トップページへ |
長尾日記 | |
2004/11/30(火曜) 昨日はマイラバー、チヨ(インコの名前)の話を書いたが、今日は金魚の話である。 僕は小学生のころから魚がすきで、魚の図鑑があれば大人しくしている子供だったのである。 夏休みになれば千葉の外房に行って磯辺で素潜りをしていた。 で、家には当然水槽があって、常に金魚はいたのである。 小学生低学年のころは世話といっても餌やりぐらいしか分からず、病気になっても何も できなかった。つらかった。次第に年齢が上がり、絵のついた本を読んで治療のイロハを覚えた。 病気によっては細菌が原因のものもあり、そういう場合は短時間の間、病気の魚を 薄い塩水の入ったバケツに入れて治療することもあった。 魚は変温動物なので温度変化に弱い。バケツに移すときは温度管理が大事である。 これも色々な失敗を経て覚えた。魚は口が利けないから「いたい」とか「さむい」とか 言わない。だからこちらで察して上げないといけない。 中学生ぐらいになって金魚が長生きするようになり、最終的には2匹の金魚が10年ぐらい うちにいたと思う。ながく一緒にいるとそれだけで甲斐甲斐しく思えてくるものだ。 そういえばそのころ、家では妹が中心になって手乗りインコを買い始めた。 (ラルという名前だが、女の子だ。) 家に来たときはまだ羽のほとんど無いヒナで、やわらかくした餌をスプーンでやっていた。 次第に大きくなって丈夫になったが、成鳥になってからは、病気の面倒は僕がやっていた。 というのは、気が付くのは僕が一番早かったからだ。 鳥はちいさい生き物だから、早めの処置をしないと命にかかわる。 ちょっと様子がへんだなぁと思ったら、すぐその場でよく観察し、病気の場合は暖めるのが 一番である。(怪我の場合はなんとも難しいのだが。) 病気のときに暖める、といっても鳥専用の暖房器具なんてないので、そんなときは 白熱灯を使えばいいのである。 カゴの外から、止まり木の延長方向に白熱灯(40〜60ワットかな)を置く。 カゴから10センチぐらいは離すかもしれない。僕は読書用のデスクランプを良く使った。 そしてカゴの半分に布キレをかけて風が吹き抜けないようにする。 そうすると鳥はじぶんで止まり木の上を横移動して、自分に丁度良い距離を白熱灯との間に つくることができる。あとは餌や水が古くならないように気をつければよい。 まずはコレで第一段階はOKである。 あとはその後の症状を見つつ本で調べる。そういや昔、自分のホームページを立ち上げるときに ペットの病気相談でもやろうかと思ったことがあった。ちょっとした知識で病気が 治る場合もあるから、情報とか初期処置というのは大事なのだ。 2004/11/29(月曜) 今日、部会で部長からいいヒントを貰った。 「僕は少年たちにサッカーを教えているが、2、3ヶ月間トレーニングしてもなかなか伸びない。 でも、あるとき急激に出来るようになる。継続して成長するっていうのはウソだよね。」 と言っていた。まったくそうだ。仕事にかぎらず人生全般、あるときまで中々前へ進めないことは あるものだ。特に大事なことほどこだわって考えすぎてしまい、気持ちが先に折れてしまいそうになる。 でも、続けることが本当の解決であり、悩むことだけじゃアカンのだということを悟った。 うーむ。いいことを教わった。それにしても部会着席は勇気が足りなかった。自分も未熟者である。 そういえば今朝、合唱団のパトリからメールがきていた。来期前半のコンサート出演予定の打診と 休会継続のメドについての質問だった。さいきん上層部の内紛も沈静化したみたいだし、 自分の仕事もしばらくは大ハマりしそうもないし、また復帰について検討しないといけないな。 そもそも、時々は練習しないと、ただでさえアヤシイ音感がもっといかがわしくなってしまう。 うーむ。いかんいかん。 今日はお昼ご飯は会社のお弁当を買わずに新丸子の商店街に行き、新しく出来たとんかつ店に行ってみた。 20代の若い板前さんが狭い店内のカウンタ前に立っていた。お客も結構並んでいる。 まじめそうで一生懸命で、いい感じだった。 出てきたとんかつを食べてみると、こりゃがんばっている。揚げ方は上手だ。かすかなピンクをにじます 白くて柔らかい肉は甘味が感じられてとても柔らかかった。やるね。今時の頑張り屋さんの板前さんらしく かなりの凝り性だと思った。評論家が評価をつければ高い点を狙えるかもしれないが、でも、 大事なことを忘れている。 食べ物とは、毎日のことなのだ。だから、ほどほど、力の抜けている、ふつうのものでもべつに良いのだ。 加藤が食べ物だいすきでもグルメにならない理由はそのあたりなのだろう。だから「とんかつ食べたい!」 と思ったら、またいつものお店「鎮守の森」のとんかつ定食を食べてしまうだろう。 ひょっとするとグルメ道の人って、味わうことが先行してしまって、食べることから乖離しているのかもしれない。 そのような不自然な境地に僕はなれないから、お腹が減ったら美味しく食べる、それで十分なのだろう。 新丸子商店街は食べ物以外にもいろいろある。大きな書店があるのはうれしい。専門書は無いが。 でも一番うれしいのは、表通りにペットショップがあることである。僕は小鳥がすきだ。セキセイインコを むかし飼っていたが、インコを見つめているとやさしい気持ちになれる。 僕が高校生ぐらいの冬、ある大学のキャンパスにセキセイインコが弱って落ちていた。叔母さんが それを拾って、むかしインコを飼っていた我が家へつれて来た。その鳥は野生暮らしの前はどうやら 手乗りインコらしかった。警戒心が強くて気も強く、人の手に噛み付くこともあった。まぁ、噛む力は 多寡が知れているんだけどね。 そんなプライドの高いメスインコも家に落ち着くと人にも慣れてきたが、僕とは特に仲が良かった。 時々運動をかねてカゴから部屋の中へ出すのだが、ひとしきり飛び回ったあと、僕の肩に突撃するように 飛び込んでくる。そして肩の上で休憩して羽つくろいを始め、最期には昼寝もしてしまう。ときどき 僕がからかって息を吹きかけて邪魔をすると、怒って僕の首筋のホクロを噛む。 少年時代のかわいい思い出である。 うーむ。だから新丸子商店街でペットショップの前を通り過ぎると、どうしても店の中に入って、 インコのカゴを覗きたくなるのである。 2004/11/28(日曜) <ZB−2 21.5> MLではガンダムの話題で盛り上がっている。前回、ランバラルの評価を書いたが、今回は ラルにイジワルをして補給を渋り、彼の最期の間接的原因を作ったマ・クベについて書こう。 マ・クベ:キシリア配下の将軍で、かなりの策士。接収した陶器を自慢にする貴族ぶった キモチワルイ男として描かれている。当然、シャアからもアムロからも嫌われる、テレビとして わかりやすいヒール役である。けちんぼだからガンダムと戦って損耗したランバ・ラルに対し、 約束を破って新型モビルスーツ支給を渋ってしまう憎い相手なのであるが、もうちょっと ストーリー中の存在として大局的に観ると、物資の乏しいジオン公国にあって地球の鉱山を 確保して国家の補給を支えた、大変にエライ功績のある人物である。 策略をめぐらしすぎて最期には主人公アムロにやっつけられるというお決まりのパターンで 退場するが、まぁ上司から見れば役に立つ男であったと思う。そういう意味で再評価する ガンダム研究家(あるいはジオンファン、どっちもコアなオタクだな≒自分)も多い。 赤い旗を自転車部屋に貼っている自分としては、微妙だが悪く思わないのである。 もともと僕の好みはひねくれていているのか、主人公アムロよりイジケ虫なカイ・シデン、 かっこいいシャアよりも老兵のガデムがよかったりするのである。へんかな? (ちなみに女性キャラの好みは、お嬢様っぽい?セイラだったりするが。) そういや富士急ハイランドには「ガンダムライド」というアトラクションがある。 ディズニーランドのスターツアーズみたいなものである。箱型の狭い室内に20名ぐらい 並んで座っていると、目の前のモニターが外の様子を擬似的に作り上げ、その箱型室内が 上下左右に揺れて、ちょうど宇宙船に乗っている ような気にさせるというものである。加藤は会社の同期の長島君と2度以上乗った。 ガンダムライド、つまり宇宙船体験のガンダム版である。主人公が属する宇宙連邦の 脱出用カプセルに乗り込んで危険空域から逃げ出す途中、戦闘に巻き込まれちゃうという、 大変な旅なのである。脱出用カプセルだけだと超危険なので、ありがたやモビルスーツ (つまり大型ロボットね)が2体、護衛についてくれる。。。。はずが、なぜか戦闘空域の まっただなかに行ってしまう。うへー、たすけてくれー。 敵の要塞のなかをさまようのだが、まぁガンダム好きの人間ならば一度は体験すべしである。 恩義に厚い(?)加藤は、そのとき助けてもらった2体のモビルスーツのパイロットに 今でも大変感謝しているのである。 2004/11/27(土曜) はて。なにをしただろう。 自転車の整備をして、タイヤの入れ替えをしたんだっけ。 タイヤ交換後、アンタレスに乗って坂を上がった。わりと快調に上がれたので2回も登った。 そのあとひさびさにLOOKに乗って長尾坂を上ったらいい感じだった。これでも2回登った。 最後にセルビーノで登ったら、もう疲れたので辛かった。LOOKと比べると「体育会系!」 ってかんじがする。最後まで血反吐はいても進めというフレームだと思った。 LOOKはやっぱり自転車文化が深いと思った。どちらもいいフレームだ。 2004/11/26(金曜) 今日は午後から外出し、そのまま夜はプロジェクトの飲み会だった。 だから、まっていたものが来たかどうか分からない。でもきっと来てないだろう。 (しょぼーん) #しゃぼんではない。 案外、というか、ほんとは加藤は悲観主義者である。 今日は内臓ギアがブルーブラックモードに入っちゃったので、おやすみなさいなのである。 2004/11/25(木曜) 今日は大切なものが郵便で届いた。印刷物である。でもうれしいのである。 ところで今日はガンダムの話である。 ガンダムとは1980年代ごろ放映されたテレビアニメ「機動戦士ガンダム」のこと である。主人公はガンダム君じゃなくてアムロ少年である。このアニメは放映当時、 スポンサーだった超合金(=そういうおもちゃが昔あったのだ)の製作会社が 売れ行きが悪くて番組が予定より早めに終ったという、ちょっと不景気な番組だった。 でもお話としては随所に斬新なところがあった。まずは設定。 それまでの子供向けロボットアニメは「疑いようの無い正義のヒーロー」と、 「得体の知れない非人間な悪の手先」という簡単な図式が普通だった。 ガンダムの設定は「戦争」であり、正義か悪かでなく、敵か味方か、と言う区別であり、 敵であっても人間で、彼らには暮らしもあれば主張もある。そういう挿入話が随所に出てきた。 過去の子供向けアニメにもそのような例があったかも知れないが、それは「悪人たちの、思いがけない人間的側面」 と言うカタチになることが多かったはずで、最初から「普通の人間だが立場が敵なので闘うのだ」 という観点までは発展していなかったと思う。 ええと、ガンダムのストーリーはまぁ日記の話題としてはあまり大事じゃなく、 興味があるのは登場人物評なのである。飛躍して申し訳ないが、知らないひとには そんなものだと思ってもらいたい。 アムロ:主人公。試作型の兵器(モビルスーツと言う大型ロボット)にぐうぜん乗り合わせて 戦果を上げてしまい、それ以降は正式なパイロットになってしまう少年。コンピュータオタク。 とにかくグチと泣き言が多い。でもしっかり闘って、敵の熟練パイロットをばたばたと やってしまう。怖い。 僕はTV放映時は小学生だったと思うが、このアムロの泣き言の多さに「軟弱モノ!」と思ったが、 よく考えるとグチの多い点では自分と同じかもしれない。反省。 プレステで、アムロになりきってモビルスーツを操作して敵をたおすゲームがある。 いちどアニキ・妹が観ている前でやっていたら「クリアしろ!」「敵を倒せ!」と迫られ、 そのくせゲームの難易度が高いので「僕だって一生懸命やってるんだ!」とアムロ顔負けのグチを 言いたくなった。それ以降、アムロに対する同情が深くなった。 シャア:ライバル。敵国の旧指導者の遺児で、エースパイロット。二枚目だがいろいろ 後ろ暗いところがあったりする。このキャラについては「機動戦士Zガンダム」という 続作のほうが面白かったりする。彼の話は次回。 ランバラル:たぶんこのアニメのキャラクターで加藤が一番お気に入りの男である。 ランバラルとはおっさんである。職業軍人である。旧指導者の遺臣であり、歴戦のエースパイロットである。 現体制で冷遇されつつも、仕事と部下を愛する豪快な人物として描かれている。 上層部からの協力が少なくとも、手持ちの戦力で最善の結果を努力する。いわゆる 「仕事馬鹿」というところだろうか。 ストーリー中では「すごい主人公:アムロ」に負けることで結局お引き立て役になってしまう。 くやしいっ!脚本家、出て来いっ! でもランバラルが勝ってアムロが負けると「ガンダム」も負けちゃうのでお話が 終っちゃう。うーむ。むずかしい。 ランバラルには、彼同様に仕事を愛する部下がいて、彼ほどではないにしろ、小ランバラル のようなプライドのある仕事ぶりを発揮する。そんな部下たちとは目に見えぬ信頼関係が 築かれている。うむ。すばらしい男の世界である。(つまり植原君と加藤の関係なのだな) あ、でも、ランバラルの愛人、ハモンはランバラルの死後、かれに変わって ごっつい男たちを指揮して追悼戦を行うから、男だけの世界じゃないわけね。 それもおもしろい。 2004/11/24(水曜) さいきんたぐちさんはバイク熱が高まっているようだ。いや、、、どうだろう。 本当にそうかもしれないし、実は今でも夜明け前から国道1号を朝練しているかもしれない。 なにせ「自転車乗りはうそつきばかり」と本人自身が高らかに宣言してるぐらいだし、 コソ練王のことだから、みんなに内緒で何か新しい練習方法を考えていると邪推されても、 まぁ不思議はないかもしれない。 でも、今年のニコタマメンバーの練習熱はすごいものがあった。皆仕事をしながら あれだけのテンションで一年強化とレースに取り組んできたのだから、オフはしっかり 自転車以外のことで心の空間を取っておかないと、そのうちぽっきり折れてしまって、 来年4月に走るときは井上さんと岩倉君と僕だけになりかねないかもしれない。 さいきん、急にそんな心配が出てきた。ふーむ。 でも、オフになってニコタマMLは盛んである。これはたいへん良いことだ。 僕は「連載:きょうのおやつ」を続けているが誰からも反応は無い。それとも、 文字の反応は無くても読者の身体に直接効いてるのだろうか?ふっふっふ。 (ニコタマ増量計画=NKZ−1) 昨日お店で「きのこセンター」の話を聞いた。道を間違えると行き止まりらしい。 ふーむ。。。もうだいぶ寒くなっているから行くならば早めに行かないと。 岩倉君なら、誘えば一緒に行ってもらえるかもしれない。 会社の同僚でさいきん永井さんのところで自転車をかったひとが居るが、 昔は残業を良くする良い子だったのに、最近はチャイムとともに姿を消している。 どうやらヒマさえあれば乗っているらしい。昨日は宮ヶ瀬湖まで一人で行ったそうだ。 そして「尾根幹の登りが短いという意味がようやくわかった」と得心していた。 やる気満々なのはいいが、あなたのいる部署って、あなたの年代がもっと 頑張らないとヤバいんじゃないの? 自転車を薦めた手前、微妙なものだが、本気でやるからには人様に迷惑かけずに きちんと両立させなきゃアカンのでは。。。 そう言いたいが今は夢中みたいだから辞めておこうかな。しかし、ああも あからさまに仕事に身が入ってないのはマズいだろうに。うーむ。こまったものだ。 うーむ。。。よし。彼がうんと練習したと思っているころを見計らって、 美ヶ原級のしんどいレースを薦めて一度ガックリさせたほうが視野が広くなって 落ち着いて取り組みできるかもしれない。 ふっふっふ。かとうは悪人であるかもしれない。 2004/11/23(火曜) <ZB−error> 今日は午前中は寝て過ごし、昼ご飯を食べてから近場を適当に流したあとオーベストに行った。 そしてラボバンクのキャップを買った。ふふふ。これはラボバンクとロゴが書いてあるけれど ホントはオーベストキャップなのだ(ウソ)。 それにしても、最近日が短い。もう晩秋なのだ。そういえばサンマはあまり食べてなかった。 はて?夏ごろの報道ではサンマが品薄で高騰すると聞いたが、本当だったのだろうか。 沖縄以降、お酒は飲む、食べたいものを食べる、おやつを食べると際限がない状態だ。 今晩もワインをたくさん頂いた。うむ。うむ。そのわりに体重は増えてないらしい。 いや、体重計に乗っていないだけだ。もしかするとタイムラグがあって、しばらくすると 大変なことになってしまったりするかもしれない。 でも良く考えると今シーズン、食事制限は春先のダイエットと、沖縄直前のコントロール だけだった。それ以外はある程度の範囲で食べたいものを食べていた。夏ごろはなんだか 食欲増進で昔の「胃拡張」と謂われたころに戻る気配があったが、なんとか踏みとどまって 人並みな範囲に収まった。今もまだ大丈夫そうなレベルなので、酒の飲みすぎ、 砂糖の採りすぎだけは注意しようと思う。お酒はやっぱり控えようかな。 そういえば沖縄以降、自転車の整備をしてない。たぶんアクエリアスがたくさん 付着しているはずなので、今週末は拭かないといけないな。ってか、今日やればよかった。 そうそう、さいきんハマっているものがある。そのうち実践しようと思って情報ばかり 集めている。でもそれだけでワクワクするものだ。その正体とは コレだッ! ちなみに書店で雑誌も買ってしまった。「やさい畑」という名前の季刊誌だ。 なぜに今そのようなものに興味をもったかというと、きっかけは新潟の地震である。 「ああっ、みんな食事に困っているな。東京が地震で火の海になったら、きっと 自活しないといけないだろう。そうだ、庭で家庭菜園でもしようか。ということである。 そういえばウチの実家の梅の木は毎年数キログラムもの実がなり、梅酒、梅干し、梅ジュース、 梅ジャム、その他いろいろなものに化ける。特に梅ジュースは加藤の夏ばて防止の 救世主である。だから庭から採れる作物のありがたみを感じることが多い。 数年前まではモモの木があって、夏の終わりに美味しいモモが食べられたが、老木に なってキツツキ(コゲラ)が巣をつくり、巣立った後に台風が来てボッキリと折れてしまった。 あと柚子の木もあって柚子ジャムとして自家製ヨーグルトに入れてよく食べるが、これも たいへんよろしい。僕が小学生のころは両親が庭でトマトや枝豆も作った。 だから自分の手で食べ物を作るのは楽しいという感覚がある。 あともうひとつ大事な理由がある。加藤の仕事はIT業界コンピュータ、つまりは ルールの世界である。ルールといってもコンピュータが処理できるような数学と論理学的な 「人間の頭で考えた枠組みの世界」なのである。朝から晩までそんな仕事をしていて、 あるとき庭に出て自然の複雑さ、割り切れなさを実感するとストレス解消になる。 また気持ちが良くなる。だから実家の梅の木の剪定は毎年僕がやっている。 うむ。将来は自分の食事の半分か四分の一ぐらい作ってみたいな。まずは簡単な さつまいも・じゃがいもから始めたいな。まぁ実践する日がいつになるかは、皆目 検討がつかないけどね。 2004/11/22(月曜) 今日は残業した。かなり難航したが、仕事にカタがついて10時に会社を出た。 席を立つとき、隣の席がうだうだ言いたそうにしていた。なんなのだ? …かなーり粘着質な性格なのだろうか。 あるいは欲求不満なのだろうか? このまえキャバクラの話を喜々としてしゃべっていたが、月一度にしているそうだ。 それって本人には大事なこだわりなのだろうが、やつあたりするぐらいならば 給料日前でも勝手にじゃんじゃん行けば、僕には迷惑がかからなくて助かるのにと思った。 それともグチを聞いてほしかったのだろうか。友達いないのだろうか? でも他所の大学祭にくりだす友達がいると今日言っていたが。 僕は仕事の悩みを聞くのは好きだ。なにか一生懸命にやっていることならば、 相談はたのしいものだ。そういうのはいつでも大歓迎だ。 でも女性(?)との約束が反故になったグチを仕事上の先輩として聞くのは、 勘弁してほしいものだ。 前回の経験を踏まえると、きっと休日明けの水曜日も、朝からネチネチして くるのだろうか?今晩ぐちに付き合わなかったことを根に持って? ・・・うーむ。まじでヤバイ粘着なのだろうか?(まさか、、、ね) そういや最近、男女交際のもつれから傷害事件に発展するケース、女性が 刃物を持ち出すのではなく、男性が嫉妬に狂ってつけまわして、、、が多いようだ。 今日の結論:いまどきは女性のほうがさっぱりして覚悟がある。 2004/11/21(日曜) 今日はZB−1<23>、 午後からサイクルショーへ行った。 炭酸水はちゃんとのみました。会場でジンジャーエールを飲んだ。 そういや沖縄1日目のことを少し思い出したので書き足した。 今日はサイクルショーの後、菊地さんの家にお邪魔してあれこれ 雑談して、アップルケーキまで頂いた。うーむ。加藤にしてはめずらしく サクサク乾燥系なのに好きなものなのである。アップルケーキ。 たいへんごちそうさまでした。あと頂いたお見舞い返しのタオルも ありがとうございます。大きくないタオル地は旅行のとき重宝します。 バスタオルみたいな大きなものって便利だけどバッグに詰めると結構 かさばりますよねぇ。ディパックで何でも済ます性分なので。 そういや旅行といえば、このまえニコタマでスキーの話をふったけど 反応は井上さんのみで、あまり食いつきは良くないようだ。うーむ。 ひょっとしてたぐちさんは寒いの嫌いなのかな。 2004/11/20(土曜) 今日は朝起きて、二度寝した。 朝ご飯を食べて、メールチェックして、昼まで寝た。 遅い昼ご飯を食べて、古畑任三郎を見つつ片付けものをした。 そのあとクルマで出かけて床屋へ行き、散髪した。 散髪中、何度も居眠りした。 カルディへ寄ってシリアルを買い、本屋へ寄って自転車2誌を買い、 あと家庭園芸の雑誌を買った。いま、家庭園芸が旬である。 (本を見てるだけで実践はしてないのが残念だが。) 家に帰ってたくさん晩御飯を食べた。 某楽団の招待券申し込みのためFAXを送った。 食後に緑茶を大量に飲んだ。これはいつものことだ。 食後にやきいもを食べた。1本ぜんぶ食べた。今、イモが旬である。 眠いので風呂に入って、寝る。 今週は大層つかれたような気がする。沖縄が終って気が抜けたのか? 明日は炭酸飲料を飲んでみようと思う。 2004/11/19(金曜) もののけ姫を見た。 それにしても今週は疲れた。とっても疲れていて、会社で なんどもいねむりしそうだった。 そういや数年前、会社でIPMessangerというチャットツールで 同期の友達としゃべりながら居眠りしたことがあり、そのとき 意味不明の日本語を書いたことがある。しばらくのあいだ、 二人で爆笑のタネになってしまった。 。。。やっぱり、どっと疲れが出たのだろうか。 2004/11/16(火曜) 沖縄。行ってきました。どっと疲れが。ちょっと更新はお休み中。ネタありアップ未。 2004/11/15(月曜) またひこうきにのった。またこわかった。 2004/11/14(日曜) 今回の沖縄、3度目の挑戦にして初完走。ようやくトラウマから 脱したような気がします。去年ぐらいから「自分にとって沖縄は 坂が長くてダメなコース。きっとこれからもずっとニガテなまま かもしれない」と心の底でずっと思っていました。 でも今シーズンは去年に比べて体力に余裕がでたのか、平日でも 早朝練習できるようになり、9月からは田口さんの勧誘メールで 尾根幹朝練を週2、3日ペースで続けました。 この効果は意外と大きく、走行間隔が狭まったことにより体調の 調整が維持できるようになって、去年よりずっと安定してレース に望めるようになりました。 10月になってからはひとりで農業者大学坂へ行って何往復も登りを 繰り返してギアを上げていってみたり、和田峠へ一人で挑戦して みたりして、最大の課題である登り坂の克服をすることにより、 ちょっとづつ沖縄の準備ができたようです。 レース当日は倉田兄の「ンまぁ、無理しないで、いけたら行こう」 という一言でなんだか緊張が解けてリラックスしてスタートが できました。 いつものように唐突に市民80キロのスタートの号令がかかり、 倉田兄弟と梅さんが左車線へ飛び出します。僕はまったりスタート して倉田兄弟のジャージを目印に淡々と走ります。今年の80キロ 最初の平地はペースが遅いのか、ほぼ40キロでそれより上がる ことは無く、僕はとにかく脚を貯めることに専念しました。 登りに入るとなんだか快調で、最初はばんばん周りの人を抜いて いきました。おおお!去年の逆だ! 1、2キロ走って疲れてきて段々まわりとスピードが同じになって きます。でも去年と違って、抜かれることはあまりないです。 うーむ。 倉田弟とは前に出たり後ろになったり。実は彼は旅行前から風邪 でルルを飲んでいたのですが、当日朝はサイアクのようで呼吸が 辛そうでした。会話しつつメータを見るとボツボツ頂上でよさそう なのにまだ先が見えません。やっぱり普久川は長い坂です。 景色を見ると少しずつ空の割合が増えてきたのでどうやら山頂が 近いようです。しばらくしてチェックポイントが有りました。 通過して下りかと思えば、上り返しが。なんだかスピードが維持 できなくてちょっとくやしくなります。補給ポイントがあったので 「みずみずみずみずみず」と叫びます。おじさんが 「はい水」と渡してくれます。 補給所をすぎて緩い坂で余裕ができたのでもらったボトルを出して 頭からかぶります。脚にもかけます。涼しくなって楽になります。 ちょびっと飲んでみると、、、甘い!今年もかっ!! 「これ、みずじゃねぇーじゃん!」 でかい声で叫びます。はしたなかったかな? 木立が開けてきて道が明るくなります。右側に歩道の縁石がみえます。 ああっ、ここがかの有名な、初参加のときに脚が攣って倒れこみ、 路肩で必死に脚を伸ばした場所か!感慨深いものを感じます。 ここを登るとあとはずっと下り。ギアを上げて下ります。 最初の島東側の平地。いつのまにか単独走行になっています。うーむ。 まぁいいか。すぐに上りだします。 東側の登りはアップダウンの連続で、気が付くと10名以上の集団に なっていました。先頭はラバネロジャージのオレンジゼッケン。 はて?オレンジってどの距離だっけ?経験豊かで落ち着いた、いかにも おじさんぽいラバネロに曳かれて120が2名、80キロが10人ぐらいの 集団で上り下りします。 このラバネロ、さすがラバネロで一定ペースで先頭を上手に走ります。 登りでリードし、下りでとばしすぎず、集団を維持します。下りで 僕が前を引いたら速すぎたようで、彼は旨い具合に追い越さずにぴったり 後ろについてきて、集団の分解を抑止したようです。こりゃ逆らえないな と思いました。しばらくの間、この集団に混じっていたら、なんと一つ 前の80キロ集団に追いついてしまいました。おお!感謝! すこし大きくなった集団に埋没して平良の平地を走ります。おお、 前方に120キロの集団が要る!あれ?普久川の登りで僕を抜いていった のくぼっちが先頭を曳いてるじゃないですか!まさか沖縄でも先頭を 曳かされまくっているのでしょうか? 「のくぼっち!前曳いてるよ!」と声を掛けます。 ふたつの集団は混じってさらに大きくなったようですが、後方では 中切れが起きたのか人数はたいして増えてないです。のくぼっちに 「一緒に行きましょう」と言われるが、いつものニコタマ練のように 坂でじりじり離されるだろーなーと思って自分は最善を尽くして 着いていこうと思いました。 しばらく平地を走り終えると超ニガテ・僕の最大の難関、源河までの 登り3連発! 「きっとこの集団も、1発目の登りでお別れだな。ああ、良かった」 気分はすっかり過去形ちぎれモード。もう自分は登りがダメだと決めて いました。 さぁ坂になります。一応根性見せてサエコの赤いジャージの後ろを 離れないように頑張ります。頑張ります。あれ?離れないぞ?! サエコは脚が細くて身体も細く、登りじゃ軽快においていかれるはず の体型に、なぜか僕は千切れずついていけてます。 こうなったら根性が切れないように頑張ります。一つ目の坂を過ぎて、 まだ自分が集団にいることを、しかも前方にいることに気が付きます。 二つ目の坂もいつのまにか登れました。はて、もっと長くて辛かった ような気がするけど。 三つ目の坂。あいかわらず路肩でおばちゃんが「もうすぐ終わりだよ」 とウソついて励まします。うんせ、うんせ、まわりは皆苦しそうです。 サエコも苦しそうです。僕は8人ぐらいの集団の真中にいます。 「そうかっ!みんな苦しいんだ。僕も超つらいけど、なーんだ、みんな 坂でこんなに苦しんでるじゃないか。あっはっは。これなら着いて いけるじゃん」 と妙に納得して、むしろアタックに警戒します。 コース前方は見慣れた風景。毎年もっとも印象深い坂の頂上。でも 今年はあっという間にココまで登れちゃいました。例年の半分以下の 距離に思えます。 さぁ下り。もう周りを気にせずガンガン降ります。上り返しがあっても 慣性の法則で粘ります。いつのまにか70キロを越えていたようです。 前方にブロック塀が見えます。出たっ!あれだ。源河のチェックポイントだ。 毎年この先で赤旗が振られるんだ。そうだ、来たんだ。ここに! おじさんは旗を振っていない。。。 なみだが出てきそうになります。叫びそうになります。 ようやく3年目にして源河より先を走らせてもらえます。 片思いの子の名前を呼びたくなります! 平地になってはるか前方に大集団が見えます。おおお!居る!見えるぞ! 大集団は前方500メートルぐらいに見えます。 「行きたい!あそこへ行きたい!」 ついに口を突いて出ます。哀れに思ったのか(?)嘉手納ロケッツの2名と サエコが追走に協力してくれます。すげえはやいスピード(当社比)で 追いかけますが、嘉手納のひとりが足をつってしまい、サエコも消えて 二人になります。「やばいですね」「無理そうだから戻りますか?」 となってペースを落とす。後ろから小集団がきてしばらく走るが どうにも追いつけない。先頭に出たらいつのまにか単独走になります。 陸橋で、前の集団はほとんど霞む程度にしか見えません。 あああ。。。ひとりで踏ん張るも、おいつけませんでした。 その後は一人で淡々。しばらくして120キロの数名にぶら下がって 速度の持続に努めます。あと2Km、1km、、120キロの人たちは けん制を始めました。 僕は少しはなれて一人で頑張ります。後ろを見るとサエコが離れて 走っています。500メートル。どこからか80キロの選手が一名だけ 沸いて出ました。機材からトライアスリートっぽいです。 明らかに速いペースで突進していきました。追走で疲れ果てた僕には 追いつけませんでした。一人逃がしてしまいましたが、とにかく最後 は自分の最高のペースで踏ん張ります。ゴールラインが見えました。 最後まで力を抜かず疾走。一人でゴール! 走った。。。走れた。。ほっとしました。 ![]() ゴール前・突進中の黄色/黒ジャージが僕。おお、2人も後ろにくっ付いていたのか。 タイムは後で聞いたら2時間41分。大きな集団は30分だったそうです。 うーむ。残念。でも去年にくらべて素晴らしい進歩。 来年度もたゆまず頑張ろう。そしてシーズンオフはお酒・油モノ・ラーメン、 みんな解禁しよう!わーい! 2004/11/13(土曜) ひこうきにのった。こわかった。 そういや思い出した。 朝7時10分に羽田に集まった。それ以降はたぐちさんの仕切りで、菊地さんの 予定表をほとんど狂い無く遂行した。すごい。まったく予定通りの行動だった。 名護でレースの受付と自転車の組み立てをして、のくぼっちと梅さん、加藤は自走で オクマまで行くことにした。のくぼっちも加藤もひさびさの乗車。しかも 飛行機に長時間揺られた後なのであまり調子は上がらなかった。 走り出してすぐ、ぶしゅーしゅるしゅるしゅる。。。僕の後輪がパンクした。 どうやら去年の伊豆自走合宿のときパンクしてふさいだタイヤの大穴が走行を 重ねる間に磨り減ってチューブまでいったらしい。あの日、タイヤもホイールも ほぼおろしたてだったので、くやしいから裏からパッチを当てて使っていたのだ。 こんシーズンで使用を終了しようと思ったが、2日間ほど足りなかったようだ。 パンク修理のあと、ねんのため名護市民館の会場にもどり、スペアチューブと スペアタイヤをかって、空気を足してもらった。 再度出発!すいすい、ぶしゅ〜〜〜しゅるしゅるしゅる。。 「・・・・」 今度はタイヤを交換してあたらしいチューブを装着した。 再度走り出すと、なんだか梅さんがおちつかない。なんだろう。とにかく先へ先へと ひとりで急いでいる。一方、のくぼっちは明日のことを考えて温存しようとひたすら 超LSDペースを維持する。僕はどっちつかずに中間で走っていた。信号待ちで 梅さんに接近し、後ろののくぼっちを確認していると、 梅さんが「日が暮れる前につきたいから」と言った。 5時半日没だそうだ。あと1時間。うーん。そうかぁ。でもまぁ、なんとかなるかなーと 僕は相変わらず気軽に思っていた。 (いや、よく考えると経度の関係で東京・名古屋より一時間は遅いはずなので 2人の心配は杞憂だったのだ) しばらくは先を急ぐ梅さんとLSD死守のノクボッチにはさまれて走っていたが なんだか僕も疲れるのは嫌だからのくぼっちと合流した。そしたら案外 のくぼっちは身体があったまってきたのかペースを上げていた。 実はかなり高い巡航速度で、いつのまにか追い抜いて先行していき、 僕は追いかけるのはかなりしんどそうだったので、そのまま見送るだけだった。 それからしばらくの間、視界の先でのくぼっちと梅さんと、あともう一人の自走の方と 3人が絡んでいた。なんだ、先頭交代してるのかと思ったが、あとできいたら 掛け合いでペースを上げていたらしい。元気だなぁ。というか、沖縄の暖かくて のびやかな気候が開放的にさせるのだろうか。 何度かのくぼっちがタレて僕のところまで落ちてきたと思ったら、後ろへ廻って休憩し、 また発射していった。なんだ、随分出入りが多いなぁ。 ひさしぶりの自分はなんだかどうやって追い込めば良いのか、いや明日のために どうすりゃいいのか分からず中途半端に息を上げていた。 視界の先にオクマビーチの岬が見えるころには先頭の3人も疲れてきたのか、 自分との距離が縮まってきた。 距離が詰まってきたので様子が見えるようになって観察していたら、なるほど、だんだんゴール(?) へ向けてペースアップしているように見えた。ふむ。模擬レースみたいなつもりだな。ペースがまた アップし、のくぼっちがいよいよ戦線離脱。名無しさんと梅さんが一生懸命に掛け合いをしていたので、 後ろからそっと近づいてみた。うーむ。がんばるなぁ。 どうやら梅さんは幹線を左折してホテルへゆく信号機のある交差点をゴールと想定 しているらしいと読めた。 ちょっと面白そうなので二人のバトルが大体終ったころ、残りの距離も目視できる範囲に なったので、勝ったと思っている梅さんに俄然、アタックをかけてみた。 案の定、梅さんは名無しさん以外はノーマークだったようで驚いた様子。でもすぐに反応 して並走してきたので、こっちも歯を食いしばってひきちぎりに成功。くやしそうに叫んだので こっちも吠えてお返しした。信号通過後にガッツポーズ。 うーむ。97年フランドルのビデオを観て勉強した甲斐があったようだ。 2004/11/12(金曜) 猛烈に眠かったが、今日こそは!と思って無理して起きたら雨がしっかり降っていた。 でも会社に行く時間はほとんどやんでいた。 昨日は遅かったのでとにかく眠い!幡ヶ谷のお客さんのところに行ったが、会議が 1時半から4時になってしまい、待ってる間ドキュメントを読んでいたが、目が ひっくりがえりそうに眠かった。 小杉に戻って機械を置いて、家に帰って荷造りした。とにかくねむい。でも明日は 5時起きだ。。 とりあえず、常夏の楽園、沖縄にいってきます。 完走できたら誉めてください。 2004/11/11(木曜) 朝起おきたら目覚ましは止めていた。7時前だった。ぐぅ。 会社から帰って沖縄の準備をした。シーコン社製のでっかいバッグで 自転車を格納しようとしたがどうもハンドル幅がありすぎて収まらない。 へんだなぁ。去年はLOOKがちゃんと入ったのに。 ハンドルを調整してなんとか入った。 自転車をしまう前にチェーンや車体の掃除をしていたから夜23時になって しまった。。。 2004/11/10(水曜) むむ。今日は勇気が無い日であった。ドクドク。 今朝は6時ごろ起きだして朝練に出たのは6時半だった。時間的に遅いので 尾根幹には行かずによみうりランド近くのゆっるーい坂を2度だけ登って そのままウチに帰ってしまった。距離にして20キロちょっとか。 身体が疲れていないせいか走ったときの爽快感はよかった。 スピード自体は遅かったんだけど。 2004/11/09(火曜) うむ。 でもナゾは深まる。 今日あったことは、凄く前向きに考えていいのか、それとも自分の思い込みで 舞い上がってるだけなのだろうか?微妙なことが分からない人間だから 我ながら困るのだ。昔からそうだ。このままじゃ進歩が無い。むずかしい。 ん?それは逆の立場でも言えることかもしれない。 ふーむ?? そうそう、今日は他にも良いことがあった。さいきん険悪だった仕事仲間と 急に仲良くなったのである。なんでだろう。まぁいいか。かとうはやっぱり 物忘れが丁度いいようである。これは中学時代から親友に指摘されていたこと でもある。元気で態度でかい人は二種類にわかれる。本当に覚悟のすわった人、 実は小心者のひと。でも僕は、小心なことは大事だと思っている。 振り返らない、反省しないよりずっといい。。。おう!なんだか自己否定 してるみたいだ。 そうおもうと不思議と仲良くなれる。相手もなにか発見があったのだろう。 彼は以前に僕のことを「初めて見るタイプ」と言った。ふーん? 変なヤツという意味かな? 人間が過去の集大成だとすると、そう簡単に類型で分けられないと思うけど 彼にあたらしいカテゴリが増えたことは、たいへん興味深いことである。 今朝のトロ占い、かに座は8位だったが1位でも良いんじゃないの? 今日は幸せな気分だった。仕事が終わって菊地さんのお見舞いにいった。 手術後2日目だそうだ。きっと痛いんだろうなぁ。僕がじん帯断裂の手術をしたときも まる一日は痛み止めを続けながらウンウン寝ていたっけね。 でも痛いのも何日かで収まるし、あとはのどかな入院生活だな。たいくつするかも 知れないと思って帰りがけに本屋によってみたが、なかなか良さそうなのがない。 家まで歩く途中、ふと気がついた。「逆境ナイン」って漫画があったっけ。。。 あれなら読みやすくていいかな?でもアレ読んでさらに練習に打ち込むようになって 家庭を顧みなくなったら奥さんに悪いかなぁと躊躇した。微妙だ。 2004/11/08(月曜) さいきんどうにも耐えがたいものがある。まったく困っている。 会社でのことである。どうもダメのようだ。 なにかというと、要するに、隣の席の「おとこオバさん」なのである。 僕は小さいころからおばさんと言われる年配の女性とは大変愛称が良かった。 彼女達は集団になると遠慮が無くなって困るが、そうでなければたいへん 物が分かっていてやさしく、じつにありがたい人たちだと思っている。 だからおばさんというイメージは悪くないはずなのである。 でも、それが「おとこ」になるとだめなのである。 考えてみると、テレビにでてくる「おすぎ」というのもダメである。 キモチワルイというべきか、不快というか、とにかくモニタの向こうで 助かったと思う。当然、映ればチャンネルを換えてしまうことが多い。 今のつらい悩み。それは仕事の相手方が、まだ若くて入社3年程度なのに りっぱな「おとこおばさん」だということである。言葉遣いは普通である。 べつにオカマコトバじゃない。でも、なんといったらいいのか、とにかく 男らしい「潔い付き合い」じゃないのである。ネチョラーなのである。 会社で自分がパソコンに向かって仕事していると、ずーっと僕のほうを向いて ひとりごとを言っている。最初は用事があるのかと思い返事をしてみたが 要領を得ない、不明瞭な答えばかりなので最近は対応しないようにした。 それから、彼は自分の仕事が多く、僕の仕事が少なくて定時退社するのが くやしいと思うらしくて、なにかにつけてネチネチしてくる。 口先では「やらないほうが良いですよ」というが、内心は違うらしい。 彼は周りの人にも言われているが、たいへん態度が大きく、馴れ馴れしいそうだ。 僕は最初その話を聞いて良いことだと思ったが、どうもコレは 「外見は可愛いがモノを知らない女子高生の、アタマっから相手をナメた横柄な態度」 と同種ではないかと思った。もしそうなら一番ニガテなパターンである。 週末にどっと疲れて、休日が明けて、気分を変えて僕が出社をすると、朝、 座席にいて先週末を引きずっている。 ものすごく滅入る。なんだか精神的にすごく疲れる。 僕も若造じゃないんだからこの状況を打破したいとは思う。でも、僕は つい先月に今の仕事に参加した身の上だからよく分からないことだらけだ。 この仕事を入社以来ずっと続けている彼のほうがローカルなツールの使い方は よくよく知っている。 だからこちらからリードするにもまだ材料がない。立場的にすごくやりにくい。 グループにはわれわれ2人のほかにも、取りまとめるリーダがひとり居るのだが、 最近商談が複数難航していて外出ばかりで不在だ。だから会社では二人きりになる。 そして朝から晩まで、独り言を聞かされるか、ネチョラーか、である。 ひさしぶりに会社を辞めたくなった。 僕はどちらかと言うと、ものごとを単純に割り切って細かいことに執着しない 性格のつもりだ。 だから誰とでも愛称はいいのだと思ったが、男の付き合いのできない男というのは これほどまでに疲れるとは思わなかった。僕の同世代にそういうタイプの男は いかなかったかもしれない。 明日も、明後日も会社か。 めずらしく、弱気になった。 そうそう、今日は社内展示会という催しがあった。自社製品を社外の方に 紹介する展示発表会のことだ。展示会の対象はわが社の顧客・取引先などだが、 僕も自社の製品を勉強するため見にいった。そうしたらかつての上司だった 部長たちに会って少し話をすることができた。 うん。おじさんというのも、いいものだ。 そういえば僕は部長の愚痴を聞くのもすきだ。某M部長は大学の遠い先輩 ということもあって、ときどき僕の顔を見つけると話し掛けてくる。 そして長話になると愚痴になったりする。でも、彼の話の端々に、 「ビジネス」と言うものに対する姿勢・考え方が垣間見える。 だから、おもしろい。 1階下のフロアに異動したK部長とは変な関係だ。K部長とは共通のプロ野球 チームファンということもあり以前から仲が良かった。勘が鋭くてよくモノを観ている 怖い人なのだが、ついついオヤジギャグの冗談めかした態度にだまされてしまう。 後ろ向きなグチをよく言うが、よく考えると深刻さがないから、笑いながら聞けてしまう。 きっと覚悟があるのが感じられるから、聞く方は安心して聞けちゃうのだろう。 不思議なものだ。 今の上司、S部長は厳しさと情熱が、おだやかーな態度の裏に見えるから好きだ。 うむ。今日はいつのまにかオジサン評になってしまったな。 「おとこおばさん」にうなされて席を出たら色々な部長と会って話が出来た。 僕はこの会社にいろいろな人間関係があったのだと再認識できてよかった。 (おう、今日は自転車の話題はなしか。) 2004/11/07(日曜) もうすぐ沖縄だ。来週だ。なんだかなぁ。まぁ僕には80キロを完走できれば 幸いだから、あまり難しく考えないで頑張ろう。きっと最初の坂で集団から切れて 後はずっと一人旅の、例年の展開だろう。やっぱり坂が遅ければレースにならないな。 来年度は登り向上に専念しよう。 昨日のチーム練習会は思ったより身体に刺激的だったらしい。今日の日曜走行会は 太めの方とか初心者らしい方とかと一緒に平坦を中心にのんびり走ったが、それでも 結構つかれた。でもおかげでリカバリライドになった。 今日は朝からファンライドの記者が来ることになっていたが来なかった。 練習後に店の前に戻ったら、居た。8時10分ごろに来たそうだ。 「ほんとに〜?」とBossに冷やかされていた。皆で写真を撮った。 しかし、取材の約束に遅刻するとは、しかも言い訳を言うとは、 元新聞部スポーツ面・面担の僕としては「喝!」「大喝!!」いや 「もうやらなくて良いよ」である。まったく困ったひとだなぁ。 この前はチーム練に自走で来て千切れちゃうし。。アタマが足りん!(怒) 昨日はTDフランドルの97年を観た。ロードってのは、単なる耐久の我慢比べ じゃない、中身のあるものなのだなと思った。他人を利用して協力せずに 卑怯に勝ちにいく人、正々堂々と闘って敬意を受けて勝ちを手に入れる人。 きっと、レースで走れば走るほど、選手たちが共有する一体感が自分にも 感覚的に分かるようになり、そのとき初めて厳しい長いレースで本当に 競いあうことが出来るのだろう。そういう理想のイメージが、きっと Bossには見えてるのだろうと、なんとなく思った。 ワンデーレース、クラシック、面白い。フランドルのビデオをまた買おうと思った。 96年はミケーレ・バルトリが優勝した年。このビデオがほしかったけど以前に あさひで注文したら、注文受け付け後になって「欠品でした」とメールで言われた。 その後あさひのHPの表示が「欠品」に変わった。あほ!最初から調べて載せておけ! 今度買うとしたら98年のムセーウ優勝にしようかな。彼は97年、誰だかに 後ろから突っ込まれて落車しちゃって、リベンジに燃えて優勝を奪い返したそうだ。 これはいいかも。パワーでライバルをねじ伏せた走り、観てみないと。 パワーといえば、今日の練習でBossの登りをじっくり観ていたが、ふーむ。 重いギアをダンシングでキコキコキコと、まったく一定速度で機械的な運動で、 頂上までするする行ってしまった。筋力が違うのだろうと思った。 でも「実はね、ウェイトはしないんだよ」って言ってたっけ。不思議だ! 休憩中にヨシノさんと筋肉と骨の話をした。筋肉が付きにくい人は骨が細いらしい。 太い人は肉も脂も付きやすいとか!骨の太さは子供の成長期に決まるらしい。 ふーむ。なるほど。。(ヨシノさんて、やっぱり体育学科??) 脂は要らないから肉がたくさんつくように、お肉をたくさん食べよう(ちがう?) 沖縄前だから今は我慢してるけど、とんかつ、焼肉、ラーメン、餃子定食とビール。。。 あー、お腹減ったなぁ。これだから走っても走っても体重が減らないのかな。 ジャンボアイスモナカ、モンブランプリン、チョコレートケーキ、フルーツタルト、、、 オフになったら気力とスタミナをたくさん充填しよう!オフまでたった1週間! でも食べても不健康なほどには太らないのは、つい3年前を考えれば すごくありがたいことだと思う。健康で食事が美味しい。幸せなことだ。 2004/11/06(土曜) 今日のオーベスト練はちょっと短いけどきつめでいい練習だった。 22%の坂を登ったが、あれは脚に刺激が入った。それにしても、、、 もう少し速くなりたいな。今日もドベだった。 でも、大垂水峠ではなんと1名を途中で抜かして僅差で頂上に先着した!おおお! 加藤にとっては珍しいことである。これはひょっとすると交通安全祈願したおかげ かもしれない。ギアもアウター23だった。うーむ。 僕はまいとし自分より強い人と走っているはずだから、まぁ千切れないで 少しでも近づくことがもっとも効率的なパワーアップ術なんだろうと思っている。 今また新たな気持ちでチャレンジすればきっとまた強くなれるに違いない。 帰りの淺川沿いで五百旗頭君と色々話した。姿勢が前のめりになってるといわれて あ、やっぱり治ってなかったんだと気がついた。実は手放しでほとんど乗れないのだが それは前後の重心が悪いせいみたいだ。言われて直してからだいぶ安定が良くなった。 野猿街道で肩が動きすぎるとBossに指摘された。そういやこれは気がつかなかった。 というか、なにが正しいのか分かってないのかもしれない。もうすこしプロのレース見て 感覚としてつかまないと治らないかも。うーむ。 五百旗頭君の話だと、姿勢を修正するだけで速くなるそうだ。考えてみれば、そりゃ 出力するときの効率が変わるわけだから当然だなぁといまさらながらに思った。 ペダリングは一応普通レベルだと信じていたが、いやはや、腰から上はぜんぜんアカン状態だなぁ。 そういえば集団の先頭交代についてBossが言ってたが、スムーズに一定ペースで 先頭交代を回せない、というのはキャッチボールも満足に出来ないで試合に出るようなものだそうだ。 そういう人が実はレーサーのほとんどで、実業団の上位でさえ自分だけの走りをしてしまうから 集団落車とか絶えないんだって言っていた。 今日のオーベスト練もまだギクシャクしていて、特に赤信号の後のスタートでバラけていた。 「集団てのは重い」という感覚が身につかないと難しいのかな。。 僕はよく振り返って感覚がつくまでは確かめようと思う。 2004/11/05(金曜) 今日は残業した。なんだかやだなぁと思った。 考えてみると、もう半年近く人並み?な生活を送っていたから この業界特有の「エンドレス残業でもみんなへーき」といういやーな世界を 観てしまい、正直不快感を持った。あーあ。ほんの一年前は僕がその代表だったのに。。。 積極的に残業してなんとかしようとする隣人たちに不満を感じるとは、 まったくお笑いである。 この問題は切り替えが難しい。残業すればお金はえらく増えるし、仕事は 嫌いじゃないし、いいんだけど、健康とか生活とか、そういうのを犠牲に するようなものだからなぁ。なんだかなぁ。 それを考えると、去年はよく自転車やりつつレースやりつつ、 あんなにも仕事をしたものだ。入社以来だ。年間であんなに働いたのは。 あのときは、仕事の辛さをバネに自転車に打ち込んでいたな。 くやしさをペダルにぶつけて頑張っていた。そういう頑張りのほうが、ほんとは 僕にあってるのだから、まぁこれから忙しくなるだろうから、よけい活動的になろうと思う。 自転車も、仕事も、プライベートもどんどんなのだ。 2004/11/04(木曜) 今日は昨日の疲れが取れないから朝練はやらなかった。 さいきん体調がいいのか悪いのかよくわからない。 体力はあるみたいだから練習はできるけど、途中で寒気がしたり、 なんだかぼーっとしたりする。じゃあ風邪でもひいているかというと 熱もない。そんな状態がけっこう長いこと続いている。なんだろう。 花粉症?、、、、はて。 今日は朝練しなかったから代わりに自転車通勤しようと思ったら、 カギが見つからない。はて。これじゃうごかせないじゃないか。 通勤車は今ガレージの中にワイヤーロックをかけてしまってあるから カギがないと出かけることもできない。そういえばこの前のレースのとき 財布から外して、、、どこへやったかな。。。わすれてしまった。 スペアキーは。。。どこだっけ。。うーむ。ボケ全開だ。 こんどちゃんと捜さないとアカンな。 今日は会社で、めずらしく心拍が上がった。どうしようか悩んだ。 自分にしては、やけに消極的だったかもしれない。 なにごとにも勇気100倍(?)のつもりの自分にしては、実にめずらしい。 ・・・まだまだ若造な面もあるのだな。 頬杖ついて考え込んでいたら、なんとメールで田口さんが事故ったという知らせが。 あちゃー。これで3人目である。打撲とのことだが、程度はどうなんだろう。 文面からは平気そうだけど。。。やはりニコタマはいちどお祓いしないと いかんのじゃないか。こんど川崎厄除け大師サイクリングでもやるべきか。 うーむ。。 夕方、会社で古い資料の整理をしていたら、過去の座席表が出てきた。 僕は座席表を定期的に印刷してクリアフォルダに入れて持っている。 電話対応のためだ。しかも、古い座席表は捨てずに残す。 過去の仕事を探索するために使えることがあるからだ。 今日、古い座席表を見ていたら、なんだか切なくなってきた。 入社のころ居た人たち。自分がリーダーとしてぶいぶい言わせてたころの人たち。 左遷されていった先のフロアの座席。ながいこと可愛がっていた、今は居ない後輩たち。 振り返ってみると、この業界は厳しい世界なのかもしれない。なんだかため息が出てきた。 今日はセンチなのである。センチといっても、センチメートルではない。 加藤の好きな戦地(職場の)でもない。センチメーンタルである。 2004/11/03(水曜) 今日は5時半に起きた。でも外は真っ暗だったから6時まで寝た。 だいぶ明るくなったので朝食を取り、6時40分ごろに家を出発した。 今日はちょいと用事で出るのである。あるものを菊地さんに渡すために取りに行くのである。 しかも自分の練習にもなるので行くのである。 何かは、ヒミツである。 ひとつゲットしたあとで、そういや以前に大垂水峠へ行ったときの降りで、路肩の看板に でっかく「交通安全祈願」と書いてあったのを思い出し、さらにそこから高尾山方面に乗り出した。 さいわい道が分かりやすくて問題なく高尾山口までは行けた。でも看板のあった神社が 見つからない。 高尾山口駅で止まり、お土産店を物色するけどどうも良いのが無い。 というか霊験があやしいから、やっぱり神社にしようと思って周辺を見回した。 するとケーブルカー乗り場の近くに神社らしき屋根を発見。近づくと確かに神社だ。 窓口にいくと巫女さん(品のいいおばあさまだった)が居たので、交通安全のお守りはあるかと 聞いたら、近くに交通安全祈願の神社があると丁寧に教えてくれた。なんだ、ちかくなのか。 お礼を言って自転車にまたがり、20号をすこし山側へ走るとすぐに見つかった。 ステッカーとおふだを買った。よし。 ここで20号をまっすぐ行けば大垂水峠だが、時間が遅かったからやめにした。 今日は午後からお見舞いに行くのだ。峠は逃げないからいいのである。 近くのコンビニでロード乗りの集団がいて、Uターンする僕を不思議そうに見ている。 でもそんなのはお構いなしで僕は帰るのだ! 20号を日野橋めがけて走り出す。すぐにナルシマ軍団とすれ違う。でも関係ないもん。 ひたすら20号を走る。追分町交差点で間違えて側道に入ってしまう。いかんいかん。 とにかく20号を走って日野橋まで行き、そのあと多摩サイを走り、原橋で神奈川県に入り、 矢野口からは府中街道を走って家まで帰った。 昼飯を食べて、そのあとは菊地さんのお見舞いに行く。やっぱり迷ったが電話で教えてもらった。 ケガ後初めて菊地さんと会った。鎖骨骨折だけと聞いていたが思ったより包帯が派手だ。 やっぱり大怪我だったのだと思った。骨折よりも腫れが難儀のようだ。まぁしばらくは辛抱かな。 でも春先の極寒のチャレンジロードからずっと長いシーズンだったから、 来年のために、今は体力の充電だと考えてちゃんと休んだほうがいいのかも。 とにかく頭と脚が無事でホントよかったなぁと思う。 そうそう。当ホームページは不思議と1000アクセスになってしまった。 可笑しい。じゃない、変しい。「一日5、6アクセスがいいところじゃん?」と思ってるのだが どうももう少し多いらしい。 で、記念の1000アクセスはのくぼっちがゲットとなりました(ぱちぱち)。賞品はこれから 考えます。ってか、きくちさんに500アクセス記念を今日渡そうと思って忘れてしまった。 まったくまぬけである。うーむ。 2004/11/02(火曜) 今朝は3時に起きた。どうやら近所で事件か火事があったらしい。 真夜中なのにサイレンが鳴りひびき、警官が拡声器で交通整理している 声が、遠くかすかに聞こえた。 しばらく眠れなくてテレビを見ていたが、何時までたってもおさまる 気配が無い。ますます寝付けない。いったいなんだろう。窓から外を 見る。屋根がぬれている。夜露かな。明日の朝練はできるだろうか。 サイレンと拡声器の怒声は遠くから聞こえてくる。でも窓からはまったく見えない。 しばらくして消防車の鐘の音が聞こえた気がした。火事なのかな。 とにかく寝れないと朝練ができない。こまったな。 4時までは起きていたが、深夜番組を見ているうちにいつのまにか 寝てしまった。 朝5時半。いつものように目覚ましのCDが鳴った。だが音量を絞って また寝てしまった。次に起きたのは既に6時を過ぎていた。 やっぱり寝過ごしたか。。。今日練習しなければ脚が攣る!アカン。 ベッドを飛び出し着替えて即・出発。 今日は時間が無いから尾根幹には行かないで長尾周回コース。 ひさびさに長尾坂を登る。2周目は割と速いタイムが出たが、その後は 気合が足りなかった。というより、気合が皆無だった。 やっぱり一人だと追い込むのは難しい。トラックは怖いけど 車道で頑張ったほうがよいのかな。むずかしいところだ。 明日は休日。ひとりどこか峠に行ってみようかな。 ところで今日は仕事中ずっと、ちあきなおみの「喝采」が頭の中を鳴り響いていた。 「いつものよぉーに・まクーがあーき」 「♪あれぅわ・さんねんマエッ!!」 なぜというに先週日曜のNHKのど自慢大会の19番目のひとが上手に歌っていたからだ。 「喝采」は1977年の曲だそうだ。つまりピンクレディーのころだ。きっと 「八時だよ全員集合」で聞いたのだろう。歌詞は覚えてないけどよく知ったメロディーで とっても懐かしかった。 ということで、当然今日のオススメ曲は「喝采」にしようと思ったらWWWに音源がなかった。 残念! 丁度今、ラフマニノフのPコン2番を聞きながら日記を書いている。 これって金曜ロードショー?か何かのテーマソングに似てる。というより そっちが真似したのか。第一楽章のfffはカッコイイ。 第三楽章はこれから盛り上がるところ。いけいけー! CDはアシュケナージ&モスクワフィル。録音は、あれ?1963年? 俺が生まれるずっと前じゃん。。おそるべしクラシック。 そういやアシュケナージ氏はN響の音楽監督に就任したらしい。ほぇ。さすがは天下のN響。 すごい人引っぱってくるもんだ。ちなみに今年の大晦日、岩城宏之氏がN響とベートーベン交響曲 全曲演奏をするそうで(去年もどなたかやっていたぞ!)、なんと合唱団は晋友会だそうで、 (去年も同じ合唱団が。。。)、で、今年もパトリが希望者を募集したからおもわず手を上げてしまった。 休団中の身ながら、N響に出ようとは太い奴だ。。まさか僕が選ばれるとは思わないけどね。 でも、ベートーベンの第九っていまいち好きじゃないんだよなぁ...どうせなら長時間絶叫マシーンたるべく 「ミサ・ソレムニス」とかやってくれないかなぁ。数年前、小澤先生+新日フィルでやったときは 3夜連続公演で、前日が公開リハになっちゃって実質4夜連続だったときには、さすがに4日目は ユンケルでも飲まないと「クレド(我は信じる)」で玉砕して段上で卒倒するんじゃないかと思った。 でも今チャリで体力・持久力はOKだから矢でも鉄砲でもガンガン持って来いだけど、 肝心の喉が練習してないから、結局つかいもんになりませんな。はぁ。 2004/11/01(月曜) 11月になった。もう冬が間近だ。 さいきん毎日のようにくしゃみをしている。今朝からは アタマがぼーっとする。体調はサイアクだ。風邪だろうか。 会社の健康管理室に行って熱を測ったら平熱だった。 ってか、平熱って何度? 思い出せば昨日、悪いものを食べたかもしれない。 それにしては風邪と症状が似ている。へんだ。 今朝は雨で朝練をしなかった。だから会社帰りにフィットネスへ 行こうと思ったが体調がわるいからまっすぐ帰った。 なんだか低調だ。 このまま練習しないと脚が攣ってやばいことになるのだが。。 それにしても、もう980アクセス。どうなってるんだろう。 ええと、1000アクセスしたひとはメールで連絡ください。 (skatou@bea.hi-ho.ne.jp) 記念品を差し上げます。ちなみに500ヒットのきくちさんへは まだ贈呈していません。(ごめんなさい!!) |