蝶々たち

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象を捨てる

 後ろ手に鍵を閉める。かちゃり。意外に大きな音がして、彼女は慌ててこちらを見る。
 いやいや大丈夫、何もしない、鍵を閉めるなんて東京じゃ当たり前でしょ。
 それはそうね。
 まあ適当に座ってよ。
 六畳一間にはベッドとテーブル。クッションがふたつ置いてあるのだけれど、彼女は床ではなくベッドに腰掛けた。僕はグラスとミネラルウォーターを用意する。
 で、何の話だっけ?
 ゾウを捨てるにはどうしたら良いのか。
 ゾウって?
 動物の。
 へーいつ拾ったの。
 昨日。
 ミネラルウォーターに水道水で作った氷を浮かべるのに矛盾を感じながら、それでも可笑しな話の前にはいくらか正常かもしれなくて、グラスをふたつテーブルに載せた。それから壁を背にクッションに座って、彼女を見上げるような構図になる。
 それじゃあ硝子瓶に入れてしっかり封をして、東京湾に落とすのさ。そうすればきっと。
 きっと?
 流れ流され潮に乗り、南アフリカの恋人に巡り合えるはずさ。


(20041003。500文字の心臓タイトル競作−○0△0×0)

象を捨てる

 そうだ、モロッコへ行こう!


(20041003。500文字の心臓タイトル競作−○3△0×1)

二人だけの秘密

 いつまでも夢の中に沈んでいるのは、現実のあなたに申し訳なく思ったりもするのだけれど、目を瞑った暗闇の中にあなたがいる限り、私は決して目を覚まさない。
 あなたと暗闇の中を泳ぐと、並んでいるだけで頬が赤くなり、私は無駄だと知りながらも髪で頬を隠してみる。けれどあなたはやっぱりちゃんと顔を覗き込んでから、頬を撫でて、首筋から肩、腕、手首、指先へと長い指を滑らせる。
 向き合い、抱き合い、絡み合い、繋いだ手からあなたと私が重なる、腕からあなたが私の中に入り込む、四本の足が二本になる。侵食、融合、瞳までが溶け合い、ふたりが完全にひとつに混ざって、私はあなたが見えなくなる……あ……私の内側であなたが弾け、思わず瞼が開いてしまう。そこには現実のあなたがいて微笑んでいる。「おはよう」
 挨拶を返して身体を起こすと、シーツが汗で湿っている。私は名残惜しさから片目を瞑って半分だけ暗闇の中に潜ってみると、あなたは人差し指を唇に当てて悪戯そうな笑みを浮かべていた。現実のあなたも片目を瞑っているから、私も人差し指とキスをした。


(20040801。500文字の心臓タイトル競作−○0△0×0)

黒い虹

 一匹の金魚がひらひらとしている。
 それは昨晩、恋人が買ってきたもので、夜に浮かぶ赤はとても綺麗なものだったのだが、日が昇り昼といって良い時間になってしまった今では、私を脅迫しているような錯覚を抱かせ、それは火にかけた冷水がだんだんと熱湯に変わっていくようにゆっくりと、だが確実に穏やかざるものへと変化していき、恋人から貰ったものであるにもかかわらず、私は窓から捨ててしまいたい衝動に背中を押されるのだった。しかし外は飛行機雲の長く伸びる晴天であるのに、霧雨が降るというちぐはぐな天気で、窓を開けることができずに諦め、雨の向こうで太陽が白くぼうっと光る姿をぼんやりと眺めていると、そこに虹が架った。
 七色は窓硝子のこちらから覗いていると、私の不安を飲み込んだのか、来るべき夜を吸い込んだのか、反転し、内側からめくりあがるようにして裏返り、黒くなっていく。虹の裏側を初めて見た私は、私の裏側にあるものについて少し考えてみるのだが、答など出るはずもなく、やがて虹は完全に黒くなる。
 私はこの十二階の切り取られた青空に金魚を放り投げ、黒の虹に赤い線が引かれるのを夢想してみるが、窓を開ける気にはなれなかった。


(20040613。500文字の心臓トーナメント二回戦)

踊り子たち

 君の右手の上で小さな踊り子が一人。くるくる回って、二人になって、手を繋いで、広がった。二人の踊り子たちは手を離して、また回り出す。くるるるるるる……そして二人は四人になった。
 四人は八人。八人が十六人。
 そこで君の手から一人が零れ落ちるから、慌ててぼくは両手で受け止めた。
 ぼくの手の平で踊り子はすっくと立ち上がり、また回り始める。けれど何度回っても二人にはなれなかった。
 その姿を君の手から十五人がじっと見つめる。手を繋ぎあってじっと見つめる。
 ぼくの踊り子は一度手を振って、くるるるるるる。
 それでも踊り子は増えることが出来ずに、くたんと倒れる。それと同時に君の手の十五人の踊り子たちは、ぽんっ。消えてしまった。後にはぼくの手の平で、踊り疲れてすやすやと眠ってしまったひとりだけ。
 気付けば、君もいなくなっている。


(20040517。500文字の心臓トーナメント一回戦)

密室劇場

 双子の姉妹が閉ざされた部屋に産まれ、時間が動き出し、お互いを欲し、優しく想い、手を繋ぎ、時々くちづけをする。
 妹は姉を慕い、敬い、我が侭を言う。
 姉は妹を愛し、許し、我が侭を聞く。
 狭い空間、柔らかい壁に二人きり。
 妹は最後の我が侭を言う。「食べてしまいたい」
 姉は最後の我が侭を聞く。「残さず食べてね」
 そして涙を流す妹は独り。涙は貯まり、妹は沈み、やがて溶けてなくなる。双子が消えた涙の海もやがて空気に変わり、すべては終わり、密室は内側から開かれる。
 最後に君が良い香りという。それが一輪の薔薇の物語。


(20040229。500文字の心臓タイトル競作−○0△0×0)

LIBERTE ACIDULEE

 トマトの瑞々しい赤色の中で、いつもの君がまどろんでいた。変わらない君の声が迎える。やあ久し振りだね。そろそろ来る頃だと思ってたよ。
 ぼくは黙って君の隣に腰を下ろす。君だって声だけでぼくを見てはいないから、これで良い。ただ静かに視線の先を追って、君と同じものを見るだけだ。
 ここで君と逢うのは夕方だと決めていたから、ぼくはわざわざ遠回りして、土の下の根からやってきたのだった。茎を通って、葉の中へも寄り道してきた。そこでは光合成のすべてが展開されていて、目の前で酸素が出来上がる。いつもながら見惚れてしまったよ。
 けれどそれさえも今の景色には及びはしない。
 果肉の内側から眺める世界は、常に赤いフィルターが掛かって素敵なんだ。特に夕日はトマトと呼応して、どこまでも赤くなる。トマトが赤で満たされて、零れていくような錯覚。すべての根源たる赤の楼閣、世界の中心にぼくらはいるのだ。
 太陽が落ちたらそのまま就寝。明日こそは君よりも早く目を覚まして、ぼくは旅立つ。
 それでもここから僕が出て行くことに、やっぱり君は気付いてしまうのだろう。そうしたら振り返らないで、いつも通りに背中で声を受け取ろう。
「青臭いその香りが抜けたら、トマトの中へまたおいで」
 悲しいくらい君は、いつまでも君のままなのだから。


(20031118。500文字の心臓特別企画「香りの超短篇」−○1△0×1)

Remember ME

 かららららら。風車が鳴る。空色の小さなそれは、ぼくの手作りだった。
 君が風に攫われてから、どれだけ時間は過ぎただろう。ほんの昨日のことにも感じるし、遠い昔のことのようにも思える。君がいなくなったのは幻だったのかもしれない。そう思うくらいに曖昧だ。もしかしたら君がいないこの世界を、ぼくは曖昧に感じているのかもしれない。
 君はぼくの造る風車が好きだったから、ここを通ればきっと止まっていくだろう。
 だからぼくは風の通り道にこいつを置いて、今日も君を待っている。かららららら。


(20031118。500文字の心臓特別企画「香りの超短篇」−○0△0×0)

結び目

 消えそうに細い三日月が薄く光を投げかける夜の音もない片隅に、秘密めいた大きな梅が植わっている。その木の下で少年を従えた黒猫が、みゃうと鳴いた。梅は枝を一本だけくるりと曲げて、誘うようにそれに応えてみせる。
 黒猫は自分の隣にいる少年を見上げた。縦長の黒い瞳をきゅうんと細くして、行動を訴えかける。少年は頷き、爪先立って手をいっぱいに伸ばして枝の端を掴んで引き寄せると、一息に固結びにしてしまう。思いの外強く縛られた枝の結び目から、紅い蕾が口だけを出して、これでは咲けないと嘆いた。
 黒猫は少しだけ不憫に思ったのか、少年を見上げて今度は瞳を少し太くする。少年がそれに頷いて一枚の葉をポケットから取り出すと、どろん。煙と共に結び目はほどける。
 けれどそこには蕾がなく、猫の瞳が紅くなった。


(20031109。500文字の心臓タイトル競作−○2△0×0)

結び目

 世界がほどけた!
 君が終わったのだ!


(20031109。500文字の心臓タイトル競作−○0△0×2)


 僕は楽しい。僕は可笑しい。僕は嬉しい。僕は愛しい。僕は狂おしい。僕は苦しい。僕は哀しい。僕は寂しい。僕は恋しい。僕は優しい。僕は涼しい。
 君は笑う。君は喜ぶ。君は遊ぶ。君は踊る。君は猛る。君は喚く。君は叫ぶ。君は怒る。君は泣く。君は悲しむ。君は哀れむ。
 くるくる表情、百面相。
 本当の自分を忘れてしまう。


(20031014。500文字の心臓タイトル競作−○0△1×0)

水浪漫

 きみが泣いた。
 溢れ続けるきみの涙はやがて青い海になった。
 だからぼくも泣くことにした。
 ぼくの涙は川となり、ついにきみの海へと辿り着く。
 きみの涙は止まることがなく零れ続けた。ぼくも同じようにずっと泣いていた。けれどぼくはいつまでも川のままだった。どうしてもきみの涙のように、複雑な色合いの海水にはなれなかった。ぼくの涙は透き通って、きらきらとしていたけれど、それだけだった。
 きみの涙に溶けているものに気付いたとき、同時にそれがきみの涙の理由だと解った。そしてぼくはとても悲しい気持ちになって、やっと青い海になる。
 いつかこの海が赤く染まれば良いと思う。


(20030808。500文字の心臓タイトル競作−○1△0×0)

輝ける太陽の子

 町外れの小川のほとり。早朝に深く覆う霧。美しい少女が独り。俯いて寂しげに座り、長い髪がしゃらり。足元に絞め殺した小鳥。けれどここは野犬の縄張り。白の向こうに二眼がぎらり。
「どうぞお上がり」
 施しなど受けたことのない野犬が吃驚。矛先を無くした怒り。貰うだけでは帰れないのが野犬の誇り。それならばと少女は生い立ちを語り――絶えず働く姿勢は蟻、けれど扱いは変わらず塵、遠くから蔑む視線の針、逃れられない檻、置かれた状況のあまりの不利、それでも気丈な振り――改めて見れば汚い身なり。零れる野犬の涙がぽろり。
 二羽目の鳥が水辺にひらり。口の端だけ曲げて野犬はにやり。まるで投げられた槍。最短距離を駆り、理想的な狩り。御覧の通り、しなやかさが売り。振り返ればにこりともしない少女にがっかり。
 霧が去るまで少女の隣。せめてもの思いやり。けれど時が経っても空は重い曇り。少女の横顔が心残り。だから離れることは無理。うろうろと少女の傍を廻り、たまに前足で鳴らす砂利。小石が爆ぜる音に乗り、響き行く少女の「らりるらりるらりり」。
 初めて笑う少女に射す光。一転晴れ渡る周り。寂しく思う曇りの終わり。悔しく思う太陽の明り。

(20030704。500文字の心臓タイトル競作−○3△3×4)

炭酸少女

 目が覚めたとき、わたしはワイングラスの中にいた。七分まで注がれた炭酸水の中に沈んでいて、わたしぱっくぱっくしてた。
 不思議と苦しくはなかった。肌呼吸をきちんとマスタしていたのかもしれない。自動的に空気を肌から吸っては口から吐いた。周りを見渡すと、わたしと同じような仔がいっぱいいる。みんな泡を吐いて、これが炭酸水の正体。いつかあなたの中で溶けていく、甘い甘い水の日常。

(20030615)

アルデンテ

 ぼくが君を蕩けさせてみせるから、信じてすべてを話して欲しい。
 きっと吐露すればとろとろに、ともすればたるたるに、爽快に氷解する重大な難題。
 けれど君は髪の毛一本の誇りで、ぼくの誘いを跳ね除ける。けれど君は薬指一本の約束で、ぼくの願いを吐き捨てる。
 たったひとつの汚点すら修正ペンで消されるのを拒む習性。たったひとつの汚点こそ蛍光ペンで飾られるのを好む傾向。
 忘れてしまえ。許されてしまえ。そんな硬質な生き方に一体何の価値がある。
 割れてしまえ。揺れてしまえ。そんな固執は死に様に一輪飾るだけで良い。
 今一秒進むのにそれがどれだけ不要で無用かと、どんなに多様にかように説いても、首が縦に振られることは一度もない。
 それでもぼくは諦めはしない。必ず君の苦悩を完全に解放する。焦らず君の不能を丹念に介抱する。
 アンダンテで近付く、アルデンテな君に。ぼくはその芯を打ち砕く使者。

(20030601。500文字の心臓タイトル競作−○2△2×1)

楽園のアンテナ

 桜の下に人が埋もれているように、梅の下には猫が沈んでいる。
 ゆめうつつ闇夜に浮かぶ満月が明るく朱色を照らせども、まだ暗く隠れる黒猫は梅の元へ歩み寄る。
 幹の周りを二三と周って寂しげに小さく吼いたのは、仔を失った嘆きからか、恋を失った渇きからか。
 尻尾は天に向けて真っ直ぐに立っている。それは星を突き刺すようにも見え、何かを受け取ろうとしているようにも見えた。
 黒猫はもう一度吼いた。

(20030506。500文字の心臓タイトル競作−○1△3×0)

お城でゆでたまご

 荘厳なる沈黙の王。口を開けば魔物が住まう。言無しの王には娘がひとり。王女は生を受けて十九年後に男児を授かった。しかし息子は災厄の始まり。それでも産声を漏らさねば生きることができたが、空気は無残に裂かれてしまう。悲しみの産声は王の耳にも届いたから、赤子を左手に抱き、二階の西の果て大きな鼎の元へ。準備万端整えて畏まっている家来は十分な別れの時間を取ってから、恭しく両手で受け取った。渡された赤子は並々注がれた湯の中へそっと沈められる。ぱしゃん。という相応の音は、くつくつ。という静かな熱色に消えてしまう。それから木杓子で王自らがかき混ぜる。やがて四肢はとろんと離れ骨を残して絶望に蕩けても、火は落とさずにすべての水が飛ぶまで王はそこから離れない。鼎が焦げ付く寸前、たらんたらんと沸き立つ蒸気にはっきりと混じる一条の薄青は王の肩の上で兄弟に巡り逢う。

(20030402。500文字の心臓タイトル競作−○0△2×3)



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