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2006年9月の長尾日記 | |
歳をとって増長して耳のふさがったアホに鞭をくれる人は貴重である。 また、そんなアホをちゃんと見つめていてくれる人は宝である。 今のワタクシはじつに日々幸せである。 2006年10月01日(日曜) 過去3年、年間10レース以上に出ていたが、今年は大休憩の一年になった。 なんと、真冬のウィンターロードともてぎしか出てない。 あとは沖縄。JCRCの最終戦ぐらいか。 今日はオーベストサイクリング。 みんなよく走る。え?ってぐらい、サイクリングメンバーも粒そろいになってきた。 途中の住宅地のなかの狭い激坂では、1,2名転ぶと思っていたが(いや自分もあせったが) 1名足をついたぐらいで難なくこなしてしまった。 今日の目的地はプロローグというパン屋さん。なんと駐車場に誘導の守衛さんがいる! 店はアイドルコンサートの切符売り場のように混みあっている。列にならびながら 店を長蛇に流れていき、レジでお金を払う。 ちかくの農道みたいなところで車座でパンを食べる。ローストビーフのサンド、おいしいなぁ。 スコーンもいい。しっかり食べたくなる。 昼からは用事があって、というのは、兄貴が夫婦で宇都宮から来ていっしょに食事会をするので お店から家に直行することにした。 飯山さんと二人で帰る。左折して、黒川尻手線にでる?あー、ここか。北部市場の先ね。はいはい。 クルマでなんども通るジャン。あれ、この周辺を走ってたのか。ははーん。なるほど。 飯山さんは府中街道に出れば分かるといっていたが、 「どちらでしたっけ?」 「鶴見のほうで」「あ、そうそう、そうでしたね」 良く考えれば、黒川尻手線を川崎方向でずっと進んで、途中で中原街道にでも乗り換えれば きっと鶴見のほうへいくだろう(いや、正しくは黒川尻手線だけでほぼ十分なのだが。) いっしょに犬蔵交差点までいって、そこで分かれた。 「府中街道に行こうとするとかなり回り道になります。この道をずっといけば、元住吉のほうに行きます。 中原街道にぶつかりますので、あとは標識をみれば。。」 「川崎って標識があるので、それ見て行きますので。」 そのあと僕は平を抜けて神木を抜けて、長尾へ戻った。 家でシャワーをあび、両親とニコタマへ。 カジュアル系なフランス料理店へ。今日は母親の誕生日いわい。主催は兄貴夫婦ということに なっているが、まぁ根回しは僕だったりする(超・ヒミツである)。なかなか上手くいったかも しれない。兄貴たちは仕事がいそがしいらしくて、引越し後の部屋の整理もままならないとか。 食事しながら、会話がとぎれることもなく、たのしかった。 そのあと、僕は結婚祝いとして、ご希望のパスタ鍋を進呈。よかったー。ようやく渡せた。 しかも珠菜さんのこだわりも反映させることができたし。 両家はクルマで長尾にもどり、お茶を飲んでしばらく話したあと、帰っていった。 兄貴は社会人として僕なんかよりずっとシッカリしているが、家庭人としてはどうだろう? 珠菜さんはその点、のんびーりしたムードだが家庭的でかつ意外と主張がはっきりしている。 改めて安心した。 なんだかおめでたい新婚さんを今日もみれて良かった。 2006年09月30日(土曜) 滋賀のしごとは1週間延長になった。 サラリーマンゆえ、否はないのである。 今日は昼前まで京都で仕事。なんとか片付けて、昼ゴハン後はしごともないので 京都観光することにした。戦車長と2名でどこへいこうか考える。 じつは先週つぶさに調べてみたが、自分で回ると市バスと地下鉄を使うのだが、意外と時間がかかる。 ここは専用交通機関ということで、観光バスを当日申し込みする。 金閣寺、清水寺、高台寺をめぐるツアーだ。これにしよう。 バスに乗り込む。ガイドさんつきだ。 多少の知識もついて、意外と良いな。 金閣寺は昭和63年だったかな、に改修工事をしたそうだ。ちいさいころ見たよりさらに金ぴかに なった。それもいいが、庭も素晴らしい。周辺の寺の屋根瓦も造形がすばらしい。 目の保養だな。 バスに乗って清水寺へ。もう2つめの寺だからさすがに造形美にびっくりはしなかったが、祭られている 神様が多いので、曰くを読んだり、お参りしたり。 清水寺の由来である、寺のしたにある清水はいろいろご利益があるそうだ。長蛇の列だったので、 そのちかくの茶店でカキ氷を食べる。宇治金時氷を頼む。あ、おいしいな。これ。お茶がちがうのかな。 この水を清水と思えばなんだか得した気分。 清水寺から七年坂、三年坂という京都ふぜいの小道を歩き、高台寺まで散策する。 高台寺は豊臣秀吉ゆかりの寺。茶室やら庭やら、やっぱり普段とちがう美しいものを見た。 寺のなかには室町ごろの絵巻物が展示してあった。なぬ、百鬼夜行図? モノや道具は100年たつと心をもって鬼になるらしい。そして深夜歩き出すとか。 別に人を恨んだり襲ったりするものではないらしい。ふーむ。昔のひとは「こころが広かった」のだな。 自分のこころが人間同士だけでなく、ものにも投射したのだろう。なんと豊かな心だろう。 絵図はとっても想像力のあふれるものだった。 最後は秀吉、北の大政所の木造を拝観して、バスに戻った。 午後だけのツアーだったが、十分に観光を満喫した。ふたりで「いいねぇ。」「いいねぇ。」と 飛び込みのバスツアーにご満悦だった。 帰りの新幹線は、いつもと違う疲れで表情も柔らかかった。 2006年09月29日(金曜)その2 ところで、俳優の丹波哲郎が亡くなったそうだ。 このひとは「大霊界」という話をしていたそうだ。 「霊」の話は、マユツバものとして自然科学が信仰されている現代の 世の中では、まともには取り上げられないのがふつうだ。でも、 霊の話はだれもが興味をもっているし、否定まではしない。 じゃあ、霊とはいったいなんだろう? 物理的にその人が居なくても、「あそこにあのひとの霊がいる」という ひとがいる。はて。なぜだろう。 人間には五感がある。物理的な「人」という存在が目の前にあれば、 五感で感知して、「人が居る」と感じる。それはふつうだ。 では、人が居ないのに、「いまあのひとがいる」という。 これは、五感のマチガイにすぎないのだろうか。 そもそも、ひとなんているのだろうか。 ひととは、なんだろう。ひととは、こころである。 こころは、どこにある? (あまりこの話はつらい道のりだから書けないのだが。) ひとがいるのは、どこだろう。 ひとがいるのは、ひとびとのなかだろう。 だから、物理的存在として身体がそこに存在しなくても、「あのひとがいる」 というのは、完璧なマチガイではないし、かといって、完璧に正しくて、 全部、そこに、あのひとがいる、というわけでもない。 「あのひとがいる」というのは、そう感じたその「ひと」のなかに、あのひとがいるのだ。 ひとのなかに棲む「ひと」の存在の継続は、物理的身体の継続とは、かならずしも 一致しない。だからすでに死んでしまっても「あのひとと、おはなししました」 というのは、そのひとにとって意味があるのであって、「あのひととおはなし できたんだね」ということなのである。 人は身体があるから存在を維持できると主張する人がいる。まぁ自然科学的視点から 分析して判定すれば正しいだろうな。でも、そもそも物理的存在の有無という尺度は ひととこころのなかみの世界を計るには、通用しない尺度でしょう。痛いって何センチ? あの人が好きって、何グラム?長尾日記って、何平米、何立方メートル? そもそも、ひとって、ひとりの物理的存在だけで成立するの? ・・・・へんなはなしかな。まぁいいや。 丹波哲郎は「大霊界」というおもしろい言葉を使って、じつに滋味のある人間性 ゆたかな「ものの見方」を伝えようとしているように思える。すてきだな。 とってもすてきなひとだな。 僕は大霊界には全然興味ないけど、きっとそうなんだろうと思う。 この世に自然科学なんてなければ、きっと僕のこんなていどの話は、だれでも、 宗教なんか借りなくても、ふつうのことだとおもうけど。 。。。ちいさいこどものほうが、よくしってるかな。 この話、いちど戸田先生にぶつけてみたかった。でも、それができなかった。 もはやこのようなことを討論する相手もいなくなったというわけか。 なんだかいろいろ、卒業後10年の、過ぎる日々を無為を感じる。 無為ならしめた理由は、僕自身がなにかを求めてこなかった日々だからだ。 日々、金と暮らしと、その場の快楽しか見えなかった僕だからだろう。 社会人、経済的自立という(まともなひとにすれば)当然のものを自分の人生の 目標という大きなものと入れ替えにした結果だろう。 (まぁ自分にゃ無理なことを挑戦するのが目標というものだが。) もし今、あなたに求めるものがあるのならば、それは続けることが大事だ。 それが見えてこない人ならば、立ち止まって静かに考えましょう。 そういう時間ぐらいは、作ったほうがいいんだろうな。 2006年09月28日(木曜) 昨日の夜は現地チームの飲み会(送別会)だった。現地メンバー3名、こちらは 僕と戦車長とヒライ君。かなり飲んで食べた。おかげで今日の午前中は 身体がずーんと重たくてしんどかった。頭痛が無かったので仕事の影響は なかった。飲み物を焼酎に絞るようになってから、翌日の心配が無くなったのは いいことである。 でも、内臓への負担が大きかったのか、持久力が今日はないようだ。20時すぎて 帰りたくなってしまった。あと1日。まぁなんとかなるだろう。 2006年09月27日(水曜) 天高く 馬肥ゆる秋。。。。。 さいきん食は進むし、すずしくて落ち着いた気持ちだし、仕事もひとだんらくつきそうで、 精神的にのびやかになって、いつのまにか身体ものびやかに、、つまりは、太ったらしい。 たしかに食事制限はしていないし、半期末で飲み会が週になんどもあったり。これからも、 ますます太りそうだ。その気になれば80キロぐらいカンタンかもしれないな。 ケータイを換えた。壊れたTU-KAを、新しいAUに乗り換えた。無論、防水の Gショックケータイ。。。なんと、公私2台ともGショックになってしまった。 新旧2台を比べてみると、外観のデザインは旧が上、機能、使い勝手はおそらく 新が上だろう。古い赤と、新しいオレンジ。ちょっとうれしかったりする。 自転車ライトマニアなみなさま、、、はいはーい!ぼくもでーす。 ◇初期のヒット・充電式ライト CATEYE EL-1600 単三型ニッカド電池を5本使い、6ボルトの電流で0.5ワットの能力を発揮。 最初はLEDライトを使っていたが、2002年にジャパンカップ観戦ツーリングで 鹿沼市まで自走したおり、渡良瀬遊水地あたりの真っ暗闇ではLEDが無力 であることを痛感して買ったもの。 ハロゲン灯としては普通のレベル。家庭用コンセントで繰り返し充電ができるので ジテツーに最適!なぬ、会社で充電してないかって?さすがにそのあたりは 公私混同してないです。(いえ、しそうですが。) ◇ミニなヒット・UNICOライト とにかく軽い。小さい。明かりは、照らすのでなく、己が位置を示すだけ。 でっかい充電ライトじゃ練習会は無理なので買ったもの。街頭のある車道ならば 問題なし。非常用としてサドルバッグに入れるのもOK。 あんまり小さいのでどこにいったか分からなくなること多数。 電池交換して今も使い続けています。固定用の輪ゴムが切れてきたな。。。 あ、この前の相模湖のときちぎれていつの間にか吹っ飛んだんだっけ?? ◇意外にイマイチ。LED/ハロゲン切り替えライト 充電式が大きくて重いので、遠距離ジテツー用に買った乾電池式のLED/ハロゲンライト。 電池寿命が危なければLEDを、暗い夜道ではハロゲン、という切り替えだが、意外と ハロゲンが暗い。しかも暗いのは深夜の多摩サイを数百メートル通過するときだけなので、 いまいちありがたみがなかった。 ◇一寸法師ライト。意外な落とし穴。 Bossが好きなTOPEAKのミニライト。ハンドルにカンタンに付くデザインは なかなかのもの。光量もある程度あって、UNICOよりもライトらしいかも。 サイズも邪魔にならないので実に使い勝手がいい。。。でも、なんと、意外な 落とし穴が。 かとーはシマニョーロ。つまりはシフター系がカンパニョーロなので、ハンドルに シフト用ケーブルが巻き込まれている。そのせいでぶっとくなっていて、この ライトが正しい位置に付けにくく、付けても下向きの位置をキープしずらいのだ。 ああ残念。(シマノ派には超オススメ。) サンデンLEDライト 可も無く不可も無く。。。考えて見れば、あれこれこだわっても、べつにこれで いいじゃん。ってな気もしてきた。真夜中の多摩サイに行かなければ無問題。 その他(未購入) さいきん強烈な光を発するライトがあるらしい。ヒカリモノ大好き世代??には たまらないかも。でも、めちゃ高くて、しかも重い。熱い。。。 んー、もうちょっとですなぁ。 2006/9/26(火曜) 今日は朝練なし。 明日から土曜日まで滋賀。なんとか9月中に片付くかな。 2006/9/25(月曜) 朝練するも、30分ぐらい。 府中街道をすこし走って、長尾裏坂へ。 ほんとに涼しくなったなぁ。。。 2006/9/24(日曜) 2006/9/23(土曜) ご想像の通り、朝から夜まで寝ていた。 ちなみに、日曜は10時間も寝た。すさまじ。 来週はいよいよ滋賀の最終週?なぬ、あと10本もあるプログラムを 完了させないと延長だって? 意地でも完了させてやる!月産8000stepを見せてやる!えいえい! たーらこー・たーらこー・たーっぷりー・たーらこー♪ たっ・ぷーり たっ・ぷーり あ、最近の旬なCM、チョーヤ(さすが) 会社行って・シゴトしーて・梅酒飲んで・ねーよおー 明日も・シゴトしーて・梅酒のんで ねーよおー きょーおは・もぉいっぱーい・飲んでねーよぉー す、、、すばらしい。。 2006/9/22(金曜) その2 今は昔が作っている。今のありようは、昔の結果である。 自分、まわりの人々、地域、社会、国、歴史、、、昔に起こった出来事が もしも違ったら、今の自分とその周りは大きく変わって行くだろう。 すでに起こった過去について、「もしも。。。」なんて考えてもしょうがない かもしれない。でも、そこから未来を考えるときの指針が得られたりするので、 無意味なようだが、意外と楽しいものである。 太平洋戦争とはなんだったのだろう。日本は軍国主義で悪い国だったそうだ。 そうか、日本人というのは、悪い人間、原罪の民なのだろうか。 そういう差別的な偏見で過去をみても何も得られない。あのころは、当事者なら 当然だったかもしれないのだ。過去を、今のものさしで計って「良い・悪い」と いうのは意味がない。 僕の興味あるのは、その「当然」がどこからきたのか、である。 昭和初期の日本、いや、端的にいえば、その時代の日本政府という「中心部」は、 あまりアタマがよくなかったような気がする。 それは、昔から日本人のレベルがその程度だ、とかいうのでなく、幕末から急速に 「アタマが悪くなった」のではないか、とさいきん思うようになった。 なぜそう思うようになったのか。僕はこの半年間、電車に乗る時間が長かったので 歴史小説をいろいろ読んだ。特に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、司馬遼太郎の 情熱からか、かなりまめに調査して書かれている彼の大作小説であろう。 読むことで、その当時の気運を、いくらか感じても良いのではないかと思っている。 さて。ではアタマが良い、悪いとはなんだろう。 加藤の嫌いな後輩、ヒライ君をいつも引き合いに出すのだが、ずばり、彼は間口が狭い。 引き出しが少ない。4年もつとめて、いまだにリーダーから新人と同じ保護下にある。 それはなにか。 かれの眼は、保護者しか見ていない。視野が限られている。だから何年勤めても 覚えるものは少ない。会社というのは、面白い人がさがせばいくらでもいる。 そんな彼らと交わることも無く、自分の保護者だけ見つめているのは、兵隊なら よし、あたまを使うSE、プログラマとしては、パシリな1年生と同じぐらい つまらない(=中身が薄い)のである。 人はだれでも、アタマがよくなったり、悪くなったりする。今日が悪くても 明日はどうなるか分からないものだ。だから人の評価というのは、そのときどき、 相手をよくみて考えるべきだ。 でも、自分のなかで答えを決めていて、新しい世界を見ようとしない人間は いつでも同じ。アタマが良くなることは無い。 昭和初期のえらい人は、もはや国際社会のなかに出てしまった日本という国を 背負って、いったいなにを見ていたのだろう。もしかして、かれらは、答えが 決まっていたのではないだろうか。思考閉塞だったのではないだろうか。 それぐらい、昭和の国際情勢の立ち回り方は、あほうであった。 いや、当時は情報が限られていて、日本人は海外を知らなかっただけだろうか? 知識がある、ナシなんて、僕にいわせりゃどうでもいいことである。 大事なのは、見ようとしているか、自分の答えだけに囲まれて出てこないか、 なのである。 人はいつでも、自分で答えをみつけて、それを道具に歩いていく。だから、 自分の答えに縛られるのはしょうがないことだ。でも、つねに外からの刺激を 新鮮に受けとめて、自分の中身を問い直す、それが出来るか、出来ないか。 これがアタマのよしあしを支えるものではないだろうか。 幕末の志士と言われる人たちは、その激しい時代の流れで、自分の答えを持ちつつ、 激しい環境に常にぶつかり続ける人が多く居たはずだ。そして、その自己研鑽が高まれば、 身分の低い、剣道だけが得意の脱藩浪人でさえ、江戸時代の末期に、国民議会、 憲法の設立、藩の廃止、海外交易まで唱えて、明治維新の思想的中核にまでなって しまうことがあるのだ。 (その男の内面に起こった輝きは、当時の日本のレベルでは、かなり奇跡でないだろうか。) だが、維新後は急速に「アタマが悪く」なる。 帝国日本は、昭和になって、やすっぽい大儀(大東亜共栄圏)を掲げて膨張政策をする。 「アジア人は犬同然」という欧米の植民地経営に比べて、まぁ1分の理ぐらいはあっただろう。 でも、やるにしたって、もうちょっと「外をみて、相手をみて、考えて、やれよ」と思う。 それは、国民議会を主張した幕末の志士に比べて、あまりにも稚愚である。 なぜそんなに阿呆になったのだろう。 江戸が終わる瞬間、つまり「大政奉還」があった直後、「身分のない社会と国民議会」を主張した その脱藩志士は、旧態依然とした京都見回り組に暗殺される。 その後は、薩摩、長州出身で、薩摩、長州という「藩意識」が濃厚に残る、つまりは視野が 「自分の藩の利益、あるいは同じ藩の出身者が大事」という意識が強い、つまりは視野の限定された、 レベルが落ちる志士たちで明治政府の中核が占められてしまうのである。 もしも坂本竜馬が80歳ぐらいまで生き続けて、ずっと明治政府に意見し続けたら、暗愚で 外を見ないで自分の答えにアタマまで漬かっている安っぽい藩人間たちも、もうすこし広く 国際社会を見た日本、封建主義の臭いの残らない、戦後のような民主主義の日本、という姿が、 見えたかもしれない。 なぜ竜馬は死んだのか。 今さら残念に思うのである。 僕はその1件だけで、太平洋戦争の愚まで結び付けてしまうからである。 さて、そこで本題である! 「安倍次期首相のとなえる美しい日本」をどう考えよう。 狭い了見の長州人が、全体主義をひっさげて、ふたたび日本の中心にやってきたのか? 昨日ほめて、今日はけなすのである。。。。 今後、どうなるのか。まさにターニングポイントのような、気がするのである。 そういや、長州、長州、長州藩士といっても、高杉晋作は維新前に若死にしちゃったのだな。 維新後の責任はないな。この人は「奇兵隊」という、武士階級を解体する組織を作った男だけに、 もうちょっと研究する必要があるな。。。 2006/9/22(金曜) 今日は新幹線で帰る日。 今月の山だった、大作プログラムをなんとか今週中にコードアップできた。 自分ながら、かなり満足である。 夜の新幹線にとびのり、戦車長と駅弁の晩御飯を食べ、ビールを飲んだらそのまま二人とも 小田原近くまで寝てしまい、ピクリとも動かなかった。 新横浜で降りて地下鉄、東急と乗り継ぎ、溝の口からはタクシーで帰宅した。 この生活もあと1週間。9月末で、大津との二重生活が終わることになった。 残りの作業はまだたっぷりあるが、なんとか来週踏ん張って、月末にぜーんぶおさめて完了させねば。 そして、10月になったらしばらく休みを貰おう。2、3日ぐらい。 でも、こんど月曜に本社へ行ったら上司に呼ばれて 「・・・あのね、あと、またもう半年、一人だけどお願い!」 なーんて可能性がゼロとも思われない。いや、予算のつごうで、そんなこと、ほとんどありえないことは 分かっているが、分かりきっているのだが、以前のように期待していて、また「やっぱり」といわれると ショックが大きいので、今度は最後の最後まで全てを覚悟しておこう。 とりあえず、10月になったら、2日ぐらい休みをもらって、温泉旅行にでもいきたいな。。。 2006/9/21(木曜) 半年間、滋賀に通っているのだが、ホテルは都合で京都にしている。 朝起きて、東海道線に乗れば、たった2駅、10分で大津だ。ちかいものである。 途中、山科という駅で1回止まる。山科とは京都の東で、大津の西。 どちらも山で隔てられている、ちいさな盆地だ。 この山科という町、駅から一望できるのだが、町並みがどことなく美しい。 なぜだろうか考えた。そうだ。瓦屋根だ。黒灰色の瓦屋根の民家が、狭い盆地に びっしり立ち並ぶ。その統一感が、背景となっている山々の濃緑に映えて、美しいのだ。 さいきん実家にケーブルテレビが入った。J-Sportsでツールの中継録画を見た。 フランスの町並みは、日本と比較にならないぐらい美しい。伝統と自然の調和で 観るものを圧倒させる。加藤の嫌いなコカコーラの真っ赤な看板や、ネオンが点滅する アコムやら養老の滝の広告塔などないのだ。 ブエルタの牛看板、あれは確かに広告だ。でも、あの控えめな主張に比べたら、 アジアの町並みの汚さ、醜さは、もはや同じ人間とは言えないレベルであろう。 そんなアジアニッポンの「美しくない」町並みを支えている背景はなんだろう。 伝統より自由。表現の自由。資本主義。市場主義。拝金主義。 「町並みの統一をしよう!」なんて声をあげても、「おれの自由だ」「だって儲かるから」 の一言で殺されてしまう。 だから真っ赤なビルのとなりに青いビルが並ぶような愚をしても、だれも止められない。 そしてビルを設計した建築家、注文した家主は「おれのビルって、よそよりカッコいいだろ」 という、自分のものしか眼中にない幼児性を、その町並みで世界中に露呈してしまう のである。 山科が美しいと思ったのは、高いビルが少なく、変な色の瓦屋根がなく、 けばけばしい広告塔がほとんどないからだ。もしかすると山科も京都同様、町並み規制が あるのかもしれない。その条例を受け入れている町だからこそ、すばらしいのであろう。 もうひとつ注文を付けるとすれば、電柱という、日本の町並みの悪さを助長している アイテムも、ぜんぶ地下へ埋設してくれるとうれしいのだが。。 さて、ここまでは建築家の両親の子供として普通の発言だが、話はもうひとつ あったりする。重要なのは「美しい」ということばだ。 次期首相が確定した安倍晋三氏は、くりかえし「美しいニッポン」と言う。 さて、歓迎すべきか、警戒すべきか。微妙ではないか? 「美しい」とは何だろう。上記のとおり、統一感であり、全体的な構成であり、 統制された配置である。それを絵画のような芸術や町並みのついて主張するなら 大変よろしいのだが、政治の世界で「美しい」という用語は、意外と微妙である。 加藤が上記で使っている言葉が「恣意的に選ばれている」のが分かるだろうか。 統一感、全体的、統制、、、、 つまりは、かとーと長尾日記を支えている「無限の自由」の対極の方向なのである。 でも、かとーの信条としては、無軌道な自由には反対である。 そもそも「自由」なんてコトバと概念なんて「良い・悪い」という評論に値しない のであり、「自由がすばらしい」とか「○○の自由は大事だ」とかいうのは 20世紀前半の青年の主張であり、今の時代ならば、自由ではなく、自由によって 選択できるもの、そのものについての「よしあし」を問うべきではないだろうか。 人間は獲得した権利は手放せないものだ。そして、ここまで情報化の進んだ時代で 言論の自由と民主主義なんて揺らぎようがないではないか。日本中、世界中のネットワークを 破壊しつくさないかぎり、2ちゃんのような俗っぽいものを始め、絶対に絶滅しない 草の根がいくらでも吹いて出るのだ。 もう「自由」とか、あるいは「民主主義」なんて概念自体を上下するのは無駄だ。 さてその「自由」がすでに社会基盤となった今と考え、安部次期首相のいう 「うつくしい日本」というのは、どんなことを、どこまでやるのか、前向きに 捉えることができれば、実におもしろい、おもしろい挑戦ではないか? 脳死が疑われる社民党・福島党首のオウム発言「自民党の軍国主義化、金持ち優遇、 庶民弾圧」とかいった、今からもう推測できる、ものごとの本質を見ないで 過去のコトバを繰り返すだけの空洞化した主張による「安倍たたき」を上手く納めて、 このおもしろい、そしてきわどいかもしれない、そして成功すれば明治維新ほど ではないにしろ、日本という国にインパクトのある新しい潮流が、「美しいニッポン」 という言葉から生まれるかもしれない、そんなふうに、ちょい期待したいのである。 微妙に思いつつ。。。 そういや、名前が僕と同じだな。 安倍晋太郎、晋三と、親子で同じ字を使っているのは、よっほどこだわっているのだろう。 なぬ、山口出身だって?ならばまちがいなく、幕末の英雄、高杉晋作への敬慕であろう。 でも、長州出身の首相が「うつくしいニッポン」と叫ぶ。。。。うーん。これは何だろう。 さて、これについては、また明日言いたいことを書こう。 2006/9/20(水曜) さいきん朝練は涼しい。日も夕暮れみたいに傾いている。あー。もう 秋なんだなぁ。 府中街道を走る。昨日より状態は良くなっている。自転車は継続が命だなぁ。 そのまま登戸、矢野口、南多摩と行き、今日も連光寺坂をのんびり登る。 連光寺坂上で左折してさらに登り、信号を右折。おはサイコースである。 蕎麦屋さんの前を通り過ぎると、前方の歩道にオーベストジャージが 座り込んでいる。はて。だれだろう。 近くにいくと、中野さんだった。おはようございます。 オーベストジャージを着てなかったのだが、すぐ加藤と分かったようだ。 なぬ、着物でわからなくなるのは、僕ぐらいだって? 中野さんは地べたに座って作業中。シマノのSLペダルを調整中とのこと。 タイムペダルもいいですよ。 二人で周回コースに復帰する。あ、こりゃ困ったな。いつも超・ゆっくりなのに なぜだか今日はぐいぐい重いギアにしてしまう。稲城第三公園坂をぶわーっと降りる。 まだ後ろにいるな。 そのあと??坂を思いっきりダンシングで登る。 ん?いない雰囲気。ふぅ。またこれで超スロー?な練習ができるぞ。 と、のんびり下っていたら信号でまた捕まってしまった。 一方の中野さんも「朝から踏んでる人に付き合いきれないな」と思ったのか、 光陽台を抜けて是政橋へ出て帰るとのこと。 僕は再度、連光寺坂を登ることにして挨拶をした。 ゆっくり連光寺坂を歩道で登っていると、うしろ斜めから3名のロードが車道で 1列棒状に登って行った。おやまぁ。早朝から列車とは、好きだねぇ。。。 しばらくして、おなじ仲間らしい一人がはぁはぁ登ってきた。列車の3名から 千切れたのかな。 なんだかニコタマのときの自分を思い出して「曳いてあげたいなー」と思いつつ、 彼らは車道なんで、伴走応援だけすることにした。。。。なんだかアヤシイ ストーカーみたいだな。 真横で走っていたら相手も気が付いた。坂道でニコニコ伴走する知らない人って 怖いだろうなぁ。で、屋根の下の平地部になってスピードをちょっとあげて、 そのまま坂上まで先行した。後は坂を下ってウチに帰ることにした。 帰宅して、朝飯食べて、シャワーって。 さて。新幹線に乗りに、出かけますか。 昼飯後に到着。琵琶湖畔。席につく。ちょっと仕事をする。。 だいぶ意識が混濁してきた。寝不足のうえ、朝練をしたせいかもしれない。 ここは砂糖たっぷりなジュースを飲めば脳がリフレッシュするだろうか? Yahoo!ニュースを見る。上司にしたい歴史上の人物、1位は坂本竜馬だそうだ。 うむ?司馬遼太郎が調べて書いた小説を読んだかぎりじゃ、かなり捉えどころの 無い人らしいぞ。上司ってタイプじゃないでしょう。あ、社長ならいいかも。 2位は織田信長。。。げっ。もし上司だとして、20年間勤めていきなり 「お前、新人のとき、アレしくじっただろ?だから今すぐクビ!」と言いかねん。 3位は徳川家康。。。やめとけ。ぼろをまとって毎日粗食だ。しかも、 身近になればなるほど厳しいぞ。身内を叩いて士気をあげるタイプでしょ。 おまけに諜報・密告大好きではないか。 じゃぁ、だれが「上司」に良いかって?そりゃもちろん、 「真田幸村」でしょう! 足軽を縦横無人に指揮する彼は、大阪冬の陣では大挙して押し寄せる何十万の東軍に対して、 城外の「真田丸」で浪人兵ども数千を指揮して撃退し、また夏の陣では東軍の、津波のように 襲い掛かる1万三千の前衛を三千の兵で曳きつけてはうちすえて滅ぼし、短期速攻、前衛を突貫して 本陣まで突き進んで急襲し、慌てた旗本に逃げられた家康は、わずかな供周りと命からがらに 逃亡して、なんども「首を取られるぐらいなら切腹する」 覚悟を決めたというではないか。 薩摩・島津家の記録 「五月七日に御所様の御陣へ真田左衛門は仕かかり候て、 御陣衆追い散らし、討ち取り申し候。 御陣衆、三里程づつ逃げ候は、皆いきのこられ候。 三度めに真田も打ち死にして候。 真田日本一の兵、古よりの物語にも、これなき由、 惣別これのみ申すことに候」 しかも彼の父親、真田昌幸も関が原のころ、遠く群馬県の上田城で、 2代将軍徳川秀忠が率いる4万の上洛軍に対して、わずか2千の兵をつかい (つまり20分の1)、計略と駆け引きで1ヶ月間も城外に釘付けにし、 ついには秀忠の軍勢を関が原の合戦に参加させなかったという知将ではないか。 (そのせいで秀忠は二代将軍なのに凡将の名が付いてしまったのだ) (当時の秀忠の補佐には、家康の知恵袋とされた本多正信と、そのほか 強兵といわれる三河武士がおおぜいいたはずである) 世の中に「知将」といえば色々聞く。が、単に学があってアタマがいいだけの男はダメだ。 アタマが本当にいいというのはなんだろう?自分の考えを、大勢の人間と共有して 集団を「自然と」「当然と」動かすことが、ほんとうに「できるやつ」なのでは ないだろうか。そして、そういう上官を持ったときに、武士ならば死を恐れず戦う のであろう。そうさせることのできる男こそ、本物のような気がする。 そういや、かとーの敬愛するS部長は、そのスジじゃかなり怖い、厳しい人だそうだ。 ふーん?何時までも子供っぽい突撃兵な僕には、とっーてもやさしいぞ。はて?あ、 もしかして、そうだ、きっと兵隊の「死に向かわせ方」が上手いのだな。 2006/9/19(火曜) その2 フジテレビのドラマ「結婚できない男」の最終回を見た。面白かった。 私と同期の長島君は、「若葉ちゃん同盟」である。 「若葉ちゃん同盟」ってなに?、という方。さもありなん。これは数年前、 「やまとなでしこ」というドラマが放映されたのだが、話の筋は、 主人公「欧介」という、数学科の大学院を家の都合で中退して、今は魚屋を やっている男と、超・高慢なスチュワーデス「桜子」の恋愛モノなのであるが、 脇役として、当時まだ有名でなかった矢田亜希子が「若葉ちゃん」という、 明るくて、素直で、純情で、家庭的なかわいい役をやっていたのだ。 性格が悪く、金至上主義の「桜子」の対立として描かれる人物だけに 人気がでて、見ていた長島君や僕は、じつにいたいけな若葉ちゃんの振る舞いに 熱く共感し同情し、主人公「欧介」と「若葉ちゃん」がくっつくように、長島君と 応援をするため同盟を結成したのである。 今回の「結婚できない男」の筋も似たところがあって、物語後半で、 若くて家庭的な「若葉ちゃんタイプ」の国仲涼子が主人公に急接近するシーンが あるのだが、今回は「女医さん」と主人公の関係が、ある意味強固に描かれているので、 うーむ。若葉ちゃん同盟はこのさい、国仲涼子と主人公の成就を強烈に要求は しないのである。。。でも、なんかかわいそうだな。。。 ん?これじゃ、なんの話か、さっぱり分からないなぁ。。。 ちなみに矢田亜希子のファンじゃありません.残念ながら本人には興味なしです。 そういや、女優さんって、興味ないなぁ。どっちかっていうと、女性歌手のほうが よくチェックするかも。 それにしても、この話、わざわざ「今日の日記 その2」を書く内容だったか? 内容は、ないようーー・・・ さて。明日から滋賀に行きますか。 (それにしても、Perlは食わず嫌いであった。今日のBashも楽しかったがのだが、 いまさら遅すぎる感もあるが、Perlもやってみるか?) そういや、僕はどれぐらい言語ができるのだろう。自分では少ないほうだと思ってる。 っていうのも、僕の倍以上の種類を実務でやったという人を、社内で何人もしってるのだ。 得意言語:うーむ。とくになし。好きといえばC言語だな。構造体リスト(多次元)なんか最高! ポインタ大好き。ポインタシフトとかメモリアロケートに失敗すると、メモリ破壊が起きて プログラムが大暴走!サイアクはサーバダウン!!あっはっは! (プログラマを自認するなら、やっぱりキビシイ、C言語でしょ。) まぁ、何にしても、ものを作るってのは、たのしいねぇ。それがプログラムであれ、 ホームページであれ、そして、それが野菜や果物でも、絵とか、建物でもいいし、 あるいは、自分のスポーツとかね。。。 ■ 2006/9/19(火曜) 朝練はひさしぶりなので府中街道の塚戸交差点を左に曲がってランドへ。 帰りは中野島の駅前経由で多摩サイ神奈川を走って帰宅。 やっぱり3日も間を空けるとダメダメだな。 そろそろ9月下旬で、半期が終わろうとしている。 今年も有給休暇が腐るほど残っている。10年目記念のリフレッシュ休暇とか、 夏休み(2日)を全部含めて、あと42.5日もあまっている。 あ、20日分は来年度に繰り越せるので、22.5日を消費しないとねぇ。 つまりは10月から3月までの6ヶ月で22.5日ってことは、ぬわわんと、毎月3.75日も 休めるってことだ。これを週になおすと、公休を考慮して、ずーっと3月まで 週休3日で良いではないか! いやいや、ぜんぶ午前半休にしてしまえば、毎週月曜、火曜日はロング朝練をして 昼から重役出勤でOKじゃないかー。 ・・・・ありえないけど。さ。 そういえば、今日気がついたが、均ちゃんとまっちゃんがなぜ土曜日に僕を食事に さそったかといえば、あのようなアヤシイメールを出したので心配してくれた のかもしれない。 ありがたいものだ。 2006/9/19(月曜) うー、滋賀が終わると思って気が抜けたのか、風邪をひいて体調をくずしてしまった。 精神的にもぱっとせず、木曜夜に滋賀から戻ってきたが金曜日はまったく仕事にならず (でも朝練はした。。。)土曜は起きられなかった。あーあ。みんな今ごろ大垂水峠か。 ようやく月曜になって人らしくなり、今日はくずかごのような部屋を掃除して、そのあと オーベストHPの新着画面を改造した。あー、何ヶ月も前からやりたかったことが ようやく出来た。。。近日公開予定である。 なぬ、何も変わってないだろーって?いやいや、管理コストがまったく変わるのだ! 表示は今までとほぼ同じ、でも裏で動く機能が飛躍的に変わったのだ! 今までかとーのHTMLタグ手書きだったのが、Perlによる自動更新を実現したのだ。 ・・・それだけ? はじめてPerlやってみたけど、やっぱスクリプト系ってのは潰しがきくな。 勉強せずとも改造できたよ。やっぱりモノ作りはたのしー! この調子で、オーベストHP全部を、PerlてんこもりのメンテらくらくHPに しようかな。。。。そういや、インターネットの仕事はひさしぶりだなぁ。 つぎはJSPにしようかな?それとも、CでCGIでも書いて。。。 2006/9/17(日曜) だいぶ体調が戻ってきた。昨日良く食べて、よく寝たせいだろうか。 日曜サイクリングは雨で中止と思っていたが、やったのだろうか。 朝起きたら意外と雨はまだ降っていなかった。 2006/9/16(土曜) どうやらどこか壊れたらしい。起きたら8時前だった。 夕方に長島君とまっちゃんが食事にさそってきた。 あたらしいジンギスカンのお店を発見したとのこと。 ちょっと外出しにくい体調だったが、せっかくのお誘いだし、 夕方になって良くなったので、出ることにした。 ・・・たくさん食べた。 2006/9/15(金曜) イスラエル軍は国連施設を爆撃した件について「地図が間違っていたため」と発表。 ・・・・その手があったか。(なんの手じゃい。) マイクロソフトから、Windows2000向けパッチ「MS06」について、不具合報告があった。 なぬ、MS06?。。。ザクじゃん。。。(オタク度は微の強だな) たーらこー・たーらこー たっぷーりー・たーらこー たーらこー・たーらこー 小学生で流行っているらしい。そうなのか。昼時に歌っていたら まっちゃんに 「朝からずっとアタマから離れないんで辞めてくださいよぉ」と 言われた。。。伝染力強いんだな。 たーらこー・たーらこー・・・ しっとりクッキーしっとるカーァ 今日はのろのろ起きて朝練をランドでやって、午前半休して 午後は会社でメールを書いた。 気合のない一日であった。 2006/9/14(木曜) 東京はすずしいらしい。 ・・・・秋。 さいきん同期の長島君と1年後輩のまっちゃんに送ったメール
2006/9/13(水曜) 今日は意外としごとがすすんだ。メドもすこし明るくなった。 9時過ぎにビルを先に出て、飲み屋で戦車長らを待つ。 ビールをのみ、焼酎を飲む。10時を過ぎて、あ、来た来た。 枝豆ビール、鮒寿司&焼酎ストレート。おじさん一直線である。 でも、おかげで風邪は消毒されたらしい。 2006/9/12(火曜) 新幹線で「真田太平記(十一巻)」を読んだら乗り物酔いした。 琵琶湖畔について、大好きなプログラミングに熱中して、 ふと便所に立ったらめまいがした。 喉の腫れはすこし良くなったようだが、どうやら明らかに 「ビョーキ」らしい。 こまったな。この忙しいときに。季節の変わり目のせいか? 今日はやる気もなかったので早めにホテルに帰った。 夜、フジテレビのドラマ「結婚できない男」をみた。 ああ、脚本家は男性だったのか。なるほど。だからあんなにも「へんな男」を 細かく描けるのかもしれないな。そこらへんは同性のほうが内情をしっている だけに、見る眼もきびしいのである。 そういえば、阿部寛の眼もとって、岩倉君に似ているような気がする。 ちょっとぶっきらぼうなところなんかも。ふふふ。 今週のおはなしは、マンションの隣人、国仲涼子がストーカーに狙われ、 涼子の友人の女医さんから、帰宅時に一緒に帰ることを頼まれる話である。 人づきあいを極端にきらう信介はしぶしぶ引き受ける。そして、事件を 早期解決させようと警察に陳情するが、実害がないと相手にされず、 自分らで犯人をさがそうとする。 最後は夜のレストランでつけねらっていた犯人をみつけ、相手に強いコトバで 警告をあたえる。犯人は彼の強い態度にたじろぎ、逃げさる。 いままで「へんな人」と苦手な顔をしていた国仲が、 「ぽっ。。。どうしよう、ありえない!」と、信介へ芽生えた気持ちを 女医さんに打ち明ける。そして「次週、最終回予告」となるわけだ。 ふーむ。 あの手の恋愛ドラマの定番、「男性主人公が、若い家庭的な良い子と いちどは恋に落ちる」という前フリを踏襲しているが、来週はきっと あの女医さんとハッピーエンドだろう。分かっていても、きっと 見るんだろうな。僕は。 あのドラマ、良く考えれば、男性登場人物については、それぞれ克明な 内面の描かれ方をしている。比較して、女性らの姿は、なんとなく 「外から見た視点」かもしれないな。と、ふと思った。 それはきっと脚本家が男だと気がついたせいにすぎないかもしれない。 モリカワさんが新車計画をしているらしい。のくぼっちと同じ 585に興味あるとか。LOOKといえば、後ろ乗りで、 柔らかくて、トップチューブがながーいのがお決まりだったが 最近のLOOKはそうでもないらしい。 僕の乗っている381は降り最高!であるが、585は降りが イマイチという怪しい雑誌批評もある(某K氏)。でもそれは TIME社を筆頭とした、性能が日進月歩なカーボンフォーク の話だろうから、ホントのところはすでにアマチュアで オーバースペックなのかもしれない。 また、のくぼっちの感想から、うわさほど硬くないそうだ。 ふーむ。やっぱり試乗できるといいわけだなぁ。100キロぐらい。 チーム練でつかえば鈍い僕でも分かるでしょう。きっと。 でも、僕のサイズは日本じゃ少数派だから、人の感想を信じるしかないか。 昨今で最高硬度と目されるラピエールのホリゾンタルは、 アルミのセルビーノの次期候補に、じつにふさわしいかもしれない。 さて、オレンジかホワイトはないものだろうか。 なぬ、そんなものはオイカワさん方式で解決とな。ふふふふふ。 そういえば、チーム員にはイタ車がほとんどいない。コルナゴ、ピナレロ、 デローザ。20人以上あつまっても、1台いるかいないかぐらいでないかい? 安藤さんはこのまえラピエールに乗っていたし。清水さんはアメリカ製?の チタンバイクになったし。 フランス率が高いチームってのも、めずらしいかもしれない。 2006/9/12(火曜) 風邪気味?喉がはれている。。。 今日から滋賀。今週は火曜から。 それにしても、JCRCの掲示板やら、2ちゃんやら、どうして最近「やったことないひと」 の意見がこんなにもえらそうなんだろう。自分がなにものか確認してから公に発言しないと、 まるで長尾日記の公開みたいに見苦しいぞ。(あ、すいません。) レースに「主催者側の万全サービス」と「徹底した安全管理」を期待するなら、 競技なんてしないでお家でテレビゲームすりゃいいのになぁ。 んじゃなきゃ、これでも見て、和むべきである。 2006/9/11(月曜) 真夜中にドカンと大砲のような音。戦争か? どうやら雷が近くに落ちたらしい。 雨もふっているようだ。 寝苦しいが寝た。そしたら洪水の夢をみた。 長尾台より下がすぐ海だった。東京は見晴らす限り水没。。。 やな夢だな。 6時前に目覚ましがなったが、雨音がした。なんとか6時過ぎに起きたが 外はシッカリ雨だった。 のんびり朝ゴハンを食べて、ふと外をみたら、あ。。。晴れてる。 さいきん心がけが悪いせいか、天気がいじわるするようである。 2006/9/10(日曜) なぬ、レモンガスのCMが一部で好評? なにをいまさら言っているのだろう。僕ら「TVKほか地方局の低予算CM愛好会」をナメてはこまる。ちなみに今のレモンガスCMより、 そのひとつまえの、野球拳の替え歌で「がぁーすぅー、すーるならー、れーもんがーすに、しなしゃんせ、アウト!セーフ!レモンガス!」 これを2度繰り返された日には、レモンガスが忘れられなくなるではないか。 ちなみにカバヤのしっとりクッキーCMもスーパーナイスである。 (ジューシーも最高だった。) ・・・・ 嫌いなのは、コカコーラのコマーシャル。映像、出演者、音楽、いかにも金をかけて「かっこいーだろー、すげーだろー、ナウいだろー」 っていうのが見え見えで、我ら愛好会の価値基準では、ゴミ雑音。。。ふっふっふ。。。 ところで、今日は暑い午後に走り出したが、やっぱり暑かった。 黒川尻手線を爆走して、宮前平の激坂を登ったが、脚よりも息が切れて途中で減速してしまった。 まだまだ精進が足りぬようである。 修善寺で今日は事故があったらしい。まぁ毎年大きな事故は1、2件は聞くかも。。。トライアスロンやら ダイビングやら登山よりは年間人数は少なかろう。あ、競技人口が違うだけか??? 2006/9/9(土曜) ミドル練。 ん? なんだか吐き気がするな。今日は体調がいまいちだな。 きっと運動すれば熱で治るかも。 控えめに最後尾で走っていると、連光寺坂で飯山さんがすべってこけた。 うん。草が茂って狭くなっているうえ、道がしめっていたから、だれか こけるだろうとは思っていたが。 藪に倒れた彼をもう2名が心配そうにみているが、しばらくして立ち上がった。 怪我もなく大丈夫そうなので、僕は先行して頂上で待つ。 今はセレーノの槙さんが心配して下がってきていたが、大丈夫と言って先に 合流してもらった。さて、僕は頂上で待つが。。。なかなか来ないな。 こないなぁ。。。あ、来た。 下りで合流し、野猿街道を走る。前は見えない。4名で、そのうち1名は 女性で、なかなかスピードが上がらないな。。。 鑓水ちかくになって笠井さん発見。 合流し5名で走る。 橋本付近をすぎ、413号を走っていると、とつぜんセレーノさんがパンク。 お仲間のふたりで修理を始めるので、笠井さん、飯山さんと3名で先行する。 そのあとはずっと直進。あ、途中で笠井さんがいなくなったぞ。 三ヶ木交差点あたりまではいたはずだが。。。 ピクニックランド前のゆるい長い坂で小早川さんを発見。あ、道はあってるんだな。 安心して先にいかせてもらう。。。(それが大間違いだったのだ!) そのあとピクニックランド前の分岐に気がつかず、相模湖へ直進。 相模湖について、「へんだなぁ。。曲がりそうなところ無かったけど。。 間違ったか。」と二人で引き返す。 ピクニックランド近くでしばらく待っていたが、だれもこないし、かなり 遅れているみたいだし、、、まぁ、帰りますか。 しばらくして、あ、またパンク。今度は飯山さんだ。 チューブを交換し、空気をいれて、さて走り出しましょうか。あれ?入ってませんね。 抜けちゃったんですか?はて。 よくみたら、チューブの根本が切れていた。ふーん。たぶん、そのバルブの 根元のリングを締め過ぎるから、切れちゃったんでしょうね。そのリングは 不要ですよ。なくても大丈夫。 加藤のチューブをだして、こんどは加藤が交換。あれ、このユーラスG3と ミシュランPRO2はめちゃくちゃ嵌めやすいな。レバーいらないじゃん。 二人でしゅこしゅこ空気を入れる。んー、7気圧は入ったな。OK。 ふたたび二人で走り出す。 彼は鶴見区だそうだから、じゃ、すこし南よりに走ってかえりますか。 相原あたりで右にまがって町田街道を走り、小山で左折して尾根幹へ。 今日も補給食を持たなかったので光陽台のコンビニでちょっと食べて、 あとは矢野口、登戸、宿河原とお決まりのコース。 宿河原で飯山さんと別れて帰宅した。 それにしても、実験的に変えてみたクランク、なかなか調子いいかも。 もう、元の172.5ミリのクランクは使えないな。あれは僕の身体には 短すぎた。坂でチカラを入れても、変な風に痛いばかりで、脚を使っている 実感に乏しかったのだ。。。ってか、そんなこと気がつかずに4年近く 乗っていたのか。 今は、坂の負荷が、ちょっと楽しい。 身長の10分の1か、10分の1弱が適当っていうのは、きっと真実だ。 5ミリも短いクランクは、だめである。 2006/9/7(金曜) 新幹線で帰る。 10月以降も延長のウワサ? とりあえず駅弁食べて、家に帰ってシャワー浴びて寝る。 2006/9/6(木曜) 「きょうのおやつ」「ごはんのとも」。 過去にニコタマMLで開始し、オーベストMLでも継続を目指したこの企画。 そういえば最近すっかり忘れていたのでWeb上で復活するのである。 今日は「ごはんのとも」 「えびすめ」 「えびすめ」が塩昆布の商品名だと知ってる人は少ない。 僕も贈答の縁があって知っているのみだ。 さて、この特別な名前のある塩昆布とは、いったい何者であろう。 光り輝く結晶の、塩の粉を全身にまとった、2センチ角の肉厚昆布。 しっとり柔らかな食感。こんぶのうまみが結晶できらめく。 あつあつのご飯にそのまま載せても旨いが、お湯をかけると 塩とうまみが濃く、濃く溶け出し、ご飯全体をスープのように包みこむ。 この「えびすめ」を前にしてドンブリ飯を我慢できる人はいるのだろうか。 いや、いまい。 「ごはんのとも」連載で初・唯一の高級ブランド品紹介。でも中身は確かである。 http://www.ogurayayamamoto.co.jp/ 2006/9/5(水曜) 6時に起きてみれば、そとは土砂降りの雨音。 昨晩、予報を見て「小雨なら決行だ」と思っていたのだが、 尋常じゃない雨音に、そのまま寝てしまった。 でも、良く考えれば今日から滋賀。週末の土曜練までもう 走れないじゃないか。 ローラー台でもいいからやるべきだったかもしれない。 滋賀に到着。ふと思いついて20年ぶりぐらいに「理科年表」を 開いてみたくなって、Webで検索する。 アマゾンのようなサイトで発見。あれ?装丁がうす緑色じゃないぞ。。。。 ちなみに、常識とは怖いもので、自分のやっていることが常識だとおもっていることが 実はたいそう非常識だったりするものである。 ちなみに、加藤はシューズを洗わない、拭かない。。。。すいません。 雨の日の後、ずぶぬれになったとき、風呂場で洗います。じゅばじゅば。 メットは夏場に、ときどきパッドを外して、パッドのみ洗います。じゅばじゅば。 意外とくさいです。このパッド。だから強烈に洗います。えいえい。 メット本体は、スチロールなので洗いません。ふっふっふ。 それ以外のウェアは全部、一回着れば、洗います。 グローブは、、、 むかし、毎日洗っていたら皮のいたみが早くなったので、洗うのをやめたら 臭くなりました。よって今はやっぱり毎回洗います。 ・・・・ でも、靴って、そんなにくさくなりますかね?自分自身じゃ気がつかないものですね。 仕事用の革靴は、体調が悪くなるとすぐ臭くなるので、かなりこまめに履き換えたり 拭いたりしています。しかも、革靴履いてる時間は通勤ぐらいですね。なにせ、ふだんは サンダル、社内でも社外でもサンダル。そりゃもう、燦樽党の党首ですから。 このまえの土曜練のあと、家に戻って脱いだ靴をかいで見ましたが。。。特に。。。??? でも、なんだか「洗ってない」というと、皆に嫌われるような気がするので、 今後は洗うようにします。 ところで体臭とはどこからくるのでしょう。 加藤の空想では、内臓です。 内臓におかしな菌が繁茂すると、口臭、体臭、足とか脇とか、いろいろ臭いでしょう。 体内には良い菌もあれば、悪い菌もありますが、菌の正常化のため、カトウのように 毎朝大量のヨーグルトを食べましょう。 ・・・そういえばヨーグルトの菌って、大腸菌の一種だっけ。 2006/9/4(火曜) 昼ごろ、大学院時代の同期からメールがきた。 戸田先生が亡くなられたとのこと。 一瞬絶句。でもま、お歳を考えれば、83歳だから驚くことはないのだろう。 以下は火曜〜金曜にかけた書いた、加藤の超・個人的回想である。 長尾日記は日記であるだけでなく、自分自身へ、覚えて置いたほうがよいことを 自分だけのために書いたりするので、そういう内容は特殊魔法でみえなくしちゃうのである。 僕は15年前、この先生めあてで、東京は目白にある私立大の心理学科からとびだし、 親の猛反対を押し切って引っ越し、1年間、愛知県にある中京大学の心理学科で聴講生を したのち、あらたに開設された、認知科学という、新らしい大学院に、一期生として入学した。 世間で無名の進路をとった僕には、それだけの価値があったのだ。 入学して、戸田先生が指導教官になった。そして、戸田先生とは、よく二人だけで議論をした。 議論?いや、戸田先生にしてみれば、加藤の挑戦的な攻撃を受けてみるのを楽しんでいただけかもしれない。 でも、僕はいつでも真剣勝負だった。なにせ、にぶい頭で陳腐な発言をしたら、あっという間に その空間がなくなることは明白な、緊張したやり取りだったのだ。 そんな先生と加藤の議論の展開は、お釈迦様と孫悟空のようだった。つまりは加藤が新たな 発見をして「これぞ地平の果てである!」と槍を繰り出しても、結局全ては先生の 手のひらの中だったのだ。 それを知りつつ、また次、また次。限界まで槍を繰り出す。 やりとりを通じて、先生の中にあるなにかを、僕も共有しようと手を伸ばす。 そういう関係だった。 それは授業中もそうだった。 大学院の授業中に、討論の場があるのだが、そこでは学生らのレベルの低い常識の延長や、だれかがすでに 論文にしたような、かび臭い知識の発言をしても、戸田先生のひとことでばっさり両断されてしまう、 緊迫した戦場だった。 そりゃそうだ。認知科学とは、哲学、心理学では追求しきれない心の科学のむずかしさを コンピュータほか新しい技術を駆使して違う角度から新たな発見と理論化を試みる学際領域、 あたらしい学問をめざす世界なのである。そんな先端の場で、過去の常識に依拠した議論を 組み立てても意味がないのだ。 (そんなことしたいなら、歴史のある学問、言語学でも心理学でも社会学でも、キミの 戻りたい世界へ戻りなさい、ということなのである) 戸田先生は、「認知科学」という新しい学際領域を日本で推進して切り開いた パイオニアであり、そして加藤が知る限り、学会では会長以下すべてが、ひとことでカタが つけられてしまうぐらい、その洞察と知的鍛錬の超越は、有名教授陣らが生徒にみえるほど であったのだ。 学校の演習授業とは、その、戸田先生と、副学会長ではある教授陣と大学院の院生で構成された、 ドキドキするような議論のやり取りであり、僕は他の教授を尻目に二合、三合するのが、 僕には、ただひとつの、もっとも充実した瞬間だったのだ。 でも、院生の分際でそんな真似ができたのは、どこかバランスがおかしかったのだろう。 僕はまともな学生じゃなかったから、長く学会に生き続けることは無理だった。 いや、歴史の浅い学際領域であるゆえ、ひとつの体系的学問領域になりきれないのに、 無理して学会という人間社会の構造化をしても無理があり、そんな不自然な体制に、自説を 曲げて参加するなんてできないから、僕には土台無理なのであったのだ。 修士課程の2年目になり、もうこれ以上大学に残っても、戸田先生は引退することが きまっていたので、あっさり就職してしまった。カンタンにいうと、戸田先生みたいな、 卓越した観察力と間口の広い人が他にいなかったから、僕のようなお行儀よくできない 半端モノは居場所がないと悟ったわけである。 卒業後、引退した先生の特別講義があるときは、東名高速を飛ばして大学に戻った。 先生に質問攻撃をし、また授業後の休み時間もさしむかいで面白い話ができた。 でも、ここ数年、ずっと行ってなかった。そりゃそうかもしれない。ぼくのような 半端モノが大学にニセ学生でそうやすやす入れないものだろう。しかも先生がいるころから 後継派閥争いするようなせまくるしい世界なのだし。 (いったい僕のどこが怖いのだ。) 数年前になるが、僕が出た最後の講義のあとで直接先生とふたりで議論していたとき、先生は 現代社会の「こころ」のありかたへ、歴史的な流れの警鐘を鳴らした。その指摘は、いま、ますます、 この世の中に広がっていて、確かに出口がない。先生の指摘がよくわかるのである。 カンタンにいうと、、、ひとのこころのカタチが、溶け出している、そういえば良いだろうか。 昔のニッポン人ように、規範や慣習などで構造化された側面を情緒の他方に持ちつつ、社会を 構成する人間、というカタチがあったはずなのだが、いま、高い文化と社会に囲まれながらも、 その環境に適合しない、構成力の無いレベルの人間の群になってしまっている、という 説明なら良いであろうか。 あのとき、先生と意見交換したが、出口へのヒントもみえなかった。僕は歴史学的な視点でいう、 「規範の成長と崩壊をくりかえす螺旋状の歴史循環」のひとつではないか、と、先生へ 食い下がってみたが、「人は自由を得てしまえば、なかなか簡単には戻れないものではないですか」 「そして容易でないレベルで進行していますね」という指摘には、答えがでなかった。 そして最後に、それは僕らの世代の課題だと言い残して笑っていた。 僕にはいまだに、なにも見えてこない。 とけていく人間像が僕にも垣間見えてしまったのに、残念である。 思えば、そういうことを考える時間も、生活も、今の僕には無いのだなぁと思った。 そして、今後なにかを見つけても、先生に確認しに、挑戦することも、できないのだなと思った。 そして、加藤的にいわせれば、つまらない陳腐な発想しかできずに派閥闘争しかできない、 純粋な探求でなく、応用科学のバリエーションで周辺領域をうろつくような、あわれな 残された教授陣だけでは、この問題は解けないどころか、近づくことも出来ないだろう。 こころの科学の未来、それは物質環境の克服の20世紀から、こころの時代の21世紀における、 根本的問題であるはずだ。それなのに、未来、認知科学の門からは、開かれることはないだろう。 もし、その他のどこかの分野が頑張るとしても、それはかなり別の、遠い長い道のりを経ないと 核心へたどりつけないかもしれない。そしてそれは、できたとしても今世紀末までかかるのかもしれない。 いや、むりかもしれない。もしかすると、人間という構造の、知的高度化の限界でしょうか、、、と、 先生に聞いてみなければいけなかったかと、お通夜の帰りの電車の中でおもったのである。 「そうは、おもいたくないですね」と言うだろうか。 そうか。お通夜の会場から立ち去るときに、なぜ先生の顔が急にさびしそうに、僕に見えたのは、 僕の心の奥のかさなりが、そうなっていたのかと、そう、思った。 ずるいようだが、久しぶりに考える機会をこんなカタチでもらったことで、少しだけ満足して 頂くわけにはいかないだろうか。 なんだか、くやしさ、くちおしさが残る。それは、残ったものらへの、ふがいなさの憤怒である。 2006/9/5(火曜) 連光寺朝練。頂上で左折し、おはサイコース。南多摩に戻って再度2%を登る。 となりで「ぐごごごご」と大盛重機のクレーン車が登っていく。しばらく並走。 アーチ手前で次第に重機がじわじわと締め上げてきた。最初は余裕で振り返っていた 僕は、次第にハンドルをがっちり握って回す。アーチ下で重機はさらに加速。 負けられない。ふんっ!ふんっ!かちゃ、からからから・・・。あ、テールライトが 落ちた。今は勝負がかかっているのだ。負けられない。 振り返るそぶりも見せず、じわじわと締め上げてくる重機に喰らいつく。この重機、 僕の無酸素領域手前を知っているのか? 最後の信号直前で「ぐおー」というすごい音。ついにスプリントがかかったのかと 腰を上げたら、別のトラックが追い抜いただけだった。重機を置いていくのは 悪いので再び座って信号ゴールとなった。 なぬ?重機は歩道の僕なんて見てなかったって?? 来年は重機じゃなくてトラックとお付き合いしたいものである。 ちなみに、落っことしたテールライトを、そのあと20分にわたり捜索したが 見つからなかった。。 2006/9/4(月曜) なぜか午前半休である。なぜか連光寺である。 ひとつ発見した。 たわいもない99と、1の真実のうちの、どちらだろう。 ちなみに天才天文学者のケプラーは、3つの法則を残したが、そのほかに 山のような迷信じみた学説を作ったと聞く。(本当かどうかはしらない。) 天才とは多産であるといった天才もいたな。。 自転車を走らせるとき、どういう感触が正しいのだろうか。 ペダルを踏む?ペダルを回す?BBを回す? 弁当箱のフタについたごはんつぶを取るとき、どういう感触が正しいのだろうか。 箸をにぎる?箸を傾けてはさむ?こめつぶをつまむ? もしも自然な意識が集中している個所があれば、そこが作用点である。 作用点が違えば、運動効率も違う。 さいきんクランク長に悩んで、今日、ちがうパーツを初めて試してみた結果。 ・・・気のせいかもしれない。思い込みかもしれない。プラシーボ効果かもしれない。 ひみつの試行錯誤が、初日から公開とはアホである。 さて。次のレースは何にでようか。 さいきんすっかり出る事を忘れている。 レースに出ないんじゃ練習する意味がないし、 「ロード・レーサー」に乗っている意味がないじゃないか。 (今年はウィンターロードしか出てないのだ) 沖縄は出る。これは考慮の外だから、出るのは決まっているのである。 それはともかく、その他はどうしようか。 いまごろから練習を積み重ねていっても、考えられるのはウィンターロード、 あるいは、JCRC最終戦だろう。あれ?なんだか去年と同じノリだな。 どうも最近のIT業界は、4月の新年度になると予算があるのか忙しくて、 その忙しさが一息つくのが10月ごろで、秋から冬がヒマで、年度末の3月ぐらいは、 残り予算消化なのか、プチ忙しくなる傾向である。 ただ、今年は秋も多忙というウワサであるが、今の滋賀が9月末で担当領域に 区切りがつきそうなので、引き上げてくる可能性が高い。うむうむ。 こちらに戻ればジテツーやら平日朝練がやりやすくなるな。よしよし。 会社で復活した練習管理EXCELを見る。今年の5月は「月間125キロ」という、 僕が2002年にロード開始したときから数えて4年間、冬季の練習会なしの シーズンも含めて、もっとも短い記録となってしまった。 なぜだろう。5月の1行日報を読む。 そうだ。あのときは、腰が痛かったのだ。ああ、遠い昔のことのようだ。 当時は新幹線に座っているだけで鈍痛がして、仕事中も始終辛くてしんどくて イライラしていたのである。 でも、夏の始めに、いちど完全に痛みがきえたことがあった。 「ラッキー!練習再開」 とLOOKで朝練を始めたら、その日から腰痛が再発してしまった。その後は こわごわ乗ってしばらく経つが、ポジションを再考したおかげか、大きな痛み もなく続けている。そしてそのうち、あの痛かったころをすっかり忘却して しまったのである。 (辛いことは忘れるのが早いのである。そうでなくても忘れっぽ・・・) 5月の最悪の状態から先月8月まで、月間走行距離はずっと右肩上がりで伸びている。 日曜サイクリングへの復活。ミドル練への参加。そしてようやく躊躇して逃げていた 土曜練にも尻を叩かれながら再び出るようになった。 さらにこの調子で、9月、10月は充実したものにさせたいものである。 2006/9/3(日曜) 今日は全日本実業団選手権だった。 石川町は、じつはかなり遠い。なにせ片道だけで給油する世界である。 でも、なぜだか、運転疲れがない。もしかすると、 「半年にわたって毎週滋賀へ往復1000キロぐらい移動していて、乗り物の振動に 耐えられる身体になってしまったのだろうか!」 移動はともかく、現地でサポートしたのだが、今日は篠山さんが居たのでかなり安心していた。 まぁ、上手くいったのではないだろうか。もうちょっとカンどころが分かるといいのだが、 僕はまだまだBR−1のあのスピードが激しすぎてイマイチ視界が開けてこないので、 まぁお決まりの動作でやるばかりの「応用なし」なのだが。 それにしても、ハラハラするレースだった。とにかく最初の逃げが10名ほどで決まったあとは、 後続の大集団とどんどん差が開いていく。だいじょぶなんかいな。足切りは5分差まで。もう、 気が気ではなかった。先頭以外、全員足切り?まさか。。。 実際の集団でもその不安感があったらしい。残り2週のころ、追い上げて1分ぐらいまでつめた。 サポートで待機していたチームメンバーたちがみんなで盛り上がる。これで先頭吸収しちゃったら、 もしかして集団でゴールして、優勝の可能性あり?もしそんなことになったら、なにしよう? 小田さんが「あそこの川に、どぼんと。はははは」 そりゃありえないです。危険ですNGですダメです。 のこり2周ぐらいの登りで1名が逃げていた。このひとは結局優勝したらしい。そのあと1人、 そのあと2人と続き、あとは10人ぐらいの集団でゴール前勝負になった。Bossはその集団内だった。 今日も結局、かなりな位置まで食い込んだ。 よかったよかった。。。 それにしても、日記を書いていたら猛烈に眠くなった。もう倒れそうである。おやすみなさい。 2006/9/2(土曜) 臨時土曜練・南山バージョンである。ひさしぶりの南山である。 野猿街道、野猿峠、いやー、いいねぇ。野猿峠でタレる。 野猿峠からくだりで数名とひっしで追いかける。 南野の交差点で追いつく。でも法政大のアップダウンでまた 千切れる。小倉橋の手前で追いつくが、みんなは信号を隔てた向こう。 そのあと小倉橋からの登りで追いかけるが、あとは姿が見えず。 丹下さんと前後しつつ追いかけたが、彼は道が分からない模様。 先行したはずなのに三増への交差点で立ち止まっていたので、 「まっすぐまっすぐ」 と怒鳴る。そうするとまた先行し、背中が見えていたが、 串川橋の交差点にいくと、あれ?いない。 探す余裕もないし、まぁ土曜練だし、僕はそのまま南山への アプローチへ疾走。すべすべ疑惑の短区間激坂を登り、 ゲートの脇を抜けて、あとはひとりでカタツムリのごとく南山を登る。 わかった。よーくわかった。こりゃ、「遅いなりの登りのペース」さえ 忘れているではないか。なにもない!なにもないではないか。 そのままもんもんと頂上まで登って、ゆっくり下る。 そういや日比野さんが追いかけてこないな。道しらないのかな。 あと若い男の子もいないぞ。あとはもうおぼえてないないや。 宮ヶ瀬湖の休憩所に到着。すでに走り終えた土曜練の顔、顔。。。 たのしかった。 帰りはついでにサイクリングで遠出しようと思ったのだが、予想外に 疲れたのと、じつはインフレータを忘れたので、しかも補食ももって 来なかったので、そのままおとなしく帰ることにした。 野猿峠までは土佐さんと一緒だったが、くだりでのろのろしているうちに 見えなくなり、そのまま僕はコンビニで休憩した。今日はジュース1本 だけだったなぁ。。。土曜練の持ち物さえ忘れるようになったか。 ひとりで野猿街道をのんびり走り、多摩サイを這っていたら、うしろから 声をかけられた。おや!菊池さんじゃないですか。ひさしぶりですねぇ。 なぬ、うしろから見て、ボトルケージにポンジュースが入ってたので 僕であることを確信したとか。そりゃそうかも。そういや今日僕は オーベストの今年ジャージを着ていたっけね。 しばらくふたりであれこれ話しつつ併走した。のくぼっちがLOOK585を買った はなしやら、僕が滋賀から戻れそうな話やら。。。 多摩川原橋で菊池さんと別れて、僕は府中街道へ出た。最後は小田急の陸橋を 踏んで帰ったが、さっぱりスピードは出なかった。またがんばりましょう。 2006/9/1(金曜) 新幹線に乗って帰る。名古屋まで戦車長とあれこれ話しつつ ワッフルを食べる。名古屋からは二人とも疲れたのか、 爆睡。気がついたら小田原を過ぎていた。 |