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2010.1 長尾日記 | |
当HPはフィクションです。 実在の団体、個人、組織とは関係ありません。 我ら、無限の「爆突!ことは鉄鎖親衛隊!」 第6話 悪口王 第22話 殿執事 第36話 加哩侍 第41話 贈言葉 なんで我ら、「ら」、複数形なのか? そりゃ「若葉ちゃん同盟」に続き、またしても長島君と、同一主張になったわけである。 ワタクシが番組だけを強烈に薦めたら、アメリカでネットごしに観ているそうで、 そしたら、やはり、、、ふふふふふ。というわけで。 かれはいま18話ぐらいだから、22話も、ぜひねぇ。 2010年1月26日(火曜)その2 今日はめでたいっ? C-XがXC-2と名前を変えて、今日初飛行した。 おおおおお!すばらしい日本の夜明けだ! XC-2とは、日本の航空機メーカーが開発した中型の軍用輸送機である。 まず注目すべきは、日本が作ったもっとも大きい飛行機である、ということ。 世の中にはボーイング747ジャンボジェット機とか、アントーノフ225ムリヤとか、 ばかでっかい飛行機があるので、けして日本の大型機開発技術が優れている訳では無い。 でも、終戦後、日本はGHQによって航空機製造を一切禁止されてしまい、プロペラ機から ジェット機への転換についていけず、航空機製造ビジネスからは完全に取り残されて しまったあとで、これだけ大型の機体を開発することが今できたのは、感無量なのだ。 戦後からずっと、日本は国策として航空機開発をなんども試みていた。「YS-11」は日本の 重工メーカーを集めて、中型の民間旅客機として1960年代に開発された機体だ。 YS-11は海外でも販売されたが販売網とアフターサービス体制の弱さから、販売実績は 延びなかった。しかし桁外れに丈夫な機体であったYS-11はその後40年以上も世界を 安全に飛びつづけた。最近の法改正で衝突回避システムの義務化されたことで、 ようやく退役させられるという逸話を残したのである。 富士重工の小型飛行機エアロスバル、三菱重工のビジネス飛行機MU-2、小型機では 名機を世に出しつづけたが、どれも世界を席捲するまでには至らなかった。 三菱がMU-2のあとに開発したジェットビジネス機MU-300はちょうどオイルショックの時代で 販売不審となり、海外の他社へ販売権を譲渡してしまった。そののち景気回復して 急に販売を盛りかえし、改造機体が米軍の練習機に大量採用されるという皮肉な事態も 起こった。 日本の航空機開発は民間の分野ではぱっとしなかったが、軍用機ではほそぼそと続けられ、 1960年代、富士重工によるT-1ジェット中級練習機にはじまり、その後は三菱などが T-2ジェット高等練習機で音速を超え、T-4ジェット中等練習機、T-5、T-7初級練習機など 地道に続けられてきた。 T-2練習機を改造したF-1支援戦闘機、アメリカ製のF-16を改造開発したF-2支援戦闘機、 そして現在開発中の将来戦闘機と、戦闘機分野でもひっそりと、しかも企業努力だけで (むろん製造数が少なくてぜんぜん儲からない)続けられている。 潜水艦を捜し出す対潜哨戒機の分野では戦後、アメリカ製のP-2Vを改造したP-2Jを川崎重工 などが製造、おなじくアメリカ製のP-3Cの設計図を開示してもらって生産してノウハウを貯めてきた。 そして一昨年、純国産のXP-1哨戒機を初飛行させることができた。純国産とはエンジンも 国産、という意味であり、世界でもエンジン開発ができるのはほんの数社だけ、その他の 国々は購入するかコピー製品しかできないという状況で、自国開発のジェットエンジン を搭載したということは、日本の技術が極めて高いということなのだ。 輸送機の分野では、C-1ジェット輸送機を50年前に開発したが、当時の政治的理由から 航続距離を極端に短く制限されて、沖縄が本土復帰したあとになって航続距離不足となり、 アメリカ製のC-130H輸送機を追加購入することになってしまった。そんな裏目つづきの 航空機開発業界で、今、C-1、C-130をはるかにしのぐ性能の国産輸送機を開発し、今日、 初飛行させることができたのだ。航空機業界の技術者ダマシイに、最大限の敬意を 表したいのである。 話は自衛隊の輸送機の問題に留まらない。XC-2の開発の主体となった川崎重工は、 この機体に小改造を加えて民間用輸送機にして、世界中に販売しようと計画しているのだ。 (計画名=YPX)日本のように資源も食糧もない国が、飛行機を開発して世界中に売る。 これこそ立国なのだ。 三菱重工は今までわずかな防衛費でも赤字覚悟で開発を続けてきたが、さいきんは そろそろ愛想がつきたのか、小泉政権以降ずっと続く一方的な防衛予算削減に業を煮やしたのか、 開発チームを民間機開発へ異動させ、MRJという、中型旅客機の開発へとシフトしてしまった。 いや、MRJが成功すればそれでよいのだ。MRJとは「リージョナルジェット」というカテゴリの 飛行機で、客席数が70から90の小型ジェット機で、地方空港間をつなぐ「空の高速バス」 のようなものだ。 この「空のバス」というのはアメリカ国内でとても需要があり、ヨーロッパやアジアでも 今後需要が増加する可能性があった。昨今の原油高と世界的不況でそのプランも暗くなって しまっている。いや、世界的不景気ならば何を作ってもダメなのだが、今後もしも景気が グローバルに回復したとき、日本として売るものが自動車だけでなく、飛行機という、 小規模な新興国では簡単にはマネしにくい分野に進出することができるのである。 MRJ、YPXは日本の未来である。自動車の分野ではトヨタのエコカーが善戦しているが、 バッテリーカーの時代になったとき、どのような勢力図になるか分からない。そもそも クルマだけで立国はたよりない。技術の集約で、産業の裾野が広い航空機産業、これは 日本の未来に大きくかかわっているのである。そしてそんな未来は、わずかな予算で ほそぼそと開発を続けている技術者によって支えられているのである。 ちなみに、今ヨーロッパ各国が共同で開発しているEU共通の軍用輸送機A400Mは、XC-2の 数倍以上の予算を投入して同サイズの機体を開発しようとしているが難航しつづけ、今、 まさに計画頓挫の危機にある。一方、日本のこの手の産業はおそろしく安い予算のなか、 世界に匹敵するものを作りつづけている。 日本の力というのは、いちばん日本人自身が知らないのである。 時事通信のこの記事、 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010012600170 「機体の不具合で大幅遅れ」と、さも鬼のクビでも取ったような 偉そうな記事だが、もしも現代の航空機開発が予定どおりの「遅延なし」 で終わったのならば、それはウソであり、実用化されたあとに墜落、 何百人も死亡、という危険を覚悟するべきである。 開発者たちは、そうならないためにどんな小さなことでも繰り返し確認する。 計画時に予想できないようなイレギュラーを、どんなに小さくても徹底的に 確認し修正する、だから予想外の時間がかかる。そういう飛行機開発の世界を なにもしらないセリフであり、時事通信の記者(プロ)の航空機開発の理解は、 こどもレベルに低いのだ。新聞屋が厚顔無恥(無知)、特に時事通信は色めがね ってのは、もはや定説なのだが。。。もはや付ける薬もないか。 こんな勘違いの揶揄にもめげず、よいものを作る。 テレビ評論家や新聞の無知な中傷をほっておいて、いいものを作る。 それでいいのだ。技術者のタマシイとは、そんなものなのだ。 ちなみに、このXC-2、中型輸送機のなかでは段違いに世界最速である。 この「速い」ということは、とても重要だ。 ふつう軍用輸送機は、遅い。重量物を運ぶために、遅い。 民間旅客機は高高度を高速で飛ぶ。いまや世界中の空は民間空路が込み合って、 しかも高速で流れている。軍用輸送機は遅いので常に民間空路をさけて 飛ばなければならない。だから遠方までゆくためには何度も迂回し、 なんども給油しなければならない。とても時間がかかって効率悪い。 XC-2は破格の高速を発揮する。つまり、民間空路にいれてもらえる速度がある! 中規模な輸送機ではおそらく、世界初だ。 ハイチで地震があった。日本の陸自が持っている手術車を現地に送るのは 何日もかかるだろう。いや、今の輸送機C-1やC-130では重くて運べない かもしれない。XC-2が量産され配備されれば、余裕でクリア。到着まで 1日程度だ。しかも軍用輸送機である。現地の空港の路面が壊れて 短くなっていても、仮設状態でも、着陸ができるのだ。普通の民間旅客機では 絶対にまねできない。 XC-2の開発がハイチに間に合えば、というひともいる。 でも、今の予算状況では数年に1機を発注・製造するので いっぱいだろうから、どんなに開発を急いでも無理だったろう。 日本には、いざとなったら助けてくれ、助けにいくべきだと主張する 左翼政治家やテレビ評論家がいるが、それも普段の準備と予算あって のことだということを、よく考えておくべきだ。ま、そもそも彼らの言説は 空想的なので政治家として相手にするほうが悪いのだが。 そのへんの矛盾は、やはり敗戦トラウマがいまだ続く日本、 ということなのだろうか。あと何十年かかるのだろう。 それまで日本は鳩山同然の「キモい国」なのは、 しかたがないのかもしれない。ふー。。 2010年1月26日(火曜) ♪ららンらー らんどせるーわー ♪ててンてー てんしのはーねー 「せいばんのらんどせるで、背筋、ぴーん」 ♪せなかーにぴったり ららンらー ♪ててンてー てんしのーっ はーねっ! 今日のアタマの中をかけめぐってるCMソングである。 ところでどうでもよいことだが、昨夜ついに 「奥儀・ローラーネットの技」を習得したっ! 「限界・階段インターの技」を1年前に習得し、 この年末年始に「秘技・PC上腕筋の技」も体得した。 次は本筋で宿願であった、ローラーネットに挑戦し、 なんとかものにできたかもしれない。 これもたゆまぬ工夫、努力はしてないけど、 溢れる想像力のなせる技なのである。 そう、切磋琢磨の彼岸とは、すべて想像力の結集なのである。 そして想像力は諦めない意志からのみ沸き上がるのである。 ♪ららンらー らんどせるーわー ♪ててンてー てんしのはーねー 2010年1月25日(月曜) さて、さいきん日記をかいてないが、それもそうなのだ、 いろいろ混迷しているのだ。 いや、さほど悪い意味でもない。試して失敗しての連続。 トレーニングもしたり、まったくさぼったり。とにかく 続けられる自分っぽいスタイルの確立を探求しているのである。 ま、そんな生活改善の第一歩は、かつてラビリンス状態だった 自分の身の回りの代名詞である自室にメスをいれることである。 それはだいぶ進んでいる。でもまだまだだ。PCの整理もはじめたが、 これも根深い。かなり前よりすっきりしたが。 ひとむかしにくらべて、いろいろアイディアと時間があるように なったのは良いのだが、でも困ったことに一番大事なものがない。 それは、情熱だ。 「自分もがんばったら、もしかしてなにか面白いことができるかもしれない。」 そういう気持ちが、お金(だけ)でないなにか、価値あるものを やりとげるのだ。でも、なにができる?なにをめざす? ロードをはじめたばっかりのころは、タイムがつぎつぎ延びた。 まそりゃ、完走できないー完走できた、ヒルクライムが2時間かかった ー1時間半にまで縮まった、、、、 いやはや、僕のレベルはそんな低レベルだったのだが、 すくなくとも「変わっていく明日」があった。 でもそれが続かなくなったのはなぜだろう。 べつに努力したのに壁にぶつかったという訳ではない。 そんなにがんばってない。だから無理だとか絶望とか そんなのは感じたことが無い。むしろ、さぼったとか、 腰がいたいとか、仕事で寝れなくなったとか、そういう 要因であきらめてしまったわけだ。 チャンスはもどってきたのに、なぜ自分自身について燃えないのか。 いや、どうすればもうすこし面白い輝かしいものへ向かって歩ける のだろうか。 ・・・ そんなこと日記に書けるのは、なにかしらわずかな可能性が、 なくはないからだ。 ちうことで、またトライアンドエラー、今の「なにか」も 失敗のひとつかもしれないが、日々これ勉強。老若男女 すべて先生、そういう気持ちにならにゃあかんのである。 にしても、便利で手軽になんでも得ることができる世の中は ダメだな。 いくつになっても、大事なものを得るために、そうでないものを 削るという行為を、しないとだめなのだな。なかなか難しいのだが。 わたしの精神は、見掛け以上に太っているのだ。 反省しよう。 2010年1月20日(水曜) 先週、わが隊からひとり戦死者が出たのだが、その件で 今週は善後策を上官らと打ち合わせするため、本部へと もどった。 本部の廊下ですれ違ったクラシゲ大尉は笑って 「おまえがいじめたんだろ?」と言ってきた。 となりには鬼のヤマグチ大尉がいたから、 「それは、山口さん。そっちへ向かって言ってください」 とやりかえしておいた。 今回自分はほとんどかかわってない。 自分のせいじゃない、、はずだ。ハズダヨ。。。 本部を見渡す。8年以上むかしに自分の右腕だった、 生き別れの、いや異動して一昨年再会したのだが、 そのウエハラ軍曹にグチって顛末を話したら、 「すでに病気もちで死亡って、着任1ヶ月でよかったですね。 もしも数ヵ月後で、重要な作戦中に死ぬよりいいじゃないですか」 「うん。」 さすがウエハラ軍曹。。。いや、育て間違ったか?いやいや。 次の交替要員はどうなるか分からない。次は若僧でよいから 元気でチャレンジャーであってほしい。有能な老兵ほど 研究部隊では言い訳とサボリが横行するものなのだ。 2010年1月19日(火曜) とあるネットニュースから引用。 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100115/343270/ 「予算オーバーや納期遅れ、品質低下といった失敗プロジェクトを IT企業の視点で調べると、九つの共通点が見つかった。 九つのうち三つを満たす案件については、特に注意が必要だ」。 NTTデータの岩本敏男副社長パブリック&フィナンシャルカンパニー長は 2010年1月15日、プロジェクトマネジメント(PM)の国際標準化について 議論する「PM国際標準化フォーラム」に登壇し、こう述べた。 岩本副社長が挙げた九つの要因とは、次のものである。 一つ目は、対象プロジェクトが新規顧客からの受注であること。 二つ目は、新システムの要件が「現行どおり」とされていること。 三つ目は、新技術や経験のない処理方式を採用していること。 四つ目は、IT企業と顧客との間で一括請負契約を結んでいること。 五つ目は、IT企業のプロジェクト原価率が95%以上であること。 六つ目は、開発期間が6カ月以内といった短期プロジェクトであること。 七つ目は、プロジェクトマネジャが過去に似たようなシステムを開発した経験がないこと。 八つ目は、受注したIT企業が下請け企業に仕事の90%以上を回していること。 九つ目は、顧客の要件定義力に問題があることである。 講演のタイトルは「企業におけるPMの意義について」。 岩本副社長は、これら九つの失敗要因を回避するためにも、 「プロジェクトマネジメントについて真剣に取り組むことの重要性が高まっている」と強調した。 岩本副社長は、「システムの大規模化が進み、納期とコストを守り高品質なシステムを構築することが どんどん難しくなっている」と指摘、 「大規模開発をコントロールできるプロジェクトマネジャの育成が急務だ」と続けた。 当り前だと思うが、当り前だからこそ原則であり、至言だ。 この九つのどれも該当しないようなプロジェクトは、たぶん存在しない。 それでは簡単過ぎて新規に設備投資する意味がない。おカネをだして 仕事を発注する理由がないからだ。だいたい九つ目なんて、期待するほうが まちがってるのではないか? 危険は承知である。でも、九つのうち、半分以上も該当するようなプロジェクトは 分が悪い。景気がよくて他に仕事があれば、そんなしごとは受注したくない。 でも、見通しが悪くてもやらなければならないときがある。 他に選べる仕事もなくて「手待ち」しているよりよい、ということでやってしまうのだ。 それは社員をクビにできない企業の宿命だ。 わたしにとって、3つ該当はデフォルトだった。だから仕事は常に3つ以上だった。 わたしがつぶれた某証券系のプロジェクトは、5つ、いや5つ以上該当していた。 おまけに労働環境は客先に缶詰で毎日終電。自社の上司からの援護はない。 励ましの言葉ぐらいはもらったが、ことばだけだった。それでも生きてゆかねばならない。 このご時世のサラリーマンとは、どこもそんなものだ。いまどきの30代、40代の抱えている ものなんて、どこもそんなものだ。そうじゃないなら、冷えた職場か、珍しいところじゃないのか。 日本のどの業界も、いい話が聞こえてこない。どの業界にも状態のいい、がんばってる特別な ところは少数あるが、全般的に、地合として、よいとは思えない。 2010年1月18日(月曜) 実は、半年前ぐらいなのだが、たまに目がかすむことがある。 毎日とかいうのでなく、ある日、何週間かにいっぺん、急に目がかすむ。 しばらく目を休ませていると、なおったりもする。最初はモニタの見過ぎ かな、と思ったのだが、たしかに見過ぎた日はそうかもしれないが、そう でもない日も、突如なる。 今日も突如、悪くなった。 視力が落ちる、とか、遠いものがみえずらいとか、そういうのではない。 すげー乱視になった感じだろうか。 来週眼科を予約した。 もしかして、運動不足かな? 親族で目の病気はいない。 自転車にのって遠いところをみていれば治るかもしれない。 そういうことにしておこう。 2010年1月18日(月曜) ここは前線ではなかったはずだ。 本国の研究本部で、われわれは新兵器のため日夜技術のかぎりを 尽くしているはずだった。 先月配置された、ベテランとのふれこみの傭兵1名が突如戦死した。 着任以来、たいした戦いもせず、安穏な毎日をおくっていると 思っていたが、先週急に戦死した。 ここに来る前に深手を負っていたことが判明した。でも、そんな話は 傭兵の契約時には聞いていなかった。こちらにきて、だまって持ち場に いるだけ。交替時間にはさっさと持ち場を撤退していた。自分は ずいぶんと暢気なやつで、これから勤まるのか、とおもっていた。 たしかにこの現場もきついことはきつい。要求されるものは 体当りで捨て身の突撃ではなく、技と知恵を駆使した斬新な戦いだ。 意気を感じてやりとげようと戦うならばよいが、恐れて、気が曳けて しまえば、重圧につぶされてしまうのかもしれない。 そもそも先月1名を雇ったのは、以前から居た、働きのにぶった、 維持することしかしようとしない、もはや新しい挑戦のない1名を 交替させて体制を刷新・強化し、より攻撃的にゆこうと思ったのだが、 その逆になってしまったわけだ。 金曜夜は落胆してなにもしたくなかった。 自分の苛烈なやりかたに、限界があるのだろうか。 ものさしにあわない現実が見えてしまった。そしてその現実への妥協が、 自分の選ぶべき選択だということなのだろうか。 自分は意気消沈し、土日はのろのろ生きていた。 過去の悪癖、ストレス過食さえ復活しそうだった。 今日、上官から野戦電話で、交替要員候補の話をきかされた。 別途自分がうごいている、そう、あの戦車長に紹介をお願いしてもらっている 増員ルート以外に、上官が別の話をもってきたのだ。その話は、かつて赤坂の戦いで、 加藤のうしろで奮戦してくれて、加藤がなんども死地を無事にやりすごせた、 忘れない恩のあるカナイ少尉経由の話だった。 彼の配下は、とても信用がある。しってる兵は何人かいるが、 どれも切れ者で、弱くない。アテになる。若くて自立している やつばかりだ。あのオキナカ上等兵も、カナイ少尉の部下だった。 チャンス? 塞翁が馬、だろうか。 まだその補充兵とは顔をあわせてない。が、とても期待がもてそうな予感だ。 暗澹としたこの週末は、今朝の連絡で一気に上昇気流のように青空となった。 2010年1月13日(水曜) Ubuntu最新版にゃ手を出しちゃいかん。 ブートセクタを修復し、なんとかノートPCは起動した。 怖かった。怖かったよぉ。 2010年1月11日(月曜) ・・・ノートPCが直らない。。 古いHDDとデータはあきらめ、新しいHDDと交換し、デュアルブートとして 再生しよう。というわけで、まずは最初にWindowsXPを入れようとするが これが難作業。PCメーカーのリカバリ用CDが、 「デバイスドライバのソフトウェアはHDDの中にあります」ってふざけた仕様で、 じゃ、HDDが読み出し不能になったばあいは復旧できないってわけ?そもそも HDDが読み出し不能になるから、リカバリCDなんぞ使うんじゃないか? わけわからん!エプ○ンダイ○クト! といってもしょうがない。 いちおうOSはインストールできたが、デバイスドライバはすべてダウンロードして 手動で設定。これが昨日の夜中まで掛かる。そしてデュアルブートのため、寝る前に LinuxのUbuntuを入れる。すんなり入るが、画面解像度が800x600しか出ない。 うぶんつはどうやら画像制御系が苦手のようで、ノートPCには不向きなのかな。 なんとか解像度を上げようとX関係の設定をいじりだすが、これがまた、Ubuntuは 8から9、9.10の間にころころ仕様が変わっているようで、ネット情報のさすがに ストレートに当てはまらない。あれこれ試しつつ、むちゃをやっていると、 あれ?なぜ?ブートしなくなった。がーん。。 ノートにLinux、しかもUbuntu、しかもデュアルブート、、、 難易度たかすぎただろうか。。。 それよか、はやくデスクトップの交換用HDDが届かないかな。 (今はデュアルブートじゃない、半身がおかしいノートPCで更新中・・・) なんだかウチでも仕事してる感じだなぁ。。。 2010年1月10日(日曜) 寝坊した・・・ しょうがないので、壊れたノートPCのOSを 再インストールしたが、なんだってWindowsってのは こんなにも手間が掛かるのだ。。。 ドライバ入れ替えだけで四苦八苦して、ノートPCの OSとデバイスドライバの面倒だけで丸一日も消費してしまった!! これじゃ、Ubuntu(「うぶんつ」と読む。Linuxの一種)との デュアルブート作戦は明日以降に持ち越しじゃないかぁぁぁぁ。 そもそも本題は、OSが腐ったデスクトップパソコンの修理を しなきゃアカンのだが、そのバックアップ用マシンであるノートPCが 先にHDDが逝ってしまい(なぜだっ!)、ノートPCを修繕してからでないと、 まず本番のデスクトップマシンの修繕およびLinux化が進まないわけなのだ。 ふぅふぅ。。。 年末からできるだけ余計なものを削ろうと部屋を片付け、ものをかたづけ、 本も書類も整理整頓し、ようやくラビリンスで腐海のごとくのわがデスクトップ マシンに着手しようとしたわけだ。 そんなんでサイト管理してるって、やばくね? いやいや、あははははは。まぁそのー、まぁそのーは、大平だっけ? (ちうことで半分再構成に成功したノートPCより日記更新なのだ。) 2010年1月7日(木曜) PCの分解整備中。。。日記の更新は土曜に? 2010年1月6日(水曜) 2010年1月5日(火曜) 2010年1月4日(月曜) 2010年1月3日(日曜) しのびよる影。。。か。。 77 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:04:48 ID:xxxx 民主党って根本的なところで勘違いしてるよな。 脱官僚って、官僚排除して意地でも政治家だけでやろうとしている。 そんなことができるかっての。 立花隆も言ってたな。 82 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:05:54 ID:xxxxx 衆議院の「会議録議事情報」を見ていて気付いたこと。 http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm ◆◆◆◆◆民主党は国会会議録の隠蔽を始めた◆◆◆◆◆ ○10月28日の本会議第2号会議録が無い! http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/0001_l.htm この日の本会議 質疑者:谷垣禎一、西村康稔、井上義久 ※代表質問、鳩山総理「あなた方に言われたくない」など http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=39981&media_type=wb ○11月17日の法務委員会第2号会議録が無い! http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/0004_l.htm この日の法務委員会 質疑者:棚橋泰文、稲田朋美、馳浩、神崎武法、大口善徳、城内実 ※総理の脱税、拉致問題と外国人参政権で千葉法相追及など http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=40002&media_type=wb ○11月4日の予算委員会第4号会議録が無い! http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/0018_l.htm この日の予算委員会 質疑者:柴山昌彦、齋藤健、石破茂、菅義偉、斉藤鉄夫、富田茂之、笠井亮、渡辺喜美 ※総理の脱税、安全保障、郵政社長人事、基地移転の公約違反追及など http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=39985&media_type=wb 隠蔽された会議録はどれも「都合が悪い」という共通点ありw 111 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/04(月) 00:10:49 ID:xxxx >>77 あと、批判を受け入れない体質も異常だな 少し批判しただけで、言葉に窮したり、逆に切れたりとどいつもこいつも打たれ弱すぎ だったら、批判の元を隠蔽してしまえとか、弾圧してしまえって発想になるんだろうな 議員の資質からして独裁を目指す要素は十分にあった訳だ さてどうしたものか。。 2010年1月2日(土曜) 正月二日は、母方の親族で新年会。 会うなり、大きくなったといわれた。肩まわりが。 実は年末年始に体重増加するのを防止するため、机に座ったまま 軽めのダンベルでしゅごしゅご上腕を動かしていたのだ。 で、体重は減らず、脂肪も減らず、肉は増えるのね。 しかも自転車にかんけーないじゃん。 いまだインフレ専用な身体だな。 いつ絞れるんだろう。おお。 そういやどうでもいいけど、片山右京の話をきいて、ま、冬山なんだから そういうこともあるものとしか思えなかった。20年ぐらい前に、高校のときの 同級生で山岳部だったやつが、冬山へ1人で行って遭難したので、もはやそういう カテゴリのスポーツ、という認識しかないわけだ。そんなに騒ぐことだろうか?と思う。 だってダイビングだってそうとう怖いよ。 高山も海面下も、局地だからねぇ。。 いや、仕事でも人は死ぬし。ねぇ?うははははは(笑えねぇー。) 今日、4日ぶり?ぐらいに、長尾坂を裏から登った。 最初はいつもより元気ぐらいだったが、中盤を過ぎて、、、うっ、 や、やばい。。。 かなーり退化してる。ここ最近ずっと酒付けのような気がする。 減量にも失敗してるし、もーサイアクぅ! ちなみに今年も初夏の風になるため糸魚川に参戦予定。大丈夫なのか? 去年はナメてて、長距離練習ぜんぜんしてなかった。 ことしは輪をかけて身体が退化している。このままじゃ 完走できないかも! 目標がないと朝練とか続けられない。 目標は、、、とりあえず糸魚川で自己ベストを目指す、かな? 2010年1月1日(金曜) まいとし元日は寝正月。 最低限のしごととして、地元の神社へお参り。その後はくっては寝ての繰り返し。 |