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2008/03 長尾日記 | |
2008年3月31日(月曜日) ひさびさ自社に帰って事務作業。 オキナカ君とひさびさに会った。 僕が休職してからも現場で頑張っていたが、 彼も同様力尽きて今日が最後の日だったのだ。 お互いしんどかったが、僕が先に離脱したので 罪悪感があった。でも彼はそんなの気にしてなかったようだ。 でも・・・自分のポリシーとして肯定できなかった。 今考えれば、最後の日は飲みに誘って今後の話とか いろいろ聞いてあげればよかったのか、それとも 余計な話なのか。今もって分からない。 分からないと自分で感じる時点で、もう僕も ロートルなのかもしれない。 でも、やっぱりよく考えてみれば、若い連中のなかで 唯一、一緒に乗り越えてきた相手だったことが思い出すほど 分かってきた。 やっぱりいいはなむけをしてやるべきだったろう。 (ビール×1、焼酎×2、梅酒×1) 2008年3月30日(日曜日)その2 子供は回復力が早いという。本当だろうか。 むかしの良い子、僕みたいな子は、夜は9時前に布団に入り、 朝は7時ごろ起きた。つまり10時間ちかく、最低でも 9時間は寝た。 きっとそういうことだろう。 ということで今日はもう寝よう。おやすみなさい。 2008年3月30日(日曜日) 寒かった・・・ 今日はチーム練の集合に参加して先発隊のうしろを走る。 高尾で息が苦しくなり、早くも練習不足を露呈。 そのあとのぼりはひとりで淡々といく。 今日もまた水野橋ちかくでBossに抜かれた。とおもったら 後ろからぽーんと、あ、大谷さんだ。大谷さんに気合をいれて もらうが、もう息も絶え絶え脚もいけない。こまったもんだ。 下って合流してしばらくは平沢さんと走る。おなかへったなぁ。。 ようかんを食ってるうちにあっさり置いていかれてしまった。 猛烈にタレて走ってると、見かけない黒人を引き連れてアサヒさんが 一定ペースで抜いていった。いえ、僕は昨日レースは出てないですよ。 そのあと一人で青根につく。さて予定通り今日は右折して道志道だ。 青根から下り始めていきなり後悔する。道が工事中ですっげー悪い。 しかも狭く、谷底におりて這い上がるパターン。なんでぇなんでぇ。 しばらくしてようやく道志道らしいのどかな道になる。ふーふー。 僕にはこのぐらいの斜度が練習になって良いのだ。 それにしても、空は曇ってぜんぜん暖かくならないなぁ。 いけばいくほど寒くなる。路肩はまだ梅が咲いている。ウィンドブレーカと 冬ジャージでも寒さを感じる。はーはー。 ただ淡々と走っていると、看板に「コンビニ4キロ先」とある。 なぬ?コンビニ?道志道にコンビニ?なんじゃそりゃー。 いつのまにコンビニなんて出来たのだ。 エネルギーが切れてきたが、コンビニまではガマンガマン。。。寒い。 疲れた。おなか減った。 ようやく遠くにヤマザキの看板が見えてきた。なんだか糸魚川ホテルの 心境。(レベルひっくーい!) なんとかたどり着き、たまごパンとオレンジジュースを買う。天気悪いなぁ。 さむざむしてる。。。ってか、休んでいるうちにほんとに寒くなってきた。 明らかに震えている。こりゃ休むより登らないと寒いな。再出発して登り出すと すぐ道志道の道の駅が見えてきた。 覗いてみるとテントから湯気が出ている。あートン汁だ! 200円だしてトン汁をすする。。。。はー、生き返った。 やっぱ味噌は神だなぁ。 ようやく震えが止まったので下って帰ることにする。 トン汁のせいか、下りで踏んでいるせいか、さほど寒くなくなった。 だいぶ下ったころ路肩に設置の気温計があったので見てみると「6度」だった。 ひるの11時過ぎてるのに、6度?ってことはずっと4,5度だったの? やっぱりクラフトのアンダーウェア着てくるんだった。 (あさ悩んだんだよなぁ) さんざん下って青根に到着。少し気が楽になった。 あとはまっすぐ。梶野で曲がるか考えたが、今日はもう十分かな。 まっすぐ三ヶ木をめざす。 津久井湖手前のコンビニで2度目の休憩。 店員さんがすっごい可愛かった。 橋本、16号脇を通って野猿街道で帰る。今日は最近になくたくさん走れたな。 多摩サイにでて少しだけ走り、是政橋から府中川崎街道に出る。 今日はおうちに遅く帰りたいからオーベストに寄ろう。 セブンイレブンによってハムチーズサンドと焼き鳥を食べる。 矢野口で曲がってオーベストへ。 今日もダンホさんが奥さんつれて来ていた。2度目?エンカウント率高いなぁ。 しばらくして菊池さんが来た。さいきんの自分のヘタレっぷりから 菊池さん「糸魚川ホテルで会おう」 かとー「ええ。クルマ乗っていきます」 菊池さん「なにをー!」 でもスタート時間が遅ければ脚キリの可能性がある。うむ。 そのためにもまた頑張ろう。もうすこし暖かくなってくれないかなぁ。 身体がちぢこまってうごかないよぉ。 雨が降ってきた。。。オーベストで金色の壺を買って帰る。さむいなぁ。 雨って夜からじゃなかったのか。 今日は6時40分にウチを出て、17時すぎに帰った。 ちょっと満足である。 2008年3月29日(土曜日) 修善寺、2年ぶり?のJCRC。といっても参加せず応援だけ。 今日はシンノスケ君ががんばってたなー。 ヒビノさんは相変わらず「一歩一歩」かならず上へ行く。 すごいことだ。 自分といえば、さいきん筋トレしてその分バランスがわるいのか、 お尻のあたりが筋肉痛だ。明日は練習会の「集合」に参加して、 青根からひとり山中湖でも行こうかな。 次のJCRC群馬は僕も出よう。やっぱり具体的目標を置かないと 練習しようにも先がないからなぁ。 さいきん体調も良くなったし、朝練もぶじ再開できてるし、 筋トレもすこしづつ。仕事もよくなったし、まぁ前向きに 行きましょう。これだけで十分幸せである。 ん、今レース予定立てて気がついたが、2006年度末の沖縄を除けば、 この2年間、ほとんどレースに出ていないことが判明した。 ・・・・そうかーそういうことかー。。。さいきん日々つまらない筈だ! 2008年3月28日(金曜日)その2 今日もいい天気。 ![]() くすのきの巨木と池と勤務地 ![]() かめきち(仮称) 体長30センチ。 2008年3月28日(金曜日) 今朝も向陽台朝練。 きのうサボったせいか、なんかスピードでないなぁ。 踏み方を変えていろいろ試してみた。 最後の長尾坂も頑張ってみたが、腰がぴきーんと 痛くなった。ふぅ。 2008年3月27日(木曜日) 仕事は順調。そりゃ好きなモノ作りをさせてもらってるから当然だ。 今の勤務地は、自分向きだ。 古めの鉄筋の建物がひろい敷地に点在している。まるで大学の研究棟だ。 食堂だけの建物もある。どのフロアも食堂だ。 敷地でいちばん高いビルのエレベータを降り、食堂まで敷地内を歩く。 空が広く見える。 空き地には大きな芝生、だだっぴろい駐車場。門のわきには広い公園があって ひろい池にはカルガモがきている。昼休みにベンチに座る。今はめずらしい 楠の巨木を見上げながら、深呼吸。 背広じゃなくカジュアルウェア。 残業も少ない。9時前には確実に帰れそうだし、水曜は定時退社の決まりだ。 ・・・・ なんだか普通かもしれないが、新鮮で幸せだ。 ![]() おまけ! 2008年3月26日(水曜日) ちっと寝坊したけど、朝練。 ひさしぶりの尾根幹朝練。 下ったらふもとに日比野さんがいた。 「ひびのさーん!」 おもわず手を振ってしまった。 府中街道をクルマに混じって走る。あ、もう7時すぎてるじゃん。 今日は時計観てなかったから結構おそくなりそう。 小田急陸橋を登るとき、ハムストリングスを意識してみた。 まぁ気のせいかもしれないが、ちっとよかった気がする。 府中街道をさらに前進。宿河原まで40キロ維持を心がけて走る。 やはり蹴り出して頑張る。 最後の長尾坂ののぼり、途中でふと気がついて、回し方をいままで やったことのない方法にしようと思った。いい感じがしたが、腰が 痛くなったと思ったのですぐ辞めてしまった。 朝ご飯たべて出勤。うん。 午後は病院。診断の結果は問題なしだった。 16時にウチに帰る。はーのんびりしてるなー。 夜は筋トレ。 明日もいい日だろう。 2008年3月25日(火曜日) 日本は暗い。世相が暗い。経済が暗い。文化が暗い。 社会が暗い。若者が暗い。ビジネスマンが暗い。 子供が暗い。明日が暗い。未来が暗い。 ・・・・原子力潜水艦な僕にまでそんなこと言われるのだから ほんとに黒いもやのなかにいて、そのことさえも気がつかない。 でも、そうでないところもある。 んー、ツアーオブジャパンかー。 それは突然だったなー。 ふー。。。。 皆様のおかげでウツがだいぶ良くなった。 そうか。いま小杉本社じゃなく、中原の親会社のビルにいるから まっちゃんとお昼ご飯たべにいくイベントが無くてウツスパイラルが 止まらないのか。 ふーむ。。。 たまには自社に帰らないと。 2008年3月24日(月曜日)その2 むかしここに書いたかもしれない。絵の話。 人物絵はすべて自画像だ。 絵描きは絵に人を再構成する。 そのとき知覚できない不足分は、おのれの部品で埋め合わせる。 だから「他人に似た自分」が、そこにできる。 人が人を理解するということも、、、たぶんそういうことだ。 ウマがあう人、感覚の通じる人、あるいは、安心できる人。 きっともともと似ているのだ。相手を理解するとき、知覚出来ない 膨大な部分を自分で埋め合わせても大きく誤差がでない、だから 認識が安定していて、おちつく相手なのだ。だから、うまくいく、 そういうことだ。 たぶん。 なんでそんなこと書こうと思ったんだっけ? 風呂に入って浮かんだことが、でるときえる。 忘れた。 ・・・そうか。相手を理解しようとすると、自分の理解も進むのだろう。 ・・・ここまでブロークンな日記は思いが広がって助かるなぁ。 (でも思い出せない。) 別の話。 そうそう、沼田君といえば、まえBossが「若いのに、おじんくさい!」 と言ってたっけ。あははは。それって僕の若い頃と同じじゃん。 子供と老人ばかり相手にしていて、「若い人」が苦手だった。若いのにね。 (それは欠損) 去年なにかのレースのときに突然声をかけられた。沼田君に。 あれー、めずらしー、ひさしぶりー、びっくりしたーって思った。 頑張ってるんだ。今年レースでまた会えるかな。たのしみ。 ケンジは、柔らかい。 だから変なことを教えないよう気をつけよう。 彼はまだ何も知らない。空白がたくさんあるから、 吸い寄せるようにたくさんのものを吸収する。 そんな彼になにを教えるかは、気をつけてあげないとね。 オジサンの「知識」はすでに「固定概念」に固まってる場合がある。 しらずに自分で自分に枠をはめていることがある。 それはある側面で自分を守り、ある側面で自分を縛る。 可能性を止めては、もったいないと思う。 ケンジのことを、いつも困った顔で言うBossは楽しそうだ。 ふふふ。 ・・・彼と一緒に、BR−3チャレンジしたくなった。 ようやく思い出した。なぜ自画像の話を思い出したのか。 いくぶん理解できるひとが、すこしでも理解してくれるとは限らない。 昨年の地獄は、きっとそういうこともあったのか。 もう今日は後悔ばかりだな。 思い出したら、あ、、またウツループに落ちた。 今日はもう寝る。いまさら飲んで寝る! 2008年3月24日(月曜日) 今日は寒い一日だった。 ・・・・・ 仕事は、新しい仕事は、とってもいいかんじだ。 古い仕事は、もう振り返りたくない。 もう戻りたくない。 お別れしたのだから。 そういうさびしさに似たものが、今日よけいに寒く感じさせた。 あんなにも苦しんだあの仕事、あのプロジェクト、あのチーム。 2006年は忍耐の年だとおもってまだ頑張っていたが、2007年は ただただ目の前だけで頑張るだけで、それは自ら奴隷になったに近かった。 主体的でない自分に困難はさらに集中し、そして最後まで忍耐しきれず、 年末にぶっつり折れた。自業自得だろうか。 3年続けた。 いろいろ違和感があった。でもそれは、生え抜きのメンバーが関西系だからとか、 部門合併のときに別フロアからきた集団たちだったからだとか、 あれこれ都合のいい理由をつけてその「おおきな違和感」を説明してみたが、 どうやっても距離感は消えず、自分の居る場所が定まらず、座りごこちが 良くなることは無かった。 いや、そんなことは最初から、3年前からはっきり分かっていたはずだ。 それは仕事そのものが、自分のなにか大事な部分とどうしても合わなかったのだ。 もし今就職活動中の学生で、あのプロジェクトに就職するかと言われれば 選んだだろうか、そういう視点をもてばすぐ分かったかもしれないが、 きっと僕はそれが怖かったんだと思う。 その場所は、自分の努力で次が開けたかもしれないが、どう考えても、自分と 肌が合わない場所だった。そして、乗り越えるには、その他のハードルが あまりにも高かった。 そうか、今分かったが、何より決定的だったのは、僕はかれらの誰も、 信じなかった。オキナカ君と戦車長を除いて、一人も信じてなかったからだ。 かといって、それがあのとき分かったといって、それが出来ただろうか。 なぜ?なんのために?なんのためのさらなる己の変形? 今日、昔の世界にちかいところへ戻った。 残念ながら、運命の神様に甘えて、猶予してもらったのだ。 ハードルを下げてもらった、ということか。 針金をまげて、のばし、まげて、のばし だれもとどかない その木の実ひとつに手をのばした でもちっぽけな木の実ひとつ取っても、そのはるか先は また同じ隔たりと ちっぽけな木の実が ひとつあるだけだった 永遠につづくその木の実をあつめるより いま手に入れたひとつを大事にしよう その大事な木の実をみんなのもとへ持ってゆこう ねじって曲げた針金は もう使い道はない 針金はすてて、 木の実をみんなの下へ持ち帰ろう 今日も人生虚無だな。 今日は朝からずーっとずーっと、くらーくくらーくくらーく、 今日という一日はもうダメダメで早く寝てしまおう、早く明日にしてしまおう、 そう思ったが、うれしい話を聞いた。 Boss、今更かもしれないけど、今すぐ、通じなければ、明日アサイチで電話して、 「今更なんですが、もし今でも遅くなければ、、、」と言ってお願いしてください。 ダメ元でも、やるだけやってください。じゃなきゃ、怒ります。みんなもきっと??? 2008年3月24日(月曜日)その0 急に思い出した。なんで僕なんかが実業団レースになんぞ出ていたか。 むかしはポイント制が違っていて、たとえBR−3でも出場すれば1点、 完走すれば4点獲得することができた。もしも30位以内とかになれば、 もっともっと点がかせげる。これが大事だったのだ。 というのも、チームのメンバー、BR−1からBR−3までの全員の合計得点で 「チームランキング」が決まり、チームランキングが上位だと、ツールド沖縄・国際レースと、 ジャパンカップに出場できる仕組みだったのだ。 そうだ、その2つのレースにオーベストを出したいから、はっきりいっちゃえば、オーベストで Bossをその2つのレースに出したいから、たとえ1点でも4点でもその目標に近づくために 少しでも稼ぐことが、僕にとっては大切な意味があったのだ。 ・・・・そういう日は、遠からず来る、、はず。 あとはなるだけその日が早くなるように、そういうことなのだ。 2008年3月23日(日曜日)その3 さて、これからどんなふうに練習しようと、そんな考えが再び浮かんだ。 まぁゼロからの再スタートなんだしぃ、とにかく走る? いや、平日の時間は限られてるし、だいたい目的なくやっても なにも残らないジャン。なにかテーマを決めよう。 そういや去年からずっとフォーム修正がテーマだったけど、すこしは 進歩しただろう。いや、そういうことにしといてください。 まえのママチャリスタイルから、少しだけマトモになったはず。 今後もフォームは気をつけるけど、それだけじゃ前に行かないもん。 練習再スタートとしての重要度は、 1:フォーム 2:筋力 3:長時間の力 というところか。 フォームが悪いと筋力も持久力もなにも生きてこないからこれは 基礎中の基礎だろう。 つぎに筋力かケイデンスかと思ったが、ケイデンスを上げて 回転できるってのはフォームに多分に含まれると思う。 180RPSなんて求めなければ、回転の専用練習なんてメインとして 目標にならないじゃん。ということで、筋力である。 で、筋力バカってのもマズイもので、年中無酸素領域でぱくぱく していても、ぜったいに強く慣れそうも無い。でも、でも、 超・低レベルな初心者級の場合は、自転車用の筋力をちゃんと 自分の身体に必要なだけつける必要がある。 どんなに持久力があっても筋力がなければ練習会に付いていけない。 練習会がなければ追い込めない。だから筋力が2番目だ。 そのつぎは、筋力をどのようにつかうかだ。 長時間の力とは、たぶん持久力とかいうコトバで表される総合だろう。 心臓、血液、血管あわせた酸素運搬、乳酸除去の力とか、いろいろ? よくわからん。でもそんなこと悩む必要もあるまい。 それがテーマになるぐらいなら、もっと違う詳細度で練習テーマを 新たに考えられるだろう。だから1、2と来て、3で上がりである。 再スタート計画はこんなかんじにしてみよう。 夏までどこまでできるかなぁ。 秋とかアレとか考えるのは、そのあとだ。 たのしそうでしょ? 2008年3月23日(日曜日)その2 今日は朝から自転車整備。じつはヒミツだけど、あ、やっぱ 馬鹿みたいだからヒミツにして置こう。えーと、なぜか 練習用ホイールに9速ギアがついていた。 いつから? 2月ごろから「なんか16段以降23段までへんだなーへんだなー」と 思ってたけど、9速だったとは。とは。。 で、新ホイール新ギアで12−23になったので念入りにもういちど ギア調整して、あとは各部のネジを締め増ししてOK! 着替えて散歩に出た。 しかし、雨後のなんとかみたいに、バラバラジャージのロードが増えたこと。 うーん。クルマもだれもいない田舎に行きたいなぁ。 向陽台をでたらめに走って帰った。 それにしても、ポラールは調子わるい。速度計がへんだ。 25キロ超えると計測が止まる。うーん。。そんな高度なセッティング した覚えないけどなぁ。 お昼に事務用すませて午後は買い物の予定。 こんどの職場はカジュアルOKだから、背広以外、オベジャージ以外の服を 買わないと。。。 (なんねんぶり?) 2008年3月23日(日曜日) どうでもいいこと? 朝のニュース番組で、チベット紛争の話題があった。 都内にいるチベット族の人と、福井大学の教授がゲストで出ていた。 この福井大学のセンセイのセリフ、 「チベットは中国の財産ですから」 ・・・・モノですか? 国連で「侵略」と認定されたはずだけど。。。 中国共産党の党員がそういうならびっくりしないけど、日本の大学のセンセイが チベットを中国の所有物とみなす発言をするのは、いいんですかねぇ。 ま、どーでもいいか? 2008年3月22日(土曜日)その2 今日は昼過ぎのんびり自転車散歩。 あたらしいホイール、あたらしいタイヤはなかなかイイ! っていっても、のろのろ府中街道を走って光陽台まで行くだけだから あんましわからないけど、前の1万円ホイールよりシャッキリした かんじは分かった。んー、丈夫そうだし、僕にお似合い? それにしても、信号もクルマも多くて道がせまい。もっと田舎だったら サイクリングも気持ちいいだろうなぁ。 クルマを掻き分け、長尾に帰ると、今日の唯一ののぼり、長尾坂。 んー、筋トレのおかげか、ちびっとづつよい感じかな。 2008年3月22日(土曜日) 1000人ちかくだったそうだ。 昼の六本木、デモ列が1kmを超えたとか。 まぁキー局テレビの報道はほとんどないだろーなー。。。 ![]() ![]() アサヒの印象操作 参加者は70人だけ? 数の欺瞞は、某国と同じ。 これが日本。 2008年3月21日(金曜日) 今日から新しい勤務地である。 親会社の本社ビル内である。 さすがにでっかい敷地にビルが林立するだけあって、食堂がいくつもあり、コンビニまで 会社内に複数ある。お池にゃ鯉がいるかな?とにかくひろーい敷地にみえる空は広かった。 仕事もヒミツだが、けっこう面白い、面白くなりそう。 いままで火事場の火消しとか、新規ビジネスの開拓役とか、クリティカル客への人質とか、 どこでもポイポイ投げ込まれてきたが、こんどは年単位にじっくりできる「まっとう」な仕事だ! 明日がわかる仕事って、いいなぁ。。。しみじみ、そう思う。 僕にはやっぱり、こういう仕事が向いてるんじゃないかなーと、ふと思った。 2008年3月20日(木曜日) ネットをみてると、日本の意見の実際はどのようになってるのか さっぱり分からなくなっている。 そもそもネット界は限定層だと思うのだが、その数はかなり居る。 ふつーにキー局テレビニュースだけみて過ごしてる人とは かなり考え方がちがうのは分かる。 日本のマスコミは、日中記者交換協定というくだらんものに縛られて 真実をいわない腰抜けゴミである。 Wikiより: ------------------------------------------- 日本政府は中国を敵視してはならない 米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない 中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない すなわち、中国政府(中国共産党)に不利な言動を行なわない ・日中関係の妨げになる言動を行なわない ・台湾(中華民国)独立を肯定しないことが取り決められている。 違反すると、記者が中国国内から追放される。 これらの協定により、中国に対する正しい報道がなされていないと 批判がある。 ------------------------------------------- この協定がある一方、中国国営マスコミが日本を敵視表現している状況は、 まるで幕末の不平等条約級のマンガ状態だな! チベット観光客 ----------------------------------------------------------------- どこかの空港についた日本人ツアーの女性客にインタビューを試みたが、 「中国当局から話すなと言われています。自分たちの身を守るために話せません」と ----------------------------------------------------------------- 1分40秒ぐらいから この事実をまったく追求しないテレビ全局、日本の新聞の正体。 いつも表現の自由を錦の御旗みたいに宣伝し、すこしでも 政府の介入があれば地獄再来とでも大騒ぎする彼らが、だんまり? おまけに普段うるさい国内人権団体は日本アムネスティ除いてチベットへの言及ゼロ。 あっはっはっはっは! ジャーナリズム?あっはっはっは(涙) また大学新聞でもやってやろうか? ネットいけば暴動時に銃撃された惨殺死体映像などいくらでも手に入るけど、見る? 2chコピペ 中国の現代史 ----------------------------------------------------------------- 1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中 1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺開始 1950年 朝鮮戦争参戦 1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中 1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領 1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突 1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射 1974年 ベトナム・パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領 1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援 1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明 1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領 1989年 天安門事件 1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言 1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領 1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃 1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言 1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言 2003年 スーダンのダルフール大虐殺を強力支援 2005年 日本EEZ内のガス資源を盗掘 ----------------------------------------------------------------- 中国政府の声明。 「中国は歴史上、他国を侵略したり、他国の領土で殺人・放火をしたことはない」 日本はとっても悪い国だと「学校の社会の先生」に教わりつづけた僕の世代はいろいろ知らないことが多い。 2008年3月19日(水曜日)その2 今日の内視鏡治療はぶじ終わった。 けっこう辛いと聞いたが、、、ふーん? 個人差にもよるし、お医者さんの腕にも差があるのだろう。さほどひどくも無かった。 これぐらいなら毎年、、半年に1回ぐらいは大丈夫かなぁ。もっとつらーい仕事も あるし、べつにねぇ。。 僕は退屈なのでお医者さんと一緒に内視鏡カメラのテレビ映像をずっと見ていた。 直腸、大腸、結腸、盲腸、小腸、、、、綺麗なもんだ。ピンク色で 伸びると血管がきれいに張り巡らされて、なんと健康な腸壁なんでしょう! こりゃー長生きするなぁ。 ぜんぶ腸をしらべてから、また元に戻り、直腸ちかくの大腸の壁を しらべると、先月レントゲンで撮ったポリープがぷるんと存在。 おお、これかー。 「小さいので生検で切り取れそう」とかなんとか言って、ワニ口クリップ みたいな小さいものであっという間に切り取ってしまった。すげー早業。 ぜんぜん痛くなかったし、傷跡もちいさい赤い点だけだった。 すばらしぃぃ!実況生中継! あと1週間は食事制限と運動制限なのだが、まぁ自宅に帰れるし らくちんな手術だった。ヨカッタヨカッタ。あー、でも、看護婦さんに 囲まれて数日くらすほうがよかったかな?いやいや。 でもじつは、ちっと辛いこともあった。 内視鏡治療する前に食事制限があって、ご飯、パン、うどんみたいな 消化に良いもの以外はNGで、僕の好きな果物、野菜は一切禁止だった。 うげー。 おまけに治療当日は食事なしで、下剤のはいった腸の洗浄薬を2リットルも 飲まないといけない。このくすりが、さいあくにマズイ! 僕は料理に文句をいうことは99%ないのだが、この薬ははっきりいって ゲー!だ。ダメだ。 どんな味かというと、、、きたない海の海水を汲んで、東京かニューヨークのいちばん くさい水道水で3倍に割ったような水である。これをおなかいっぱい2リットルも 2時間以内で飲まないといけない。これはいかん。 なんかこんなこと書くとみんな不安になるかもしれないが、ぼくのような うすあじ苦手な人間には拷問なのだ。ひとによっちゃ1リットルは軽く のめるかもしれない。僕は最初の200ccでもう「げー」だったが。。。 てなことで、しばらく大人しくしてます。 木曜・土日は遠出したかったが、、、、まぁ来週までガマンだ。 ん?来週はレースサポート? ・・・みんながレース中にひとりで伊豆周遊でもしてようかな! 2008年3月19日(水曜日) 関西ローカル局のニュース。 日本国内でもさわぎがあったことを、どこも伝えないし、 今度の木曜と土曜に東京、日曜に大阪でデモをするそうだが、 これも報道しないか、扱いは超ちいさいだろうなぁ。。 チベット報道その1 チベット報道その2 テレビに戦車映ってる。あはははははは。 2008年3月18日(火曜日)その2 チベットで暴動が起きたそうだ。 詳細はわからない。まぁ「かの国」の国内の事件だから、事実などわかりっこない のは当然だ。でも、中国国内でYouTubeアクセスが遮断されたそうだ。 あはははははは!ってことは、まずいことだってのは、確実なわけだ! (わかりやすい。。。つまりは鎮圧時に発砲したんだろう。) 今中国は北京オリンピックを控えて、国内に人権問題や内乱があることは 許されないのである。だからどんな強権を使ってもすべてフタをしなければいけない。 チベット自治区で中国政府による支配と漢民族化教育に反対する運動があるなど すべて隠して圧殺し、まったく存在しないことにしないといけないのだ。 毒餃子の非を一切認めず、すこしでも日本で混入の可能性をグダグダいうのも 食品問題が国家政治に関わるからいくらでも政治圧力で捻じ曲がるのだ。 テレビはふだん、刑事ドラマで政治の圧力とかくりかえしあきもせず批判するくせに、 なぜこんなわかりやすい中国の捻じ曲げをスルーするのだ?もしかして中韓朝の 工作員でも入ってるのかい? そういや日韓ワールドカップのときも反日サポーターを隠す一方、日本視聴者に 韓国をひっしに応援させる気運をつくろうとする姿勢が健気だったっけ。。 そもそもチベットというのは中国固有の領土ではないからチベットを中国であるとする 歴史的な正義はない。歴史でなく、国家民族主義だと考えても、チベットは 別民族であり、別文化である。1950年に今の中国に軍事侵攻されて以来、 占領されつづけて「ひとつの中国」のもとに漢民族文化を押し付けられている。 (北京オリンピックのテーマもひとつの中国。。。サイアク。) それは丁度「大東亜共栄圏」を標榜する大日本帝国と同じ占領政策であるのが、 なかなか笑えるじゃないか。でも国際的に中国は国連常任理事国だし、 日本は常に反省しろと言われる。おとなのせかいはうそばっかりってのは、 ほんとだな。 まぁそんな政治はどうでもいいとして、ひとつ難儀なのはオリンピックの 「ボイコット」という問題である。 モスクワ五輪、、、ずいぶんがっかりした人は多いだろう。 4年に一度の開催に合わせて調整した人は、いったいどうすりゃいいのだ。 しかも選手寿命がみじかい競技だったら、いったいどうなるのだ。 中国は腐ってるからオリンピック止めましょう、というわけにはいかない。 でも、、、大気汚染、食品衛生不安、人権蹂躙、言論の自由なし、政党の自由なし、 転居の自由制限、各地で暴動まで起こる状態。それでもやるか? そんな国でやるのか?あのオリンピックを?オリンピックってそういうもんでいいの? 場所がわるいよ。 じゃ、日本でやる?いーよ。おいでよ。 あはははははははは。ありえんなー。 中国のメンツはつぶれるし、東アジアの政治経済の主導権争いから 韓国はなりふりかまわず批判・反対するだろうし、ありえんなー。 捏造過去でもでっちあげて「日本はダメ」と大騒ぎの政治攻撃? 「日本でやるぐらいならまたソウルでやる」とか? そういや北京五輪の「平和じゃなきゃいけないムード」を利用して 台湾が独立宣言するってウワサもあるらしいな。つまり、北京五輪開催直前に 台湾が独立宣言したとしても、中国側は軍事行動を起こすことが出来ないはずと いうわけだ。独立宣言後も世界のマスコミの前で「オリンピック万歳、世界平和万歳」 と言わなければならない中国はその独立を批判もできない、という仮説である。 ま、本気で独立するなら最高のチャンスだが、リスクも高いから それを台湾政府が選択し、国民が指示するか、だなぁ。。。。ありえん? ともかく、ボイコットはありえないとおもうから、歴史に残る ひどい大会になると思うな。 ロードの代表だれだか分からないけど、は北京の煤煙を吸わないことを 祈るのみである。。。。。 2008年3月18日(火曜日) 明日は内視鏡治療なので昨日から食事制限である。 野菜ダメ、果物ダメ、あれこれダメ。だからおかゆとかパンとか ばかり食べている。いつもおいしいもの食べているのだから、 たまに制限するのも良いだろう。 明日一日は手術がおわるまで水だけで食事はなし。 早朝から下剤を大量に飲まないといけない。げー。 そういや先月の腸のレントゲン撮影のときは1日食事制限でおかゆのみ。 検査日は半日絶食水のみで完全にカロリー不足になってしまった。 検査後には低血糖でぶっ倒れそうになったっけね。 今回の治療、とっても小さいのだがいちおう腸壁を切るので、 あさって(20日)の奥多摩練はパスかな。 にしても、さいきんの医療技術の進歩はすばらしいらしい。 よくしらないけど。おなかを大きく切り開くのは大変な病気のとき だけみたいで、僕みたいなちょっとした病気なら日帰り手術が できるのである。お医者さんは、やっぱりありがたいなぁ。 2008年3月17日(月曜日) 昨日オーベストで金色シャマルを受け取った。 夜中にごそごそタイヤを装着する。んー!かっこいー! 今日は某療養日。のんびり。 2008年3月16日(日曜日) 今日のひるは両親の結婚記念のお祝い。妹を幹事に指名し 今回は黒幕として開催させたのである。 ということで、午前中時間があったのでエヴァのDVDを見た。 すでに後半半ばまで見ていたので、今日は最後の数話のうち、 ビデオ向け修正版と、テレビ版25話、テレビ版最終話を見た。 つまり話のすじとしては、むかーしオンエアされたものと同じものだ。 まだ見たこと無い劇場版も見たいのだが、時間が無かったのでまた今度。 にしても、、、 ひさしぶりにテレビ版最終話をみたが、やっぱり13年前と同様、 「これでいい」と思った。アニメ番組としも、SFとしても、 物語としても、映像表現としても、きっとダメなんだろうな。 僕が「これでいい」と思うのは、きっと僕の、僕の欠損とこの答えが 近いところにあるからだろうな。 ■ 2008年3月15日(土曜日) 今日も相模湖方面、その他練。 この前よりはよくなったことは明白だが、でもレベル低すぎ! 最初ののぼりで置いてかれるのはまぁそうだとして、信号タイミングが クリアできたから今日はよしとしよう。 その後一人で走っていたら前方に信号にひっかかったヤマダンナさん発見。 もう追いつけないですねーと。確かに。 その後20号本線に入って坂を下ったら、オベジャージが歩道のバス停付近に。 ん?パンクかな。と思ったらBossがパンクしたらしい。めずらしー。 先行して20号を直進。八王子をぬけ高尾をすぎ、大垂水をのろのろ登り出す。 2週間前はもう、脚が止まりそうなほど垂れたのだが、今日は一応、自分の意志が 前をむいて登っている。どっこいしょ、どっこいしょ、、、 筋力がないと呼吸も上がらない。淡々と登りつづける。 権助で振り返る。そろそろBossが来そうだな。 振り返る。まだ来ない。振り返る。まだ来ない。 もうすぐ水野橋だな。振り返る。きたー! (楽しんでいる?) あっという間に前方に小さくなった。やっぱり減チャリと3リッタースポーツセダン ぐらい違うなぁ。 そのあとゆっくり下り坂を降りて勝瀬橋を渡る。 ここからやまなみ温泉まではのんびりした田園風景だ。 ギアを下げてゆっくり登る。いい天気だなぁ。寒さはほんとうに後退したなぁ。 今日はロード1台出会わない。ひとり山の中を静かに登る。 たまにクルマがすっとんでくるが、静かで湿った山はみずみずしくていいものだ。 青根に出て道志道を下る。クルマ多いなぁ。 スピードがでるとやっぱり寒いかな。 今日は半袖ジャージにアームウォーマ、ウィンドブレーカで出発したが 熱いのでウォーマもブレーカも脱いでしまっていた。 もういちどウィンドブレーカだけ着て下る。 すこし汗で蒸れるが、なんかそれもいいかんじ。 でも車道でまっすぐばっかりで単調。ちょっと退屈した。 そのうち梶野の交差点が見えた。 うーん、今日は昇れそうだけど、夕方用事があるから、今日もまっすぐ帰ろう。 時計をみつつ直進。今日はトラックの先導がないけどアップダウンをところどころ 気合入れなおしながら走る。 ああ、ようやく工場の煙突がみえた。青山交差点まですぐだな。 交差点を左折して三ヶ木へ出る。 津久井湖方面へ少し進んでコンビニ休憩する。 ひとりで座り込んでいると、車道をオーベストジャージが1人通り過ぎた。 あれ?僕より後ろはいないはずだから、、、牧馬峠でUターンしたひとが いるのかな?遠目には白井さんみたいだけど、今日ブルーのジャージじゃなかったっけ? 補給完了して帰路につく。今日も津久井ダム、橋本、16号、柚木、野猿街道、多摩サイを ちょびっと走って是政で川崎府中街道に戻りうちに帰った。 昼飯とプロテイン食べてテレビ見ながら寝る。 ホントは床屋さん行くつもりだったが間に合わないことが判明したので夕方の出発まで 身体のリペア。夕方になってタンスあさって服をさがし、時計をみて、さて出発。 今日は豪さんらとヒミツの飲み会である。 真相はヒミツ。 エヴァDVDは修善寺のときに。。。 2008年3月14日(金曜日) 今日は浜松町でセットアップの教育である。開始は10時から。 ってことで、8時40分に家を出れば間に合うな。うむ。 寝坊して6時半に起きたが、朝飯たべて、やはり朝練しようと思い立つ。 8時前の長尾裏坂はロードなんて1台もいない。オーバー着た通勤中の人、 ランドセル背負った子供がひょろひょろ歩いている。 ぜーぜーはーはーあやしぃ状態で坂を登る。 珍しくサプリ飲んで練習したせいか、練習後も身体が暖かい。 着替えて南武線に乗ったが汗だくになりそうだ。 今日も短い練習だったが、楽しかった。 17時前に教育が終わった。ん?会社に帰るかって?あほな。直帰でしょう。 おうち帰るの。 京浜東北線にのって、南武線に乗る。武蔵小杉だ。でも降りないぞ。 だって、17時35分。会社にもどるうちに鐘鳴るじゃないか。 そのまま久地まで乗り、歩いて帰る。 ざー。 雨だ。かなり降っている。 粒の大きい雨は、気候が温暖の証拠。 春だ。 雨ひとつとっても、うれしい春である。 2008年3月13日(木曜日) 今朝は6時前に起きたが、着替えを出しておかなかったので布団のなかで 逡巡して出発が20分も遅れてしまった。 まずは普通に長尾裏坂を登る。ウォームアップだ。 神社まで上がって、そのまま直行。ひみつの激坂へ行く。 まずは、くだりだ。。。怖いなぁ。この斜度。やっぱり僕には難攻不落の坂だ。 でも、、、もうおしまい?あれー? 歩いているときと自転車では、距離感がぜんぜん違ったようだ。 ふもとに着いて登り始める。立ちはだかる壁。ハンドルにしがみつき、 ウィリーしないように、遅すぎてパッタリ倒れないように、緊張して 登る。坂の6分ぐらいでいったん緩くなる。 前方をみると、道がせばまっているが、誰かがママチャリを押して いて邪魔である。道を外れて駐車場に入り、しばらくやりすごす。 再度チャレンジ再開。ハンドルを低く強く持ってペダルをゆっくり 等速にまわす。えいえい、しゅごしゅご。えい、しゅごしゅご。 いちばん難所の頂上付近をぶじ抜けることができた! たいした運動じゃない。トレーニング効果もびみょー。 気持ちは確実に強くなった。またやろう。 2008年3月12日(水曜日)その2 武蔵新城から歩いて帰った。 長尾ちかくに、見つけてしまった。すごい激坂。 しかも結構長い。 住宅街では論外に長い上に、最後がいちばんキツイ壁になる。道幅はない。 和田峠にいく必要なし? あす自転車で行ってみる? 押したらどうしよう。 2008年3月12日(水曜日) スト。ストライキ。 ストライキは大事である。 春闘は惨敗のようだ。 誰か御手洗に天誅を加えよ。 老人に金はいらない。 テレビ権力の同志・民主党は日銀総裁を理由なく否決した。 そんなに権力が欲しいのか。さすがは自民悪政治の権化、 田中角栄→竹下登の系列である小沢が率いる政党だよ。 さいきんのオトナ、しかも50代、60代、おかしな人が多い。 僕の世代は若い頃「新人類」とか言われて価値観やら生活態度に 否定的な言われ方をしたものだが、それ以上に今のおじさん、 おじいさんは、社会人として変だ。おかしい。溶けている。 なにかが人間をダメにしているのではないか。 なにかが人間を愚鈍で直情にしているのではないか。 なにかが、、、 貧しい心のニッポン、全世代でお寒い国。 ・・・自由、やめようよ。 2008年3月11日(火曜日)その2 今日は火曜日か。 毎日定時にあがる。 普通の日常ってのは、たいくつなんだな。 明日も、朝練しよ。 残酷な天使のように 少年よ神話になれ・・・ 青い風が今 胸のドアを叩いても 私だけをただ見つめて 微笑んでるあなた そっと触れるもの 求めることに夢中で 運命さえまだ知らない いたいけな瞳 だけどいつか気づくでしょう その背中には はるか未来目指すための羽があることを 残酷な天使のテーゼ 窓辺からやがて飛び立つ ほとばしる熱いパトス(情熱)で おもい出を裏切るなら 大空を抱いて輝く 少年よ神話になれ ずっと眠ってる わたしの愛のゆりかご あなただけが夢の使者に呼ばれる朝がくる ほそい首すじを月明かりが映してる 世界中の時を止めてとじこめたいけど もしも二人会えたことに意味があるなら わたしはそう自由を知るためのバイブル 残酷な天使のテーゼ 悲しみがそしてはじまる 抱きしめた命ちのかたち その夢に目覚めたとき 誰よりも光をはなつ 少年よ神話になれ ひとは愛をつむぎながら歴史をつくる 女神なんてなれないまま私は生きる 残酷な天使のてーぜ 窓辺からやがて飛び立つ ほとばしる熱いパトスで 思い出を裏切るなら 大空を抱いて輝く 少年よ神話になれ また無限ループ中。。。 2008年3月11日(火曜日) 昨夜はビリビリ。 今朝は朝練した。だいぶ寒さも和らいだなぁ。 長袖アンダーの上にウィンドブレーカーだけで大丈夫だった。 今日は長尾坂にだれもいなかった。 ところで、銀河が無くなるそうである。 銀河、、、寝台急行「銀河」である。 むかし名古屋からの帰りに新幹線がなくなって飛び乗ったことがある。 たしかに空いていたなぁ。でも鉄ちゃんの間ではジョーシキな 唯一の寝台「急行」。ざんねんだ。 2008年3月10日(月曜日) 年末、岩倉君がたしかこんなことを言った。 「レースは、普段の生活の集約だ。」 良くも悪くも、平凡になりがちな人生をビビッドにしてくれる。 若い世代には、うらぎらない生活の指針だろうか。 そんなことを、ふと思う。 秋でもないのに、かんがえごとをする。 あしたのことを、かすかにかんがえる。 円環がかすかに見える気がするが、気のせいかもしれない。 なぜ気のせいなのだろうか。 だって周りが月夜だから。 月夜はよくものがみえる。 だから太陽の登らない世界へよろめく。 もう必要ないのに。 2008年3月9日(日曜日) このまえ、DVDを大量に買った。エヴァンゲリオンというアニメだ。 これをなぜ今買ったのか。理由は気がつかなかったが、やはり自分の 足りなさが、それをさせるのだと思う。 これはSFアニメだ。庵野という監督が、かなり自分の個性を出して 作ったものである。だから面白い。言いたいことがある。そういう 作品はとても楽しい。逆に、某宇多田ヒカルの元夫の映画は、最高に くだらなかった。陳腐な人類愛を語るぐらいなら、全滅思想か 血みどろ万歳でもやってくれないか。比べるのも笑えるこの二つの差は、 伝えようとするものの叫びの違いである。ふやけた人間に芸術など 近寄っては困る。 話を戻すと、このエヴァという13年前のアニメはいわゆるアニメ視聴者 以外にもかなり波及した、社会現象とまで言われるほどの作品だったと よく言われる。ヤマト、ガンダム、エヴァと言われるターニングポイント のひとつだろう。 まぁ、SF映画のターニングポイントとすれば、ブレードランナー (あるいはアキラ)前後という別の軸もあると思うのだが。。。 この作品に対する評価は、概してオトナからは否定的であるようだ。 ガンダムの監督冨野、ジブリの宮崎駿監督らも、こぞって批難している。 人物の描き方について忌避している。へぇ。そうなのか。 僕にはその否定そのものが、とても痛快な賛辞に聴こえる。 さてなにが転換点なのであろう。 この追求は、たぶん社会学科の学生の論文にやまほどありそうだ。 でも、自分自身に即して言及すれば、それは主人公を14歳に設定して 苦悩させた点で明らかだと言いたい。つまり、大人になるということ、だろうか。 ミドルティーンという一番むずかしい世代がはじめて大人になることを描いた 点にあるのではないか。しかも、この時代で。 どこで聞いたのか、文学なのか、こんな言葉が世の中にある。 男は「男になる」。女は「女に生まれる」 つまり男は恣意的に「成る」のであって、女は自然と?そうなるのであると。 その逆もありそうだが。その線で考えれば、アニメ「エヴァンゲリオン」の 主人公が14歳で内向的な少年なのは、不思議じゃないと思うし、僕には自然 に感じられる。 ストーリーは謎解きだらけで難解だ。だからといって、知識で分析しようなんて スタンス自体、おかしいだろう。子供のように見ればそれでいいし、その ゆれうごきに共感できれば、それでいいのだ。 キーワードをいくつか見つけることもできる。 話が進むにつれて、正体不明の計画「人類補完計画」というのが出てくる。 コトバだけでもう、そうそうって感じになってくる。 つまりは、僕もまだそういう境界の住人なわけね。 このアニメは製作が難航したそうだ。 最終2話分は、ほとんどアニメの絵が動かない、紙芝居のような出来だった。 時間が足りなくて、放映に間に合わなかったからだ。止まった絵に、朗読の ようなセリフのみが続く。それまで散々出されていた謎解きの答えは放棄されて、 結局「わけわからない」終わり方をした。 (いわゆるアニメファンの間では最初批難ごうごうだったと聞く。) でも、僕はこれを最初に見た大学院生時代は、すごくすっきりした。 これでいい、これでいいと思った。たぶん、自分の欠損の中心と 合致したのだろう。 (その後13年間、その欠損は進歩していないのだけど。) 13年前のテレビ放送終了からすぐ、最終2話を作り直した映画が放映された。 でも僕は見なかった。テレビ放送分だけで満足したともいえるし、就職して 社会人になって生活が変わったせいだともいえる。 (でも自分の中身はなにも変わってないのにね。) だから僕はまだ「修正版の最終話」を見ていないので、 人類補完計画に込めた作り手の意図がわからない。 でも、「おとなになる」ということと、無縁でないと思う。 それは最初からそんな感じと思っていた。そういうものだ。 少年が大人になるというキモチというのは。たぶん。 いまさら自分がいまエヴァンゲリオンの全話を見直してどうしようと言うのだろう。 それはもしかするとバランスの矛盾したなにかの補完かもしれない。 そのきっかけかも知れない。そんなことを内なる自分がおもっているのだろうか。 だから求めるのだろうか。 もしかするとオーベストに参加して活躍する主力である40代以上にとっては、 このアニメは遠い話、忘れた話なのかもしれない。この話は、もしかすると 高橋君たちの世代と通じるのかもしれない。実感はないのだけど。 この前、Goさんが欠損のわりと近くに来た。 この後、自分でもどうなるのだろうか気になる。 それは、もはやそれを意識できなくなるまで陳腐化したそれの そうでない先行きがあるのだろうかという、まだ動き出さない 視線である。 視線としか言えないのは、希望とか意志とか言えないのは、 それは放置した納屋の古エンジンのようなものかもしれない。 そうか。書いてて気がついた。 僕は基本、なにごとにも真面目なのだ。 そういう人なのだろう。 おおざっぱだけどね。 2008年3月8日(土曜日)その2 世の中考えれば考えるほどわからないものがある。 それはなぜ分からないかというと、分かることが出来ないからである。 その最たるものが自分自身に近いことがらであり、 だからこそ迷走したりするのである。 行動し結果から仮説と推論を修正し、それを繰り返す。 手数を惜しんではいけないのである。 社会人の怖いところは、仕事という基礎パターンが人生を長期間・長時間支配し、 その基礎がいつのまにか自分すべてになっているということである。 主体が自分なのか、自分は従っているのか。それさえ分からなくなることもある。 まったく社会から切り離されると、いやそんなことなかなか出来ないのだが、 そのときになって「そういうことだったのか」と分かる場合もある。 そういうチャンスは比較的自由のきくことが多い若いときを除いて、 意外とないものだが。 ではどうするかというと、迷うときはもう、そのまま走るしかないという 方法もある。そもそも方向を決めて走り出したときと同じレベルで 再考できるとも限らないので、方針変更が逆に失敗だということも 多い。 ときどき全てが分からなくなることがある。 全てが分かった気になってしまうこともある。 こんなことを気にするのは、今どこかバランスが悪いのだろう。 そんなときは大人しくしてるしかない。 しばらく長尾日記休み? その逆? 2008年3月8日(土曜日) 今日のサイクリング会は、春ののんびりさを満喫できて楽しかった。 エヴァDVD全巻買っちまったよ記念: いわゆるエヴァOP フルVer(ふつう、、ちぃとマトモ) いわゆるエヴァOP フルVer(ねたバレあり) また無限エンドレス状態になってしまった。 昭和 2008年3月6日(木曜日) 今朝はひさびさに長尾裏坂で練習だ! もそもそ起きて着替えてのろのろ出る。坂を下るとオベジャージ。むろん 山田さんだ。今朝も出勤前に練習やってるなー。おはよーございまーす。 長尾坂のふもとでUターンしてえっちら登りだす。すると前方からロードが。 あ、あー!菊地さんじゃないですか。 平日の朝も7時前から、こんなローカルな場所でエンカウントするとは ますます長尾もロードのメッカになったかもしれない。 7時に切り上げて家に戻る。ひさしぶりのせいで、酸素不足である。 ぽーっと朝ごはんを食べ、朝風呂にはいり、パソコン起動して、優雅〜 あ、まずい遅刻してしまう。 父親が人間ドックで病院まで送る母親の車に便乗して駅までゆく。 遅刻を気にする姿に「さいきん帰りが普通だから、会社辞めたのかと思った」 と言われた。なぬ、まいにち20時前に必ず帰るのが、そんなにも不自然なのか。。。 会社に行くと、新しい仕事について打ち合わせがあった。 うーむ。やる仕事はそうとうコアである。あはははは! なんとかなるでしょ。 ここ1年間の稼働時間の状態を聞いたら 「残業は、月20とか30とかもやってるかなぁ」 なぬ!天国じゃないかっ! と内心叫んでしまった。いや、ついぽろっと口に出てしまった。あはははは。 今度の仕事は長期である。すくなくとも1年間はカタい。 よっぽど馬鹿やらないかぎりはなんとか続けさせてもらえるだろう。 もともと先輩がひとりでやっていたのを、すこしづつ増員していて、 僕が3人目であり、4人目は今日面接をしたが「やれる。」おじさんである。 なんだか〜生暖かい風が、吹いてきたよーな気がする。 電撃作戦の降下突撃兵から、本国守備隊の狙撃兵に転属だろうか。 地雷背負って自爆兵、なんて末路でなくて済みそうかもしれない。 2008年3月5日(水曜日) 昨夜はつい、きんちゃんと飲みに行ってしまった。 普通の小さい店なのだが、創作料理があった。 「ガッツドラキュラ」というのを頼んでみた。 待ちながらレバー系?心臓系?なんだろーと思っていたら、 出てきたのは、にんにくスライスのかき揚げだった。 みそマヨネーズ付。 納豆メニューが多い。でも納豆オムレツはない。おしい。 納豆グラタンというのを頼んだ。ボリュームあるな。 もちに納豆とチーズをのせてオーブンで焼いたものだ。 こりゃ、太りそうだな。 昨夜は3杯しか飲んでいないのに、今朝はなんだか体調わるい。 ってか、おなかが痛い。も、も、もしかして、中国産? (そのうち差別主義者に認定されちゃうな) 体調がわるいせいか、今朝からウツである。 あはははは、ルララララ、うつー! ・・・・。 まっちゃんは課長に捕まってお昼ごはんなしのようだ。 ひとりなので自席を動かずSOYJOYをかじる。 おかゆでも食べて寝てたいなぁ。 2008年3月4日(火曜日)その2 先週の裏テーマってか、もうすでに表テーマは、前回に引き続き 週間0.5kgの減量と筋力強化、そしてすこしづつ走り出すことである。 まずは土曜の山岳練に出た。というより集合を一緒にさせてもらった。 あとは独行で牧野のあたりの峠道をひたすら楽しませてもらった。 やっぱり遠出はいいなー。自分ひとりだと尾根幹周回で済ませちゃうもんね。 日曜のチーム練も出ようか悩んだが、まずは少しづつやろうと思った。 2月の二の舞は困るからね。 筋力強化は、体幹を引き続きやっている。おかげで「仕事中に」 腰が痛くなることも、しんどくなることもない。 ん?自転車に効果は? んー、、、ちっとだけ姿勢がよくなった(ことにしておこう)。 減量は、んー、昨日時点でマイナス1.0キロ。前回はマイナス0だったから 進捗率と計測誤差を考えて、いちおうクリアかな。 総じて、今週はまーまー、50点ぐらい? 来週もがんばろう。 で、月曜になって背広を着る。それは緊張の一瞬である。 え?仕事のプレッシャー? なにそれ。ちがうのである。どのくらい痩せることができたかの チェックなのである。 ウェスト、、、きつくない程度。前回とあまり変わらないなぁ。増えてないだけか? ふともも、、、あ、すこし大きくなった。そういや2年前、この背広はおなかが ガバガバで、ふとももがはち切れそうだったっけねー。。。(遠い目) 体重は1月〜2月期の5週間で2.0キロ減ったあと、2〜3月期の途中で 0.5〜1.0キロ減ったという段階である。再来週までにもう1.0キロぐらい 減らないと、今月は目標達成ができないな。 でも筋トレしているから重量増加しているはずだし、あまり重さにばかり気に するよりも、乗る距離を増やす段階にしよう。 あ、距離といえば、先週ぐらいからポラールのメーター表示がおかしいんだな。 速度が出ず、気温とストップウォッチになって切り替わらない。 はて???へんなボタンでも押したか? 2008年3月4日(火曜日) 電車に乗ってケータイを眺めていたら、突如目が痛くなった。 なにか入ったか?ごしごし。痛いなぁ。ごしごし。まだ痛い。 なんだか反対側の目も痛くなってきた。おかしい。電車の 中だから、黄砂や土ぼこりが舞っているはずはない。 も、も、、、もしかして、花粉症? ああ、ぼくもついに花粉症デビューか。 よろこぶひと多いだろうなぁ。オヤジなんかその筆頭か。 花粉症は気合でガードする!と信じている僕なのだが 去年から比べて体重増加で、ついに体質が変化して花粉に 負けたのだろうか。 呆然とオフィスに行く。コートを脱いでロッカーに掛ける。 ちいさな鏡を覗き込み、目を調べる。 あ・・・・・でかいまつ毛が目に入ってるじゃないか。 加藤のすきな保健室、じゃない、健康管理室に行って目薬を もらおうと思ったが目薬はないそうだ。コップに水を汲んで 洗って、ごしごしやったらまつ毛が取れた。 ふー。 ことしもなんとかクリアできそうだ。 2008年3月3日(月曜日) 人が変わるときというのは、どんなときだろう? 良い評価ができる場合は「進歩した」「発達した」、いろいろ表現できるだろう。 悪い評価なら、それはどんな言葉で表現できるだろうか。 「ゆがむ」「ゆがんだ」 今まで出来ないことができるようになるというのは、もしかすると 猛烈な圧力によって構成から捻じ曲がって、今までと違う形になること ではないだろうか。そしてそれは、評価という物差しとは関係なく、 やっていることは同じことなのだ。 ひとつの目的のために、自分自身に計り知れないプレッシャーを与えて、 今まであった自分の力の多くをつぶしてでも、望むひとつのものだけを伸ばす。 ちいさな進歩、ちいさな改造ならば、さほどのことはないだろう。 でも、その繰り返しでは乗り越えられない彼岸にまでたどりついたとき、 大きく背骨を捻じ曲げるようなマネをしてでも、進むことを選ぶ人が いるかもしれない。 いつしかその道筋を振り返り、もはや融通の利かなくなった己を意識することも あるかもしれない。でも、それがいつまでもその人をHappyにすれば、 きっと幸いであろうと思う。 2008年3月1日(土曜日) 3月である。「さんがつ」は春の月である。だから暖かい、暖かくないはずがない! ミドル練にでる。ひさびさだなー。顔ぶれは、なるほどね。冬に来るのは気合のはいった ひとばかり。むかしの土曜練みたいなもんだな。 ひさしぶりに走れて楽しかった。ひとりで山の中はーはー走ってる。身体が痛い。 力がはいらない。ときどき復活したのか、身体を小さくして脚を蹴り出すキモチを 思い出して走る。エイエイエイ。 はーはー、ふーふー。 道志道になると下り基調でらくちんだ。 工事でせき止められていると後ろからダンプが来た。ずももももー。 やなやつ。でも真後ろについたらものすごーいラクチンだ。わーい。 ダンプのケツについて快走。一人で走るよりずっとラクチンだねぇ。やっぱり。 ついつい調子づいてミカゲ近くの交差点まできてしまった。あははははは。 曲がり損ねた。ん?確信犯? そのまま津久井湖方面へ走り、途中のコンビニで休憩。 今日は補給食を忘れたのでしんどかったのだ。 その後は橋本、16号、柚木、野猿、多摩サイ、、、なんか多摩サイやだな。 是政橋から川崎府中街道に出て帰った。 うちに帰ってプロテイン採って風呂に入り、昼ご飯。 あとはVリーグを観るが、、、眠い、、、荒木やサオリンが出てるのに 半分寝てしまった。 峠ふたつ越えただけでこの壊れよう。この退化っぷりで糸魚川大丈夫かな。 |