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2006/11長尾日記
僕のマイブームは、コレ。
ケーブルテレビ「ファミリー劇場」で聞いたばっかりに、 この歌が脳裏を無限ループする。

Tou Tube ちなみに、歌詞の最後の部分、”−ん”という部分は「ん」で伸ばすのでなく、直前の母音で伸ばすのが 正しいのである。


ついでに、YouTube祭り。

超・カッコいぃー(絶叫)!!!次に乗るのはこれにするかな。
え?売ってない?じゃー、、、これかなぁ。。

チーム・オーベスト主題歌
最後の聖火台にグッと来ない人はダメである。
(イタリア選手もこれを観て強く育ったそうだ。)

(ほんとはこういう チームというウワサも。。。



さいごに、サービス・サービスぅ
あ!こういうチームのほうがイイなぁ。



2006年11月30日(木曜)
滋賀2日目。
夜は飲み会。
明日も仕事なので焼酎にする。

僕が焼酎党なのは、理由がある。

たくさん飲んで,次の日も仕事をしたかったら、ちゃんぽんに飲んではいけない。 逆に、とにかく飲んで壊れたかったら、ビールで始まり、日本酒で酔い、ワインを流して、 カクテルで休み、また日本酒を飲んで、ビールを枕にすればよいのである。
あ、年に1回未満、そういうことするな。僕も。
で、もしも、もっとゆっくり、おいしく食べつつ、込み入った話もしつつ、おいしい お酒を飲みたい、と思うならば、オススメは、焼酎ストレートである。

ふつう焼酎は水を混ぜたり、ロックにしたりするけど、できればそのまま飲んだほうがよい。 とくに最近の高級な焼酎はむかしとちがって、おいしいのだ。
ストレートでのむと、その本来の味、甘い、豊かな、濃い味が楽しめる。 水道水や相性の悪いミネラルウォーターで割って飲むと、おいしさが薄まって、 雑音が増えて、せっかくココまで作ってもらった生産者に申し訳ないのである。

もともとやすい焼酎は、ちょっと奮発しただけで高級品が飲める。
僕は今ダイエット中だから晩酌はしないが、夜ご飯のおともに、 コップに半分、焼酎をこぽこぽ注ぐ。
しあわせーである。


2006年11月29日(水曜)
滋賀1日目。
現地SE会社の課長さんに声をかけられた。
「いつまで?」
「週末まで居ります。」
「じゃ、大丈夫だね。」

つまり明日の飲み会の出席はOKって意味なのである。るんるん。
この課長さん、いつ寝てるの、ってぐらい仕事漬けである。 真面目で優しくて責任感あって、もう鏡、、、ってか、家庭大丈夫なのかなぁって 心配になるぐらいである。
そんな課長さんに、滋賀に来るなり声をかけれるのは、嬉しいものである。


2006年11月28日(火曜)
明日から滋賀か。戻ってくるのは金曜の深夜かな。

さいきん食事記録を始めた。
その日一日、口に入れた物をすべて、飴玉ひとつ、お茶1杯もぜんぶ書き出す日記を始めた。 でも、実は3年前にも、やったことがある。

あの日、岩倉君と菊池さん(ニコタマの)と3人で、路肩に雪が積もる1月の宮ヶ瀬へ行ったのだが、 僕はさんざん足手まといになってしまい、そのときひそかに決意したのだ。

それから3月下旬まで、毎日かかさず食事記録と体脂肪計による計測記録を行った。 すると自分の身体が手に取るように分かるようになる。

「あ、練習会で汗かいて急激に体重が減ったな。でも夜までに半分は戻るな」
とか、
「昨日の飲み会の鍋はキョーレツで、先週の朝練全部が無駄になったなぁ」
とか。

冬の3ヶ月間を続けて、正月ぶとりで76キロ以上あった体重が春には72キロ、 一時的に70キロまで減った。でも、4月になって仕事が忙しくなり、おまけに 東日本で完走できず、モチベーションが落ちて「減量に意味ナシ」と、理由付けて 辞めてしまった。

それから3年、すこしづつ増え、特に今年は急激に増加直線を辿り、今はもう、 あのときより重いのである。

単に記録を付けるだけ。でも意識するだけでなんと違うものだろう。 現代は便利な世の中なので、社内にいても、ちょっと歩けば自動販売機がある。 砂糖たっぷりの缶コーヒー、缶ジュース、すぐに手に入る。
エレベータにのって1階のコンビニにいけば、飴、チョコ、ゼリー、おせんべい、、、、 何百カロリーでも即座に採れる。昔のエスキモーが聞いたら泣いてうらやましがるだろう? え、トドがいるからそんなの要らないって?

こんな便利な世の中、ストレスを理由に僕は食に走るので、記録をつければ 無駄なカロリー摂取を意識できるのでガードがかかる。
方法はパソコンでメモ帳につけるだけ。そんなカンタン・タダな方法である。 まぁこの日記をのぞくような方で、同種の心配をするひとは皆無だろうけど (リキさんに薦めてみようかな?)、意外と効くことを、強調するのである。

ん?
もしかして逆の立場の人でも、食事記録をやったら意外と増量できるのかな? 今日は肉を何グラムたべました、プロテインを何CC飲みました、牛乳を 何杯飲みました、とか。。。
でも、最初から食の細いひとが頑張っても難しいかな? 胃拡張で困っている僕には信じられない話だが。

昨日はオリーブ油を使った本格パスタを大盛りで食べたが、 「まだちょっと食べたいなぁ」と言うのが癖になってしまった。。。

でも、うれしいことでもある。
自転車始める前は、食事がおいしくなくなってきた。
体調が悪く身体が求めていないと、食事はおいしくないのである。 身体を動かすようになって、とんかつがおいしくなった。スパゲッティがおいしくなった。 ごはんがおいしくなった。食べて「うまかったなぁ。」と思う。 これはとっても幸せなことだ。

まぁしばらくの間は日記で管理し、無駄は制限しよう。 そのほうがもっと、たのしい日々であろうし。

今日のオススメチューブ!
http://www.youtube.com/watch?v=RTLkU66oJt4&mode=related&search=

バレー全日本男子ガンバレ!!
金メダルのセルビア・モンテネグロと対戦して、なにが足りないのか、 なにが世界一のバレーか見えたはず!そして試合内容をみても、随所で 「世界に通用するニッポン」がすこし見えたでないのか!?
力強さと老獪さを併せ持ったチャンピオンに、若い勢いだけでは ミスを突かれて突き崩されてしまうのだ。もっと試合で強くなれ!!


2006年11月27日(月曜) その2
昨夜はバレー応援に白熱してしまったので、夜遅くなってからオーベストの新MLの 設定を始めたが、なんとマニュアルが英語。しかも設定画面の説明がどこにもない! OH!NO!なのである。
おまけに設定方法はコマンドライン(古い、技術チックな方法)じゃなく、技術者にとっては ありがためいわく?なHTTP画面(つまり新しい、素人でもOKな方法)を使わないと いけない。うーむ。。。

設定方法がわからないので画面の入力欄をいぢくりながら投稿を繰り返して 正しい設定値を推論&検証する。うわー、効率わるー。
それにしても、メールの題名に通し番号がつかないなぁ。えいえい。おお、ML名称の 設定方法ならば、いちおうわかったぞ。それにしても眠いな。。ぐー。。 2時ちかくになってスイマーに襲われ寝る。明日の朝は雷雨だそうだから朝練なしだ。。。

朝、階下がうるさいので6時に起きてしまった。しょうがない。朝ごパンでも食べるか。

会社に行って、まっちゃんと昼ご飯食べると、午後はモーレツに眠くなる。 コーヒーなんかじゃ効かないな。書類を見つめて20分ぐらいおじぞーさんのように 固まる。。。あ、今寝てた。

午後はちょっとヒマだったので、ネット検索しサーバで使用している メーリングリストエンジンを探す。たぶんコレ。まちがいない。コレだな。 このエンジンに、画面をかぶせているのだな。ふっふっふ。よしよし。 解説書もネットで探そう。あるある。よしよし。今晩お家に帰ったら早速 設定してみよう。

家に帰って解説書をよく読むと、ああ、セキュリティもちゃんと設定できるし、 けっこう使いやすいじゃん。いちばんメジャーなエンジンらしいし、これなら いけるな。じゃぁ、大量のメンバーを登録して、、、、
なぬ!、画面で登録するしかできないの?外部ツールとかCSVファイル取り込みとかいう 技術チックなアクセスは不可?

ぜんぶ手入力だったか。。。
技術的省力化はできなかったか。

70件ちかくやって確認してみたら、数件のメアドがたりない。やっぱり手入力は 不確かだな。
もう眠いから、明日の晩、もういちど登録&確認作業をしよう。


2006年11月27日(月曜)
実は今、男子バレーが熱い。
全日本女子が奮闘したのでその流れで見ていたが、なんと意外とやるではないか!

以前は「弱い日本男子」の象徴だった山本が今大会では強い!昨日のチュニジア戦では なんと超マーク状態の3枚ブロックをものともせず、厳しいクロスを打ってぶち破り 30点ちかく得点した。すごい。すごすぎるっ。
センターの斉藤は今大会ずっと良かったが、昨日は山村がイイ。センターがいいと 試合の展開はがぜん楽になるはずだ。
山本の逆サイドにいる石島(ゴッツ)も試合ごとに進歩している。もしかして、 アタマに登った血のコントロール方法を覚えたのだろうか、得意の強打に フェイントを交えるようになって得失点のバランスが改善した。しかも、 いいところでブロックを決めてくれる。おおお。これで我が家での呼び名 「恐竜」は返上かもしれない。
でも、でも、、、なんで彼だけ、タイムのときに後頭部をアイシングしてるの?

左右が活躍してセンターが相手を翻弄すれば、試合は組み立てられるだろう。 セッターも面白いだろうに。あとは、もうちょっと日本のブロック回数が増えたら、 さらに上位へ行けるのではないだろうか!!

チュニジアを破ったので8強入りが確定した。さて、今週、どこまで伸びるだろうか。 1戦1戦、強くなっている様子が見えて、じつにじつーに面白い。
(あまりに面白くて先週は情熱大陸を見忘れちゃった。。)

ちなみに、加藤はバレーボールは出来ません。球技全般ノーコン、ノーセンスですから。 自分でやるなら、走る、泳ぐ、跳ぶだけにしておきます。


2006年11月26日(日曜)
沖縄が終わった後のサイクリング会って、めっきり寒くなって参加者が急激に減るのが 普通だったはずだが、なんだこれは!30名ちかく是政橋にいるではないか。

今日はサイクリング会なので後方で確認。まぁこれは僕の趣味みたいなものでしょ。
2名、あやうい人がいる。ひとりは最近参加したばかりな女性。Goさんの初心者講習会にも 参加したそうだ。途中で離脱した。すぐに走れるようになるでしょ。

もうひとりは、顔は覚えているサイクリング会に来てた人。ひさびさの参加だ。 アンクリングしているなぁ。でも、指摘しても今日はダメだろうな。あー、 かなり重く&弱くなっているのか、坂のたびに大ブレーキになる。つらそう。。

もしこれがミドル練だと、僕も後方でのんびりしているとそのままサヨナラなので とっとと置いていくのだが、今回はサイクリング会なので余裕がある。今週はおつかれぎみ らしい大谷さんらと後ろをキープする。いつもの光景かな。
今日は渡邉さんも来ていたが、腰がやばくなったので尾根幹で離脱。また一緒に走りましょう!

ふと前をみる。後ろに下がってきた日比野さんの後姿をしげしげ観察。 むむむ。この脚はずいぶんしっかりした脚だなぁ。ロード選手とかサッカー選手とか、 そういう種類とは違った力強さを感じさせるものがある。なんだろう?ぜったい何かの スポーツをやっていたのは間違いないのだが。はて。。それに、この頑丈そうな脚。 走る競技ではない。もっとチカラ技であろう。走るでないとすると、、跳ねる、飛ぶ系だろうか? とすると、、、バレー?いや、バレーは川上さんみたいなバレー顔ってのがあるはずだ。 似ているけど、ちょっとちがうような。。。でもバレーかな?

コンビニ休憩中に聞いてみる。あー、ワンダーフォーゲルですか。なるほどー。そうだ! それ系を忘れていた!!
ドイツ語で「ワンゲル」とは山歩きを指すらしいが、日本でいう「ワンゲル部」は どの大学でもまちがいなく「山岳部」である。北アルプスめざして、日夜10キロ以上の テントを背負って階段昇降するような連中である。なるほどー。あー。あの太い すねの理由が分かった。。。

コンビニ休憩後の帰り道も、すぐに1名が遅れてしまった。さて困ったな。あ、分岐だぞ。 どっちだろう。だれもいないので道なりにいくが、413号に出てヒマそうなおまわりさんに 聞いたら集団は来てないとのこと。なる。行きと同じルートだったか。
自分だけ先行して津久井湖北の山間路の手前の激坂の頂上で待つ。前後とも見えないなぁ。。。 しばらくぼーっと待っていると、下から自転車を押して歩いて登っている。むむむ。 このままだと前方に復帰は不可能だな。

ひとりで先行して山間路の出口に行くと、ちょうどBossと会うことが出来た。 二人で相談して、彼はペースが違い過ぎるので集団は先に行って貰うことにした。

その後は2名で津久井湖ダムの脇から314号へと左折し、橋本で北上して鑓水へ出た。 16号バイパス沿いの歩道を走っていると、はるか遠くに、米粒みたいな白い背中を発見。 むむむ。オーベストの臭いがする。ジャージ柄の区別さえ付かないほど遠いが、なぜだか オーベストに違いないと思う。まちがいない。におうぞ!一人を置いて激走。前方を追いかける。

脇道が終わるところでようやく白い背中を捕まえる。あー、松崎さんじゃないですか! なぬ、集団もココへ来たんですか。ふっふっふ。(わが勘に狂いナシ。)
松崎さんは少し遅れているうちに曲がり角で集団を見失ったらしい。 この道をちょっとだけ降って信号を横断するんですよ。(つまり柚木街道へ。)

後ろで遅れている1名を待って合流。3名で柚木街道、野猿街道を通って 多摩サイへ戻ることにする。僕はずっと松崎さんと併走しておしゃべりしながら帰った。


2006年11月25日(土曜)
昨夜は新土曜練のコースを下調べしてメモを作り、ちぎれて独りになっても
名栗まで行く準備をしていたが、寝坊してしまった。。

でも、不明の体調不良も、すこし良くなってきた。これは、ロング練習会のおかげ?
あるいは風邪がようやく抜けたのかな?
今日は新MLの調査しつつ、部屋の掃除。ひさしぶりに床がひろく見えたかも。


2006年11月24日(金曜)
昨日は夜になって脚がパンパン筋肉痛。階段を下りるのがちょいと 危なっかしかった。あー、ずいぶん怠けていたからなぁ。 逆に言えば、村上さんと二人だけでずっとローテを回していたのは 存外筋トレチックだったのだろうか。
ロードの筋トレって、超重い負荷を短時間だけエイエイ掛けるよりも、 乳酸がたまらない直前で長時間ずーっと無限に動かし続けるほうが よいのかもしれないな。それって1人だけの負荷トレじゃなくて、 2人のローテーションぐらいの頻度がいいのかも。

それにしても、さいきん体重計の電池が切れていたのでサボっていたが、 ずいぶんと重くなったものだ。四捨五入で80キロ到達!うぉー!うぉー!
リキさんと勝負する日も近いな。こりゃ。
よくもまぁ、普久川を、1度だけでも登れたものだ。

せめてひとなみに減らそう。

今度の修善寺、間に合わない。撃沈確定?ぐぐぐ。

でも来月のウィンターロード1月までには、去年の平均、74キロ以下まで 減らしたいものである。そういや去年、おととしはずいぶん減量に励み、 一時期は71キロという、ハタチ以降は一度たりとも到達したことのない 重さになったこともあった。
でも体質的に細くなれないのだろうか。おなじ身長で65キロ前後のひとが 普通に健康にしているロード界では、遅いのは変わりなかったのである。
(だからって増やすのはよそうよ。)

やっぱり去年みたいな神経質な食事制限をまたやるべきだろうか。。。
普通に暮らしていればさほど増えない。走れなくてストレスで飲んで食べてばかりだから 太るのだ。つまり、一度だけでも(普通のスポーツマンレベルまで)減らせばよいんだから、 ウィンターロードまで賭けてみようか?

・・・・さて。
(いや、ダイエットブログなんてしないよ。絶対。。。たぶん。)


2006年11月23日(木曜)
6時前に目覚ましが鳴る。起きられない。うぇ。体調悪い。
どこが悪いか分からないが、更年期障害ってこんなの?なんて思うぐらい 元気が沸いてこない。身体が運動もしていないのに疲弊している。つまりダメダメ状態である。 まじで今日、ロング練習会でるの?と、自問してみる。うん。出るよ。
6時過ぎになってようやく布団から出ることができた。 とりあえず朝ゴハン食べよう。
消化の悪いゴハンはダメ。すぐに走るから全部パン。 パンと牛乳、ヨーグルト。梅ジャムをたっぷり採ったら少しは元気になるかな? はたと気がついて、キューピーコーワゴールドを飲む。これって効くのかな?

着替えて自転車に乗って出かける。最初10分は「元気ジャン!走れるジャン!」 と思ったが、そういう日こそ危ない。そのあとはすぐに時速25キロまで落ちた。 集合に間に合うか?
でも時計をみるとなんとかなりそう。

オーベスト店前に2分前に到着。たくさんいるなぁ。あ、山口君がいる。ひさしぶりかも。 追川さんら土曜練メンバーと、ミドル練メンバーの混合ってところか。 Bossは一番遅れて来た。さて出発。

とりあえず北上し、上水のわき道を西進して小金井街道に出る。その後はよくわからん。 でも、何度か来たことがあるので風景はかなり覚えたかも。

所沢を抜けて国道299号に出た。広い道。一本道。つまりは解禁ってやつ? Bossが後ろに下がったので勝手にそう解釈して、いちばん後ろのチェックから せりあがって前のグループへ入る。ケンタ君ら若手、馬場君もいるな。あとは山口君や 森川さん、日比野さん、小川さんら。最初は前に出るが段々としんどくなって後ろにぶら下がる。

299バイパスが狭くなるところで停止。後続を待つ。これも暗黙の了解になってるかもね。 土佐さんがパンクしたそうだ。しかも299に入ってすぐ。。朝イチで大谷さんがパンク したし、まぁ30人ちかくもいると、難しいものだ。

そのあとは名栗、山伏峠目指して再出発。
信号がなく段々ペースアップする。一番うしろにいたが、結構きついな。 笠井さんが切れた。だんだん列が長くなるなぁ。。。。と思っていたら、 村上さんと二人でちぎれてしまった。あーあ。

ずいぶん長い間、100メートルか200メートルぐらい離れた位置で、二人で交代しつつ 追いかけるが、ぜんぜん縮まらない。信号がないから前の集団がペースダウンすることは ありえない。うーむ。うーむ。
左手に川が見えて道がくねくね曲がってくると先頭が見えなくなった。ふしぎなもので 先頭が見えないとよけい距離が開く。ついには完全に切れてしまった。 しばらくして名栗湖への分岐にでた。
あれ、どっちだっけ。
村上さんも加藤も、じつは名うての方向音痴。
左へ行ってしまう。きっついダム脇の坂をぜーぜー登ってみれば誰も居ない。そりゃそうだ! 戻りましょう。あ、そのまえに便所に寄りますか。

分岐へ戻って右へ行く道へ。
走るとすぐ豊島さんが向かいからやってくる。
「お先に〜」
そうか、やっぱりこっちだったか。
山伏峠まで二人で必死に先頭交代して進むが、前方は見えない。まぁ無理だな。

峠に上ろうとするが、すでにふたりとも疲弊。特に僕の登りはナメクジのようだ。 しばらくして上から和田さん、大谷さん、川上さんらが下ってきた。
「お先に帰ります。」

しばらく村上さんと見つめ合う。
「ちょっと厳しいねぇ。」
「ええ。。。。」
すでに村上さんは車体を下へ向けている。
「帰りましょうか。」
メールを打って帰ることにする。
(じつはBossの古いケータイアドレスに出す。)

帰りは下り基調なので早い。
ふたりで交代しても良いペースである。

途中でアドレスの間違いに気がつき、ダメ元で新MLに出しておく。
「かとうさん、ついでにコンビニ寄りませんか?おなか減りません?」
「ええええ!なにか暖かいもの食べたいですよね!」

そのあとコンビニ探して下る。でも、秩父はないんだなー。コンビニ。 だいぶたってセブンイレブンを発見。パンやらジュースやらコーヒーやら買い込む。 村上さんの買ったおでんを分けてもらって休憩。チーム員の話になる。 意外と土曜、日曜メンバーの間は、顔ぐらいは通じているものである。 まぁ村上さんはもう、ミドル練も土曜練もOKでしょ。

さて再出発。それにしても帰り道は大丈夫かな。ま、でたとこ勝負だ。 看板見ながら走る。299に戻ればよいんだな。
あ、間違って飯能駅前に出ちゃった。299ってどこ?え、これが299? え、どっちが所沢方面?タクシーの運ちゃんに聞くが、よくわからない。 あー、駅前で299はカギの手になっているのか!

299号をしばらく走ると、299号バイパスに出る。なーんだ。 朝来たのはバイパスだったのか。

バイパスを走る。走る。所沢に着く。さて、抜け道をぶじ抜けられるかな?
「いってみましょうか?」
「ええ、やるだけやってみましょうか!」

村上さんも加藤も方向音痴。まぁ迷うのはデフォルトだし、おたがい かまわないし、いざとなったら人に聞いてなんとかしよう。

なんとなく風景でみて走る。ん、なんだか覚えがあるぞ。
ヤマダ製作所の看板、朝みたぞ!
オレンジ色の壁の住宅がうねった道に突き出るようにあるぞ。
そうそう、ここは朝通ったぞ。

しばらくしてそば屋が見える。ここを左に曲がればすぐ踏み切り?
あー、ビンゴ!

なんと東村山まで迷わないで来れたぞ。

でもそこからがまずい。
交差点を渡って左へ行くが、その後のY字路が記憶にない。
「右かな」

ここで間違えた。
そのせいで団地の中を通る道へいけなかった。

しばらくあてどなく進む。
ガソリンスタンドでオジサンに聞く。
「武蔵小金井ってどういけばいいですか。」

あー、そこの道、信号2つで左曲がって、ずーっといけば 小金井街道に出るよ。

ずーっとって言われたけど、近かった。

小金井街道に出てからは、ひたすら南下する。 前沢のあたりでコンビニに寄って地図を確認。 おや、このまままっすぐいけば東八道に出るなぁ。

小金井街道を走るうちに記憶がまたよみがえる。
ああ、ここ左。上水の脇を走るんだ。
えーっと、ここは曲がったような記憶が。。。(正しい!)

おお、この踏み切りは朝渡ったぞ!
おお、この場所は、朝に大谷さんがパンクしたところだぞ!

結局、名うての方向音痴も2人そろうとプラスに働くようである。 結局山伏峠から90%の正解率でオーベスト店前に着いた。

ん、だれもいないぞ。あー、今日は臨時休業するつもりだったんだ。

そのあとふたりで多摩川原橋まで行って分かれた。
村上さんと2人でとっても心強かったし、たのしかった。


2006年11月22日(水曜)
今日は朝も5時すぎに起きて飯食べて新幹線乗って、1ヶ月ぶりの滋賀へ。
あー、来週から半月だけ、また滋賀モードか。
新横浜で新幹線に乗って席に着くや、即・爆睡。
いちおう名古屋で目が覚めたが、うつらうつらしているうちに京都駅についた。
アー、寝たぁー。

京都駅から琵琶湖線に乗って大津駅まで。 なんだか通勤風景ぐらい見慣れた駅だな。 琵琶湖畔のビルに吸い込まれる。

夕方に仕事が片付き、今は僕の替わりに滋賀虜囚の戦車長と、万年もうすぐ課長の Iさんと新幹線に乗り込み帰途に着く。
駅弁&ビールというお決まりパターン。
いつも戦車長と帰る時は名古屋から小田原まで爆睡なのだが、今日は起きて 喋っていた。

電車を降りる前にふと気がついた。
そういや、電車内で読むために持ってきた技術本、1ページも読まなかった!
戦車長が笑った。はははは。また来週頑張ろう。


2006年11月21日(火曜)
今朝はかなり久々にローラーをやってみたが、長時間は退屈このうえない。 今日はわりと暖かかったし、、やっぱりランド練にしておけばよかったかも。

ローラー台は車体と脚が固定されるので上体は自由である。
漕ぎながらストレッチをやってみたところ、普段意識しない体内の筋肉を 意識することができた。これは何筋というのかしらないが、おもしろいものだ。

昨日はヒマだったので昼間にコンビニへ行って出張費引き落としの 不足分振込みをしようとしたのだが、なぜだが急に数字計算ができなくなった。

 レジ係「ぜんぶで7万9千と、、63円になります。」

一万円札と63円をだす自分。

 レジ係「ええと、7万と9千円です。」

このお札じゃだめなのかー。あぁ、たりないのかぁ。1枚じゃ少なくて7枚なんだぁ。。。 ATMで10万円を降ろして、今度は一万円札を7枚と63円を出す。 まだダメじゃん。。。

(ようするに、数字を理解するチカラがないのである。)

そのときは別段むずかしい考え事をしていたつもりもないし、風邪も治ったはずである。 医者サマから貰った薬はもう飲んでいないので、関係ないはずだ。
レジ係の痩せた女性はイライラするどころか、すでに「かわいそうに。。」 の域に達していた。

まぁ、こういう日は「暗黒日」ということで、日記を書くにもほどほどに すべきだろう。。。
あれ?昨日はいつになくたくさん書いてるじゃないかぁ!あっはっは。


明日は滋賀。5時起きである。
新幹線のなかで読む本は、歴史小説じゃなく、めずらしく技術本だ。 すこしは勉強しないと、給料あがらないからねぇ。。。。

いつのまにか自分の会社でのポジションが技術寄りになっていた。 おかしいな。僕よりずーっと優れたハッカー級がたくさん居たはずなのに。 みんなどこへ行ったのだろう(涙)。
ちなみに、ハッカーという呼び名のもともとの意味は「高度な技術をもつ者」 という尊称であり、「他サーバに侵入して不正工作をする」というのは クラッカーである。今ではコトバの誤用が定着してしまったようだが。。

自社開発のマネジメントというポジションはもはや不要であり、パッケージセールスマンか、 あるいは技官かという様相である。まぁどっちでもいいけど、ものづくりのたのしさが 見えにくい今の会社は、若い人に不幸に思えてしまう。

いや、それを不幸と思う時点で、僕はもう会社では、いまどきのIT世界では旧世代、 ロートルなのかな。
・・・ロートルって中国語だったのね。老頭児。OH!


2006年11月20日(月曜)その3
ある経緯で教えてもらって、とある人のブログを見た。
オーベストはスパルタである。某N氏のところはアテナイである。アテナイなので自由である。 スパルタなオーベストはさらに強い人を集めていて、まるで巨人軍である、だそうだ。はて。。。

ほんとうにそうだろうか。というか、スパルタって意味、どういう意味だろう?
そもそも古代ローマのスパルタというのは、軍隊構成がアテナイとちがって参政権を得た 多数派の市民でなく、国民の1割未満の貴族(=完全市民と呼ぶ)が主体だった。彼ら貴族は 10倍の国有奴隷(実は先住民)を支配するため、7歳で親と引き離されて、服も満足に着ずに、 食事も自ら略奪して調達。日夜厳しい軍事訓練を受け、成人して屈強な戦士(=支配者)になったのである。
もしもオーベストがチームとして若者だけをあつめて合宿所でもやって強化練習ばかりくりかえせば、 その合宿所の選手は「スパルタ戦士」といえるかもしれない。でも、練習会は自由意志で参加し、 それぞれが自ら望むものを求めて挑戦する姿は、とてもじゃないがスパルタとは言えないだろう。 そんな自由じゃ、古代スパルタ人に恥ずかしいじゃないかっ!!
(いや、スパルタ的なものを求めれば得られるチーム、という意味で、もっと現代的じゃないか。)

「巨人軍」というレッテルも、ずいぶん中傷的である。オーベストは勧誘は一切してきていないし、 チーム成績のために強い人を遠くから呼び寄せるのは、考え方として最初からNGでありつづけて いる。オープンな雰囲気づくりで自然とあつまる人たちが、練習に定着している、定着して オーベストを名乗る。最初から今まで、ただそれだけ、それだけのことなのだ。

スパルタという、現代の価値観でいえば批判にとれる評価を公の場で放言するならば、真実の姿を 少しでも知った上で言うべきであり、一度も練習会をのぞいたことがないひとのブログにこういう ふうに書かれることは、これを読んだ読者が事実と誤認しかねないので、カンタンにいえば 迷惑といえよう。

逆に言えば、それほど他者からは強大に見えて、はげしく活動しているように見えるのだろう。 ま、それはいいことかもしれない。それは事実であり、彼ら彼女らの損得フィルターを通すと、 新興チームは悪魔にも、巨人軍にも見えるのだろう。
(「巨人軍」というレッテルが批判表現になっちゃうのも、ナンだな。。)

でも、、、そんな戯言を書くぐらいヒマなら、もっと生産的な活動をしたらどうだろうか。 活気のある、オーベストと同じようなチームが各地に新しく沸きあがり、地域に根ざした、 裾野のひろいクラブが全国に群雄割拠したほうが、おもしろいではないか。どうして そういうふうに考えられないのだろうか。

古豪のなるしまも良い。新興のオーベストも良い。ユーキャンやラバネロみたいに 実力あるメンバーを抱えて頑張っている強いチームもいる。ほかにももっと、、、 たとえば、茅ヶ崎ドルフィンズとか、江戸川コナンズとか、長瀞ウォーターダッシュとか、 名古屋コーチンズとか、、、、地方を代表するようなチーム、もっとたくさん できないかなぁ。。。ねぇ。

もしかして、キミタチ、アテナイのほうが、ずっと閉鎖的なんじゃないか? だから生きの良い「若者」も増えてこないし、チームの輪がひろがらないのではないかな。 (放言、長尾発言ナリ失礼。)
もっと生産的な方向へ神経を注ごうよ。。。狭い世界なんだしさ。


2006年11月20日(月曜)その2
さいきん、TVでバレーボール観戦が旬である。

先週から男子大会が開幕した。以前は「弱くて見るのがしんどい」状態だったが、 今回は粘りがあってなかなか見ごたえがある。そもそもバレーというのは選手同士の 連携にかなり重点があるので、チームワークが大切である。そういう意味で、 興行的にも面白いのではないだろうか。
それを考えると、毎年正月に駅伝を見るぐらいのんびりした神経の視聴者ならば、 ツールドフランスや、いや、ジャパンカップを放送してくれたら、ずっと面白いものを 提供できるし、人気がでるんじゃないかと思ったが、まぁロード人口の何十倍だか 分からない市民ランナーの支持を考えれば、そのポジションは奪うに難しいかも しれない。

で、男子バレーのはなし。
昨日はまず2セット連取し、第三セットは競り負けてしまい、第四セットで双方粘って、 最後は36−34で勝つというドラマチックな決着だった。テレビ番組プロデューサは きっともう、万々歳だろうな。
以前にくらべて山本が頼りになる。日本の弱さの象徴だったが、彼は決めてくれるようになった。 いい。越川はサーブ要員というより、もう先発でもいいようなぐらい、よく観て動いている。 これは人気でそうだ。(女の子の)。で、彼らを使って攻めに転じられると、斉藤ノブの ブロックやアタックが効果的になって、さらに面白くなる。石島(ゴッツ)という ニューキャラクターもパワフルで元気で、打開策になるし、効果も大である。 男子全日本は女子のように世界に背丈で負けることはないので、そういう意味でも、 もう一皮、二皮むければ、もっと上へ行けるのではないだろうか。
女子・男子通じて、バレーは観てて実におもしろいと思うが、はて、Vリーグが商売として 成功しなかったのはなぜだろうか。
ひとつに、チームの企業色が強すぎるのではないだろうかと思う。ケーブルテレビで たまに見るが、タイトルが「NEC対JT」じゃ、どちらも応援する気持ちには (僕は)なれない。これがもしも、神奈川レッドロケッツ vs 大阪マーベラス、なんていったら、どうだろう? あ、調布 vs 神戸でもいいや。
(なぬ、世の中の人は僕ほど土着体質ではない??)

Jリーグが中身はともかく人気を博して、いまなお高い年俸と熱心なお客を維持できるのは 地元フランチャイズ制が成功したからであろう。すると、もしも日本でプロロードをやると なれば、地元クラブから発展した密着型であるべきだろう。。。
調布オーベスト?


2006年11月20日(月曜)
さいきん全てがシンドイ。睡眠時間がいくらでも延びる。
体調もぱっとしない。カンタンに風邪をひく。
どうも身体の中のなにかのバランスが狂っているらしい。

発端はじつはなにか知っている。休息である。

10月上旬に滋賀が終わって、その後かなり休んだ。仕事もなかったので、 精神的にそうとう「休み」状態に入った。ストレスの反動で、かなり呆けて しまったのだ。

休みっていうのは、難しい。実は休み過ぎると、だめになる。
働きすぎと同じぐらい、休みすぎはダメである。スポーツもきっとそうだろう。

「冬はシーズンオフ」という人がいる。じつに微妙だ。もし上手くオフできる人が いるならば、それは「気を抜き過ぎない、身体を休めすぎないコツ」を知っている に違いない。なんでも全力、なんでも全開というのは、ちょっとアホなのである。 そう、私はアホなのであった。。。。

若ければ無茶ができると言う人がいる。きっと無茶した反動を吸収する「余裕」が あるのだろう。他人のために日々を送る社会人に、自分の都合は二の次である。 自分のために学ぶ日々をすごす学生とは、まったく生き方が違うのだ。 無茶も節度の上で、ということだ。

この冬は僕にとってシーズンオフでもなんでもない。
なにせ夏の間ずっと自転車は休業していたのだから。
今から、昔に戻った身体を、すこしづつ起こしていかなければならない。
そうすれば、体調の悪さも、自転車に乗っているうちにきっと治るだろう。きっと。

やっぱり、オーバーワークも、寝すぎも、どっちも同じぐらい、だめである。


2006年11月19日(日曜)
日曜の夜は、パソコンに向かって日記を書く。
日記を書くときは、いつもAMラジオをつける。昼なら文化放送だが、夜はニッポン放送が良い。 なにを聞くつもりで無いのに、毎週聞くと自然と覚えるものだ。10時半から福田沙紀の番組が 始まる。そこで「グッド・バイ・マイ・ラブ」を聞いて、これはすばらしい!と思ったりする。

さて、日記。

今週末は兄貴夫婦がウチに来た。というのも、先週からずっとハネムーン旅行でモルジブへ行っていて、 つい昨日(土曜)に帰国し、日曜に加藤家の親族と顔合わせの昼食会があるので、宇都宮に帰る前にウチへ寄ったのだ。
10歳差の夫婦、しかも新婦は3人姉妹の末っ子で、可愛いと言うか、女の子っぽいというか、 加藤の周囲には珍しい、女の子らしい子で、家庭らしくて、大変結構である。おかげさまで 兄貴の心配がなくなった。。。。いや、兄貴を心配できるような弟じゃないんだけどねぇ。

昼に渋谷で昼食会をして、そのあといったん帰宅してからオーベストへ行った。新メーリングリストの 事務的な準備作業のために。お店にはすでにモリカワさんとコバヤシさんがいた。雨の日はチーム員だけ だろうなと思ったがやっぱりそうだった。そういやオダさん2、3日来てないって言うけど、元気かな。

ところで、今日はおもしろい買い物をした。
まずは、シマノのツールブランド、PROTOOLの携帯エアポンプ。
家に帰ってからさっそくバラしてみたが、アルミ加工のこの製品、工作精度が高そうな雰囲気があって なかなか立派なつくりである。
ボトルケージに付ける固定具も、マジックテープベルトつきで、僕の好みだ。 好み、というのも、前に使っていたTOPEAKのアルミ削り出しポンプ、固定具のバンドが 細いゴムバンドで、この前のウィンターロードのとき外してサドルバッグに入れたはずが紛失してしまった。
バンドなしだと脱落してしまいそうなのでジャージの背中ポケットに入れて練習していたのだが、連光寺坂くだりの 道路の継ぎ目でたびたび飛び出してしまい、3度ぐらい拾ったが、ある日ある朝、家に帰るまで落ちたことに 気がつかず、それっきり行き方知れずとなったのだ。

それ以来、ジテツー用のCO2ボンベを携帯していたが、CO2ボンベは重いのと、チーム走のときに つぶしが聞かないので他にいいものを探していたのだ。で、お店を物色していたらシマノのツールを発見。 シマノのツールとしては初物だから気合入れて作っているはず。買ってみたというわけだ。

で、実際にセルビーノの空気を抜いてから、このポンプで入れてみたが、使い勝手は普通だった。
余計な凹凸がなく、バルブ固定用ロックもなくシンプルなものだが、特に困らない。 総合的には、デザインセンスがなかなか良いので、使い勝手、精度、重さ、どれも問題なく、 いい買い物だったかもしれない。

2点目は、おなじくシマノ、PROTOOLの携帯工具。さっそく使ってみようとボトルケージのネジを外して みたが、たぶん精度高そうである。もしネジとガタがあるようならば、それはきっとネジが悪いのである。 チェーン切りも付いている。サドルバッグに入れたらサイズも意外と小さいことがわかった。よしよし。 ちょっと重いかもしれないが、精度、機能で、工具として満足である。
(サドルバッグの携帯ツール+チェーン切りの代替と考えるならば、重さも改善ぐらいかもしれない)

3点目は、インソール!実は今回コレが一番期待大である。
今日はまだ使っていないのだが、いままで「え?インソール使ってないの?」と誰に聞いても驚かれ、 呆れられていたので、「なるほど、スポーツマン失格ぐらいインソールは大事なのだ!」と先々月ぐらいに気がつき、 前からいっぺん買ってみようと思っていたのだ。

今週から使い始めて、ロング練習会でためそう。さて。時速1キロぐらい上がればいいが。


2006年11月18日(土曜)
ことしも沖縄は終わった。
実は、冬のウィンターロードを除けば、今年の初レースだった。
去年は120キロで歯が立たず、今年は腰痛で一時期まったく乗っていなかったので80キロに目標を落とした。 そして、なんとか完走することができた。いつも源河で脚切りされていたイメージが 強かったので、今回の完走で、遠くの星から、すこし身近に感じるレースになった。

ツールド沖縄、生まれて始めて出たレースであり、毎年かならず出るレースである。
登りがあり、長い下りがあり、平地も長い。公道を遠く走る、まさしくロードレース。 いつか、自分の所属するチームが国際200キロに出ることができればと、ずっと前から思っていた。 僕が無謀にも実業団登録をしているのは、出走・完走することで、1ポイントでもチームランキングを 上げて国際の参加資格に貢献したかったからだ。

でも、今年からランキングのルールが変わった。なんとBR−1のポイントしかカウントしないのだ。 残念である。。。。この高いハードルは、しばらく距離をおいて考え直そう。

さて。来年一年はどんな一年にしよう。
つまりは、沖縄の何に出て、何を狙おう、ということだ。
130キロ完走?200キロにチャレンジ?
どちらもハードルが高い。でも、目標なくして、1年始まらない。
まずは1月2月のウィンターロードを目指して自分の練習というものをまた探そう。
JCRCも、来年は出よう。それから、普通の市民レースにもまた出よう。
レースにでないとつまらないし、練習のための練習ばかり考えちゃって、よくないかも。


2006年11月17日(金曜)
ひさびさの朝練。。。気合が入らん。チカラも入らん。集中力も。
寒さのせいか、アタマが最後までぼーっとしていた。
しばらく風邪が治るまで室内ローラーにするかな。


2006年11月16日(木曜)
あちこちから「医者へ行け」と言われたのだが、たしかにそうだったかもしれない。 今朝起きたら、結構らくだ。昨日医者サマから貰った薬がきいたらしい。夜中にむせて 目が覚めることも無かった。
治った?
いや、薬が効いているだけかもしれない。用心のため、貰った分5日間はぜんぶ飲みきろう。 朝練も明日から復活可能かな?まぁ、沖縄で走ってたんだから、今日朝練しても良かったかもね。

実はさいきん、テレビの女子バレー世界選手権をずっと熱中してみている。 今のイチオシは、エリカちゃんである。きゃー。(何?)
つい去年まではワンポイントブロックだった荒木は、いまじゃセンターとして 磐石の安定感がある中心選手になった。ブロック、スパイク、フェイント、 どれも結構決まる。ミスを繰り返したり、単調な動きを繰り返したりしない。 実に堅実プレーヤーだ。しかも、日本の最大の課題だったブロックを次々決める。いい! おまけに今大会では移動攻撃がなんども炸裂した。すげー!これで ビューチー杉山と2人両方で揺さぶり攻撃がつかえるではないか!
サブのセッター、カオリンとの連携も上々。正セッター竹下からの信頼も 高まっている。どんどんいけいけエリカ!
そういや木村モンチッチさおりん、むねが大きくなったなぁ。重そう。
(なにを見ているのだ。)

その一方、期待はわかるが、小山ワンジョーは短調すぎるな。
(そういや、川上さんもぼそっと指摘してたっけ。柔軟性がないって。。)
背筋力を使った強いバックアタックは結構決まるが、前にでると単調な ストレート打ちを力任せにやってしまうので、ヨーロッパのブロックならば 2度目は止められてしまう。前にでないほうが、、というのは、妙な話ではないか。

高橋みどり、杉山、竹下、木村、荒木、リベロの菅山。アテになる6人が 揃ったのに、もうひとり足りない。もう一人。。。。
次回はマホ(宝来)に化けてもらおうか?

ちなみに、色白の菅山・カオル姫をみてると、いつも大谷さんを思い出す。 姫と言われる外見と裏腹に、かなり気合の入った人だそうです。カオル姫の 同室の話によると、寝言でも「○○っ!、行くよ!」と大声で叫んだとか。 練習でもイチバン最初に出てきてレシーブの特訓。姫だなんて名づけたの、ダレ?


2006年11月15日(水曜)
午前中に医者サマへ行ってくる。
症状を確認し、喉を見て、聴診器で胸をアレコレ確認する。 あとで気が付いたが、お医者さんは風邪をみてるのでなく、 結核、インフルエンザ、その他の可能性をチェックしている らしい。
しばらくして、選別した薬の説明をしてもらう。 症状が治らなかったらまた来るように、とのこと。 喉だけが悪い場合は、耳鼻科へいくように、とのこと。 しばらくは様子見となった。
受付でやまほど薬を貰う。
会社に行き、飲む。すこし楽になった?
夜にまた薬を飲む。今晩はちゃんと寝られそうだ。


2006年11月15日(火曜)
会社におそるおそる行く。うむ。1日休んだが、特に問題なさそうだ。
しんどいし、風邪はなおってないし、早めに帰る。
夜中に咳き込んで、どうも寝付けない。
寝不足は、、、あした会社で解消するか。(ちがう?)


2006年11月13日(月曜)
沖縄2泊3日。
風邪がひどくて喉が腫れつづけ、後半はセキが止まらなかった。
でもレース中はセキは出なかった。不思議。
展示会対応と風邪で今週は朝練をしてなかったので、那覇空港から名護までの自走組に入って練習不足を 補ったつもりだが、翌日体調が急に悪くなるかも知れず、賭けだった。でも、当日の体調はむしろ 微妙に良かった。
レースは、完走できた。なんとか。よかった。

ナルシマの会長とずっと一緒だった。並走でなく、なぜか要所でいっしょになった。

登りではたいてい、かろやかなナルシマ会長に抜かれていき、平地と下りで僕が前に出て曳き、 どうやら源河からの平地の後半は、アベック状態で、僕はずっと前を曳いていたらしい。
最後は並んでゴールさせてもらった。
71歳。
走ってる横顔は、終始つらそうな顔を、張り付いたようにピクリとも動かさず、何時間もずっと、 前だけを見て、走っていた。ずっと黙って。

最後に「おつかれさま」と言った。やっぱりこの世代の人間は、僕らの背伸びしても 真似できないなにか硬いものを持ってるように感じた。とっても楽しかった。

帰りも空港まで自走した。 レースも終わったし、喉も悪化してるし、無理する必要はなかったのだが、なぜだか走ってしまった。 辛かったこともあったが、でも楽しかった。寒くなければ、いいじゃん。自走で。
ホテルも、名護とオクマの中間にもしもあれば、レンタカー一切なしで良いじゃん。 スタート地点までぜんぶ自走。

家に帰ったらなんだか身体がしんどくなった。
喉が切れたみたいに痛い。明日は仕事に出ないと。


2006年11月12日(日曜)
夜半にセキが出る。ちょっと苦しい。
レース前日に寝つけないことなどないのだが、今日は体調不良で寝付けない。
4時半にあちこちで目覚ましが鳴る。窓際にふとんを敷いていた僕は カーテンを空けて(あ、暗いや。)、電灯をつける。 みんな眠い目をこすりながら起き上がる。今日はレース日である!

着替えてロビーに下りて、さて、出発!
クルマに分乗し、奥さん方を名護市民館まで送り、オクマへと急ぐ。 左手は真っ暗い海。まだ日の出は遠いのである。

オクマの駐車場に6時前に到着。しばらく皆車中で食事、休憩。ホテルでトイレを済ます。 あとは7時発の主催者バスに乗り込み、スタート地点へ行くだけだ。
スタート地点は風が吹いていてちょっと寒い。ウィンドブレーカが欲しいなぁ。 使い捨てのビニール袋製レインコートなんて、よいかもしれない。 村上さんたちと漁港の倉庫で座って待つ。スタートは10時だって? 早すぎだよ。バスは。

9時すぎてからアップを始める。のろのろ。
しばらくすると宣伝カーがやってくる。
「もうすぐジュニア国際の先頭が来ます!」
わらわらと整列を始める80キロ参加者たち。なるほどね。ならぶタイミングは あの街宣カーなのかい。

先頭40人目ぐらいにオーベストで陣取る。ふふふ。上手いでしょ。 並んで待つが、なかなか来ない。ひまだなー。 ヘリが飛んできた。これが合図?
しばらくしてジュニア国際、国際、市民130キロが通り過ぎる。 あれ?市民200キロは来ないのかなぁ?
もうすぐ10時。源河関門は12時半と決まっている。早くスタートさせてよ。 10時すぎてようやく市民200キロの先頭、逃げ集団が見えた。わりと小さいな。 10人いない?ん?高橋君(モ)が見えた!がんばってるなー!えらい! 励ましの声をかけた。(後で聞いたら、気づいていたそうだ。)
Bossの姿を見つけられなかったが(実はいた。)、今年も展開にオーベストが 参加できているな。すばらしいものだ。。。パーン!
なになに今の?まさかスタートの号砲?

なんと今年の80キロは1秒もカウントダウンせず、200キロ先頭集団が 通り過ぎたと同時にスタートすることになった。 80キロ参加者は道路の右側半分に並んでいたので、僕は左側を走って前へ出る。 すぐに大集団の先頭に出られた。
しばらく先頭を曳く。あ、でも僕ひとりで頑張るのもなんだな。脚を抜く。 すると何人かが前にでるので譲る。そのうち日比野さんや土佐さんも先頭に来て 2名だけで曳き出す。
あー、オーベストだけで先頭をひっぱってはダメだよ。使い捨てになるよ。 そう叫ぼうと思ったが、集団は意外と活気付いていて、みんな貪欲に前へ 出ようとして、いつのまにか先頭20名ぐらいがうまくキープできるようになった。
ふと手元を見る。ありゃりゃりゃ!メーターが「時速0km」を表示しているぞぉ。 また接触不良かっ!昨日のサイクリングは大丈夫だったのに、なぜ今なの(涙)。 今日は完走目標。源河を12時30分より早く通過すればよいと、きのう 村上さんに聞いた。よし、あとは腕時計だけみて頑張ろう!

普久川ダムへの登りになると、流れが変わった。ひたすら個人の登坂力ベースで 展開されるようになる。ずるずると僕は後退する。やっぱり登れないなぁ。 ここいらへんは練習がみごと反映されているな。

長い普久川の途中で追川さんが声をかけてくれた。「いくよっ!」
うひー。行きます。行きたいです。じりじり離されてしまう。ダメダメモード全開である。 山田さんにも励まされる。ういー。頑張ります。がんばれ僕。

しばらくして、篠山さんらしき人発見。でも、来てないはずだよねぇ。そっくり。。。
(ゴール後に本人だと判明。)

途中でおなじ80キロクラスのナルシマ会長を発見。うぉー。負けられないぞ、こりゃ。 でも、よくみると脚が回っている。しっかりした足取りで遅い僕らを避けて進む。 すげー。もう70歳超えているはず。すげー。つい声をかけてしまった。

いったい登りがあとどれくらいか、メータが止まっているので、さっぱり分からない。 周囲もまばらになってきた。ああ、メイン集団から置いていかれたな。完走も危ういな。 さびしく普久川関門へ。補給所で水を貰うと、あとは小さな坂を越えれば降りだな。 前方に見えてきた数人の集団を追いかけてダンシング。とにかく降り始める前に やつらに追いつくのだ!
なりふり構わず追いかける。届かない。ああ。やばい。 降りでガンガン飛ばす。。。。あれ、あんまし彼らは降りが速くなかったよ。 追いついて追い越す。
しばらくいくと、もうすこし大きい集団がいて参加する。でも遅いなぁ。 下りきったわずかな平地を一人走り、再度登りへ。
のろのろ登っていると降りで抜いた集団がやってきた。よし、のぼりで彼らに着いて行こう。 しばらくはその集団で頑張る。あ、ナルシマ会長もいるぞ。130キロの選手もいるな。 アップダウンでは、登りでひたすら耐え、くだりでは率先して先頭を曳く。 でも、だんだん登りがつらくなってくる。 ああ、もうだめぇ。。。と思うと、だれかが僕のケツを押してくれた。
200キロの選手が「いまここでちぎれちゃうと後が辛いよ。」
やさしぃ(涙)。まだまだ頑張ろう。

高江付近を過ぎて、平良への降りをやっているころ、200キロの集団が 追走してきた。数名が便乗する。おお、会長も一緒だぞ。 200キロ先頭を見ると、岩倉君が曳いている。そのすぐ後ろに我妻さんもいるぞ。 先頭交代後に下がってきた我妻さんに声をかける。
「名護まで僕を曳いてください!ふっふっふ」
勘弁してくださいという顔をして我妻さんが苦笑する。まだ元気そう。
岩倉君も後ろに来た。元気?
(彼と沖縄を一緒に走るなんて、まず無いことだ。初めてだな。)
ひざが痛いらしい。困ったねぇ。消沈していた。
ふと路肩を見る。あれ?高橋(モ)君が立っている!どうしたの?逃げてたんじゃないの? 叫んだが返事は分からない。あー、、、終わっちゃったのね。。。

そのまま混成集団は平地区間を追え、最後の「坂3連発」にあった。 ここで集団が崩壊。クラス、脚力ごとに分散する。とうぜん僕は最後尾である。

そこからひとりで淡々と走る。最初の2本はよかったが、3本目は ぜんぜん登れない。チカラが入らない。なぜだ。。。 予想外に消耗したみたいだ。脚がイタイとか、攣ったとか、 乳酸地獄とかじゃない。踏めない。燃えない。。。。あー!、燃料不足か。
そういや今日は補食まだ取ってなかった。 あわててカーボショッツを流し込む。むむむ。

そんなこんなでアホやっていると、隣から悶々とした空気を発する モリカワさんが登ってきた。声をかける雰囲気でなかったし、 こちらも力が沸いてこない。しばらく彼の背中を眺めつつ、
「3本目ってこんなに長かったっけ。。」とあえぐ。

ショッツが効いてきたのか、次第に重苦しいニブさから開放されて きたので、気持ちが再び「登り」になる。くるしい。でもあと20分。 くるしい。あと20分。いま頑張らなければ、全部が全部が、無駄になる、 この登りが、このレースが、この沖縄が、この1年が、無駄になる。 もう源河脚きりは、いやだ!
沿道の応援を遠くに聞きながら、くるしいカオを全開にして1分でも早く 源河を目指す。
「あー、いまサイアクに苦しいカオしてるだろうなぁ。 これがいいんだなぁ。」

おととしは周囲のやつらが苦しそうなのが不思議に見えたこの坂を、 今ひとりで悶絶して登る。普久川に次ぐ長さに感じる。

記憶に鮮明に残っている登りの最後、最高点が見えた。
ああ、もうすぐだ。あと15分だ。
力尽きたダンシングで頂上をパスする。下りも当然踏む。 登り返しが1箇所ある。そんなの痛いほど知ってるぞ。もういちど踏みなおし パスする。ホントにホントに、あとはくだりだけだ!

ハンドルに頭突きするような直滑降姿勢で下る。上目で前をみて 車体を倒して曲がる。あと8分?あと7分? 直線でガシガシ踏み、カーブで前傾姿勢。とにかく超特急だ!

坂が終わって平地になる。減速する。やばい。12時半まで、あと5分?4分? まぎわらしい紅白の旗をもったおじさんが沿道にいる。応援してるの? 交通整理?たのむから、赤旗振って応援しないでくれー(涙)

ゆるい左カーブを進むと、僕には知りすぎている、記憶に濃すぎるあの 「源河チェックポイント」がついに、ようやく見えた。 ふ、振っていない。赤旗。。。大丈夫だった!
「前に出たら轢くぞ!」という気迫で審判の前を通過する。



カーブを曲がると、あ、婦人連の応援隊がいたぞ!ありがとうございます!
海辺の国道に踊りでる。やったー!これで完走が決まった。小さくガッツポーズ。 これで「源河脚きりのトラウマ」が治ったかもしれないぞ!

いきなり目標が無くなる。どうしよう。名護までサイクリングする? ペダルが止まりそうになるが、とりあえず回りに数人いるので 集団走行する。ああ、海が、そらがきれいだなぁ。広いなぁ。

しばらくして、先頭2名だけが曳いているので、ガイジンが混じったタイミングで 前へ出る。みんな完走できたのだ。よかったねぇ。

ゴール直前の長い右曲がり坂を登る。ダンシングで前へ出ようとすると、 ピキーン。両足が攣った。。。。 いきなりナメクジモードになり、ただひたすら重めのギアを回して 回復を待つ。もんもん走行の始まりである。沿道の日野自動車ジャージをきた 女性連に応援される。
「がんばれオーベスト!」
「両足攣ったぁー!」
通り過ぎた80キロの一人が笑う。あはははは。たしかに笑えるねぇ。 下って平地を一人っきりで走る。ん?後方に気配が。あー、会長だ。 前に出て曳く。ぴったり2名列車で、そのままゴールまで。
ゴールライン直前で併走し、お互い声をかける。
「おつかれさまでした。」
「つらかったねぇ。」
終わった。今回もなんとか頑張って、完走という、ささやかな今回の目標は 達成できた。

うれしかった。順位は悪そうだけど、今年もバスに乗らずに済んだ。 源河で切られずに済んだ。。。

今年はほんとに、僕の自転車生活の危機だった。
2002年夏から始めて、最大の危機だった。
レースにたとえるなら、序盤に頑張って、疲れて、腰が猛烈に痛くなって、 ハンドルがフラフラしだしたときに横から強烈な揺さぶりが入り、しかも 逃げようとして、さらにねちっこく、強い横風、向かい風が半年以上も途切れなく 吹き続け、僕は途中で自転車を降りそうになった。

前に進むのが、前にいる皆を追いかける気持ちが、無くなった。
ひとりでよろけながら、ただ乗り続けただけの1年だったが、 それでも堪えたぐらいの意味はあったつもりだ。

今年80キロにちゃんと出て、空港から自走し、レースも完走したことで、 今年の意味が、無意味にならなくて済んだように思う。

沖縄に出て、頑張って、ほんとうに良かった。
来年はもうすこし自分を信じて頑張ろう。

オーベスト、成年チーム員にすこし、あせりか、諦めか、あるいは負けぐせ根性が 付き始めている気がする。なにおいう。それでも続けようという僕なんか、 もっとみじめじゃないか。きっとひとつの関門なのだ。我々は。
来年、だれが、どれぐらい、輝くのだろう。誰がこの関門を乗り越えられるのだろう。 初期メンバーから光り輝くモノが出ないと、チームの意味がないのである。出でよ! 僕含めた、誰かっ!


2006年11月11日(土曜)
全て和田さんのつくった時間割どおりに動けば良い。
オーベストご一行様はなんと30人以上もいたのだが、みんなオトナだし、 混乱なかった。たいしたものだ。
んま、要するにだ、オダさんだけ確認しておけばあとはOKってかんじ?
(意外と?オダさんは明文化されたルールにはしっかりしてたかも?)

実は僕も幹事だったが、ほとんどすることはなかった。わはは。 宴会の場所の設営作業だけ。場所に着いては去年の記憶があったので、 ホテルの屋外の机を一箇所に(勝手に)集めて、ビーチの投光機の向きを (勝手に)変えて、即席の砂浜夜間宴会場を作ったわけだ。。わははははは!
(本質的に、僕はそういう悪い仕事にあっていたのかも。)

しかし、この人数。来年はもう、添乗員つき&宴会場貸しきりかなぁ。

土曜日、空港から名護までの自走は、向かい風を除けば快適だった。。。まぁ、 もっとも、途中からオーベストらしくスピードアップしていて、(だって土曜だもん) 僕は長い登りであっさり切れた。考えれば今週はぜんぜん走ってなかったので、 1ミリも粘れなかった。あーあ。

そのあとしばらくは今日はセーブの清水さんに八割がた曳いてもらいながら、 名護を目指した。。。。あ、また遅れてしまった。独走になる。。。 淡々と走る。ひとりでずっと走る。
意外と、こうやって自分のペースで延々走るのも、好きかも。 集団で走るのも面白いし、自転車ってのは融通が効くねぇ。

かなりしばらくして清水さんが前方に見えた。明日のレースのため今日は強度を あげられそうにないとのこと。(え?僕は明日など考えずにひたすら16時までの 名護到着を目指して頑張ってますよ。なぜか遅いんですけどねぇ。なぜか。

そしてまた二人で交代しながら名護を目指す。海岸線のかなたに名護市街がみえてきた。 いやー、美しい風景だなぁー、きもちいいなぁ。沖縄はほんとにすばらしいところだなぁ。

結局名護市民館には5時半ごろ着いた。受付は余裕で間に合った。 よかったよかった。空港からの自走、イケルじゃん。

自転車を大会に預けて着替える。クルマ班だった土佐夫妻から荷物を貰う。 すいませんねぇ。自分らばかり楽しんで。それにしても土佐夫妻、新婚のように ういういしい。土佐さん、あんなにいい旦那さんだったのだ!なんと! もしも加藤が女だったら、、、いや、よそう。そういう想像は。

で、しきりに村上さんの奥さんがうらやましがる。なぜだ?あはははは。
(村上さんって男性にはだれにも好かれるタイプなんですよって言っておいたけど。)

クルマに載せてもらってホテルに行き、シャワーにかかり、一息。。。 ああ!沖縄にきちゃったんだなぁ。今年もついに、この日がきたんだなぁ。 今年は、今年だけは嫌だったんだ。昨日までは、はやく終わってほしいと思っていたのだ。 ダメダメでダメなのが分かっていて、それでも出る。いちばん大事な沖縄に出なければいけない。 あー、どうしたらいいのだろう。こんな沖縄前は初めてだったのだ。

いざ沖縄についた。もう、明日レースなんだ。だめそうだなぁ。でも、今日たくさん走れたから、 もう、どーでもいいかー。沖縄尺度でてきとーに考えるようになる。

この部屋は村上さん、土佐さん、川上さん、小早川さんの都合5人。 80キロメンバーである。自走した川上さんと僕は、お腹が減って 待ちきれない。10分前に、だれとなく「早いけど行きましょう」と エレベータで降りる。
(川上さんだけは30分も前から1階ロビーで皆を待っていたのはヒミツである。)

戸口で係員にチケット渡して入室すると、そこはバイキング形式だった。 (正しくはビュッフェ形式というのか?)
皿に料理をもりもり取って席に付く。。。ま、待てない。他の部屋の人たちは すこしだけ遅くきたが、飢えたやろーどもはそんな彼らを1分と待つことが出来ず、 食べ始めてしまった。すいません。

がつがつ食べて、夜は部屋に戻って女子バレーの世界選手権を観る。むろん、 川上さんの解説つきである。わーい。
なぬ、目下全勝中のセルビアモンテネグロに対して、日本女子はもう2セットも 失ったって?だめじゃん。もう。。。そこから奇跡の逆転劇がはじまるのだ!

粘って粘って相手を根負けさせ、なんと2セットを奪い返すや、最終セットは 押せ押せで勝ち取ってしまった。。。つよい!つよい!スポーツってのは、 こういうことがあるのだっ!

面白かった。明日は僕も諦めずに頑張ろうと、ちょっと思った。
・・・3センチぐらい。


2006年11月10日(金曜)
いよいよ沖縄。
忘れやすいもの一覧!

出走確認票は? →持った!
シューズは?  →輪行袋の中に入れた!
ヘルメットは? →輪行袋の中に入れた!
グローブは?  →バッグに入れた!

。。。。最低上記4点あれば、なんとかなるでしょ。

スキュワー持った? →忘れそう。。


2006年11月9日(木曜)
昨夜はすぐ布団に入って寝てしまった。
未明に起きたら喉が猛烈にひどい。奥まで全部まっかに腫れているようだ。 声は?出せるな。昨日の展示会で喋りすぎたのだろうか。それとも 飲み会でタバコにあぶられながら話しすぎた?

それにしても、手足の末端が鈍痛である。しびれるというのにちかい、ニブイ疼き。 あ、疼痛ってやつ?ふとんのなかで一人もんもんとする。。。なんか変なものでも 食べたかな。わずかな頭痛は、まぁ昨日のアルコールのせいだろう。

熱い風呂に入ったらとりあえず関節の痛みは治った。ふぅ。よかった。安心して二度寝 したらアルコールの頭痛も治った。なんだったのだろう。。。遅刻だけど会社にいくかなー と思っていたら、また関節痛が戻ってきた。喉はちょびっとだけ改善したが、ひどい状態。 仕事も片付いちゃったし、、午前半休するか。

昼になっても体調がもどらない。ついに全休してしまった。
んー、緊張が抜けて、すこし体調が乱れたかな。
どうせなら沖縄後にしてほしかったなぁ。


2006年11月8日(水曜)
展示会がようやく終わったー。
夜は打ち上げ。のみすぎだー。
次はいよいよ沖縄。
今年は一年、早かったような、長かったような。


2006年11月7日(火曜)
雨なので朝練さぼ。
今日は会社の単独展示会なのでたちっぱなし。腰が痛くなった。
夜はウェイト。


2006年11月6日(月曜)
朝練は連光寺で引き返す。今日は早く出社しなければならない。 今日は会社のフロア内引越しの開梱日。サーバの再起動やら調整やら、 すっげぇばたばたして忙しい。
午後からは展示会の準備。これまたメイン担当だから、余人に代えられず。 15時からは社内発表会。ずっと立ち通し。喋りつづけて喉が痛くなった。 ふー。。。
夕方気がついたが、昨日寝る前にやった筋トレはちゃんと効果あったようだ。 脚が張っている。なんだか久しぶりだな。そうか。そうだった。忘れてた。

明日も明後日も展示会対応。なかなか忙しい週だな。


2006年11月5日(日曜)
午前はサイクリング会。たっぷり乗った。
Goさんと最後尾で喘いでいたサクラダさんを休憩させる。 休憩後はGoさんのペダリング講座&サドル調整。
そのあとサクラダさんは回復して元気に是政へ。

昼ゴハン食べて、夕方はお店へ行き、ワダさんと沖縄の打ち合わせ。 さいきん忙しくってあまりお店に行ってなかったなぁ。
今日はいちにち、ゆっくりできて楽しかったかも。

夜は久しぶりにウェイト。
腰痛再発しないよう腰をかばいながらスクワット。デッドリフト。
沖縄のため?いえいえ、来年のためですな。


2006年11月4日(土曜)
午前中は連光寺坂からの反時計回り。
昼前に家にもどり、大森へ。
冬に仕事した服飾関係のおしごとの縁で株主優待へ招待された。 ついつい背広を2着も作ってしまった。
こりゃ、ほんとの株主になってもいいかな??
夕方に床屋さんへ行って散髪。沖縄前にすっきりした。


2006年11月3日(金曜)
午後からヒマになったので多摩サイへ。


2006年11月2日(木曜)
昨日は目黒でフォーラム発表のあと、部長らと飲んだ。
しかも15時から。。。ははは。どういう会社?いや、ヒミツである。 意外と話は盛り上がり、楽しかった。たのしかったということは、彼らの 仕事が充実しているからだろう。すばらしいな。

今朝はおかげで寝坊したから朝練なし。
会社へはカジュアルで出かける。今日は社内の引越しをするため、荷造りを しないといけないのだ。
引越しといっても、同じフロア内である。わざわざ荷造りするのは、引越しと 同時にデスクやらフロア配置などを全面改装するのだ。

夕方、全ての荷物をダンボール箱に詰め終わる。なにかさみしい感じ。 昔の思い出が、区切られるようなものだ。
なんだか寂しい思い出ばかり浮かんでくる。
辞めちゃった人たちの顔が、たくさん浮かんでくる。
会社は、やっぱり生き残りの世界である。
別に残っていることだけが正しいとは思わない。でも、 昔の仲間がいないのは、僕は、さみしいな。

夜、家に帰って晩御飯たべてテレビ観る。
じゃぱネット高田社長が出ている。テレビ東京系の「カンブリア宮殿」という番組だ。 前にも高田社長のコラム記事を日経新聞で読んだことがある。だからとっても考えの深くて 視線の暖かい人だというのは分かっていたが、番組でインタビューに答えた姿もやはり そうだった
。 このひとは、仕事がほんとにすきなんだなぁ。
どの世界でもそうだ。すきなことを一生懸命にやっている大人は、しかもビジネスやら、 競技やら、本質的に厳しい世界を生きている人は、どのひとも、結果がついてきて、 立派な人と世間に認知されるようになる。いや、たしかにすばらしいのだ。そして そんな彼らは、みんなどこか似たことを言う。

ひとつは全てに通じ、全てはひとつに通じる。
なにかひとつを突き詰めることは、全てを突き詰めることと同じである。

高田社長、とってもステキな、57歳の社長だった。


明日は、親戚のお葬式関係でロング練習会は出られない。
なんだか今年は、またそうだ。そういう年なのだ。
午後はヒマだから、自転車散歩でもして、夕方に散髪に行こう。


2006年11月1日(水曜)
今日は散歩のつもりで朝練。
中野島周辺の道を探索。

今日はフォーラム対応で一日目黒だ。