不定期つれづれ日記



2005/12/29

去り行く2005年。今年もいろいろありました。
多分、明日あさってと更新はしにくいと思うので、早いですが、今年の締めくくりの
挨拶を申し上げます。

春には、初のクロカンデビュー。ジープは本当は凄いことができるんだな、と
目から鱗。
夏には、46の変態、じゃねーや、編隊。世界初(多分)のオフ会しましたね。奇妙でしたね。
その後、ユーノス暫く借りて、久々に酔いしれるスポーツカーの喜び、を堪能。
かわいく佇む後姿には、改めてグッっときました。隣に並べたFDサバンナとの対比が
その印象を更に助長させたり。
あと、目元が案外可愛いんですよね。あのクルマ。てか、意外と童顔?みたいな。
ライトあげたときの、丸顔で、笑ってる感じがいいです。
やっぱ、あのクルマは忘れられませんね。
乗れば面白いし、見てもいいし、弄ってもイイ。国産のエバーグリーンな一台に
挙げて、それに異論を挟む向きは少ないのではなかろうかと、改めて溜飲を飲みました。

それに嫉妬したか、46の涙。まだ直してません。先日、ちょろりと乗りましたが、
結構な勢いで水漏れしてるんですね。ただ、こう寒いと、幌車のあの隙間風は辛い。
もう少し良い陽気になったら、本腰をいれますかねえ。

そんなこんなであっという間に今年もおしまい。抱負もなにもないのんべんだらりで
おばかな年を過ごし、でも、確実に一つ歳を重ね、おっさんへの道を邁進中です。
そんなだらだら文章を読んでいただけたことにも感謝。多謝。

それにしても、来年が、みなさんにとって、素晴らしい、そして夢が叶うような
素敵な年でありますように。
ではまたお会いしましょう!良いお年を!

2005/12/7

先日までの怒涛の更新とは裏腹に、最近、全くと言っていいほど趣味方面のパソコンは
触っていませんでした。
ネタはそれなりにあって、写真なんかもそれなりにあるのですが、時間がなくて(この
言い訳は全く通用しないのですが)、触ってません。

つか、触る気になれない、つうのが本音かな。ちょっと疲れてます。
困ったことが目白押しなんですよ。ホントに。

だもんで、webページも全然ダメダメ。やる気が起きません。仕事はやらなきゃ
いかんもんで、やっとるわけですが、それとて、名の通り義務感のみ。
やらな、終わらんもんで、やっとる、つうだけです。

別に無理して名古屋弁もどきをつかっとるわけじゃあないです。
なぜか、自然に出るときがあるんですね。ただ、ボクが聞いたネイティブの
名古屋弁は、割合三河に近いツレがしゃべっとったそれだで、多分、三河弁
なんだと思っとります。ほんでも、名古屋住んどった時は、毛嫌いしとった名古屋弁
でしたが、田舎に帰ってきたらば、きたで、やっぱ、どえりゃあ懐かしく思い出したり
もするんです。言葉もそうですが、やっぱ、あの食文化にも懐かしさを感じます。

世間でとおっとる、名古屋の名物、って実は食べたことは殆んどありません。
きしめんだって、新幹線ホームで食べたくらいでしたし。
うまかったのは、あんこサンドかな。コンビニで普通に売っとったけど、でら美味。
あとは、どこでか知りゃーせんが、天むすが忘れられんです。
小さめのエビ天が入っとって、塩加減が絶妙。これは高かったらしいけど。
あとは、近所のヘンテコな定食やのとんかつ定食とか、となりのおばちゃんがやってた
鉄板やさんとか。鉄板やさん、言ってもわからんですよね。お好み焼きと焼きそばのお店。
夏になるとエアコンないで、休業。トイレも非水洗。でも、でらうま。
お好み焼きで定食にする強引なとこも、実はうまくて、結構行ってました。

あとは、一部で有名ないりなかの”やま”という名の喫茶店(?)。本当は英語ですが、
検索ワード逃れで、敢えて日本語でgo!です。
詳細は、逆にあなたがググってください。すぐに分かると思います。
前にも書いたかもしらんですが、天高くそびえる夏のカキ氷とか、底なし沼のスパとか、
もう兎に角アナザーワールド満開です。ちなみに、そこんちもエアコンなかったな。
んで、網戸もなくて、やぶ蚊全開。でも、忘れられないなあ。
決して、うまくはない(てか、これは禁句か(笑))のだが、なぜか病みつきになること
請け合い。不思議です。

少し元気になってきたので、今日はおしまい。
また思い出したら、書くことにするです。
じゃーねー(笑)

2005/11/11

あっという間の11月。会社の決算絡みで、毎晩残業です。来週半ばくらいまでには
なんとか終わるかな?
しかし、その帰り道、まあ寒くなりました。今はJ55なんで、エンジン、すぐかかるし、
ヒーターもすぐに効くんで、まあまあいい按配です。

ただ、通勤距離が短いんで、あったまった頃にエンジン停止。これって、かなり厳しい
条件ですよね。エンジンには。でも、ボクは甘やかさないですよ。オイルは一年に
一回しか変えないし、洗車も基本的にしません。ガラスを拭く程度かな。
所詮、ジープ、もといクルマなんて道具なんですから、そんなにビシバシ磨かなくちゃ
いけない道理はないわけで。
確かに、まあ世間的にはやや旧車の部類に属する年式にはなるのですが、それでも、
20年以上も使ってる(メーカーがね)エンジンと50年くらいつかってるシャシーが
そんなに簡単に音を上げるとは思いません。余分な快適装備がないのは、言い換えれば
それだけ壊れる個所が少ない、という解釈にも繋がるわけですし。

けして、僻んでる(ひがみ、ってこう書くんだ。知らなかった)わけじゃあないです。
ただ、トラックにも電動窓がついてるようなこの時勢で、ドアが布切れでできてる、
といっても、争点がずれまくっているのは承知ですから。

今日は昼休み日記なんで、もうご飯食べます。またお目にかかりましょう。

#って、顔見てないじゃん! お目にかかるもへちもないと思うですが。どうよ?

2005/11/4

日記と関係ない日記は、どうやらあまり芳しくない評価っぽいです。
てか、呆気にとられた系の感想を頂いたのが少々。まあ、不役立ち車と言い乍ら、
全く持って役に立つクルマのネタですからね。そりゃあ、仕方ないかな、と。

で、懲りずに、また民俗学の本を図書館で借りてきました。
まだ、さわりしか読んでないけど、前回借りてきた本のほうが遥かに深く掘り下げてあって
面白いです。
例えば、敷居を踏むのはなぜ悪い?つう問いに対して、それは敷居があの世とこの世を
切り離す、いわば区分帯だからだ、という答えにしかなってなかったり。
ボクが聞きたいのは、それだけではなく、ではなぜ敷居がそのような扱いを受けるように
なってしまったのか?ということなんです。
これは、大袈裟に言えば、民族学だけではなく、全ての事象にいえることなんですが、
ボクは、所謂ブラックボックス、つうのが嫌いなんですね。

メカなら、歯車とか、凝ったリンク機構なんかが好きで、フライバイワイヤとかは
技術者の方には悪いですが、苦手です。
知識もそう。敷居は、分離帯です。といわれても、はあ?という感じ。
もっと根源的な答えがでてくると、俄然興味が湧いて、学習能力が自然と高まってきます。
好きこそ物の上手なれ、なんていいますが、それも、好きだからこそ
根源的な部分まで突き詰めて学んでやれ!という貪欲さがでてくるからではなかろうかと。
学校教育のせいにしちゃあ悪いですが、数学、なんてのがまさにそれじゃあないかと。
今の数学は知りませんが、ボクが子供の頃の数学は、公式の記憶が全て、な感じでした。
これって、計算機の使い方を教えてるの一緒じゃん!てひとりで反発してました。
だったら、公式の成立した理由とか、その考え方の由来なんかを教えるほうがよほど
楽しいんじゃないか、と。そういう本来ならいわば数学の歴史を紐解いてから、言い換えれば
数学的なものの考え方を教えるほうが、本質的な部分な数学の解き方なんじゃあないかな、と
思ったりもしてました。
今日はここまで。時間切れです。
残りは、また後日。

2005/11/3

日記とは関係ない日記第二部。今日は、日野と日デの生い立ちとダットとトヨタ、ふそうに
ついて、かな。

昨日の続き。戦局は、徐々に悪い方向に進み、軍部は、トラックの生産性を高め、
敵国に勝つべく、国内メーカの統合と、車両の標準化を進めた。
親会社の関係ですぐに合併できなかった東京自動車(ガスデン)は後として、
まず、すみだ号の石川島と、橋本らを初代としたダット号のダット自動車製造とを
統合、自動車工業という新会社を設立する運びになった。
ダットも、軍保護会社のひとつだったが、合併前に資金不足から、戸畑鋳物に技術者らが
移管し、実際の自動車工業には、権利のみが委譲されるに留まった。
名前だけを渡した戸畑鋳物の鮎川らは、後に日本産業から
日産コンツエルンを形成して、更に拡大を目指し、日本GMとの提携を模索。
”自動車製造”を設立する。ところが、軍部の圧力故か、その提携は没。
しかし、斜陽化していたアメリカのグラハムペイジ社から、生産設備、試作車等を買い入れ、
改めて、日産自動車とし、軍部に向けて全国展示会を主催。大いなる支持を得たらしい。
遅れて合併したガスデンを含めた先の三社(ちよだ、すみだ、ダット)だけでは生産量不足を
懸念した軍部は、日産自動車にもその生産力に期待し、それに応えるべく、グラハムのコピー
である80型や、その改良型である180型、さらにはその戦時型である180N型等で大いに気を吐いた。
戦後は、民生ディーゼル工業を傘下に招き、現在の日産ディーゼルになる。
民生ディーゼルは、戦前、紡績事業に不安を抱いた鐘淵紡績の資本参加や、2スト対抗ピストン
のクルップユンカースエンジンで著名な会社である。
現在のペットマークであるUDは、ユンカースエンジンの発展形である、ユニフローディ−ゼルの
頭文字から取られている。

日野自動車も、実は先の三社合併である”ヂーゼル自動車工業”を祖に持つ会社である。
系列は、ガスデンであるが、ガスデンはちよだ号の愛称を持つ会社であり、トラック製造では
もっとも技術力とネームバリューに長けており、合併後の事実上の親会社ではなかったのでは
なかろうかと推測する。
そのヂーゼル自工が、非自動車向けのエンジンを製作する工場を、大森から、都下日野市
に移したのが、会社としての事実上の始まりだろう。
例としては、ブルドーザのエンジン等を作っていたらしい。
戦後、在籍していた元のガスデンの技術者らが、製作したままで放置されていた大きな
ディーゼルエンジンを目にし、これを生かしたトレーラトラクタを製作することでその
存亡をかけたらしい。
その頃の自動車令では、そのような大きなトレーラは運行できなかったというが、実際に
は、アメリカ軍のトレーラが運行されているのを目の当たりにしている事実を運輸省に
かけあい、粘り強く政令を変えたという逸話があるらしい。
トレーラが好評を博した日野自動車は、悲願だった乗用車製造に戦後まもなく乗り出すが、
その後のコスト高で販売が苦戦。見かねた同じメインバンクだった銀行の仲立ちで、
トヨタとの相互補完への道を歩む。乗用車はトヨタ、中〜大型トラックは日野、という風に。

当のトヨタは、戦前からスマートで安価なトラックを製造、好評を博したが、
戦後は、名門いすゞの前にディーゼルトラック販売で苦戦。
思うに、乗用車風のスマートなデザインは、当時の日本のイケイケムードのなかでは
押し出しが弱く、また、戦後すぐの先進的なトヨペットSAが、思った以上の日本の
悪路に音を上げ、タクシー業界等からの突き上げをくらった件だとか、そういう風な
強いことは素晴らしきことだ、という風潮のなかで弱体化を余技なくされたのでは
なかろうか。
販売力では、当時からメーカー販社一体となってきただけに、国内にディーゼル専売の
ディーラー網を築き、それなりの成果を収めたのであろうが、こと、ディーゼル車の
販売では相当苦渋を舐めたらしい。
そこで、日野のネームバリューとトヨタの乗用車力とが一体となった力強いメーカの
誕生と相成ったのではないかと推測する。
因みに、その相互補完の条件として、日野は、乗用車製造から一切手を引く、という
条項があったとのこと。当時日野で設計していた、1トン積みのボンネットトラック
ブリスカも、トヨタブランドとして販売され、後のハイラックスへと進化した。

最後になってしまったが、ふそうの生い立ち。
今も昔も三菱は三菱。戦前から名前が変わらないところは、流石というしかない。
先に挙げた石川島と同じく、海外に範をとってイタリアのフィアットの門を叩いた
三菱は、それを手本にして、自動車を試作。
しかし、先行き不安を理由に自動車製作を断念。トラックも軍の勧めで試作、試験も
パスしたものの、量産要請を辞退したらしい。
しかしながら、三菱造船では名古屋に新工場を竣工。年間300台製作を目論んだ規模だった。
これとは別に、神戸造船所をルーツとした会社も設立されたが、戦時下に技術集約を
目論んだ軍の命により、技術面のみヂーゼル自動車工業に移管。
戦後は、財閥解体により、東日本重工、三菱日本重工の流れのなかで、ふそうブランド
としてトラックを生産している。

このように幾つもの変遷を経て、軍部に翻弄されつつも、国内のトラックメーカーは
着実に育っていった。大原鉄工や、新潟鉄工も一時はトラックメーカとしての名乗りを
あげたりもしたが、諸般の事情で現在は製作していない。
乗用車も戦前戦後を問わず百花繚乱の気配を感じた時期もあったが、販売力のなさ、
商品力のなさなど、いろいろな理由で淘汰されていった。
トラックは、もともと半受注生産品であり、ユーザーの要望に応じて様々な仕様、架装がなされた。
ここにあげたメーカは基本的にキャブシャシーメーカーであり、ボディ工場を含めると
日本の産業の根幹を担うが如くの数字が見えてくるのではなかろうか。

以上、非常に簡単ではあるが、日本のトラックの歴史を駆け足で巡ってみた。
戦後は、日本人の根性と、がむしゃらさで素晴らしい右肩上がりの景気に恵まれ、
トラックメーカもそれに応じて新型車や、多バリエーション展開でユーザの支持を得た。
趣味性が低いが故に、泥臭い営業手腕によって、その売上の多くはもたらされたものだろうと
推測されるが、それこそ、日本人の義理人情の最たるものであり、また、心情的に
仕事の相棒として、ある部分では精神的な拠り所になっているのかもしれない。

参考文献 国産トラックの歴史 グランプリ出版

2005/10/31(その2)

日記とは殆んど関係ない話をうpする実験。
最近、日本のトラックの歴史が書いてある本を購入。もう、誰かに話したくて
止まらない。だもんで、勝手にうpすてみる。興味ない方は飛ばしてホシー。

日本のトラックの歴史は、軍部との密接な関連からスタートしている。
今でこそ、国内四社が安定した(そうでもないか)売上を確保しているものの、
過去においては、もっと各社が錯綜した歴史があった。
それも全て、安定した国家を築くための国策からであったのではないかと
書を読んだ今では、想像している。

現在のいすゞは、驚くなかれ、日野自動車と兄弟会社だったのですねえ。
もともとは、当時の東京瓦斯電気工業の自動車部がルーツにあるという。
因みに、名前の由来は、伊勢の五十鈴川にあるのは有名。
東京瓦斯電気工業(長いので以下、ガスデンと略)から発展した東京自動車工業
は、当時持っていた圧倒的な技術力を背景に、軍部からの依頼を受け、試作、採用と
なるTGE号を納入していた。のちに、ちよだ号を名乗る。
余談だが、この軍部からの依頼は、ガスデンのみならず、大阪の発動機製造、神戸の
川崎造船にも伝えられたという。発動機製造(以下ダイハツ)は、当時の生産能力の
限界を理由に、川崎造船は、クルマから、飛行機に軸足を移す会社の方針から、
それぞれ軍部の依頼を断ったらしい。もし、この二社がトラック製造を軍から請け負って
いたら、日本の自動車産業の勢力図は大きく異なっていただろう。

もうひとつ、忘れていけないいすゞのルーツは、石川島造船。この会社は、幕末の
造船所の払い下げがその興りだというから、やはり名門といえるだろう。
初代の社主には、かの渋沢栄一だったという。
当時の国産車は、海外にその範をとることが多かったという。石川島も例外ではなく、
英国のウーズレーと提携。余談だが、そこからオースチンも生まれているらしい。
国産ウーズレーは、しかし、材料の質の悪さに泣かされ、コスト高にあえいでいたらしい。
具体的には、KDの国産シボレーやフォードの約二倍弱だったという。
そして、渋沢栄一の義理で購入したオーナーも、その故障の多さに音を上げたという。
会社の評判は悪くなり、そこで、補助金のでるトラック製造に軸足を移すことにしたらしい。
これならば、軍からの安定した購入が見込まれるし、材料も支給されたので、安心して
手間受けの形で自動車製造を続けられると言う解釈に至ったらしい。
ウーズレーから、今度はトラックのサンプルを取り寄せ、関東大震災で壊滅的なダメージを
受けたものの、軍の運行試験に合格、認定を無事得ることができたと聞く。
後に、ウーズレーとの契約期間満了に伴い、車名を、会社所在地のほとりを流れる川から
すみだ号と名乗るようになった。

残り、日産ディーゼルと日野、そして三菱ふそうは、また後日。
それでは。

2005/10/31

日記。うpしようと思って書いたのが26日。
今晩は時間ないかも知れないゆえ、過去日記でお茶を濁す実験。
ご勘弁。

週末は、久々にキチンとしたキャンプに行く予定です。楽しみ。問題は、掲示板でも
少々触れた、46のラジエターからの水漏れ。あれで行けないと、寝床を設営するのが
面倒なんですよ。どうしよっかな。水を足したし誤魔化しながら行っても、まあいいんですが、
やっぱ、あんまし気分良くないし。
割合寒い時期だから、そんなに簡単にオーバーヒートはしないでしょうが、でもなあ。

それより、全幅の信頼を置いていたジープが、たかが二週間強乗っていなかっただけで
ラジエターが壊れてしまった点が納得行きません。ま、確かに古いクルマではありますが、
今まで、所謂走行系に関するトラブルは殆んどなかっただけに、非常に驚いています。

今も、ブレーキは少し引きずっているし、細部は錆びているけど、概ね不都合なく動いていた
我が愛機。これが、壊れているのは、やはり嫉妬しかないのではなかろうかと。

ごめんね、46。きっとご主人様がユーノスをあんなに褒めちぎっていたから、涙が出るほど
切なかったんだね。でも、もうその緑色の涙はお拭き。もう泣かないでもいいよ。
だって、ユーノスはもういないんだから。これからは、弟の55と共にまたジープのヒトに
戻るからね。

なんて。そんな擬人化して治るんなら、苦労しませんよね。
明日にでも、クルマやさんもってってみようかな。時間あれば自分でやるのになあ。
あんな簡単にラジエターおりそうなクルマ、ないもんねえ。
くそう!もっと早くやっときゃあ良かったなア。もう遅いか。
今晩、考えよ、っと。

2005/10/25

絶不調。風邪ひきました。早く帰ることにします。
みなさまもご自愛の程。

週末のキャンプに向けて準備しようと思ったのですが、またしても
直前準備に終始しそうです。
現地でお会いできる予定の皆さん、よろしくです。

2005/10/24

暗いと不満を言うよりも進んで灯りをつけましょう。

多いです。最近の手合い。いや、ボクも知らず知らずそう言ってるのかな。
言うべき意見は、確かにはっきり言わねばならんですよ。でも、ちょっと違うんでないかい?
と思うことも多々。相手が対等であろうとなかろうと、やはりやらねばならぬことはやるべき
だし、仮に、利害関係が絡んだとしても、文句をいうだけではコトは前進しません。
お互い、譲歩して、歩み寄るべきだし、それが、民主主義のルール、話し合って解決、
だと思います。

なのに、唯、文句をぶつぶつ言うだけ。実際にはあなたが折れればうまくまわるのに、
それをしない。本人は正論と思っているから、聞く耳を持たない。
ぶつけるのは、自分の理論。それも、自分流の、精神的な根拠のない、怪しい考え。

そうなったとき、あなたはどうしますか?
粘り強く交渉して、相手の同意を得ようと努力しますか。
それとも、諦めて、自分が折れて、臍をかみますか。
もっというと、馬鹿は相手にするだけ時間の無駄だ!と自分に言い訳して、お茶を濁すとか、
そんなのですか。

自分を相手より優位だと仮定して、自慰をするのでしょうか。
それとも対等な立場でくんずほつれずの勝負をするのでしょうか。

民俗学では、そんなとき、人間同士で解決できない事象は、神様にすがる
ことになるのでしょうが、この話は、どちらかというと、もっと深い宗教的な
帰依に拠る所も必要なんじゃないかなあ、と考えます。
お互いの信心に基づいて、話せば、
あ、いや、ダメだ。
もっと話がこじれるな。それじゃあ。

なんか、ただ、飲み屋でクダまいてる酔っ払いおっさんの気取ったグチ
みたいだ。一番イヤなパターンですよね。インテリ気取った品のない、下世話なおっさん。
本人、頭いいと思ってるから、尚タチがわるい。

いやあ、なんか自分自身に冷水浴びせてるみたいです。
しかも、タチも起ちも悪いですから。最近。

そりゃあ、関係ないですね。失礼しました。orz

2005/10/21

昨日は、ある講演会に行ってきました。某有名大学教授様のなかなか楽しい講演でした。
というのも、正に、今ボクが読んでいる民俗学の話をフィーチャーした話で、非常に興味深く
伺うことができて幸いでした。

本筋は、今の日本の教育に対しての、正しい方向付けを指南して頂くようなそんな内容でした。
頭ごなしにモノを詰め込むことへの危惧だとか、そんな話です。
例えば、ご飯茶碗に日本箸を縦に挿してはいけない、という事実。
これは、死者に対しての膳なのだから、いけない、とそれだけで伝承されているのが実情でしょう。
実際は、意味のあることだと先生はおっしゃいます。

曰く、古来日本には、空という概念はなかった。あるのは天(あま)という概念。
例えば、海女さん、雨、海も天なんだそうです。
そして、五穀豊穣の神様は女性です。なぜなら、自然は全てを生む力を持っていますが、
人間で生む力を備えているのは女性だけだからです。故に、自然の上に座することができるのは、
男性しかいないのだそうです。人工的に載れるのは、全てドイツ語風に云えば、男性名詞
なのです。それは、神様が嫉妬するからなのですね。船の名前は○○丸だし、お城は本丸だし、
お相撲さんも丸がつく名前が多かったですよね。これは、平安時代の男性名の麻呂の変形
だということです。山の神様、土俵の神様、海の神様、全て女性なのです。

ところで、それらの神様と、ケを繋ぐ部分は、ハシなのだそうです。端、ということかな?
と思いますが、ともかく、ハシ、なんだそうです。海と岸壁の間にあるのは艀(はしけ)
でしょう。自然界の五穀豊穣のカミさまの賜物である、白米と自分とを結ぶのも、ハシです。
箸のことですよね。三途の川を渡って現世から彼岸に行くには、やはり橋を渡るでしょう。
いや、これは渡し舟だったか?
ま、ともかく、ハシなんです。で、翻ってハシゴです。これもハシの一種。語尾のゴは、
まあ、いきおいのあるなまりみたいなものだと解釈してください。
現世と彼岸を結ぶはしご、つまりハシは、二本ハシだと、そう考えましょう。
そうすれば、もうお分かりですよね。あの箸は、彼岸からの通路なのです。
だから、まだ彼岸にいっていないボクらが、ケの食卓で、二本箸を立てるのはいけないわけです。
まだ、死んでいないのですから。

そんなことは、多分学校では教わらないと思います。故に知っている人も少ないでしょう。きっと。
でも、これは、結構大事なこと。これからもっともっと日本人が海外へと渡って、いろんな国
でいろんな国の人と交わるのに、こういう民俗学的な文化のルーツを知らないと、きっと
おかしなことになると思います。日本は少数民族がホントに少数しか住んでいない、たぶん、
世界的にみても稀有な国です。これなら、意思の疎通は、割合簡単です。阿吽の呼吸です。
でも、それじゃあね、つうのが今回の先生のまとめ。だったかな。
そんな感じです。

ちょっと、まとまらないのだけど、今日はこの辺で。

2005/10/19

続・民俗学。昨日、半分くらい読みました。結構いろんなことが伝承されてきてるんだなあ、
というのが正直な感想。

実のところ、例えば、意味のわからない通過儀礼、ってあるじゃないですか。
子供が産まれた、お宮参りだ、とか。七五三だ、とか。なんで正月祝うんだ、つうのも
考えてみれば不思議。
もっと極端に言って、葬式なんか死んじゃった人を祭らなくても、もういないんだから
いいじゃん!とか。

その辺の由来を考えるのが、楽しいんですよ。
今回は、じゃあ、出産のことで。

出産と死、は限りなく近い関係なんですって。云えば輪廻転生。33回忌、やるでしょ。
あれが終わって、漸く魂があの世へ行ってくれると。そういう考え。
それまでは、霊魂的な考えがあるんで、折りに触れて、魂を少しづつあの世へ送り出すんだ
そうな。んで、赤ん坊は、その霊が、再び現世に光臨してきた現われで、ゆえに、
ある程度の年端が来るまでは、簡単にあの世へ戻ってしまう。だから、折りに触れて
丈夫に育つ(現世に留まるように)いろんなお願いをするらしい。
そのためのお宮参りと四十九日法要だったり、三年忌、七年忌、と七五三、とかそんなの
らしいですよ。
しかも、出産とは、場合によっては死を招きかねない大仕事。つまり、ケガレなんですな。
だもんで、そのケガレが赤ん坊に移らないように、父方の祖母になるヒトが抱くんですね。
お宮参りのときは。んで、参るのは地元の氏神さま。
氏神さま事体が、地元の人間の健康や長寿の神様なんで、そこにお参りして、認めてもらって、
初めて、ケガレがおちる、と。そーいう考えですね。
場合によっては、母は、それに参加しないとかの徹底してる地方もあるらしいです。
あと、便所との絡み。初めて外の空気を吸わすお出かけ。なんていったっけな?
それは、外便所に行くらしいとか。胎盤は踏まれるといいらしい(踏んで、あの世へ戻ろうと
するのを食い止めるという考え)で、便所の入り口に埋めたとか。

便所も凄く神秘的な場所だという考えなんですね。まあ、無防備になって、時間かかるは、
寒いわ、落ちたら死ぬわ、で一人でそんなとこ行ったら、確かに怖いですよ。
だから、自然と、カミに助けを乞う、と。逆にいうと、カミと触れ合える場所なんですって。
そんな考えからすると、便所掃除するといい子が産まれるとか、って話も多少わかるかな。
って気がします。しかも、その恵みが、肥やしになって、自分の口に食物として戻ってくる、と。
食べ物は、もっとも大事にする対象のひとつだったのでしょうから、それに対して感謝するのは
当然の理でしょうよ。そりゃあ。

あれ?便所の話になっちゃった。ま、いいか。
この50年くらいで、日本人の暮らしは凄く変わっちゃったんだそうだ。そーいう民俗信仰
みたいなものも凄い勢いで淘汰されつつあるのだけど、その表面だけをさらってるんじゃ
やっぱ、つまらんでしょう。ある程度、その意味と拠り所がわかれば、多少なりとも
いろんな意味で、いろんなものに感謝できるのではないかと。
そーいう風にも思います。今こうして日本人が生きてるあいだにも、新しい信仰心やなにかが
芽生えてくるわけで、考えると息苦しいようなことも、全て意味があってのことなのかも
しれません。不合理なことであっても、何がしかの由来や伝承に基づくものだと解釈して、
文句を垂れる前に、まずは、頭を垂れて、日本人らしく、全ての事象にカミを感じて
行きたいな!と思います。
一気呵成!

だから、ぼっろいジープでも、ジープの神様に感謝して乗らなくちゃ、ね。
錆取りは、修行だとか、メカ修理は鍛錬だとかね。
そーいうことでしょう。きっと。(?)

#なんか違う気もするようなしないような.....

無理やりまとめて、きょうはおしまい!

2005/10/18

結婚式が終わったら、なんだか気が抜けてしまいました。熱かった日々よ。

ところで、先日、図書館で民俗学の本を借りてきました。まだ読破してないのですが、
知っているようで、知らなかったケとハレの話は有益でした。
普段の生活がケで、名の通り晴れ舞台のハレ。晴れの日とか、っていまでも使い
ますもんね。

その延長線上に、ケガレっつうのがあるという説は知りませんでした。
しかも、そのケガレの向こうはカミなんだそうです。

この辺の概略がわかってから、具体的な事案が読めると、もっと民俗学は面白そうです。
でも、今週末には返さねばならんです。読破するのは難しそうな今日この頃。

どうなるかなあ?

2005/10/15

結婚式。人生で最も華やかなひと時であろうことに異論を挟む方は少ないでしょう。
友人が行ったそれは、昨日東京でつつがなく厳粛に執り行われました。
花嫁さんもキレイでした。旦那とは年齢が6歳も離れているのに、あまり違和感なく
並んだ雛壇は、厳かにそして、粛々としたものでした。

自分の結婚式のことは案外覚えていなかったりします。ボクは結構飲んでしまったりして、
今考えるとかなり恥ずかしいです。
大抵の式場では、雛壇のテーブルの足元に注ぎに来てくれた招待客の献杯をやんわりと
断るためのバケツがおいてあったりします。ボクの行った式場は、所謂結婚式場ではなく、
大きなホールのあるバールでした。そこを貸し切って行ったのですが、そんな場所柄か、
足元のバケツは存在しませんでした。元来、酒好きなボクですから、卑しくも、注がれた
酒の類は全て飲み干しました。宴会終了近くには、すっかり出来上がった情けない新郎の
一丁上がりです。
その上、招待状を自分の名義で出してしまった都合上、最後の挨拶を自分でやる暴挙に
でたわけです。ただの酔っ払いのあんちゃんが最後になにかほざいて、宴会終了。
ほんと、今流にいえば、orzでつよ。恥ずかしい思い出です。

今回の披露宴は、二次会のアナウンスもなく、でも、割合長丁場の三時間の宴でした。
しかし、同席になった新郎の上司という方に大変お世話になって、新鮮な
話を聞かせて頂きました。世間的には所謂”業界”に大変近いところに位置する職業故、
あまり馴染みのない話もあって、大変楽しい時間を過ごすことができました。多謝。

懸案だった、余興もなんとか無事に大役を務め上げ、いい思い出になりました。
関係者のみなさんもお疲れ様でした。
終わってみればあっという間でしたが、楽しい経験でした。

本人にしてみれば、ボク以上に為すべきことが沢山あって、漸く終わって、ほっとしているのが
或いは偽らざる感想かもしれませんが、これも今後の人生の糧になることでしょう。
ほんとうにおめでとう。これからも二人で、或いはそれ以上の人数で楽しくやってくれることを
期待してます。

あ、あと例の英国車。絶好調です。機嫌を損ねることなく、渋滞の首都高や、都内を
淡々と走る様は、素晴らしかったです。ちょっとだけ匂うハイオクの香りは、ご愛嬌、って
とこでしょう。お疲れ様でした。

2005/10/13

遂に迫った明日の結婚式。今晩、最終の練習をして、と思いきや、もう一段ありそうです。

なんと、東京で行われる、その結婚式会場に、製造から30数年を経た英国車でいくことに
なりそうです。小さなロールスロイスと形容されたこともある、そのクルミの木で設えてある
車内の匂いやら、負圧式のカービュレイターの吸気音なぞを聞き乍ら向う東京は、果たして
どんな冒険になるのでしょう。別の意味で楽しみです。

結婚式に招待されると、まず最初の障壁は、筆字ですよね。祝い袋やら記帳やらで、
普段書きなれない縦書きの筆を強要されます。キビシーです。

例えば、行ったことはないんですが、外国の友人なんかに招待されたりすると、でも、
記帳とかあるんでしょうか?
で、たぶん、山田太郎さんだったら、”Taro Yamada"なんて気取って書いたりするんでしょうね。
でも、それ間違いです。日本人なんですから、日本式の名前を書きゃあいいんです。
で、どうしても読めない、つうんなら、ローマ字で併記してあげるのが親切かと。
もちろん、yamada taroって書きゃあいいんです。
外国の客人が、日本に来たとき、例えば、ジョンレノン、って書いても、レノンジョンて
言わないですよね。そーいうことなんです。
映画の字幕なんかも、ちょろっとわかる範囲内で聞いてると、かなり意訳してあるのが
分かります。直訳するんが、それが分かり難くても、正論ではなかろうかと。
日本語でわかるようにするのではなく、英語で分かりやすい表現をすれば、それが
日本語に翻訳しても、分かりやすい文章になるのでは?なんて思います。
分かりにくい表現は、原文を書いた方の責任で、翻訳者は、ただの職人として、
原文に忠実に訳すのが、その責務ではないかと思いますよ。

それを、意訳するんであれば、原作と翻訳じゃなくて、原作と日本語脚色訳、って
奥付に記すべきです。

そーすれば、縦書きの外国原作の小説でも、違和感なく読めるんじゃないかな?って
思いますね。横書きな、日本語意訳の海外小説、なんて勘弁ですね。

なんか、全然結婚式のネタじゃあなくなってしまいましたが、ま、そういうことです。

でも、翻って、”おまえが日本語上手に書けて、それを英語に訳してもらったら
うまく意味の通じる文章かけるのかよ!”
つう、突っ込みは、この際、浴びせないで下さい。^^;

第一、ここのサイト自体が横書き....orz

2005/10/10

昨日、無事、ユーノスとの蜜月を終了させてきました。
新オーナにキーを返して、任務終了。楽しかったなあ。
一昨日、昼休みに車内を圧搾空気で軽く吹き、二週間に渡った己の出した埃を
思い出と共に吹き飛ばしました。
ついでに、トランクルームにたまっていた前オーナのものと思われる塩ビ管の削りカスとか、
サンダーの切り粉なんかを軽く集塵。昨日洗車、ワックス。
久々に磨くそのボディの小ささに改めて驚き。小さいことはいいことです。
スポーツカーに関しては。

ま、預かった時点で、正規ディーラーから修理上がった状態でしたから、内部もそれほど汚れては
いませんでした。でも、オープンにして乗ってたんで、結構舞い上げるタバコの灰とか
駐車場で拾う砂とか、そんなんがたまっちゃたんです。だもんで、軽く清掃、です。

10年前に、ボクの乗っていた青いユーノスは、概ね名古屋にいた学生時代と、結婚して子供が生まれる
直前までの間を過ごした伴侶でした。
今回のユーノスは、そういった未だ、諸般のしがらみがなかった頃の甘美な思い出を
いろいろと髣髴させてくれました。少なくとも、今回、運転している間だけは、美化された
思い出と、俗世間を知らなかった無垢な自分と対峙できたわけです。

例えば、夜の東名高速を一人で屋根開けて法定速度くらいで走っていると、周りの三軸の
トラックなんかが唸りをあげて疾走してる中をじゃんじゃん追い越されるわけです。
夜の高速の追い越され方は独特で、目一杯背後に迫られて、それから、ターンシグナルを三秒
位灯されて、その後、やにわにスパン!と抜かれるのです。ま、半分煽りもあるんだと
思います。追い越し車線だと、右のターンシグナルを背後で出されてから、でも粘ってると
強烈なパッシングを食らうわけです。

ユーノスのインナーミラーは相対的に低い位置についてますから、その眩しさたるや半端では
ないです。そんな状態で走っていると、周りを走行中の他車は、すべて敵機に感じられるわけです。
平日の夜中に北関東ナンバーぶらさげたあんちゃんが、屋根開けて高速を走ってるわけですから、
まあ、仕事で乗ってるわけじゃないだろうな、つうのはバレちゃうわけだし。
そもそも、仕事=善で、遊び=悪という感覚のズレが、ボクを勝手に戦闘体制に持ち込む
のだろうとは思いますが、それらがない交ぜになって、なんだか、孤高の複葉機のパイロット
でも操縦してる気分が味わえるのです。

あの、例のスパルタン、言い換えれば安っぽいダッシュボードの眺めとか、スリリングなハンドリング、
そして、闇夜を切り裂くリトラのでかいハウジング。それら全てがその演出に一役買ってます。
孤軍奮闘して、全てを打ち落とすかの如く高速を抜けども抜けども現れる、フロントニ軸の定期便
の編隊、市場の競りへと先を急ぐ冷凍車との死闘。時々現れる、忙しい白ナンバー4トンの箱バン。
それらを、時に抜かれ、時にブロックされ、時にズバンと追い越す様は、あたかも操縦悍ならぬ
ステアリングを握り締めたバラッカのようです。
ま、そんなにすげーもんでもないのですが^^;

勘違いも甚だしいのですが、そんな気分で一路名古屋を目指して、緊張のドライビングを
強いられていました。幌を閉じれば、そんなに緊張を強いられるわけではないのですが、
半分雑誌の受け売りで、幌車は、常時開幌せねばならん!と念仏を唱えていたわけで。
あと、斜め後ろの死角が比較的でかくて、ミラーだけだと怖かった、つうのもありましたが。

そんなことしか考えなくてもいいような時代の気分を、ユーノスはボクに取り戻して
くれました。余計なことは考えなくてもいい。純粋に運転そのものをすればよい。
目的地へとむかって、ひたすらに。

ま、今でもそんなにきっちりした大人になってるわけじゃあないのですが、それでもいろんな
出会い、別れ、責任、義務、愛想笑い、なんてことを学んで、それなりに考えてやらねばうまく
ない歳になりつつあります。それをつまらない、と感じるかどうかは本人の考え方次第ですが、
少なくとも、ピュアではなくなってきてるのは確かでしょう。
それは、社会人としての成長かもしれませんが、大人になるということは、そんな処世術を
身に纏うことだけではないはずです。

本当の大人になるのに、一度、そのスタートラインに戻るのは不可能ですが、それに限りなく
近い気分を脳内でバーチャルに考えることはいくらでも可能です。
それを限りなく味わわせてくれたユーノスに感謝。

そんな気分で、元兵器だったジープのヒトへと戻りました。
これじゃ、ホントに操縦だな、おい、つう感のある強烈なハンドリングを味わうのも束の間、
J46から、緑色の涙が。.....
ラジエターフィンから、エンジン回転数に呼応して、冷却水が漏れてるのを確認。
ううう.....。orz

2005/10/7

昨日は、終業後、仕入れのために、問屋へ行ってきました。日中だと、時間が
勿体無いためです。その帰り道、ユーノスの元オーナから、電話が。
”今見たぞ。Uターンしておいでよ。コンビニいるから!”
なんということでしょう!
狭い市内で、ユーノスの元オーナーが、たまたま偶然
通りがかったボクを見かけて、電話をいれてくれたんですね。まあ、自分がつい先日まで
乗っていたクルマですから、みりゃあ、すぐわかるでしょうよ。でも、そんな、ビンゴみたいな
会い方、なかなかないですよね。運命を感じます(ちょっと大袈裟w)。

新規に購入したサバンナと並べて、ちょっと間談笑したのですが、
でも、まあ比べちゃあわるいけど、ユーノスの方が、色気を感じますねえ。特に後姿。
シャコタンにしてあるせいもあるけど、ペタン、とたたずんでる姿は、精悍、というより、
いい子にして待ってる、子犬みたいです。女性に例えると、30過ぎた大人の女性、つうより
25くらいの若いんだか、お姉さんだかの中間くらいに感じます。
実際は、若作りの35歳のお姉さんかもしれませんが、少なくとも、ボクには当時の若かった
風が感じられます。なんつうか、若い頃からずっと童顔で、子供時代には、
いつまでも小学生料金で電車に乗れる、中学生。
大人になっても、いい意味で若さを失わないような、かわいい感じのお姉さん、ってとこかな。

サバンナは、ボクの苦手なタイプ。ちょっと品が良すぎて、気高いような、敷居が
高いような、案外歳食ってんだけど、品のよさがそれを補って余りある、みたいな感じ。

乗って面白いのも、多分、ユーノス。ヘタレなボクには、ユーノスくらいのでかさ、
パワーが丁度面白いです。リミッタ効かして走るのもいいのですが、そこへ到達
するまでの恐怖度合いは、全く違うでしょうね。サバンナは、そこまで乗ったことは
ありませんが、ユーノスは、1.75X100倍の速度が心理的な限界でしたし。

いや、サバンナ、けなしてるわけじゃあないんです。ただ、比べる対象が全く違うのに
無理やり比較すると、こんな印象が付きまとうわけでして。
お粗末さまでした。(笑)

2005/10/5

今日は仕事で、午後半日市内を走って来ましたが、案外空いていてびっくり。
雨降りだと、緊急とか、必要に迫られて、以外の方はクルマ動かさないんかい?と。

昨日、ユーノス乗ってて、ふと感じたんですが、借りてるのに、なんだか妙に
体に馴染んじゃってんですよ。フラッシャレバーの操作感とか、前オーナも知らなかった
ワイパのミスト機構の入れ方とか、8年も経ってるのに、全部がブラインドタッチ
で行けるんですね。まだ。

例えば、自転車の乗り方なんかも、一度体が覚えると一生忘れない、とか、その手の
話、聞いたことないですか?苦労して体得したものは、そうなのかなあ?なんて思います。
ユーノスも、ミストが体に馴染むまでは、結構ウオッシャ出したりとか、そんな記憶もあります。

ただ、案外侮れないのが、シート。借りてるのはGリミテッドつう、限定車で、背面が欧州向けの
ローバックシートで、ヘッドレスト別体のもの。生地自体もスエード調の割合手触りのいいもの。
背中のホールドが当時の標準仕様とは全く異なっていて、イイ!です。

でも、それすら、なんか自分のなかに取り込んでる感がなきにしもあらず。
どこまでも続く、なぜか相性のいいユーノス。唯の量産車なのに、なんでだろ。

と、夜中の農道を、5速でかるーくアクセルをふんごくりながら、ふっと考えてたりしました。
楽しいですよねー。ホント。(笑)

2005/10/3

今日は、日記はお休み。昨日は運動会で疲れました。今晩も余興の練習がありそうです。
あと10日強。頑張んないと、本番どっちらけだもんね。

2005/10/1

10月になってしまいました。
衣替えですよ。早いですねえ。
でも、季節に関係なく、ジープはいつでもフルオープンで行きたいです。

今日も、仕事でセメントを10袋、積んで配達に行ってきました。流石に、フルオープン
つうわけにはいきませんで、ドア外して、後ろをくるくる巻いて出発です。
仕事してるんだか、ドライブしてるんだか良くわからないまま、客先に到着。

無事におろした帰り道、メルセデスに追突しているホンダを発見。
傷は殆んど現認できませんでしたが、両者、なにやら携帯電話で通話中。

そこはかなとない恐怖を感じつつ、帰社。
交通安全週間が終わっても、引き続き気を引き締めねば、と誓ったのでした。

閑話休題。今日、ユーノス新オーナが、車検証のコピーを取りに来ました。
任意保険の切り替えに伴う手続き上の書類作成に必要なのでしょう。

刻一刻と近づく、お別れのとき。
最後まで、いろんな意味で、大事に乗れたらな、と思いますよ。

”てか、大袈裟だね。たかだかクルマ一台にさ!”

なんて、言われそうだよ。ホント。
所詮、工業製品のクルマにこんなに思い入れがあるなんて、自分でも驚きっす。
なんなんですかねえ。(笑)

2005/9/30

期末決算、上半期年度末。夕方の市内の道路の込み方たるや、尋常ではありませんでしたね。
会社への到達予定時刻もだいぶ狂いました。いやいや。

今日、ユーノスの新オーナーと打ち合わせして、返却日を可決しました。
もっと早まるかもしれませんが、一応、決定しました。
あと一週間。どういう風に残った日々を過ごそうか、ぼんやり考え中です。

ところで、今回の顛末の事情です。
新オーナに元オーナが、”新規にサバンナを購入したい。ついては、君の乗るハイラックスは
不調と聞いた。ユーノスは16.5万キロ乗ってはいるが、調子はよい。
乗る気はあるか?あるなら、差し上げよう”と話を振ったのですね。
ところが、新オーナは、ハイラックスサーフを長年愛用していて、それに愛着が湧いては
いるものの、絶不調な現況に、いろいろと考えを巡らせていたのですね。
そこで、サーフを処分するか、という決断に一週間かかった、と。
そんな事情が、今回の内訳なんです。

彼の一週間の熟考中、一度、その件が立ち消えになったと可決した元オーナが、うちに話を
振ってきました。

”ユーノス、いらね?部品外す手間があるから、それを引き受けてくれるなら、無料にてOK!”

小躍りして、考える振りをして、返事を翌日にする、と言って電話を切りました。
勿論、そんなのはスタンスだけで、頭の中の構想はほぼ固まっていました。
翌日、引き取る旨の連絡をして、具体的な日時その他は、後日、ということで、決着をみました。
一応は。

車庫証明の用紙なんかいそいそと地元の警察まで取りに行ったりして、気分はルンルンです。
その数日後、”新オーナが、決断したから。先に話をした手前、悪いが君は辞退してくれ”と
元オーナから、連絡が。

うちには、役に立たないが、調子のいいジープが二台もあるし、ムルティプラもある。
オープン2シータなら、X1/9だってある。
彼は、サーフ一台で全てを担う。
その唯一のクルマが不調。

となれば、明らかに辞退するのが正しい方法です。
何れにしても、近くの関係で存在するのは確かだし、部品はボクのが多少ついてますが、
今更ユーノスを新規購入する予定は全くないし、で、問題がないわけです。

ところが、車庫の問題と、(新オーナが二台置いておく場所はない)、うちの勝手に
作った予定との間で、どうしてもユーノスが必要になってしまったのです。短期間だけ。
それで、新オーナに無理を言って、借りている、とそういうわけです。
彼からも、既存の部品をサーフから取り外す時間や、最後のサーフとの時間を過ごしたい、
という有難い言葉を頂戴して、それを間に受けたボクが、結局今日で一週間借りてる、
というわけです。

ここで、もしも、の話です。
うちには、以前、ジープがありました。J54のワイドです。
その前に、ユーノスに乗っていました。車検が切れたユーノスを暫く寝かし、
その車検費用プラスくらいで検付のジープを手に入れたのです。
そんな長い期間乗るつもりはなく、普通に街乗りで乗るつもりで手に入れました。
愛着湧くと、ドツボっぽかったんで、敢えて手をいれず、現状、つう雰囲気で
乗ってました。

その後、結婚が決まり、いくらなんでも、つうことでユーノスの車検を再度取り直し、ジープは
処分しました。
あっさりと手放したのです。一年半の付き合いでした。
手放した後、やっぱ街で見かけるジープを目で追う自分がいました。
その後、以前から欲しかった、J46の出物情報があり、即決。子供が生まれる直前でしたが、
二人乗りじゃ不便でしょ!つう理屈をこねて、呆れ顔のカミさんを尻目にいそいそと46を入手。
当然、条件として、ユーノスの処分が待っていました。
車検も残り少なかったですし。

今度は泣けました。思い出すのも切ないです。決めてからの一週間、写真を撮りに
あちこちへ出かけ、そして、部品をノーマルに戻し、クルマやさんへ持ち込んで、
永遠の別れです。寂しかったなあ。

で、ジープです。

そんで、今回のユーノスです。

ちっとも前進してません。なにやってるんでしょ。ボクは。
ユーノスとジープのメビウスの環にはまってしまったみたいです。

世の中には、もっと素晴らしいクルマがあるでしょう。
でも、ボクは、そんな余計なココロは考えずに、ひたすら後ろ向きに進んでる
みたいです。
今回、ユーノスを入手してしまったら、三歩進んで二歩下がる、を地で行っていたことでしょう。

だから、いいんです。今回は見送りです。
新型ユーノスが入手できるころになったら、新しいメビウス環を構築すべく、
人生に励んでいることでしょう。
つうことです。

2005/9/29

昨日は、我ながら恥ずかしい日記を書いてしまいました。かなり赤面モノですね。
でも、そのくらい良くできたクルマなわけですよ。今更ながら。

で、今日もそのお別れのへの日のカウントダウンが一個進んだ事象がありまして、
いい加減、ずるずる引きずってるのはよくないな、と改めて思いました。
新オーナーにも悪いし、前オーナにも結局甘えてるわけですから。

今週中にでも、きっちり話し合って、決断の日を持ちたいと思います。

でも、いざとなると、短い間だったけど、きっと泣いちゃうんだろうなあ。
楽しかったからなあ。
でも、その気になれば、いつでも会えるんだし、こっちのわがままを
通せば、また借りることもきっと可能なんだろうし。
(甘えてごめんね。優しさに付け込んじゃダメですよね。)
はあ。

でも、それやったら、きっと、どっか遠くへ行っちゃいそう。

まるで、逃避行ですな。

余談ですが、恋の逃避行、って昔なんかのフレーズで聞いたりしたんですが、
それって、恋の戸を引こう、ってずっと思ってました。

よくある勘違いシリーズアンドボキャ貧な厨の頃の話です。

あ、またバカ自慢してしまった。orz.....

2005/9/28

続・メール設定。

恥ずかしいはなし、メールの設定は解決しました。あーだこーだいじってるうちに、
メールサーバへのパスワードをいじってしまったらしく、正規のパスワードを再入力
したら、すんなり、認証、メールチェックは、完璧に終了しました。
ごめんなさい>地元のCATV局様。

余興。昨日行われた、二回目の余興オフ(いいんです。ML立ち上げたんだから)は、一名の
欠席を除いて、全員参加。概ね7割くらいの完成度で唄えることが判明しました。
しかし、原曲のキーがあまりにも高く、シャウトすらできないことが判ったので、カラオケなら
ではの機能、キーコンを使って、その音域を試行錯誤した結果、#の4番まであげれば、却って
地声で唄えることが解明されました。
これを唯一の欠席者でギター奏者のMG氏にうpしたところ、ちんぷんかんぷんなレスがついたのは
ご愛嬌。
今後は、生ギター一本で唄うことを余儀なくされたボクらが、どのようにして今後の難題に
立ち向かうかを考えなければなりません。
具体的には、練習する場所。カラオケ屋は案外高価なので、勿体ないです。どうせ、電気音はもう
要らないのですから。
さりとて、日中は、週末を含めて、一同に会するのは難しそう。平日の夜間、公園で大声を
張り上げて練習できるほど、ボクらは、根性があるわけでないし。
貸しスタジオでも使えばいいんでしょうか?なんか、カッコわりいしなあ。全然バンドマン
じゃないボクらの立場からすればね。
今晩以降、熱いMLトークが炸裂する、わきゃあないんだな。これが。
それから、衣装の問題。余興をワイシャツでやるのも変だし。チェック柄のBDシャツでも
携行して、現地で着替えるとか、そんなんかなあ?も、これも要検討課題ですね。

久々にユーノスに乗って、カラオケ屋へ向ったわけですが、気分はすっかり20代前半でした。
低いシートに腰掛けて、そこから見上げる、夜の退廃とした空気が流れる不夜城のカラオケ屋。
当時からの友人と話す目線は、勿論、彼を遥か見上げるスポーツカーからの視線。
懐かしいなあ、と彼ののたまう一言で、一気に、気分が徹夜までして遊んでいたあの頃の
油ギッシュな若さを思い出したのは、言うまでもありません。

ジュリアナ東京、とか、その扇子(ジュリ扇、つう言い方でしたね)、田舎な高崎の
ディスコ(ここの街にはそういったものはなかったから、凄まじい田舎です)の噂、
ボディコンなおねいさん、初めて見る完徹の朝、とか、もぞもぞしてた、同級生の女の子との
会話、etc....。

昔乗ってたクルマに乗って、そのクルマと過ごした時代を思い出せるのは、ある意味幸せです。
見てるだけでは、決して感じ得ない、あの当時の己にしか解らない、切ない気持ち。
自分で購入するのは、現実、不可能だし、長期に渡って、対価を払って借りることも
不自然。今の状況は、極めて自然で、でも、安心して楽しめる状況なわけです。
当時の気持ちをを忠実に再現しろとと言っても、それはもう絶対無理です。
一度巻かれた時計は絶対に逆回転はしないのですから。
でも、それに限りなく近い気分を盛り立ててくれた九月の乾いた空気と、ユーノスと、
それを思い起こさせてくれた友人たちに感謝します。
ありがとう。

そのうち間違いなく来る、ユーノスとのお別れの時。でも、その時まで、せめて、白昼夢のような、
そんな時間をボクに与えておいて下さい。
誰にも邪魔されない、魔法のようなひと時を。

ぷ!またキザっちゃったよ。ちょっと睡眠不足でナチュラルハイなんかいな?
いい加減にしなさい!

2005/9/27

最近、携帯電話の調子がすこぶる悪いです。ボクの電話機は、fomaなんですが、それ同士で
通話すると特にダメ。かなりイライラさせてるはずです。ボクの方は、割合キレイに聞こえるの
ですから。お客さん、ごめんなさい。

調子悪いといえば、インターネットです。
うちが契約してるのが、地元のCATV。今や、10メガも出すほどの高速通信を売りにしています。
ですが、金曜日から、ネット用のモデムのインジケータが、消灯。その日の午後、
サポセンに電話すると、件のモデム用の大本のサーバが不調とのこと。
別のメーカのサーバだったら、稼動しているので、そちら対応のモデムに交換するのも
やぶさかでないとの弁。早速、レンタルモデムをぶら下げて、本社へ突入。
正門は、閉じてあるものの、裏口からこっそり入館すると、意外とあっさりした対応。
電話がじゃんじゃん鳴り響くオフィスは、しかし閑散とした様子でいやが応にも、
寂しい気分の演出に一役買っている。
先ほど、電話で話した旨を伝えると、素早く、倉庫から新品のモデムを携えた社員が
飛び出てきて、自宅電話番号で本人確認した後に、無事交換完了。
おっとり刀で、モデムの交換、ルータの再起動、と淡々と行事を終え、無事ネット
再接続完了。

ところが、メールサーバが不調らしく、未だに、ここのhi-hoのメールサーバに飛んでいかない
現象が続行中。本日昼間、その件で、再びサポセンに電話すると、全て復旧完了とのこと。
DNSサーバのプライマリとセカンダリの設定を促され、やってはみたものの、未だ完調には
ほど遠い。

本来なら激高するところ。でも、あの社員たちの対応をみていると、精一杯やってるのが
感じられたが故に、あまり強い口調でノシ倒すのもなんだかなあ、という感じ。

ま、もう少し様子みてみましょうか、という感じ。
急ぎのメールなら、携帯にも入ってくるし。

あ、携帯不調だったんだっけ。^^;

2005/9/26

連休週間だった先週。日記も連休でした。自宅のPCのキーボードが安物でして、
"D"のキーだけが反応が極めて鈍い。これって、かなりイラつきます。だもんで、長文打ち込みを
強要されるような使い方だと、明らかにペースが落ちて、やけくそになりがち。
だもんで、会社のうすらのろいペンティアム3マシンでしこしこ打ち込むわけです。
ところで、友人の結婚が決まりまして、実に目出度いんですね。でも、個人的には
暗雲立ち込めてるんです。なぜって、余興を頼まれたからです。
とりあえず、楽器を演るやつが、ギターで伴奏。これは確実に決定。残りのボクを含めた
三人がボーカル担当、てか、サンボマスターズの曲をすることにノリで決定してしまったのですよ。

これ、例の2chからでたテレビドラマのエンディングテーマになってる例の曲なんですが、
実に難しい。曲を入手してから、はや一週間は経過してるんですが、未だに全部のメロディを
憶え切れない。二番が特に難しくて、困ってます。

いやあ、ただ単に終わりのメッセージを2ch用語で祝福してやろうかと思っただけなんですが、
かなり後悔してます。明日が、初めてのカラオケ練習日。どうなることやら。

そんな辛い日々を過ごしてるだけではないんです。
ちょっと訳があって、今、友人のクルマ
を預かって乗らさせてもらってるんです。
平成7年式のユーノス。紺のボディに8本スポークバナナのパナラリー、cpメッキのドア
ミラー。抜けた純正マフラー、きのこ型のエアクリ。そしてシャコチョー。
ステレオなし。
サイコーです。ただの通勤平道が、ニュルブルックリンクの旧コースに感じられます。
つまんないストレスは、風と共に後ろへ去りぬです。
ジープの開放感も勿論捨て難いけど、やっぱ、軽快感では、このクルマの右に出るものはありません。
借りて、今日で5日目。全く飽きる気配がありません。まるで、愛人をめとったかのごとくはまってます。
いや、愛人なんかはいないわけで、すいません、想像妊娠みたいなもんなんですが^^;

感じたこと>クッション悪い。走行16.5万キロには思えない素晴らしいハンドリング。極上の味わい。
素晴らしい吸気音と排気音。同時に乗るムルティプラがトラックに思えるスポーツカーらしい乗車位置。
ずば抜けた加速感。怖くて5000以上回せない己の感覚の麻痺。

借りていられる期間は未定なれど、返すまでにどれほどの愛着を移入できるのか、正直わかりませんが、
怖いです。いや、はまったら、どうしよう、なんて。

いや、ジョークです。ジョークですってば。^^;

2005/9/22

雨です。

案外、こんな天気で外遊びすると、吹っ切れて面白いです。
例えば、バーベキュー。半分濡れながら、やぶれかぶれでやると珠玉混合で、
思った以上の興奮が押し寄せたりします。
のっぱらのバーベキューでも、例えば、会社の敷地内で、終業後にやるそれでも、
面白いです。
北海道をバイクで走っていたときは、強制的に雨天野外食、なんかを強要
されたりもしましたが、不思議と悲壮感はなかったですねえ。
むしろ、安堵感もありました。これ食って、あとは、今日は寝るだけ、なんて
思うと、テント泊の心地よさが翌日のエネルギーに繋がるような、違うような。

翌日、晴れ渡ると、テントと寝袋干すか、しけたそれに包まるのを覚悟で
新天地へと歩を進めるか、で悩んだりした早朝五時、なんつうのもありました。

止まない雨はないわけで、逆に、晴れの有り難味を感じ取れるように、
前向きに考えたいものです。

なんか、似合わない締め方になっちゃった。
かっこつけすぎですね。(笑)

2005/9/21

最近、いい調子で日記かけます。
天高く、馬肥ゆる秋。未だダイエット敢行中のボクには、辛い季節です。
最近、いつも空腹な感じですもん。
食のストレスは、物欲で開放。つうわけで、自転車の再生に開眼してます。
月曜日に、消耗品を中心に、部品を購入してきました。
昨日で、ベアリング関係の再生は終了。これからは、ワイヤー関係に移行です。
前後のブレーキワイヤを今回、新規購入してきたので、これの張替え。
ディレラ用は、以前に購入、セット済み。初期延びを取ったので、これは、昨日調整して、
完成。アキュシフト(SISのサンツアーの呼び方)も、ほぼ問題なし。
実走して、再度調整すれば、イケるかな、と。
ブレーキは、マファックのセンタープルのアーチワイヤが入手難なので、
シフトワイヤを流用。ところが、太鼓がでかすぎ。ブレーキの金物を加工して
取り付け予定。千鳥も、汚いのですが、既に入手難。これは磨いて終了かな。
あと、錆びたウルトラのチェンを再生しないと。これが一番難儀かな。
それから、サイクルコンピュータの取り付け、ライト、リフレクタ、ボトルホルダ、
と完成までにはまだまだ道程は遠いです。
わかるヒトが少ない、ヲタ話にて失礼。日記ではなく、チラシの裏のほうが
相応しい内容ですなあ。こりゃこりゃ。。

閑話休題。夕方会社に置いてあるモンキーでちょっとそこまでタバコを
買いに出かけました。丁度雨がふる直前だったのですが、空気は夏の夕立
直前のような蒸したものとは違う、爽やかな、寂しい感じの秋の空気です。

そこで、いつも通り、チョークを引き、キック3発くらいで始動。
ペダルを踏んで一速。ん?加速がいいなあ。更に踏んで二速。お、モンキー、
こんないい音してたっけ?更に三速。おおー速い!!!!こんなに、モンキー
は危険な速さをもってたっけ???
つうくらいの気持ちよさでした。
前に聞いた話だと、雨の直前直後は、空気の密度が変わるらしいとのこと。
ソースは定かでないのですが、実感として感じられるほどの速さを感じたのは
今回が初めてでした。でも、バッテリが完全に終了してる故、ヘッドライト点すと、
他の灯火類が全滅するんで、危険でした。

ボアアップした50でこの気持ちよさなんですから、250とか、400のバイクはもっと
たまらないんでしょうね。

あー、バイク乗りてえ!。

秋の夜長を走り通す、あの、孤独感をもう一度味わいたいです。
空腹感を満たしてくれる、そんなストレス解消法もあったなあ、と
思い出した秋の一日でした。

2005/9/17

晴れ渡る九月の青空。ここのところ、晴天が続きます。だもんで、J55
の幌は、やや一週間、開けっ放し。
会社の駐車場も、自宅の駐車場も、地面は舗装してないので、車内の各部は
うっすら砂埃が溜まって来ました。時々向うガソリンスタンドで貸してくれる
中拭き用の雑巾も、申し訳ないような色に染めてからの返却が恒例になりつつ
あります。

そんな天気が続く今日、子供の学校の運動会がありました。抜群の砂埃の中で
行われたそれは、しかし、雨天延期を睨んで、翌日が休日、或いは祝日に行うことが
常です。幸いにも、予備日を使用することなく、予定通り、本日、滞りなく行われた
筈です。

というか、わが社は、本日も基本的に通常営業。仕事の合間を見て、愚息の出番を
プログラムとにらめっこしつつ、極近いその学校までをホンダのズークに鞭打って
駆けつけるわけです。従って、全てのプログラムは見ることはできません。

午前の部(ボク的な)が終了し、一旦、会社に戻ると、急ぎの配達が待っていました。
大した量の荷物ではなかった故、幌全開のJ55にての配達です。
現場に急行し、納品を終えると、数量不足が露呈。てか、監督の拾いが甘くて、
鉄骨建方にも関わらず、ブレスの分のボルトがそっくり拾ってなかった、という。
午後からは、再び学校に舞い戻らねばならぬ運命故、仕方ないんで、お昼に食い込むのを
覚悟で、おっとり刀で会社に戻り、再び現場まで馳せ参じました。
4DR52にこっそりフルスロットルをくれて、都合二往復。
この晴天ゆえ、気分はいいのですが、如何せん、空腹が如何ともし難い。
ガラスを倒さないので、制限速度の2倍くらいの速さで走行しても、風圧に顔が負けることは
ないのですが、その快適さに却ってイライラが募ります。
だからと言って、ガラスを倒してしまえば、法定速度で走るのが、物理的な限界になって
しまうし。

そんなこんなで、みながマターリしてる中を学校に着き、漸く昼食にありつくも、
じっとしていられる筈もない子供は、既におらず。
なんで、こうなるの?と、寂しい運命を呪うも、空腹モードは最高潮。
一気呵成に昼食を放り込み、なんとか、午後の部に命運をつないだのでした。

午後1のブラスバンドの演奏は良かったです。衣装もかっこよかったですね。

明日も晴天が続くとか。たまには、内部の埃をちゃんと拭こうかな。
暫くは開幌でいけそうだし。

あ、あと、某氏の新規導入車の納品には打ってつけかな。
例の駐車場で会えるといいね。多分、あまりの好天に出かけてるとは思うけど^^;

2005/9/16

お昼頃、客を乗せて、材料の引き取り、つうか物色に行ってきました。
会社から、ほんの5分くらいの道程だったのですが、多分、前倒しのフルオープン
ジープの体験は初めてだったはず。

ストレス解消には最高だア、と雄叫びをあげながらの疾走は、傍目には
かなりおかしい風に見えたことでしょう。
運転席は、前掛けを締めた、怪しい露天商風味。助手席は、作業着を着た
怪しい現場監督。

それぞれが、がなりながら、気持ち曇天の北関東をぬるい速度で走るのは
今日の陽気と相まってサイコーの気分でした。

これで、ジープに正方向のベクトルを持った御仁がひとり追加、かな。

めでたし、めでたし。

2005/9/15

ダイエットが面白いです。

お盆あけた頃から、なにやら精神的に不安定になり、(5月病か?)
食が極めて細くなった時期がありました。現在は、多少それをひきずってはいるものの、
かなり調子よくなってきました。

でも、それがきっかけで、ダイエットにちょっとだけ目覚め。
具体的には、朝ご飯を半分に減らす。お昼は主食を減量。間食はせず。
夕食は、ビールを極力我慢し、できないときはコメをほんの一口だけにする。
飲まないときでも、コメの量は以前の半分に。
おかずは、無理して完食せず、翌日のお昼や、朝食にまわす。
あと、10時や3時のお茶は、ブラックの缶コーヒーか、お茶類にする。

これで、5キロくらいは減量しました。
もともと、スナック菓子や、夜食は食べないので、そういった我慢はしないでも
いいので、まあ、ラクです。

現実、高校の時に履いていたジーンズが、先日、ちょっと無理すれば履けた、つうのが
かなり嬉しかったです。あと、ベルトの穴が全くもって余裕になったこととか、
己の腹を上から覗いて、己の己が割合見通し良くなってることとか。
(男性ならニュアンス、わかりますかね?)

あとは、近所の水泳プールに通うか、自転車の早朝をやるかすれば、かなり
イケル!とは思うのですが、時間的にキビシー、つうのも本音。

目標は、自己最高だった、15年位前の66キロまで戻すこと。
さて、どうなるか。

のーさんとバトルしなきゃ無理かな?

2005/9/14

本当は、雨が降るはずだった今日。

だもんで、昨日の夜は市内を少々、仕事上がってから流してきました。
今日から暫く天気悪くなると、またまたうっとうしい幌をはんなきゃ
ならないので、その憂さ晴らしに、乗り回してきた、つうわけです。

法定速度くらいの速さで市内を流すと、丁度心地よい風が頬をなでて、
えもいわれぬ心持ち。仕事でたまったつまらないストレスも風と共に
後方にことごとく去って行きます。

昼間やると、直射と人目が気になって、おおっぴらにできないそれが、
夜になると、堂々とできるのも気分いいです。
自己マン、ここに極まる!つう感もなきにしもあらず、ですが、
いいものはいいんです。

ジープはやめられません。

2005/9/12

珍しく、連荘でいくぜい!

昨日は、予定通りそばを食してきました。
隣町の山のなかの古民家を改造したと思わしき建物に、その蕎麦屋は
開店してました。
安価かつ、美味。また来ようね!という意見で満場一致。
楽しかったです。

そぼ降る雨の中を出かけたのですが、隣町とはいえ、それは、日光連山の
最南端にあたる山なので、かなり山深い感覚を憶えました。
山なりに、雲がかかって、枯れ山水の世界。
かなり雰囲気はいいです。

ただ、自宅から30分も走ってないのに、携帯電話が圏外になってしまうのは
少々驚き。

実際のところ、雰囲気だけではなく、物理的にも奥深いのだなあ、としばし
納得。

有意義な休日でした。

2005/9/10

朝晩の空気が幾分、尖ってきだした九月。でも、今日は暑かったなあ。
秋と言えば、クラブ活動の季節です、と言っていたのはもう10年くらい前。
早いものです。趣味性の高いクルマを所有していると、いろいろなところで
いろいろなクルマのミーティングが行われていたのが、その理由の一つだった
のですが、最近、その情熱が幾分薄れてきたようにも感じます。
考えられるのは、自分が単純におっさんになったからかな?とか、
乗ってないクルマのミーティングにいっても、やっぱ面白くないからかな?とか
考えられるのですが、それを打破できるような出来事が興りつつありました。

てか、もう過去形になってるあたりが、トホホなんですが。
まあ、そんな時期だったわけです。でも、もういいんです。
話は決定しましたから。ねえ。
きっぱりと断乳です。

そんなことより、現実を見据えねば。先日届いた葉書は、ムルティプラの
任意保険の更新の案内。昨日届いたのが、シルクロードの保険の更新。
暮れになれば、J55の車検。そんななかで、ユーノスなんか維持できるわけ
ないでしょう!と天の声が聞こえるようです。

あんましバカやってないで、自分の乗り物のメンテでもしこしこやるほうが
妥当かと。そんな感じなのかもしれません。

だから、ってわけじゃないのですが、久々にJ55の洗車をしました。
洗車と書いて戦車が最初に変換候補に出てきちゃうほど、縁遠いこの作業。
結果的に、右半分の2/3の水垢落としをして終了シマスタ。やってられません。
かなりキツイです。これ。まあ、ダイエットと思って汗かいて、それで
よしとしますかね。
あと、壊れてた幌のホックを直しました。もう在庫がありません。よく
壊れるホックでした。今度壊れたら、また手芸屋さんに行って、ちょっと
恥ずかしながらのお買い物をするわけです。
でも、幌車乗ってる人は、穴場です。知ってる人はとうに知ってるのですが、
いろんな幌関係の小物、ファスナーとか、D環とか、ベルクロテープ、
ホック、なんていうどこで売ってんだア?つうものがあります。
初めて行ったときは、目から鱗でした。
会員になると安くなるカードがあるのですが、それだけは、勧められても
敢えて、加入しない。方がいいと思います。
いや、理由はないのですが。(笑)

明日は休みだ!どこ行こうかなあ?そばでも食べに行ってこようかな。

では、良い休日を!!

2005/9/8

最近、いろいろなことを考えます。人生いろいろ。仕事もいろいろ。
考えても、そう簡単に現状打破できるわけではないのですが、考えるのは
悩ましいし、ある意味、楽しいことです。
原点回帰、なんて言葉もあります。迷ったら、スタートに戻れ、と。
複雑ですねえ。ホント。
どこのスタートに戻ればいいのか。いろんなスタートがありますからねえ。
人生。

なんもやることがない山のなかで、仙人よろしく、思い切り瞑想,もとい、妄想に
耽って、時間を過ごしたいです。静寂すぎて、却ってうるさいくらいの
あの静けさのなかで、朝から夜まで、なんの通信手段もなく、連絡手段も
ない、そんな場所にいってみたいです。

まるっきり、現実逃避もいいところです。

あ、おかしくなったわけではないです。ただの戯言ですから。
考えるだけで、少しは前進できるかも?なんて思うのですが、事態は
実際にはそう簡単には変化しませんから。

ま、おっさんの血迷った屁理屈、とでも解釈してください。
少し時間経てば、また、ただのオタクな講釈ブチのおっさんに
戻りますから。

妄言にて失礼!

2005/8/22

昨日は、入間にて行われたジープの機能美展に行ってきました。
J46の仲間も集うことができて、ここの掲示板でも御馴染みな面々が一同に会することが
できたのは、単純に嬉しかったです。

ここ数年、開催最終日に出かけていたのですが、それは、
参集する見学者の乗ってくる個体が、比較的珍しいものばかりだったからです。
でも、40系のジープにめぐり合うことは、殆どなく、いつも、比較対象のない寂しい
幌車を、駐車場の片隅に止めて、悶々としていました。

でも、今年は違いました。のーさんとしいさんに声をかけて、少なくとも、三台は確保。
これだけでも充分に興奮するというのに、更に二台の個体が自然参集になりました。
どうやら、20系より参加台数が、多かったようです。

結果、J46が四台、J42が一台の計五台が、駐車場を埋めました。
驚きです。
ミラクルです。

非常に暑い夏の一日でしたが、そんなことはどーでもいい!と言えた一日でした。

でも、今度はもっと涼しい場所と時間にゆっくりと杯を傾けつつの、まったりした
マニアックな会合をもとう!と次の再開を期して、家路へと向ったのでした。

参加の皆さん、お疲れ様でした!

2005/7/28

いかん!!またしても日記をすげーさぼってしまいました。
梅雨もとっくにあけて、もうスグ、おとなの短い夏休み。例年通りの予定で
入間のジープ展、某所での夏の宴会キャンプ、そして、線香立て、と目一杯な予感。

今週は、地震に始まり、台風に慄き、そして、強烈な日差しを迎えて、という
フルコースです。

そいえば、ジープのブレーキは四輪ドラムで、今時の基準では考えられないモノですが、
片効きと、内部浸水に対するその乾燥性のなさでも有名です。

近所に、毎度大雨の度に、おとなの膝丈くらいまで水がでる道路があるのですが、
乗用車でも、そろそろ走れば、なんとか走破できるくらいのエスケープもあることはあるので、
あまり改善されていません。数年前に、水が出たときに、面白がって、J46でそこを走ってみたことが
ありました。別段、トランスファを入れなくても徐行で走れば普通に行けるので、水しぶきを
あげてデスビへの飛沫を迎えるようなことなく、そろそろ走り、乾燥路面に無事帰還。
理屈は知っていたので、ブレーキペダルを踏んで、ドラムの乾燥を促そうと思ったところ、
その乗り味に変化が全く感じられません。

一切のブレーキ操作を拒まれたのです。復活するまでの距離。僅かだったのですが、物凄い恐怖でした。
こりゃいかん、と最大限のエンジンブレーキとセンターブレーキを駆使して、なんとか停止。
別ルートで自宅へと帰還中に、片側のブレーキは復活したのですが、今度は強烈な片効きに見舞われました。

半端じゃないんですね。片効きっつうやつは。
これは、今でも、時間を置いて乗り出すと、時々見舞われて、最初の交差点で、不意打ちをくらうと
結構動揺します。タバコなんか吸って呑気に運転してると、あっさり電柱に向って行くので、
本当に注意が必要です。電柱を倒したら洒落にならんですからね。
バンパは適当に交換できても、電柱の弁償と、二点式シートベルトに守られた御身の事実を
忘れないようにしなければ。

さて、今度は何時付けの日記が書けるかな(笑)

2005/6/3

もうじき、梅雨入りらしいですね。今日はその前哨戦、て感じな雲天です。
お昼頃は、ちょっと晴れ間が覗いていましたが。

昨日、ラジオで聞いたところ、マニアとおたくの定義があるそうです。
マニア。実態のある趣味性のものを愛でる。
おたく。バーチャルな趣味性のモノを愛でる。

ははあ。そうなんですか?女子高生マニア。女子高生ヲタク。
どっちもありぢゃないですか。
鉄道マニア、言ったら列車の写真を撮る。オタク、言ったら時刻表愛でるんですかねえ?

単純に、萌え、で表現できるのが、ヲタで、そうじゃないのがマニア、つうほうが
よほど簡単に表してるような気がするんですが。

恋人は、ジープだ!なんて力説(んなヒトいないか)するのが、ヲタ。
ジープ好きです!いうのがマニアなんですかね。この定義だと。

やぱ、ちょっと違いますねえ。
ラジオで、したり顔の解説者、それに頷く某公共放送女子アナ、つう構図そのものが萌えに
なる恐れもあるわけで。
そんな簡単に解説できるほど、コトは単純じゃないです。>解説者殿。

あ、でもボクはクルマに関しては、エンスージアーストですよ。
ヲタでも、マニアでもありませんから。

残念!!!

2005/6/2

先日、ふと気づいて計算したら、今年、って昭和20年、西暦1945年から勘定して丁度60年
なんですね。その半分、戦後30年は昭和50年でした。

昭和50年、いったら、ボクがまだ鼻たらして頃ですが、すでに、サニーは1400になってたし、
今でも名車の誉れ高いトヨタ2000GTとかその辺のクルマは絶滅種になっていた頃です。
ホンダはまだ全然ダメで、最高級がシビックの5ドアとか。アコードはまだ発表されてなかった
はず。それでも、数年後デビューしたときは未だ3ドアのみ。ファミリアにおけるエチュード
みたいな存在でしかなかったのです。(却ってわかり難いかな)
うちのJ46は、そのもう少しあとの昭和53年式なんですが、まあ、ほぼ同時期のクルマと思って
間違いないでしょう。デビューは確か、昭和49年か50年の筈ですし。

戦後30年と60年。倍の開きがあるにも関わらず、昭和50年には、戦後すぐのクルマは
走ってなかったのに、平成17年のいまでも、昭和50年代のクルマは普通に動くクルマとして
認識されています。
今言った初代シビックや、サニーの310とか、普通に乗れます。現代でも。
珍しがられるかもしれませんが、本人は大して気張らないで転がせるはず。
ボクの気持ちとしては、運行している本人が年取ったせいかもしれませんが、'70年代のクルマは、
そんなに古く感じません。プチ旧車、くらいな感じです。
昭和50年における、戦後すぐのオート三輪とかの珍しさ度合いと平成17年の、今ボクが乗ってる
ジープの珍しさ度合いでは、製造からの年月は同じでも、全く異なると考えます。

ところで、昭和50年を中心に考えると、前半はイケイケで、後半は排ガスと安全対策だった、
と解釈できます。つまり、わかりやすい技術は、すでに前半で完成していて、後半はその
ダメ出しと、おっつけ仕事に終始していたのかなあ、なんて考えます。

一生懸命仕事していた自動車会社の方には悪いけど、後半のおっつけ仕事の部分は、
趣味のクルマ的にはあまり楽しくない時代だったのかも、なんて思います。
今、ボクがクルマに対して楽しい、と感じるのは、構造の簡単な部分の改修とか、
修正。簡単な部品の修理ひとつ取っても、樹脂部品をはめ込む式と、ボルトナットで
着脱だと、ラインで、より組み付けが簡単なのは、やはり前者でしょう。んでも、個人レベル
で手を出すと簡単に割れちゃって、補修が大変なのも前者です。

今週は、J46の全塗装を敢行しました。もちろんハケ塗りですが、こんな楽しい作業ができる
のも、外装部品のほとんどが鉄だから。樹脂部品だと、それぞれの特性があるから、ラッカー
ペイントでベタベタ塗ると、場合によっては 溶けちゃいます。マスキングもしません。
部品の着脱が簡単だから、外しちゃって塗れば用が足るからです。

んでも、幌外すのは毎回ながら骨が折れます。ここんどこだけでも、最新のテクノロジー
を導入したいなあ、なんて、いつも思います。
いや、電動油圧アクチュエータ式全自動幌にしたいわけじゃあないですけど。

2005/5/21

昨日は、終業後、ずっとJ55をいじって遊んでいました。後部の右側のバンパの収まりが
なんとも変なんで、それを改善すべく試行錯誤です。

乗車の方は先刻ご存知だとは思いますが、マフラの出口がJ55から左だしになりました。
つれて、ナンバーが右側に移動したのです。後ろのバンパはそれ以前のモデルは右側
しかついていなかったのですが、後突対策で、左右両方についたのもJ55からです。
それらの複合技のせいで、右のバンパが妙に左にオフセットされて装着されてしまいました。

後ろからみるとアンシンメントリで大変かっこ悪いです。外すと不便なんで、(ステップを
兼ねてるので)これを芯割になるように位置を変えようかと。

簡単なのは、ナンバーを後ろのアオリに装着し直すこと。んでも、うちのは丁度いい位置に
ジェリ缶ホルダがついてまして、これも便利なんで、外せない。その下につけると、アオリ
の開閉に邪魔。うちのは仕事でも時々使うんで、アオリの開閉できないと、すごく不便なんです。
そこで、ナンバーを斜め上に持ち上げて、アオリの開閉に支障ないように付けようと、
決定しました。
ところが、問題発生。ナンバー灯がつかないのです。場所がない。なんで、ジェリ缶ホルダを
浮かして、その隙間に押し込もうと。幅が140くらいまでで、奥行き(見込み寸法とも言う)
が40くらいまで。探してたら、いいのがありました。当時もののバモスホンダのナンバー灯。

こいつを装着すべく、端材の40角の角パイがあったんで、ホルダにかまして、8X70のハイテンで
締め上げて、角パイ下端に仮装着。うまくいった、と思ったら忘れてました。アオリの謎の
プレスライン。これが5ミリくらいあって、なんとも逃がせません。

んで、それをさらに改善すべく、昨日、50角の2.3の角パイを加工して、遊んでた、という
わけです。50角にしたら、ホントにドンピシャ。切った張ったを繰り返して、漸くナンバー灯が
うまく収まりました。点灯試験したら、なんとか光量も確保できてるみたいです。
ボルトも8ミリだと心もとないんで、10ミリの11Tハイテンに格上げ。
あとは、ナンバーのステイ。角度が絶妙なので、また現物あわせでおっつける所存です。

クルマいじりだか、鍛冶屋だかよくわからない作業でしたが、廃材をメインにしたジープ
いじりは面白いです。

ところで、なんで、シンメントリーにこだわるのかって?最初は美観ゆえだったのですが、
今は違います。来るべきハードなオフ走行に向けて、ナンバーを移動するのが最大の目的に
なってきました。だから、バンパにナンバー灯をつけない(いつでも外せるように)わけで。

待ってろ!ネッコ!(笑)

てか、その前に腕だわな。

2005/5/5

連休。未だ継続中の方もいらっしゃるかもしれませんが、一部のそんな幸せな方は
うらやましいです。
ボクんちはもう明日から通常業務の始まり。土曜も仕事だから、もう、連休、終わりです。

今回、初っ端は、伊那に行ってきました。恒例のフィアットの祭典です。
例によって、朝から魔法の水を摂取し続け、何しに行ったんだか分からない状態。
それはそれで幸せなことだったんではありますが。
今回は、結構な台数のX1/9が走ったのですが、サーキットを走るX1/9は、やはり絵になります。
音もイイ。逆に、パンダが激減。昨年までは、カップカーが一クラスあった気がするんですが。

昼過ぎまでまったり飲み続け、おやつの時間頃に引き上げ開始。駐車場に戻ると、白いムルティプラ。
同じ県内ナンバーの新型、つうところで感じるところがあり、カメラを構えると、
”中もご覧になりますか?”という美しい声。若い女性の方でした。
ボク、女性にナンパされたことないんで、ドキドキしちゃいました。(笑)
うちのと同じ、ELX-PLUSで、外装は勿論違うのですが、シート生地や、内張りの生地なんかも若干
異なってました。例の顔に関しては、賛否両論あろうかと思いますが、普通の道具として使い倒す
のが目的なムルティプラなら、不必要な視線を浴びなくても済むので、そういう方には有難いのかも
しれません。英国のサイトで確認すると、全体的にあの顔でCIを作っていってる真っ最中みたいです>FIAT。
イタリアのサイトは、字が読めないんで、行かないのでホントの所は分かりかねますが、日本向けの
ラインアップだと、非常に際物しか扱ってない印象なんで、余計、旧顔の存在感が大事だったのかも
しれません。所謂、らしさ、の点では文句なしでしたから。

帰り道は、カミさんにステアリングを委ね、ほぼ初の長距離助手席体験。結構尻が前に前に流れてしまい、
なんとなく、不満。ステアを握っていたほうが、長距離はむしろ楽かも、という結論に個人的には達する。
混雑を避けながら、全て、峠越えを交えた一般道を走破してみての印象なので、高速道路中心の
運行だとまた変わった印象がえられるかも、という期待を胸に来年に期待。

ところが、来年から必ずしも、伊那谷での開催はないらしい、という噂を耳にした。なんでも、北関東の
とあるサーキットがその候補地、とか。
そうだとすれば、個人的には極めて喜ばしいこと。ただ、全体的な運営(関西方面の集客力)を考えると
複雑。抵抗感のあろう立地条件にあるのは堅いですもん。

それから、昨日、初めて、クロカンデビュー(笑)をしました。というほどの距離を走破したわけでは
ないのですが。とりあえず、帰りの空っ風街道が前評判どおり、極めて走りやすい道だった、という点だけ
報告しておきます。
いろいろ、目から鱗でした。今日は眠いので、画像と、詳細の感想は明日以降、ぼちぼちUPするつもりです。

2005/4/22

先週に引き続き、今週もずっとJ55の機上のヒトで過ごしました。

んで、自宅の燃焼モノは、灯油ボイラを使っているのですが、こいつのタンクが案外
小さい割に、この時期、風呂やらシャワーやらが結構な量の灯油を消費します。
先日も、ついうっかり燃料切れを起こしてしまい、プライミングポンプならぬ、エアブリード
から、エア混じりの灯油を抜いたりしました。
今回も、前回満タンにしてからそう日が経っていないのにも関わらず、先週末に確認したところ、
既に、最下限ラインを下回っており、ガス欠も時間の問題にみえたので、補給をせねばなりません。

今までは、行きつけのスタンドで配達をお願いしていたのですが、今月からリストラの一環とかで、
配達は当分休止らしい、とのこと。仕方ないので、自分でポリタン持って買いにいきました。

が、途中で気がついて、会社に放置してあるJ55のジェリ缶をホルダに挿して、スタンドに向かいました。
怪訝そうなスタンドマンを無視して、”このジープ缶に灯油満タンね!”と一言。
ちなみに、スタンドで、ジェリ缶、なんつっても通じませんから注意。携行缶か、ジープ缶でOKです。
購入時もそう。そこらの金物やとか荒物やなんかでも購入できますが、ジープ缶云わないと、
赤い、真四角のガソリン携行缶が来ますんで注意です。
帰り道、車内が灯油臭くなることもなく、本来の用途の軽油用に戻しても、そんなに支障あるわけ
でもないので、これからは、ジェリ缶が極めて有効に活用されそうです。めでたしめでたし。

ただ、後部の幌との収まりが案外悪いので、少しゲタをかませて、ホルダをアオリから少し逃がさないと
ダメっぽいです。後部のナンバープレートの移設と併せて、直近の課題になりそうです。


会社のパソコン。お客さんから頂いたら、5年くらい前の機械だったんで、ダメだろうと思ったら、絶好調。
今使っている機械よりは、それでも5年くらい新しいので、十分使えると判断。故に、
自宅で再セットアップして、意気揚々と会社へ凱旋。本体以外の機械を全て流用して、改めて電源投入。
しかし、電源が入るものの、それ以上、どうやってもダメ。それが半年前。
先日、思いたって再度、いじくっても変化なし。
もう、思いきってお客さんに返却して再処分してもらおう、その前に、も一度悪あがきで、と、
再度自宅へ持ち帰りました。

ところが、自宅では問題なく起動。すいすい動きます。あれえ?と会社へ再々度凱旋。
ならば、電源ケーブルあたりか、モニタが悪さしてるんかいな?と確実に動いていた環境の周辺機器
を持ち込んで、再度検証してみることにしました。
しかし、案に反して、LANケーブル、ディスプレイ、電源コード、古いマウスとおしなべて全て関係無。
半信半疑ながら、キーボードを元々の(AT機からの使いまわし)モノに挿した途端、病状再現。
さっきまで挿していた、仮に使っている借り物のUSBキーボードに戻すと、再び問題なく起動します。

漸く原因が分かったので、先ほど、新しいPS/2接続のキーボードをPCショップへ買いに行ってきました。
安価なキーボードを手に、会計へと向かうと、ワゴンセールで、実にその安価なキーボードのその半値で
山積みされている激安キーボードを発見。迷うことなく、激安品を手に自宅へ帰宅。

どうせいつまで持つか分からない本体なんだし、なんでもいいや、と言い聞かせ、自宅のPCに仮接続して、
動作確認。問題なく動くことに、ほくそえんだのも束の間。実に、"D"のキーの反応が極めて悪いのです。
大雑把に云って、Dのキーを打つ時だけ、他のキーの倍以上の力で打たないと、反応せず。
非常にストレス堪ります。新品なのになあ。

昨日判明したのですが、以前愛用していた自作のアスロンマシンも、最近非常に調子悪かったのです。
こいつは、マザボの上の電解コンデンサが破裂して、中から電解液が溢れだしていた痕跡が露見。
他のコンデンサも大同小異。半分以上が膨らんでいました。電気が本業の友人K氏に聞くと、そもそも
コンデンサは、ある程度消耗品とのこと。しかし、PCのマザボに使うのならば、安全マージンを
多めにみてあるので、経過時間故の寿命、というのは考えにくいとのこと。過電圧が掛かれば、破裂
するが、あまり考えられない、との弁。
確かに、蓄電を司るコンデンサの故障らしく、簡単にいうと、中が暖まる(蓄電完了?)頃から、反応
しなくなる症状でした。しかし、それより古い機械を会社では未だ使っているわけだし、納得いきません。

またまたバラしの悪循環に陥りそうな予感。ジープだけではなく、PCまで部品取りを確保しないと安定した
環境が得られない、つうのもどうかなあ、とは考えてはいるのですが、直ったときの快感を中途半端に
憶えているだけにタチが悪いです。

2005/4/16

今週は、ずっとJ55で通勤していました。会社からの帰り道、ちょっと一杯、
なんておつき合いがある時は、その帰りに代行運転をお願いしたりするのですが、
これにも問題なくJ55は対応してくれるのでなにかと重宝します。
代行運転をお願いする時は、通常、酔っぱらってる状態ではありますが、
多少なりとも、一般のヒトのジープに対する認識を確認できて、それは
それで結構楽しいものです。
しかも、いつも決まった代行やさんを使うわけではなく、その飲み屋の得意の
会社を使うので、その時々で、本当にまちまちな運転手さんに当たります。

一番上手だったのは、”久しぶりだなあ”といって乗り込んできてくれた、元自衛官氏。
こんな運転手さんばかりだとなんの心配もいらず、助手席でゆっくりくつろげるのですが、
大抵の運転手は、ライトスイッチの場所を探すような状態です。

エンジンは、J46もJ55もすんなり掛けられます。誰でも。55もクイックグローなんで、
予熱要りません。46も、こっちでチョーク引いてやれば、即座にOKです。
んで、ライト。46なら、真ん中にスイッチあるんで、ボクが引いてこれも問題なし。55は
ダッシュ右端なんで、結構説明がメンドくさいです。
次が、当然ギア。なかにはコラムな46のトランスファーをいじくり出そうとする運転手
さんもいます。あんな短いフロアレバー、おかしいと思わないのですかね?
コラムは任せて下さい、といいながら、二速発進しか出来ない運転手。昔のコラムは
確かに、三段でしたから、一速の位置は、そのヒトにとってリバースなんですね。
だから、頭から突っ込んである駐車場だったりすると、当然、脱出出来ないわけで。
いつまでも前進。しまいにゃ、車止め乗り越えそうな勢い。(笑)
中には、ギア入ってるのに、クラッチ踏まないでエンジン掛けた大バカ運転手も
いました。あの時はバックに入ってたんですが、後ろが垣根で良かった。

漸く動き出しても、大体、シフトアップはダメです。クラッチの繋がる位置が
高いのか、みな、半クラを長く取りすぎ。なんだか、五分もすると、大抵酔いが
醒めてきます。

んで、自宅近くに、二車線道路から狭めの路地を左折する交差点があります。
左折時に、あまり頭を振ると、隣の車線にはみ出てしまいますから、素早く
ハンドルを切って、内輪差を考慮しつつ、素早く戻さないといけないポイント
があるのですが、ここで、切り返しをするような運転手もいました。
ま、確かにJ46のハンドルは切れないのですが、四トン車も入れる路地を切り返せないと
曲がれない二種免許の運転手は、如何なものかと、思います。

因みに、取引先のある営業マンは、四トン車で飲みにいってしまい、帰りに、
代行を呼んで、運転手を絶句させたこともあるそうです。
これからは謎ですが、今現在は、4トン車は普通免許で乗れるんです。
だから、呼んでも文句言えない筈、なんですがね。

最近は、あまり、ドツきたくなるような運転手、当たらないですが、たまには
したり顔で各操作系の解説をしたくなる時、そんな運転手に当たると、少し
いい気になれて、楽しいです。
んでも、そんな時、自衛隊卒の運転手がカマ掛けてきたらどうしよう。
ヘタっぴでも、エンジン始動の時、キーを捻って、オンの位置で暫く待つような
運転手とか、キーを逆回しに捻って、胡椒の蓋を探すような素振りをみせた
運転手がいたら要注意かもしれません。

みなさんも、折角の数分間の密室の隣人との時間を有意義にお過ごしあれ(笑)

2005/4/13

先週末は、掲示板でも判るとおり、近所の緑車集会に飛び入りで
参加してきました。
久々にお泊まりで参加してきたのですが、幸い天候にも恵まれ
極めて楽しいひとときを過ごさせて頂きました。関係者各位様に
多謝。
写真を数枚撮ってきたのですが、生憎今、手元(会社からのupです)
に画像がないので、今晩にでも簡単な写真集が作れればな、なんて
思います。
しかし、長いのは少なかったですね。ぱっと見、MBが目立ちます。
38や、M151も少数。あとは三菱の短いのが古いのから新しいのまで
各種。ホント、この手のイベントにいくと、どこからこんなに?
つうくらい、見たことないような個体がわらわら参集してきます。
個人的には、ミリタリーの枯れた味わいも嫌いではないのですが、
乗りっぱなしでここまできました!みたいな感じの働く自動車系
にも魅力を感じます。
であるから、国防色も似合いますが、三菱標準の例のグレーメタな
塗色が、やはり三菱ジープには最も相応しいように感じます。
とか言いながら、自分のジープは白と薄緑。どっちもちょいとミリタリー
系のスパイスがまぶしてあったりします。
それだけに、のーさんのJ46の純正色がそれはそれで結構魅力的に
映りました。真っ暗になってからの画像なんで、殆ど、色味が判らないの
ですが、あとで本人の許可が得られれば、相互リンク貼ってご覧頂ければ、
なんて思います。

何れにせよ、殆ど輸出されていない三菱製のジープ。その中でもかなり
台数の少ないJ46をメインにフューチャーしたページは手前ミソながら、
ここと、のーさんの所以外、確認出来ません。
従って、世界でも多分、この2件のみと考えられます。
な、わけでどなたか、46に限らず、40系に特化したページをご存じの方、
教えてください。(笑)

2005/4/4

<交換されたリアホイルシリンダassy>
J46の車検の請求書が到着しました。全部で11万円くらいでした。原紙を会社においてきて
しまったので、詳細な内容は憶えてないのですが、特記事項として、リアホイルシリンダAy
の交換と、カップの交換を含む金額なので、そうは高くないと思います。
昨年暮れに正規ディーラでJ55の車検をお願いした時は、フロントのドラシャブーツの交換
を指摘され、やむなく交換したりしたのも含めて9万円強でした。普通貨物と小型貨物の諸費用の
内訳が異なるのを無視して、全てひっくるめての価格なので、一概に比較できないのですが、
25年以上前の太古車を信用のおける状態で乗るためには、年に一度の儀式のようなもので、
仕方ない出費なのかなあ、と思います。心なしか、ブレーキの踏み心地も向上したように
感じます。今回いじったのがリアなので、来年はフロント中心になるのですかね。
いずれにせよ、現代の基準で整備すると確実に整備不足になる設計のクルマなのですから、
自分でやるには些か自信のない部分の整備は、黙って修理やさんにお任せするのが無難なの
でしょう。そうでない部分で楽しむことができるのですから、必要以上にいじり壊して、
入手難な部品を失うのは切ないものです。一時休憩中のX1/9なぞはその典型で、その難易度
の高さと、信頼性のなさ(再入手した部品の品質が極めて怪しい)にはほとほと手を焼いたものです。

やっぱ、クルマいじりを趣味でやる以上、楽しくなくちゃあね。

2005/4/3

今年初めて、J55の幌を開けて、名実共に”朝飯前”にご近所を30分ほど走ってきました。やっぱ、
フルオープンは気持ちいいです。ウインドシールドも倒して乗りましたが、その風はまだ、心持ち
冷たく、お目当ての桜の名所の開花具合が案じられました。
現地につくと、やはり、というか、残念ながら、今年の桜は肌で感じるとおり遅いようで、その
トンネルをくぐるには及びませんでしたが、心地よい春の散歩でした。

帰宅後、午後からは出かけることが可決していたので、その前の僅かな時間を利用して、
X1/9のエンジンをかけてみようかなと思いたちました。ジャンプコードをJ46とつなぎ、
10分くらいアイドルを高めに保ち、ほぼ二年ぶりにX1/9の運転席に潜り込んでみました。
キーを捻り、クラッチペダルを踏むと、動きません。満身の力を込めて、ペダルを踏むと、
僅かに引っかかりはあるものの、辛うじて可動。そのフルードはおぞましい色をしていたのは
いうまでもありませんでしたが。

電気系は、何とか稼動するようですが、ホントのところはどうでしょうな?なんて思いながら、
アクセルペダルを数度踏んで、チョークをセット。よく判らんのですが、癖になっていたので、無意識に
やってしまったです。そのまま、右手の鍵を更に捻ると、記憶の範囲内で憶えているそのスタータ
の音が、1/4くらいの回転速度にて再生されました。そのまま粘ると、さらに回転速度は下がり、
今にも止まりそうな音質へと変化。諦めて、46のアイドルを高めに保ち(ハンドスロットル便利です)
タバコを一本吸う、X1/9乗る、掛からん、再チャージ、で、二〜三回繰り返したところで、時間切れ。

気づいたら、二年を越してしまった休眠期間。そろそろ再始動したいな、なんて思ったのに、
やはり、そのハードルは高かったようです。秋のイベントまでには、なんて長期戦で臨もうかと
思う次第です。

2005/3/30

今日は、うちのせがれの誕生日。満7才。丁度平成10年生まれ
なんで、勘定しやすくていいです。
んでも、平成になってから、西暦と元号が微妙にずれてしまって
いるので、その辺の感覚が未だに馴染みきれません。
ボクは、1970年生まれなんですが、昭和にすると45年。結構
計算しやすいんで、高校でるまでは、簡単に計算できました。

大学行ってからも、その四年間は、区切りがあったので、覚えて
いるのですが、その後就職してからは、あまり大きな区切りがなく、
クルマ買ったのもいつだったかが判然としなかったりします。

J46買ったのは、せがれが産まれる直前だったので、購入後、8年目
を迎えている、つう感じで判るのですが、今後、J55なんかは、きっと
忘れちゃうんだろうなあ。何時買ったのか。毎年車検、つうのも良くないんです。
きっと。

そりゃあそうと、J46の部品が入荷したのとの連絡が入りました。
予想以上に早いのでかなり驚き。もしかしたら、ピストンじゃなかった
のかも?なんて思います。今回は、外した部品を証拠物件として、返却
してもらえるようにお願いしておいたので、写真のupができるかも
しれません。本日中には完成するとか、ってはなしなんで、夕方が
楽しみです。結果やいかに?

2005/3/25

仕事車としてのJ46は、一応終了しました。また、いつもの軽トラに戻りました。
車検終了後の課題だったカップキットも入荷、交換して貰ったのですが、それが、
実に昨日。なんでも、仕事の合間にやろうと思っていた修理やが、入荷していたのに、
時間がとれなくて、先送りにしていたとか。だ、もんで実際はもっと前にカップ
キットは入荷していたらしいです。
ところが、BBSで、のーさんも書いていたように、右のホイルシリンダの後ろ側のピストン
がご臨終で、そいつは未だ入手できていません。割ってから判明したようです。
故に、現状は、四枚あるシューのうち、三枚しか効いていない計算になるようです。

修理やさん曰く、カップが簡単に入手できるのだから、ピストンも簡単に入手できるで
しょう、なんて。のーさんの話からするに、それは大いなる幻想ではないのかなあ、と
思うのですが、いかがなんでしょうね。

閑話休題。春になると、毎年恒例の伊那のイタ車の祭典が開催されます。
今年は、うちの女性チームは不参加の意向らしく、ボクと長男の二人で行こうかと
考えています。ならば、X1/9を修理して、仮ナンバーぶら下げていこうかとも
かんがえてはいますが、時間がとれるかどうか。翌日は会社も行かなきゃならないんで、
途中でパタると、結構な問題が発生するわけですし。
結局、ムルティプラでちんたら行くことになりそうです。ちょっとだけ残念。
さてさて。

2005/3/10

ここんどころ、訳あって、J46を毎日仕事にフルに使っています。客先に行くと、結構いろいろな
反応が返ってきておもしろいです。
一番多かったのが、ふるいねーつう感想。その後が、これ四駆?とか全輪駆動?とかいう質問。
その後が、自衛隊の払い下げ?つうやつ。

古いねー、つうやつには、そんなでもないです、って強がってセーフ。昭和53年式だから、
そんなでもないです、って答えると大体のお客さんは呆れます。
自衛隊の云々は、ちょっと年配の方が多いですね。
四駆?つう質問はちょっとびっくり。みんな、ユニキャブで苦い経験でもしてるんですかね。

車検は無事に昨日の夕方戻ってきて、今日も通常通り乗っていたのですが、リアタイヤから、
丁度、石でも噛んだかのような定期的な金属音が発生。夕方まで乗っても消えなかったので、
その足で、クルマやさんに逆戻り。確認してもらったら、多分、ドラムの中のシューの調整用の
カムをまわし過ぎて、多少引きずっているんでしょう、との診断。ちょっと開放気味に
再調整してもらっても、直らず。どうやら、ホイルシリンダのカップが不良らしいとのこと。
カップがだめなら、一緒にピストンもダメなような気もするんですが。どうでしょうねえ。

カップキットを手配するんで、それまでは、超高速連続走行は避けるべし!との弁。
部品が入庫しだい再度ドラムを割るみたいです。すぐ来るといいなあ。

日中は、天気が良かったんで、携帯で撮った写真をトップに貼ろうと思ったら、レンズに
指紋がついてたみたいで、ぼやーっとした写真しか撮れませんでした。
後で、も一度アタックしてみようと思います。
春が足踏みしてるうちに。

2005/3/8

急速に春めいてきました。相変わらず怠惰な日常を繰り返しているのですが、それでも、
こう春めいてくると、なにか浮き足立つ気分を押さえ切れないような感じです。

携帯電話のメモリカードは結局ご臨終なようです。昨日、不本意ながら新しいカードを改めて
購入してきました。売りの一つでもある、音楽再生機能は結構設定が面倒なようで、ぼんやり
考えていた、J55に乗車して、音楽を楽しむのはまだ先になりそうです。

最近購入した二玄社の”60年代街角で見たクルマたち”のヨーロッパ車編は、少々高価では
あったものの、極めて楽しい内容でした。要するに、アマチュア写真家が、街角のスナップ
を撮るかわりに、街を行き交うクルマにピントを合わせた写真の集大成で、個人的に一番の
収穫は、ナンバーが消されていない点です。
周りの景色は古いのに、モノクロながら輝いて見える、当時の新車たち。プレートもまた然りで、
旧板なのに、その掘り込みは鮮やかです。
日本のプレートのデザインもこう見ると、味があるなあ、なんて思います。
時々、現代のクラシックカーイベントなんかにもその当時のクルマがでていますが、プレートが
現代のものだったり、はたまた抹消登録してあって、化粧のプレートなんかでその口元が
飾られていたりすると、ちょっと幻滅しちゃいます。
やはり、当時のクルマが、綿々と受け継がれてきていて、結果現在まで乗っちゃいました!みたい
な感じの佇まいには、当時もののプレートが必須だ!なんて勝手に考えたりもします。
実際、そのプレートを維持するには金銭的にも大変だし、居住地や持ち主が陸事の管轄を越えて
しまえばプレートも変えなきゃいけない決まりになっているのですから、必然的に変わる率も
高くなってしまうのでしょうが、残念です。

そのうち、分類番号が2桁のクルマを見ることも減って行くのでしょう。
うちのも、ジープJ46と検切れのX1/9だけです。最近は職権抹消も以前より早くなったと聞きます。
ここらで、X1/9も早めに再受験しないと、将来、分類番号3桁になりかねません。
今年こそ、も一度のれないかなあ。

うららかな春の日差しを浴びて、今日も持ち主共々怠惰な冬眠を貪っているX1/9。
そろそろ、起こさなくちゃ。ね。

2005/2/28

意地でも、保守しないと、日記ならぬ月記もヤバイので、むりくり記しましょう。
例によって、物欲自慢。携帯電話を入れ替えました。今度もメイクは三菱。
フォーマの新めのやつです。現在持ってる薄型のデジカメより画素数の多いカメラ
がついてて、圧縮することで音楽も聴ける、という機能の入ってるやつです。
共に、記憶カードがついてないと、その効果を十分に発揮しないのですが、まだそれが未入手。
今までの機械は、サンプル扱いでそのカードがついていたらしいのですが、今度の型から、
そのおまけがなくなったとの由。ただ今、手配中です。

車両の変化は一切なし。毎日、怠惰にJ46に乗る毎日です。車検も近いので、メニューを
考え中です。オイル/エレメント交換。ブレーキのフィール悪いので、マスターの点検/交換、
各部のグリスアップ。エアクリが汚いので交換。あたりがざっと思いつくメニューですね。

昨日の休日は、特にやることがなかった(寒くてやる気が起きなかった)ので、昔のカーグラ
のテスト集を読んでました。初代のシビックSB-1とか、その辺から始まって、三気筒のシャレード
とか、その辺の号までを斜め読み。途中、並行で入ってきたストラトスとか、マトラバゲーラとか、
フルビアなんかの試乗記も散見されて、思ったより興味深く読めました。
丁度その頃、日本車は初めての排ガス規制が施行されて、かなり苦労してた頃のようです。
タイヤでいえば、ラジアルが填まってるだけで評価されていたり、極太タイヤが185/70-13とか、
考えられないことの連続でした。

考えたら、うちのJ46なんかは、正にその頃の車体なわけです。で、今も現役で、しかも大した
改良をせずに、朝もチョークひいたままで暖機もろくすぽせず、がんがん動かしてたりするのですが、
特段不具合も発生せず、(その頃は、国産車でも、長時間の渋滞では不調になるのもあったよう)
動いてるのですから、もしかして、凄いのかもしれません。
一番驚いたのがその価格。
例えば、BMW320が四段MTで、パワステ/クーラなしで、320万。ギャランシグマの最高級の
4G52のツインキャブ仕様が130万円。アコ−ドが100万強。117クーペが210万。コスモが180万。
フェアレディZの30の最終、インジェクションが170万強。セリカのLBが140万。
大体、今の半値くらいな感じでしょうか。
その4年後位の価格表によれば、我がJ46は145万の価格。さしずめ、今なら300万?
当時の国産四駆の最高価格はそれぞれ、30系のジーゼルと160サファリ、60なランクルで、
180万円近辺。
因みに、最も見かけたジーゼルのショートジープは、150万円。
意外と、ジープって高価だったようです。驚き。
逆に言えば、それだけ、目に見えないところに金をかけていると考えるべきなのでしょうね。
だからこそ、現代でも立派にファーストカーとして使えるのかな、と。

#相当無理しないと、つう条件がつくのはいうまでもありませんが。

2005/1/27

J46その後。全く問題ありません。結果的に非常にうまくいったようです。
チョークリンケージは、自作のカラーが真円になってなかったので、多少ひっかかりが
発生し、チョークバタフライが戻りきらないという事象が発生しましたが、ケーブルの遊び
を多めにとって、半強制的に押せるようにしたところ、全開になりました。
タップはすんなりたてられて、軽い力でアジャストできます。
貫通ビスは、ロックタイ○をくれておいたら、山がたったようで、交換なくいけます。
つうことで、本当にありがとうございました。

んで、今後の課題。ちと、MLでも話題になってました。
全塗装。ハケ塗りが楽しい。暖かい季節になったら敢行したいです。
リーフのブッシュの交換。55も中古ブッシュなんで、まとめてやりたいです。
フュエルライン。ゴムホースの耐久性は未知数。室内側のホース、フュエルフィルタも
併せて。
幌。かねてより懸案。簡易幌と幌ドアの新規作成。幌骨もやらなきゃ。まずは国防のトップボウ
の入手から始めないとかな。

どこまでやれるか不明ですが、頑張りたいものです。

2005/1/7

J46のキャブは無事再登載されました。yama2さん、宮田さん、ありがとうございました。
ロックタイ○も、別メーカの本モノが(OEM)入手できたので、問題なさそうです。
ただし、問題が数点、散見されました。チョークリンゲージをキャブ本体に止める貫通ボルト。
この部分のタップを再度たてたのはいいのですが、中間にアイドルスクリューが90度の向きで
貫通してます。5ミリで、ピッチが細かいのでやや危惧していたら、案の定、バカになりました。
それにおののいて、アッパーをとめる5ミリの丸ビスの相手部分をタップでさらっておいたら、
そこもバカになりました。長めのビスを用意して、再度タップたてしなければ。アルミは簡単に
嘗めてしまうので、矢鱈遊ぶのは危険です。今後は気を付けねば。
5X0.5ピッチのタップは割合簡単に入手できたので、アイドルスクリューは問題ないようです。
ここのボルトを止めないと、チョークのリターンスプリングがかけられないので、チョークを
閉じても、戻りきらないのです。その都度ボンネットあけて、手動でチョークを戻すのは骨が
折れますから、今週末は、もう一度簡単に修理して、いよいよ完成かもしれません。

あと、結構重要な問題として、インマニ内の冷却水があります。チョークの警告灯を司るのに、
キャブとインマニ本体に冷却水の通路を設け、そこに温度センサーを仕込んであるようなのですが、
ここの水がすぐに溢れて、インマニ内に簡単に侵入します。インマニにドレンはありませんから、
この寒さ故の膨張変化で、たまった水を見た時には結構クラクラしました。キッチンペーパでしこしこ
吸いだしてなんとか難を逃れましたが、長期に渡って放置する際は一度クーラントを抜いたほうが
良さそうです。今回はとぼけましたが、基本的には冷却水がエア噛みしそうな気配もあるので、
再考を要する部分でしょうか。

今回は写真も殆ど撮らず、S/Mもない状態でやっつけてしまったのですが、P/Lがあっただけでも
全然、作業の安心感が高まります。実際は、ウエブにあったものをプリントアウトしただけだったの
ですが、そんなものでも十分です。キャブは細かい部品も多く、気密を要する部分も多いので、
各部の収まりがわかるだけでも助かります。新品が入手できない現在、書籍は高額なので、
今回のようなサイトは非常に貴重な存在です。著作権がどうとかうるさいこと言われるのもイヤ
なので、URLは割愛しますが、必要なら掲示板にでもお申し出頂ければ、こっそり教えます。(笑)

あ、あと無事に四輪の大型免許は取得完了です。1月の5日に半日を費やして行ってきました。
実に、実質的な検査所要時間/写真撮影は併せて10分以下でしょう。ま、待ち時間に久々にゆっくり
と本が読めたからよしとしますか。
問題は、本モノの大型車は運転できそうにないこと。これが今後の問題になる可能性は極めて低そう
ですが。
あと、前橋の試験場で大型一発で受ける方へ。試験車はレンジャーとフォワードでした。確か。
んで、ダブルキャブなんで、普段とはかなり感覚が違うと思います。心して掛かることを望みます。

ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

2005/1/3

あけましておめでとうございます。本年もテキトーにお付き合い頂ければ幸いでございます。

さて、新年一発目のお題は、J46のキャブです。元旦からバラシを始めて、昨日まででミドルと
ロワーは完成しました。各部の清掃がメインです。本当はチョークリンゲージの修理が目的
だったんですが、折角いじるのなら、とO/Hキットを買い込んだものの、その点数の少なさに驚き。
あと、困ったのが、ダイヤフラム本体が入ってないんです。破けてはいないので、まあいいんですが
分解時には非常なる神経を使います。

あと、お約束のチェックボールとポンプウエイトは、その苦労加減を学ばないうちからやってしまって、
無くしやしなかったのですが、元の在り処がわからなくなってしまい、新年早々山梨まで電話してしま
いました。
結局、群馬の30系ジープの元締め(?)な宮田さんに伺って、なんとか判明。
yama2さんも、前々回の某雑誌に、関連記事が載っているとの情報を追って知らせて頂き、多謝。
その後、別の雑誌で、ダイヤフラム部への燃料逆流防止のための弁、という一文を確認して、
確信は深まったわけですが。

チョークリンゲージは、タップを立てて、短めのボルトを挿入。予め用意しておいた、カラーを
セットして、と思ったら、ないんです。カラーが。この時期、ネジやさんもやってないし、
純正の特殊ボルトの入荷なんて待ってたら春になっちゃいます。ので、5ミリのナットを加工して
自作カラーの製作を開始です。ところが電動関係の工具は全て会社。やむを得ず、平ヤスリと
6ミリのハンドタップを駆使してなんとか完成。なんとかなるもんですね。

ところが、今度はネジの回り止めの接着剤。ロックタイ○、なんつう商品名でお馴染みのあれを入手
しておくのをすっかり忘れてしまいました。明日は模型やで静岡ブランドの青いラジコン用の
それを入手してこようと思います。
バキューム用のゴムホースも全体的に硬く、あまりいい状態ではないですね。これは汎用だろうから、
そこらの部品商で入手できるかな。

つうことで、明日の完成を目指して、再登載を正月休みの間に果たしたいです。じゃないと、
ホントに不動ですもんね。さてさて。