2004年オリエンテーリング世界選手権;参考レース終了までの雑記

back to top

back to Event/Results
【9月〜12月 基礎体力の向上と故障発生】
世界選手権が終わって一番最初にやろうとしたことは、「フィジカルのベースを上げること」であった。
2001年フィンランド世界選手権のショートディスタンス予選も2003年スイス世界選手権のミドル予選もあと一歩のところで決勝を走ることができなかった。スイスはリレーにしてもミドルにしても自分が思う以上にパフォーマンスが悪かったことにショックを受けた。もっと強くなれる、決勝を走れる可能性があることは分かっている。でも手に届かなかった。まだまだ努力も工夫もできるはずだ。決勝を走れそうな準備をしてスウェーデンにチャレンジしてみよう、まずは体力のベースをアップしてみよう、そう考えた。
9月末から会社近くにあるフィットネスクラブに入り、まずは基礎体力の向上に努めようと計画した。ちょうどナショナルチームでは各方面のスペシャリストを呼んでおり、理学療法士の吉田氏からはただ道路を走っているだけでは強くはならない、必要なトレーニングについてのレクチャーがあり、自分がやろうとしていることとフィットしていた。走ることはもちろんだが、基礎体力と筋力、俊敏性、瞬発力、バランス力を鍛えるようなトレーニングを取り入れていくことが総合的に強くなることだと考えた。

最初のアクシデントはWOC2週間後の8月末に初参加したアドベンチャーレース中に起きた。MTBでダートの道を下っている途中、転倒して投げ出され肩を強打してしまったのだ。しばらく思うように動かない時期が続き、9月末に志保子と来年のスウェーデン世界選手権のためにデンマークチームのトレーニングキャンプに参加する計画は、このときの怪我と仕事の多忙により断念した。(それでもアドベンチャーレースには出て良かったと思っている。新しい世界へのチャレンジは今ある世界のステップアップにむけてもとても大事なことだ)
次のアクシデントは左膝の故障だった。9月4週に行われたマウンテンマラソン大会では20キロの部に出場し総合で準優勝できたのだが、このときにすでに左膝のちょうけい靭帯に痛みがでており無理をして走ったため相当のダメージがあった。翌週末奥武蔵に出かけたマラニックでは10キロを超えたところで痛みがでて足を引きずって帰ってきた。この頃から痛みが顕著に出始めた。

10月の東日本大会では世界選手権以来の国内での大きなレース。前日もジムでトレーニングをして疲れていたし、多くのミスをして冴えないレースだったものの、結果は2位で、驚いたと言うよりうんざりした。良いコンディションでなくても国内ならそこそこの結果が出てしまう。他の若い選手は何をやっているのだろう?このままではオリエンテーリングが楽しいと思えず何かしら発想の転換と方向付けが必要だった。そんな時11月に行われたナショナルチームの強化合宿では、メンタルトレーニングとして自分の性質、性格をテストを行い、それを元にオリエンテーリングではどう生かせるかなどディスカッションを行った。このときの相手を努めてくれたのが高橋善徳で、彼は「レースではじゃあ、トップラップをいくつ取るとかパーセンテージで比べてみるとか、そういうのを使って動機付けをしていくのはどうですか」とアドバイスしてくれた。この時の彼の言葉はその後のレースに向けて役立てることができた。

平日のトレーニングは無理をして走らず、ジムで基礎トレーニングに励み、週末はマラニックにでかけていたが、東日本の翌週末のマラニックではついに歩くのに支障がでるほどの痛みに見舞われた。それにも関わらず翌週の岩手大大会、11月に入ってのNT合宿、翌週の韓国遠征に参加し走ってしまい、事態は最悪な状況を迎えた。整形外科に行くと診断は思ったとおりのちょうけい靭帯炎であった。悲観的な気分になったがこれはチャンスでもあると考え直した。走らなくてもできるトレーニングはいくらでもある。フィジカルを徹底的に強くするならちょうどいい機会だ。反面、オリエンテーリングに対するモチベーションは下がっていった。走れない状況で、先が全く見えない、予想がつかない状況で世界選手権だ、日本チャンピオンだと言っても現実的とは思えない。それに現状のレベルで世界では活躍できるまでにはまだいかない。世界選手権の代表になることはできるかもしれないがそれでは満足できないレベルにいる。まずは故障を治すこと、それを含めてフィジカルのベースを強くすること、全日本には走れるようになること、それが現実的な目標となった。

本来ならすでに9月に翌年の世界選手権に向けてスタートを切るはずがいつのまにか逆戻りしていた。「スウェーデンを走るつもりがあるなら喜んでコーチをする」と言ってくださった村越氏にはこのモチベーションの低さではとうていお願いできるはずがなく、世界選手権で決勝を走ること自体が夢でしかなくなる可能性があるかと思うと強い意志を持つことができず、ひたすら現状をよくすることだけを考え、少しの間オリエンテーリングの世界から距離を置くことにした。

それでもトレーニングは充実していた。今はスウェーデンで走る姿を思い浮かべることはできなくても、直結できなくても、今やっていることは必ず何かにつながるはずだ、そう思うと日々のトレーニングは楽しくて有意義なものになった。最初はまったく走れないことに焦りを感じていたのがその他のトレーニングにより体の一部が強くなり始めていると実感できた。確実に強くなっている。月平均40時間のクロストレーニングは確実に成果を出していた。
ジムでの仲間にも恵まれた。同じ頃ジムに入会した会社の同僚たちは目を輝かせながら体を動かす楽しさを素直に見せてくれ、私のトレーニングにも協力してくれた。体力レベルは違っていても一緒に時間を共有する仲間がいるのはとても大事なことで励みになる。スカッシュやバドミントン、バスケ、プールなど楽しみながらかつ良いトレーニングになっていったと思う。彼女たちには感謝をしたい。 またそれでも仕事が多忙でトレーニングすらできない時、どうしようもない脱力感に襲われた時、いつも近くにいなくても、心おきなく話せる友人がいることはとても助かった。もう一度トップシーンでオリエンテーリングすることへの復帰にどうしようもない絶望感を持っていった頃、気分転換の旅行に付き合ってくれた。帰りの電車で「いつまで続けるの?」その何気ない問いにすらっと答えたのは自分でも驚いた。「やっぱり走れないとつまらないし、結果を出さなきゃ面白くないしね」。そんなんじゃだめだよとでも言われるかと思っていたが、今まで長い間オリエンテーリングへの関わりを見てくれてきた上での彼のコメントは、ああ自分がそう思ってやっているのは悪いわけではないんだと、励まされた。


【1月〜3月走るようになって。現実的な目標に向けて】
自分の体の状況を見極めつつ少しづずトレーニングの強度、内容を変え、3ヶ月経った1月3週末にいきなりだがオリエンテーリングの大会に出場することにした。お正月休みに試しに2回近所をジョグペースで走っただけだった。現状のコンディションを見ることがメインで、無理をせずショートクラスにエントリーした。久しぶりのオリエンテーリングはおっかなびっくり走り、また下手すぎてミスが多く反省点ばかりだったが、それでも35分痛みなく走れることに喜びを見出していた。不整地をちゃんと走れる!持久力はそんなにないものの筋力と俊敏性は明らかに上がっている。脚を上げて走れるしすばしっこく動ける、ささいなことにも感動していた。まずは第一歩を踏み出すことができたのだ。
少しずつオリエンテーリングをする時間を取るようにして、少しはモチベーションを上げようとNT合宿にも参加するようになったものの故障が完治したわけではなく、少し負荷をかけると痛みがでており、気分はいっこうによくならなかった。目標設定についても相変わらずクリアにしていなかった。全日本までにはきちんと走れるようになるだろうか。スウェーデンは間に合うのだろうか。いっそのこと9月のスウェーデンはスキップして10月のドイツのワールドカップなら十分な準備ができそうだし結果も出せそうだし、そうしようか。個人コーチがいればいろいろと相談してどうしようか方針を決められるのだだろうが今はいない。自分で考え自分で決断するのだ。この頃から周囲からは「今年のスウェーデンは何の種目を狙っているの?もちろん走るつもりでしょ?」と質問されるようになっていたが、苦笑いをするだけで何も答えることができなかった。とにかく目の前にある現実的なことだけを、故障を治して走れるようになりたい、基礎体力を上げて、そしてオリエンテーリングをしていきたい、全日本は走りたいと考えていた。

2月に入って1ヶ月近く体調を崩してしまったが、久しぶりにロングコースを走ったOC大会では、スピードを上げるところまで上げて走りどこまでどうオリエンテーリングができるかを試す良い機会を得た。もちろん痛みがでればすぐにやめるつもりだった。スタートすると思った以上に良く走れる、前半の20分だけだったが今までにないオリエンテーリングができ良い感触を得た。高スピードでのナビゲーション。そして70分痛みなく最後まで走り続けることができたのだ。成績は散々だったものの、このレースがきっかけで全日本への挑戦は現実的なものとなり、ひょっとして前半の20分のオリエンテーリングができるようになったら世界でも闘えるのではないかと思えてきた。スウェーデンも愛知も、全日本すら遠く、自分がその場を走っていることすらイメージできなかったのが、それが一瞬でも見えた瞬間だった。

下がりつづけていたモチベーションはこのOC大会をきっかけに徐々に上向きになる。今度はオリエンテーリングをすること自体が楽しくなってきた。普通に森の中を走って普通にナビゲートできる。当たり前のことですら、私にとってはこの3か月近く できなかった特別なことなのだ。何より走るトレーニングをしていなくてもその他のトレーニングによって去年の世界選手権以上に強い体を作り出していること、地道に続けていた結果がきちんと現れていることを実感できたのが嬉しい。スウェーデン、愛知に直結してはいないと言っても今やっているトレーニングはミドルとリレーを意識したものだ。ロングは元々の体の弱さからいって残念ながらあきらめざろう得ない状況だが、それ以外なら自分は決勝を走る、上位にいけるチャンスがあるかもしれないと思い始めていた。全日本とWOC2004の参考レースに参加してみよう。それでだめならドイツのワールドカップにチャレンジしてみよう、ようやくそこまでの目標はクリアにすることができた。

ちょうどタイミングよく、フィンランド人のヤリ・イカヘイモネン(イーキス)がナショナルチームのコーチとして招かれた(関係者の方々には本当に感謝したい)。今期個人コーチを持たない私にとって彼の出現はモチベーションを上げる、またトレーニングに張りが出る刺激的な存在であり、世界とのレベルの差を率直に分からせてくれた。技術的にもフィジカル面でもアドバイスすることは今までコーチをして頂いた村越氏となんら変わらない。ただ違うのはワールドワイドで物を言うことだ。例えば、「月に30-40時間のトレーニング時間は世界の女子トップ20-30はそれぐらいしている。」、「世界のトップはクロストレーニングをよく取り入れている、Rikaも同じようにやっているんだからそれくらいのレベルにいる、それ以上にいけるということなんだよ。もっと自信を持ちなさい。」。想像でしかなかった世界と自分との差をトレーニングレベルからよくわかるようにコメントしてくれたのだ。さすがである。あと自分に必要なのはオリエンテーリングそのもののブラッシュアップを国内でできる限りやっていくことなのだろう。 2月末のスプリント、3月のインカレ併設大会、翌週の勢子辻コンピトレーニングとオリエンテーリングをする機会を積極的に作り、できるだけ技術的な課題を掲げてチェックしていった。ミスをしたときの原因はどれも明確であり、何をすればよいか良く分かっていた。あとは意識してその課題に取り組み実践するだけだ。


【3月末〜5月 レース期】
膝の痛みはとりあえず消えていたもののいつ再発してもおかしくないような爆弾を抱えた状態だった。
いつの頃からか24時間のうちのたったの40分、60分、70分。長い人生(かどうかはわからないが)のうちのたったその時間を集中すればいいんだ、そう思うと悲観することがばからしくなってきた。良くも悪くもどう転ぼうともゲームに過ぎない。そう思えるようになってから肩の力が抜けた気がする。ここで失敗しても人生が終わるわけではない。逆にそう思うようにしなければ私の性格上、大きなストレスを作り出し、参考レースにすら参加できなかったと思う。今回はこういうスタイルでいいのだと納得していた。
目標達成に向けてというより、いかに通常の状態に戻すことだけかが現実的であり、走れること自体に楽しみを見出したこの半年。ひょっとしたらスウェーデンにも愛知にも直結しないかもしれない。ただただ普通に走れるようになったこと、それ以上にフィジカル面の強化ができてきていること、もっと速く走れそうじゃないかと実感ができたこと、これらがプラスになり、レースに対してチャレンジングでワクワクする気持ちになれたのだ。
そういう状態での全日本や京葉はいい意味でリラックスできていたと思う。レース1週間前になると緊張してきて食事ものどに通らない日もあった。しかしそれは来るべくゲームに向けて自分が準備しているからこそだったし、この緊張感を味わえることも楽しい、光栄なことだと思えた。

全日本は秋吉台という特殊なテレインならひょっとしたら勝てるかもしれないと、リハビリ状況でも実は優勝を狙っていたのだがそれはかなわなかった。残念だったがそれでも準優勝という順位は今までやってきたことへのご褒美、今までで一番嬉しいと思えた。素直に喜んだ。
京葉大会もまた特殊なテレインで、自分向きでいいレースができそうだし、今までのトレーニングはスウェーデンを始めとしたミドルとリレーを意識してきたものだったので、調整はしていないものの結果をきちんと出したいと思っていた。
ゴール直後、2位だと聞いたとき、「また2位?」と思わず言ってしまった。きちんとやれば結果がでるまでのレベルにいることは大いに自信につながったが、反面こういった抑えたレースでも上位にきてしまうことに対してマイナス思考に陥いり、次のレースに向けての動機付けや気持ちの切替えにとまどった。悪いくせというかここら辺はメンタルの部分で改善の余地があるだろう。
レース翌週はそれに加えてストレスフルな出来事が多くあったこと、全日本から気持ちを張りつめたまま過ごしてきたこともあり精神的な疲労が広がり、本来ならがっつりトレーニングをするか調整をするだろう貴重な週末を2日ともrestにして、気分転換の旅行にまた出かけた。その後のレースのためにも必要な時間だったし、楽しくトレーニングやレースをしているとは言ってもやはりどこかしらに負担はかかっているのだろう。休養もトレーニング、準備の一部と思ってよしとした。

全日本も京葉大会もレース中よくコントロールしてオリエンテーリングをしていたがそれでもミスをしていたし、よく考えればとにかくスピードを上げて速く走ること、その上でミスをしたときにどうするか?までの練習は走れるようになってからの2ヶ月あまりできていなかった。
自分がどこまで速く走れてそのスピードでどこまでナビゲートができるのか?よく把握できていないまま重要なレースに臨んでいる。それを表すようなレース展開でしっくりいかない。ストレスがたまっていた。
偶然に杉山隆司さんにそのことを話すと、「日本でももっと平らなテレインでスピーディーなインターバル練習する必要があるよね、例えば京葉大会みたいなところで」と言っていた。イーキスも同じようなことを言っていた。「とにかく速く走ってオリエンテーリングをすること。そこでミスをする度合いを低くしていくこと。日本のテレインは急峻でスピードがでない。その分手続きもスピードもゆっくりになり確実なオリエンテーリングはできるがそれでは伸びるのに時間がかかる」 。

5/2のロングレースは、イーキスとの面談した後で、気持ちを切り替え今ある課題だけにきっちり集中してやろう、技術的な課題と緊張した場面でのレースの練習として臨んだ。レースはトップラップがいくつもあるかと思えばビリに近いラップもあり、どこかちぐはぐしたオリエンテーリングをしていた。ゴール間際には枝を目に刺すアクシデントがあり、そのときは失明するかもと本気で思ってパニックになり、それだけで順位を2つ落とした。このレースは今ひとつ集中力に欠けていた。枝を指してしまったのもそれが一因のようにも思う。3月のインカレ併設に続いて2回目だった。思えば4/28、29と2日続けてのスピード練習、4/29-30のイーキス合宿の参加、そこでのテント泊、トンボ帰りをして1日だけ丸々休んだものの、2日のレース当日は朝4時半に自宅を出発するなど、スケジュール的にも肉体的にもハードだった。思ったより移動で疲れていたこと、体も疲れていたのだろうがそれに気づかなかった。今までのトレーニング成果から自分は体が強くなったと思っていたが、元々体が弱いこと、年を取って疲れがたまりやすい、とれにくくなっていることを忘れてしまっていた。年より選手はコンディショニングが重要なのだ。レース中の集中力の散漫やミスは疲労から来る影響も大きかったかもしれない。結果は5位と良くなかったが、いくつものレッグでトップラップやそれに近いラップをとれていて、特に昔は苦手としていたロングレッグと、テクニカル面が要求される前半の微地形地帯でトップラップを取れていることは全日本、京葉を含め、若手の伸び盛りの選手がいる中で非常に評価できることだと思うことにした。今まではどちらかといえば巡航スピードは遅くミス率も少なくそこそこ安定したオリエンテーリングになりがちだったが、ここへきて巡航スピードは上がりミス率も高いレースが続いている。安定こそしていないが確実に次へのステップに上がるところまできていると考えるようにした。起こしたミスについては原因は明確でそれに対処も明確にでき、次のレースに向けて課題をすぐに立てることができた。

GW合宿ではイーキスが作ったメニューでダウンヒルOをやったのがいい練習になった。あれだけスピードを上げても集中して地図を読む、コンタを読むようにすればいけるのだ。自分が何ができて何ができないかもよくわかった。この練習は今の自分のオリエンテーリングを整理させてくれるいいきっかけとなった。思えば去年のWOC合宿でも菅平で同じようにダウンヒルOをやって結果は散々だった。だがそこで課題を見つけて次への課題にし実践していったのだ。
今回の練習を踏まえて次のミドルの参考レースではどういうオリエンテーリングをしていけばよいか対策がつかめた。
5/15のテストレース(ミドルディスタンス)ではいい状態に持ち込むことができた。ただただレースに集中できる状態に仕上げられた 。
緊張はしている。けれどそれだけではなく今自分が富士のテレインでどこまでできるかそれを考えたらとてもワクワクしていた。約1週間に及ぶナショナルチーム合宿で疲労がたまり、合宿後半の後半の悪天候から風邪を引いて寝込んでしまったこともあまりマイナスにはならなかった。休養と考えればいい。こんな気持ちでいられることが嬉しい。よくここまでオリエンテーリングができるようなった、後は40分間集中して森の中を地図を読みながら走るだけだ。きちんとできるだけのトレーニングをしてきたのだし、ここできっちり走っておくことはスウェーデンの世界選手権決勝にもつながってくる、そう考えて臨んだ。
レース当日の朝は体調不良を引きずって嘔吐するなどコンディション的には最悪の状況だった。レースが始まると体は思うように動かず我慢しながら進めていたが、あまりスピードを上げられなくてもミスをいくつかしてしまうあたりまだ改善の余地がある。勝負どころの2-3のロングレッグでは道周りルートも見えたがあえて直進気味のルートを選んだ。その日のコンディションとルートのメリットにもよるが、スウェーデンのテレインならそうする、そんなに遅くないはずと判断した。こういう直進的なルートを積極的に取るようになったのはスイス世界選手権のレース反省によりスウェーデンに向けてどうオリエンテーリングをしていくか取り組んできた成果だと思う(トップラップからは20秒遅かった)。
結果は4位。全日本終了後からこのレースに向けてきっちりと結果を出そうとしていただけに残念だったが仕方ない。ここ最近のレースからしてみたらスピードを上げられず、ミスを最小限に抑え、レースをコントロールし続けられたこと、ロングレッグでは積極的なルートを取れたことは評価したい。ただ代表入りは厳しくなったかもしれないとも思っていた。

翌日の参考レース最後になるスプリントレースは、具体的にいうならスウェーデンへの取組みがそのまま象徴された結果だと思う。スプリントは自分でも得意だと思っているし実際に良い成績をとることが多いのだが、この日は失格という結果に終わった。
決勝では1コントロールで致命的なミスをしてしまい動揺するが、その後立て直し、1分後スタートの金子(このレースで優勝)に追いつかれパックになりながらもリズムをつかんでレースを進めた。予選より体はよく動いたし集中していた(男子とラップを比べると4コントロールまでは巡航スピード118%、ただしミス率は24%)。しかし集中するのも体力の限界でめいいっぱいだったのか頭が酸素不足の状態になり、途中のコントロールを飛ばして次のコントロールへ行ってしまった。その先のコントロールへ向かう途中にどちらかのコントロールを飛ばしたことに気づいたが、1つ前のコントロールに戻ってみたものの(飛ばしたのはこのコントロールではないことを確認)、もう1つ前のコントロールまで戻ることをしなかった。1番コントロールで1分をミスをしている、ここで戻ってもさらに3分はかかる。それでは上位にはいけないだろうと葛藤はあったが、途中でレースを投げ出してそのまま失格を承知の上でゴールしたのだ。約10年ぶりの公式戦でのペナルティ失格であり、こういう重要なレースでのこういう判断は初めてだった。いろいろな要素と状況から判断したとしても、本当に日本代表になってスウェーデンに行きたい、可能性があるのなら補欠でもなんでもいいからチーム入りしたいと強い意志を持っていたのなら、いつもの私なら引き返してでもきちんとチェックをして遅いタイムだろうがタイムを出してゴールしたかもしれない。それができなかった。
ゴール後はその強い気持ちがないままレースをしたからこそ失格を選んだのだとすぐに気づき、しかしそれは元々故障をしたときから強く持てずにここまで来ていたのは承知していたので、その部分を評価するなら代表として選ばれなくても仕方ないとあきらめていたし、でも自己嫌悪に陥っていた。
ただ参考5レースにむけてどんな状況にしろチャレンジしやり続けた充実感はとてもあったし、この半年間のリハビリとトレーニングの時間はけして無駄ではなく、これからのステップアップがあるとするなら大いに武器になるだろうと思えた。


【参考レースを終えて】
3月末から約2ヶ月にわたるテストレースが終了した。私は日本代表に選ばれた。スイスが終わったときに次に走るなら決勝だ、そう思ったことを現実にできるよう本戦まで準備をして臨みたいと思う。どこまで自分ができるか、ワクワクした気持ちとチャレンジングな気持ちでやっていこう。

最後にナショナルチームのメーリングリストに村越氏が当てたメッセージをここに載せておきます。
++++++++++
 WOCの選手に選ばれた皆さんおめでとう。二度目以降の方はもちろん、特に今回 はじめて選ばれた皆さん、時に失望と落胆もあっただろう長いプロセスを乗り越えて 今回のチャンスをつかんだことをお祝いします。

 とは言え、選考会はスウェーデンへの、そして2005年への一ステップにすぎな い。
皆さんはまだまだ速くなれる。与えられたチャンスを十二分に生かしてください。
 代表選手というのは特別な存在です。先日トレーニングにきたついでに許田を 大学の授業(たまたまオリエンテーリング)につれていって日本の強化選手だと紹介 した時、学生からため息が漏れました。オリエンテーリングという種目は知らなくても 日本代表選手というのはそういう存在なのです。
 代表を目指し、また努力しつつも、代表になれなかった何人もの選手がいます。皆 さんの陰にはそういう選手もいるということを忘れないでほしい。

チャンピオンという言葉の由来を知っていますか?中世の昔、国と国が領地を賭けて 争っていたとき、全軍での戦いはあまりに両方にとって被害が大きい。それぞれから 選ばれた騎士の戦いによって、決着をつけようということになった。その選ばれた 騎士が「チャンピオン」です。その騎士がだした結果なら勝ちでも負けでも誰もが 納得する、そういう存在がチャンピオンです。日本代表とはいわばチャンピオンズな のです。

 今回代表となれなかった選手も、次のチャンスは必ずものにするよう努力を続けて ください。チャンスは無限にはない。でも、諸君には来年も再来年も挑戦の機会はあ るじゃないか!

追伸1
 僕も世界選手権はいきますので、トレーニングキャンプ中はお手伝いをします。 また静岡で合宿があるなら、僕とロブで運営の手伝いをするつもりです(今度ロブに あったら、ぜひ「いいレースだったよ」といってやってください。彼は本番と変わらぬ エネルギーと発想で、二日間のレースを準備しました)

追伸2
 特に男子選手の皆さん、ここ数年間は非常にエキサイティングな経験ができたこと を感謝しています。女子選手の皆さん、皆さんとの楽しいおしゃべりは、合宿や遠征 へのモティベーションをずいぶん補ってくれました。

++++++++++
2004.5.19 TAJIMA Rika