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長尾日記
今月の標語
ところで、長尾日記って今でも読者いるんだろうか?
ってか、書くならもうちょっと面白いこと書こうよ。

・・・・

2006/4/30(日曜)
今日は不覚にも起きれなかった。ゴウさんごめんなさい。
僕が朝、目覚ましかけても起きれないなんてことは無いのだが、3度鳴った目覚ましは、8時に 目覚めたとき、床にころがっていた。
しばらくしてものごとを考え出す。ああ、いまから行っても、つくのは9時過ぎ。 合流できそうもない。今日は柚木街道の先のコンビニだったっけ。
ベッドから立ち上がると腰が痛い。薬が切れたな。薬でも飲むか。ってか、まずは朝ゴハンを食べよう。 そういやケータイに「早く来い!コラ!」という伝言があるかなと思ったら 電池切れで電源が入っていなかった。。そうだ、出張で電池が切れていたのだ。

のろのろ朝ゴハンを食べる。ああ、サボってしまったな。
腰痛対策として、身体の柔軟性を上げろと医者に言われた。 たしかにからだの硬さは、オーベストナンバーワンであろう。 もしかすると、松崎さん、村上さんよりも固いかも(二人は固いのか?) ・・・イチローはヒマがあると柔軟体操をしているという。 かれの身体的パフォーマンスの理由のひとつだろう。 運動するなら、柔軟性もやらな損だな。

昼飯前にインターネットをする。なぬ?VXRSは柔らかいのか。ラピエールの反対なのか。 そんなのにベルギーのライオン大男が乗っているのか。
・・・やっぱりTIME購入計画はやめにした(あっさり)。
でも、だぶついた残業代、なにに使おう。フレームもホイールも揃っている。ウェアも余るほどある。 パソコンは古いけど不満ないし、、、LOOKの整備でもするかな?
LOOKは最近変速が甘い。どうやらワイヤーが伸びているらしくて、調整してもすぐにずれてくる。 ときどきギアとびする。もしかしてスプロケットも磨耗しているのだろうか? 9速スプロケットって、いつまで売っているだろう。ちょっと心配だな。 バーテープが古くなっているが、これは変えない。
駐輪場でみすぼらしいほうが盗まれなくて良いのだ。

今日は腰が痛くて何もする気になれない。小説を読んで気を紛らわす。
今こんな状況で、糸魚川は大丈夫だろうか。
天気がいいので午後おそく、自転車で外に出る。でも整備不良で、ギアが回らない。 自転車を押して、とぼとぼ歩いて家に帰る。なんだか全て投げ出したい気分になった。 家に帰ってホイールを外してみると、なんとスプロケットが緩んでいる。 ああ、このまえキシリウムを10速から9速にしたとき、かわりにオープンプロを10速にしたのだが 締めがいいかげんにしておいたのだ。

気を取り直して、自転車の整備を始める。キシリウムを10速にもどし、セルビーノに履かせる。 オープンプロを9速にして、LOOKに履かせる。 タイヤも古くなっているので、買い置きしてある新品タイヤと交換する。
通勤車LOOKには、パナのデューロ。セルビーノのキシリウムには、ミシュランのプロレース2にする。 ミシュランプロレース2、出た当時「高価すぎ・・・」と敬遠したのだが、やっぱり車輪競技はタイヤが命。 去年後半から、なんだかくだりが怖くなったような気がするので、ひさびさにミシュランを試そうと 思って買い置いたのだ。
4本のタイヤを交換し、試乗する。
まずはミシュランプロレース2+キシリウム+セルビーノ。
8気圧ちょっと入れたタイヤはしゃっきりしている。通勤用の28Cブロックパターンタイヤにくらべると 段違いにしなやかでダイレクト。しかもごつごつしてないピッタリとした乗り心地。 うれしくて車体をゆすって蛇行する。ああ、サイドを接したときの感触が、パナのエクストリーム限定モデル よりもいいような気がする。やっぱり僕の感性にミシュランは遭うのかもしれない。

次はLOOKに乗り換える。パナデューロ+オープンプロ+LOOK。
デューロはゴムが厚手なのだが、意外と細身で回転は良かった。8気圧も 入れているからかな?車体をゆすってみる。サイドのグリップは、もっさりしている。きっと 高速の下りコーナーはアウトだろう。まぁこのタイヤで攻めるほど僕には技量がないわな。
通勤のシーンでは不要だからかまわないか。
日が暮れて真っ暗になった家の近くを、少しだけ乗って今日はおしまいになった。

晩飯後、夜遅く、兄貴が帰ってきた。結婚式の日取りの話を両親としていた。
新居は二人の勤め先の中間を取って、宇都宮だそうだ。今兄貴の住んでいる那須よりも都会だから 良いだろう。。。ほんというと、実家に戻って僕と交代してほしかったのだが、わがままは言えまい。 あとは早く孫を両親にみせてほしいな。

兄貴の勤めは医療機器関係なので、腰痛についてアレコレ相談した。兄貴も腰痛持ちだったから詳しいのだ。 なぬ、骨の突起というのは、運動選手でよくきく話だそうで、プロ野球選手がひじに出来て、手術で 削るって話を聞いた。でも腰はリスクが高いからやらないそうだ。
僕はなんでそんなに腰の負荷が高いのだろう。痛みは新幹線がきっかけだが、当時それほどたくさん乗っていた わけではない。自転車?むしろ練習を止めたあとに腰痛になった。それに自転車に乗って腰が痛くなった ことは今までないぞ。
3月末に悪化したのは、まちがいなく永代橋缶詰のせいだろう。あそこの机はいやだ。
今日はいつになく腰痛がひどい。かすかに絶え間なく痛い。気分的に頭痛まで感じてくる次第だ。 今日はなんだかすべてが悪循環である。
こんなこと日記に書いて公表したくないが、今の自分はダメダメである。
精神的にも肉体的にも健康的にも、未来的にも過去的にも、ダメダメである。
・・・暴発しないように気をつけよう。

アナウンサー 「NHK、夜10時のニュースです。 昨夜未明、川崎市多摩区のコンビニエンスストアにスプロケット回しを持った男が侵入しました。 「腰が痛い」と数回どなり、店員に駆け寄ったところを、当時店内で買い物途中だった 多摩警察署の巡査2名によって取り押さえられました。 恐喝罪で現行犯逮捕された犯人は川崎市多摩区在住の加藤晋(37歳)で、現在多摩区登戸の多摩警察署にて 犯行の詳しい動機などを取り調べています。」



2006/4/29(土曜)
今日は実業団東日本。でも3月の状況を見て自分の出走は辞めにした。
だから今日はサポートである。
朝4時すぎに家を出てクルマを動かす。腰痛は薬を飲んでるから大丈夫のはずだ。 集合場所にはひさしぶりの顔、顔。あー、僕はずいぶんとさぼっていたなぁと実感する。 大泉JCTから関越に乗る。まだ空いている。渋滞は回避できたようだ。 でもクルマの数が多い。流れているが、道は乗用車で溢れている。やはりゴールでリンウィーク 初日なのだ。
上郷PAでパンを買い、パンを食べつつ月夜野へ向かう。
今日は早く集まったせいか、渋滞しらずだった。
月夜野ICの料金所に降りると、おお、篠山さんカーが居るではないか。 僕はETCカードなので先行する。
そのあといつもの農協コンビニに入って休憩。
今日のレースはBR−1が10時すぎだから、そうとう時間があるな。 群馬CSCの門まで行くと、なんと開門していない。なんだい。早かったのかい。 列の最後尾に並ぶ。クルマを降りて車列を観察する。お、山田さんカーがいるぞ。
「おはようございます。」「なぬ、片倉シルク?ええ。我が家の玄関先にあったのを ご覧になったのですか。ってか、今でも長尾の里で練習をしているのですか。」

話すうちに開門が始まったようだ。
クルマを入れるとコースまで列が伸びた。なんだい1周するのかい。いや、ホームストレートわきの 道にクルマを押し込めるらしい。ホームストレートを登りきったところの右手にある空き地に クルマを止めた。応援にはいいロケーションだな。
そのあとは他のクルマの連中と合流。しばらく談笑する。それにしても時間があまりすぎ。 まぁ渋滞の車の中で時計をみてあせるよりずっとマシか。
高橋君と中野君が芝生でながなが横になっている。僕も真似する。
ぽかぽか暖かい。きもちいい。なんだか久しぶりに何にも束縛されない気持ちになれた。 頭上に森川さんが座っている。今日の参加者は200人以上だそうだ。
「スタート時の並びで最後尾になるとそれでレースが終わりそうですね」という話になる。 一昨年の僕はほぼ最後尾でスタートし、そのまま前へ繰り上がることも出来ずに3周回で 終わったのだ。ま、先頭でスタートしていても、4周回で足切りだったろうな。
それを思うと、よくもまぁ一昨年の群馬200キロは先頭をしばらくキープしていたものだ。 実に不思議だ。気持ちの差だろうか。こういうのは。
今日の群馬は暖かいと思ったが、日陰は涼しい。ウィンドブレーカを取りに自分の車へ戻る。 そうこうしているうちに、BR−1のスタート。他のチームメイトと合流していつもの観戦ポイント、 8%坂のコーナーへ行く。さてどんな展開になるのだろう。
最初、Bossは集団の末尾にいた。あれま。大丈夫だろうか。何周かするうちに先頭近くまで 上がっていた。そうこうしていると、アンカーとほか数名がアタックをしたようだ。 でも差はちいさい。そのあとの集団前方にBossがいる。いっしょに逃げなくていいのかなと 思っていると、次には吸収されていた。
その次の次の周で、アタックが決まったようだ。 10名以上が後続の大集団を引き離そうとしている。おお、その逃げ小集団にBossがいるぞ。 差がだんだんと広がる。最初みたときはほんの数メートルだったのが、次に8%を上がってくるときは 10メートル、30メートル、、、どんどん広がっていく。 なるほど、最初の数メートルのうちに乗れるかどうかは、大事な勝負ポイントであるな。
いつのまにか後続は安定している。その中心か、やや後方に山口君が見え隠れする。 すばらしい。BR−1の集団にちゃんと残っているではないか。 その後周回を重ね、10周ちかくになったのでホームへ帰ることにする。僕は今日は補給の お手伝いをするのだ。
篠山さんはほんとに慣れている。よくよく指示を聞いて、ゼリーとアクエリアスをもって 辻に立つ。声をかけたが2人ともレースに専念している。補給の必要はまだ大丈夫みたいだな。 今日は日陰ではすずしく、水分は100キロちょっとでは補給不要のようである。
ゼリーを持っていると、山口君が「次、ゼリー!」と叫ぶ。「おっしゃ、了解!」と叫び返す。
篠山さんに連絡して、二人でゼリーを持って立つ。前方の篠山さんが渡せたようだ。 補給成功。そのあと集団がスピードアップして最後尾に居た山口君は離れてしまうが、 最後まで善戦して完走を勝ち取った。。。BR−1で完走か。すばらしいなぁ。
本人も今回の目標だったらしい。次回は別のものを心に期しているらしい。 たのしみだなぁ。

一方逃げ小集団のBossは残り5周になっても食らいついていた。17名ぐらいが逃げている。 顔ぶれはほとんどが有名ファクトリーチーム。アンカー、シマノ、愛三、、、、おや、今日は なるしまが一人も居ないぞ。加藤がひそかに応援する小畑さんは今日は調子わるいのかな? このまえのチャレンジロードでは入賞したのに。。。もしかして、あの日、午前の雨中観戦のときに 僕が上げたチョコレートが原動力で入賞できたけど、今日はチョコ食べてないから、逃げに 乗れなかったのだろうか?(5%本気)

17名もだんだんふるい落とされ、1名、1名と減っているようだ。でもまだBossは残っている。 声援にも熱が入る。あ、去年のチャンピオン田代選手が逃げた!これは決まってしまうか?
いや、次の週ではまた14名ぐらいのカタマリになっているぞ。日本を代表する選手だらけの このカタマリ、おお、こわいぐらいの光景だ。Bossが必死で食らいついている。 いけいけ!である。
次の周で、アタックが6名で決まっていた。でも差はさほどでない。20秒ぐらいか。 ただ、後続の10名ぐらいはかなり疲弊しているようだ。Bossもさすがに この攻撃は追いきれなかったようだ。でも、チャレンジロードのときよりもずっと粘っている。
あとで聞いたが、スピード練習が効を奏したらしい。もうのこり2周ぐらいだろう。
ついにジャンがなった。逃げの4名は顔ぶれから見て、もう絶対逃げ切るだろう。 追走の8名ぐらいはだんだんバラけてきた。最後は田代選手の後ろに隠れただれかが最後の直線で 刺して優勝をさらった。。。あと2名もゴールになだれ込んだ。
そのあとはのこり数名がつぎつぎを現れてはゴールをくぐっていった。 その最後尾にBossがいた。あとで聞いたが、飯島選手に最後で抜かれたらしい。 最後の最後まで気が抜けないのだな。彼にしてみれば、生活かかっているだろうし、 ゴール前でスプリント力を使って順位をちょっとでも上げるのは当然なんだろう。

逃げ集団たちがゴールしおわってしばらくして、大集団がゴールへ突進した。
いまさら掛け合ってもポイント的にはほとんど変わらないだろうし、集団だと接触・落車・事故に ならないんだろうか。まぁBR−1で残る人たちだから、技量がちがうのかな。

今日はとっても気合の入ったレースが見れた。
そのあとBR−2、BR−3、女子のレースも見た。
面白かったけど、、でも、見るだけっていうのは、やっぱり空疎だな。はやく腰痛、治らないかな。


2006/4/28(金曜)その2
今日、整形外科の先生からもらった薬を晩飯後に飲んだのだが、それがどう効いたのか、 日記を大量に書きたい気分なのである。不幸にも読もうとしているひとには、なんとも 災難である。

実は京都からの新幹線帰り道、ずっと室内用防音ヘッドフォンで音楽を聴いていた。 これは若い頃好きだった曲である。加藤にめずらしいすっぱい思い出が重なるので すぐに嫌になって辞めると思ったが、過去は遠くになりにけり、いろいろ古い曲が聞けたのである。

小さな団地だった 窓を開けると 遠くに 青い海が見えた
高台の この団地で私は 生まれた
ふもとには 造船所がたくさんあったわ
急な坂道が ずっと続いてた
今でも思い出すわ 海を見てると
あなたにこんな話 初めてしたね あれから何年経ったかな
・・・(中略)
遠い昔のことよ 今は思い出 遠い 遠い昔のこと
今はあなたがいるわ 大切な人 ホントに今とても幸せ
遠い 遠い昔のこと


こういう歌、なんでもない歌。そういうのが好きだった。
このひとは当時、この逆の状態だった。だから良かった。
ふつう、幸せな人は、ぜったいに幸せな歌は歌わない。作れない。
幸せな人間のつくるものは、平凡なものである。非日常のスリルな願望である。
火曜サスペンスか、船越栄一郎である。
(船越栄一郎はチャーミングでグーだと思うが今は関係ない。)
僕はそういうヌルいのがとっても嫌いで、自分に暖かいものは欲しくなかった。
。。。若いときは。若いときはね。(今はそういう若さは微塵も無いねぇ)

以下は同じ人の曲。昔から一生懸命が大好きな僕にとっては アテツケのような歌。

気持ちいい 朝だよね さえずる小鳥
ゆっくり朝ゴハン 食べて出かけよう
爽やかに晴れた空 空気がおいしいよ

またなんでもない歌?また?いや、このあとの展開が痛快である。

久しぶりの早起き 休もう今日は会社

なんじゃー、やすんじゃうのか、コラー。
脱力系である。あまりに爽快なので唖然である。

きれいな秋空 風にそよぐ緑
こんな日はなんとなく有休日 ドライブでもしてみよう
たまには仕事も 何もかも忘れて
ハンドル握ってどこか遠くまで 羽を伸ばしてみよう

こういう歌は、こういうことしない人、できない人の曲だと思う。 そう思うから、だからこの曲が好きだったのだ。 じつにさらりと、いいたいことを、思うことを言っている。やっぱり ステキな曲だ。。。。今聞いても、ね。

こういう曲を聞いて、新幹線のなかで、ブクブク沈没する。 原子力潜水艦・浮上せずである。
暗澹とした表情をしてみる。元気ださない時間というのは、 意外と大切なのかもしれない。


2006/4/28(金曜)
今日はひさびさの本社勤務。
むろん、自転車で出勤である。
いつのまにか春だ。いや、初夏のきざしさえ見える。
今日は半袖ジャージにアンダーで十分だった。
午前中に片付ける仕事がちょい長引いた。おかげで午後からの診察に 遅れそうになった。
整形外科の先生は、わりとわかい先生だった。30代前半だろうか。 たぶん大学病院から派遣されたのだろう。意外といいのだ。これぐらいが。 ・・・たぶん。
月曜に撮影したレントゲンをみる。僕も見る。ふむふむ。かっこいい骨だ。 きゃー、女の子がほっとかないぞ。くっきりシッカリした脊椎である。 先生は写真を見て、そのあと僕を診察台に寝かせて脚を持ち上げたり、 かるく叩いたり、座らせて膝をたしかめたりする。ふーむ。その操作は ほとんど痛くないなぁ。
また机の前に2人すわる。レントゲンを見る。うっとり。
「ここ(腰椎)の骨ですが、わずかに突起が見えます。骨というのは 長いこと負荷がかかるとこのように突起がでることがあります。 写真では見えませんが、その周りにあるやわらかいものを傷つけている かも知れませんね。」
なるほど。長い期間の負荷なのか。
「じつは12月まで激しい運動をしていて、1月から急に辞めてしまって いるのですが、関係ないでしょうか」
「そうですねぇ。たしかに筋力が弱って負担がかかる場合もありますね。 腹筋を鍛えて、あとは腰の周りの柔軟性をよくしたほうがいいですね。 モモの前、後ろのストレッチをしてください」
そのほかいくつかアドバイスを受けて、薬を処方してもらった。
「3週間後に様子を見ましょう。つぎは5月19日ですが、よろしいでしょうか」
おお、糸魚川の前日じゃないか。ラッキー。
「よろしくお願いします」
やばい病気じゃなかったようだ。神経がはみ出たとか、腰椎がずれているとか、 関節がつぶれているとか言うわけじゃないのね。。
でも、3週間後にちゃんとまた診てもらおう。
「ほおっておくと、大変なことになりますよ」(fromブラックホスピタル)
である。

あとはゴールデンウィークをのんびりすごせば、ちっとは休まるだろう、 そんなふうに思っていたら上司から電話。
なんだか話したくないな。
「元気?元気?」「・・・・(ふざけんな)。」
「ゴールデンウィークあけだけど、こっちの仕事をまたお願いしたいんだけど」
「・・・・(また永代橋?)」
「引継ぎはまだ完全じゃないと思うので、またお願いします」
「はい。(滋賀の作業90%でよいって言ったじゃん。
・・・滋賀の担当者はそのつもりで山盛り仕事を出してくれたぞ。
残業時間しかやるヒマないじゃん。後任者を信じろよ。

「現場で別作業しても良いから、2回目の本稼動待機を」
「。。。はぁ。わかりました。(お客までナメとんのか?)」

ゴールデンウィーク明けは、2日間が永代橋缶詰、3日間は滋賀県遠島、ホテル暮らしになった。 いつになったら仕事は落ち着くのだろう。

間の悪いことに、今朝はM課長が昨年度の自己評価について話にきていたのだ。 このせいで一日機嫌が悪いのかもしれない。

「おまえは普段から他人任せにして商談にもいかずに会社の机で事務書類だけにへばりついていて 現場の状況をまったく把握してないくせに、よく俺たちの評価ができるな。根拠あるのか?」
というのを、婉曲に(いや、ストレートに)自己評価用紙の自由記述欄に書いて出しておいた。
コレだから上司に疎まれるのかな。
(これから社会人になるひとは、真似しちゃアカンのである。)
来週はこの紙を使って談判になる。小役人的で平凡な一般論で塗り固めたM課長と、思うままの加藤の対決である。 絶倒抱腹であろう。。。。当人以外は。

そういや出張費13万円も、立て替えたままであった。M課長、はやく書類を回してくれよ!
・・・・不愉快なので定時で帰宅することにした。
帰り支度をしていたら、先輩のKさんが珍しく現れた。いつもは某研究所に出向しているのだ。 なんと、めずらしく背広着ている。わざとらしくジロジロ見つめた。お互い笑った。
「礼服と背広、どっちが着る機会多いかな」
ふふふ。このひとは今でも昔のわが社の雰囲気をもってるな。
しばらく談笑して、僕は見送られて家に帰ることにした。
外にでる。。。ん?外は、、、明るい?、、、明るい?、、、いつのまに夏になったのだ!
もう18時だというのに、明るい?

・・・・季節はワタクシのようなノロマを置いて走るのであるな。

今日はあかるいうちに帰った。
あかるいうちに家に着くと、いつもなんだか悪いことをしたように思えてくる。
学生の頃からだ。
不思議である。
明日は速いので、今日ぐらいゆっくり休もう。

・・・日記らしいな。・・・・日記らしい、人にはどうでもいい内容であるな。
ブログって、、、なんなんだろうな。。。


そういや今日は自宅だった。
ひさびさにインターネットで人の日記を読む。
なるほど、モリカワさんいわく、継続できるものは低俗なものなのだ!すばらしい! 長尾日記ぐらい見苦しいものは閉鎖してしまおう、もう書くのも惨めであると思ったが、 もうちょっと続けようと思う。
低俗万歳!である。
モリカワさんはいつのまにかローラーじゃなくよる練にはまったそうである。 そういや、深夜のジテツーは楽しかったなぁ。前から思うが、真夜中の東京都心は いがいと面白いのである。片側3車線のだだっ広い国道をひとりエイエイ走ると、 なんだか沖縄のゴール前みたいですばらしいのである。いいかも。夜練。
そろそろ自転車かついで滋賀県に行くか?

そういや滋賀にいる間に書こうと思っていたことがある。趣味と仕事の話である。 世の中、こんなこと言う人が居る。
「趣味ばっかりで、しごと真面目にやってるの?」
大間違いである。
私は怖いもの知らずというか、自己評価の高い人間なので、普通の人が寄り付かないような 剣呑な団体に平気で入る。某松原合唱団も、ふつーに入ってしまった。
ここは目がぎらぎらした、人生を合唱にかけている、仕事選びも、子作りも、すべて 合唱団活動次第、という御仁がわんさかいる団体である。そんななかで、長年会長を 勤めた、男声低声部のパートのカリスマのNさんは、団の活動もさることながら、 会社では社長である。
そんな例はごろごろある。
つまり、仕事のできないやつは、趣味も半端、趣味がイケてるやつは、仕事もやっぱり できるのである。あんまり人を誉めると本人から苦情がくると思うが、オーベストで 練習の頑張りぐあいを見ていると、その人が同じぐらい仕事もガンガンやってるのが 想像つくのである。
僕のように一生懸命やったり、全然やらなかったり、変化の激しい人間は、仕事もさぼったり、 集中したりなのである。ダメな人間である。

ただ、こんなダメな僕でも、長尾日記は継続できた。なぜだろう。
・・・
低俗だから!!(キラキラ)

自転車の練習も、あんまし難しいこと考えたり、高望みしないで、低俗に頑張ってみるかな。 さいきん気負いすぎていたかもしれない。出来ないとおもうと、余計に難しく思うのかも しれない。そう、この日記のように、そぞろそのままのほうがよいのかもしれない。

5月からとある計画がある。
それも、きっと低俗にやろう。そうしよう。そうなのだ。

来週もプリマダムとギャルサー観て頑張ろう。


2006/4/27(木曜)
琵琶湖畔は涼しかった。
滋賀県は、結構慣れた。
京都のホテルは、今回は烏丸にした。
夜の京都の町並みは、風情があった。
東京だけか。無着色なのは。


2006/4/26(水曜)
仕事がたくさん。遅くまで残業する。
京都のホテルに帰り、コンビニ弁当を買い、食べる。
シャワーにかかって、寝る。つかれた。


2006/4/25(火曜)
仕事が山積み。遅くまで残業する。
京都に帰って晩御飯場所をさがす。おそいからどこも閉まっている。
飲み屋で飲む気は無い。ラーメンを食べる。
ホテルに帰ると、つかれてそのまま寝る。


2006/4/24(月曜)
加藤家は3人兄弟である。兄、妹である。
全員30代後半、兄貴は40歳か。そろって独身=親不孝モノである。
しかし、ようやく兄貴が結婚しそうである。うれしい。感涙ものである。
あとは妹が片付けば、僕が好きにしても平気だと思っていたが、そうでもないらしい。 兄貴がなんとかなりそうな方向なので、こんどは僕に「どうなの」という矛先が向けられた。 「いそがしいから」と言い訳しておいたが、なんだい、長尾日記を今日読んでみたら 言い訳じゃなく事実であった。あっはっはっは。
学生のころはやりたいことがあってまっしぐらだったのだが、そんなときは山ほどまわりに 女性がいた。が、今はもう、である。職場も女性がすくないし、居ても既婚者が多い。 可能性は限られている。。。。世の中、そういうものなんだろうなぁと思う。 今日は病院にいくことにした。なぜ今日かと言えば、ずっと腰痛がひどかったが ようやく時間が空いたのだ。ふぅ。
9時に会社の病院に行けば、整形外科ならガラ空きだろう。ということは 朝練できるな?
6時前に起きる。外は、、、しとしと雨。がびーん。天は今、僕に味方したくないようだな。 しょうがないので朝ごはんを食べ、そのあとローラー台で30分ほど汗をかく。 ようやく汗をかくのが気持ちよくなった。。。。前途多難だな。 汗をぬぐって背広を着て病院に行く。なぬ?今日は外科医は居るが整形外科医は居ない? あほー。くそー。レントゲンだけ撮って「明日来てください」とのこと。ふざけんな。 明日から3日間、滋賀県だよ。むりに決まってるだろ。「金曜日でいいですか?」 なんとか週末には医者に見てもらえるらしい。はー。。。。こまったもんだ。

そういや、毎週火曜日、夜9時から10チャンネルでビートたけしの番組、 ブラックホスピタルというのがあるのだが、これにはいつも架空の患者例が出てくる。 このドラマ仕立ての患者例はいつもきまって「症状が出ているが、忙しくて病院に行かない」 という筋書きになっている。僕は火曜夜に家にいるときはいつも見ているのだが、
「ばっかじゃない。仕事優先で病院いかないなんてさー。もっと悪化して仕事に穴あけたら どうしようも無いじゃん!休むべきときに休めよ!」
と罵っていたが、まさしく自分の姿がそうだったようである。。。。ナーム。。。

金曜まではアリナミンEXを飲んでしのぐのである。
今週は火曜、水曜と京都に泊まって、滋賀県へ通う。
・・・・・
・・・・・
腰痛、治らないかな。

夜、WBS前になんとか帰宅した。明日から滋賀県出張だ。 渡邉さんを見習ってキャスター付き旅行かばんにパソコンとワイシャツ類を詰めて 荷造りした。意外と重いものでもだいじょぶのようだ。調子にのっていろいろ荷物を増やす。 まずは、、電車の中用に小説(司馬遼太郎「燃えよ剣(上)」、MDウォークマン、それから、 MDはなににしよう。。。ああ、あけてしまったパンドラの箱。
MDは大学院、就職してすぐのころずいぶん使ったのだ。
そのころの曲を聴けば、そのころのことを思い出す。
切ないことばかりだ。
ひとりで出張。。。。耐えられるかな。

....Libera Me


2006/4/23(日曜)
腰痛悪化。

2006/4/22(土曜)
腰痛はわりと治まったので今日はゴウさん主催の練習会に出た。
まぁ半分はサポート練習なので足手まといになることもあるまいと思い、出た。
練習は、詳しくは後日書くが、けっこう楽しかった。特に横ならびで幅寄せってのは 初めてだったから勉強になった。ハスるのはいつぞやの大井埠頭でガッシャーんやったから もういいや。あのときは前走者が減速して、加速しようとした僕がぴったし真後ろで タイヤが真正面からハスってハンドルごと飛び上がったのだ。
仕事は一時期の異常事態も去りつつあり、あとは毎週3日の滋賀県出張をなんとかすれば 練習のメドもたつはずだろう。。だろう。。。うーむ。


2006/4/21(金曜)
仕事を夕方に終えて、今日はホテルじゃなく神奈川へ帰るのだ。
しかしすっかり大津に慣れた。登戸とタメを張れるレベルの田舎町だが、 なんだか人心がおだやかで、ちょっとタイムスリップしたかんじで、わるくないものだ。 親戚に山中というのがいるのだが、ああ、ばあちゃんの家系を思い出せば不自然さはないな。 ホテルは京都だったが、はっきり言って京都の女の子はみんな京都っぽい。なるほど、 悪くあるまい。そういや大津は生徒以外、若い女性をみないな。
路地うらを通って駅へ向かうと、手作りの飴屋さんがあった。木枠のガラス戸をあけて ごめんくださいと頼む。なかなかきがつかない。ガラスケースに昔ながらの飴細工の 飴玉が並んでいる。一袋210円。しばらくしてようやくおばあちゃんが出てくる。 こんな真っ黒いコート着た若い男が店に入ってきて怖くないだろうか? ミックスというラベルのついたのをひとつ買う。お金を手渡す。
いいねぇ。
さっそく駅まで一個ほおばる。僕は飴を食べると口の中が荒れたりするのだが、 この甘さ控えめの、本当の砂糖細工の飴はやさしいようだ。工業製品独特の ケレン味が皆無で、むりやり食べさせる魔力はないが、なんだかこれでいいじゃんと 思うトゲのない味がした。
そういや、自転車で走った後食べたらどうだろうな?
そのあと京都に出て、新幹線に乗る。
今日は東京についたら門前仲町まで出て、前のお客さんとの飲み会に参加しないといけない。 でも、ちょっと疲れたし、今から行って夜8時前について、2時間飲んで、12時に帰宅したら 翌日の練習がつらいから、練習優先でサボらせてもらった。
いままでさんざん、仕事のために自転車練習できなかった生活の舵を切ったのだ。 上司には悪いが、しょうがあるまい。ワタクシの鯨飲馬食では接待になるまいし。


2006/4/20(木曜)
昨日の焼肉パーティーのおかげか、すっかり溶け込んでしまったようだ。 なぬ?2日目で?
今日は会社の上司が別の商談で関西に来ていたついでに覗きに来たのだが、 すっかりなじんでるじゃないかと大喜びだった。ほぇ。 よっぽど柔軟性がないと思っていたのだろうか?・・・・
この上司、僕のことを「もしも幕末だったら新撰組だね」という。 何でだろうと聞くと、どうやら課長3名を言葉でバッサリ一刀両断するかららしい。 うーむ。僕は海援隊や土佐勤皇党ではないのか。びみょー。
(京都出身の彼からみて、芋臭いのか?)

そういや司馬遼太郎「燃えよ剣」はまだ読み始めていない。 龍馬の最後がくやしくて、なんか読めないなぁ。 別に新撰組がやったわけじゃないんだけどね。


2006/4/19(水曜)
今日からひとりで滋賀県常駐である。週3日である。
ホームシックで毎日めそめそ泣くかもしれない。
いつのまにか土着性質になったようだ。

腰痛はだいぶましになった。原因がわかったせいだろうか。
朝6時ごろに目が覚めたが、しばらく布団のなかでテレビをみる。 今日は13時に大津へ行けばいい。だからウチを9時に出ればいい。 7時に起きて朝ごはんを食べる。そのあと軽くローラー台。 だめだなぁ。。すっかり身体の体質がダメになってしまった。 爽快感ゼロ。
着替えてワイシャツを2つかばんに入れ、パソコンをいれ、 下着と髭剃りを入れ、膨らんだデイパックをどっこらせと背負って出かけた。

新幹線はエンピツ号でなく ペリカン号に乗り込む。 こっちのほうがゆれず、席がひろいはずなのだ。 大阪どまりなのに、博多行きエンピツ号より込んでいる。なんでだろう。 車内ではパソコンを起動。さーて、しごとするのか? まさか。ゲームを起動する。ぴこぴこ。
しばらく熱中していたが、だんだん乗り物酔いでキモチ悪くなってきた。 東海道新幹線は揺れるなぁ。。
名古屋を過ぎたころ、新横浜で買ったお寿司の駅弁を食べる。 ぱくぱく。意外とボリュームがあったようだ。まんぷくだ。 京都に到着。琵琶湖線にのって大津へ。
着いてさっそく作業概要の打ち合わせ。ぱきぱき進む。よしよし。 さっそく設計を始める。
6時になった。残業しようかなーと思ったら、声をかけられる。 なぬ、飲み会?○○工程の打ち上げ?
さっそく着いて行く。おお、近江牛の焼肉が食べ放題、ビール飲み放題じゃないかっ。 焼肉ガンガン、ビールもがんがん、日本酒も。。3時間ちかく肉ばかり 食べまくった。
プロジェクトの雰囲気は、意外となじめそうだった。なぜだろう?
関西にまったく縁も知人も無い僕にしては不思議だ。。。いや、そんなことない。 良く考えれば、父の母は近江八幡出身じゃん。なーるほど。さほど他人の土地にも 思えないのも不思議じゃないな。
「小さいころから鮒鮨を食べてたよ」と言ったら、超・地元のおにーちゃんに びっくりされた。「鮒鮨はそのままだとしょっぱすぎるから、酒粕につけて 塩抜きしたらおいしいですよー」と教えてあげた。妙だ。ははは。

9時にお開き。ホテルに帰って「プリマダム」を観ようと思ったら、なんと 野球中継で30分繰り下げ?10時半からだって?ぐー。 おもわず寝てしまった。で、起きたらちょうど始まるところだ。ぴったし! 今日は初日から、忙しい日だった。


2006/4/18(火曜)
深夜に目が覚めたが、あれ、腰痛はだいぶ楽になったぞ。アリナミンEXのおかげかな? 病院にいこうと思ったが仕事を優先する。
午前中に出先の用事は終わりにして、午後は本社に戻る。
しばらくメールをしていた。おお、22日の練習たのしみになったぞ。 それにしても腰痛がまたひどくなってきた。頭痛まで併発したぞ。 こりゃたまらんと思い、健康管理室に逃げ込む。
相談すると、いろいろ教えてくれた。
腰痛と一口にいっても骨がずれているとか、神経がはみ出すというばかりではないそうだ。 ストレスで腰痛、頚椎痛になることもあるそうだ。
運動していたのを急激に辞めると、いろいろ弊害があるらしい。
腰のあたりは大殿筋と連結しているそうで(たしか聞いたことあるぞ)、全然歩かなく なると腰の周りが退化し、すわり仕事ばかりしていると腰に負担がかかって腰痛になる そうだ。ふむふむ。たしかに。
そういえば、僕の3・4月を思い返せば、長い勤務時間(14時間ぐらい)、休憩なし、 昼食とトイレ以外は椅子から離れず。せまい部屋に狭い机に大勢が肩を寄せ合って 座っているので姿勢も変えられない。
仕事はいそぎ、通勤は電車で1時間20分、しかも大嫌いな満員電車という、つねに 高いストレス状態。決め手は月何度かの腰痛デパート・新幹線で出張。

・・・・・

・・・唖然。

ビンゴすぎるじゃないか。
頑丈※だけ※がとりえの僕でも、さすがに責めがきつかったようだ。

 「かとーさんのばあいは、運動したら案外治るかもしれませんね。」
 「ええ、そうです、そうです、自転車に乗って(汗かけば)、、、」

それがしたくても仕事がなかなか許さなかったのだ。でももうすこし辛抱のはずである。

 「他の病気の可能性もあるので、一応病院でレントゲン撮ってもらった方がいいですよ」

きっとそれができるのは来週である。
それまで悪化しないことを望むのである。

(中略)
今日は腰痛悪化のため、早く家に帰った。17時だ。すごい。
運動不足解消のため、軽く自転車に乗る。ひさびさのセルビーノ。 登戸ちかくを通り過ぎ、多摩サイに出て、二子玉川方面へ。 ライトを付け忘れたので引き返す。 久地駅を通過し、いえに帰る。
晩飯後、「竜馬がゆく」を最後まで読む。

・・・

明治維新という、世界にまれなる革命、つまり封建社会から、憲法と議会を持つ近代国家に あざやかに変貌したのは、この英雄が震源地だったようだ。
数年前にもこの小説を読んだが、中途で止めた。
面白くなかった訳ではない。その逆だ。竜馬に心酔してしまい、のち非業の最期を遂げるのが どうしても読みたくなかったのだ。
今晩、それを読んだ。
すこし救われた気になったのは、大政奉還がぶじ終わったあと、ということであろうか。

司馬遼太郎の考える、物語としての竜馬は、なすべきことを果たして、この世から去った。 本当のところは、どうだったのだろうか。
かれはあのとき、大業を果たして、ほっとして気が緩んだのだろう。それは間違いあるまい。 よく分かる。まったく良く分かる。で、その隙を狙われたのだ。だから、やはり過去実在の人物、 坂本竜馬は、己の志を果たして、本人も意識の内か外か分からぬが、その成就を知りつつ 最期を迎えたのだろう。
志のある人生は美しく、充実して、光り輝いている。
ただ、柔軟性はなく、仕事を終えたあと、余生を楽しく、などというページは有りえないのである。
残される身にはさびしいような気がするが、そういうものだと、得心したのかもしれない。 己はいわゆる勤皇志士から超脱した海運海軍の男と思っていたのかもしれないが、意外や、 もっとも優れた志士であり、その頂点だったのだ。その死が、それを示してしまったのだろう。
おつかれさまでした。昭和後期と平成は長いこと平和で、まったく男のすることはないように思う。 実に幸せな世の中である。私はそんな時代に生まれて、これからも平平凡凡とすごしていきたいと思う。 そういやこれからのニッポン、いや、世界全体が均質化してるからどこでもいいけど、いったい 人の暮らしと未来とは、どこへ向かうのだろう。
数年前、大学院に戻って戸田先生の講義を聞いて、なんだか漠然とした不安と混迷の時代を予感した。
「さてどうするかは、、、(君たちの世代でしょう)」と先生はおっしゃった。
その不透明、先生のお蔭で感じることができた。でも、どうするかはまったく分からなかった。 まさか、若い僕ら学生(と僕のようなニセ学生)になぞかけをしていたのだろうか。。

最近の僕は日々にかまけて、「べつに今でいいじゃん、じゅうぶんじゃん」と言う。
歳をとったのだなぁと、しみじみ思う。
所帯を持たないのに、ずいぶん世間ずれしたなぁと思う。
逆に結婚して子供つくって、さっさと済ませてしまえば自由だったかも知れない。
まぁそうならないのは、それなりに理由があるのだろう。世の理というのは、意外とよく出来ているものだ。 さっさとアメリカが世界中を均質化しちまえば、その問題は表面化するのだろうか? そういう日がやってきたとき、また20代に戻してもらおう。将来の科学でさ。はっはっは。


2006/4/17(月曜)
のどだけ痛いが、風邪は抜けたようだ。よかった。
でも、1週間練習をサボったせいで脚の筋肉が痙攣をはじめた。
昨夜は夜中に腰痛が悪化した。新幹線腰痛もここまでくると拷問である。 もう、身体のバランスが崩壊したのだろう。
のどの痛み、激しい腰痛、大腿四頭筋の痙攣。。。職場でうなるわけにも いかず、ぐっと我慢。
もともと腰痛は学生のころ一度患って以降は10年ぐらい皆無だったが 両親、兄弟、みな腰痛経験者であり、僕もご多分に漏れなかったようだ。
家に帰ってバンテリンを塗る。。。塗った直後は効いたようだが本質的には 変わりないな。しばらくしてアリナミンEXを飲む。そして寝る。


2006/4/16(日曜)
風邪は治った。。。まったく、上司に風邪をうつされてしまった。 と言っても、熱は(僕の場合)全然出ず、喉が痛くて鼻水が出て、 呼吸器系にくる病気だった。
水曜に仕事は一段楽して、木曜やすめるかなーと思ったら 「滋賀県へ出張してくれ」と来たもんだ。人使いあらいね。 木曜日は朝から風邪と疲れで重い体を引き摺って新幹線に乗り込む。 新横浜へ帰ろうと思ったら上司がふざけた一言。
「来週から週3日滋賀県」あほー。
やだなぁ。仕事とはまぁしんどいものだ。
来週、現地の担当者と話し合って、週2日(つまり1泊)で済ませるように ネゴれるか頑張ってみよう。。ちょいと難しい調整だが。

今日は散髪したかったが風邪直後なので止めておいた。 夕方会社に行きメールチェック。だんだん病気だな。 まぁ30〜40歳でヒマだったら危機なんだが。
そういやオーベスト関連で仕事が溜まっていたっけ!!
ウチに帰って晩飯後にPCに向かい、とりあえず日程を直す。ふぅ。 ランキング表も直し出すが、、計算が分からない!あー、家のPCに EXCELぐらい入れておくのだった。。なにせ、秀丸とALMAIL以外は 一切なし。。。しんぷる〜。。
あ、ゲームソフトがあったか。
しょうがない。明日会社のPCで計算しよう。そうしよう。。。
これはヒミツである。だからこの日記は会社のひとに絶対に 教えられないんだな。ふぅ。


2006/4/16(土曜)
今日ものろのろ、だらだら。
買い物したり、ちょっと出かけたり。
うーん、来週からは出張の激務だな。。。


2006/4/14(金曜)
風邪が悪化し、疲れもたまり、ついにダウン。
今日は会社を休んだ。
ベッドのなかで寝つつ「龍馬がゆく」を読む。
だいぶ息が戻ってきた。
でも腰痛が悪化してきた。
不規則な生活、急激な運動と、急激な不摂生。
もはや脳神経は調整のコントロールがきかないのだろう。
身体じゅう、無理が悲鳴を上げてきしみだした。
僕も無頓着すぎるのかな。


2006/4/13(木曜)
新幹線に乗って京都へ。
京都から山科の桜景色を車窓から見ながら大津へ。 16時にひと段落したので先に帰った。
ふぅ。。。。やっぱり遠地の出張は疲れるな。
それを考えると、大谷さんは超が3つぐらい付くタフなんだな。

さいきん鼻水が止まらない。のどが痛い。でも熱も無ければ頭痛もしない。 風邪っていうより、花粉症みたいだな。


2006/4/12(水曜)
今日は撤退作業するつもりで電車で来たが、まだ作業があるようだ。 てきとうに片付けだけして、午後から本社に戻った。 明日は滋賀県にいかないといけないので準備があるのだ。 今日は自転車に乗っていない。
電車のなかで司馬遼太郎「竜馬がゆく」がたくさん読めた。


2006/4/11(火曜)
はて。何をしたっけ。
僕の担当はあっさり終わった。
他では各所まだまだ戦火が燃えている。
全体的にだいぶ収束に向かいつつある。これからは 時間でどうにかなるだろう。
週末は休めるだろうか。
のんびり他の人の作業をみて過ごしていたら、なんともう 自分の担当の仕様変更が舞い込んできた。まぁ、仕様変更というより 設計時の案件漏れというかんじか?実際に作ってみないと超膨大な データの詳細までは分からないものだ。
修正もあんがいカンタンに終わった。
だいぶ人間らしい暮らしにもどれそうである。


2006/4/10(月曜)
昨日の夜に、自分の担当個所が峠を越えた。
今朝、起きたら喉が痛い。
油断して風邪をひいたかもしれない。
今日は早く帰って、つまり22時ごろ帰って すぐ寝た。でない、すぐ寝る。
おやすみ。ぐー。

(日記その2) 2006/4/11(月曜)
長かった?でも楽しかった?
永代橋常駐は、本日で一応けりがついたようだ。

ようだ、というのは、ちょうど今、最後のデータ確認をお客さんがしている最中で 待ち状態なのである。お客さんから「オールクリア」が出れば晴れて完了、打ち上げ?である。

今回のプロジェクト体制は勤続15年以上、主任クラス以上がごろごろいて、僕のようにちょうど10年 ぐらいのプロジェクト無し主任というのは若手扱いになってしまうような「自分で動ける」集団だった。 しかもカラーの全然ちがう、できるのが居て、その割に上手くまとまっていた。

今回の仕事は短期で、おまけに普通ならば混迷を極めて顧客とゴタゴタが発生して雰囲気の悪い 煉獄プロジェクトになるような内容だったのだが、そこは弊社のエリート女史2名という出刃包丁と、 オジサン設計者の手堅い守備と、適度に元気なワカモノの潤滑がじって、相当難解な問題も お客さんと一緒にいい雰囲気で乗り越えることができた。いやはや、要するに加藤的にも 面白かったのである。

で、僕の担当分野というのは、お客さんが「もっとも難解」という触れ込みの内容だったそうだ (え?そうだったの?最後になって打ち明けないでよ。。)。なるほど、そこは弊社の赤兎馬、超エリート のボク(あっはっは。うそつけ。この前ポイ捨て(左遷)された不要人材のくせに。)が担当していたので、 プログラム処理の問題は初期バグ除いて一切無く、お客さんが理解している自分のシステムの矛盾を 一緒に再確認したり、仕様変更に対応するだけでなんとか乗り切ることができた。
もしもここで僕がバグだらけのものを納めたとしたらどうなっただろう?お客さんは出力データを 見ても、なにが正しいんだか、なにが原因で異常になっているのか、プログラムがわるいのか、 自分たちの構想が違うのか、誰のせいなのか、あいつが悪い、俺は正しい、、、もはや解決不可能の 泥沼にすぼすぼ埋没して短期決戦の構想が瓦解しただろう。
ひとつひとつ調整が済み、最後にお客さんから「●●データ、上手くいきました」の連絡が入ったとき、 僕は今回一緒に開発を進めたオジサン設計者と、ガッチリ握手をしたのである。

今日はめずらしく威張って尊大に日記を書いているな。いや、実にいつもどおりの自己肯定記録か。 あっはっは。

しかし、笑えるのが、こんだけ現場でみんなが頑張っても、われらを統括するM課長は ぜーんぜん知らないだろうなということである。まぁこの課長に期待するほうがおかしいってもんだが。 それに個性派ぞろいのメンバーを有能な課長が纏められるはずはない。これはこれでよいのである。 で、僕は今年も資格試験をサボる予定である。だから今年の僕の査定で、M課長はきっと、
「君は向上心が無いので、マイナス査定でいいですか?」と平気で言いそうである。 まぁ世の中そんなものである。もう、めんどくさいのである。評価なんて。 知ってる人は言わなくても知っている。知らない人は説明しても理解できない。 M課長の上司の上司、加藤の敬愛するS部長、、じゃない、S事業部長を僕は信頼してるから、 当分クビにゃならないだろうし、クビにならなきゃ、もうてきとーに働いて、あとは時間を空けて 自転車乗って、しあわせである。
今回の永代橋、ひさしぶりに一生懸命仕事したような気がする。
昨日からちょっと気を抜いたので、風邪をひいたらしい。
木曜日は滋賀県出張。来週から滋賀シフトだそうだ。

・・・あれ?明るい道だぞ?へんだなぁ。どうやらエリート女史らと一緒の仕事をしたせいで いつのまにか裏街道から表の大通りにとび出ちゃったようである。いかんいかん。泥道に戻らねば。 明るい世界の作法なぞ俺はしらん。泥沼の我慢しか分からんぞ。こりゃ苦労しそうだな。ふぅ。。。

明日のことはともかく、今週末はたっぷり寝させてもらおう。
いつどうなるか分からぬ日々なのである。


2006/4/9(日曜)
今気がついたが、JCRC第一戦のHP、トップ写真に森川さんが映っていた。

今日も仕事。ははは。
朝ゴハンたべ、ちょっとPCやって、着替えて。
今日もLOOKで永代橋へ。
ビルに吸い込まれ、昼ゴハンどきに一旦外に出て、また入って、次に出たのは23時。
今日も23時。
日曜深夜の国道1号、中原街道は空いている。当然だ。
でも、なぜか丸子橋は混んでいる。ふーん。
小杉からはいつもの通勤路。
帰宅時間は0時を超えている。
今日も風呂に入って寝るだけ。
お、この日記を書いたぞ。
明日も、きっとそうだ。
でも毎日たのしい。
自転車に乗ってるし、仕事も超大車輪だけど、みんな頑張ってるし。
なんだか学生祭の前夜みたいだとだれかが言っていた。
現場はそんな雰囲気だ。
今週中にシステムの公開。
終わったら休める?いや、滋賀県出張が控えていたりして。。。
はっはっは。。。(でも今よりラクになるはずだろう)

さて、寝るとするか。寝る寝る。


2006/4/8(土曜)
朝飯食べて、そのあとPCでメールよもうとウダウダしていたら 催促の電話が。
電車に乗り、客先へ行く。
昼にゴハンたべに、いったんビルを出る。
つぎは23時にビルを出た。
日付が変わって家にタクシーでつく。
今日はウィークデーだった?


2006/4/7(金)
むろんジテツー。
片道29キロあった。
往復で約60キロだった。
23時の国道1号は、車がいない。レースが出来そうだ。
0時ごろの中原街道もガラガラに空いてる。
丸子橋はさすがにクルマがたくさんいた。

晩御飯食べるひまなく、菓子パンだけだったので 溝の口付近から燃料切れを感じはじめ、長尾坂を登るときは もう、アタマがボーっとしてペダルを踏めなかった。。。
0時すぎに帰宅し、みかんを食べた。


2006/4/6(木)
つかれた。いい疲れだ。
今日もジテツー。
永代橋まで。
とにかく眠い。
ねよう。
おやすみなさい。


2006/4/5(水)
眠い。つかれた。だるい。
電車通勤、深夜労働、どちらも超・超・しんどい。
往復50キロのジテツーのほうが、はるかにらくだ。
深夜労働しても、ジテツーなら寝起きもいいのだ。
きっと運動すると、身体の毒がぬけるのだ。
あー、今日はずぶずぶと沈む。雨なんか降るなよな。


2006/4/4(火)
今日は直出・直帰なのでお客さんのビルまで自転車で行った。 土曜に続いて、今日も決行である。
朝7時半に家を出る。土曜の試走から考えて、9時前につくはず。 トラブルがあっても9時半にはなんとかなるだろう。よしよし。 いつものとおり南武線沿線道路を走り、今日は武蔵中原で左折。 中原街道を進み、丸子橋へ出る。
丸子橋を渡ってそのままずっと五反田、白金まで中原街道。 そのあと国道1号線にのってひたすら東京へ東京へ。 今日は道を間違えず国道一号の右折する交差点を確認。。。というか、 あー、この分岐点、自転車は2段階右折もできないじゃん。 5車線の道路のどまんなかを走るなんて、あおりータクシー相手に ぜったいできないよ。国道1号を走れないってわけじゃん。くっそー。 さいてーじゃん。
しょうがないのでひとつ先の交差点まで進み、そこで右折して 市道を進み、国道一号の横っ腹に突き出る。 いきなり交差点で停車するタクシーをすり抜けようとするが 背後から大きな大きな気配が。。。やばい。。。 ふっと振り返るとバスであった。
「おさきにどうぞ」
バスの運ちゃんがスピーカーで先を譲ってくれた。 手信号でお礼をして、先に行かせて貰う。 都内でのジテツーは、自動車と共存が鉄則である。 共存の第一ルールは、事前に信号をだすこと。これに尽きる。
「右まがります」
「車線を変えます」
「急減速します」
全部クルマへ合図する。クルマの運転手というのは 「不測の事態」をもっとも嫌う。なぜなら、かれら自動車と言うのは 人間の反射神経以上のスピードをつねにコントロールしているので あらかじめ相手の動きが分からないと判断が間に合わなくてパニック になるのである。だから動きのわからない自転車を極度に嫌うのだ。

僕はそういう意味で、よっぽど素人でアタマのバカな皇居前と新橋駅前のカッペタクシー 意外に、いやがらせを受けることはまずないのだ。

そんなこんなで今日は国道1号を走って三田を通り過ぎ、神谷町の東京タワー ちかくを通り過ぎ、最後は皇居の桜田門にぶち当たった。 皇居を4分の1周回って大手門で右折し、永代通りをまっすぐ下って 今日もつきました。ふー。
今日は1時間20分ぐらい。。。土曜より若干おそいな。 なぜだろう。混んでいたから??かんけーなさそうだけど。

トイレで着替えて、赤い顔して席につく。
しばらく酸欠で仕事の能率が上がらない。はっはっは。
りっぱな社員だなぁ。

夜は9時半に会社を出る。というのも、11時ごろから雨と言ううわさである。 今日こそ道を間違えないぞと意気込んだが、やっぱり間違えた。 三田の右折も、むりだよ。自転車にはさ。
クルマといっしょに4車線のど真ん中走るなんて、よっぽど流れに乗らないと やばいし、横断歩道がないから二段階右折もできないし。さいてーじゃん。 くそやろう。
しょうがないので次の信号で右折するが、どうも道を間違えたらしい。 加藤の大好きな?いや、結果として大好きな第一京浜に戻ってしまった。あっはっは。

第一京浜を品川までずんどこ進み、五反田で国道1号に復帰し、すぐに中原街道に折れて、 あとは丸子橋までひたすら走る。
すると前方にチャリ乗りがいる。おそいなぁ。でもMTBにフラットペダルだけど、 顔つきや、メッセンジャー風の服装から見て、かなり距離を乗っている人だと見た。 そのひとは信号無視するので、信号で抜かれ、走っている間に追い抜き、、をなんども 繰り返した。
そのうちいなくなったなぁと思ったら丸子橋についた。 あとはいつものように南部沿線道路を進んで帰路へ。。。 合計50キロ少々。まぁリハビリにはいいかんじかな?
明日は雨。
次はあさって頑張ろう。

やっぱり身体を動かすってのはキモチイイ。
身体に毒が溜まっていたのがすこしぬけた気分だ。
それにしても、この重たい身体はかなりの練習が必要だな。
あーあ。フォームの変になったし、過去の努力がむなしくなったな。
ちょいとがっくりである。


2006/4/3(月)
今朝、事務用事で本社に出社したら複数のひとから
「いつから小杉復帰ですか?」「いつ戻るんですか」
と聞かれた。
ちょっとうれしかったりして。
昼前に用事をすませて最前線へゴー。
外は暖かくここちよい陽気。こんな日に地下鉄のるヤツはバカであろう。 国電(いや、JRか)に乗って東京駅へ行き、そこから永代橋まで歩いた。
今日も遅くまで残業。そういやWBSって11時半からになったのね。
今の仕事、忙しいけどお客さんとは良好な関係だから、わるくないな。
来週までになんとか仕上げて、もうすこしマトモな生活をしたいな。

プライベート時間、すくなすぎだもんね。
メールも打てやしない。。。睡眠削ってHP書くのも馬鹿だなぁ。 さて、ねようねよう。


2006/4/2(日)
雨のなかお疲れ様でした。
詳細な「応援」リポートは後日??


2006/4/1(土)
今日は休日出勤なので、カジュアルでもお客さんの守衛に見咎められないと思い、 自転車でいくことにした。
永代橋までのコースは単純。
自宅を出ていつもの通勤コースで武蔵小杉まで行き、そこから中原街道に出て ひたすら登り線を五反田方面まで走る。
五反田手前で国道1号線に合流するので、1号に乗り換える。
ずっと国道1号線を走って皇居まで行き、皇居の大手門で右折し、永代通りを東進して 日本橋、茅場町を通り過ぎて永代橋へ。片道で30キロないんじゃないかな?

ひさしぶりの実走。どうやら心肺機能がまずダメになるようだ。
脚は回るが、息が辛い。くるしいなぁと思いつつ小杉到着。おお、20分ちょっとだな。 会社のビルの前を左折し、市道を走って中原街道に出る。丸子橋を渡って東京へ。 なんと、丸子橋から環八までのゆっるーい坂がきつく感じられる。なるほど、知ってる コースを走ると如実に衰えが分かるな。
環八を横断し、環七を横断。意外とペースがつかめる。歩道では自転車に乗った警官が 4人、のんびり坂を上っている。キミキミ!そんなんじゃロードは逮捕できないよ。 全国の警察でロードを100万台ぐらい購入すれば、量産効果で安くなるんじゃないの? ・・・・国内フレームが、さ。
30分も走るうちに身体もすこしは起きたのか、辛くて遅いながらもなんとかマシに 走れるようになる。ふぅふぅ。きっと沖縄80キロ完走したころのほうが今より速いなぁ。 と思う。そんなこと考えていたせいか、いつものように白金ちかくで道を間違える。 Y字路で溜池山王方面の415号と三田方面の1号に分かれるのだが、左沿いに走るので 415号に進んでしまう。まぁお台場通勤のときによく間違えたルートだ。 坂をうんせうんせと登って六本木に出て、首相官邸、国会の前を通り過ぎてようやく 皇居へ出る。ふぅ。
今日は暖かく、皇居周辺はマラソン市民ランナーがたくさん走っている。いいねぇ。 こっち(自転車)もいいよぅ。僕は車道で素人くさいタクシーとか軽トラックと競り合いながら 大手門へ回る。
大手門前で右へ曲がり、永代橋をひたすら海へ走る。えいえいえい。
このあたりは道はひろいがクルマはイナカモンか素人が多く、自転車には危険なところだ。 常に背後に気をつけて走る。えいえい。
最後に永代橋を渡って、お客さんビル到着!ふー。いいかんじだった。
時計を見たら、なんと1時間10分ちょっと。電車よりも早いじゃん!
電車は乗り換えに失敗すると超・遅い。深夜の南武線は15分に1本ぐらいしか来ないから タイミングが悪いとタイムロスが大きい。これはいける!
ということで来週から万難を排してジテツーである。
いちおう上司の理解は得たし、というか、認めなかったら仕事のモチベーション下がるぞ! と言外に伝えたら黙認になったようだ。はっはっは。(クビの日が近い?)

通用門に行ったら顔の知らない守衛さんだったが「○○社です」と言ったらすんなり 受け付けさせてくれた。まぁ土曜だし。
トイレでごそごそ着替えて、ワイシャツ、ネクタイ、スラックス姿でふつーの顔して 作業場である情報ルームにはいる。ふっふっふ。成功!
これぐらいたのしくなければ休日出勤なんて、ぜったいしないだろう。僕の場合。

仕事は意外に早く終わった。お客さん担当者の一人が病欠?で来なかったので 仕事が減ったからだ。平日の定時ぐらいに退室する。お先に失礼します。
またトイレに入ってごそごそ。
守衛さんに挨拶して記帳する。あ、この人は顔しってるぞ。向こうも知ってる表情だな。 難なく通り抜け、門わきの郵便ポスト裏に隠したLOOK381を引き摺り出す。 ぶっといワイヤーロックを外して、ヘルメットかぶって、さて、帰りますか。

同じ道を帰ればいいやと思ったが、気が短いのか、永代通りの信号の多さに閉口して 大手門につく前に左折してしまう。 海岸沿いに出れば国道一号線と合流するだろうと思ったらいつまでも合流しない。 ああ、日比谷通りは第一京浜と接続するのか。。。はっはっは。道を間違えた。 これもお台場通勤の帰路でいつも間違える失敗である。 いつものとおり間違えて、いつものとおり見慣れた第一京浜を馬になった気持ちで奔走する。
はぁはぁはぁ。
品川をすぎたあたりで看板が目に入る。五反田への迂回路があるらしい。 わき道に出て第一京浜の下をくぐって右折し、暗い1車線道路を走ると五反田駅前に出た。 おお、復帰できたぞ。
そのあとすぐ中原通りへと右折し、あとはエイエイと中原通りを走って多摩川まで帰る。 丸子橋を渡って小杉へといけば、あとはもういつものコース。なれたコースで安心する。 久地駅まできたら、なんだか前腿が貼っている。珍しいなぁ。ペダリング変えたのに 前腿が疲れるのは、ストップアンドゴーで踏みおろしていたのかな?意識しないでも あれができるようになるのは難しいな。ってか、ちゃんとしたフォームにあった筋発達が なされてない結果なのかな?(その点、若林さんは正常進化だな)。
長尾坂は通称「女坂」をとぼとぼ登って家に着く。
ふー
。。。。 久しぶりにまともに乗れた。嬉しかった。
明日はチャレンジロード。皆を応援するしかできないけど、今日みたいな通勤を続ければ また練習会復帰できそうだ。うむうむ。