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長尾日記 | |
歳をとって増長して耳のふさがったアホに鞭をくれる人は貴重である。 また、そんなアホをちゃんと見つめていてくれる人は宝である。 今のワタクシはじつに日々幸せである。 2006/8/31(木曜) かとう@じごくのとっくん、です。 自分がとっくんするのでなく、させるほうのじごくだそうで。 (オーベストBBS参照) ・・・今日はもうれつに眠い。 まぁ眠いのは珍しくないが、朝からずっと昼まで眠い。 お茶飲んでも、キャラメル噛んでも、散歩しても、 どうしようもなく眠い。このさい、非常階段で3分 ぐらい仮眠をとったほうがいいのではないかと思ってしまう。 午後になっても眠い。コーヒー飲んでも、気分転換しても眠い。 結局夕方まで眠かった。ひょっとすると、仕事の緊張がすこし 緩んで、いっきにココロの怠惰が眠気として吹き出たのだろうか。 夜はイシダ少尉が来たので、やっぱり飲み会。2日連続になった。 今日は大津の町内にある、ひなびたお店だったが、店構えのわりに 内容がよく、旨かった。 ふなずしが有ったので注文した。臭いがキツイのか、食べたのは 僕だけだった。でも最高に旨かった。。。この旨い食い物、 芋焼酎にぴったり。しあわせー。 ポテトフライに芋焼酎もいいけど、ふなずしに焼酎なんて あーぁ、僕もおっさんだなぁ。 2006/8/30(水曜) ぜんぜんペースがあがらん。。。一応連光寺坂をのぼって、頂上を左折しておはサイ コースと同様に尾根幹に出て、すぐまた左折して稲城第三公園経由で府中川崎街道へ戻った。 帰り道になってすこしづつ重いギアも回せるようになった。 はて。昨晩、腰痛の防止のためサドルを5ミリ後退させたのだが、関係しているのかな。 とうぶん、距離を稼ぐことと、フォームを試してみよう。 ウチに帰ってシャワー。朝ご飯たべて、さて新幹線乗るか。 今日も駅弁は崎陽軒〜♪復活したSW戦車長とまた現地入りである。 夜、11時前にビルを出て晩御飯の場所を探したが、 さすがに遅い時間なので飲み屋さえ営業が終わっている。 こまったなぁと、京都駅前をあちこち探し回ったあげく、 京都タワーふもとちかくの、とある和風の居酒屋に行きついた。 12時までです、とのことだが、食えるだけ幸せだ。席について、 ナマ中頼んで、あれこれ注文する。 乾杯して、戦車長と話が盛り上がる。それにしても、偶然入った このお店。料理は上手いし、店員さんたちの笑顔はかわいーし、 しかもしかも、この上手い料理を腹いっぱいたべて、 焼酎、日本酒もつけて二人で6千円。 京都の居酒屋はレベルが高いのだろうか。 「10月以降も継続でいいかもしれない。」と思わず車長の セリフ。あははははは。もっと早く開拓すべきだったようだ。 2006/8/29(火曜) 今朝はなんだかしんどいな。しんどいな。 最近ひさしぶりに「毎日乗っている」という状態だ。 今日は尾根幹も連光寺坂も遠い。うーむ。長尾村の、 猫のヒタイぐらいしかない平坦(でも2%ぐらいの坂)で のんびり練習しよう。 身体が疲れていたが、30分もやると逆に循環がよくなるのか ほぐれた気がした。こういうのを回復走っていうのか。 ってか、回復走をするほど練習したおぼえはないのだが。 そんだけレベルが低いってことかな。 ・・・ 継続命で、とりあえず頑張ろう。 2006/8/28(月曜) 今日は自転車のそうじをした。何ヶ月ぶりだろう。 キレイにすると性能がもどるのか、シマニョーロの変速やら セルビーノのしゃっきりした乗り心地がすこし戻ったような気がする。 掃除をして、フレームにオイカワさんに作って貰ったステッカーを貼る。 フォークのMIZNOシールをはがし、オーベストシールを貼る。。。イイかも。 シートラグ付近に黒字の自分のイニシャルシールを貼る。自転車だけ選手っぽいかも。 ふふふふふ。 それにしても、掃除で気がついたが、塗装のクラックがかなり深刻になっている。 前々からダウンチューブ左側のひび割れは気がついていた。今にもアルミの無垢が 顔をだしそうだ。BBまわりも最近剥がれだしたのか、小さなひびが入っている。 まか、これぐらいは今まで乗っていて気がついていたが、ひっくり返して掃除を してみたら、ヘッドの周辺にもクラックが入っていた。うーむ。これだと、 いつボロボロ剥げてもおかしくはないな。で、中身のアルミは大丈夫だろうか。 そういえば、この前のチーム練、ひとりで大垂水峠をしゅこしゅこ下ハンシッティングで 登っていたらBB付近からピシピシ小さな音がペダリングに合わせるように鳴っていたな。 これって塗装だけだと良いけど。。 走行距離はまだ1万キロ乗ってからさほど経っていないのだが、なにせ乗り手の体重が重くて、 しかも乗り方も雑だから、もういちどよく調べたほうがよいかもしれない。 もし危険となったらLOOKがあるし、新車買う資金も大丈夫だし。。。 あー、TIMEがカラーオーダーできればなぁ。せめてオレンジでなくても 白とかあれば。。。 整備を終え、昼ご飯を作り、テレビを見ながら食べたら猛烈に眠くなってきた。パソコンに 移動したが、ついつい椅子の上で居眠りをしてしまった。変な姿勢だったので腕がしびれる。 いかんなー。昼過ぎに多摩サイを流す。 ボーネンの角度って、分かるような、でも続けるのは難しいような、それよりポジションさえ、 なんだか分からなくなってきたな。 悩んでいると、前方のロードがしきりにこっちを振り返る。なんだろ。しかも、 だんだん距離が近づく。もうすぐドラフティングできそうな位置だ。 そしたらその人、前方ののんびりしたフラットバーのお尻にくっつき、風除けを 始めた。彼のペースがさらに落ちたので、先にいく。そしたらなんと、ぴったり くっ付いてくるではないか。ふーむ。粘着質ですね。 そのままペースアップし、風向きが変わって追い風に乗って、どんどん速くする。 ふと右の車道をみると、トラックが併走している。ついつい競いだして、トラック より先行しようと急激にスピードをあげる。しばらくするとトラックは信号で 減速しちゃったので、僕も流す。 後ろは、いつのまにか追いついたのか、またぺったりくっついてきた。もしかして 僕に惚れたのかな。こまったな。女性にモテず、男性に付きまとわれるとは。 そのままずっとくっついているのかなと思っていたら、もうすぐで多摩サイが 途切れる、橋2つ前になって急に前に跳び出てきた。はて。 真後ろで今度は僕がびったりくっつく。かなり頑張ってるな。45キロぐらいまで あげるつもりかな。最後の橋の下をくぐったところでギアダウンしだしたので、 ああ、おわりですかいと、僕もギアダウンする。ここで抜くのも大人気ないし、 そのまま終端まで。 Uターンして、さて、再戦かなと思ったら、彼は自販機の影へ逃げ込んでしまった。 なんだい。。。僕はひまだし、休むぐらいならのんびり走るよって、そのまま 登戸方面へひとり流して帰った。 なぬ、今日は月曜なのに、なんで朝から自転車整備して、昼から多摩サイを 遊んでいるのかって?そりゃ、僕が年中無休だと、休んじゃった人たちが 辛くなるからと、ちょうどよく仕事に隙が出来たので、病気という名目で 1日だけ休ませてもらったのだ。 うんうん、休めるってことは、いいことだなぁ。 また休めるように頑張ろう。 2006/8/27(日曜) 今日はサイクリング。みんなで津久井湖まで。 59歳というおじさんが遅れ気味なのでずっと後ろで見ていた。 静かな住宅地の十字路で、クルマを待つため止まっていたら、 急に彼はバランスを崩し、クリートを外しそこなって立ちゴケしてしまった。 あれあれ。 すぐに立ち上がって走り出す。僕は後ろを走っていて、ふと彼を脚を見る。 ん?ん? 左すねから、なにかが垂れ下がっている。バンドエイドがはがれた んじゃないよなぁ。まさか。すぐに止めて、よく調べる。あ。。。 皮膚、いや皮下組織というのは、歳をとると弱くなるのだろうか。 数センチ皮がはがれていたが、皮下組織や脂肪もえぐれて、脚の 筋肉がもろに見えていた。本人は痛みをさほど感じないのと、血が ほとんど出ていないので普通な顔をしているが、どうみても傷は深い。 ざっくり深い。 ・・・まずは泥や砂が入っているといけないので水で洗いましょう。 なぬ、ドリンクしかないって?僕はいつでも水!はい、これで 傷の中の黒いもんをあらってください。 そのあと、オオタニさんと二人で話し合って、やっぱり傷が深いので (だって皮下組織全部がはがれて筋肉がみえてるだもん。。まるで 高校時代の解剖実験みたい。。。たとえが悪すぎ?) 救急車を呼び、あと先頭のBossに連絡することに決めた。。。 あ、今日ケータイは新しいやつで、だれも登録してなかった。 Bossに電話できないなぁ。じゃぁ救急車だ。99番じゃないから、 んー、救急車って、なんばんでしたっけ。 (僕って、超・つかえないかも。。) オオタニさんがてきぱきとあちこちに電話する。ふぅ。たすかった。 救急車が来たのだが、自転車を載せるのダメっていうから、すぐ目の前の 農家?地主風のおうちへお願いしに入る。玄関に呼び鈴はないな。 むかしながらの風情。瓦屋根、縁側と障子のある建物だ。いいねぇ。 「ごめんくださーい、ごめんくださーい」 と呼びかけてから、がらがらっと扉を開ける。 入るとそこは玄関でなく涼しげな土間。すばらしい(感涙)。 障子の向こうから、日焼けして元気そうなおじいちゃんが出てくる。 怪我した仲間の自転車をしばらくの間預かってほしい、門の中に入れて ほしいと頼む。二つ返事で了解してもらった。この人の雰囲気、 うーん、、、なんだか「豊か」だなぁ。 金持ちけんかせずっていうか、うーん、なんていうか、こういう 豊かな人間って、現代のIT社会じゃすくない、見た覚記憶がないなぁ。。 僕はなんのためにIT社会の推進役のはしくれをやってるんだろう。。 自転車を納屋の壁に立てかけさせてもらう。よし。 オオタニさんは病院へ自走して治療の様子の確認。僕は自宅へ戻ってクルマを 出して自転車の回収と決まった。すぐに二人とも出発。よどみない対応だな。 オーベストのサイクリング会はレベルたかいぞ。ふっふっふ? (それにしても、僕のケータイ電話は最優先でなんとかしよう。) 家に戻ったら留守役の妹がいたので、昼前ということもあり、二人でクルマで 城山方面まで向かう。なんだ、意外と時間がかかるな。自転車ってやっぱり 町中じゃクルマとたいして変わらないスピードなんだな。 地主のおじさんに何度もお礼をいって自転車を回収。オーベストまで行って 自転車を預けて、店内にいた我妻さんたちと雑談しているうちに、怪我したご本人が 歩いてお店に入ってきた。おや! どうやらだいぶ縫ったらしいが、歩けるとのこと。よかった。 そういや路肩に僕のクルマを止めていたな。今駐車禁止が厳しいんだよな。 皆に挨拶して先に帰る。 クルマに戻ったら、猛烈に空腹になったので、ああもう2時すぎか。 近くのお店で妹と昼飯をがつがつ食べた。 2006/8/26(土曜) ひさびさのチーム練。小林さんに「そういや冬は来てましたよね」と言われて、 半年さぼってたことが判明。にゃはははは。 スタートから最後尾で走る。とにかく今日は終わるまでやるだけ。 信号があるからなかなかペースが上がらない。これぐらいならかろうじて着いていけるな。。 ん?すこしづつ遅れ出す。気を許したときに赤信号。がちょーん。 停車したら後ろからキタガワ君が飛び出していった。さすがもと制服(カンケー無い)。 そのあとなんとか復帰してしばらくいく。だんだんペースがあがってるのか、あるいは 自分が続かないのか、苦しくなる。苦しくなる。だんだん喉と胸がキモチ悪くなってきた。 信号に止まってるときは、いまにも吐き出しそうでついうつむいてしまった。よしよし。 八王子をすぎて並木道になった。よし、前へ出よう。(理由は不明。) 最後尾からすこしづつ前へ出て、えいえい頑張る。えいえい。 最後に先頭をひいて、、、今日の僕は終わった。。。 (先頭ひき終わったとたんタレるのは超・邪魔であった。すいません。) 脳が酸欠になる私の目に、とおく丹下さんの背中が見える。。。見える。。。見えなくなった。 そのあとあまりにキモチ悪いので路肩でしばらく休んで、大垂水峠のふもとから登り出す。 さて、チーム練から「ひとり練」になっちゃったから、登りはアウターで下ハン握ってがんばろう。 なるだけ平地のつもりで、速度はこのさいどうでもいいから、なるだけフォームに気をつけて粛々と登ろう。 ひさしぶりの大垂水峠。去年の糸魚川は、この大垂水峠がすっげーラクチンな坂だったな。 頂上についてくだり。でも、すっごく怖い。なぜか。ブレーキが、ブレーキシューが 減りすぎである。きっと「新型DURAのブレーキシュー」の性能が出るゴム部分がぜんぶ 削れて、ゴム台座で止めているんではないか。 (いや、まじ78DURAのブレーキはヘタすると転倒するぐらい良く良く効くはずである。) ゆっくり降りて、そのあと淡々と吉野の交差点まで行く。途中で去年すっころんで大回転した カーブを発見。。。。花束にならなくて良かった。。。。 吉野の交差点でみんなを待つ。きっとみんな激しい練習で雛鶴へ行って帰ってくるだろう。。。 それにしても遅いな。9時半ぐらいになって、待ってる自分が練習じゃなく遊んでるみたいだったので のろのろ先に大垂水峠を登り返すことにした。どうせすぐに追いつかれるだろう。 ・・・・ 復路もおなじく、下ハン握ってフォームを確認しつつえっちらおっちら登る。 ついに峠に来てしまった。 そのあとふもとのコンビニで待とうかと思ったが、雛鶴に行ってない僕が合流するのも なんだか恥ずかしいので、来週は今週以上に生き残ることを目指して、ひとり帰った。 2006/8/25(金曜) 今日は給料日。カネと週末が幸せなんて、ずいぶんかなしいもんだが、 でも、うれしい。 カネがあっても、使い方がいまいちわからん。だから貯める。 いまならほしい自転車がボーラ付きで何台も買えそうだ。 でも、今自転車に困ってるわけじゃないし、べつにいいか。 そういやパソコンも古いけど、特に困ってないし。 2001年の正月に買ったケータイはそろそろ電源が入らなくなった。 「エラーです」というめずらしい表示もでるようになった。そろそろ 寿命かな?サイクルジャージの背中ポケットで汗を吸いすぎたのかな。 こんど買い換えよう。 背広もくたびれて新しいのを春に買ったのだが、今は暑いので着ていない。 サイクルウェアは、転んでもいまのところ破けないから、たくさんある。 不自由してない。 クルマは最高に満足している。あれ以上を望むなら ハイエースか コースターだが、 どちらも車庫に入らないからいらないや。 (コースターは免許ないし。) お金の使い道を考えるというのは、意外とたのしいもんだな。 結婚してなにかと入用だろう兄貴にプレゼントでも奮発するか。 2006/8/24(木曜) 前線はほんのわずかだが余裕が出た。ので、前々からの約束で、SW戦車長に 月・火曜と夏休みを取らせた。。。そしたらそのまま敵前逃亡してしまった。 ・・・・・。 「かぜ」とのことで水曜・木曜もやすみ。ほんとに風邪にしても、 気が緩んだ証拠だな。人間追いこめられると病気しないものである。ふしぎと。 それにしても、オジさんになると、しんどくなるものだろうか。 彼はまだ40代だけど。。 あるいは、休んじゃうと、もう一度がんばるのは、精神的に 壁があるのかもしれない。。。。うーむ。合掌。チーン。 今のように増長して耳のふさがった私に鞭を入れてくれる人は貴重である。 このアホな個人日記も意味があったということかもしれない。 2006/8/23(水曜) 今朝はめんどくさくってしぶしぶ出て、矢野口で帰ろうとおもったが ついトラックに誘われて競走してしまい、川崎街道へ。南多摩で Uターンしようと思っていたが、ついクレーン車と競走になってしまい、 連光寺坂を登ってしまった。 帰りは府中街道を下ハン握って爆走2。たのしいなぁ。でも帰りが遅くなった。 電車に間に合うかな? 家に戻り、朝ご飯後にシャワーっとかかって、いそいで新幹線。ぐぅ。 2006/8/22(火曜) 今朝は連光寺坂まで。早朝はすずしいなぁ。 オーベストの誰かがいるかも、と思ったが、だれにも会わなかった。 帰りは府中街道を下ハン握って爆走。たのしいなぁ。 昨日プラザ通りで激タレしたのに、今日はうそみたいだ。 たった2日で変わるものなのだろうか。 夜、仕事を早く切り上げ実家に戻る。そう、両親は海外旅行中で留守番なのだ。 犬のめんどうをみる。ご飯を自分で食べられないのは、ペットだからしょうがないか。 10時ぐらいに普段はひとりぐらししている妹が仕事を終えて実家に来た。 さすがに犬の扱いは慣れている。安心だ。 阿部寛の「結婚できない男」を妹と見る。かわいいパグ犬が出てくる。かわいい。 今週は面白い。先週の話はつまらなかった。女医さんのおとーさんが実はすごい頑固親父で、 という、天王星まで届きそうな陳腐なストーリーだった。ちがうでしょ。 ああいうタイプの親は、筑紫哲也タイプでしょ。今の時代、頑固おやじそのものが 居ないでしょ。 でも、今週のストーリーはパグ犬との友情物語だったので、おもしろかった。 犬はコトバをしゃべらない。だから相手の態度や心情に、いがいと敏感である。 人間以上かもしれないと、ふと思った。アホだからとなめちゃいかん。犬は 社会性のある動物なのだ。 2006/8/21(月曜) 長尾朝練は3週だけ。まぁ名目ってぐらいだな。 朝練やったり、仕事中に練習プランを考えるようになるっていうのは、だいぶ ココロの余裕がでたってことだな。 ようやく現地も増員されたし、窓口と管理と作成作業の3平行から開放されたし、 この状態がちょびっとでも、ながくつづくとうれしいなぁ。 ひさびさに練習の記録と計画を管理するEXCELが復活した。正月にPCがぶっとんで以来、 8ヶ月ぶりだ。 月間走行距離を見る。ことしは自転車を始めて以来サイアクだと思ったが、実は 2003年とおなじぐらいだと分かった。しかも、まいとし8月は練習量がおちるのだが、 今年も例年と同じレベルだった。はて?いつ走っただろう。合宿のおかげかな。 それとも、夜寝ている間にサイコンのメータが増えたのだろうか。 今日は月曜、小杉本社である。メールを書き、息抜きにトイレに立つ。廊下を歩くと コピー機の前に今年配属された新人の子が立っていた。トレーナーであるヒライ上等兵が 甘やかしていたといううわさで、ミスが多く、自分でカバーする姿勢にかけるらしい。 ふーむ?そうなのか? 先々週、先輩女史がついにキレたそうだが、まぁ若いころに一生懸命しごとするスタイルを 見に着けないと、後後めんどうだと思うのだが、大丈夫だろうか。。。 声をかけてみたが、うーん、本人も五里霧中かもしれない。教育というのはむずかしいものだ。 夜、ひさびさLOOKに乗ってみる。 プラザ通りの登りを勢い良くダンシングして登りだすが、最後まで続かない。 この坂、むかし赤坂ジテツーしてた坂よりゆるいのだが、ぜんぜん息が続かない。 なるほど。。。。身体って、元に戻るのは、早いってことか。 ■ 2006/8/20(日曜) 今日は兄貴の奥さんの実家と顔合わせだ。 つまりは、結婚式は終わったので、もう奥さんなのだが、その義理の姉の家族と 僕は初対面と言うわけだ。昼前から長尾の実家に加藤家5名と兄貴の奥さんの 玉奈さんが集まり、会合場所のレストランへ。 意外と盛り上がって、なかなかいい雰囲気だった。兄貴たちも安心したことだろう。 最後にめでたい両人から家族へプレゼントがあった。 ふたりが生まれたときの重さの、テディベアだった。 かわいらしい贈り物?趣味が若すぎる? 妹はタマナさんの「かわいい」趣味に兄がつきあってるんだと言った。 他の人もそう思ったのだろうか。 僕は、、、尊敬した。 タマナさんの、のんびーーーーーーーーりした性格とはうらはらに 強い決意を感じた。だってそうでしょう。自分の身代わりを実家に 置いていくということは、新しい家庭への覚悟ということでしょう。 けじめの表明でしょう。それを形に表したってことでしょう。 そういう、もしかすると普通のこと?が、いままで加藤家にはなかった。 僕にはとても新鮮で重大なことに思えた。 夕方に自動車を整備に出す。思えばこのクルマ、走行距離の90%はレース移動だな。 道具というのは、目的がはっきりしたほうが使いやすい。 2006/8/19(土曜) 週末。ようやく週末。ふぅ。うれしい! 床屋にいこうと思ったが、結局睡眠日になった。 2006/8/18(金曜) 夜新幹線に乗る。 今月の推薦曲: わすれないわー、あなたのー声 やさしいーしぐさー、てのぬくーもりー わすーれないわー、くちづけーのとき そぉーよ あなたのー、あなたのーなーまえー グッド・バイ・マイ・ラブ 福田沙紀そういやCD発売になったんだな。買いにいこう。。。いつ? 2006/8/17(木曜) まえ(前線)に出て大事なことは、相互の意識をよく合わせることである。 今は都合3名で事にあたっているが、こういうとき、現地兵の思いが ばらばらだと、厳しい状況の下で統一した動きができなくなり、 突発的反撃に対して混乱し、よけい危機的状態に落ち込んでしまう。 そうならないためにはどうするのか。話はカンタン。よく相手の話を聞く のである。たったそれだけで、上等な防衛線が作れるのである。 SW戦車長、ヒライ上等兵と3名で統一戦線を張れば、後方への支援要求も 効果的になったりする。つまりは前にも後ろにも押しやすくなる。 うーむ。想定外に好転したな。事態が。 修羅場の隣という現状は以前と変わりがないが、精神的に楽になりつつある。 ちょっとうれしかったりする。 ところで、小泉首相の参拝について、インターネット投票、アンケート調査では ぜんぶ賛成のほうが多いらしい。インターネット投票にいたっては5:1以上らしい。 でも、テレビの「文化人」、新聞の社説、みんなその逆である。 いかに「マスコミ文化人」の偏向、あるいは恣意性が高いか、よくわかるというものである。 彼らの色付き報道が確信犯ならば、民主主義とか自由とか叫んで己が権利ばかり主張するなと思う。 言論の自由なんて、インターネットがあるかぎり保障されている。もはやマスコミに その大義名分は不要でしょ。既得権益の守護以外、名目なし。 レバノンのニュース、僕のような無知が言及するのもなんだが、イスラエルとの戦闘がやんだあと、 アメリカがレバノン復興競争に精を出してヒスボラから民衆の支持を奪おうと考えているらしい。 いかにも「やられたことのない能天気アメリカ」らしい着想だ。 レバノンに「メシよりプライド」と思う人がいれば、どう思うだろう。イスラエルをさんざん 後押ししたあとで、被害者に物資を振りまいて擦り寄るアメリカという国家が、まるでゴミタメ のように汚く見えるのではないか。そういう人たちの感情って、わからないものだろうか。 ちなみに、僕はアメリカ人というのは、90%の「思慮の浅い人」と、10%の 「日本人よりずっとモノの分かる人」だと思っているのだが。 こんなざまなだから、爆弾抱えた突撃自爆隊がなくならないんじゃないか。 ・・・・ (ちなみに加藤のカテゴリは前者80%に含まれるでしょうなぁ。。。あっはっは) 2006/8/16(水曜) 先週末から、イシダ少尉が子飼いのヒライ上等兵が、4年目にして 初めて一人で本部から出て前線に詰めることになった。 昨夜、ヒライ上等兵から本部のイシダ少尉へ切迫した内容の電話が入ったそうだ。 なんだい、前線孤軍2日目でもう救難要請かい。 「彼から、蚊の泣くような声で電話してきて。。。明日は、よろしく、よろしく」 と、少尉にしてはめずらしく弱気な顔。普段は超・えらそーにしている自分は ここで胸張って頑張らねば給料にも見合わないと思い、 「まかしてください」と言わんばかりに返答。 たのしいな。修羅場かな♪ 翌朝、SW戦車長と列車に乗って「いけいけー!」と現地入りする。 ・・・はて、沈静化しているぞ。 涼しい顔の上等兵をみる。 なんだ、たいしたことはなかったのだな。 ちゃんとできるじゃん。 「かわいい子には旅をさせよ」ですよ。少尉。 いつまでも甘やかすから某社社長に「パンパース君」とか言われるんじゃないか。 (まるまるとした体形も、たしかに。。。いやいや。) 空回りした自分の気合を自作業に向けたせいか、今日は仕事の進みが 速かった。これで「忙しいからとりあえず」と、いままで いい加減にしていた些細なことを見直さなければならないな。。。 めんどくさー。(オイオイ。。) 今日は不思議と余裕が生まれたので、はやく宿営地に戻って 合宿HPでも作ろう。。。。 ゴメンナサイ。のばしのばしになってます。 2006/8/15(火曜) 今日は終戦記念日。 小泉首相の靖国神社参拝についてどう思うかは、みなさんのご想像どおり、賛成である。 理由はあいかわらず単純。「東京裁判史観の拒否」である。 「A級戦犯は極悪人である」 なるほど、そうかもしれないが、そんなことは「戦勝国」の名のもとに、他国の人間が 詰め掛けて一方的に日本人に罪状を決め付けて縛り首にしたことを、60年後も唯々諾々と 承認することはできない。 以上。靖国神社参拝への意見でした。 これで中韓が軍用機、軍艦で領海侵犯でもしたら傑作だな。とうぶんの間日本は 我慢するだろうが。が。。。 なぜ第二次大戦のときにヒトラーが台頭したのか?なぜ第一次大戦のすぐあとに、 ドイツはあのような熱狂によって、煽動政治が明白なナチス党率いる暴挙に身をゆだねたのか。 世界はよくよく思い出すべきだろう。 日本は不景気は去りつつあるが、今は「こころ」の時代である。 永遠に東京裁判史観の強要と捏造含むニッポン罪状を決めつける中韓の破廉恥行為が 日本人のアイデンティティを攻撃しつづけるかぎり、イデオロギーでなく、 「史観戦争」はありうるのである。 2006/8/14(月曜) サッカー、オシム監督にまつわる記事をみると、じつに勉強になる。 代表決定、発表後に即練習だそうだ。 選手らは国際親善試合、なか2日でJリーグ公式戦、その直後に代表合宿に 緊急招集で、いきなりハードに走りまくりの練習。 監督は報道陣に「どこが異例ですか?発表した日に練習してはいけないのでしょうか? もし日本にそういう習慣があるのなら休んだのかもしれませんが」と答えたそうだが、 これは皮肉にちがいない。 「休みから学ぶものはない」 とも発言したらしい。 なるほど。なるほど。 ん? このノリ、なんだか記憶にあるぞ。しかも、先週ぐらいに。。。 1年間、毎月オーベスト合宿をしたら、レースや練習を重ねるよりも、ずっと強く? それにしても、今日はお盆だから、せめて定時(ホントの定時)に帰ろうと思ったが、 思ったのだが、やっぱり22時退出だった。。。。わたしってワーカホリック? もしも職業がちがうものだったら、どんなことになるのやら。 社会人崩壊ページONE そういや今日は本社だったので、「たいへん」といううわさのとなりのプロジェクトの 進捗会議に出てみた。綺麗にまとまった課題管理表を見る。お行儀の良い各担当の報告を聞く。。。。はぁ? 最後に「かとーさん、感想ありますか?」 と聞かれたので、 「思ったより大変じゃなさそうですね。もっと、心臓に刃物が立っているぐらいだと 思ったのですが。」 と答えてしまった。「いやいや」なんて反論していたが、緊迫感の伝わらない「課題管理表の確認」 をしていられるぐらいなんだから、たいしたことないのか、あるいは会議そのものが空疎なのか どっちかだ。まぁそこまで指摘はしなかったが。。 それにしても、オレに反論するヒマあったら、設計主任を1日休ませたり、新人を4日連続で あそばせたりするなよな。このプロジェクト『あまちゃん締まりなし』じゃん。そんな状態で 「たいへんだから」と、うちのSW戦車長をよこせだと?機関銃でバリバリ撃ち殺すぞ! (喧嘩売るような発言・発想が増える時点で、僕ももうそろそろリーチだな。) あとで兼務の戦車長に聞いたのだが、いつもの進捗会だとこんなことはなくて、今日は子持ちのおかーさんSEが いないので突っ込みが甘くて平穏に見えたとのこと。彼女は育児の時短なので勤務時間が短いのだが、 短い間に解決しようとするのでかなり先まで観ている。だからずっと先まで考えて、今の問題点を えぐり出してアラームを上げられるのだ。 なんだい、全体リーダや各グループリーダが居ても、おかーさんがいなけりゃダメじゃん。 なんだよ、それ。つまりはプロジェクトがやばいってのは、お前らリーダー層が「ぬるま湯」 って意味だから、ヤバイんじゃないか?オレが4月まで参加していたときはイシダさんが全体リーダで、 弊社が仕様・技術・品質で客を先導して、完勝の信頼関係が出来上がって意思疎通もばっちりで上手く やってたじゃないか? いつのまに「ギクシャク・ヤバイ系プロジェクト」になったのだ。ほんの数ヶ月で。 滋賀の3倍以上の人員を使っていながら、このありさまはなんだ! (まぁ、僕以上にイシダさんは新・全体リーダに不満だろうなぁ。。。) 夜中、家に着いて長尾日記を書いてちょっと正常に戻る。 福田沙紀の「グッド・バイ・マイ・ラブ」を聞いて、ちょびっと豊かな心になる。 そういや合宿のHP、まだだったな。。。あす会社で作ろう。いや、明日の午前はサボってみるか?? ♪グッバイマイラブ〜 わすれないわーあなたのー声 やさしーしぐさー手のぬくもりー わすれーないわーくちづけのときー そぉよーあなたのー、あなたのー、なーまえーL・O・V・E、さきちゃーん! 2006/8/13(日曜) 今日のサイクリングは、ずいぶん皆ペースが合っていてスムーズだった。 途中、歩道の継ぎ目かなにかのショックでハンドルについていたサイコンが とびあがって落っこちてしまった。 先に行ってもらって拾う。追いかける、、、あ、信号が変わってしまった。 信号が青になってトンネルをくぐってみると、だれもいない! あー、今日はついてないなぁ。と思いながら、とりあえず多摩サイに出る。 ん、いないぞいないぞ。。。 是政橋の上でしばらく立ち止まる。 通り過ぎないなぁ。。。しょうがない。帰ろうか。 と思った瞬間、背中でケータイがぶるぶる震えた。電話にでる。あー、大谷さんだ。 なぬ、光陽台のコンビニ?ありがたい。橋を渡って踏み切りを越えて、光陽台の坂を 登ると、さいきん出来たばっかりのコンビニがあった。あー、みんないるいる。 そのあと再出発。おお、こんどは尾根幹ですか。 笠井さんが遅れ出す。今日はさすがに疲れたかな? 大谷さんと二人でサポート。坂を登ってすぐ下る。あー、また赤信号。しかも となりにはパトカー。ははは。 みんなを追いかけて稲城第三公園の坂を目指す。みんな前方にちいさく登っている最中だ。 しかもまた信号。ふもとで待たされる。 ゆっくりゆっくり登る。。。ん、なんかいやな予感。2人で笠井さんをサポートする 必要は無いな。僕は先行して迷子にならないようにしよう。 ダンシングで坂を登り、下りだすとジョモGSの信号のところにみんなのすがたが米粒ぐらいに見える。 あ、交差点を直進したな。つまり尾根幹直進だな。 下っていくとまた赤信号。後続を待つかな。 そのあと二人と合流して、また一人で先行する.鎌倉街道との交差点。もう前の姿はみえない。 さて。。。曲がるなら待つはず。どこへ行ったのだろう。交差点に立って前後左右をみるが どこにもいない。とりあえず前進する。 つぎの信号もいない。。。これは完全にはぐれたな。 しょうがないので後ろの2人を待って合流。しばらく行くが、時間から考えて、これ以上前には 行くはずが無いな。3人で戻ることにする。大谷さんを先導にして、多摩センター通りを経由して 関戸橋へ戻って、多摩サイで帰ることにした。 今日は朝は涼しいかなと思ったが、結局昼は炎天だった。 明日からまた会社か。 お盆なんてなに?ってかんじである。 今週も滋賀行きだが、帰省ラッシュに巻き込まれないようにしよう。 あー、この仕事が終わったら1週間休むぞ。じゃなきゃ、永遠の夏休み?(涙) そういえば沖縄のレース申請、お金がまだだった。8月下旬までとはいうが、はやく振り込まないと わすれそうだ。。。 2006/8/12(土曜) ようやく分かった。夏になると妙にストレスが溜まる。 仕事がとってもしんどくなる。なぜだか分かった。 沖縄向けの練習ができないイライラがつのるのだ。 今年は完走諦めてるけど、というか、諦めておかないと 仕事中に暴れそうだ。。。。結局僕は仕事と趣味を両立できるようで、 実はどちらか一方しか集中できないようだ。 2006/8/11(金曜) 滋賀3日目。 帰りの新幹線は、ずっと1曲リピートだった。 2006/8/10(木曜) 滋賀2日目。 2006/8/9(水曜) これから滋賀。新幹線大丈夫だろうか? 新幹線止まったら、MDにダビングしたグッド・バイ・マイ・ラブを リピートで1000回聞けるな。 今回はめずらしく、SW戦車長と一緒に新幹線で滋賀入りだった。 というのも、占領した土地に異常がないか、治安の強化月間なので 2名そろって週末まで現場に詰めることになったのだ。 2名で前線入り。。。いつもは入れ違いだったが、2名いっしょだと すこしらくだ。 2006/8/8(火曜) ・・・・・ 福田沙紀「グッド・バイ・マイ・ラブ」を買った。 いいな。 なんだか自分の仕事がぜんぶ嫌になった。今日。 そんな日に、なんとかこの曲、間に合った。 ・・・・ 明日から滋賀か。 さいきん、後方の支援が薄いと、途切れがちだと思っていた。 今日、飲み会で、話を聞いたら、別部隊で大炎上し、そちらが急務に なっているらしい。 そうか。滋賀は、「現有戦力で死んでください」なのか。 ・・・・・ そーか。 ・・・・・ そんなもんだよ。 沖縄が遠くなった。。。 2006/8/7(月曜) ・・・・・ 2006/8/6(日曜) 日焼けで熱中症みたいに暑い。今日はひざしでつかれたかも。 みんな合宿は充実したものだったのでは。 とりあえずおつかれさまでした。大人になってもこんな活動ができるのは いいことだと思う。 それにしても眠い。もうねる。。 2006/9/6(土曜) 4時に起きた。起きねばなるまい!着替えて荷造りをする。そう、 合宿荷物は今から作るのだ。 適当にががっと詰めておしまい。ヘルメットとグラサンと。。手袋も わすれちゃいけないな。おっと、シューズ忘れるところだった。 セルビーノをクルマに詰め込み、さて、出発。 ガソリン満タンにして集合地点につく。やっぱり僕が最後だな。 我妻さん、清水さん、そして高橋君を載せて出発。 調布ICから乗ってぐいーん、、、、もう後はなにも考えずに アクセルを踏むだけである。 そういや記憶の片隅に、「いちど皆で○○○サービスエリアで合流しましょう」 って追川さんから話があったよな。。。どこだっけ? 睡眠不足で記憶力も欠如したのだろうか? もしかすると、集中力皆無だったかもしれない。とりあえず3文字で聞き覚えのある ところに止まった。あー、双葉だっけ。双葉でいいんだ。 追川さんは他のクルマを率いていたらしい。みんな揃っていたので 双葉でよかったことを確信したのだ。 休憩後も、アタマは白。めずらしく時速100キロ程度で走る。 というのも、サービスエリアでみんなと合流して先導車になっちゃったから 安全第一に走ってみたのだ。 それにしても、ナビは人間を痴呆にさせるのかな? どこのインターで降りるんだっけ。。。。そういや記憶にないな。(だいじょうぶか?) あ、ナビが長坂って言ってるぞ。じゃ、そこ。 長坂の看板を入ると、そこはバス停だった。あれ?まちがっちゃった。 後ろの皆は気がつかないのかな?そのあと正しいICを降りる。ふー。 そういや地図で下調べするの忘れたな。ってか、今週は物理的にそんな時間、どこにあるんだい? ナビのいうとおり、野辺山駅へ向かってただただ、ひたすら走る。どこだって?僕の脳みそはいま 死んでるんだい。ナビのいうままだい。 でも、先週末にまじめに宿周辺だけは調べたので、野辺山駅から出て、びっくり市の看板、 一本の木と、宿の前まで迷わずに走ることが出来た。ふー。。。なんとか無事だったぞ。 着いて自転車を組み立てる。はー。空気はきれい。場所がのびのびしている。 なんだかいかにも休日、ゆったりとしてて良い気持ちである。 サイクリング班は一路麦草峠を目指す。曲がり角は調べてあるし、大丈夫でしょう。 それにしても、カシミール3Dで勾配表をつくるヒマさえなかった。なんと野辺山から くだり一辺倒じゃないか。。。 交差点で曲がるときに看板が目に入った。 「麦草峠 26キロ」 おお、僕のメーターは26キロだから、ちょうど52キロで頂上だな。 みんなでゆっくり登りだす。すぐに高橋さんが遅れだす。 僕はあとでチャレンジ班に「ひつじかい」と言われたように、彼の周りを登ったり、降りたり、 立ち止まったりする。いやー、なかなか坂が苦手なひとにはしんどいでしょうねぇ。このユル坂。 辛そうだけど、止めるわけにも行かないし。しばらく伴走しつつ、彼の足がどうにもこうにも止まりそう になると、先行して前方に離れている笠井さんを見に行く。以外といいペースで登っているが、 しばらくすると「ちょっと休みます」と脚をついて補給していた。まぁ最初にしては登れ過ぎる ぐらいでしょう。休むたんびに後続においつかれそうになるが、結局斎藤さんたちより先にいったようだ。 周りに誰も居なくなったので、降下して高橋さんを待つ。あー、きたきた。写真をとったり、 様子をみたりする。けっこうキツそう。。また先行していくと、斎藤さんが立ち止まっていた。 脚をつったらしい。苦しそうだ。はげましつつ、そこからは二人で頂上までゆっくり登る。 高橋さんは、、、僕がいないほうが休めるでしょう。頂上についたら回収を頼もうかな。 斎藤さんはオーベストが長いせいなのか、へばっても最低ペースが高い。その点、高橋さんは 「なぜ倒れないのだろう?」というスピードで、しかも蛇行するが、斎藤さんは前へ前へと 進もうとする。メーターをみる。これならなんとか斎藤さんは峠までいけるだろう。 あと4キロ、、、あと3キロですよ。あと2キロぐらいカナ。 もうすぐじゃないですか?ああ、あっちに屋根がみえますよ。こっち、こっちに皆居ますよ。 僕らはどうやら回収されないで済んだようだ。峠の標識までいけなかったが、でもちゃんと登れた。 そういえば去年の十石峠も、斎藤さんはぎりぎりセーフで下山に間に合ったっけ。 ちょっとだけ休憩してから、数名あつめて、さぁ下りますか。 売店で買ったアイスもなかを食べたけど、、おなか減ったなぁ。ゼリー1袋じゃたりないな。 下って分岐を右に行き、途中で国道に戻って帰路へ。。。 あの勢い良く下った坂を登るわけね。 高橋さんと、そして斎藤さんが登りで遅れだす。前方の数名は、自力でなんとかなるでしょ。 ふたりは完璧にちぎれてしまう。登坂斜線をゆるゆる登る。僕が先行しすぎたり、あるいは路肩で止まって 待っていたりすると高橋さんは足を着いちゃうから、スローペースでスローに登る。ゆるゆる。意外と 腰にわるいな。二人の視界から消えない距離でゆっくり登る。 翌朝の朝練に比べたら、もう、永遠という長い長い時間のなかで登坂斜線を登っていく。何分たっても 終わりがみえない。ふー。。。暑いし、長いし、しんどいなぁ。 坂の頂上になって、なんとか二人が登ったのをみて、すこし先行する。んー、こっから先もまだまだだな。 振り返ると二人の姿がさっぱりみえない。ありゃー。。。 しばらく佇む。あっついなぁ。おなか減ったなぁ。 斎藤さんが見えてきた。どうしましょうねと話す。とりあえず電話しますので、先いってください、 ということにする。Bossに電話したら、この先のコンビニに集まっているらしい。 もうすこしかな。。。そのまま高橋さんを待つ。まだ来ない。まだ来ない。もしかして走るのを 辞めちゃったのだろうか。 中間で僕が立っていてもしょうがない。先にいってなにか食べよう。斎藤さんを追いかけよう。 しばらくしてコンビニに到着。。。たどり着いた。。。とにかく食べ物と飲み物を買って、日陰に 座り込む。ふー。。。それにしても、あの坂の上まで見えていた高橋さんがぜんぜん来ないぞ。 途中でちがう飲食店にでも入ったのかな。 (そのときパンクという言葉は浮かばなかった。) ご飯がはんぶん済んだころにようやく姿が見えた。なんとかなったか。。。 たっぷり休憩しているうちに、だれかが「今日は天文台の一般公開があるんですよ」という話を 出してきたので、休憩がてらに移動することにする。中野さんに「駅からわりとすぐですよ」 とのことで行って見ると、木立の間からでっけぇアンテナが見えた。ほー、SFだなぁ。 門で記念撮影をして、みんなでパラボラアンテナを見て歩く。しかし暑いな。日陰がすくないなぁ。 説明書をよんで「干渉縞」ってなんじゃい。なんで「縞模様」で映像ができるんだろ。とか、 今晩先生に教えて貰おう!とかいいつつ、一番奥の大アンテナの下の木陰で、みんなと芝生に 座り込んだ。ふー。 お、中尾ケンタのふたりは寄り添って休んでいるぞ。ほんとに危ないぐらい仲いいんだな。 中尾くんは昨日熱中症になったらしく、終始おとなしーくしていた。 その後は宿に戻ってシャワーを浴びて、みんなシーナックのウッドデッキの周りに座って チャレンジ班の帰りを待つ。いやー、仕事を忘れてのんびり出来て、たのしいなぁ。 夜ご飯はおいしかったので、ついカレーを2皿も食べてしまった。ひさしぶりだな。こんなに 大食するのは。 夜も飲み会で、いいかんじに盛り上がった。10時前におひらきになり、部屋に戻ったら すぐに寝てしまった。隣の部屋から小田さんの声が聞こえてきたが、ウチの部屋3人は 10時消灯、即就寝、朝5時半までぐっすり眠っていたらしい。しあわせである。 2006/9/4(金曜) 昨日の計画外3連発がいまだに終わらない。朝からフルスロットル。 夜になって若造業務設計者がおうちに帰ったので僕も新幹線で 帰らせてもらおう。明日はだいじなだいじなアタックちゃーんす、じゃない、 オーベスト夏合宿なのだ。4時起きなのだ。 なんとか8時の新幹線に乗りこみ、新横浜には22時についた。ウチについて WBSをちょろっと見て、シャワーを浴びたら日付が変わった。やばい。 寝る時間が4時間しかない! (僕は理想で7時間半、最低でも6時間が必要なのだ。) そういや昨日も5時間ぐらいしかねてないし、2日で9時間?やばすぎる。 メールもなにも見ないで、大急ぎで寝てしまった。ぐー。 2006/9/3(木曜) いきなり新しいモノを作る話が飛び込んできた。計画外だが重要なので 最優先にお願いとのこと。よっしゃー・・・・ なんと10時をすぎても終わらない。これじゃ、今日の仕事は手付かずで、 明日は2日分働かないといかんじゃないか。新幹線終電?そのまま合宿 に突入?泣きがはいりそう。 なんとか終えてホテルへ向かう。今日のホテルは、京都も大津もいっぱい だったので、近江八幡だった。電車で30分以上じゃないか。。 11時ごろホテルについた。部屋が空いていたのか、ツインに入れてくれた。 ひろびろー。 0時とっくに過ぎてるのに寝ないで昨日分の長尾日記をながなが書いた。 そんなことするより早く寝て休養なんだが、そうもいかない。 2時ぐらいにやっと寝た。つかれた。 2006/8/2(水曜) 亀田選手の試合は、実は途中で寝ちゃったのである。 すごい話題性だったので僕もとりあえず8時前からみたが、なかなか試合が 始まらない。8時から?8時半から?9時ごろになってようやく国歌斉唱がはじまった。 おお。こりゃベネズエラのほうが良い。声がのびのび明るいではないか。音楽もよい。 しみったれた君が代よりいい。君が代は暗いからやめて、このさい景気良く軍艦マーチに したらどうかな?なぬ?だめ?また中韓が騒ぐって? ゴングがなる。ようやく始まった。。。そしたら1ラウンド目で1発ダウンを食らう。 ありゃりゃー。そのあとは双方守りに入っているのか動きなし。。。。ねむくなってきた。。 ああ、もうだめだ。僕は5ラウンド目でふらふらになってきた。 眠くて眠くて、意識がもうろうとして、そのまま、ぐぅ。と寝てしまった。KOである。 はっと目覚めて気がついたら1時!ああ、「CAとお呼び!」を観そびれちゃったじゃないか。 翌朝テレビをみたら、亀田の判定勝ちだった。僕は最初のノックダウンしか観てないから 「えー」と思った。どうやらテレビでさけぶ大勢の話として「負けていた」というんだから、 まぁそうなんだろう。でも、それならば余計、勝ったらしんどいんじゃないだろうか。 TBSの朝の番組に本人が出てたので見たが、厳しい指摘をうけて、本人が ぼそっとひとこと。「まけたら次は無いんで。。」と言った。そうだ。そうだよなぁ。 ボクシングってそうだよな。チャンピオンはたいてい「全勝」と言って紹介される。 つまりは負けるようじゃ、残れないらしい。たいへんだねぇ。 サラリーマンは楽だなぁ。だなーだなー。 まぁ、死地へ置き去りとかいろいろあるけどねぇ。あっはっは。 愚痴言いつつ頑張れば、ホントに死にゃしないし。でも毎日毎日、一日 10時間、15時間、ずっと続けて拘束され続けるのはしんどぃよなぁ。 なんか最近グチがさらに増えてきたな。あ、この日記がそもそもそんなものか。 で、ひとつ面白かったのは二宮ライターの話で、最近のスポーツ報道は、 なんでもスターを作って、勝っても負けても美談にしてよかったよかった という報道で、盛り上がるけど内容がないと批判していた。 うーむ。たしかに。 事前にたくさん期待を煽っておいて、上手くいけば、さらに次へ続くが、 いつかは終わって、批判で幕を閉じる? 巨大マスコミはみんな同じような動きをするらしい。 その点我らが自転車界は、専門誌と専門HPぐらいで閉じていて、これぐらいが ちょうどよいのかもしれない。テレビやら新聞やら総合誌といった「巨大マスコミ」に にぎやかにでるようになれば、別府が次回のツール優勝候補だと叫ばれ、さんざん マスコミ露出が増えて話題がバブルとなり、で、もしも出場できなければ、残念でした ハイおしまい、別の競技へスポットライト、、、なんてことになるんではないか。 昨今は健康ブームということだろうか、自転車もだいぶ巨大マスコミに現れるように なったが、さて、よい兆候か、不幸の訪れか。。 そうそう、巨大マスコミのおもちゃ、サッカーだけど、最初の「オシム批判記事」は 彼の秘密主義が槍玉に上がったように記憶している。でもそれ、 「ぼくらのサッカー、オシムがひとりじめするのずるい。ぼくらマスコミたちにもいじらせてよ」 という愚痴に見えた。はっはっは。締め出されてやんの。マスコミ。なるほど、つまりは モリカワさんの言うとおりというわけだ。がんばれオシム! ん?それを考えると、政治の世界もあやういのかもしれない。 「密室政治はいけない!」 という合言葉で、なんでもマスコミ(つまりテレビと新聞)の用意する枠内で 演技発言をしなきゃいけなくなってきた。これって、これって、怖いことかも。 そういや、ヒトラーはマスコミが作ったはずだな。いや、彼が利用したのかな? 民主主義なんて、そんなもんだって。所詮は道具。もうみんな知ってるよねぇ。 おおぜいが寄って騒いで決めるものなんて、お祭の代表者をきめるぐらいしか できないものだよ。 (社会科学に絶対価値なんてないのよ。だから自然科学じゃなくて社会科学なのよ。 不自由なら自由を、自由なら不自由を与えて、バランスをとるのよ。右翼思想も、 左翼思想も、自由も、階級も、保守も革新も、傾きすぎれば戻せばいいのよ。 戦後日本は左翼すぎただけだし、社会規範も自由(崩壊)に過ぎてるだけだし。。) それにしても、テレビとか、新聞とか、国の規制に厳密に守られた「マス・コミュニケーション」 (1対多)っていうのは、なんでいつも偉そう、いばってばかりで中身の陳腐な、つまりは 貴族なんでしょう、としみじみ思う。その点、長尾日記とおんなじレベルじゃないか! テレビは放送免許という、他者の参入できない仕組みの特権で守られているくせに、 他の業界の特権を見つけては攻撃して解体させようとする。だから日本で残された 唯一の貴族階級。「特別」だから人はみなそこへあこがれ、参加したいと思うわけでしょ。 テレビは自分らの作り出す「報道番組」のコメントで、規制緩和だとか業界の閉鎖性とか、 いつも他の業界をえらそうに叩くのだが、放送免許に厳重に守られているテレビ自身は いったいなんだと思う。参入のない独占状態では価格が高騰するわけで、 CM料、CM出演料に至っては、いったい金額の根拠ってどこにあるのだ。 CM効果で売り上げが伸びる?ペイするから?CM枠が限定されているから(日本全国、 同時刻5個まで?)1個あたりの密度が高いので効果があるのは当然だろう。だとしたら そんな密度に答えられるのは超・一流企業だけじゃないか。 そんな「貴族の宝の山」にIT業界のなり上がりが挑戦するのは当然だし、そして、 現代日本の最高権力なんだから、逆襲でツブされるのも明白だったわけである。 (リクルート事件もそういう話だったと聞くが、昔のことなのでよくわからない。) 僕は何年かまえ、テレビ局の中に入って1年ちかく仕事をしたが、やつらの態度に ありありと浮かぶ特権意識というものに、ほとほと嫌になった。公務員でもないのに 金銭感覚なし。他業種への尊敬なし。自分の理屈だか学生論理だけをふりまわす。 ビジネスのバランス感覚などない。通じない。自分たちの失敗はとにかく恐れる。 そして尊大。ひけらかしを聞かされる。エレベータに乗ってると、芸能番組プロデューサの 大声のヒミツ話に、つくづくイヤになったものだ。 だいたい、彼らのよく使う用語「一般人」という言葉、いったい何様のつもりなのだ。 「一般人」「一般の方」。。。 僕はIT業界以外の人間とか、コンピュータが苦手な人間を「一般人」というラベルで区別 したりはしない。そりゃそうだろう。そういうのを差別というのじゃないか? 八百屋さんが野菜を取り扱わない人を「一般人は、野菜の扱いが全然わかってないよなー」 なんて言うはずもなし。そんなこと言ったら「ばかにするんでねぇ」と言われるのがオチだろう。 でもテレビって世界はちがうのだ。キミタチは一般人だから、、、なのである。 特権空間では、普通の人でも、染まればそういう差別をするようになるのである。 ちなみに、長尾日記作成に関係ない方々、つまり皆さん「一般人」はワタクシに批判など してはいけません。それは、長尾日記がサーバアクセス権という限られた特権によって 守られている、だいじな権力だからです。日本で長尾日記といえばひとつ、これだけです。 みなさんインターネットに接続しても長尾日記しか読めませんけど、これは長尾日記が 自由市場によるコストダウン競争で品質が落ちるのを避けるために、つまりは放送の質を 維持し高めるために、国家の法律による特権で大事に守られる必要があるのです。 だから一般人の軽々しい参入は放送文化を守るために、認めるわけには行かないのです。 みんな禁止されているのに勝手にブログを立ててますが、日本でブログを書いていいのは 長尾日記だけです。あとは全部不法です。放送免許違反です。 一般人のみなさん、長尾日記を読むときは、HP更新に合わせて読みましょう。 けして一般人から、更新を要求してはいけません。批判してもいけません。批判しても だれも報道しないので、誰にも知られず終わるだけで無駄でしょう。 (というようなもんだな。テレビなんて。) まぁ、テレビ業界のひとがこれを読んでいたら、もう読むのは辞めたほうが良いかも。 あまりに無茶な攻撃だから。。。あ、ちなみに、テレビ内部にも上下があって、製作会社と いわれる末端の人間は士農工商のその下だというのも、残酷物語で聞かされたことが あるのだが。。。 まぁ貴族のなかにはこころあるものもいるし、貴族階級があるから文化も栄えるのだ。 そういう点では「地上から消えてしまえ」とは思わないが、まぁ付き合いたくない人種ではある。 ホームページとは、まさしく個人情報発信、マスメディアとの戦いなのだ。 マスメディアとは、本質、口裂け女(ふるー)のような「うわさ話」のようなものである。 だれかが衝撃的な話題を発信し、多くが受け取って熱狂する。熱狂しなくてもいいけど 大勢が耳目を集めるような、単純、刺激的な情報でないと、広まらないのだ。 亀田選手をみていると、そう思う。このひとは、自分もマスコミを利用したかもしれないが、 所詮、マスコミ族の日々の食い扶持のための「良いネタ」にすぎなかったのだ。 今回、判定勝ち騒ぎでよけい「話」がさかんになり、ますますマスコミが太っただろう。 どう転んでも、彼は、テレビの社会では消費されるだ。まぁ、知ってて望むなら良いけど。 そういえば、今日まっちゃんと昼飯を食べていて気がついたが、亀田選手の、19歳で あの受け答えは立派過ぎる。オトナだ。普通以上にオトナだ。だって、ドラフトで巨人に 指名されなかった清原はオイオイ泣いたじゃないか。 「ボクが巨人に入れなくて、どうして桑田が。どうしてボクじゃなくて」 あんときかれは18歳だろうに。 亀田はおにーちゃんだからかな?えらいなぁ。長兄って。。。 えらそうにマスコミ だから今日も僕は長尾日記を書くのである。(すばらしい自己正当性!) 2006/8/1(火曜) 今日、ふるい日記など調べてみたら、沖縄80キロに完走した年は そうとう仕事がヒマだったらしい。夏に9連休なんて平気で取得していた。 なんとも信じられない状態だったらしい。おまけに残業もほとんどしてないし。。。 また超・不況にならないかな。 今年は何キロに出ようか。いや、80キロのつもりだったのだが、120キロが 130キロになると聞いて、逆に80キロの激化を想像した。僕がのぼりが好きなら ぜったい130キロだろーと思うけど。さて。 あの普久川ダムを登って、島をぐるっと回って、また登って、そのあとも登ったり降りたりの 連続か。すげーなー。いいなー。うらやましいなー。 今のしごと、いつまでかなぁ。。。 9時前に会社を出て帰る。家についてテレビをつけたら見たいものもない。 んー、フジテレビのドラマでもみるか。なんだかカラーが予想つくのだが えらそうなこと言わないで見るか。ふーむ。青春モノだな。ダンスドリル部だそうだ。 狙った路線だな。若い子をたくさん出して、フリフリスカートな青春モノを堂々と 放送できるわけか。視聴率は企画時点で安泰だな。 それにしても、みたことない役者ばっかりだな。生徒役は。加藤ローサってのは、 めざましテレビに出てたよな?たしか。このみじゃないぞ。このみはこまっちゃんだぞ。(ヒミツ) せめてジャイアントコーンの愛武にしなさい。あとの女優はしらんぞ。モー娘じゃないだろうな? そういや、モー娘って『オーディション落ちこぼれ組』ってコンセプトだと思っていたが、 いつのまにか美形幼女軍団になってるな。つんくって危ないコレクター? いや、時代の要請?それにしちゃ売れてるとは思えないぞ? あ、すでにロングテール狙いだったか? 解説:ロングテール市場: 22時から続けて「結婚できない男」をみる。今、母親がハマってるドラマだ。 息子二人がずっと独身だったので、そりゃ観たくなるわな。 なるほど、主人公は建築家か。ふむふむ。ますます母親がハマるな。同業だし。 僕はこのドラマ、初めて見るが、かなり気合がはいってると感じた。うん。 このドラマは昼の金太郎飴じゃないぞ。 なぬ、他人事に語ってる場合じゃないって?おまえがそうだって。うーむ。 僕は阿部寛みたいにかっこいい暮らしもしてないし、几帳面じゃないぞ。 どっちかっていうと、いーかげーんだぞー。 でも、理屈っぽい(屁理屈っぽい)ところは、たしかに独身男の常かもね。 ところで、今の日本の少子化・独身が増えた原因はなんであろうか。 僕は知っている。僕は、「いがらしゆみこの罪」だと思っている。 (笑うところではない?) 以下はずいぶんつまらない、読みにくい話なので、自分の記憶のためだけに書きます。 ■気が向いたら表示します。 ・・というわけで、 私がこのように、偏見によって差別する「いがらしゆみこの子ら」とは、わかりあえない というより、感覚として通じあえない何かがあると信じて居る。それは長い苦闘と 敗北の結果だから、だれが否定しても無駄であろう。 結果として僕は「結婚できない男」になったのだ。ちゃんちゃん。 もしも、この仮定が、個人的問題でなく、もっと普遍的な問題だとしたら、こういう現象が もっと多くの人々にも発生しているわけだし、そうなれば最終的には社会問題の形となって 現れるのではないかと、いつものとおり、アホな僕らしい、「桶屋論理」で少子化という結論 になるわけである。まぁ人によって傾向の軽重はあるだろうから、あまり強調してもうそっぽいか。 こんにちの、「結婚できない男」というドラマ、、、作り手の挑戦は、じつにすばらしい。 でも、敵がなにものか、どうみているのだろうか。じつに「おもしろくなりそうだ」。 そうそう、僕が「完全なる飼育」の小島聖が大好きなのは、おなじ信念かもしれないな。 ふふふ。 阿部寛を「神経質で自分個人完結している困った人」「細かいこだわりで大事なものがみえない男」 としておもしろおかしく描いていると、ちょっと僕の感じているものとちがいそうだが、 これはむしろ、視聴者への導入で、理解・共感しやすくするために、わざとな分かりやすい ステレオタイプを強調するという、「餌撒き」の段取りかもしれなくて、ほんとはもうちょっと 穿った見方なり、提案なり、新しいものが出てくるのかもしれない。 名にし負うフジテレビドラマならば、それができるぐらい、演出家?脚本家?監督らの 人間への目は肥えて居るだろう?できるだろう?、と、僕は期待をしたいのである。 ずいぶん今日はつまらない話をしたな。 自分の差別意識を吐露するんだから、まぁ社会学やら心理学のデータとしてよいかもね。 こういう日記は、そのうち消してしまうかも。 まぁこんだけ文字がやまほどの、しかも意味ない日記だから、自分ぐらいしか読まないか。 まー、どーでもいーや。 |