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2009年2月の長尾日記 | |
2009年2月28日(土曜日) 二月も終わったか。 ・・・・ながい二月だった。 デカッデカッデカッデカッツ・・・ やっぱり声に芯のある歌手はいいなぁ。 歌詞、メロディ、声。 この3つが歌の要素。どれもとっても大事。 でもすべてが揃うことはない。欲張っちゃいけない。 どれか2つがあれば、まぁ良いとしよう。 一番大事なのは歌詞。 なぜ?だって歌詞がなければ管弦楽と同じ。 意味があるから楽器と違う魔法の力を持っている。 次に大事なのは、声。 だって、どんなにステキな曲でも、楽器がわるけりゃ魅力がない。 ささきいさお、サイコー!ひろみちゃん、サイコー! 最後にメロディ。なんで最後に? だってメロディだけステキな曲なら、楽器だけで十分でしょ? 古今、メロディの追求はクラシックオーケストラの世界までさかのぼって さまざまな挑戦が繰り返されてきている。だから歌にメロディは第一に 来ないのだ。 クラシックのオーケストラ曲で「合唱つき」のものがある。 ふふふ。ふふふふふ。オケに歌詞がつくと、ちがうチカラが、 人を動かす違う力が生まれる。 だから、いいのだ。。。 で、紹介するのが、またこれ? ・・話がつながんないなぁ。 だって、僕のとっても好きな曲は、YouTubeにさえ無いんだもん。 バトルジャパン、おー! JAKQ! そういや今日、長尾のとあるアパートのベランダに、身体を丸めて動かない猫がいた。 いや、さいきん電車通勤だから、道を歩いていて目に入る。いつもそこにいる猫だ。 元気がない。声をかけても動かない。 今日はうずくまっていない。横になって丸くなっている。 「生きとるか?おい!」と声をかけたら、のっそりこっちを向いた。 きのうから急に冷え込んで、しんどいだろうな。 もう3週間もがんばれば、春なのに、だいじょうぶかな。こいつ。。 帰りに猫のエサ、なまりぶしのようなものを買ってみた。 アパートのベランダに近づく。野良猫っぽいから近づいて驚かしちゃイカンだろう。 遠くから「オイ!」と声をかけて真空パックからなまりぶしを取り出そうとごそごそ やっていると、むくっと起きて近寄ってきた。 ん?こいつ飼い猫経験があるのか?まるっきり野良じゃないな? ちぎって食べさせてやった。 昨日はずごぐざむがっだ。ぎょうもわりどざむい。 だがら、どうじじないように、ど、おもっだ。 夕方、長尾坂で(たった3本だけ)練習した。長尾坂TTだっ。うふふふふ。 でも、距離短すぎ? 夕闇せまる長尾坂。ベランダのあいつは、ねぐらに帰ろうとしているようだ。 お見送りご苦労! 2009年2月27日(金曜日) やっと金曜日かぁ。。 にしても、寒いな。 2009年2月26日(木曜日) タクシー帰宅の午前様でも、72階。ちゃんとやった。 フフン。フフン。あなたとは違うんです。by 福田元総理 2009年2月25日(水曜日) 今日は水曜、定時退社日だが、残業してしまった。 ついつい。昨日まではかばかしく進まなかったのに、先へ 行けるようになったので頑張ってしまった。ははは。 おかげで午後の階段昇降を忘れてしまった。ので午前の36階だけである。 まだまだだな。 ![]() 一筆奏上! 2009年2月24日(火曜日)その2 私は「リフォーム番組」が好きだが、嫌いだ。 家を修繕してデザインし直して再活用するって話はとってもすきだが、 すべて判を押したように真っ白い壁、大きな窓、白木目のフローリング。 伝統も国籍も(文化も)微塵も感じさせない平版なモデルルームみたいな 住居になってしまうと、なんだかちょびっと、悲しくなる。 ひとが住むのは、化粧箱のなかではない。 生活とは、ハレの舞台でなく、ケの毎日である。 なれ親しんだ空間であってほしい。べつに古ぼけたたたずまいでもいい。 最初はどんなに真っ白きれいでも、すぐにそのひと色に汚れるのだ。 ひとの「生」とはごったなものだ。白い平らな壁と、曇のないガラスではないのだ。 きれいである必要はない。いごこちのよさというのは、もっと別のものだろう。 現代建築とかいわれてン十年。建築家という生き物は進歩してるのだろうか。 僕の理想はやっぱり「昭和のテレビ」のコントに出てくるお茶の間である。 廊下に障子、ふすま、畳にこたつ、テレビは許そう。そういう空間である。 それを変える理由がない。そんな空間に自分のざったなものを詰め込む。 それはとても落ち着く、居心地のよい空間に思える。 文化はゼロから作れない。文化は伝統から作られる。 伝統は守るだけでない。そこから新しいものを生み出すからこそ、すばらしい はずではないか。それから逃げてモダンとか言って楽をすることは、きっと チープ、、、 いや、僕に文化論は語れないな。ははははは。僕自身が文化の担い手じゃ ないからだ。 でも今の京都駅は嫌いだ。ガイジンさんも失望するだろう。 ゴモラが壊してコンクリで再建したエレベータ付き大阪城のほうが まだよいと僕は思うのだが。。。 ゴモラがわかんなくてWebひいたひとは、当HP利用年齢制限違反です。 反省文を科特隊極東支部まで送ってください。 2009年2月24日(火曜日) 一筆奏上! (出典を探してはいけない。) なんとなく身体が重い。5階で意気消沈している。 今日は8階がやっとか?今日は16階でやめておくか? でも、やめたらまたイジケそうだ。。。イカン!がんばろう。 20階までは行こう。20階から自席の階まで、 歩いて降りよう。 20階の階段室で立ち止まる。息をおちつかせ、、、、 あれ?なぜかエレベータホールへ。 直通ボタンを押す。さっと1階まで。 もういちど登り直し。息が大きくなるのを堪える。 さいわい人はまばらだ。7階、8階、12階、 もうすぐ。14階、15階、16階。 今日も達成。やればできる。もっとできるじゃん。 「若者は、限界を決めないから強いんだ。」 Bossのいうとおりだ。自分もつまらない尺度や小さい目標を 考えるより、より大きな、達成したときのことを考えよう。 スピードアップしたおかげで36階が10分ちょっとだ。 これなら1ターン56階も夢でないぞ。 迫り来る暑さ対策は、センスよく扇子持参でパタパタ対応だ! ちなみに登坂はパタパタサンダルだっ! 今日も元気にのべ72階の、288メートルだっ! 2009年2月23日(月曜日)その3 やりました!達成しました!成就しました!成功しました! 今日は1段抜かしで連続36階を達成。わおわおわお。。。 こういうことで喜べる自分ってス・テ・キ。 たまに襲いかかる「ふつうの通行人」に怪しまれないよう、 必死に呼吸を押し殺す。これも集団内で足元をみられないための 訓練に転用可!なのだ。リズムよく2段づつあがる。歩巾が大きいので 自然と「最低登坂スピード」が決まってくる。このスピードを 維持して1階、2階と登っていく。いつもきつくなる最初が 8、9階だ。 ここをがんばりペースを維持すると、あとは持久的しんぼうで 16階までゆける。今日はさらに頂上20階まで試す。脚力は 持ちそうだ。慌てず急がず、マイペースで登る。20階! さてここで気を抜いては行けない。20階ロビーには きれいな受付ねーちゃんが怪訝な顔でこちらを向いている。 こんなとき間違っても「はーっ、はーっ」と赤い顔して サンダルひたひたと近付いてはいけないのだ。 ふたたび息を殺して直通エレベータに近付く。 20階から1階まで一気にくだる。そして階段部屋へ直行。 すぐにも1階から16階目指してまた登っていく。 大丈夫だろうか。このまえ16階を午前午後1度づつやった だけだ。連続36階は初めてだ。いきなり2倍にして脚が 持つだろうか。。。 いや、やらねばならん。ならんのだっ。(なぜ?) ペースを変えず、姿勢を変えず、、そのつもりでも、やはり 上体がぐらつく。やはりいきなりだと身体に応える。でも それが目的なのだ。 息を殺して8階。つらいけど、つらいことしてるのだから 当然だ! 9階、10階を越えるとなれてくる。あっというまに16階。 充実感とともに呆けるこころ。いや、ふたたび息を殺して 自席に向かう。まじめな顔つき。でも汗は隠せない。 冷水を飲みながら自然体で受け答えする。内心おお汗だ。 たのしい。でも問題がまた発覚。きのうオーベストで 島田さんにやさしく指摘された。 「そうですか。でも、夏は、大変そうですね。(にっこり)」 ・・・・こまった。5月すぎたらアイスノン作戦か。 ますますいかがわしさ100%だな。 2009年2月23日(月曜日)その2 プログラムが3日も進まない。 ・・・・・ (超・超・ヒミツだが、) 少しだけヤケ食いしてしまった。 ワイン2杯、ゆでた菜の花、皿いっぱい。 おせんべい袋半分、みすず飴2つ。 まんじゅうを見つめて、さすがに正気に戻った。 余談:なにごとも 練習だそうです。 2009年2月23日(月曜日) 「だいじなもの」について。 中学生ぐらいの年齢の子に、大事なものは何か聞くと、多くの答えが「自分」と言う。 これは普通であろう。世の中そういうものだ。人はふつう、自分がいちばん大切だと思うものだ。 でも、そうでない、いや正しくは「それを忘れている」ひともいる。自分という1人称を ただただ大事にする以外に、もっとすてきなもの、もっと輝いているもの、もっと美しいものを 意識する人もいる。自分自身以外の「たいせつなもの」。これを知ることはとても大事だ。 そんなのうそっぱちのおぼっちゃん発想で、自分以外に大事なものなんてないじゃないかと いう意見もまっとうだ。でも、二つの可能性があり、ひとつは恵まれすぎて自分で自分を大事にする 必要が無い、おなかいっぱいの人、という存在がある。そういう貴族チックに恵まれた人というのは、 (読者はむかつくかもしれないが、)自分以外のものの素晴らしさを意識して、そのおなか一杯な 状態であるかぎり、自分以外のすばらしいものを大事にしてくれることがある。 それはその時点、その環境にかぎれば、「自分以外のすばらしいもの」を知ることができて、 大事にしてくれるわけである。 もうひとつの可能性は、自分を認められない、徹底的に認められない境遇ではないだろうか。 さいきんは簡単に絶望=自殺となるが、死ねない人ならば、絶望のつぎは、宗教じみた 神への愛になるか、あるいは自分以外のすばらしいものの価値観の下僕となるだろう。 (実は恋愛もその領域に近いはずだが、、、今日はその話は無しにしよう。) ひとは恵まれ、日々困難も壁もなく安穏にくらしていれば「自分が大事」というこだわりを 捨てる機会がない。それは年齢があがるにつれ、よけいに世間的拘束がふえて、自分を 捨てることができなくなる。自分が大事、という陳腐な価値観を捨てるチャンスは、きっと 若いころ、10代のころではないだろうか。「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」と 昔の人は言ったものである。 でも、そういう生き方はまちがってないかもしれない。自分を大事にする。つまり自分は 自分で面倒をみる。むしろそれがまともな社会人であり、人間社会を構成するまっとうな ありかたかもしれない。そうでなければ神だか指導者だかへの集団自殺とか訳わからない 異常な社会になるかもしれないのだし。 でも、ひととは違うことを成そう、とするならば、そんな社会人とは違う生き方になるのでは ないだろうか。 僕には詳しく書けない。でも、そういう道すじも世の中あるのだ。僕はそれを、 大通りに対する「けものみち」、あるいは「藪こぎ」とか言う。 幅が広くて、人が大勢いて、歩き方まで決まっている整備された大通り。 そこは人々の助け合いがあったり、ルールがあったりする。まともな道だ。 エスカレーターと呼んでもいいかもしれない。 けものみち、藪の道、それは道なき道であり、自分で草木をナタで払いのけ、 すりきず、切り傷だらけになって歩く、ぬかるんだ泥の道である。 人の声は遠くの大通りからしか聞こえない、さびしい道である。でも、ワクワクする、 己の自負心で歩くけものみちである。そういう道をゆくのも、ワカモノの選択なのだ。 極論をいえば、どちらかの道の二択なのだが、ほんとうの人というのはそのグラデーションで、 大通り8割、山道2割のようなものだろう。それがその人の個性だ。 でも、かさねて強調したいのは、ただ平穏に、壁もなく日々すごしては自分以外の大切なものは みえない。もしも自分がいちばん大事ならば、努力はしない。面倒はしない。自分の最大の可愛がり方は、寝て、 食べて、テレビみて、食べて、寝るだけだ。(うふふ。加藤の理想?)そんな価値しか見えない人に、チャレンジも、 努力も、夢も、なにもない。 自分以外の大事なもの、それは必ず若いうちに見つけなければならない。いや、歳をとっても、 それを思い出さなければならない。いや、どこかで「自分が大事」以外のものを求めているから、 自転車にのって、練習会に出て、レースにも出てしまうのである。幾つになっても。 それはとても、大切だと思う。 若い人は、自分を捨てざるを得ない辛苦の環境に突き落としたいと僕はひそかに願っている。 もう社会人のひとには、食べるため以外の大事なもののために、明日もオーベストで会いたいと思っている。 昨日、オーベストのワカモノ衆を3パターン観たせいか、今日はふとそんなことを考えた。 2009年2月22日(日曜日)その4 親と子と夢について。 子供は親の所有物でない。 いや、歳があがるにつれ、所有物から少しづつ一人の大人になっていく。 それに対処できない親は、時として自分の一部のようなつもりで、相手を 自分の物差しで計って、束縛する。 それは理屈を言えば悪いことだが、仕方が無い、という言い方もできる。 逆に子供の立場ならば、そんな壁、障害など当然と思わなくては、その壁を 乗り越えられなければ、いったい社会に出て行けるのか、という言い方も できるかもしれない。 親の反対を押し切って何かをする。これはこれで、いい経験だと思う。 僕は親の望む進路をことごとく裏切って自分のやりたいことをやってきた。 今ではそれなりに納得してくれていると思っている。親も変わったのだ。 親が反対するのは、不幸とばかりは限らない。 本当に志すやつは、反発があればあるほど頑張るものさ。 恋愛だってそうじゃないか。困難が大きければ大きいほど、大恋愛になるでしょ? あははははははは。 (腰痛だからはやく寝よう。) 2009年2月22日(日曜日)その3 激痛走る! 腰痛の再来。 僕の腰痛は古くて短い。 最初は大学院生のころ、もう10年以上も前だ。 東名を走る高速バスを愛知県豊田市の停留所で降りて歩き出すこと数秒、それは光臨した。 とどろく雷鳴!はしる激痛!吹き出るあぶら汗! (以降数分、写真になったように微動だにしない。) 腰痛にはグレードがある。 「あたた。重いもの持ち上げたから、ちっと腰がねぇ。」レベル、=1 「今日もしんどい。やっぱり腰痛持ちだな」レベル、=2 「コルセットは生活必需品。もうしょうがないよ」レベル=3 「・・・・・・・」凍結人間レベル。=(終わってる) 東名での出来事から数日、一人暮らしの下宿のコタツで、くの字で寝たまま動かない。 トイレ?いけません。がまんします。寝返り?床ずれ?がまんします。 ときどき痛くなくなる。だいじょぶかなと身体を動かす。「・・・・・・」もう言葉にならない。 うつぶせが良いとか、腹ばいがよいとか、そんなことどうやっても無理。 この脂汗級はもう、どうしようもないのである。 実は半年経たずにそれはうそのように消えた。 なぜか分からない。 これほどまでひどいのは、めったにない。 人生二度目は、滋賀県へ新幹線通勤したとき再来した。 なかなか辛かった。でも半年程度でなんとかなった。 さて、今日オーベストで突如それはふたたびご光臨した。 これが一過性か、長続きするか。どちらか分からない。 でも3度目である。ふふふ。かならず対処方法は確立してやる! わたしはカシコイのだっ! (なぬ、対処法でなく原因なら既に分かってるって?そーそー。運動不足と体重増加、 腹筋背筋の弱体、そして普段の姿勢の悪さ、あるいは腰の酷使だ。あはははははは。 (学んでも予防、対処できてないって、ぼくはアホ?) 2009年2月22日(日曜日)その2 仮説と実験、検証は科学者の基本である。 さて、階段昇降の結果を分析してみよう。 土曜日の相模川練にチャレンジして分かったのは、あたりまえであるが、 自転車の能力は自転車に乗って高められる、ということである。 つまりは、スピードが上がってすぐに不足している個所が分かったのである。 それは筋トレで鍛えられない筋力、というか、身体の強さ、である。 スピードがあがらない。呼吸がMAXではない、つまりパワー不足である。 いくつかの筋肉は確かに強化方法のメドがあるが、それ以外の重要な部分、 腰まわりの強さが必要である。その強化のためには、実際に乗って負荷を かけなければいけないのだ。 乗ればよいなんて、そんなのあたりまえじゃん、で終わっては科学でない。 なにがダメで、何が良かったか、ということである。 さて、呼吸がMAXになる前におわったということは、逆の見方でいえば、 練習不足なのに呼吸器系は維持できているということになる。それは つまり、階段昇降は心肺系負荷として効果がある、というわけだ。 会社で連続40階ちかく登っている話を同僚にすると 「ぼくなんか5階で息が切れてしまうよ」 と言われる。はて?筋力よりも息のほうが辛いのか? 運動不足な標準的サラリーマン(メタボ予備軍)たちにとって、階段を 5階以上登るという運動は足腰の強度ではなく、心肺系機能で重度の難関 ということなのか。それだけ重力に逆らって自分の体重だけ持ち上げる運動は 心臓につらいのだ。 今まで僕のやってきた階段昇降(連続36階以上、一日72階以上)というのは、 十分でないが、必要な内容である。という結論になる。 またEMS機器(僕の場合、CompexSport)によるハムストリングスの強化は、 たしかにそれ自体は強化できたが、それ以外に必要とする筋群は多数あり、 それをいちいち電極パッドでやるよりも、実際に乗ったほうがよい、という ことになる。 これも、手近な長尾裏坂が使える。うん、この分野がたりないわけだ。 また、練習会についていけるだけの、高強度の運動の持続時間を延ばすために、 朝練の時間確保も必要だ。 しかしタクシー帰宅だと早朝6時前に起きるのはキビシイ。 この点は、解決がむずかしい。これは将来の課題にしよう。 よって、現在継続中の階段昇降はさらにパワーアップした1段抜かしで 心拍を追い込むことがプラスになる。EMS筋力強化は、万能ではないが やればやった個所だけ意味がある。あとは実際に乗っての強化を行うこと、 そしてできれば時間をふやすこと、ということだ。 階段はもはや生活の定番になりつつある。 EMSは、帰宅が午前様にならなければなんとかできる。 (むかしWBS観ながら攣りそうになりながら居眠りしたことがある。。) 朝練は、短時間高強度に狙いを絞って再開してみよう。 なんとなく全てが強くなるための朝練というのは、ダメだ。 ってか、今までそんな考え方してたから効率わるかったのだ。 高い負荷を身体に与える。「耐久力をあげるため」に目的を絞るのだ。 高い負荷を目指すから、時間は短時間でよい。長時間やっちゃダメだ。 そうすれば深夜残業していても、朝練を有意義にとりくめる。 「今日はたった30分だった、、、」なんて落ち込む必要はもうないのだ。 長時間対応の練習はしばらく諦めて、週末の練習会へのチャレンジで すこしづつ活路を見出そう。 んー、こんな結論かな。 2009年2月22日(日曜日) 韓国はピョンヤンどころか、東京まで届く巡航ミサイルを開発し、配備を開始したそうだ。 なんのため? そういう報道はいっさいないのね。日本のテレビ。。。 まぁいまさらだけど。 2009年2月21日(土曜日) 昨日飲んじゃったが、なんとか起きた。で、練習会へゴー! ひさびさに3Dの風さん、山口君を見た。あはははは。 マスクマンが近づいてくる。だれ?と思ったらシノラーさんだった。 公園から出発。まずはゆっくり連光寺。これならなんとかなる。 さて鎌倉街道を南下するが、じょじょにスピードアップする。30キロ、35キロ、 37キロ、、、まぁ今日のメンツならそうなるよなー。 よわっちい身体にムチを打って、中切れしないように頑張るが、これ以上迷惑は かけられんと信号で脱落。しかも開始20分でおしまい。んー、やはり階段昇降の 時間とダウン時間は一致するなぁ。 むかしも朝練30分やっていたとき、スピードアップ後30分で脱落していたので 日々の練習時間って、大事なんだなァと思う。やっぱし尾根幹朝練の再開を急ごうかな。 さて一人になってもやることはいっしょ。コースを淡々と走る。 なぜか下ハンにぎりしめ、えいえいと前へ進む。低い姿勢がさいきんすこし 楽になったのはなぜだろう?もしかしてハムの筋トレの成果?いや、そう思いたいなぁ。 当然のことながら前方はだれもいない。町田街道につきあたって右折し、しばらくして 左折だったよなーと思って曲がったら橋本駅前ロータリーに入ってしまった。あはははは。 裏道をぬけて413号に復帰し、川尻交差点を経由して小倉橋へ。 さて。ひとりでがんばりましゅか。 相模川ぞい、ギアをあげて姿勢を低くし、なるだけスピードがでるようにと頑張るが、 今の体力相応、ここには書けないスピードで、つまりよくて30キロ台の低速で進む。 後ろからでっかいダンプ、トレーラたくさん襲い掛かる。路肩によって「先いけ」合図を する。とにかく、ひとりだけど今日の予定コースをトレースするのだ!といういつもの パターンで相模川ぞいの道の終点、厚木までがんばる。だれもいない、クルマもまばらの まっすぐな道をひとり走る。いまにも「さいっくりんぐ・さいっくりんぐ・やほーやほー」 と歌いだしそうだ。 さて厚木につきました。 ええと、、右折して、412号に出るんだよな。どこだっけ? 標識にはどこにも「412号」が出てない。なんで?なんで? 元町交差点をすぎ、中町交差点で村田さんに会う。あれ?追いつくはずないのに。 村田さんは相模川ぞいの道でちぎれて迷子になったそうだ。 ふたりで駅近くのコンビニまで行き、地図を見る。ああ、元町交差点を右折だったか。 Uターンして元町交差点までもどり、曲がってしばらく行くと「412号」になった。 あとは淡々といくだけ。 しかし、、北風向かい風、スピードが上がらない。ってか、相模川で筋力は終わってる。 超スローでのろのろ走る。中盤で村田さんには先に行ってもらう。そうしないと サイクリング会ノリでずっと遅い僕の後ろを走ることになるからね。 長いと思った串川橋までの道のりも、体感的にはさほど無かった。 休憩コンビニに行ったらちょうど村田さんがアイスチョコバーを噛み付いたところだった。 「ほかのひと居ませんでしたよ」 ありゃ。そうとう遅れたってことか。 「アイスですか!あはははは」 しばらく休憩し、ふたりで串川橋、新小倉橋、川尻ときて、いつもの僕のよわよわパターン、 413経由、16号のわき道を通り抜けて柚木街道、野猿街道とショートカットした。 まぁこれでも追いつくはずは無いよな。休憩しちゃったし。 ふたりで多摩サイを走る。僕が先頭だからちょー遅い(時速24キロ?)ちょこっとだけ 平走して雑談。(平走なんてすると、またウルサイやつにネットで叩かれる?)なんと 村田さんはトライアスロン宮古島にでるとのこと。チャレンジャーだなぁ。なぬ、 4月ってもうすぐじゃん。 自転車150キロって、ながー。。平地でしょ?ドラフト禁止でしょ? たいくつそー。。。。。 いや、あんたの階段昇降88階よりゃ健全だって? 多摩川原橋で左右に別れる。「またがんばりましょー!」 さらに激タレしてウチまで帰る。 門にポスターが貼ってある。「長尾にバスを」 ああ、コミュニティバスの話か。町内会の一部でえらくもりあがってるとか。 地域活動というのは、いいものだ。 2009年2月20日(金曜日) 昨日はタクシー帰宅。 今日もいちおう、1段ぬかしで、16階を2本やった。 仕事は、休んだぶん取り返せなかった。 今日は眠いから早く寝よう。 明日起きれたら、練習会だ。 まぁすぐにちぎれるだろうけどね。 2009年2月19日(木曜日) 今日は趣向を変えてみて、階段昇降を1段抜かしにしてみた。 というのも、会議の移動で先輩が1段抜かしをしていたのに気がつき、 自分も真似してみたら、脚の使う筋肉が違うことに改めて気がついた。 いや、自転車と同じ筋肉とはいえないかもしれないけど、すくなくとも 足首からひざにかけて伸ばす運動が中心の1段づつよりも、おおきく 太股を上下させて1段抜かしで階段をのぼったほうがまだマシかな? という考えである。 午前中、エレベータで1階まで降りて、とりあえず16階まで1段ぬかし をやってみると、スピードが増す分、効率的なのか息があがりやすい。 負荷が増えたということだ。 とりあえず16階で辞めたが、太股の全体に軽い張りを覚えた。 やはりこちらのほうがよいようだ。 1段ぬかしする場合は歩幅の意識も大事だが、上体の角度もかなり工夫が できそうである。腰を中心にして上体と脚の角度、そして動かす脚の開く 角度で、筋肉の使い方が違ってくる。しかもスピードアップのメドまで ついてしまった。 工夫、工夫こそ明日への橋である。 せめて運動不足の解消に、なんとかなりそうである。 ちっと楽しくなってきた。 ♪さいっくりんぐ、さいっくりんぐ、やほー・やほー! 2009年2月18日(水曜日) 早朝目が覚めたので、筋トレをタップリ。 あー、柔軟体操とかもすればよかったかな。 身体めちゃ堅いし。 それにしても、さむいっ。自転車通勤でさえ凍えそうなぐらい寒い。 今年いちばんの寒さ?ってほどじゃない? 会社ではあいかわらず階段昇降。今日は合計88階。 今日は会議もなかったし、今日みたいなパターンがよいなぁ。 (つうことで、2日間やすんだ分をすこしでも取り返すため 深夜まで残業。ふぅふぅ。) 2009年2月17日(火曜日) 昨日、今日と、賛美歌を歌った。 両日ともクルマを出したのだが、都内、246号は疲れる。 そのあと金計算したり、いろいろ疲れた。 明日は会社。月・火曜と休んだので仕事がぜんぜん進んでない。はぁ。。。 2009年2月16日(月曜日) やっほーヤホヤホやっほー 宏美ちゃんサイコーっ! うたのお姉さんは、こうでなくっちゃ! 声の透明度、音ののびやかさ、晴れわたる秋の青空のような澄んで高みに広がる声。 美しいとはこういうことだっ! では、詳細に聞いてみよう。 歌詞2番、岩崎宏美の独唱部分である。 1分18秒付近。はぁーずーむ・ぎーぃんりーん 「イ」音と「ン」音は、とても難しい。「ア」音や「オ」音は口の中がひろがって 声を響かせやすいのだが、イとかエは口の中が狭いので、綺麗に響きを広げるのは難しい。 その点、「ウ」も、日本語の「ウ」と英語圏の「ウ」は違う。日本語のウ音は、 口の中がせまくてひびきがこもって聞こえづらい。だから口のなかを広げて、 唇をまるく突き出すように強調して「オ」に近い「ウ」と言わないと、人の耳には届かない。 で、特に「イ」音の場合は響かせようとすると妙なチカラが入ってしまって発音がキツく、 きびしくなってしまう。アマチュアにはときどきそういう人がいる。 自然にきれいに聴こえる岩崎宏美の「イ」音は、さすが歌手だ。 そもそも、なぜ「やっほー」と言うと思う?なぜ、「ヤッヒー」「ヤッヘー」じゃないのか? それは、言いにくいからだ。 音楽が盛り上がって、大事なメロディが強調されて、クライマックスで音程が高くなるとき、 歌詞が「イ」音や「ウ」音だと、とてもキツイ。とても歌いにくい。そういう曲がよのなかに ないことはないのだが、その点は留意して作詞・作曲すべきなのだ、、と、歌手の都合を思えば 思うのである。 「青春サイクリング」古賀政男は、とうぜんそんなこと知ってるだろう。 はぁーずーむ、ぎーぃんりーん、、、上手いな。 ちなみに、1分35秒付近、「しーおーの、かーおりーぃがー」 「が」でなく、「ンが」である。専門用語?で、鼻濁音という。 こんなのは歌のイロハであるが、さすがひろみちゃん。しぜんすぎて誰も気がつかないな。 がきんちょ合唱団は、よく訓練されている。いまどきの子供は、こんな伸びやかで伸びる声を 持っているのだろうか。いかに練習しても、楽器(=身体)がダメならダメだ。 そういう意味で、低い声がひびく男声と、のびやかな児童の声を、あまり聞いた覚えがない。 これは小学生の体力低下以上に、ゆゆしき問題であるっ! さいごに、歌詞3番、宏美ちゃんと児童合唱団の歌をよく聞いてみよう。声が大きくなるのは、 音が高くて歌詞が「ア」音、「オ」音であり、「ウ」とか「イ」は曇りがちである。 これは人の口の構造上そうなるのである。 と分かると、やっぱりステキでしょ。 宏美ちゃん。 歌手の実力は、ピアニシモで分かる。 ささやくような、湯気がたちのぼるような、そんな音。 そんな音がとても難しい。叫ぶのはだれでもできる。ごまかしが効く。 岩崎宏美の、この詩の、ささやくような、そして最新の注意、最高の気合で つくった音は、もういうことも無い。さすがの中村中もびびったろう。いやはや。。 3名の「友達の詩」0分43秒 これ もどうぞ。 自分分解用:http://www.youtube.com/watch?v=2sMcL3adB2Q&fmt=18 ん?補修部品がみつからないぞ?漏水してるぞ? 中村中のコンサートでも、行ってみようかな。 音楽に近づくのは、やめたほうがいいかな? ブクブクブクブクブク・・・・ 2009年2月15日(日曜日)その2 ワタシのすきなマンガ、「逆境ナイン」の主人公のセリフに こういうのがある。 「飛行機はなぜ、あんなにも高く空を飛べるのだろうか」 自問自答する主人公。 「それは、ものすごい空気の抵抗があるからなのだ」 ことし身体を壊したのは、積年のいろいろな重さが、取れてしまったこと、 そして、自分に対する失望に、キモチが折れてしまったことだ。 今、ようやく立て直しつつある。 キモチは大事だ。 むかし、海で遭難した人の、直後のインタビューを聞いたことがある。 救命ボートには、最初何人もいた。でも、すこしづつ数が減っていった。 遠くから捜索飛行機が飛んでくる。でも、外洋の海のまんなか、ちいさな ボートなど見つからないのだ。 絶望した人は死ぬ。最後まで助かることを強く信じた一人だけ、生き残った。 人生も時間が長いだけで、おなじことだ。 諦めれば、いつでも終わりだ。 特に、重い荷物を背負う人ほど、こころが大事だ。 自分の夢に頑張りすぎて死ぬことなんて、ない。 もしそういう「死」を恐れるぐらいならば、 頑張ることを辞めて「死んでしまう」「自然死してしまう」ことを、怖がるべきだ。 科学は進んだ。山を森を切り開き改造して都市を作った。いまや科学は 人間の身体にまで及んだ。なにかをなすには、なにかを手に入れるには、 環境や歳など気にする必要はない。 こころの強さ、信じることの強さ、アイディアの豊富さ、そんなものが、 開かないと思われた扉を開けるのだ。 2009年2月15日(日曜日) 今日は尾根幹。ぼくのレベル。 稲城第三公園前の坂をつかって周回コースをぐーるぐる。 この前は、某「虎」の場所でいったりきたり。やはりこの界隈は ひとりで無心に練習するには都合いいな。 ・・・ぼくレベルでは。 陽が傾いて、オーベストに行く。めずらしく誰もいない。 しかも、だれもチーム員がこない。め、めずらしい。ってか、 はじめて? みんな土日の暖かさに、どこか遠くまで行ったのだろう。 尾根幹周辺から出ない僕はそうとうヨワッちいなぁ。 それにしても、あと1ヶ月か。うれしい。泣けてくる。 いやー、暖かいって、いいなぁ。もう、一刻も早く地球温暖化 してくれないかなぁ、、ってちがう? (本当の地球温暖化は、年間の平均気温が高いだけで、 冬寒く、夏は酷暑で、日本は台風銀座とかいう、きびしーぃ気候という ウワサである。まじ?) そうそう、お店でDURA79を頼んだ。ふふふふふ。これも深い深謀遠略が あるのだ! ORCAから78を外して、79を入れる。びしっとね。 通勤車を買う。フレームを買って、78を入れる。ふんふーん。 いまの通勤車はブレーキがTIAGRA。僕の体重じゃ止まらない。 いや、止まらないことはないが、ORCAとのギャップが大きすぎて 乗り換えるときにかなりコワイ。だから通勤車を78にして平均化 するのだ! いや、それはタテマエで、ほんとは通勤車におカネかける理由がほしいのだっ! ま、どろぼうもフレーム見ても、コンポーネントは観ないでしょ。 (そんなの観て選ぶやつは、鍵かけてもバラして盗んでいくでしょ。) ということで、通勤車のフレーム選びが問題だ。 もう決めているが、色が決まらない。 ORCAはオレンジゴールド。じゃ、通勤車は? んー、んー、んー、、、 ブルーメタリックなんてかっこいいよなー。 細身の鉄フレームならば、まちがいなくブルーメタリックだよなー。 (と、さいきん悩んでいる。たのしい。) 2009年2月14日(土曜日)その2 この前タイヤを新調したが、チューブを買い忘れた。 買い置きがない。古いのを再利用しようとおもったら、 古タイヤにびっちりくっついて、むりやり剥がしたら のびのーびになって新しいタイヤの中に収まらなかった。 んー、あす夕方、部室へ行って調達しよう。 2009年2月14日(土曜日) 朝からバタバタ。メールであれこれ連絡。 叔母はキリスト教徒なので、いろいろ勝手がちがうようだ。 すこし落ち着き、連絡待ちでぼーっとしてるのもなんなので、 ケータイを持って昼前に尾根幹方面へ サイクリング。 4月?5月のような暖かい陽光。帰って手を洗ったら、 降ろしたアームウォーマ-の日焼け後がくっきり。 夕方は今年の計画。いまごろ計画。 ことし前半は、糸魚川完走が目標かな。日程が木祖村とダブるから、 今年は木祖村サポートはできないな。 後半は、JCRC復帰と、沖縄出場。小川村のサポートは、ことし泊まる場所を 考えないと。 朝練は、ぼつぼつ再開してもいいかな?身体もだいぶ治ってきたし。 尾根幹往復できればいいけど、まずは連光寺坂登って帰るのが時間と 体力の精一杯かな?暖かい日がもうすこし続くといいけど。はやく 本格的な春がこないかな。 そういや今日のサイクリングで気がついたが、階段昇降はいがいと効果があったらしい。 もっともっとダメダメよわよわな身体だと思ったが、さほど息は上がらなかった。 ちなみに、ビルは20階のぼると約80メートルの高低差である。 2本で160メートル、8本で640メートル。おや、だんだんと 高尾山登山に近くなってくるではないか!でも、仕事時間中に、休憩と称して 連続8本も登るのは無理だ。毎日小一時間も離席していたら問題である。 2、3本ぐらいならば、20分ぐらいでなんとかなる。登った後に席について 息を殺して涼しい顔(でも汗だく)なのが、またガマンチックでイイのだ。 この前、出勤時に16階まで登ったが、かなり苦しい。そうか、荷物や コートだと重りが増えてつらいのか。今後階段昇降に身体が慣れたら負荷を 増やそう!と思ったが、それだと違うところの筋トレになりそうなことも 分かった。すね?腿よりすねばかり強化しても自転車じゃ、なーんにも 意味がない。ので負荷を増やすのはやめよう。スピードアップのほうが よさそうだ。 連続2本はもう普通になった。次の僕の目標は連続3本を1日何回まで できるかに挑戦しよう。 都会のサラリーマンのみなさま、無限残業のみなさま、仕事中、トイレに 立つフリをして、エレベータで1階へ行ってください。そしておもむろに 薄暗い階段へ移動し、やすみなく一定速度で最上階まで登ってください。 最上階についたら、すみやかにエレベータで1階へ。あとはその繰り返し。 どうです、用具なし、準備なし、天候も影響せず。 ぜひやってください。自転車では、短い上り坂で効果あります。別途 筋トレはかならず必要ですが。 今日の昭和は、 岩崎宏美、 その2 こういう声が好きだ。 最近の、高性能マイクをアテにした発声の歌手は嫌いだ。 ロックもラップも嫌いだ。声が嫌だ。 原付やバイクやアシスト自転車で走るより、 ロードでさっそうと走るほうがカッコいい。 そういうものだ。 やっほーやっほやっほやっほー! 今日の昭和、 オマケ1。トランペットは、情熱の息、である。 もういっちょ、 オマケ2 自分用1:http://www.youtube.com/watch?v=6J3uvgKbk_4 2009年2月13日(金曜日) 帰宅。WBS小谷さんは今日もステキ。ついでに森本アナも。 王様のしずくだか涙だかというワインをコップで飲む。 ゆでた菜の花。 週末の夜になって、プログラムはようやく壁をひとつ越えられた。 まだまだ先はながいが、がっつりがっつり仕事ができる。うれしい。たのしい。 ぼーっとテレビをみていると、電話。 深夜の電話。まさかね。 叔母の容態が急変したとのこと。両親はすぐクルマで出発。 よっぱらいは一人連絡係として留守番。 明日はサイクリング会、和田さんとデート!だが、ちっとやばそう。 それ以前に、明日は雨? 2009年2月12日(木曜日) 今週はダメな日である。 なにをやってもダメ、努力が空回り、人とも衝突しがち、という状態である。 とくに仕事がダメである。そういう日は早く帰ってごはんたべて 寝るに限る。 でも、やらなきゃならないこと&やりたいことが山盛りなんだなー。 (で残業。ほぼ午前様。) 火曜日、ついつい気負いすぎて作業依頼メールをセンパイが 調整するまえに別部署へ投げてしまった。僕の意図的フライングである。 こういうあせりは、良いことがない。 センパイは大勢のメンバを調整して進めるという体制は慣れていない。 小規模で研究所チックな勧めかたに長けているので、その点、 僕がよけいな真似して煽ってはいけないのだが、そういうまずい ことをついしてしまった。それも焦り、気負いすぎなのだ。 すこし頭を冷やそう。 といっても仕事は急ぎだ。うーん。うーん。 とりあえず、ごはんでもたくさん食べて落ち着こう。 (餃子、ラーメン、ご飯、、、) 年末年始は身体を壊して急に気持ちも弱くなり、体力復活のために いろいろ試してみたのだが、結局は良く食べて良く寝るという 解決方法だけだった。ということで、もうダイエットは僕に無理 という結論になり、それで筋トレへ回帰した、というわけである。 なんか振り子の努力だな。 ・・・・進歩ない?ダメっ子の標本? 日曜夕にでもオーベスト寄って、ケンジセンパイに人生相談しよう。 昨日は新車みせようとお店に行ったが真っ暗。定休日だった。。。。 2009年2月11日(水曜日) 今朝の筋トレは、、あんまし効いてない?負荷かるすぎ?? 今日は新車受領の日。ふんふーん。 昭和カラー万歳 もっともっと昭和 石ノ森じゃなくて石森という人向け 梶原一騎ならただしスペイン語版、 その2 ・・・・・・。 ![]() ♪とむらいの鐘が〜よくにーあうー 2009年2月10日(火曜日) おもいついたこと 1)数字の方向 アラビア数字は、位があがると左に桁が増加する。 コンピュータの業界では、下1桁のならびをあわせるために 0を追加して「0001」「0010」と表現する。 でも、、、アラビア語なら左から右へ書くから問題ないのかも。 2)練習感覚 ローラー台をやったあと、ひさしぶりに公道を走ったらこけそうになった。 もしかすると、ローラー台をすると注意力が下がるかもしれない。 固定式ローラーに至っては、目をつぶって居眠りしても、事故どころか 倒れもしない。人間、いや動物はコストカットの名人である。 きっと運転中の注意力をコストカットするくせが身体に染み着くかもしれない。 実走と混ぜるのがよいようだ。 3)やるということ 今朝いつもより早く目が覚めた。自然と目が覚めたということは、 身体も起きているにちがいない。ということで朝イチで筋トレした。 筋トレは寝る前、食事前と相場が決まっているが、朝イチでやった。 時間がない人でこだわりの強い、あるいは考え方の枠組に拘る人は おのれの壁が乗り越えにくくなる。そんな自分の反省なのである。 強化はともかく、きもちよかった。これが大事だとおもった。 で、で、、、でかっ(もういいって。) 2009年2月9日(月曜日) んー、今日は会議がひとつも無かったのに、仕事が山盛り、 あまり進まなかった。 今週は水曜日が休みだから、仕事が進まない。だからそれ以外の日に たっぷりやるしかあるまい。ということで今日も遅くまで残業。 さいきん仕事振りは、ちっと無理してる。ついついやりたいことが先行してて、 急いで脚が空回りというところか。 明日を考え、今日はこれぐらいで帰ろう。 10時過ぎ、帰りは暗い夜道を自転車で飛ばす。うん。ようやくペダルにチカラが戻ってきた。 平地なのにはーはー言いながら走る。短い自転車通勤でも、走り方でぜんぜんちがうものだ。 そして、そういう走り方ができることが、ちっと嬉しい。 そうそう、後輪ブレーキの壊れたアンタレス201(7年もの)の交替のため、 新車をずーっと考え込んでいるが、いまのところアンカーのネオコットが 有力である。んー、ジテツー専用にはちっと高価か? でかっでかっでかっ・でっ・かっ・ぅれん・じゃー!! 2009年2月8日(日曜日) デカッ・デカッ・デカッ・デカッ、デ、カ、ぅレン、ジャーー!! (今のかとうの頭のなかみ。) 叔母の容態はもう変わらず(ボトムでね。)、今日はなにもないので アメリカへ2ヶ月出張する会社の同期の均ちゃんの壮行会のため、 築地のすし屋でおひる。その後は秋葉原。ん年振りの秋葉原。 帰りに首都高に乗る。そこでの会話。 わたし 「こわいよね。幅せまいし、継ぎ目だらけだし、、、、」 「こんなところ100キロはしんどいよね、、あれ、制限速度60キロだっけ?」 まっちゃん「そうですよ(なにをいまさら)」 わたし 「そーだっけね。そ、そ。あはははは」 んー、そういや昔、20弱キロオーバーのつもりだったけど、うーあー。えー。。。。 まぁいいや。もう時効でしょ。 ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! 冒頭、レンジャーのまえにちいさい「う」の字を書いている。 それは、そう発音しているからだ。 ちなみに、歌で発音する「が」は「んが」である。 じゃじめんとたーいむ・・・× で・か・ぅれん・じゃー!! よるの、はい・うぇい、ホシはくろー (以降、無限再生) (さらに中毒状態) そういや昔、現代作曲家、野田暉行が作った「黒いペガサス」という、捻じれた若いタマシイの合唱曲を 無限ループした覚えがある。僕はときどき同じ曲を狂ったように単曲リピートを繰り返すことがある。 だいたい耳が痛くなって止めるのだが。(今井美樹はキンキン高音すぎて頭痛が発生してループしない。あはははは) ささきいさおは、とっても声が豊かだから、小一時間の無限ループに耐えられる。スンバラシイ。 さいこー!(絶叫) ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! ♪デカッ・デカッ・デカッ・デカッ!レンジャァ! (もう止まらない) 2009年2月6日(金曜日) 進歩ゼロ、僕の応援歌 バンバラバンバンバン 以上は普通級。 このシリーズといえば、私の知ってるオタク界では一番評価の高いのがある。 日本古来の刑事ドラマや時代劇を教材にしたとのこと。 (ウメコは由美かおるか?) 僕は当時、雨の日の、8時前の目ざまし代わりにテレビをつかってたので、、、 エンディングと、その前10分ぐらいしかみたことがない。残念。 これはそのエンディング。 うたはナント、ささきいさお ちなみに、彼らはいちおう刑事なので、現行犯犯人を捕まえるが、その場で宇宙裁判所に通信、判決は即決! (ばってんマークが出る)、躊躇なくその場で死刑!うぉー。。。(今考えても、えぐい。) じゃじめんとたーいむ!(・・・×)で・か・れんじゃー! ささきいさお特集: 1997 http://www.youtube.com/watch?v=xBUPjMZVVx0&feature=related 2006(1997) http://www.youtube.com/watch?v=WW3y1rK4GFs&feature=related 2009年2月3日(水曜日) 今朝、朝食時に電話が鳴った。 朝の電話か。縁起が悪いな。 親父が出た。うん。うん。とキッパリ答える。伝達のようだ。 母親と自分は、だれかが急病と悟る。電話の声がでかいので、加藤本家からだろう。 父方の親族は4人。伯母、叔母、叔母の夫、叔母の娘、つまり僕のいとこ、このうちの誰かだ。 年齢から考えて、伯母か、義理の叔父だと、母親と僕は思った。 ようやく電話を切って親父の口から出た名前は、予想外の叔母だった。 くも膜下出血。そういえばうちの周りではあまり聞かない。 深夜に救急車で入院。即手術らしい。 両親はすぐに病院へ。僕はとりあえず出勤した。 会社にいると、午前中に親父からメールが来た。 手術は夕方まで。その後に病状説明がある、とのこと。 じつは今日、飲み会のおさそいがあったのだが、ちょっと 普通じゃない雰囲気だったので当日欠席のおわびをメールした。 続報のメールを待つ。仕事もいまいち盛り上がらない。 夕方、病院へ加勢に行った妹からメールがあった。 よくないようだ。 今日は定時で帰宅した。 うむ。ウツになってるヒマはない。 気合で不幸の団体サマを跳ね返すのだ! 2009年2月2日(火曜日) 隠しようもなく、今日もウツである。 残業をたくさんして、深夜自転車で南武線沿線道路をとぼとぼ走る。 ウツはついに自転車乗車中の僕にさえかみつく。止まりそう、生きるのが 止まりそうな僕。 「みじめだ・・みじめだな」 そうおもってふとペダルを踏みしめたら、ちょびっとちょびっと、チカラが入った。 あっと思った。 2009年2月2日(火曜日)その−1 ワタシはやっぱり、仕事ではたいへんキビシイ。 仲の良かった派遣のHさんはいつの間にか仕事の興味が尽きたのか、 あるいは担当分野がきつすぎて負けてしまったのか、まいにち30分以上も 遅刻するようになり、会話も早退の理由とか、家の猫の話ばかりである。 仕事内容までそのダメダメスパイラルが波及してきたので、ぼくは ちょくちょく注意、苦言をいうようになった。 長々言わないが、ま、長尾日記の断片みたいだから、わりとストレートだ。 月曜日は本社にもどって課長と先輩と3人で来年の構想を話し合ったが、 すでに彼ふくめた2名にダメだしをした。僕が。 (そのせいか?きのう眠れなかったのは?) 月曜日に3度きびしいことをいったせいか、火曜の今日は遅刻が20分ぐらいは あらたまり、しごとぶりも集中するようになった。 でも、1日ぐらいじゃ、認めないもんね。 むずかしい。やる気をださせるのは難しい。ってか、無理だ。 彼はいま、刀の刃先に載っている。生きるも死ぬも、彼自身である。 2009年2月2日(月曜日)深夜 眠れないので日記を書く。病んでるなぁ。 「企業の寿命は30年」という。20年だったかもしれない。 なぜだろう。いや、なんとなくわかる。 今日はそれを解剖してみよう。 でも注意が必要である。ワタクシの正体はきわめて職人(=オタク)傾向の、 そしてもっとも「政治屋」から遠い人間である。そういう偏った価値観、人生観で 書かれているものだと、解釈すべきであろう。 さいきん超有名企業の赤字がニュースで取りざたされている。 世界ブランドの企業が急速に傾いている。 そのなかでも、サブプライムの事件より前から、空洞化している超ブランドがある。 ソニーだ。 ソニーの出自はなんだろう。 日本製の家電なんて信用ゼロの時代、ラジオを作ってアメリカで粘り強く商売した。 品質で評価されて根付いた。そしてウォークマン、録音業界では「でんすけ」などと いった、個性的だったり高品質な「こだわり」の商品を作りつづけて、その信用は ブランドにまで発展した。 いつしか、ソニーは急速に魅力をうしなった。それはソニーファンの僕だからそう言える。 高校生の時分に6万円もする「ウォークマンプロフェッショナルD-6C」を買い、家庭の ビデオはベータマックスを支持主張し、その後もソニー製品を愛用しつづけた。が、 あるときから、ソニーのカタログが、派手なわりに、選びたくなるものが無くなった。 どんどんブランドとしてモテモテになっている時代に、選びたいものが消えていく。 なぜだろうか考えた。 とことん高音質にこだわった、当時はオープンリール級の音をポータブルに聞けるとさえ 言われた機器を作ったメーカーが、壊れやすくてファッショナブルな、機能もそこそこの 一般ウケ商品の洪水に変わった。 企業がおしゃれに、かっこよくなればなるほど、僕のようなウルサイやつはしらけてしまう。 だからといって他の企業が望むものを作ってくれるわけはない。僕は困った。そして考えた。 「あの、僕の愛したものを作ったひとたちは、どこへ行ったのだろう?」 世代がかわったということか。ならば、なぜ世代は引き継がれなかったのだろうか? 商品の品質に信用がある会社、つまりブランドで買ってくれる会社、大企業、そんな 会社に入社したいと思う人は、やまほど居る。創業時は見向きもしなかった勉強のできる 有名大学の学生が次々やってくる。だから入社試験でよりわける。 選ばれた人というのは、成績優秀だったり、会話が上手かったり、魅力的だったりするのだろう。 でも、そういう人が、こだわりの商品をプロデュースするかといえば、かならずしも そうとはかぎらない。いや、僕にとっては真逆なのだ。 名も無い職人たちが作った地味なこだわりの名品。そんなものを愛する僕には、もう エリート社員がきらびやかに演出する「たくさん売れるもの」など興味がないのだ。 僕はソニーという会社は、中身がかわったと感じた。 創業メンバーの、自主独立の技術者ダマシイたちはいつのまにか、要領の良いアタマの良い ひとたちに置き換わってしまった。それが企業の成熟であり、企業の寿命なのである。 と、僕は思う。 すくなくとも、メーカーはね。 僕は政治力ゼロだ。だからよけい、そういった世代交代を意識する人間である。 政治力を嫌う傾向は自覚している。それはむかし所属していた市民合唱団でも あったことだ。 僕のその合唱団に入団したのは、もう末期の状態のころだった。 僕は高校生のころから、その団体のことをよく知っていた。いや、あこがれていた。 いや、合唱を志す人間で知らない人はいない、アマチュア界の巨人だったのだ。 僕はレコードもCDも持っている。高校生のころは、その音を「絶対正義」とおもっていたぐらいだ。 あこがれの、価値観の総本山であるその合唱団に、僕は就職後に入団した。 そのとき僕は、野望にめらめら燃えていた。燃えていた、が、すぐに水を 浴びる思いだった。 え?年功序列なのか。 え?学閥があるのか。 なに?団を二分して派閥闘争しているのか? 「おれたちは実力主義。仲良し集団じゃない、プロ集団だ」なんて口ではいうけど、 やってることは完全にカビくさい硬直システムじゃないか。 僕は急速にしらけた。でも、オレはオレ、で3年は挑戦しつづけた。 でも、環境がわるすぎた。権力闘争で脚のひっぱりあいだったのだ。 その団体は30年ちかくの歴史があるのだが、ほぼ一貫して一人の人徳者が団長を勤めていた。 だが、団長が60歳になったというので世代交代を主張する野心的一派がいた。 相手のいないところで団長批判をくりかえし、合唱団の絶対権力者である指揮者に取り入り、 次の選挙で現団長を落としてあらたに主導権を握ろうとする一派が台頭していて、 政治闘争の真っ最中だった。 こう書くとひどいと思うかもしれないが、でも、そんな闘争する連中の気持ちはとても よく分かる。高校生の僕自身の気持ちと、よく似ているからだ。 古い団長を抹殺して、ぬるい現状にムチ打って、今の低迷した状態を立て直す、 それは30年の歴史あるこの合唱団の素晴らしい価値を知り抜いているからこそ、 それを守るために闘うのだ、そういう健気な闘争だったのだ。 さて、経験談で脱線しすぎてもしょうがない。この合唱団を寿命という観点で 観てみよう。たしかに最初の10年は華々しかった。無名の若者たちの集団が 強烈な個性の指揮者に率いられて、国内のコンクールで連戦連勝、ついには ヨーロッパまで招待された。そしてコンクール参加を停止。それ以降は主催者からの 依頼でコンクールの模範演奏を勤める役割になる。僕があこがれたのはそのころだ。 そして活動はさらに発展し、いつしかプロのオーケストラとの競演へとシフトアップ していったのだ。 このころの合唱団は輝いていただろう。でもメンバーはじわじわと高齢化していった。 新しいメンバーが増えたが、たいていは派閥闘争下でも「よい子」で切り抜けられる よく出来た子ばかりになった。そんな子は、、どこかパワーがない。いや、へたに パワーなどあっては先輩団員の地位をゆるがすのでダメなのだ。 かといって力不足は問題だ。即戦力で音大の現役の学生を引き抜くも、 結局は定着しなかった。 ・・・はい?なぜ僕がそんなところにもぐりこめたって? 合唱界は慢性的な男声不足なんですよ。女声の選別の厳しさにくらべて、 男声はのーんびり。しかも合唱界のエリート高校合唱部出身というフリーパスつき。 あはははは。らっきー! 会社にしろ、合唱団にしろ、人があつまって熱く燃えて伸びるときがある。 でも、組織として名声を得てしまったあとの世代交代は難しい。とても難しい。 僕のような政治だいきらいな人間の出した答えは、偏っている。 「組織」というものが、構成しているメンバーを離れて名声を得て存在するとき、 老化が始まるのだ。 名声のある「組織」にあつまる人間は2種類。ひとつは自分もあつく燃えたい創始者世代の同類、 自主独立の気概にあふれたチャレンジャーだ。 もうひとつは、すでに名声がひろまった「組織」の価値を身に纏いたい人、つまりブランド服 として着たい人である。 僕は後者の臭いがする人を徹底的に嫌う。忌み嫌う。差別的に嫌う。 そういうブランド服野郎の得意は、燃えることでない。そんなことに労力はかけない。 だから「おつきあい」は上手い。そして不器用な人間はきえてゆく。 燃える集団、自主独立の独歩集団から、なかよしプライド集団にうつりかわる。 それが会社の、メーカーの寿命が尽きる日だ。 僕は想像する。期待する。 「ソニーってのは、すげーブランドとか組織とかじゃない。おれら職人どもがソニーなんだ。」 そう言う野郎どもが、過去存在したことを。 もう消えただろうか。まだ種火は残っているだろうか。 2009年2月2日(月曜日) 1.ニュースネタ NHKラジオ夜のニュースのトップは、相撲取りの解雇処分の話だった。 スポーツ界の不祥事がトップネタ? さいきん麻生のつるし上げは厭きたのか? こんどはスポーツ界で悪者をつるし上げ? 小学校でイジメが流行るのは無理も無い。大人が一生懸命やってるんだから。 わーわー騒いで「巨悪 from 松本清張」を探してつるし上げ。 「解雇は軽すぎる」 「退職金をあげるのはおかしい」 「また不祥事、もうダメだ」 「力士は影響力があるから人間性もしっかり管理しなければならない」 公共の電波、という言葉は死後なのだろうか? そんな公の場で、うれしそうに追求するキャスター。正義を演説しているキャスター。 ダメなやつを弾圧するキャスター。相撲業界を聞きかじっただけでダメとか、こうあるべき とか語るキャスター。 だから僕も、うれしそうにそのアホをここで追及するのだ。 わかりやすい正義? ♪万里の波涛を乗り越えて、なのだ。 2.自分ねた 昨日の「ひとりサイクリング会」のあと腰が痛い。ということで 夜に筋トレ、、いや、負荷は超軽いから屈伸運動?をやった。 ところで、今年の冬、なんでこんなに身体が弱くなったかと言うと、 もしかすると夏ごろの超ダイエットのせいかもしれない。 やっぱりたくさん食べて、たくさん運動して、たくさん寝るのが一番だ! 食事を削ったり、練習の中身に悩んだりするひまがあったら、たくさん 食べる、いやちがった、たくさん汗かくべきなのだ。 うーん、目もかすんできた。 やっぱり今年の冬はどっかおかしいぞ。 今日、富士通病院に行って検査結果をきいたけど、大丈夫だそうだ。 肝臓がわるかったのは、風邪の直後のせいか、あるいはなにか中毒 だったのかもしれないとのこと。 先生は僕のこと奇病かもしれないと疑ったそうだ。 30歳すぎの女医さんだから、まだ経験もすくないのかな? やっぱり「ぼん、いしゃ、とうなす」である。 ぼん=坊さん いしゃ=お医者さん とうなす=かぼちゃ は、古いほうがイイ、という、言い伝え。近江八幡? 2009年2月1日(日曜日)その3 戦死者について。 企業に長く勤めると、いつのまにか同期が、センパイが減っていくことに出会う。 いや、それはある程度予測の範囲でもあるし、覚悟も決めやすい。 でも、自分の可愛がっていた後輩が辞めるのは、とてもさびしい。 それは部下が戦死したに等しいものである。 ホントに死んでないなら、もういちど闘う。 そうあるべきだと、思った。 こんどそのことをモリカワさんと議論してみたいな。 2009年2月1日(日曜日)その2 今日はひとり「サイクリング会」だ。 長尾坂を降りて府中街道へ出る。すげー向かい風。なぬ、時速25キロも出ない? サングラスしなかったら目を開けられないぐらい葉っぱやら何やら飛んでくる。 でも、でも外は3月みたいに寒さがとがっていない。イイ。 のろのろ路肩を走る。小田急線の陸橋を越えようと頑張るが、これまた真向かいの北風が つよく吹き付ける。メーターをみたら、な、なんと20キロ出ていない。おっせー。もはや ママチャリにぶち抜かれそうなほど弱弱である。 でも、暖かいことには換えられない。今日はいい天気だ。 そのまま矢野口まで向かい、矢野口から鶴川街道に曲がる。 鶴川街道も向かい風。のろのろ走る。のどかだなぁ。 こどもの国付近から「サイクリング会」の道をつかって市ヶ尾付近までゆく。 あ、そば屋で曲がって坂を登った後を覚えてない。。。いつもこの手前で はぐれちゃうからなぁ。 そのあとはプロローグ周辺の住宅街をいつものようにあれこれ迷って、ああ、王禅寺方面に 近づきすぎたな。Uターンしてしばらくするとプロローグちかくの交差点にでた。 ふー。もう10時すぎてるじゃん。 お店には寄らずにそのまま黒川尻手線に出て、うちまで帰った。 長尾の坂を登って自転車を降りると、、、イタイ!腰が痛い。 うーん。弱い。弱すぎる。 がんばろー。おー。 夕方、オーベストに行った。よく考えたら、僕がオーベスト行くのは日曜午後かもしれない。 フジマキ君とケンジが居た。フジマキ君は変わらず初々しい。やはりマリア様のしもべは違うなぁ。 ケンジぃ、背が伸びたかな?そういやこの前みたときも、すこしおとなっぽくなったとはおもったけどね。 こんど高校生なんだ。もうすっかり、14歳のぼくよりオ・ト・ナ。 遅い時間になって、ワダさんが来た。わー!ひさしぶりー!(ちっと嬉しかった) こんどはサイクリング会で逢おうと約束した。 2009年2月1日(日曜日) よしいえ先生、えらいなぁ。 日曜の夜は、ラジオ。ニッポン放送。 ヤンキー先生の人生相談を聞いている。 ふと気がついた。 いつのまにか学生時代の習慣が復活している。 ・・・・ いいんだもん。精神年齢、高校生以下だもん。 それ以降がないから、そのページしかない。 |