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長尾日記


中村中を聴いてて思った。
古い、古い表現をしちゃえば、コレは神憑きだ。

コトバは便利だが、コトバは、人の心と心をつなぐ
なにかの代用でしかない。

神憑き、というのは、その枠に、ない。

コトバや意識で観ても、それが何だか、なぜだか
分からない。
でも、知っている。でも聴こえる。


音楽の世界に、時としてそういうことがあると、僕は思う。
だから、楽だ。だから、好きだ。

(そして、音楽以外の世界にも、きっとあるはずだ。)



2008年6月30日(月曜日)
献血した。
ハタチの献血だ。
いや、正確に言うと、ハタチ*2の献血だ。

今日はケーキを食べた。
今日はしずかな日だった。

僕もオーベスト・フォーティーズに仲間入りか。



♪
わすれたころに もういちどあえたら
なかよくしてね

ふれるまでもなく先のことが
みえてしまうなんて
そんなつまらない恋を ずいぶん
つづけてきたね

胸の痛み なおさないで
別の傷で かくすけど
簡単に  ばれてしまう
どこからか ながれてしまう

手をつなぐ ぐらいでいい
ならんで  あるくぐらいでいい
それすら あやういから
大切な 人が見えていれば上出来
てをつなぐ くらいでいい
ならんで あるくくらいでいい
それすら あやういから
たいせつな ひとは友達ぐらいでいい

ともだち ぐらいが 丁度 いい

僕を殺す怖い曲。
今日は泣かないで聴けた。




いちど聞いて「・・・・!」と思ったが、すっかり忘れていた今の歌手。

ちあきなおみ「喝采」のカバーを聞いて思い出した。

友達の詩

初めて聞いたときはぼろぼろ泣いてしまった。




三宅島へ行く船の船内放送、たぶん これか、 これか、 このあたりのどれか。


昭和40年代特集!:
光る!回る! 欲しかったなぁ。。。
人間の自由のために・・・
嵐とともに・・・
エンディング
ん?40年代特集が、某番組の特集になっちゃった。 でも僕はこのころテレビっていえば、特撮だったかな。
CM?
CM?

うた特集:
イントロ聞いて、昭和だっ!って思える曲。
・・・ストップモーション

声の確かな歌手とアンプ増幅のロックスターを比較すると、 自転車とオートバイの違いだと勝手に想像する。それは その速度に人間の力がこめられているか、機械の出力が ほとばしるかの違いである。
北極星!!!
NHKパノラマ太陽系って言っても だれも知らないかなぁ。。


これは以前にリンクして馬鹿みたいに繰り返し聞いたから多少飽きたが、でも 上手いな。。


むかしの歌手と今の歌手は、発声法が違うのだろうか。 今現在の「歌唱派」と言われる歌手と比べても、ボリューム感が違う。 ゆるせん。ダメだ。マイクが高性能になったせいか? ならば、北朝鮮のテレビ局と録音機材を入れ替えよう!(25%マジ)

渡辺真知子さいこー!
失恋ソング?

あーん、「唇よ、熱く君を語れ」がTouTubeに無い!無い!無い!(泣)
あったー(涙)
ブルー。

もう、千葉ロッテマリーンズファンになっちゃおうかな。
千葉ロッテ=カモメ=カモメが飛んだ日=渡辺真知子

ロッテの試合終了時にナマ演奏して大好評だったとか。
聞きたかった!!!!(涙)


2008年6月27日(金曜日)
自動車免許書き換えやら、合宿予約確認やらプラン検討やら、、、



2008年6月26日(木曜日)
今日もまた、プチ残業?
だって、7時すぎて作業頼まれるんだもん。。。

夜練は残念ながらDNS。くやしいなぁ。
翌日「体調不良」になるのは秘密だが。



2008年6月25日(水曜日)
今日は水曜、定時退社の日! さいきん残業ばかりだったので鐘がなったら帰り支度する。 6時前に退出して南武線にのりウチにかえる。
晩ご飯食べてビリビリやって、9時過ぎに外へ出る。 梅雨の晴れ間、いいねぇ。ちと寒いかな。
南多摩につく前に小雨が降ってくる。ああ、今日も?
今日は早く帰ろうかと向陽台を上がっていくが、登った後 明日が雨なのを思い出し、Uターンしてまた南多摩へ戻り、 連光寺を車道に出て登る。はーはー。

夜練は涼しくて良いけど、あやしいドライバー、バイクの含有率は 休日並みだな。。。。


2008年6月24日(火曜日)
夜9時過ぎに数名が尾根幹に出没する情報をキャッチ。
帰宅して(9時)晩ご飯食べて(9時半)、食休みして(10時半)、 僕も出撃するが誰もいない。
日が変わる前にうちに帰った。


(実は帰宅中の小林さんとすれ違っていたらしい!)


2008年6月23日(月曜日)その2
夜練グッズ紹介。。。写真こんど撮ろう。

テールランプその1:シートステー右側に小型のものをつける。
テールランプその2:大型の点滅灯をシートポストにつける。光量ばつぐん!
ハイマウントランプ:ヘルメット後方に赤色点滅するランプをつける。目立つ!
すそ留めランプ  :板型赤色LEDを足首に巻きつける。赤い光の輪が
          ペダリングとともに上下する。目立つ!

前は充電式小型ライトと、大型強力白色LED。

2008年6月23日(月曜日)
先週は四半期の期末作業でばたばたしていた。
金曜から今週は論文発表者への協力で、ずっとどたばたしている。
ひさしぶりにいそがしいペースかもしれない。

今日は夜練できなかった。残念!

夜に府中街道を走ると、いろいろ面白い。
意外とラーメン屋さん多いんだなぁ。においで分かった。
雨の夜の連光寺坂は、、、、ちょっと怖い。
左手の米軍基地の山はまっくらけ。
べいぐん基地、とおく死地と繋がってる。。ちと不気味だった。

夜の住宅地付近の駅前交差点は、実は怖い。
よっぱらいか、寝ているのか、赤信号でクルマが来ているのに
車道へふらふらっと歩き出す人が多い。
特に京王稲田堤駅。
夜は交通ルールも寝てるのだろうか。
まちがって帰宅中の風さんとぶつからないように気をつけて通過する。
あ!夜10時ったら、もう風さん家で寝てる時間か。



2008年6月22日(日曜日)
しばらく冬眠していた。。。

水曜にひさびさがっつり残業してしまった。。
さいきんといえば、夜練にはまっている。寝る前の夜練。 短時間でも深夜に練習するとすっきりするし、そのあとは なぜかよーく眠れる。
土曜は雨の合間に出発したら、途中で大雨に降られてずぶぬれになった。 まぁすぐ風呂はいっちゃうからかまわないんだけど。
三宅島あけに自転車ずみずみまで洗車してぴかぴかにしたのに もうどろだらけ。。。おおお。




またエヴァ。飽きた?




じゃ、マジレンジャー!




2008年6月17日
エヴァは、そのラストは、やっぱり最初のテレビ版でいいかな。
今日も、あほな日記書いてないで、夜練行くか。

♪
まーじ・まじ・ま・じーろ
まーじ・いまじ・ま−じか
み・ら・ら・みらーくるー
まーじーかーる・フォース!

まーじ・じるま・じーんが
まーじじるままじじーんが
じゅーもーんーが・闇のー
とびーらを・たーたくー




まーじまじ・まじーろ!

ということで夜練行ってきた。
夕ご飯のとき、つい「夜練するから大丈夫だろう」 と珍しくごはんをお代わりしてしまったが、 走り出して矢野口周辺で
「胃が重い。。。」
向陽台はインナーローでのろのろ登る。
帰りの府中街道は矢野口から知らないローディが うしろに付いてきたので信号で振り切ろうとしたが 次の信号で待ってると追いかけてくる(信号無視?)

小田急の陸橋を越えて向ヶ丘遊園駅前交差点を 通り過ぎたあたりから気配が消えた。こっち方面 じゃなかったらしい。

いつもどおり宿河原交差点で曲がって、あとは 住宅地を抜けて長尾坂を登り帰宅。

今日も気分転換みたいな練習だった。

まーじ・じるま・じーんが
まーじじるままじじーんが
じゅーもーんーが・闇のー
とびーらを・ひーらくー



2008年6月16日
昨夜は飲みすぎのせいか、ろくに片付けもせず寝てしまった。 ので、会社を午前半休して(すばらしぃぃ)、自転車の洗車と 洗濯物の整理や片付けをした。

そういや宿の風呂で他のチームのひとと話したけど、やっぱ 金金オルカは目立つそうだ。あれこれ聞かれた。おまけに オーベスト練の話も出た。ちぎれ練は有名だって。ふーん。

ホイールもチェーンも綺麗に掃除した。うん。いいかんじ!

さて会社に行く。仕事は「ふつかよいだから」というウソっぽい 言い訳でのんびりやる。(むろん二日酔いなんて無い) すこし残業して20時前に退室した。
ウチに帰って晩ご飯を食べ、のんびりテレビをみていたが 10時になって着替え出す。
「さて、夜練にいくか!」
電飾マンになって、今日は長尾坂でなく府中街道、向陽台付近を 走った。夜は意外と人が多いなぁ。


2008年6月15日
三宅島、離島。

荷物を背負って波止場へ向かう。船はちょうど正面に 浮かんでいて、こちらに横っ腹をむけて転回中である。 桟橋の突端から延びる長い列の後ろに5名で並ぶ。 地元婦人会のおばさんが紙テープを配るので受け取る。 船の揚陸準備が整って列がすこしづつ前に進みだした。 歩きながら、ふと見送りの列のかたすみに目がいく。 ニコタマの井上さんだ。
「じゃーまた、来年までぇー!」
島民の方々に混じって手を降っている。
「ええー、そうなんですかー、また来年までー」
はんぶん信じて手を降る。
なんと井上さんはもう一泊するのか?

船に乗り込み荷物を片付け、船側のデッキに出ると 井上さんは列にちゃんと並んでるではないか。
「テープなげてぇ」
どこまでも島民である。投げるがノーコン加藤のテープは 重力に従ってショートしてしまった。残念。 ひろってくれた三宅島観光センターのひとがテープを何十本も まとめて杖みたいなものに巻き付ける。船と岸壁と、七色の 紙テープの川ができた。風で雄大にひるがえる七色の川。 見送りの方々が手を降る。真下をみると船が岸壁からわずかづつ 離れ出した。
さらに手を降る見送りの三宅島面々。船上ではノリの良いレース 参加者が手を降る。「さよーならー」「またらいねーん」 太く響く汽笛がなる。ぼー。
出航である。

見えなくなるまで手を降る。船は快速に海のまんなかへ出ていった。 ふりむくと井上さんやユキリンの方々がいる。手にはいつの間にかビールに チューハイの入った袋をぶら下げている。
「どうせ飲むんでしょ。さあ」
ありがたく頂く。
しばらく立ち話してたが、座りましょうと言うと「じゃ、」と動き出した。 すでに場所は決まっていたようだ。
とある秘密の?デッキの一角で車座になる。
オーベストの男4人、ニコタマからは井上さん、ユキリンからは 加藤さんら2名、エスプレッソの波田さん、CWSの田渕さん、 その他混成チームであれこれ持ち寄り宴会が始まる。
足りなくなれば誰かが補充する。エンドレスアルコールである!
その後は通りかかる他チームのヒマそうなひとに声をかけて巻き込む。 どーぞどーぞ。船旅はじかんがたっぷりあるのだ。まぁ来なさいと。 ついでにチームCBでTT優勝者の高橋君も引っ張り込む。
井上さんと昔話をしていたら、
「かとーさん、三浦半島サイクリング(2005年2月) のころがいちばん走れてたかんじですねー」
と言われた。うっ。図星だ。
あのときの練習レベルに戻りたかったんだなー。ずっと。

エンドレスにつづく飲み会、ここでチーム・オーベストの弱点が またしても露呈してしまう。
まず藤巻くんが正体なく離席する。みんなで「海に落ちるなよー」
「てすりにつかまれよー」と追い撃ちをかける。
その後、森川さんも休みにでる。ん?残ったのはやはり土佐さんと 僕か。その後いちど藤巻くんが戻るがまた消える。んー、船は 時間たっぷりだし、どうせ揺れて、他何やっても酔うんだから 飲んじゃえばいいのに。ねぇ。
レースの商品、おみやげのうち、喰い物についてはこの場に だいたい提供されたようだ。 島の焼酎、おみやげのそらまめ、そして賞品のクサヤのパック!
みんなクサヤには手を伸ばさなかったので、むろん僕が空けた。 だめ?おいしいけどねぇ。
「チーズとか納豆とか、鮒ずしとかとおなじですよ。」
「え、ふなずし食べられるんですか?」
ユキリンのかとーさんがえらく驚いていた。
(じつはあの酸味がかなり好きなのだが・・・)

結局1、2名がトライしただけで、のこりのクサヤは全部 ぼくがおいしく頂きました。。アミノ酸たっぷりで旨いけどねぇ? ってか、おみやげで買ってくるべきだったかなぁ?みんな先入観か アタマで食べてるからダメなんだよ。味わえば旨味がたっぷりで お酒に最高だけどねぇ。むかしのクサヤにくらべて塩辛くないし。。。 というのも、実はうちの親父がクサヤすきで、ちいさいころ何度か たべたことがあるから味はよくしってるのだ。
ちなみに父方の祖母は近江八幡の出身だから、鮒ずしは小さいころに なんどか食べたことがあって、こちらもとっくに経験済みだったり するのだ。

いったいどれくらい飲んだのだろう。ぼくにしてはめずらしく ビールばかり延々飲みつづけて、いつのまにか右手に千葉の 島陰がみえだした。反対側は、伊豆大島?
三浦半島のころには次第にうすぐらくなり、涼しくなってきた。 ウィンドブレーカを着てさらに飲む。どうせ竹芝桟橋についても すぐには接岸しないでしょ。
夜もとっぷり暮れて、あたりは東京湾のふぜいである。 お、お台場フジテレビがみえた。ん?頭上に巨大構造物、、、 レインボーブリッジか。
そろそろおひらきにしましょう。
片付けして船室へ戻る。特2等だったが帰りは一度も使わなかったな。 藤巻くんは生きていた。よかったよかった元気そうだ。
荷物をまとめて自転車をデッキからひっぱりだして下船の列に並ぶ。 タラップが竹芝桟橋から伸ばされる。さて降りますか。
地面におりたが、さっぱり「安定した陸地にもどった」というほっと 感がない。そもそも船が揺れていたという記憶もないんだが。 そんなに飲んだかなぁ。。。
桟橋の事務所前で土佐さんご夫妻、藤巻くんと合流する。 森川さんが見付からないが、1等船室だから先におりて 帰ったのだろうか。
ゆりかもめにのる3名と分かれてひとり浜松町まであるく。 あ、ユキリンの加藤さんもあるき組だった。 ふたりで京浜東北線にのり、僕は川崎から南武線で帰った。 うちに帰るなり「酒臭いね。」と言われた。
そんなに飲んだかなぁ。
船って、あるいは汐風って、悪酔しないのかもしれない!
延々と飲んで大丈夫なんだし。

御茶漬を食べて、トマトジュースを飲み、シャワーにかかって、 大谷さんにメール書いて、テレビちょっとだけ見て寝た。
たのしいレース旅行だった。


2008年6月14日
三宅島タイムトライアル寸評。
ぽらーる先生に結果を教えてもらった。
タイム?そんなの今の僕にどうしようもない。どう走ったかが知りたいのだ。

最初の45秒で心拍ががーっと上がって180bpmを超える。
その後はがっつり坂を登るのでじわじわ心拍が上がる。それから3分ぐらいは MAXの95%ぐらいを維持するが、5分ぐらいでわずかに下がり、7分ごろに小さい 平地とくだりで90%ぐらいまで落ちる。また上り返しで92%ぐらいは上がるが もう根性がないことの証明か、その後は176bpmぐらいで終わったらしい。

走りの組み立て方としては、コースを試走してないのでイメージがなかったことが 後半気合を入れなおせなかった原因だろうか。
身体としては、というか、走り方としては、回転を上げて呼吸を激しくする 大仰な走りだが、意外とよかったかもしれない。
今みたいに「身体のキレが皆無」な状態で、試せることは試せたな。 三宅島にきた甲斐はあったつもり。

なにせ、生まれてはじめてのタイムトライアルだからね。


2008年6月11日(木曜日)その2
SNSに書こうと思ったが、三宅島行ってからにすることにした内容。

「チームを崩壊させる方法とは」

これはカンタンである。
だれかが
「自分は関係ないし、だれにも迷惑かけてないから、知らない」
という態度を取ることである。

こういう楽で自分中心の考え方というのは、意外と蔓延する。 そうなると、ごく一部の善意でサービスするひとをのぞいて、 全員が「自分が自分のつごうで主張だけする」というチームになる。
そういうチームに魅力があるだろうか?
まぁみんなが全員、都度やくわりをやろうとすると「船頭多くて船、山に登る」
になるわけで、まぁ黙って勝手にやってるのも、実はそんなに悪くは無い。 でも、実業団みたいな少人数の行動で、自分の面倒が見られない人が 勝手なことばかり言えば、それははっきり行って迷惑なのである。 家庭持ちなら家庭の事情があるし、自分でいつもなんとかしてるのならば それは別にわかるのだが、学生で一人身で、こまったら「助けて」と言うけど、 自分が大丈夫なときは、なにもしなくていいってのは、ちがうでしょう。。。

そんなひとばっかりになったら、それは魅力的なチームといえるだろうか? そんなチームからは、善意の人は消え、チーム活動は維持できなくなり、 ちかい未来に、崩壊する。

僕にとってオーベストは貴重である。
30代も後半になってスポーツに目覚めたわたしの、 生きた学びの場であり、自己実現の場であり、そして 自分の狭量な世界をひろげてくれるチャンスであり、 僕にとってチームとはそういうものなのである。

だから自分の得にならなくても、チームに必要なことはやるし、 そもそも仲間なり同志なら自然と協力したくなるものでしょう?
大谷さんにクルマを貸したのは、はんぶん以上は自己満足。
だから使ってもらって嬉しい。
三宅島に行くのは、森川さんが誘ってくれたから。たのしそうじゃん。
さいきん和田さんや小林さんとキーボードとかMacの話でもりあがった。
おもしろいなぁ。しあわせそうでしょ?

でも、自分は自分で勝手にやる!とかいう態度がチームに ちらちら見えてくると、なんだか、ちっと、つまらない。 でも、、、そんなこと気にしてどうするのだ!

まぁそんなことをつらつら考えたりしてて、
このつづきは船の中で考えよう。


今日も長尾坂で「夜練」をやった。
でも、このまえから考えているのだが、坂の練習って、 半分は下りで、休んでるジャン!


この前の秋川街道は、のんびり流してるバイクに引かれて、心拍90%を 持続できた。こういうのは坂じゃできないし。
信号のすくない直線路を探す??多摩堤通りをクルマに混じって走ろうか? いや、夜のあそこはクルマが時速70キロちかくでぶっとばしていそうだ。 エアロホイールつけても、僕じゃまったくかなわない。
んー、、、んー、、、

次の練習場所を考えるため長尾坂の夜練をしよう。


2008年6月11日(木曜日)
さいきん年とったのか、気が短くなったかもしれない。

あざみラインの配車、結局だれが当日行くか直前まで分からないから、 配車しようにもできなかった。ので、もう心配するのもアホらしいので 配車調整するのは今後辞めることにした。

ってか、事前に連絡取っていた大谷さん、高島さんは不便ないようだし、 シンノスケ、開平も大谷さんと一緒にいけるし、江見さんとかは元々 家族移動だし、、、もういいか。
若いのはどうするのか知らないけど、僕は彼らの親じゃないので、 連絡しない人はほっておこう。もうメンドクサイし。

だいたい全日本のようなボランティアのサポートを受けて走ってる レースに出ておきながら「完走するより女の子とのサイクリングの ほうが大事」と、サポートしてる人の見えるところで放言しちゃう 程度の取り組みならば、たとえ実業団レーサーでも、なかみは サイクリングぐらいの取り組みなんだから、出ても出なくても、 結果なんて、どうでもいいでしょ。

なんだかオーベストもチームが大きくなって、妙になったなぁ。
今年はヒマになったので以前のようにもうすこしサポートしようかなと 思ったけど、全部を管理するなんてしんどいし、もう、一部のひと だけクルマに載せれば、あとはもうどうでもいいかな。



2008年6月10日(水曜日)
なんと初の夜練。。。

でも、よく考えたら、遠地の自転車通勤で残業して深夜帰るときと たいして変わらないじゃん。

夜の空気をすって走る。これも楽しいな。
電飾マンよろしくぴかぴかさせて暗い長尾坂を5本だけ登った。



だぶるちょーっぷ!
だいしゃりんなげー!

幼稚園のとき、やらなかった?

キカイダー


設計・ものづくりをする全てに贈る旧著:
「だれのためのデザイン」


加藤の好きな、 昭和
知らない人は、、、 これ ならしってるでしょ?
#どちらもまったく知らない人は、当HPの年齢規定に抵触します(うそ)


昭和の(まだ輝いてた)アメリカ
ビル・マックスウェル(ロバート・カルプ)を別の番組、コロンボで観たりすると、思わずにやりとする。


あと、これもね。
ちなみに、フェイスマンの前を横切る銀色のロボットは「宇宙空母ギャラクティカ」の敵、 サイロン兵であるっ!


まさか、、ゼロ軍曹は知らないよね?
右隣のヒゲは「おフランス」な18号。

Terrahawks Op


あとコレは、、、僕がかなり小さい頃で、こわーい記憶しかない。でも後半の 主題歌 だけは覚えている。



テレビといえば・・・よろしくぅ!
お後がよろしいようで・・・アタマ洗えよ!


2008年6月9日(火曜日)
自宅パソコンのメールサーバが不調である。
どうやらプロバイダが今晩サーバの設定変更をやったらしい。
パソコン側のメールソフトの設定を直せばいいらしいが、、、
だめじゃん。

どうせダメなら、ネットワークぜんぶダメにしてほしいなぁ。
ネットはほんとにインフラになっちゃったなぁ。。

・・・にしても、Bossのあたらしいサドル、見た目は「痛そう」なのだが、 エラ愛好者のBossが絶賛するのだから、試してみる価値はありそうだなぁ。
買い置きの「やわらかい」エラKも予備がなくなったし。


2008年6月8日(月曜日)
上司が体調不良なので、夕方から自社にもどって事務作業。
うむうむ?うむむむ?
いつのまに、こんなに電子化されたのだっ!
むかしの、紙書類・人間受付時代の購買処理しかしらんぞ!
僕も若くして?ロートル??

どの入力画面になに入れればいいのか、ちんぷんかんぷん・・・
しばらくなやんで、「まっちゃーん・・・た、たすけてー」

元トレーニー(つまり教え子)の松橋君に助けてもらった。
めずらしく遅くまで残業(でも8時ぐらいまで)やって帰宅した。


2008年6月8日(日曜日)その4
人造人間キカイダーってのは、ようするにロボットなのだ。

石森章太郎のマンガなのだが、このロボットはただの機械でなく、 人間の敵にならぬよう、「良心回路」ってのがついているのだ。
でも、キカイダーを作った光明寺博士は、良心回路を完成させる前に さらわれてしまう。
中途半端な良心回路のキカイダーはそれゆえ悩み、迷い、博士をさらった 敵「ダーク」と戦う。

原作のマンガとテレビはちっとだけ違い、マンガのほうが悩む描写が多い。 そして結末は大きく違う。最後までヒーローモノで終わるテレビとちがい、 マンガの最後は、実に意味深である。


不完全な良心回路で左右の違う姿となる。
石森章太郎が自身で1、2位を争うデザインとか。

キカイダーを捕まえたダークはキカイダーを分解して良心回路を取り外そうとするが、 どこにも見つからない。キカイダーを利用したいダークは、良心回路を壊す代わりに、 「服従回路」という悪のこころを埋め込み、その効果が現れるのを待つ。
良心回路と悪への服従回路の両方を持つことになったキカイダーは、より人間の こころに近づくことで、ウソをつくことができるようになる。
「悪に従う」とウソをついて、すでに洗脳された昔の仲間をだましてダークの首領の ところまでたどりつく。そして今まで良心回路で封印していた、自分の奥底に 眠るケタ違いに凶悪な武器を使って敵と、敵に洗脳された仲間すべてを惨殺する。
・・・
なんとも救いがあるような無いような結末である。

なぜ良心回路は見つからなかったのだろう。
なぜ良心回路と服従回路の二つがあると、仲間も殺せるのだろう。


この話は、西洋の民話ピノキオがモチーフになっているとよく言われる。
ひとでない、ひとのこころに足りない主人公は、改造してもらうことで
人間に近づこうとする。
でも、人間のこころとは?


もともと、石森章太郎のマンガってのは、どっか暗い、
うら悲しいお話なのだ。


こどもむけ番組ってのは、作り手がオトナだけに、どこか自分の主張を いれてくることがある。それが思慮深いオトナならば、そこになにかの メッセージがあったり、それなりの哲学があったりする。
私が日曜の朝遅く起きたときにベッドの中で最後の10分とエンディングだけ観ていた マジレンジャーはテーマが「家族」だったそうだ。
5人の戦士はぜんぶ兄弟。母親が司令官みたいな立場であり、行方不明の父親も あとから出てくる。メンバーが悩めば、兄弟が叱咤激励をする。メンバーが 傷つけば、兄弟がかばう。メンバーのひとりが別の戦士と結婚したり、とにかく 家族、兄弟のつながりが随所で出てくるお話なのである。
そういう意味で、なんかよかったのである。

さいきん古い特撮を今の時代の人がリメイクしたりOVAを作ったりしている。 でも、たいてい評価は低い。最初のインパクトが強いのか、あるいは、 そもそも人の理解と世の中への興味が浅いのかもしれないし、それよりも 作る側、見る側の、社会の良し悪しの共通認識が崩壊していて、そこに なにかをつくることが、今困難なのかもしれない。



2008年6月8日(日曜日)その3
東プレのキーボード練習!

ラジオは、しゃべるのが早すぎる!
ラジオのアナウンサーの喋り方は、半端じゃない!
ラジオ番組の速記は諦めた。

テレビニュースに挑戦!

これもむり。

じゃ、バラエティにするか。


かなもりは、ちりはま名物、やきがいのおみせです。
おじゃまします。いらっしゃいませ。
ぼくよりとししたですよね?
ふふふふふ。
そういうことにしときましょう。

白貝、とむさん、やきたておめしあがれ

んー、んー、
んーじゃわかんない

えんくみちゃんはいかが?
でしょ?
んー、
しろがいってまわりのぶぶんがおおいから、歯ごたえが普通の貝とちがうんだね。

この番組はトヨタの提供でお送りします。

回転寿司が、ゆうめいなんですって。
うみのさち、いいのある。のどぐろ?

東京でなかなかいただけないので、すごくたのしみ

本場北陸の回転寿司。みせがまえかっこいいですね。
いいねぇ。
きれいなおみせですね。

いらっしゃいませ。
こんにちはー
もりもり寿司の人気のひみつは、ねたのよさ。

今日は白身、・・・・
だめだ。。。
アナウンサーのナレーションがだめだ。

にしても、キーが若干つめに引っかかるのはなんでだろう?
それ以外は、軽さばつぐんで、いい!



2008年6月8日(日曜日)その2
こころのたび

ものさしでものさしを測ることはできるだろうか

ものさしがものさしであるかぎり、自分と同じモノをはかることができない

時にカタチを変え、

それは壊し、崩し、変形させる、片道のたび

2008年6月8日(日曜日)
今日のサイクリング会、うしろで走っていたが、1名のぞき? かなりふつーにみんな走っているようだ。でも、この1名は、もう東京 サマーランドあたりで筋力が一杯のようだった。

五日市手前で稲垣さんが下がってきてくれて面倒見てくれた。 いやー、たすかる。
しかも稲垣さんはケンジの下見にも付き合ってくれていたとのこと。 道もばっちし。最後はのこり距離をコールして鼓舞していた。すばらしいぃぃ!

パン屋さんに入ると、あああ、誘惑。ピザパンが目に入る。 一度通り過ぎたが、やっぱり負けて買ってしまった。ピザパン。 でもちっとおなかにも重かったかな。
にしても、稲垣さんに面倒見てもらったこのおじさん(お、おじいさん。。)は 合宿にくるそうだ。Bossのいうとおり、麦草はきびしそうだなぁ。
「合宿はこの10倍辛いですよ!」
と、おどしておいた。うふふふふ。
まぁ、このひとと、長谷さんと、リキさんは「登れるか登れないか」の 境界線だな。斉藤さんは根性あるから意外と大丈夫なんだけどなぁ。

帰りはどうしようかなーと思ったけど、いちおう後ろで走ったが バラバラになっちゃったので先行する。あ、でも信号につかまっちゃうな。 追いかけると五日市手前でケンジと甘利さん発見。ん?そこを曲がる? 秋川街道に彼らはいくようだ。他の人もそうなのかな? 曲がってガードくぐってケンジを追い越す。おや、垂れていたのか。 その後またひとりで秋川街道を爆走。だれもいないなぁ。って、 信号ないから心拍がすごいことになっている!こりゃ92%越えてるぞ! やっぱり登りよりも一人で平地を回すと心拍ってあがるんだなぁ。。

バイクのグループのうしろに付きながらさらにスピードを上げる。 わずかに下りの秋川街道はどんどん進むなぁ。にしても誰もいない。 やっぱり睦橋通りにいったのかな。ってか、前は集団だろうし、どのみち 会うことは無いか。。。

そのまま突進して20号を左折し、今度は車にまじって走り、日野バイパスへ 曲がって多摩サイまでいき、多摩サイ脇の車道を走って帰った。 んー、ひとりもオーベストに会わなかったのは、もしかして睦橋+六日市を とっくに走って帰ったか。

にしても、、、あたらしいキーボード、東プレのREAL FORCE限定版、いい! 軽い!キーストロークがわずかに浅い気もするが、でもこれだけ軽いタッチで パラパラ打てるのは、イイ!!!




2008年6月6日(金曜日)
朝ふつうどおりに起きる。
いつもの電車に乗るが、中原で降りずに小杉へ行き、
東横線、横浜線で新横浜へ行く。そう。今日は大阪出張だ。

ホームの売店で駅弁を買う。もちろん崎陽軒の中華弁当980円だ。
実はひそかな人気なのか、1個しか残ってなかった。
同僚にあとで聞いたら、どっこの売店も売切れだったと。

弁当さげてホームを歩く。お目当ては2号車。
むかしは10時発ののぞみ、4号車1Aに座るのが決まりだったが、 今日は自由席だ。

混んでいる。なんとか座席をキープする。
静岡あたりで眠くなって、三河安城で目が覚める。
名古屋駅を発車と同時にお弁当を広げる。11時20分。
お弁当を食べ終わるともうすぐ京都だ。
今日は京都で降りずに大阪。
大阪で他のメンバーと待ち合わせて、さて、会議のビルまで 在来線を乗り継いで行きますか。

13時に会議が始まり、15時ごろ終わってしまった!早い!
さて、どうしようかな。まだ早いから帰って仕事する?
そんなことはしません。断じて。
「じゃー、大阪城でも見に行こうか?」

京橋付近から初夏の並木道を歩くと、だんだん大阪城が見えてきた。
おお、おお、大きい!


大阪城をしげしげ眺める。
外の売店でたこやきを買って、今日は満足。 観光客に混じって駅まで歩き、在来線乗り継いで新大阪へ行く。
いやー、おつかれさまでした。
新幹線に乗り込むなり、
「つめたいうちに。ねぇ。」
とビールを空ける。

東京駅に着いたら、中央快速ですぐに新宿へ向かう。さて、これから パインヒルズの面々と、木祖村合同慰労会だ!

オーベストメンバーもパインの濃い、、濃すぎる面々もすでに来ている。
幹事は途中で藤巻君に任せたけど、うまく行ってるみたいだな。

その後、二次会はパイン9人とオーベストは土佐さんの2人。
風さん、森川さんは「明日練習会があるから」と逃亡!
結局サポート二人で最後まで支えました。
土佐さんはサザン他J−POP!
加藤は新沼謙治を1曲のみ。
なんとか防戦しました。

おひらき後は、満員の小田急&ブルジョアなタクシーで帰宅。
いやー、今日はいろいろ疲れた!



2008年6月5日(木曜日)その2
あすは急遽、大阪出張である。
新幹線で駅弁たべて、会議して、
帰りの車内でビール飲んで、、、

おっさんくさい?アハハハハハハハ!


2008年6月5日(木曜日)
バターがないそうだ。(このまえ余剰で捨ててなかったか?)
大豆が高騰しているそうだ。(20年も前から国内自給せよと言われてないか?)
ガソリンが、、、。

猟奇事件が毎日のように普通にニュースをにぎわす。
日本では体力学力の低下の話題はもう珍しくない。
出生率は低迷しつづけ、人口が減りつづける。

・・・・・

ルールを守らない人が増えた。
平気でうそをつく人が増えた。
先生の言葉を借りれば「社会が溶けている」かもしれない。


そう。・・・「社会」が確実に悪くなっている。そして出口がない。
つまり舵をきりまちがえば、どうにもならない明日になるかもしれない。


むかし、1984年という小説があったそうだ。 核戦争後、物資は不足し、個人は生活、心情すべてを管理される 社会になる。歴史は改ざんされ、すべては管理国家の権力維持 のために操作される。


産業革命、というのを昔習った。
蒸気機関、工場、自然環境の改造。
それらを支えたのは、宗教を打ち破った自然科学の力だ。
ひとは猿とはちがう。創造主である神によって作られたものである。
それは原始社会において人間が生きるために、社会秩序か社会維持かのためには 有用な「ものがたり」だったのかもしれない。
でも、自然科学はモノのありようを探求し、突き詰めて、モノを人間の 意のままに操作可能としたことで、人間のまわりの環境を自然とちがう 世界に作り上げたのだ。


こころの科学がもし発展したら?
人のこころは、さらに荒廃するかもしれない?
よこしまな一握りの人間が、その科学の力でその他のこころを支配する?

そもそもこころのカタチが、カタチを維持できなくなる?



なにもしなくても崩壊するかもしれない。
なにかしようとしても、悪化が早まるだけかもしれない。

いそぐべきか、時間をかけるべきか。
僕は後者だと思ったが、世の中そうも言ってられないような 雰囲気である。
ねぇ。先生。
でもみえませんね。なんにも。




2008年6月4日(水曜日)その2
今の仕事、先輩がアカデミックなノリのせいか、 あるいはHHKBで和田さんと盛り上がってるせいか、 仕事中に昔の学生時代のことを思い出す。

あのときのキーワード、ふとググってみたら、 僕の生まれるころに恩師が海外で講演した話題がヒットした。 しかもそこに述べられている未来への夢と警鐘は、それから 20年後に学生になった自分の「解けない問題」、、、開かない、 開いちゃいけない門扉であったということが、先生の没後2年 の今さらになって初めて分かったのである。

なんであのとき相談しなかったのか。
せめて辞めるときに理由をちゃんと伝えれば、 そのとき議論できたのに。
そしてあの日の常のように、やはり僕の渾身の突撃は 先生の既知の守備範囲であり、「なるほど、きみがそう 考えるならこういうことがあるだろうね。」と、 夢も希望もひろがったかもしれない。

なんだか今日は自分の無知さを感じて、いや、社会性という 意味での自分のまずさ、注意力のなさを痛感して、取りかえしの 付かない申し訳なさで満たされてしまった。
(就業時間中に。)

だから余計、就職してから大学へ聴講に行ったときの、 授業の後で質問にいったときに話してもらった、
「この問題は、きみたちの世代の・・・」
を思い出してしまう。
自分が途中で挫折・放擲したことを後で悔恨することさえ その範囲内だとしたら、いやそれなら光栄だし、とりかえしの つかない今、まだ自分の落ち着きようがあるというものだ。

今日はなんだかやり場がなくて、存命な関係者の著書・発表を 調べてみたが、D.A.ノーマンという先生の友人の旧著にして 今でも痛快といわれる、とある本を買うことにした。あのとき僕は インタフェースは応用科学であり、純粋科学の傍系だと言って 見向きもしなかったが、今さらに浅はかさを反省して読書として 振り返るのもいいかもしれない。

にしても・・・2008年の認知科学会の発表リストのテーマを眺めるに、 半世紀前の戸田先生の夢とイメージは、まだまだ現実の 「学会=村社会」である今の認知科学会には高級すぎて、 「衣の裾さえ触れられないのか」と、己の復讐心込めて 落胆するのである。


。。。だれかを嘆き批判するだけって、、僕も「おじいさん」になったな。

なにかを辞めることはいつでもできる。でも、辞めてしまって
そのあと、なにをするか見付けることができる可能性は、どうだろうか。
よほど明瞭で決定的な何かがないかぎり、心血を注いだものを
安易な理由で捨てるのは、いけないことなのである。




2008年6月4日(水曜日)
和田さんとメールやりとりして今さら記憶が戻ったのだが、 そういや大学院時代の私はApple社のMacintoshコンピュータ信者 だったのである。それもそのはず、自分の専攻分野はそれこそ マン・マシン・インタフェースなどを研究しているやつが ごろごろいる世界であり、コンピュータのオペレーティングシステム のありようについては常に議論になる空間であり、当時斬新? だったのかな?なMacintoshを使うのは当然な成行きだったのである。

あの当時のOSは漢字6.7.1だったろうか。
ようやくMacintoshもカラーになって、、しかもPC-98の16色よりも 豊富な256色になったんだっけ?華やかな印象だった。 でもMS-DOSで動くワープロソフト一太郎は縦書きできるのに Macは縦フォントがなかったっけ?縦の段組みもできなかったし、 「ああ、Macってやっぱり外国機だな」という印象だったな。

当時はMacintoshII Ci という小型デスクトップマシンを お下がりで貰って使っていたが、お小遣いをためてノートPC、 PowerBook140というのを買いたかったのだ。でも学生のお財布的に Apple社の高価なハードウェアは買うことができず、、、なにせ ノートPC最上位機種のPowerBook170はなんと実売でも70万円以上! ハイペロンを値段で凌駕するぜ!Oh!No!

しかも当時のOSはよく落ちた。文章を書いてる途中で爆弾マークが 突然出る。文書はぜんぶ消失。いったん爆弾マークがでると 繰り返すこともあり、もうやる気消失。安定して動くときと 動かないときの原因がわからず、実に気分屋なOSだったっけ。
(1993、4年ごろかな。)

お金もないし、ソフトも少ないし、結局僕が貯金を集めて買ったのは Windows3.1の載ったDynaBookだった。東芝製品にしたのは 兄貴への義理?が少しあったかもしれない。
Windows3.1にVisualBasic2.0を入れて、もぐらたたきゲームを 作ったり、テニスゲームを作ったりした覚えがある。

それを契機に、Macは縁のなかったものとして今日に至るのである。 つまりは和田さんの指摘どおり、加藤のMacはもう12年ちかく 止まっているのである!

さいきんMacintoshはUnix系のOSになったそうだ。いや、Sunの 試験をパスしてUnix系でなく、UnixOSのひとつに認められたと 先輩から聞いた。
ふーむ。。。。BashとRuby/Tkが動くなら、買っても良いかな?
いまさら恩師の友人ノーマン先生への義理立てをするのもいいかも しれない。ん?それをいうなら、Apple社のNewton買えって?


。。。。つまりは加藤はトコトン古い人ってことである。



2008年6月3日(火曜日)
今日も男子バレーを観た。。。。おもしろいなぁ。

加藤イチオシの日本のエース、山本選手は今日は不発だった。 そのかわり恐竜・石島や、若いホープ越川が大活躍していた。 石島はヨーロッパの高い壁に阻まれて、阻まれても強硬を 繰り返して失点するパターンが多かったのだが、今日の 韓国は相手が良かったのか、くるしいところで再三ぶち やぶってくれた。実に頼もしいではないか!

今日も第4セットはリードしてセットポイント直前になった。 イタリア戦の悪夢を思い出す。くずれる?跳ね返す? 日本男子は乗り越えたようだ。

あのイタリア戦に負けなければいまごろ唯一全勝だったな。。。 きっと日本の薬は、いい意味での自身だろうな。相手を呑む、 みたいな。

明日はタイか。
明日も楽しみである。



2008年6月2日(月曜日)
今日、自宅PCのキーボードを変えた。Happy Hucking Keyboardであるっ!!

・・・・知らないよなぁ。ふつう。
ロードやらない人に「日東のアルミハンドルから、ビオモルフェにしましたっ!!」
って言うぐらい、わからないよなぁ。。。

もしもこれを読んでいて「おお!実は私も使ってます」という人はメールください。 「むろん、無刻印ですね?」とか苛めてくれても結構です。 ちなみに僕のは「日本語配列・カナ刻印なし」タイプです。はい。

・・・・入社直後にHappy Huckingを知ったら、きっとUnixキーボードの流れで 英語配列キーにしただろうなぁ。。。もう@の位置は小指さんの担当だなぁ。


さいきん仕事がら、反マイクロソフト、親Sun Microsystems、Linuxの旗色を ますます鮮明にした私としては、パソコンのOSはWindowsでなくLinux、キーボードも CapsLockが「A」キーの隣に無い、「Esc」キーが小指ですぐ届く、HappyHuckingを 使うことにした、そういうことである。
(すいませんますます何の話かわからんですねぇ。。)

通販でとうとう買っちゃいました。HappyHuckingキーボード。 ポコポコいうタッチが新鮮である。


ちなみに仕事では古い富士通のキーボードを使っている。
これが一番使い慣れていて良い。

そもそも、キーボードのこだわりとは、なんであろうか。
我々プログラマは一日ものすごい数の文字を打っている。だから その作業のいちばん重用なマン・マシン・インタフェースである キーボードはたいへん重要なアイテムなのである。

しかし嘆かわしいことに、いまどきのキーボードときたら 1つ1000円程度の安物ばかり幅を利かせていて、長時間打鍵してストレスない ようなものは出回っていないのだ。
だから最新のマシンに、ふるい使い慣れたキーボードを組み合わせるなんてことは 我々の界隈では普通にあるのである。
今は新しい職場で古い富士通製キーボードを入手して使っている。また自分の会社に戻れば 同タイプのキーボードを1つ確保している。それぐらい重要なのだ。

では、そこまでこだわる、良いキーボードと、悪いキーボードの差はなんであろうか。
一番大事なのは、キーの深さと戻りである。
キーボードのキーを指で打ったとき、どのぐらい沈み込んでから反応(字が生成)されるのか、 そして指を離したときに、どのくらいのスピードでキーが押し戻されるのか、ということである。 この反応が悪いとなんだか疲れるキーボードになってしまう。また戻りが遅いと、だるい キーボードになってしまい、早いタッチでパラパラ文字を打ち込むとキーがついて来なくなって イライラしたりする。この問題はもっとも重要な問題であり、購入前には必ずお店で現物を 触って打鍵してみないといけないのである。
昔はデスクトップパソコンのキーボードならさほど悪いものはなかったので気にしなかった。 僕はノート愛好家なので、ノートパソコンを買うときはヨドバシとかツクモとかに行って 店頭に並んでいる買いたいノートPCを必ず触って、、、メモ帳を開いて自分の名前と 「本日は晴天なり」をいやというほど繰り返し打つのが決まりなのである。 そのとき指に引っかかるようなキーボードのノートパソコンは値段やスペックがいかに良くても NG、ダメなのである。まぁノートPCのキーボードなんてあまり期待できないから、 「許せる範囲」かどうかの確認に過ぎないのだが。

つぎに大字なのは、音、である。
自宅で一人で作業しているならかまわないが、会社では打鍵音というのは けっこう大事な問題である。
コンピュータ関係の職場は意外としずかである。それもそのはず、口動かすより指動かすのが しごとだから、話声はわりとすくない。まぁときどき外部から電話とかかかってきたり、 設計の調整やら連絡事項など、あるいはきばらしの雑談など、喋っている人も少なくないが 基本は黙ってキー打ちなので、お互いのキー音というのは、意外と聞こえるものである。 で、キーの音はキー打ちの早さにも関係する。

むかし、、10年ぐらい前だろうか。4年ぐらい先輩の女性社員で、わりあいキー打ちの早い リーダーがいたのだが、僕はマシンガンみたいに打つので相手が音で対抗してきたことがある。 でも僕は昔ピアノで鍛えた?ほとんど同時押しにちかい連続技で撃退してしまった!まぁそれぐらい 打鍵音については相手に無用の刺激を与えてしまうので、実は静かなほうがいいのだ。

スプリング式のかっちりした、、つまりは戻りが早くクリック感の軽快な「よいキーボード」 が昔たくさんあったが、どれも音がうるさかった。今はプラスティックと板バネだろうか? 渦巻きスプリングを使わないものになった。静かでいいのかもしれないが、ちっと粗悪だと 遅いキーボードになってしまうのである。

そんなわけで、最近はデスクトップパソコンのキーボードもあやしくなっており、派手なデザインとか ゲーム用特別キーとか、見かけばかりのものが目立って、その実、キーのつくりが安っちいものが 増えているのである。なんとも悲しいではないか。
すくなくとも一日じゅうモニタ向かってプログラム書いたり文章書いたりする人がいるのなら、 もっともっとキーボードにはこだわっていいはずなのである!

つうことで今長尾日記を新しいHappyHuckingキーボードで打ってみた。 そのスジで絶大な人気?のあるこのPFU製のキーボード、第一印象は、、、 堅い?
戻りは大丈夫かもしれない。配列はLinuxOSでviエディタ使うと一番ハッピーかな。

でもまだ僕にとっての究極のキーボードとはいえないな。
もうすぐボーナス。このまえ金色シャマルを買ったが、まだ余裕があるから キーボードの大人買いをしてみちゃおうかなー。つぎは東プレのキーボードかな。。。

あとは使い慣れた古いあのキーボードを会社で集めて回るってのも、いいなぁ。
いま自社に保管してあるキーボードは、7年ぐらい前にお世話になった協力会社の方が 契約が終了して自社に戻るときに、僕へのプレゼントとして渡してくれたものだ。
「かとーさん、これ、つかってください。」
いまでもその古いキーボードは取ってあるし、それと同タイプを出先で使っている。 キーボードのこだわり、意外とだいじなのである。

最後まで読んで頂いた自転車な貴殿に敬意を表します。



2008年6月1日(日曜日)
昨日、バレー男子の国際試合を見た。
メダリストであるイタリアに1セット目はあっさり負けた。
2セット目は終始リードされるも、終盤で粘って30−28で勝った。
3セット目は一時は1−7で突き放されるも、脅威の追い上げで 30−28で逆転勝利した。

なんというすばらしいタフさだ。
バレーは見ていて単純にたのしい。

4セット目は今までと違ってイタリアにリードできるすばらしい展開だった。 24−17となりマッチポイントとなった。あと1点でイタリアに勝利。 しんじられるだろうか!生まれ変わった植田ジャパン! アナウンサーの連呼にボルテージ最高の会場応援団。

しかし、、、7連続失点。同点に追いつかれ、最後は逆転負け。
第5セットはあっさり負けてしまった。

なぜこのようなことになったのだろう。

男子は弱い、男子はオリンピックに行けない、そんな思い込みが 選手自身にあったのではないだろうか。
逆に男子イタリアのど根性が、勝利手前で我を見失った日本を跳ね返したのだ。


キモチの問題。

「見えるものしか、手に入らない」

きっとそういうことだ。
根拠の無い夢じゃしょうがないが、もしも選手ならば、 きっと自分の身体?に聴けば分かるはずだ。行けるのか、 いける可能性が針の先ほどでもあるかどうか。

そしてそれがあるならば、それをまず自分で信じないといけない。


全日本男子バレー、皆が思ってるほど弱くはなかったのだ。