「草原の人」〜叶えられた想い〜 |

『平成のトップアイドル松浦亜弥が、美空ひばりの残した詞「草原の人」を歌う。』発表当時多くのマスコミがこの話題を取り上げましたが、一般のメディアでは伝えられなかった松浦亜弥と美空ひばりさんとを結ぶもう一つのエピソードがあります。と言っても私が少々こじつけを含めて思っているだけなのですが、ここで皆さんにその話を紹介したいと思います。
ひばりさんについての話は堀ノ内雅一
著「草原の人」〜美空ひばりからの手紙〜
の中で紹介されているものです。
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−−−以下引用−−−(注:かなり要約してあります)
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平成2年6月、横浜アリーナには異様な熱気を発する中高年の女性たちが押し寄せ、そろいの法被やTシャツを着たグループも目立っていた。『五分押しですが、よろしくお願いします』楽屋の化粧台の前のその人に声がかけられた。ステージ中央には1本のスタンドマイクがすっくと主役の登場を待っている。やがてステージ上手から中央に向かってスポットライトが、その人と歩調を合わせるように移動しマイクの前で止まった。バンドの生演奏が始まり、聞き慣れた声が流れ始める。9000人のファン達は、目をつむってその歌声に聴き入った。まるで、そのスポットライトのなか、マイクの前にはその人がいるかのように。
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−−−以上引用−−−
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これはひばりさんが亡くなった1年後の平成2年に行われた横浜公演の様子です。楽屋のその人に声をかけたのはひばりさんの息子の加藤和也氏で、そんな細かいところに至るまでひばりさんが健在だったらこうなったはずという内容で行われました。本来ならこの公演は平成元年に横浜アリーナのこけら落としとして行われるはずだったのですが、病状の悪化により急遽中止になってしまったのです。ひばりさんはこの後も病気と闘い続け、亡くなる直前まで「横浜アリーナの舞台だけは這ってでも出たかった…」と病室で繰り返していたそうです。
主人公不在のコンサートから12年、一編の詞「草原の人」が誕生してから27年余りの時を経た平成15年1月。Hello!Project2003
Winter が行われた同じ横浜アリーナの舞台にはそれを引き継いだ平成の歌姫、松浦亜弥が立っていました。叶わなかったひばりさんの想いは、この日彼女の歌を通してついに果たされることになるのです。
松浦亜弥本人がこのエピソードを聞いているかどうかは知る由もありませんが、その歌声によって「草原の人」は私達に、そしてひばりさんにもきっと届いたに違いありません。
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♪忘れはしない いとしい君だけは あの空のどこかで 僕を見てるよ!!
この詞の解釈は色々あると思いますが、こうして見ていると、”いとしいあなたはきっと忘れないでしょう、あの空のどこかで私があなた(=僕)を見てるということを”
という意味に。そして”あなた”とは跡を継ぐ者、見守るのはひばりさん自身ではないだろうかという気がしてきませんか?
ここでは語りつくせませんが、この詞が数奇な運命によって27年の時を超えて届けられたことを、たまにでよいので思い出していただければと思います。
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