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2009年1月の長尾日記

2009年1月30日(土曜日)
ウツにつきひきこもり中。




2009年1月29日(金曜日)
麻生総理が経団連を引き連れて韓国にいった理由、
うわさどおりなら、、、

その正当な評価は30年後かな。


今日は、ここ何ヶ月か仕事でとりくんでいるプログラムが ようやく1本背骨が通った。ちっとうれしい。
そしたら俄然やる気がでてきて、枝葉の肉付けもどんどん やりたくなる。いやはや。
腰痛はよくなったり悪くなったりだが、風邪はもうよくなった。 今年の風邪はじつにしつこいが、諦めて無理しない程度に 日常を心がけたほうがよいみたいだった。


2009年1月28日(水曜日)
今日は11時すぎまで残業した。
これは体調がよろしくなった証拠だ。
仕事も楽しい。自転車通勤も楽しい。遅いけど、楽しい。
腰痛もよくなった。

ドミノのように、年末から身体がおかしくなったが、
ひとつひとつ、なんとかクリアすることができた。
現状、マリアナ海溝の底ではある。
潜航艇の故障は最低限のレベルだが、治った。
みんなのいる水面のところへ戻るには長い長い旅路が必要だが、
とりあえずブロー(注気)して、少しでも浮上しよう。


・・・今の心配は、、、
糸魚川、走れるか、だな。



2009年1月27日(火曜日)
たくさん仕事した。
ジテツーした。
腰痛がしんどくて頭痛するので階段商工はお休み。




2009年1月26日(月曜日)
体調不良のひとつの原因がわかった。

年末から、インフルエンザ、風邪と続き、最近は腰痛まで出て、 腰痛の悪化で頭痛に発展する始末。「もう人生嫌っ」ってかんじで 病院へ行って血液検査したら肝臓の値が正常値を越えていた。

僕はもともと高脂血症の体質だが、肝臓が悪い値は初めてである。 春の健康診断、夏の献血、冬の献血、肝臓の値なんていちども わるくなったことがなかったのに、生まれて初めてである。


1月中旬、風邪がなかなか治らないので、頭にきてたくさん食べて たくさん寝て治そうとして脂肪肝になったのかもしれないし、 (去年のダイエット分がふっとんだ)、あるいは年末の飲み会で 二日酔いが3日続いたことがあったが、そのときなにか肝臓の 感染症になったのかもしれない。
もはやなにが原因でなにが結果か分からないが、いま現在、 どうにも体調がならないのは肝臓が異常ってことだけは、 確かなわけである。

肝臓かぁー。
きながに治そう。薬で治す器官じゃないそうだ。
養生と適度な運動のみである。
やっぱローラー台かな。



2009年1月26日(月曜日)
病院へ行った。あれこれ調べてもらい、1時間後に血液検査の 結果を聞きに行ったら、肝臓がわるいとのこと。
結果か原因かわからんけど、いま肝臓がわるいのは分かった。
それが体調不良の正体だ。
治療は養生のみとのこと。
白血病とか(なぜ?)大腸癌とか(まさかぁ)気にしていたみたいだが、 僕自身は腰痛が内臓由来じゃなさそうなのが分かってちっと良かった。 血液検査の結果後、先生とはなしたが、年末の飲み会以降、体調が悪い かもと言ったら、中毒かもと言われた。まさか。。。

来週までもうひとつ検査して、月曜また診察だ。それまで元気になれば いいけどってことだ。

今日は会談将校は16階のみだ。
午前中はずっと会議だったから仕方が無い。

帰りの電車で、ばったり前田さんに会った。もと部署の、とっても 仲の良かったセンパイだ。マスクしていて風邪らしい。
「咳がでますよね」
「ええ、熱は微熱ですよね。」
「ええええ。長いですよね。」
「ええ。加藤さんもそうなの?」
「ええ、インフルエンザのあとやりました。僕は流行の最先端です。」

マヌケな会話だな。あはははは。


2009年1月25日(日曜日)
ひさしぶりにローラー台に乗った。乗れた。
うれしくて30分やったが、いちおう30分で休憩した。



2009年1月24日(土曜日)
ひきこもりである。



2009年1月24日(金曜日)
ついつい残業した。



2009年1月22日(木曜日)
ユンケルを飲んだ。効きそうな味がしたが、、、はて?
とりあえず睡眠をとろう。といいつつ、遅くまで残業してしまった。



2009年1月21日(水曜日)
朝からゼナF0-Iという健康ドリンクを飲んだ。
飲んだ瞬間だけ、元気になった。
微量なアルコールとカフェインのせいだろう。

昼は食堂のメニュー、黒ゴマラーメンを食べた。
なにかちがう味がする。。。中華食材の乾しエビを使っている。
だから他のダシの味が分からないのか。ちょっと素人っぽいな。
(そこが社員食堂らしいところか。)

今日は16階を1回だけだった。
しごとも全然進まなかった。
ダメな日である。

夜はワインを飲んだ。
あしたは頑張ろう。
ノートPCは直らない。
とりあえずメールは会社に転送してるので読み書きは出来るので 不便はないのだが。
修理に出さないのは、だす気力が・・・

長尾日記は書き溜めているが、ノートPCが壊れているので アップできない。いまこれは別の方法で更新している。 なんぎだ・・・



2009年1月20日(火曜日)その2
ことしの風邪は、重篤にならないが、うすーくしんどくて、 そして長い。とっても長い。
今日も「顔赤いし、もう残業しないで帰ったら?」
と言われたが、自覚症状にとぼしいし、休んでも直らないから 仕事すると答えた。

そんな毎日である。

健康はボロボロだが、今週から身体を動かし出している。
今日も仕事のあいまに、階段と戯れる。
それさえ出来なかった先週は、ほんとに惨めでウツで、日記さえ書けなかった。
今日は合計72階だが、じゅうぶん満足している。

次は、ローラー台だ。
寒風ふきすさぶ、おそとはダメだ。まだ。
部屋はもう片付けた。

・・・なんだかマリアナ海溝からの浮上みたいだな。。



2009年1月20日(火曜日)
忘れるということは、よいことだ。
でも、無理に忘れようとするのは、わるいことだ。

似ているようで、違う。とてもちがうことだ。

ふとしたときに、思い出す。思い出したくないことを、思い出す。 思い出して、それを今まで忘れていたことと、そしてもう思い出して しまったことに気がつく。

思い出すのも、忘れるのも、理由がある。
こころに理由のないことなどないはずだ。

思い出したくないことを繰り返し思い出す。それは紛れもない自分の過去であり、 嬉しくなくとも今の自分を作っている材料である。しかたがないのだが、それが 自分であり、自分を消してなにか別のものになることはできないのだ。

ひとはわすれることがある。とても大事だったものも、自然とわすれることがある。 それはたぶん、ほんとうは忘れていないが、形を変えて、おのれの血肉になって埋没し すでに意識に出てくる必要のなくなったものたちである。

そんなときこそ、忘れて次の、新しい自分、でも新しいわけでなく、 それは自分の糧のなっているはず、その自分に生まれ変わるのである。

無理して忘れる必要はない。
悔しいきもちも、にくたらしい気持ちも、きっと覚えているならば意味がある。 忘れてしまったときは、それでいい。覚えていることは、いいことだ。
思い出すことも、いいことだ。

科学が進んで人生が長くなるのならば、時間はある。無理して次へ急ぐ必要はない。

まぁ僕はのんびりしすぎた人間なのだが。




2009年1月19日(月曜日)
今日ちっとだけビックリしたこと2点。

同期のナガシマくんからメールがあって、2月からアメリカとのこと。
かっこいいー!エリートっぽーい!ぼくなんか I can't speak English HaHaha! そういえばウチの会社の別の事業部では海外の仕事を模索していて、 すでに尖兵が1名渡米したって聞いたけど、複数人で展開するんだ。ほぇー。 ということで、まっちゃんと3人で壮行会をやらなくちゃ。
浜松うなぎ温泉ツアーかな?

母親からケータイにメールがあって「ローン会社からハガキ連絡で、 今日中に口座に引き落とし額を用意せよとのこと。」なにかと思ったら 新車の頭金の話だった。なーんだ。ってか忘れてた。

いや、それはびっくりしなかったけど、お金を口座間で移動して 引き落としにそなえたあと、ぶじOKのメールを送り返したら母親から 返事が帰ってきた。文面は「安心した」とのひとことだったが、 その文末にキャラ文字でキラキラマークが付いていた! これにはビックリしたっ!

・・・兄貴の嫁さんの影響かっ?
うーむ。すばらしい。
我が家に新風を招きいれた珠菜さんに、加藤黒鉄十字勲章を授与するものであるっ!



2009年1月15日(木曜日)
今日のひるは、カフェテリア方式の食堂へ行った。
メニューにカレーピラフがある。うん、今日はこれとサラダバーにしよう。 カレーピラフの列に並んだが、目の前の人がお盆にグラタンを 載せていることに気がついた。

「カレーピラフにグラタンか。魅力的だな。ちと高カロリーかな?」

しばらく真剣に悩んで悩んだ末、僕も真似することにした。 満足気にレジを通してから座席に付く。向かいのセンパイが言う。
「ごはんがダブルだね」
「へっ?」
よく見ると、グラタン皿、チーズとホワイトソースの下から サフランライスがちょびっと見えているではないか。 ああっ、グラタンではなく、ドリアだったのだ。
どりゃーっ!

・・・・

どうりで機械レジが「ぴっ」と言ったときに「きみは全部で1300kcalだね。」
と僕に返事をしたはずだ。
うふふふふ。ごはんがダブル、ごはんがダブル、ごはんがダブルうぅ!

とうぜん嬉しそうにカレーピラフとドリアを食べたのである。
病後の体重はヒミツである。もうタイヘンである。

(毒素30%へ改善中・・・)


2009年1月14日(水曜日)
昨日病院へ行って風邪薬をもらったので、だいぶ良い。
でも用心のため、今日も電車通勤。ちと残念。


2009年1月13日(火曜日)その2
 なんでもデキル、というのは、なんにも出来ないと同じことである。

 ただし、10代、若い人は、そういうことは知らなくて良いと思う。


今日、センパイにデータベースを使ったプログラム開発の相談を 受けたときに自分が言った言葉なのであるが、ちと反芻してみよう。 この問題を、前向きに考えてみよう。

簡単にいえば、なんでもできちゃう自由度の高さというのは、 制約がない、ということなので複雑性を上げることができない。 複雑性をあげるということは、特化するということで、特化すれば 条件というものが必要になり、そのぶん制約が増える。つまりは 「なんでもできるわけじゃない」ということになる。
だから、なんでもできる、というのは、なんにも出来ないと同じである、 という禅問答みたいな解答になるのである。

別に哲学的な発見ではない。
これは経験から生まれた主張である。
でも、こういうオッサンくさい境地はいやだ。
ということで、わたし風に再構成してみよう。
それなら10代の加藤クンも満足してくれるはずだ。


なんでもデキル=なんにも出来ない、というのは、たしかにそうかもしれない。 でも人間について考えてみよう。
なんでもデキル人というのは、そのままでは何をするにも準備が無い、 ということではないだろうか。

つまり、なんでもデキルひとがなにかをするときは、その何か目標のために 自分の出来る才能のうち、どれかだけを研き直して、現時点で目標とする なにかのために自分を特化する、再構成する、という行為を経て、そのなにかが 本当に出来るようになるのである。
つまり、なんでもデキル人は、ほんとうになんでもデキルのである。 そのためには、それ相応の準備は必要だし、その準備をしている間は、 その専門家になるので、そのときは別のことが不得手になる、だから やっぱりなんでも出来るというわけではなくて、、、ああん。こりゃ わかりにくいぞ。

ともかく、人間はそれぐらい可塑性のある素晴らしい存在、のはずだ。 なんでもデキルのは、なんにも出来ないと等しい。たしかにそうだ。 特にモノ、機械ならばそれは決定的だ。でも、人の場合は多少都合が ちがう、そういうことだ。

なぬ?わかりにくいことはなかったよ。
世の中のもっとも優れた機械、コンピュータは、なんでもデキル魔法の箱だが、 コンピュータだけではなんにも出来ない。人がアプリケーションプログラム という特別に作った「しくみ」を取り付けて実行することで、特別なことが できるというわけである。
すばらしい。情報機械。であるな。

今の世の中のコンピュータはノイマンとかいうアホな数学者が数十年前に 考えた、いけすかない、ゆうずうの効かない、理屈っぽい算数の機械である。 人間はまったく違うアーキテクチャ(設計方針とでも言おうか。)で 出来ている、自由度と可塑性と、そして不正確さをもった生まれのちがう 情報処理機械である。

さて。どうも好きな領域に話がながれるが、もういちど言おう。 なんでもデキルということは、なんにも出来ないことと同義である。 でも、人は自ら適応する力によって、なんでも出来るようにもなりうる、 ということである。準備期間というものがあればだが。

ついでにもう1本。
1つは全てに通じ、全ては1つに通じる、というような意味の言葉を むかし聞いた覚えがある。至言だ。

どんな専門であれ、どんな領域であれ、ほんとうになにかを突き詰めた人は、 =いや、進行形で表現しよう=ほんとうになにかを突き詰めつつある人は、 かならずある種の領域にゆくのである。そしてそれは自然と己の拘る一点を 離れ、ひろく、おおきく、ヨノナカのことわりが見えるようになるのである。

そういう世界は楽しいと思う。

わたしは自己否定を覆せないが。

精神的クライシスはここに書けない。伝染性の強い毒素だからだ。
そしてそれが解決できれば、それをそこはかとなくここに書くだろう。 私は実践系なのである。(それは研究を辞めた言い訳である。あはははは。)



2009年1月13日(火曜日)
さいきん体調不良を理由にごろごろしていたら、身体のバランスが 崩れて腰痛になってしまった。。。なんぎな身体だな。もともと 偏った強化を偏った時期にがんばったり休んだりしたから、 こうもひどい状態になるのだろう。

病は気から、という。ほんとうに今日このごろそう思う。 僕の場合は、なにかがしんどいとかそういうことでなくて、 日々の重石がなくなったせいのような気がする。

仕事は楽なわけではないが、ストレスがかなり低い。 今あるわずかなストレスも、ほかでもない自分自身が勝手に 生み出しているものなのだ。これは後遺症だからしょうがない。 もうプロジェクトが変わって10ヶ月以上経つのだが、いまだに 抜けきってないのだろう。むしろ毒の逆流で、負荷が軽すぎて さまざまなバランスが悪い。心理的にもたいへん悪い。 それは長尾日記が不健康なことをみれば両全である。

身体はこの3年ですっかりダメになった。いや、そうなることは もう、滋賀県へ新幹線通いをするころから、うすうす分かっていた。 「この生活ではせっかく30歳すぎて作り上げたささやかなモノさえ ぶちこわしになる」。
だからあんなにも仕事がストレスだったのだ。

一昨年、その下り坂を止めるため奮闘したが、逆に仕事はさらに 激化した。死んだ。
去年は仕事が変わって余裕ができた。が、結局再起はできなかった。 でも5月に、糸魚川を100位以下で走れたので、ぼくにしちゃ 終わってない証はあったのが救いである。

この年末年始のインフルエンザは実にタイミング悪かった。
これは自己体調管理のまったくできてないワタクシへの教育的指導 ということだと考えよう。すくなくとも敬愛する野村弘樹投手は 自主トレ含めて10代の新人投手のころから一人でしっかり出来て いたという。僕も同じ誕生日の人間として、あまりアホウな真似は つつしんで、身体も小さな日々の注意と積み重ねが大事なのだと 反省しよう。威勢がいいのだけが体力強化ではないのである。

でも、今思い起こすと、僕が若くなくスポーツに目覚めたのは いくつもの幸運があったと思う。出会いみたいなものだ。
妹の薦めでロードレーサーを買い、お店の梅林さんに練習会と ツールド沖縄に誘われ、練習仲間にニコタマの面々に恵まれ、 だからまるでやったことのない世界に夢をもって走ることが できたのだ。
そしてうまいことにそれはオーベストへとつながり、じつに長いこと 僕の夢は続いたのだ。

6年前、「老齢巨人軍」状態の某合唱団に見切りをつけ、仕事も左遷され、 そんな精神的危機的状態こそ素晴らしい道が開けた。だからいまだに 僕がこんな状態でもあきらめないのだし、オーベストで挑戦する 若くないオッサン連中を励まし、サポートしたがるのも、そんな 自分の幸せを感じているからなのだ。
僕は今まで走っていて結果がでたことなんて、ただの一度もないが、 それでもなにかを信じて取り組むこと、なにより自分を信じることが いちばん大事なのだと、改めて思うのである。

・・・こう書けば、実はキョーレツな自己否定で、すでにひきこもり 一歩手前の僕も、すこしは活路が開けるだろうか。うははははは。
(自分の日記を書けるだけ改善した?プラスのベクトル?)


あ。。。
もしかして、
ひきこもりの精神構造の一例がわかったような気がする。
ははーん。。。。
(ころんでもタダでは起きないぞ。)
ふふーん。


つまり解説すると、「ひきこもり」の心理とは、どのような陥穽 (かんせい、と読む。日常会話でなく本で使われる用語である) だろうか。

よくある例は子供、とくに思春期かそれを過ぎた子供以上、おとな未満 (含むおとな)であろうと思う。小学生はひきこもりといわずに不登校 だと思うのだが。ちがうのか?

さてこのひきこもり、なぜ発生するのだろう。
ひとのつきあいの問題か?社会の不適合か?ネットやゲームや、その他、 自分のいごこちのよい世界への逃避か?

まぁそれもあるだろう。いやそれ以上に大きな理由になりうるものとして、 社会における自己の存在の否定、あるいは肯定的建設的な思考の欠如に あるのではないか。

自分がいなくても世の中だいじょうぶ。
自分がなにかする理由がない。
なにか社会で光るようなことをなしえる自信がない。

もしも自分を信じているなら、困難があっても社会への挑戦はあきらめないはずだ。 ひきこもりというのは、コミュニティに出たくても出られないのではなく、 コミュニティと自分が疎遠に思える、おたがい必要と認めなくなる。 それは自己否定だからだ。

なぬ体験談を語るなよって?
いやー、ダブル成人式を迎えても、世の中気がつくこと、 目がみえるようになることはあるんだねー。うほほほほ。 ぼくって賢い〜!あはははは。

僕は絶対にひきこもりにならないと思っていたが、その陥穽 (おぼえてね。かんせい。)は、誰にでもどこにでもあるのだ。

んー、またひとつ、便利な男になったぞ?
僕も少しはがんばって大人にならないと、 ケンジに笑われてしまうのである。


2009年1月12日(月曜日)
週刊長尾日記・・・あほかいな。

月曜、火曜と出勤したが、どうも体調がわるい。
インフルエンザの高熱のあと、2日休んでからの出勤だから問題ないはずだが、 その後、咳が止まらない。そういう病気がいま流行っているのだろうか。

むろん僕の常で身体動かさないでいるとどんどんウツ状態になり、それが スパイラルになってひきこもりになりそうである。

月曜、火曜は仕事の都合で出たが、水曜、木曜と会社を休んだ。 金曜午後から出勤したが、みんなから
「歩き方が違う」
「顔色が悪い」
「なんで休まなかったの」

と散々な指摘にあう。いや、自覚症状はないんだけど。
3連休もぼんやり過ごす。危険だなぁ。

そういうときは部屋を片付けて、音楽を聴いて、そして軽い運動から始めるか。



2009年1月6日(火曜日)
メールが壊れてるので書いても無駄だが、
今日は出勤したものの、体力が湧いてこないので 低調に作業が推移するかとおもいきや、なんと 懸案だった某プロトタイプ作成を1日でメドが経ってしまった。 あはははははは。やればデキル子!あはははははは。

ということで既に15時過ぎに帰りたくてしょうがなくなる。 体調わるいし、やることやっちゃったし、ウチ帰って 大岡越前でも観ようかな(ウソ)。

しょうがないから、ここはいっぱつ、沖縄でも行ってみるか? 沖縄行って、エラブウナギでも食べれば元気になるかな?

...インフルエンザとは体力を使うのだろうか。

いまだにパワーが沸き上がってこない。もう熱が下がって 4日ぐらいは経っているのだが、身体のエネルギーが枯渇 しているようなかんじである。
おまけに外は寒く、からだがしんどい。お酒も飲む気に なれないほどだ。

こういうときは、松坂牛のステーキとか、特上うな重とか 食べれば治るようなきがする。うん。そんな気がしてきた。

うなぎうなぎうなぎ、うなぎーをーたべーると
からだからだからだ、からだーがーよくーなる




2009年1月5日(月曜日)
ひさびさ出勤。
ちっとつかれた。

お昼は、きんちゃん、まっちゃんの3名で外へ食べに行く。

午後からは中原。自席で、眠くてぼーっとしていたら、上から 小松課長が降りてきた。
寝ぼけている顔を見られた。あはははは。

今日は移動が多く、体力の復調もまだなので電車通勤&マスクだった。



2009年1月4日(日曜日)
徒歩で隣町の本屋さんまで。

長尾小学校を通り過ぎ、東名高速の橋を越えて、ヒミツの激坂、 長尾台最大級の傾斜をあるいて下る。砂利があったらすべりそう なぐらい。コワイな。

坂を下りきり、バス通りに出る。
歩道をあるいて書店へ入る。

お目当ての本、雑誌の別冊は1冊も無かった。正月の嵐の後なのだろうか。
まにあわせに、園芸の本を買った。
意外といいのだ。疲れがとれる。緑の本はね。
果樹の本はおいしそうで、カラフルで、特に良い。観てるだけでハッピーになれる。

書店を出る。徒歩でウチに帰る。バス通りから曲がって、高根森林公園の 正門から入り、なかをつきすすむ。

冬の山の景色。枝だけの雑木林。
高い空に飛行機の音が響く。
のどかだな。

ことしはきっといいことがあるはず。
森林公園北口を出ると、いつもの霊園練の帰り道になる。
のんびりウチまで歩いて帰えろう。



2009年1月3日(土曜日)
体調は戻ったようだ。体重もたぶん戻った(と思う。病気前の重さに)。
明日からは身体を動かそうと思う。無理してまた病気にならないよう、 常識的に行こう???よくわからないけど。

####
そうそう、ノートパソコンは大晦日の午後に故障してしまった。 ベッドのなかで倒したり、ひっくりがえしたりしていたせいだろうか? 電源いれてもブルーバックなので、ハードエラーのようだ。メールは 読めませんです。ハイ。
####

今日は夜ご飯のあと、テレビでNHKニューイヤーオペラコンサートを観た。 日本人のソリストがたくさん出ていたが、、むかしに比べて、とても 上手くなっていた。
昔は、ヨーロッパのオペラ歌手と日本の歌手と比べると、大人と子供ぐらい違った。 でもいまはヨーロッパにわざわざ行かなくてもいいじゃん?と思えちゃうほどであった。 でも、そんな彼らは多くが海外で活躍しているからやっぱりヨーロッパにいかないと イイのは聞けないんだろうけどね。。。

若手の女性歌手は、かなりレベルが高い。もう佐藤しのぶというビッグネーム 1つって世界は昔なのだ。とても楽しくなった。
男性はベテランもなかなか充実して、聴き応えがあった。そのなかでひとり、 福井敬、、、福井敬さんの名前があった。 1年、いやそれ以上聞いていない僕は、不安に出番を待ったが、 開口一番、やられたーと唸ってしまった。このひとの、青空に旗を、花火を ぶち上げるような声に、ああ、変わらないなァと感嘆してしまった。

福井さんは特別な思い入れがある。なにせ、某所で繰り返し繰り返し 「市民の誓い」をしたのだ。 RIENZI 1幕、4幕など。

今年は元日が病人だったから正月気分のない正月だとおもったが、 そんなことはない、日ごろの行いを上回る良いお正月だった。


2009年はツケ払いなのかな?


2009年1月2日(金曜日)
深夜に目が覚めたら、平熱に戻っていた。そのあと微熱と平熱を往復したが、 もう回復したということにして、座敷牢をでることを決意。ひさしぶりに ベッドから出た。

午前中は、数日ぶりに家のそとに出る。
徒歩ですぐの長尾神社へお参りにいった。

初夢は、とてもいい夢だったようなきがする。
それが返事のようだ。



2009年1月1日(木曜日)
あけましておめでとうございます。

明け方、もう熱がさがっているだろうと期待を込めて検温したが、 38度だった。
初日の出はベッドの中で見た。
いちにち自分の部屋の座敷牢ですごした。
午後から又発熱。でも39度を越えることはなく、鎮痛剤も 大晦日から飲んでいない。
だいぶ楽にはなったのだが。
明日には下がってくれるだろう。下がらなければ、ほんとうに病院行きだ。

結局、元日は38度と微熱のあいだを右往左往した1日だった。