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長尾日記 | |
やっぱいい。 2008年08月31日(日曜) 平日走るコースで体力が分かる。 元気ならば尾根幹、ふつーは連光寺か長尾坂。 霊園はぼくにとって初心者コースのようなものである。 午後の入道雲をみながら、今日も霊園内の狭い範囲をくりかえし。 1時間でも飽きない。ふしぎだ。性格かもしれない。 2008年08月30日(土曜) かなりよわっちくなっていて、長尾坂でさえふーふーである。 雨がやんで昼から走り始めたが、ユキリンジャージのおじさんが 登っていた。ずいぶん長尾もメジャーだな。 2008年08月29日(金曜) 7月から始まった急ぎ仕事は、とりあえずひとつの山を越えた。 よかったよかった。 2008年08月28日(木曜) 昨日はだしぬけに晴れだった。 今朝も雨が降ってなかったのでひさびさに朝錬した。 やっぱ雨でも乗らないと乗れないジャン。 2008年08月27日(水曜) グルジアというニュースがさいきん目に付く。 かんたんにいうと、遠い地域で軍事行動があったってことだろう。 東欧の政治情勢はよくわからない。いまだ古くて入り組んだ地域だからだ。 ひらたく言ってしまえば、地域を越えた行き来が普通の現代社会において 民族自決を主張すればかならず周辺と緊張・紛争になるということだろうか。 じゃ、民族主義のような内向き姿勢を悪とすべきだろうか。 コスモポリタニズムではないが地域・慣習を捨てて幸福を望むという選択は、 結果的には文化的安定でなく直情的充足に傾く傾向にあり、良い選択とも 言い切れないはずである。 (ほどほどにっていう中庸の精神がここで大事だとおもうが。) 事件の善し悪しは別として、さて今後の事態をどう見るべきだろうか。 すくなくともロシアという大国が係わっているので、他の紛争とは かなり影響度がちがうだろう。 ここ10年、脱冷戦ということで国際政治はアメリカ一人勝ちということに なった。でも経済という「体力」勝負ではアメリカは落下の一途を辿って いるようで、サブプライム事件によってアメリカ経済の「変な盛り上がり」 が「実は実体がない」というのが、誰の目にもバレつつあるのである。 (ドル安=ドル不信がそれを示しているのである) 冷戦敗者であり、BRICsのひとつであるロシアは資源に富み経済的成長から 延びようとしている機運が高まっているはずで、国際的な「アメリカ派閥」に 対して今また再戦を望んでも不思議はないのである。 経済力・軍事力が余っているのに、ソ連邦時代の手足をもがれて米欧に奪われて 小さく閉じ込められたと感じているならば、当然直接的行動、つまりは軍事侵攻 を選んでも不思議はないだろう。しかもグルジア領内の南オセチアというのは 親アメリカ政権内の親ロシア地域であり、もともと内戦が続いている状態だった わけで、手を出しやすい、手をだす理由が付けやすい状態だったのだろう。 日本のように経済が発展しても国際政治に顔を出そうとしない国ばかりとは 限らないのである。いや、ふつうはその逆なのだ。 中国の人民解放軍指導者がアメリカの海軍関係者と会談して 「太平洋の西側半分を中国が管轄しましょう」と言ってしまうのを見ても、 ふつう体力が付けば政治軍事上の発言権を伸ばそうと動くものだ。それは 明治大正から昭和初期の日本もそうだったはずである。 過去の日本も、別に軍部が暴走したとか指導者が国民を戦争にひきずりこんだ とか、そんなわけはぜーんぜんなくて、明治維新後に急速に発展して自信を感じた 国民自身が熱烈に望んだ結果なのである。それは日比谷焼き討ち時件のような 衝動的行動をみても当時の盛り上がりが判るはずである。 (日比谷焼き討ち事件=日露戦争で勝利したが賠償金が少ないという理由で 日比谷に集まった熱狂的市民が暴れて放火した事件。) (当時のネタとしてケッサクなのは、朝日新聞が賠償金請求を断念した外交担当の 小村全権大使に対して「小村許し難し」「講和会議は主客転倒」と国民を煽った件である。 ま、新聞の正義と恥の無さなんて大学新聞か長尾日記レベルなのである。ハイ。) 話を戻して、今起こっている問題、「グルジア」とか「南オセチア」に対する ロシアのおどろくべき強気姿勢というのは、今後の国際バランスも変えていく 明瞭な「一発の号砲」なのである。 それは東欧の片田舎の問題でなく、ロシアと国境を接する日本にも係わってくる はずである。 日本もアメリカ同様、下降線である。体力が弱っている。20代の若者は覇気がなく、 30、40代は人件費抑制の余波で家に帰れない程残業で未来的思考以前である。 年寄りは自分だけの老後ばかり気にして守銭奴になっている。 10代ぐらいか。期待したいのは。 そんな寒い状況でじり貧になっていて、「陽は、また昇る」という曲まで出来て 応援されても踊れないサラリーマンらは、どうすればいいのだろう。 国家の体力が経済だとして、経済とはなんだろう。 それは明日への希望の熱だろう。 希望の熱を生み出すには、すくなくとも相互信頼が欠かせないのである。 むかし商社マンと仕事したときに言われた言葉がある。 ビジネスは信頼関係とルールがなければ成立しない。ようするにスポーツと同じだ。 ビジネスは信頼が大事である。第一に担保にこだわり、担保をみて決めるというのは 信頼をしていない証拠だ。 ビジネスは勝ちすぎちゃいけない。7:3なんてダメ。6:4でもまだ多い。 5.5:4.5ぐらいにしなきゃいけない。相手とはまた勝負するからだ。 すくなくともビジネスマン同士に信頼感がない社会では夢も湧かない。 そもそも価値観が分散しすぎて会話が収束しない。 じゃあなにを柱に明日のビジョンを描けばいいのか。 2008年08月25日(月曜) 先月カロリーコントロールして景気良く減ったのはいいが、 今月は体調管理が難しかった。身体は同じ状態を維持しよう とする力があるから、その反発を上手くいなさないと、すぐ リバウンドという現象を招いてしまう。そういう意味では しんどい月であった。 ただ、ひと月もガマンすれば、そう簡単に元には戻らないことも 判った。成果は少ないがひとつクリア感はあるようだ。 これは別に減量ばかりでなく、身体の全般もそうかもしれない。 身体が動くからといって、つい練習しすぎても、永遠に強化され 続けるわけでなく、どこかで止まってしまうはずだ。 そのとき、どう退化せず踏み止まるかということであろう。 ・・・たぶん。 さて、もうじき9月になる。 今月なにができるか、楽しみである。 私は女性歌手が大好きだが、その裏、男性歌手にはたいへん厳しいのである。 やっぱりこれぐらいでないと。。。 ひとり、ひとり、さまよえば 目に見えない翼 ローマの月 2008年08月21日(木曜) ダイエット・リバウンド防衛中。 2008年08月18日(月曜)その3 自転車競技の生活負荷。これは他の種目とくらべてどうなのだろう? きっとトップはどれも同じなのだろう。限界への挑戦に違いはないはずだ。 トップといえば、北京五輪の女子マラソン選手が故障で出場できなかった と聞いた。これは現代では別に珍しいわけでもないのだろう。 試合前の期間でさえ、それぐらいぎりぎりなのだろう。 アマチュアレベルだとしても、それなりのものを目指せば厳しくなる。 それは練習時間という特別に確保した枠内に限らず、生活全般に かかわってくるのだろう。食事、生活リズム、なにげない会話。 その影響というのは、明白に意識すべきかもしれない。 なにができるか、どうやって平衡をとるか、なにを守って、 なにを捨てるか。社会人ならばよけいに悩みは深くなるだろう。 ・・・昨日はそんなことを考えていたが、ふとぜんぜん違うことを 思い出した。あはは。 僕がなぜ学生時代に遠距離恋愛、、っていうか文通なんてものをしていたかということ である。 それは相手が遠くで生活時間がちがうから仕方無く続けていたという 理由ではなく、そういう間接的・時間束縛がない・豊かな空気が 日々の生活に皆無でも大丈夫、という条件が、当時の自分に都合が よかったのである。 そして相手もそれが都合よかったのである。 お互いさみしいけど将来の望みみたいなものがあるような気がして、 それで何年もしつこく続いたわけなのである。なーるほどー。 そして不満も同じ理由で、距離が縮められないことだったのだが、 それは元々お互いの日々に割り込みができないので土台無理だった というオチなわけなのである。 そういう意味では双方都合よい範囲で華やかな気持ちにだけなれた のだろう。 続かなかったのは、その女性は自分の賞味期限(嫌ないい方?)を 意識するところがあったので落伍が早かった、ということかもしれない。 「次」がなかったのは、そういう特殊条件だから、豊かなページの 相手にはならなかったのである。 なるほど。ワタシにとっては、支えてくれたもののひとつだったわけだ。 ・・・もうちょっと感謝すべきだったかもしれないな。 うーむ。にしてもワタクシったら、なんて科学的?なんでしょ。 こういう話はきっと読むと面白いんだと思う。ので伏字にもせず 書きました。あはあははは。 そういや森川さんが合宿の飲み会のときにぼそっと言った一言は 正鵠を射ているような気がする。うはははは。 ケンジィ〜、いっしょにがんばろー。 おレも精神年齢14歳だからサー。 加藤撃沈ソング でも、知ることこそ、新しい出発点。 限界への挑戦、不可能を可能にする。 それは常に、競技のひとつなのであろう。 ま、それはハイすぎて人間じゃあないな。にょほほほほ。 2008年08月18日(月曜)その2 日曜日はオーベストに行ってシューズの補修部品を買った。 別の靴用だったがTIMEのシューズにぴったりだった。 修繕できて安心、とは思ったが、さすがに次どこが壊れるか わからないなぁと思いつつ、ふとお店にあったガエルネの 白いシューズを手に取ってみた。いいかんじ?履いてみようかな? サイズはなんと26.0だった。へ?靴サイズってのは靴型に よりけりなのだなぁ。そういえば HashPuppyの洒落たシューズのときも26.0だったっけ。 靴とかシャツとか、気持ちがぴったりするものを見付けるのは 意外と稀なので、早めに買ってしまった。ははは。 その後、SMPを試したいという人がお店に来た。 Bossとあれこれ論議しているのを僕は傍らで聞いていた。 「このサドルは身体が起きてしまうと(ママチャリみたいな姿勢だと) 痛いんですよ。」 も、も、もしかして、これってポジション矯正に使える?どきどき。 窓辺に下がっているSMPは、白と黒だ。僕の残業号=オルカに 似合うのはむろん黒だ!もしもこのひとが白を買えば黒が残る。。。 「すいません、これお願いします」 彼が手に取ってレジに出したのは黒だった。 残ったのは白。残念。 でも、僕のポジションが悪いのは体幹の筋力不足、ならびに 決定的な柔軟性の不足である。サドルぐらいじゃ直らないだろう。 でも、でも、魅力的だな。もうすこし先伸ばししておこう。 エラKはもう型落ちしちゃったわけだから、 次を考えないといけないのである。 2008年08月18日(月曜) 土曜日。 短いお盆休みが終わった。 めずらしく兄弟3人+1人がそろって数日間、家に居た。 ことしはウチで初めて送り火をやった。 春先、本家からウチへお仏壇が来たので、急に信心深くなったかもしれない。 夕暮れのなかで焚いていたら、ふと花火の由来のような気がした。 日曜日。 お盆の終わりが秋とでも言いたいのか、えらく涼しかった。 2008年8月16日(土曜) 夜はテレビ。 北京オリンピックじゃなくて、ドラマ。 「ヤスコとケンジ」 日テレ土曜9時枠はよく観る。 「ごくせん2」 「喰いタン」 「喰いタン2」 「ヤスコとケンジ」 報道ステーションを見た後に、日経ワールドビジネスサテライトを観た。 やっぱテレ朝の「ニュースショー番組」は軽薄だなぁ。そう思った。 2008年8月13日(水曜)その2 ルールがルールとして遵守されるのは高度な文明のみである。 ルールは存在すれば自然と守られるのではない。 ルールが守られるのは、守らせる強制力があるからである。 それは社会の圧力、もっと直接的にいえば、 社会が肯定した物理的な力によって行われるのである。 それを実行する末端が警察である。 彼らが拳銃という危険きわまるものを持ち、法の範囲で 人に向けて使用できるのは、社会がルールを保つために 許された力の象徴なのである。 (さいきん銃の使用をマスコミがネチネチやかましく言うのは、警察権力への介入である) 高度な文明ではルールの背後にある強制力を意識することが なくなる。でも基本は罰として、抑止目的で、物理的な 強制力を発揮する準備がつねにあることが必然なのである。 人間が生まれながらにしてルールに従う生物でないかぎり、 つねに再確認として野卑な人間をルールへと強制する力が 未来永劫必要となるのである。 国際関係というのはふしぎである。 どうも僕には理解できないのが、北朝鮮拉致問題である。 国家の機関が誘拐・拉致をした事実が確かな今、それを 裁く法はないのだろうか。国際関係においては明確な警察権力が ない現代では、国と国の間で法や人道に外れたことをしても、 実はどうでもいいのであろうか。 いや、それが現実のような気がしてならない。 高度な文明国同士がかろうじて協定をむすび、国内と同様、 国際的にも社会のルールを保っているのではないか。 そうでなければ北朝鮮の拉致行為と、それについての不正実 な説明と、日本の経済制裁を外交のカード1枚に矮小化する 現実は、どうにも理解ができないのである。 なら、短絡的に、そっちがその気なら、こっちは社会と秩序を 守るために力を見せるしかないじゃん。ということになるのだが、 ちがうのだろうか。 経済制裁は日本の文明感覚を相手に強制させる大事な力のひとつ だったが、すでに敵にぐだぐだにさせられつつある。経済制裁が だめなら、次は、ってことになってしまう。それは恐いけど ありうる選択だ。それを選択しないためにも経済制裁は安易に 使えなかったはずだし、いま安易に安売りもできないはずだ。 日本人自身、その次がそんなにいやならば、経済制裁という カードは神聖視すべきだったし、態度は今でも常に、毅然と すべきである。 なのに単なる外交のカード1枚として取引材料になってしまったのは、 その機会を与えているのが、「外交は交渉だから」という安易な発想 ではないか。 そもそも北朝鮮の外交を瀬戸際とばかにしすぎてるのではないだろうか。 粘り強さと意志の強靭さ、そしてのぞむ結果へ近づけるパワーは、 日本の太平洋局長の坊やにくらべれば甲子園球児と少年野球クラブの ようなものではないか。 よく人は、「交渉だから」「外交だから」とかいって綱引きすることを 肯定するが、それはあいてによりけりで、こっちが選択肢をふやすほど 相手が高望みする、あるいはサボる、逃げる、ということもあるのだ。 小学生以下に「個性」とか「権利」とか大人なみの扱いをする人が 最近いるのだが、それが通用する少数のけなげな子供以外のケースを 想像したことがあるだろうか。それは傲慢と高圧と直情なモンスター チャイルドの発生である。こどもには子供の視野がある。こどもなりの 理解力のひろがりがある。自己制御の範囲もある。 大人と同格にあつかうことが却って酷というケースもあるのだ。 その点、背後に迫るものでもあるのか、決然とした態度の北朝鮮外交担当 のほうが「外交としての低レベルなぶつかりあい」が分かっているようだ。 彼らと「日本文化的に話合い理解しあって妥協を探る」なんていうのは ピントがずれてないか。 彼らの「誇りと背負うもの」が見えるのならばこちらも堂々決然としてぶつかり あわなければならないだろう。それで物別れならばしょうがない。 あとは持久戦となる。答えを急いで選択肢を生み出してなんとかしようと いうのは、拙攻というやつだ。 「外交は戦争」などとかっこつけるヤツがいるが、もしそうならば戦略家 として外務省は超三流といわざるをえない。大日本帝国の明治時代より レベルが下がっている(気骨のある男は皆この前の戦争で死んでしまったか)。 相手が経済不信の今こそ、経済制裁をかさあげして望む答えを得るチャンス というのに、どうにも日本の外務省の高給取りのセンセェは、おめでたい ボクちゃんのようである。その点アメリカの交渉担当も高度文明出身な自分 の甘さが分かってないようだ。 ・・・僕が拉致被害者家族会ならば、局長の子息を誘●宣言するな。 だって力しかないでしょう?ルールを守る力とは実はなにかを、明瞭に 判らせる必要があるでしょう? ルールは強制力があるから守られるのである。 秋元康のようなクズが自身の儲けのために「ルール違反推奨」の歌詞を若い女に カジュアルに歌わせてタレ流しつづけられるような昨今の日本人にとって、もはや 北朝鮮の外交担当の背後にある決然としたなにかは、分からないのかもしれない。 話がさらにずれるが、だから最近のサッカー日本代表はすばらしい。 10年ぐらい前まで、おぼっちゃんでまじめ・愚直なプレーの日本人選手が 海外選手のイエローカードぎりぎりプレーやわざとらしい転倒に翻弄された 時代に比べて、今は表裏の戦術あわせ海外での猛烈なぶつかりあいに伍していく までにたのもしく成長し、体格・個人技の劣勢がありながらワールドカップ 「出場」まで狙おうとしているのだ。 彼らが海外の選手と死力の限り競い合った経験は、将来政治家になったほうが いいんじゃない?と一時期真剣に考えたほどだ。 (いや、今でもその持論は変わらなかったりしてね。) 2008年8月13日(水曜) (回想・個人記録だな。こりゃ。) 僕が高校生のころ所属していたのは、合唱部だった。 実いえば、小さいころから体力には自身があり、徒競走では大体3番以内だった。 中学生のときの50メートル記録では、帰宅部ながらクラスのトップ3であり 「かとうは馬みたいにはしる」とまで言われたものだ。 サッカーも好きで、休み時間はもっぱらそれだった。だから運動全般、球技は へたくそだったが嫌いでは無かった。でも、美術の時間のほうがもっと好きだった。 はは。 中学のときは音楽・美術と毎週たっぷり?時間があったのだが、高校になって 選択制になってしまった。どちらも好きだったが二者択一を迫られ、授業を美術に 選ぶ替わりに、クラブは音楽系にしようと思った。入学した高校で盛んだったのは 「ブラスバンド部」「ギターアンサンブル部」「合唱部」だった。 そのなかでもっとも活動が盛んで、後で知ったが入学前年はコンクールで全国大会に 出場するほどレベルが高かった合唱部に入ることになった。 体育系の部も本当は入りたかったが、別に身体はうんと頑丈だし、いいじゃん、 と思って入らないことにした。そのころから身長は175センチ以上あったので バスケ部から誘われたし、腕も長かったせいか剣道部にもさそわれた。 自分ではサッカー部か陸上部に入ろうと思っていたが、選択授業のことで音楽系に することにした。それで合唱部だった。 入ったらなかなか上下がきびしく、しかも朝練は腹筋・背筋・1000メートル走、 そのほかに昼練、放課後練と、授業以外に教室にいることは無い日々で、 2時間目が終わると昼休みに備えてお弁当を半分食べる生活だった。 高校でも俊足は有名?らしく、サッカー部やワンダーフォーゲル部の何人かが 体育の時間に挑戦してきたことがあった。でもま、文科系クラブだからまさかと 思う人も多かったらしい。3年で最後の体育祭のとき、当日に欠席したアンカー の代役にするという話が役員間であった。でもそのころは合唱部を引退して 朝練をしてなかったので、出なくてよかったと思う。 たっぷり浪人してようやく大学に入学し、今度も体育会系にするか文科系にするか 考えた。 入学時の勧誘は「社交ダンス部」だったが、勧誘したおねーさんの理由は 「背丈と肩幅がちょうどいいから」だったそうだ。もちろん踊れないので 無理と顔に出ていたらしい。よかったら部室にきてお茶してねと言われた。 その後自分で選んだのは山岳部で、部室に行って話を聞いたのだが、 高校時代の経験がないとダメと言われた。部員も1名ぐらいしかいない ようだった。 あれこれ歩き回った結果、射撃部と新聞部に入った。でも射撃部は活動が あまり活発でなかったので自然と辞めてしまった。 新聞部は当時低迷していたが同時に入部したメンバーが多彩・強力であり、 その後2年、彼らと共に活発な活動を展開し、紙面拡大・内容充実する ことになった。 後輩もたくさん入部して、そのなかのひとり(白木さやか)はテレビ局に 入社してアナウンサーになったそうだ。見ない番組だったので良く知らない のだが。。 僕はスポーツ面担当として知合いの運動部員の後について写真を撮り、 記事を書き、紙面を編成してずいぶん楽しんだものである。 そもそも新聞部に入ろうとおもった理由は、文章がうまくなりたいからであった。 高校までは作文が超苦手で、作文のテストなんて、憂鬱のトップテンであった。 国語の授業のとき、作文でいい点数をもらうクラスメートをみると、きっと 先生にワイロでも贈ってるのだと負け惜しみしたぐらいである。 大学には文芸部もあったが、新聞部のほうが書く量が多いだろうと思ったが、 それはまちがいなかったらしい。大学院時代の文通を経て、とにかく多産に なった。それはこの長尾日記の無駄に多い文字が証明しているはずである。 ただ、情熱かけて取り組んだのはやはり高校の部活だったので、就職したあと もそのときを忘れられず社会人の合唱団に入った。松原混声合唱団という、 高校生のときにあこがれの団体であり、プロのオーケストラと競演が中心の かなり本格的な活動だったが、まぁいろいろあって5年ほど前に無期限休団 になった。 合唱団の活動に失望して休団し、仕事も赤字の責任を取って左遷され、 退屈を日々を持て余していた。 30歳すぎて健康増進のために、いや肥満対策にと、むかしROADMANとかに よく乗っていた記憶からスポーツ自転車が欲しいと思った。でも 当時従兄の雅ちゃんは実業団チーム、オルベア・エチェオンドに入ってしまい、 お店(CWS)を辞めた後だったので「さてどうしよう」と思ってたのだが、 そんなとき、妹がとあるお店を紹介してくれた。 妹はそのむかし等々力のアパートに住んでいたのだが、 「おしゃれなママチャリに乗りたい」 「グリーンでかわいいビアンキの自転車がほしい」 と思って自由が丘の自転車店に行った。上記の1、2年前だろうか。 そこで遭遇したのがそこの店長・大塚さんである。 この大塚さんは日本のトライアスロン界では有名なひとらしくて、現役ではないらしいが 佐渡ヶ島をはじめ各種大会にかかわっている重要な人物らしい。そのひとが店長をやっている お店「ジェロニモ」に入ってしまった妹なのだが、むかし大学のスキー部(大回転)の選手を していたのですぐに「かわいいママチャリ」が「トライアスロンバイク」に変わってしまい、 大塚さんに連れられていくつかの大会に出て、完走めざしてチャレンジするようになった のである。 妹が僕に勧めたお店、それが自由が丘の「ジェロニモ」というお店だったのである。 いわば僕のロードへの道を最初に開いたのが、なんと妹というわけである。 最初は池袋で臨時開催されている展示会に行き、どんな自転車があるか確かめることにした。 僕が行ってみれば、なんと、すでに絶滅したと信じていたサイクリング車(ほんとはスポーツ車) がたくさんあるので狂喜し、予算10万円であれこれ探して、20年前にROADMANのメーカー だった「ブリジストン」のアルミ製でスローピングになる直前のモデル (アンカーRAとかいうやつ?)と、お店系列のモデル(ANTALES201)の2種類が最終候補になり、 妹の推薦もあって後者を選んだのである。 その後は「ジェロニモ店」のロード担当梅林さんの主催する土曜日の練習会に毎週かかさず 参加した。しかも僕はかなり積極的で、小雨で誰もいない集合場所に一人だけ出てきて 梅林さんを困らせたこともある。そして夏すぎ、梅林さんの「沖縄行きません?」 のひとことで「ツールド沖縄」に参加しレースを初体験。あとはもてぎサイクルマラソン、 美ケ原、チャレンジ200など、次々にレース参加し、年々、出るたびに、地の底だった タイムをわずかづつ更新していったのである。 その後梅林さん主催の練習会メンバーで語らって実業団「チームY」を結成したのだが、 すぐにお店とトラブルになった。簡単にいえば、営業に直結しない活動のために店員が毎月 週末に休暇することに対して、店長・会社側からクレームが来て、結局はいざこざが拡大 したのか、実業団は会社から認められず、あっという間に解散となった。憤懣やるかたない 梅林さんは退社し、メンバーは行き所がなくなり、自主自立をめざして「ニコタマサイクル」 になったというわけである。 (だから僕のタンスの奥にはニコタマサイクルとワイのジャージが今でもある。) (そのときのメンバーには、岩倉くんも居た。) ちょうどそのころオーベストは発足2年目であり、3名の選手による少数精鋭の体制から、 門戸開放して大勢でやることに方針転換した時期だった。 僕の中ではいろいろ経緯があり、最終的にオーベストに入ることになった。 そんなわけで今日の自分があるのである。 オーベストに入ったころには仕事も左遷先から復帰していていた。いや、戻ったら 火災現場への突撃の繰り返しとなり、しだいに出張・遠距離通勤が増え、2006年に 滋賀県へ毎週通う生活が始まると同時に新幹線腰痛?になり、どんどん自転車から 遠ざかることになった。 去年はさらに戦況も悪化。帰宅時間が6時間未満(それ以外はすべて通勤か仕事)で 土日無しの生活が長期に続いて、結局冬には休職することとなり (そのまま退職するつもりだった)、あれこれ内部闘争の結果、 今はまったく別の部署に異動した。 今年はここ数年来のよくない黒雲が去った気分で、晴天の下、ひしゃげたかんじで のんびり再出発をしているのである。 家ではよく「人間らしい生活になったね」と言われる。 爆撃後みたいだった自分の部屋は綺麗に片付き、人の住む部屋になった。 これからすこしづつ、やりたいこととやってることの一致が近くなるといいと思っている。 今年はツールド沖縄に出たかったが、いいかげんに出たくないし、準備が見えないので 来年までの目標にすることにした。 今は具体的に思っているのは、冬の修善寺である。 ずいぶん遠いので、その前にJCRCに出てみるかもしれない。 まぁ、なにができるとも思えないのだが。 今日は久々、戦車長とのみだった。 よくあることだが、今日は特別で、実は「引き抜き工作」のためだった。 いろいろしがらみがあるだろう。でもまた引き抜きはする。 かとうは諦めがわるいのだ。 2008年8月10日(日曜) 着替えて玄関に行き、シューズを履く。 ラチェットをカチカチいわせて締める。ブチッ。 ぶちっ?って? プラスティック製の留め具が千切れてしまった。 これじゃ履けないジャン。。。 もう壊れたか。って、買ったのがついこの前のような 気がしたけど。 タイムが販売したシューズなのだが、実際の製造はDMTが やっていた靴である。DMTのフラッシュというのとたぶん ほとんど同じなんじゃないかな? それまで履いていたシマノの足首にせまるガッチリ固定の 靴にくらべて軽快なかんじで、靴底も薄く自分には満足、 いいかんじだった。 お店でBossに交換部品があるかしらべてもらうことに したが、もしもだめだったら新しい靴を考えねばならない。 ふーん。ぜんぜん考えてなかったなぁ。 さいきん物欲が止まって新製品をちっとも調べてなかった。 2008年8月9日(土曜) 着替えて出発。府中街道を走る。 ん?んん? やっぱり力が入らない。ってか、身体というより 頭痛がする。気力が滅入っている。なんだろ? 今週は月曜からずっと仕事も低迷していて、木曜日になんとか がんばって所定のものをつくることができた。無駄に残業ばかり しても結局木曜でカタがついたというお笑いな結果。 思い切ってすぱっと休暇をとればいいのだが、チームのほかのメンバーが つぎつぎと夏ばてだか体調不良で休み、ここ数週間、6名のうち5名が なんらかの理由で1週間を5日出勤していない。僕まで休んでしまう わけにはいかないので、金曜日はドリンク剤を飲む始末なのである。 んー、でも、金曜日の進捗会議で判明したが、すこし僕のものづくりは 順調すぎて、先方の次の要望がまだ固まってないらしい。「夏休みは とらないの?」と聞かれてしまった。はは。 ってことで、来週は木曜・金曜休もう。 木曜日はお昼に多摩区民館で運転講習会(去年駐車違反したからゴールド免許じゃないのだ!) があるし、金曜日は買い物するつもりなのだ。。。たまには都会に行かないと、今みたいに平日は南武線で 川崎市内のローカル駅ばかり往復して、週末は自転車でさらに西の田舎に いく生活をしていると、東京が怖くて渋谷とか行けなくなっちゃうのである。 で、ハナシを戻すと、府中街道を時速22キロから24キロぐらいでのたうって 走り、吐き気を抑えてなんとか是政橋に到着。やっぱどこか悪いぞ。 ってことで、今日はみんなの顔みてすぐ帰るつもりだったが、 シンノスケくんや大谷さんの顔みてるうちに一緒に走りたくなり、 「じゃ、いけるところまで行くか。」 と思い直す。最後尾あたりで出発しようとすると平沢さんがいる。やっぱり がんばらなアカンなと、のろのろ走り出す。 野猿街道でのんびり走っていると段々スピードアップしてきた。 あ、信号が変わっちゃった。 もう1名を残し取り残される。 さらに信号。もうだめだめだなぁ。 今日は野猿峠を上ってヨシとするか。 「この道まっすぐでいいんですか?ボク今日初めてなんですよ」 ガーン。ちぎれたもう1名は初参加だったか。あははは:::: 「えっとですね、しばらくして右折すると、野猿峠になります。 そのあと下りで左にまがるのがわかりにくいですよ。 そのあとはずっとまっすぐで・・・」 話しただけじゃ、絶対わからないな。。。 南野の周回コースまで先導する覚悟になる。 のろのろ這い回って野猿峠を越え、工事中のみなみ野交差点すぎの 坂を越えて、なんとか周回が始まる前に連れて行くことができた。 よかったよかった。 ということで、周回練が始まるとボクは先に帰り、なんとか ウチに帰り着くことができた。ふー。 シャワーを浴びて体重計に載る。 ・・・ダイエットしすぎかなぁ? 冬のMAXより6キロちかく減っている。この1ヶ月と少しで 4、5キロは減ったな。 残業と極度の食事制限で体力はかなり落ちているが、今は仕方がない。 あと10キロ減らしたいのだが、まだまだ遠いな。 2008年8月8日(金曜) 今日も残業。帰宅して今日も エンドレス。 やっぱり日本語は縦書きだね。 2008年8月7日(木曜) 意外や知られていないが、某富士通はCPUを生産している。 CPUとはコンピュータの中心にある頭脳である。 そのCPUの開発・生産については、パソコン市場に限っていえば インテルを中心にアメリカの会社が世界中のシェアを占めている。 技術立国たる日本は、CPUはだめなのか?そうでもない。じつは某社は、 SPARC規格のCPUを生産・販売しているのである。 SPARCってなんだろう? サン・マイクロシステムズという会社を聞いたことがあるだろうか? UNIXというOSが動くサーバ用コンピュータを売っている会社である。 このサンが考案した、RISCという高速コンピュータ向けのCPU規格が SPARCなのである。 で、このSPARC規格のCPUを富士通は作っていて、自社製品の サーバ 「PRIMEPOWER」に搭載して日本・世界に販売している。 さて、CPUって、どうやって作るだろうか? そりゃ設計図がいるだろう。でもどんな設計図? いまどき、どの産業でも設計は電子化されている。。。つまりは コンピュータで設計する。むかしだと製図盤という傾いた机みたいなものに 白い大きな紙を貼り付け、ロットリングという専用のペンで図面を書いたり していたのだが、今はすべてコンピュータを使って、コンピュータの中で 絵を描くのである。 で、この設計用の「お絵かきソフト」というのがあるのだが、これを 一般的に「CAD」と言う。Computer Aided Design (計算機支援設計)の 略語である。 CADというのは設計する対象によって世の中に山ほどある。 建築用CAD、機械設計用CAD、3DCG用CAD、、、、。 そして、CPU設計用CADがある。 わたくしのお仕事は、、、、そういう仕事である。 2008年8月6日(水曜) 早く帰って晩御飯を食べ、自転車の整備。 BB付近から異音がする。あれこれ調べたがわからなかった。 2008年8月5日(火曜) 昨夜は早く帰ったが晩ごはん食べたら睡魔に襲われそのまま寝てしまった。 おかげで今日は6時前に目が覚めた。よし、ひさびさの朝練でもするか。 着替えて走り出す。ねっちょり湿度のぬるま湯は、朝の爽快感ゼロ。 にゅろーっと坂をくだる。ギアがカチカチいう。調整不足だな。 府中街道を北進するが、、、スピードがあがらない。みなさんの坂道みたいな 速度で路肩を走る。のろのろ。のろのろ。ママチャリに並走されそうだぞ? 小田急の陸橋は止まらないようにがんばり、そのあと矢野口で考える。 今日は連光寺坂?尾根幹? ・・・・めずらしく多摩サイへ行くことにする。朝の多摩サイは冬以来かなー? さいきんロードが流行っているって言うから、きっといろんなチームジャージとか、 気合い入ったチャレンジャーと、たくさんすれ違うんだろうなー・・・僕なんか・・・ 是政橋でUターンしたが、ロードには1台も合わなかった。 帰りも這うようなスピードで走る。今日のMAXは陸橋下りの33km/hぐらいかな。 いや、長尾坂くだりの40km/hだったり? ウチに帰ってシャワーを浴びて会社に行く。 もうれつに眠い。昼飯前なのに意識がもうろうとしている。 これは違う、例のやつだ。あれ、テロ。のんでるお茶に毒物が入ってて 眠気を誘発するのだ。くそぉ、○○派の工作員め!○○半○の回し者め! う、くっ、くるしぃぃ、ま、まぶ、まぶたが、、とじ、閉じてしまう、、 あぁ、昼ごはん目前だというの、、に、、、ぁぁ (その後、昼ごはんを食べて午後からどんな状態だったかは明白であろう) (よだれで東プレのキーボードを汚さなかっただけ良かったというべきか?) 冬から半年が経った。MAX82.5kg、瞬間的に83kgオーバーした体重もようやく 80キロ未満をキープできるようになった。最初は試行錯誤とリバウンドだったが、 6月下旬ごろから試している方法は減量として「アタリ」らしい。このまま継続する つもりだが、それでも3ヶ月先の沖縄はビジョンが持てない。 毎年チャレンジしていたから今年もそのつもりだったが、よくよく考えて、 なにができるか、なにを目指すか、分からなくなっている。そういう気持ちで 出るのは嫌だし、さてどうしよう。 特に昨日は一日ウツ気分だったので申し込みもせず(しごともせず)ぼーっとして いたら、すでに一部のクラスは締め切ったそうだ。 ・・・・今年もパス? 今がボトムと信じたいものだ。 2008年8月4日(月曜) 今日は、ウツ気分である。 なんでだか、さっぱり分からない。 重量減については、冬からマイナス4キロの状態である。 1年ちょっとのストレスで増えた約8キロの、半分ぐらい まで戻ったかんじだ。 でも、その昔も5キロは余裕で余分だったから、まだまだ 減らせる、減らすべきだろう。さいきんはそれしかテーマが ない。今はそれだけしか気力が湧かない。 にしても今日は気力が下向きだ。うつ気分の影響か、ツールド沖縄に 申し込む気力が湧かない。金曜から受け付けているはずで、 ぼっとしていると終わりかねないのだが、アクションできない。 なぜだろう? もしかすると、知らずのうちに合宿は気力を多く使っていたのだろうか。 いちおう幹事は1名助力をお願いしたのだが、頼むのが上手くなかった。 ほとんど自分でやってしまった。 仕事じゃなくて有志だと、つい頼みづらく感じるのかもしれない。 仕事だと、暇させるほうが悪だと思えるのだが。 もうひとつ沖縄の申し込みをしようとしていない理由は、ビジョンが みえないからかもしれない。 あの普久川ダムでどうすれば僕みたいなどんくさいのが登れるのだろう。 その具体的なイメージと、そこまでの「日常生活」がみえない。 ・・・昨日の渋滞疲れ?もあって、よけいにしんどくなっているのかもしれない。 今日、ひさびさに戦車長と飲む約束だったが、それも延期してもらった。 気力もそうだが、胃も妙だ。まるで脂身だらけの焼肉をたべた後のような かんじである。 なぜだろう? 今日はウツ気分である。でも、長尾日記をかいていて気力だけ湧いてきた。 -- -- -- 合宿2日目の最後、白樺湖からの帰り道は、僕はハイエースを出して やばそうなオジサン3人組を回収しようと思った。 コンビニ地点に到着してようすをみたが、だれも「乗せてください」 とは言わない。あれ?やる気?元気? スタートしてすぐに3名は大幅に遅れる。ところどころクルマを先行させて 路肩で待つのだが、やはり「乗せてください」とは言わない。ほう。 でも集団との差は決定的で時間猶予がなくなってきた。 よし、強制回収ポイントは、見通しの良い坂の途中だな。 後部ドアを空けて3名が登ってくるのを待つ。これは「罠」である。 暑さのなかで、長いまっすぐな上り坂をみて心が萎えた2名(松崎さん市山さん)は あっさり加藤の甘い罠に乗って降りた。説得する必要無し。はは。 もう1名(長谷さん)も回収しようとおもったが、、、なんと気丈にがんばる。 甘い罠にはのらない。おお?すごいぞ。道の駅まで行くと決めたらしい。 気力ってのは、やっぱり何者にも勝るのだなぁ。。。うんうん。 彼らのすこし前方をだらだら走っているケンジの 「回収、まだぁ〜?えー?まだ〜?」「まだぁ〜回収、まだぁ〜」連呼 よりはずっとオーベスト魂を感じた。 さて道の駅で長谷さんを回収して合計3名で出発しようと思うと 「ケンジも載せるそうですよ」とのこと。そうか、もうしんどいのか。 しょうがないな。中学生はからだが弱いのか。 自転車を積み込み後部座席はケンジ含め3人で出発する。 道の駅から宿まで15キロの長い長い坂をクルマで登る。かなりきつく見える 坂だな。。。暑さと路肩のせまさは、気合いが要るだろう。 ん?はるか前方にオベジャージ。未回収の末尾だな。だれだろう?おお!平沢さんだ。 こ、このひとは、回収しちゃいけない。加藤の助けなど無用なひとだ。 完走させないほうが却って悪いのだ。このひとの気力のままにするのである。 しばらく行くと、今日一日迷子だったらしいポールさんががしがし登ってる。 いちおう大丈夫そうだな。これも心配無用。 その後はみんなバラバラに坂へしがみついて気力を立ちのぼらせて登っている。 県道17号からすでにオーバーヒートしていて水をかけてあげた成毛くんも、 この坂を黙々と登ってるではないか!松崎さんに用意してもらっていた水を、 もう1本渡す。まだまだやる気だ。 みんなすばらしいなぁと思う。そう思っていると、ふと後ろから声がする。 クーラーのきいたクルマの後部座席から窓をあけて大沢くんたちに 「がんばってねー」「そこでアウターいれろ!」とか騒いでいる中学生がいる。 「!!!」 「ケンジ。元気そうだね。」 「ケンジ、つぎ、降ろすよ。」 しばらくして路肩に空きスペースがあったのでケンジを強制降車。 (のこり10キロないから大丈夫だろう) うしろにはケンジカーのサポートもあるし、放置しておいてもいいだろう。 元気な中学生を、このまま50前後のおじさんと同様のあつかいを するわけには教育上いかないのだ。 しかも登ってるチームメートに野次とばすアホは悪気があろうと無かろうと わたしのハイエースに載せるわけにはいかないのである。 言葉と裏腹にちゃんと登るケンジ。よしよし。 もしもこのまま宿までクルマに乗ってる姿をBossがみたらなんて言われると 思うのだ?あと9キロしっかり走りなさい。 今日、ケンジはちっとだけがんばった。 うちの妹が2日目も激タレでサイクリング班からものすごーく遅れたのだが、 最後の5キロぐらいだけ先頭付近から戻ってきて並走し「いちおう面倒みる形」に なったのだ。だから進歩がないわけでもないのだ。 「かとーさん、ずっとめんどうみてたいへんですねー」 「ケンジ、初心者班を担当するっていうのは、こういうことだよ。」 と言い返したら、珍しく黙った。 分かったのか、あるいは「分からなかったのか」。 どちらかだろう。 合宿を通して彼をよくよく見るに、たしかにふつうの子供(ガキ)っぽく見えて その点はきっと大分よくなったということなのだろう。でも、選手とか、なにかを 目指すとか、そういうのは、可能性も見えなかった。 それはきっと、今時点では大人のなかに自分の居場所が出来てほっとしている状態で、 「今がある」状態で休んでいるのかもしれない。 それでいいのかもしれない。 でも、「ここちよい今」以外の、遠い価値が見えなければ、競輪学校云々とか、 芸能プロダクション云々とかいう目標は、少年の日々のかざりのようなもの にすぎない話だ。 でも、それでいいのかもしれない。今はそれ以上変わらなくてもいいのかもしれない。 変わることのできる人は、変わりたいと思う人だけで、 それはここちよい今の正反対なはずなのである。 そして、、、ケンジがオジサン集団に飽きる日が来てほしいような、、、 ふとそんな気になった。 2日間のそれなりに、そのひとなりに苦しい内容の合宿を通してみると、 メンバーのひととなりが少し見えた気がする。 直接あれこれ手をだせる子、そうでないほうがいい子、意外と気丈なおじさん達、 不思議なパワーバランスの空間(僕には分からない)とか。 ・・・・・ ふと感慨にふけっていたら、自分のうつの理由のひとつが分かった。 でも残念ながらその理由は秘密である。 (こころの毒である。百日治療である。) 2008年8月3日(日曜) 合宿は、、いろいろあったが、事故なく?怪我なく、 なんとかなった。ただ、ケンジカーだけが、残念だ。 これは幹事としてできるだけの気持ちをやらないと。 いろいろありすぎて、今日はまとめない。 ウチにたどり着き、合宿片付けをして、シャワーにかかって汗と塩でべとべとな身体を きれいにして、クーラーの効いた部屋で、録画をみる。 「ヤスコとケンジ」 今いちばん見たくて待ち遠しい番組だ。 夢みたものは 作詞:立原道造 作曲:木下牧子 夢見たものは ひとつの幸福 ねがつたものは ひとつの愛 山なみのあちらにも しづかな村がある 明るい日曜日の 青い空がある 日傘をさした 田舎の娘らが 着かざつて 唄をうたつてゐる 大きなまるい輪をかいて 田舎の娘らが 踊ををどつてゐる 告げて うたつてゐるのは 青い翼の一羽の 小鳥 低い枝で うたつてゐる 夢みたものは ひとつの愛 ねがつたものは ひとつの幸福 それらはすべてここに ある と ・・・。 僕の本当に好きなのは、 三善晃作曲、「私が歌う理由(わけ)」 MIDI 私が歌う理由(わけ)は 一匹の子猫 ※1 ずぶぬれでしんでゆく 一匹の子猫 (※1 繰り返し) 私が歌う理由(わけ)は 一本のケヤキ 根を絶たれ枯れてゆく 一本の、一本のケヤキ 私が歌う理由(わけ)は ひとりのこども 目を開きたちすくむ ひとりの、ひとりの、たちすくむこども ひとりのこども こども、、、 私が歌う理由(わけ)は ひとりの男 目をそむけ うずくまる 目をそむけ うずくまる 私が歌う訳は ひとりの男 目をそむけうずくまる ひとりの、ひとりの、ひとりの・・・ひとりの、、、 私が歌う訳は 一滴のなみだ 私が歌う訳は 一滴のなみだ くやしさと いらだちと くやしさと いらだち、いらだちと・・・ 一滴の涙 一滴の・・・ 2008年8月1日(金曜) ここのところ集中して仕事がんばったので、 今日の締め切りのプログラムは、自分の担当部分はOKで、 ほかのひとの部分もなんとか間に合わせを作ってとりあえず 動くようにした。ってことで、今日は定時の鐘と同時にダッシュで 帰った。 明日から合宿か。 準備はやるだけやった。でも心配事がないわけではない。 でもまー、考えてもしょうがない。あとは楽しもう。 和田さんに怒られたが、やりすぎると、みんな当然として要求 しだすから、それはイカンのである。沖縄は、みんな自前で なんとかしてください。飲み会だけセッティング! っちうハナシで、Bossと大体進んでたりして。 そろそろ飛行機とホテル取らないと。。。あははは。 |