トップページへ |
長尾日記 | |
今月のオススメ? まぁココの訪問者でオペラ聴く人は皆無でしょう。参加団体がちっと面白い。 若き日の芸術家志望ヒトラーの愛した、おそらく最も心酔した曲。 ジークフリートじゃないんだって。リエンツィだって。。。僕と同じジャン。 NHK大河ドラマ時代劇なんて真っ青の、壮絶なお話。 あらすじ。 ヒトラーとワーグナーと。 2006/5/31(水曜) ひとりの出張は気が楽かもしれないが、会社の面子を一人で背負うようなものである。 あんまりだらしないわけにもいかない。ということで、早退(陽のあるうちの退出)もせず、 夜間まで残業する。あほである。 仕事は5月末でひと区切りついた。いったん収めて、ようやく首が回るようになり、 周囲を見渡してみる。 僕がわずかに遅れつつも一番に先行していて安全圏にたどり着いたようだ。 これで立つ瀬があるというものだ。ふぅ。 周囲は、かなり遅れが激しい状態である。みんな大丈夫なのかよ?っな状態である。 てか、僕だけがへんに気負いすぎただけなのだろうか? (でも、気負わない仕事って、何?) そういや、小杉の本社では、今度上司が変わることになったそうだ。 今、僕の担当している技術(ソリューション。。。っていっても専門用語だからわかんない?)は 商談が活発になってきて、事業部内でかなり期待されているらしい。。。期待されているから、 課長交代?なんだそれ。 でも、M課長みたいな守銭奴、事務作業ばかり精を出して商談に出ない、ビジョンも言えない、 プロジェクト状況は事務的な報告しか理解する気がない、そんな居ても居なくてもいい課長、 外にでない幹部職は閑職へ動かして正解だと思う。 異動を決めたのが、わが敬愛するシマダ副事業部長か、あるいはその手下のK部長かは わからないのだが、じつに真っ当な判断である。(とすると、シマダさんかな。やはり。) M課長、2006年になってようやく「やる気」になったみたいで、すこしづつ社外にも出るし、 現場の状況を知ろうとする努力を始めた矢先だった。その努力も方向がイマイチで 現場の主任には「報告させるだけで何もしないから時間の無駄。」という印象を与えたのみだったが、 何かをやりはじめただけマシと、わが生徒のように暖かく見守るつもりだったが、今度の節目で 異動となった。彼の努力は、遅すぎたのである。アーメン。ザックリである。 それにしても、今日はしくしく腰がいたい。 腰椎に小さい針でも入ったのだろうか。 今朝はホテルの朝ごはんをむさぼっていて、ついつい湿布を貼るのを忘れた。あほ。 今日は仕事がおちついて痛さを相手にする余裕があるのだが、困ったものだ。 そういや、月曜日に小杉でエンドレスしていたら、シマダさんが無言で微笑みかけた。 滋賀県半常駐の話が伝わったのだろうか。おつかれさん、ということだろうか。 思い込みの強い加藤はそういう風に解釈しておこう。 それにしても痛いな。 ひさびさに復活した秘密のEXCEL表で練習予定と、貯金記録を更新する。 1月にPCのディスクがふっとんで以来だな。EXCELつけるのは。 月間走行距離は、過去最悪だ。冬でももっと走っていたよ。 貯金は、今年になってまた増えた。おうおう。TIMEフレームを3本ぐらいかっちゃおうか。 そういや、なぜ僕が固いセルビーノがすきなのか気がついた。 ああいう硬いフレームは、踏み方が悪くても進むのだ。 ペダリングとか気にせず、とにかく頑張れば前には進む。だから好きなんだろうな。 でも腰痛を考えると、通勤車LOOKを練習用に復活させたほうが良いかもしれない。 今年後半は、LOOKでがんばるかな?でもあれ、雨車だったりするんだよな。 2006/5/30(火曜) 今日もひとりで新幹線。なんだか普通の通勤になってきたな。 さいきんストレッチが旬である。 10日程度続けただけで、曲がるようになった。 曲がる?僕が?いや、ようやく運動しない普通の人レベルになっただけかもしれない。 腰痛はよくなったのか、悪くなったのかわからない。 少なくとも慢性的に痛くて痛み止め薬を常に飲んでいる状態からは脱却した。 さいきんはボルタレン湿布もたまにしか貼らない。 でも、完治したかというと、ときどきシクシク痛む。そして時々薬を飲む。 主観的に見れば、痛さは薬で抑えている状態と同じなのだが、飲まない分、 よくなっているはずなのだ。 だいたい、鎮痛剤なんてすぐに身体がなれて効かなくなるものであるから、 飲まないに越したことない。だから柔軟体操して、身体の負担を分散させて、 負荷が偏らないようにして、はやくよくなることを「文字通り」祈るばかりである。 新幹線の車内で、早いお昼ご飯を食べる。 今日は崎陽軒のシューマイ弁当だ。 これは時代を忘れちゃった、古い材質の素朴さがステキなお弁当である。 新幹線で食べても、蒸気機関車(つまりスチームロコ、SLである)で食べても 似合う弁当なのである。 おかずはシュウマイが5個。鳥のから揚げ1個、タケノコの甘煮、マグロの煮締め、 かまぼこ、玉子焼き。ご飯にはゴマと小梅が載っている。乾燥させた杏も付いている。 弁当箱は薄い杉板で出来ていて、印刷の包装紙が紙のコヨリで縛ってある。 ポリエチレンのしょうゆさしが無ければ、半世紀前でも不思議はない 内容ではないだろうか。(そんな豪華なものがあったか疑問だが) 名古屋駅を出発すると、40分ちょっとで京都である。 お弁当をひろげる。お昼タイム。 今日は愚痴言う相手のまっちゃんが居ないけど、お弁当がたのしいから よしとしよう。 2006/5/30(火曜) 今朝もローラー台で朝練。 出張前に練習しないと、次できるのは木曜夜か、金曜朝だ。 2006/5/29(月曜) 今朝はローラー台で朝練。最初は腰をかばっていたが、なんだか めんどくさくなったので気にしないことにしたら、ほんとに 気にならなくなった。そんなものらしい。 それにしても、インナーギアがちょうど良いなんて、ずいぶん 僕も体力ダウンしたものだ。サボったせいだな。今年がダメダメなのは、 気合がないからかもしれない。なんでだろう。 去年、沖縄で惨敗してそのあと気合を入れていたのだが、年があけてから 何かと負け続けである。 3月までは仕事ひとすじに集中したが、今では仕事もちゃらんぽらんに したくてしょうがない。よろしくない状態である。でも、 その原因は良いときに蓄積されたものだろう。 衝撃の契機でない腰痛とは長い間の負荷が重なって、最後に痛みになるものと 教えてもらった。 4月以降、慢性的に腰が痛くなって、仕事も嫌になった。 よいときに何が積み重なったのだろう?身体の柔軟性がゼロだから、腰に、 すこしづつ負担が積もったのだろう。むしろ今までが幸運だったのだろう。 仕事もそうだ。僕は白or黒の紋切り型。柔軟性がないから、突撃か、弛緩しかない。 よくもまぁ、今まで生き残れたものだ。 今年は今までのツケを払うべき年なのかもしれない。 ストレッチ嫌いの僕が、毎日暇さえあればイチロー大先生を見習って 硬い硬い身体を折り曲げている。失敗しないと気が付かない自分は長生きするかもしれない。 うつむきながら、ハンドルに付けたローラー台のレバーをふと見る。 あっ。なんとローラー負荷が最強になっていた。。。はっはっは。 いつもはローラーの負荷を弱めにして、自転車のギアを アウター・トップにして練習をしていたのである。 同じ負荷ならば、タイヤ回転を高回転にしてローラー接地面の摩擦力を 下げてタイヤの磨耗を減らそうと言う、貧乏根性で練習していたのである。 気が付いた後に、いつもの負荷、いつものギアにしたら、意外と回せた。 身体が熱くなってきた。気持ち良い。 身体に不安があるときは、いつでも止まれるローラー台というのは よい選択かもしれない。 昼ごはんを食べに外にでた。 テレビでは、杉村タイゾウ議員のウソBLOG事件を喧伝していた。 はぁ。BLOGなんてテキトー?なものに、なんでわざわざウソまでつくのか。 エライひとは大変だねぇ。めんどくさいねぇ。 ・・・・ そうそう、さっき宝くじ圏を3枚拾った。 薄汚れていたのだが、いちおう交換所に持って行くと、前後賞合わせて3億円だった。 帰りはハイヤーでうちに帰った。 「これはハイヤーだろう?」 「ええ」 「ちがう、ハイヤーなら、『ハイやーっ!』と答えろ、バカモン!」と 運転席シートを蹴飛ばしてふんぞり返った。 運転手が顔を真っ赤にしてなにやらもごもご口ごもり、信号でとまったときに ケータイで警察を呼ぼうとしたので、面倒になると面倒だから(当然である)、 札束10枚をビラまいて「とっておけ」 と言って降りた。あー、すっきりした(いや、しないが)。 家に帰って、すぐにみず○銀行向ヶ丘支店に電話をする。 「あー、かとうだが、今すぐ店長をウチまでよこしなさい」 「どちらの加藤様ですか?」 「ばかもん!わしじゃ」 「ど、どちらの」 ガチャン。億万長者の声がわからぬとは、うかつなやつだ。 だって宝くじは第一勧銀が主催だろう。なぜそれぐらいの情報共有ができんのだ。 だから日本の銀行はバブル期でさえ格付けが低かったのだ。そんな阿呆な自分を忘れて 格付け機関を批判して、そのあとで長いバブル崩壊と15年の日本経済空白を作ったのは おまえだろう、と、叫んだが誰も聞いてなかった。 あほな日記を書いていたら、後輩のH君が新人の女の子を連れてあいさつ回りに来た。 ふむふむ、頑張ってください。わかんなかったら聴いてください。たのしくやってくださいと 言った。その背後に人影。おお、片思いのIさんが、今日はめずらしく小杉に来てるじゃないか。 声をかけたいが、迷惑?だろうから辞めておいた。 夜、残業をして、息抜きにまっちゃんの席にいって仕事のじゃまする。 しばらく下らない話をして、そのあと戻ろうとすると、通り道の共用PCの前にIさんが 座っているでないか! 。 つい声をかけてしまった。 あんがい嫌われていないようだ。なんか幸せ。 さいきん心身ともに淀んでいたが、ちょっと幸せである。 明日から滋賀県。9月までずっと週3日はあっちである。 よる、NHKのスポーツ特番を見た。アンゴラの選手の話だった。 困難を越えてこそ、光るものが手に入るのだ。 昨日のロナウジーニョの特番も面白かった。 あすから僕も頑張ろう。。。。どっちを? 2006/5/28(日曜) 今日は伯父の葬儀だったが、僕と妹は留守番役だった。 というのも、さいきん葬儀の留守宅にあやしい電話や来客が多いそうだ。 昨夜も0時すぎて、わざとらしい間違い電話がかかってきたとか。 不在を調べようとしたのだろう。 怖い世の中になったものである。 喪服をきて一日留守番するのは、楽なようで、なんだか 逆につかれた。 さいきん「疲れた」とよく言うらしい。 自転車にたくさん乗ってるころは、言わなかったらしい。 「疲れた」というのは、筋疲労のことでなく、身体の中が にごった状態のことをいうのだと思う。 この3年間、すごく自転車にすくわれていたことを、 実感している昨今なのである。 親戚一同か帰ってきた。 伯父さんの写真も帰ってきた。 しげしげ見つめる。 なんだか近しいように感じる。 自分がなぜか、ずっと前から半分鬼籍に入っているような気がした。 孫もいることだし、よかったねぇ。 帰りにオーベストに寄った。天野さんとひさびさにあった。 日焼けした顔に白い歯。男はこうじゃなくっちゃねぇ。 そういえば、この前の糸魚川出発時のサポートのお礼として、 小早川さんからお菓子を頂いた。ずいぶん義理堅い人である。 あ、そういやスタート前に泥除けどウォーマーをまだ預かった ままだった。来週の練習会に持って行こう。 2006/5/27(土曜) 私はテレビっ子である。一日もテレビを見ない日はないかもしれない。 そんな自分は、テレビ中はずっとストレッチすることに決めた。 先週ぐらいからやっている。もう習慣になりつつある。 10日ぐらいじゃ、身体は柔らかくならないような気がする。 でも、腸腰筋はだいぶ延びるようになった。 伸びるようになったからと言って、急に腰がよくなるわけでもないが なんだかうれしい。 夜になって、伯父の通夜に行った。甥・姪の半数が受付として働いたが、 すごい弔問客の数だった。ン百人。かなり忙しかった。 夜になって親戚だけで会食した。その後、深夜までしんみりとやった。 2006/5/26(金曜) 会社をやすんで一日寝て暮らす。 先週医者から教わったストレッチは効果があるかもしれない。 前よりも楽になった気がする。 すぐには治らないと思うけど、改善している気がする。 2006/5/25(木曜) 帰りの新幹線は、なんとグリーン車にのってみた。 椅子がでかい!背もたれが大きい! でも、、、足元が狭い。僕のながーーーい脚(主観100%)には 不足のようだ。 2006/5/24(水曜) 滋賀県常駐は5月末と聞いていたが、ずっと続く話を聞いた。 これじゃせっかく地元企業に就職したのに意味ないなぁ。 景気もいいことだし、転職するか?! って、いまさら何をしようかな。うーむ。 同一の業界のほうが食べやすいが、残業ばっかりだし、 困ったものだ。 2006/5/23(火曜) 新幹線で大津へ。 昼にメールで、いきなり伯父さんがなくなったと聞いた。 夜、実家に電話したらバタバタしていた。 電話であれこれ聞いた。急病、しかも珍しい病気らしい。 あのうちは息子が2人いるが、どちらも地方で勤めている。 これからは、伯母さん一人、三鷹に残すことになる。。。心配だな。 僕は木曜まで東京に帰れない。 今年はなんだかホントに悪い年だ。 2006/5/22(月曜) 明日から滋賀県のため、片付けなきゃいけない仕事をなんとか終わらせる。 今日も0時になった。 2006/5/21(日曜) 今日は平地オンリーで練習した。 暖かくきもちいい、最高の季節。 仕事も何も忘れて走りたい季節である。 2006/5/20(土曜) 糸魚川、ぶじ見送りした。 バーコード、受付のおじさんが預かってくれたので混乱は無かった。 2時すぎに到着する。まっくらけ。小雨がぱらぱら。でも何名かがもう スタート準備をしている。オーベストジャージを探す。日比野さんと合流。 そのあとはMLでスタート時刻を宣言してるひとを次々発見。ぶじ送り出す。 小林さんは自走で、かなり早めに来たので、彼のスタートまでずっと喋っていた。 待ってる間はずっと真っ暗で雨だったが、小林さんのスタート直後になって 山が白々と見え出した。大垂水峠を下る頃には、明るくなっているだろうか。 Bossがなかなか来ないな。。。あ、中尾君だ。はて、だれかの代役かな? (どうやら一般サイクリングという名目らしい) しばらく駐車場で探していると、ああ、Boss発見。自走でやっぱりきたみたい。 受け付けを済ませ、隅でしゃがんで補食を取っている。 しばらく雑談しているうち、時間が気になる。あ、あと5分だ。 荷物を受け取り、名札をつけてトラックに預ける。 Boss+中野君+中尾君はスタートぎりぎりに並んだ。 あ、オダさんがいる。いま来たの?? かれら3人、オーベスト最後の組を無事に見送って、家に帰って寝た。 来年は、僕も走れるかな。。。。 2006/5/19(金曜) 医者に行った。 柔軟体操を良くやりなさいと言われた。 実はものすごく硬い。よく怪我しないものである。あ、だから 腰痛になったのか。 気をつけよう。 2006/5/18(木曜) 今日は腰が痛い。 さいきん運動しないせいか、体重が増えた。 ストレス解消のため過食しているせいだ。しかも毎晩のように飲んでいる。 増えて当然だ。 日中は痛み止めを飲んでいるが、眠気しか来ない。おかげで 仕事がおぼつかない・・・・いや、単に気合がないだけだろうか。ははは。 腰が痛いのは変わらない。あす病院にいって原因と対策がはっきりしないようなら、 病院をを変えるべきかもしれない。 2006/5/17(水曜) 今日は腰痛が改善した。もしかして糸魚川に出られるかもしれない。 週末に病院へ行く。さて、どうだろう。 2006/5/16(火曜) ちかごろ全てが悪い状態である。健康も仕事もなにもかも真っ暗。 そんな日は日記を書かないほうが良いのだが、癖で書いてしまう。 んじゃ、手短に加工、書こう。 昨夜は結局、滋賀出張の準備のため、サーバのある小杉本社で0時まで ウンウン仕事をした。 新幹線で寝ると腰痛になるという迷信のため、今朝は車内で小説を読んだ。 今度は池波正太郎「真田太平記」である。 面白いが、途中で猛烈に眠くなる。しばらく目を閉じる。でも寝られない。 また読み出す。 今週末は糸魚川だが、絶望的だ。 腰痛は休めばよくなる。休まなければ元に戻る。 昨日、T課長と話したが、なるほど、長い時間をかけて悪くした場合は その倍以上の時間で直さないとダメだそうだ。少しよくなったからといって 無理すると、、、もっとひどい状態になったら、いったい直るのに どのぐらいの月日が? ・・・・・ お祓いしようか? 出先ではインターネットが使えない。会社LANを通してメールが使えるのみだ。 なんともはや、こまったものである。 午後、出先について仕事する。 昼に飲んだ薬が効いてきて、倒れそうに眠くなる。 今朝は遅く起きたので寝不足のはずはないが、まるで徹夜明けみたいに 意識が遠い。 2006/5/15(月曜) ・・・・・ 土日は腰痛のため終始寝ていた。 おかげで今朝はひさしぶりに腰を曲げて洗顔できた。 ・・・・・ 朝駅まで歩いていたら、後ろからT課長、いやT部長が追い越しながら 声をかけた。かなりの早足である。駅のホームで一言。 「かとうくん、とぼとぼ暗そうに歩いていたね」 「ええ。今腰痛で自転車にも乗れず(電車で)通勤してます」 やはり、第三者から観ても元気ないのか。そりゃそうだ。 やりたいことが全部裏目なのだから。 今年はどうも宜しくない。週末は長尾神社へ参詣でもしようか。 2006/5/12金曜) 梟の城、読み終わった。良かった。 忍者モノ娯楽小説ではあるが、話が細かくしっかりしている。 これは作家の性格なのだろう。 時代人物の好悪からくる彼の描き方については、微妙に不満がある。 まぁ大阪人新聞記者の彼と、東京生まれ・ほんとは非江戸っ子イナカモンな ワタクシとでは、人のいきざまに関する感受性の違いがあるのは しょうがあるまい。 そういや吉川英治「宮本武蔵」を学生のころ読んだが、あれは かなり没頭できた。最近知ったが吉川英治は戦前の時代作家だそうだ。 僕はそれぐらいアナクロということだろうか? 石原慎太郎「太陽の季節」の時代の大阪作家・司馬遼太郎。 それらマイナス(?)を差し引けば、もっと評価したくはある。 映画「梟の城」でも観てみようか。 作家評といえば、宮部みゆきという作家は、話の構成、表現、 人物への視線、どれもどこかに暖かみと緩やかな曲線を感じさせつつ、 整頓された美しさを持っている。物語にはびっくりする仕掛けが あったりして、たしかに時代の人気小説家の頂点だと分かる。 ただ、万能ゆえ凡才という平板に感じる読者も、あるいはいる かもしれない。そういう意味で、偏った一芸作家というのも 存在意義があるのかもしれないな。 実はすこし前、自転車競技を題材にして小説が書けないかと 思いついたことがある。 いや、僕が小説を書いてみたいと思ったことは初めてではなく、 高校生から浪人生にかけて漱石などの小説を読んで作家に憧れた ことがある。 当時、作文・小論文が大の苦手だった僕は、大学に入学できたとき、 一念発起して新聞部に入った。その学校には文芸部もあったのだが、 文章力向上のためには質より量、表現力は客観描写から磨かれる、 というすばらしい(?)洞察と信念のもと、3年間活動させてもらったのだ。 でも、その活動の成果が生かされたのは物語を書くことではなく、 大学院生の時代に遠地の某人に熱い熱い手紙を山と書くことであったようだ。 (その筆まめさは、長尾日記でご理解いただけよう) あの時代に僕が得たものとは、「文章とは推敲して、音読したあとに完成するもの」 ということだった。今の長尾日記はほとんどそれを行わないが、 かつては必ず「きまりの作成方法」を守ったものだ。 まずは、思いのままに書く。書く。たくさん書く。多いほどよい。 いいたいことを次々吐き出す。 ひと息ついて書き終わったら、読み返す。読み返す。なんどか読んで、 自分で「わかりにくいな」と思うところはちょこちょこ修正する。 直すときには言葉を補うことも大事だが、内容を減らすことも 「わかりやすさ」への近道である。大事な説明のために、ちいさい 挿入話はガンガン削る。意外と効果的である。 同じ語句、同じ表現は極力減らす。 人間の脳みそは、なぜか同じ文字、同じ単語の繰り返しが苦手だ。 なるだけ言葉づかいを換えて同一単語を減らしてしまおう。僕は この作業のために、学生時代「類義語辞典」を買ったぐらいだ。 それから、もうひとつ大事なことは、接続詞を減らす、である。 「でも」「だから」「しかしながら」「とはいっても」 これらを省いても読める文章は、前後の文に飛躍がすくない。 他人が読んでも自然に理解できる。 もしも内容の飛躍が大きいと、読者が飛び越しづらくなる。 分かりにくい文章というわけだ。接続詞に頼ってむりに 繋げても、分かりにくいものは分かりにくい。そんなときは 内容を修正するのが親切な文章づくりというものだ。 さて、この作業を繰り返していると(すごい時間がかかるのだが)、 最初100行もあった文章が50行ぐらいに減る。でも、これが大事なのだ。 この作業を繰り返す間に、自然と「一番言いたいこと」が自分自身にも ありありと分かってくる。ここまでくると「文書推敲」が楽しくなってくるはずだ。 自分自身が自分の主張を意識できれば、あとはその大事なひとつを、 もっとも簡潔に、的確で具体的な補足説明のみ厳選して完成させればよい。 これでようやく、骨組みができあがるのだ。 次に音読する。音読すると、思わぬところでつっかえる。つっかえるのは 文章が長すぎるか、奇妙な繰り返しがあるからである。 つっかえを取る。さっと流してさっと読める。意味が通じる。目から入って口へ抜ける。 そんな状態になってはじめて、他人が、多少の長文でも、興味が薄くても、 なんとか最後まで読んでもらえるものになるのである。 昨今のブログ流行とは、テレビの音と映像という非論理の一方的洪水から 文章という「構造化意味」への人間の回帰ではないだろうかと、 ワタクシはひそかに歓迎している。そして人間の本質が、道に座る 奇声の小児のそれでなく、世間なみの話ができるオトナのそれなのだと 信じたくなる。文章作成という技術は、いまふたたび大事なもの になるのだ。 そして、文章を作る、文章を読むということは、おのれのこころの畑を 耕すことでもあるのだが、まぁそれは話が長いので、そのうちということにしよう。 で、いつもの長尾日記だが、 今日はホットケーキを3枚食べた。やっぱり・・・旨い。 もしかすると僕はホットケーキ好きなのかもしれない。 昼はいつもの定食屋さん「豆藤」に向かわず、大津市内を徘徊してみた。 魚叡という看板。電飾に「海鮮丼」「スペシャル丼」「1000円」という 文字が見えた。値段を見て安心したのか、ギィとスナック風の厚い扉をあけて中に入った。 すこし暗い室内はスナック風・蕎麦屋家具の、すし屋だった。 カウンターに座りスペシャル丼を注文する。 梟の城を開き、最後まで読んだら、ちょうど出てきた。 マグロ、カツオ、ホタテ、ネギトロ、イクラにイカ、そしてウニがちょびっと 乗っていた。ゴマと青紫蘇の葉が効いて、新鮮間違いなしの刺身の味を、 ぞんぶんに引き立てて実に旨かった。 前の仕事で八重洲の寿司屋になんどか昼ごはんをたべたが、値段・中身、どちらもこの 「スナック風蕎麦屋家具」が勝っている。大津は田舎だが、意外と豊かであった。 ちなみに、手作り飴のお店はお気に入りである。 今日も帰りに寄って、おばあちゃんから1袋210円の飴玉を買うのである。 2006/5/11(木曜) 今日も滋賀県、琵琶湖畔である。 朝食はホテルのビュッフェでがつがつ食べた。 ここはホットケーキがおいしいのだが、今日は和食を試してみた。普通。 明日はホットケーキとベーコンとスクランブルエッグにしよう。 ホットケーキとコーヒーが旨いから、このホテルにしている。 大事なことだ。それから、風呂がユニットバスじゃないという点も良い。 京都駅前ホテルも泊まったが、それより安いのに高級感がある。 難点は大津まで地下鉄だが遠いことだろうか。 昨日は一人プリマダムを観て酔いつぶれた。今朝は6時過ぎに起きた。 シャワーを浴びて、朝ごはんをたべる。出張先の大津のビルには早めに着いた。 さて、今日はレビュー攻勢。たんまり作った設計書のたぐいを使って頑張る。 いやー、今日も疲れた。いいしごとした。 昨日もしみじみ思ったが、僕はプログラミングがほんとに好きなのだな。 さいきん会社内で年長になったので、なかなかプログラムをやらせてくれない。 僕はお客さんの前に出るより、一日中、朝から夜まで「ものづくり」を やっていたいと思っている。 でも不思議なことに、休日、自分でプログラムを作るかというと、 それはしない。やっぱり仕事だからやるのかな。 僕の休日は、寝て食べてるか、メールや日記をかくか、自転車に乗るか。 一時パソコンゲームに熱中したことがある。さいきんでもたまにやるが、 たいていは仕事で疲れ果てた休日で、寝てるよりは何かしたいとき、 というのがもっぱらである。僕がパソコンゲームをやっているときは どこか壊れたときのようである。 今、ひとりで滋賀県出張をしている。宿泊は都合で京都のホテルだ。 小杉に張り付いている上司たちは、加藤が出張ついでに京都見物して 楽しんでいると思っていたらしい。実に失礼なヤツらである。 そんな彼らにお土産はないのである。ちなみに、いつでもないのが 加藤の不義理なところである。。アーメン。 2006/5/10(水曜) 今日は滋賀県、琵琶湖畔である。 昼は意外とあったかかった。でも午後からそぼそぼと雨がふり、 今時分の天気になった。 今朝は早起きしてオーベストHPを更新し、朝ごはんたべてから出発。 今日も新幹線に乗り込む。昨夜はタクシー帰宅の寝不足なので 電車の中で寝ようと思ったが、急に司馬遼太郎の 「梟の城」が面白くなってきた。この筆者、前置きが長かったり、 時間を飛んで未来の結末を先に書いてしまったりする。 「もの語り」の技量という点では、宮部みゆきと比べて ドーバー海峡の開きがあるなぁ。。。でも、40年もまえに忍者の 詳細な話を書いたのだから、そういう意味合いをみれば すばらしいのだろう。たぶん。 そういや、ふくろうの城って、何年か前に映画化されたそうだ。 それを観た人が「ずっと真っ暗な映画だった」と言っていた。 忍者の話だから夜のシーンばかりなのは当然か。 ところでこの話、伊賀忍者が主役なのだが、甲賀忍者も出てくる。 伊賀と甲賀は山を隔てて隣だそうだ。つまりは三重県の山奥、 鈴鹿?よりずっと山に入ったところの盆地が伊賀の里であり、 その里の北川の山脈を越えて滋賀県になったあたりの山間が甲賀らしい。 甲賀には53軒の家があって、代々忍者をやっていたそうだ。 で、甲賀忍者と伊賀忍者の違いは歴史にあって、伊賀モノは むかしから主君を換えて仕事をしていたが、徳川家康のときに 服部半蔵という忍者あがりの旗本が仲介となり、本能寺の変 以降は徳川の天下取りに協力したらしい。 一方の甲賀忍者は鎌倉時代から琵琶湖ちかくに住む源氏の一派、 佐々木氏という大名を主君としてずっと暮らしていたらしい。 しかしその佐々木氏、室町時代後期は六角という名前になった らしいが、織田信長に負けてお家断絶してしまった。そのあと 甲賀は、離散したのだろうか。 いちおう自分は父方の母親筋に義理立てして甲賀を応援して 読まねばならないな。 今日は仕事が片付いてないのだが、疲れたので「早め」に切り上げ、 京都のホテルでひとりお酒でも飲ませてもらおう。 あ、今日は「プリマダム」だったな。 2006/5/10(火曜) うーん、1週間も更新をさぼった。いかんなぁ。 えーと、オーベストHPの新商品、オススメだらけである。 特に限定タイヤ。欲しいっ!でもタイヤ替えたばかりだった。。。 いまから滋賀県出張。戻りは金曜夜。 腰痛が治って帰ることを祈る? 2006/5/9(月曜) きみは「シェルスクリプト」というものを知っているだろうか? (いや、知らないのが当然で、知らないほうが正常である。) コンピュータというのはプログラムのカタマリなのだが、そのプログラムと言うのは 書き方がたくさんある。書き方のことを言語という。たとえばホームページを書く言語というのが ある。HTML言語である。これは比較的覚えやすく、コンピュータの専門知識が少なくてすむので 今の世の中おおはやりである。(とうぜん素晴らしいことである) その時代に逆行する?、古臭くて専門知識がシビアに要求されるのがC言語である。 「専門知識がシビアなのはアセンブラでしょ」って人もいるが、僕は機械語は喋れない人間なので、すいません。 僕はC言語が大好きなのだが、さいきんシェルスクリプトにはまっている。 これは簡易プログラムみたいなもので、UNIXサーバという、Windowsとは別種のサーバがあるのだが、 そのサーバ上で大事なプログラムを動かすときに、その動かす順番を決めたり、前処理、後処理をしたりする、 いわば脇役言語である。(でもすごく重要かつありがたい言語なんだけどね。) 今日はこの「シェルスクリプト」を完成させるため、終電後まで仕事した。気がついたらもう終電が 無かったのだ。 ふつう、シェルスクリプトで作るプログラムは数十行、多くても100行ぐらいだと思うが(そうですよね?)、 なにを間違ったか顧客要望が膨らんで400行ちかくにも膨れ上がってしまった。。。。 コレをテストするのが大変なのだが、山登り同様、ものすごい達成感なのである。 ・・・・ つまりは、今日は楽しかったのだ。 苦労して延々頑張るってのは、やっぱりいいねぇ。 もうすぐ糸魚川。天気と腰さえ良ければ、あー。。 2006/5/2(火曜) 今日は土曜日だったか、と思うほど会社は空いていた。 みんな9連休なのだろうか。いいなぁ。 昼前、窓に閃光が映った。雷が鳴ったのだ。おお、昨日遊んで 今日会社に出て正解だったな。 昼には雷雨はやんだ。いつも混んでいるパスタ屋に行く。すぐに座れた。 ゴールデンウィークとはこんなものだ。 カウンターに松橋君と二人で座っていると、敬愛するS部長、もとい S事業部長がA課長を伴って入ってきた。わぉ。 軽く挨拶した。ちょいと微笑んだ。 なんだかS部長の笑顔を久しぶりに見た気がする。 ちょっと(だいぶ)うれしい。 そういや午前中にM課長と「激突!南海の大決戦」をするはずだったが、 終始なごやかに話がすすんだ。はて、どうしたことだろう。 M課長はさいきん仕事に前向きである。 いままでは社内で書類ばかりをなめていたが、活発に外へ出かけるようになった。 僕がまだ主任じゃないころ(7年前?)、客前で喋れないM課長をほっといて ガンガン商談、提案、プロマネをやっていたころの「かかし」とは 人が変わりつつある。(すばらしい) 相手の課長の言い分も分かった。 M課長は過去の加藤のイメージがつよいらしく、社内で他人の下風に たって安穏としている姿は「サボり」にしか見えなかったようだ。 課長になぜと聞かれて「ビジネスのビジョンと、次の武器が見つからない」 と率直に話をした。 左遷されたあと、半年ごとに社内を転々として次の手を探しはしていたという話も したのだが(態のいい言い訳)、そうか、これら数年間に及ぶ負の経緯を、M課長は ぜんぜん知らなかったのか。 (考えてみれば、半年ごとにちがう課長だったっけ。) 今日の話で、上層部に対する強烈な不信感はちょびっとだけひっこめるかもしれない。 景気もよくなりつつあるようだし、誰もあてにしないけど、また いっちょう頑張りますか。 今朝は腰がすこし痛かったが朝練をした。 兄貴から「坂(での重いギア)は控えたほうがいいかもね」という話だったので 長尾の平地(といっても、どこも2〜3%)をメインに短時間ながした。 やっぱりプロレース2+キシリウム+セルビーノは良い!しゃきーんとして ぬめっと食いつき、しゃわわーと回る。気持ちいいもんだ。 昨夜、母親にずばり指摘された。 今年になって仕事がいそがしくて、4月になって仕事が滋賀メインになり、 練習不足を補うために、のろまなくせに無理して時間使いの上手い人の真似しようと、 生活改善のハンドルを切った。 その無茶ぶりが身体と精神全体に異常を今きたしている。 図星の指摘に、笑うしかなかった。 (そう、僕はかなりのんびりした人間なのだ) 今朝の朝練は、身体的にちっとも効果ないだろう。 みんなからみれば遊んでいるレベルの練習だが、そんなレベルでやらせてもらおう。 わたくしは所詮わたくしなのである。ダメって諦めたら、それが自分の限界になっちゃうのである。 認めないというのは、重荷を背負って歩くものって、やつなのだ。。。 (まぁなんと低レベルなスポーツマンなんでしょう!わたくしったら。) 2006/5/1(月曜) はて、記憶が無いぞ。ついおとといのことなのに。 そういや、朝おきて腰が痛いので寝てたんだな。「燃えよ剣」を読み終えた。 はっきりいって、大阪生まれの司馬遼太郎に、多摩の田舎侍の気持ちはわからない。 わからないくせして、ほんとは坂本竜馬が大好きなくせに無理して書いたから、 つまらない。司馬遼太郎の「燃えよ剣」は、60点である。 勉強家の彼氏の作品は資料として理解させてもらおう。 午後から、あまりに天気が良くてもったいないので、腰に医者から貰った湿布をして、もらった薬のほかに アリナミンEXも併用して多摩サイに出た。チカラを入れると不安だったが走らないともっと ダメダメスパイラルに落ち込んで、ついには日本海溝のノーチラス号になっちゃうかもしれないから エイヤで走った。 今日は負担かからないように平地オンリー、多摩サイだ!と思ったらすっごい強風。 「帰りは追い風じゃん!」とよろこんでUターンするとまた向かい風。なぜだー。 どうやら前斜めの風が微妙にかわって、帰りもところどころ向かい風だった。 鶴川街道の多摩川原橋で再度Uターンしてよく確認したら、ほんとにある個所は向かい風、 ある個所はほぼ追い風ということが分かった。へんなの。 横からの突風はキシリウムのハンドルさえ煽ってしまい、風速はかなりあったのだろうと思う。 わきに工事用の柵があって、ロープにプラスティック製の小看板が風に煽られて躍っていたが、 あまりの風のつよさに、「ビビビビビビビーーーーー」と真横になびいてうるさいほど鳴り響いていた。 そんななか、正面からボンシャンスのジャージが。さいきんふえたなぁ、ぼんちゃんズ。 よく見たら、あごが細い。日焼けしている。無口そうな口。。。ああ、岩倉君じゃないか。 気がついたときはすれ違った後だった。東日本の結果はどうだったのだろう? BR−2の逃げにはいなかったはず。彼なら集団は確実だよね?? またしばらく行ってUターン。こんどは中野君に会った。今日はBR2デーなのか? 声をかけたら中野君も気がついて返事した。そのあと追い越されなかったということは、 日野橋を渡って八王子方面にいったのだろうか? なんだか負荷を上げたらいいのか、流したらいいのか、そもそも風向きがいろいろ変わって 一定ペースの練習にならない。なんだかあいまいに2時間走って練習はおしまいになった。 でも、7月の陽気といわれる今日の午後に走れたのは嬉しかった。 |