。 |