トップページへ

2011年12月の長尾日記

当HPはフィクションです。
実在の団体、個人、組織とは関係ありません。



2011年12月31日(土曜)
実家の掃除手伝いと、お節料理づくりの手伝い。
もう両親も、かなりの歳だし。いろいろ手伝わないと、、、ね?
役立たずの妹は、年末に実家にもどってもコタツでテレビ。
こりゃ、嫁に行けないのも納得だな。
おっと、しあわせものは文句いわない、いわない・・・

今年もきんとん、田作りをやった。来年は伊達巻かな。 お節料理のいくつかは、わりと大雑把なものもある。 田作りときんとん、ビミョウなのは、田作りのアーモンド焼き加減ぐらい。

卵を焼くのは、ビミョウな料理だ。だから伊達巻も微妙だ。 だから、来年は自分が伊達巻をやろう。きんとんは、簡単だから 来年は両親に任せよう。もう自分は按配を覚えたし。 (わたしの行動原理は、そういうもの。「夏が来る」の真逆。)


田作りは、去年のレシピで、砂糖多め、醤油少な目でやった。 ごまめの炒り按配は、調理台におしつけてポキッと折れそうになるぐらい、 ということだが、それは分かりにくい。実は、十分に炒ることができると、 うすーく煙が出てくる。そのあとすぐ焦げるはず。その直前で止めるのだ。


きんとんは、半日水にさらして茹でたが、においが甘かったので砂糖を大さじ3杯も 減らした。今回は「いなかの芋風」をめざしたので、フードプロセッサは軽めにして、 栗の甘露煮の瓶づめのシロップも半分、水あめも小さじ1だけだった。甘みはたしかに 十分だったが、フープロがすくなかったのと、シロップが少なかったので、キメがあらく、 つやが足りなかった。やっぱり水あめは少なくてもいいけど、シロップはちゃんと入れよう。 あと、芋も皮むき後に970グラムもあったが、多すぎだったから、来年はもうすこし少なくしよう。
あ、いや、来年のきんとん作りは両親に任せるか。

それより、ワタクシは伊達巻だな。



2011年12月30日(金曜)
庭の木を剪定した。
なれない作業で、大晦日は身体中いたくなった。




2011年12月29日(木曜)
最終話、、、、続編のために話変えた??

なんだか、しっくり来ない。

最後、キイちゃんのシーンは、
まさか作り手の自分への言い訳じゃないよね?


母親になること、これは描ききれなかったので、逃げた。
僕の勝手な解釈だけどね。
相武の母親?もムリがあるし。
話数が足りなかったかな。
ミタの、家族への思いをどうするか、決着してない。
長女が、相武を選んだ理由も、唐突だ。

ということで、「しっくり来ない。」

10話の遊園地の話と、落差ありすぎ。
お話ってのは、難しいねぇ。





2011年12月26日(月曜)その2
♪私のハートは ストップモーション
♪あなたに出逢った まぶしさに
・・・・


今日の治療曲。




2011年12月26日(月曜)
ミタ、最終話だけまだ観ていない。ミタが笑うのかどうか、話題だったらしい。
なぜミタは、笑わないのか。

一生笑うなと言われたから?ちがう。
笑うと、まわりが不幸になるから?
本当に、そうなのか?

笑わない理由、それはきっと、笑ったら、自分が笑ったら、夫や息子と別れることに なると思っているからだ。だから「笑えと言われたら、辞めさせて頂きます」とキッパリ 言うのでしょう。自分のために笑わないんじゃない。罪の意識で笑わないんじゃない。 家族と居たいから、笑わないんだ。
家族といたいから、ぜったいに笑わないのだ。

さいきん、ある人が、あのお話の感想を僕にいった。
「昔につくったら、あのドラマ、ミタは毎回ちがう家庭に行って、 問題を解決するような話になったんじゃないか。」

・・・まるで自分の考えと違う。
ミタはスーパーウーマンではない。その逆だ。
戦後の自立した強い女でも、進歩的女性でも、元気印の女でもない。 自己実現、自分の生き方、そんなことよりも、家族、家庭のことが なにより好きで大事な女、戦後ながいこと女自身が忘れていたものだ。

わたしに感想をいったひとは、まったくそう考えてないようだ。 あの番組を観ても。ちょっと残念だ。でも、年齢から考えれば、 それはしょうがないのだろう。反論しなかった。うん。それより、 こんど、彼女にミタの感想を聞かせてと言われている。この文書 そのままメールしちゃおうか(アホ)

最終話は、まだ観ていない。

子供達は、ミタに「笑って」と言うのだろうか。言えるのだろうか。 「息子、夫とバイバイして自分達の家族になって」と言えるのだろうか。 その覚悟が、出来るのだろうか。10話のさいご、
「ミタさんが何度(遊園地に)きても、僕達がいっしょにいる、いっしょにファミリーセットぜんぶ食べる」
よくぞ、よくぞ言った!加藤鉄血十文字勲章を授けるものである!!
ちなみに勲章は名誉であり実体は無いのである!!!

ドラマでは、父親、長女の彼氏、どちらも、とてもおそまつである。 そうだ。戦後の男そのものじゃないか。男が批判する男の軽薄な姿。 このドラマのお話づくりの主導権は男だな?長女をキレイに彼氏と別れさせたのも、 男のつくったドラマだからだ。娘には、こうあれ、ということだ。 うんうん。この作者とは酒飲みたいなぁ!!

母親、ミタ、母親の妹、どれも同じ。家族が大事、家庭が大事、 だれかの世話をするのが大事。この姿、時代が忘れていたものじゃないのか。

「おかあさんの料理、おいしいね」
このセリフが繰り返し出てくる。
「母親が家にいて料理、家事に専念するなんて男尊女卑は許しません!」 という圧力を完全にはね退けているのだ。
死んだ夫や子供を忘れて自分の価値観と生きがいを見付けて、ふたたび あかるくハッピーをゲットするんだ、そういう選択肢は、ミタという女には、 徹頭徹尾ないのだ。もうわかるだろう?

ミタという女が「戦後の女」からの脱却であることがわかるはずだが? でもこんなの、みてて当然だよねぇ、若い子?平成の子!コラ!

いまの時代、健康ドリンクのCMでさえ、「あなた、はいこれ」「おお、行ってきます」 というシーンさえ許さない、女性も出勤する姿を描かないと許さない圧力団体に屈せず 作ったドラマ。

それが視聴率40%ということだ。それが真実だ。
これがポスト3.11だ。

20年前に作れよ。ばかもの。大馬鹿者。
ああ、視聴者がついてこないか。うははははは;;


・・・某国系ドラマとは、プリウスとカローラぐらい違うかな。





2011年12月25日(日曜)
家政婦のミタ、ケーブルテレビの「みのがしチャンネル」では
まだ第10話までしか配信してない。最終11話がみたいのだが、
あしたから仕事。どうせ明日も深夜帰宅の予定だし。
つぎドラマ観られるチャンスは、仕事納めの後の後か。


今日は「坂の上の雲」の最終回をみた。
演出は、だいぶ震災の影響を受けたように見えるが?

ラストちかく、文豪が「軍人に嫉妬している」なんてセリフ、
3月11日より前だったら、すごく実感なくて
空虚だったろう。


つい2,3日前、NHKラジオで、ごく早朝、とある投稿を
紹介していた。
自衛官の家族が帰ってきた。帰ってきて、ずっと黙っているそうだ。
被災地では、たくさん遺体の回収をしてきたそうだ。

みんな心のなかで、手を合わせている。
嫉妬する人もいるだろう。
そういうことだと、思ってる。

よくミュージシャンと自称する人たちが「俺たちになにができるのか」
「音楽なんてやってていいのか」そう悩んだと吐露していることを聞く。
自分のできることをしろ、でないのか。
それでいいじゃないか。

彼ら音楽の徒は、ある意味、感受性、いや、ひとの言葉でない、
なにか伝わるもの、そんな感性が他の業種より、ずっと強い。
それを知っていれば、なにも言わなくてもコミュニケーションできるから
楽だ。

日本人が愛すべき歌手、八代亜紀が、応援ソングなのに、歌に詰まった姿を、
僕はみた。だめだ!ケツにナイフさしても、頑張らねば!
(いや、もし自分だったら、そうしてもダメそうだが。)

役者に知り合いはいない。そのセンは知らない。

同期、ナガシマ君がまたアメリカ長期出張になる。
その壮行会をやったとき、同じような話になった。
僕はこうして文字にできても、それらを言葉にできなかったので
絶句した。

言うはやすし。おこなうは難し。
日本の大きな不幸は、どうやら長い「戦後」を、変えてくれる、
ようやく動かしてくれる、その第一歩なんだ。



本気で紅白に、郡山第二中学合唱部を呼ぶの?




2011年12月25日(日曜)そのなんとか
3連休は苦手だ。休みは要らない。

アメリカン・フィーリング http://www.youtube.com/watch?v=fCdAAK_5DKY&feature=related
私のハートはストップモーション http://www.youtube.com/watch?v=crjUmCqXe_A
君は薔薇より美しい http://www.youtube.com/watch?v=hsSRs_Dg4KM
岩崎宏美の未来 http://www.youtube.com/watch?v=QE-pjIxPq7A
唇よ熱く君を語れ http://www.youtube.com/watch?v=QfojBso8WjM&feature=related
a star is shining so holy and bright... http://www.youtube.com/watch?v=cvdc4mwIK4U

休むと壊れる。
パト吉に助けてもらおう。



え?紅白に、郡山第二中学校の合唱部がでるの?
まじ?

大御所とかいう和田アキ子の歌なんてきけねーぜ。粉砕っ!あははははは!
日本人の心臓ぜんぶブチ破って、串刺しにしてしまえ!征けー!!
あはははははははは!



あーあ、20年おそく生まれたかったよ。
自分の時代がきらいだ。




2011年12月25日(日曜)そのなんとか
これが普通の歌だ。:パープルシャドウ

サービス:お笑い漫画道場OP

サービス:ロボコン



第10話。ミタが「あれは事故死だ」と言った。
そうか、そうかもしれない。
そうなんだ。








2011年12月24日(土曜
43歳になると、昔のことを思い出すのが難しくなる。
たぶん、覚えてはいるはずだが、キーワードを手繰らないと出てこない。
思い出せない部分は、思い出せた周辺からつなぎ合わせて再構成しているようで、
いざことばにしても、実感がわかない。





2011年12月24日(土曜
休養日である。
「家政婦のミタ」1から5話まで観た。

長男が迷走して、ミタに、

 「俺の気持ちなんかぜんぜんわかってないだろ」と叫ぶ
 「いえ、わかります」

そういって、ミタは隣の家の壁にでかでかと

「家族を守りたい」

と書いた。

番組の最後に家政婦紹介所のおばさんがぼそっと、

 「そういえばアカリちゃんの子供も、いきていればあれぐらいの年頃」

と言った。
第五回になってはじめてミタの人間を書き始めた。


もう放送は、最終回もやったそうだ。
あと5話分は、また時間があれば観よう。

ミタは強い。でもなぜ強い?
人が強くなるのは、どんなとき?

壮絶な少女時代があって強くなった?それはウソだ。
そんなのはありえない。人が強いのは、誰かのためのときだけだ。

でも、

誰かのために強い、とは、怖いことだ。
強い思いは、ミタ同様、ひとを殺しかねない。
そしてなにより、自分を壊しかねない。

人前にでない。人の上に立って発言するようなことはしない。
なるだけすみっこで、ひとのうしろで、ひっそりしていたい。
それは、なにかを壊さないため。暴走の危険を知っているため。
ふつうはそうだが、でも、ミタはまだまだ純粋だ。


僕はカテゴリ的に、相武や義父と同類である。
おのれにばかり執着している若い父親なんぞ
第一話からぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。
でも、息子のために土下座した姿はまさしく父親だった。



僕の年代の前後より、今の若い子のほうが、きっと強い。
今の時代のこどもたちが、日本の未来の希望だ。




2011年12月23日(金曜)
イブイブである。





2011年12月22日(木曜)
ちっと働きすぎた。。。





2011年12月18日(日曜)
風邪が、いまいち治らない。でもF病院でもらった薬のおかげで
かなり忘れられるぐらい軽度になった。

やはりダイエットばかりやって、真冬になってトレーニング再開して、
汗かいたあとすぐに着替えないで、それで一発で風邪って、なさけなさすぎ?

でも、おととしの年末のインフルエンザもそのパターンだったような・・・
(いいかげん学習しろよな・・)




2011年12月16日(金曜)
昨日は苦しいながら23時まで残業してしまった。アホである。
でもおかげで、今日の会議は、、


会議にいく前

 カトー軍曹:(加藤決死隊、)行ってまいります。
 カナイ少尉:・・・・(無言)。

会議後

 カトー軍曹:はずかしくも、帰ってまいりました!
 カナイ少尉:それって何でしたっけ。
 カトー軍曹:横井さんです。
 カナイ少尉:(おちついた声で)ありましたっけね。


ええと、、知らないよね。横井庄一なんて。昭和は遠くなりにけり・・・
ちなみにカナイ少尉は若干年下である。

今日の元気のでる音楽。ゴダイゴ聞いてるはずが、なぜかこっちに・・・
Hey、Call me!
もちろん繰り返し10回は義務ね。あ、いいや、じぶんで20回以上聞いちゃった。

これ初期作品でもかかってたよ?リメイク版じゃないよ??あれ?
ああ、西遊記IIってのは、平成のリメイクじゃなくて、昭和の、西田敏行が猪八戒のやつね。
そーそーそー



「運が悪けりゃ?」「・・・死ぬだけさ!」



柴田恭兵、渡辺篤史、多岐川裕美、神田正輝、そして、そして、沖雅也!
たのしかったなぁ。



音楽サイコウ!

で、天国か?

http://www.youtube.com/watch?v=I_0W-MhUT6Q&feature=related



私は自分の生まれた時代が、すばらしいとは人には言わない。
私は知っている。私の時代に、どうしてもないものを。
それがほしくて、ずいぶん頑張ったが、だめだった。
それがふつうにあるらしい、今の若い世代がうらやましい。
わたしは、幸福な時代に生まれたとうらやまれる、そんなものではない。





2011年12月15日(木曜)
病院に行ったら、インフルエンザでもマイコプラズマでもなく、
ただの風邪のようだった。
クスリを貰った。



(で、仕事が溜まったので終電ちかくまで残業した)



教訓:
 冬のダイエットは危険である。
 とくに11月末から年末までは、ダメである。
 身体が寒さに順応する大事な時期に、むりなダイエットは体調を崩す。
 まいとし年明けにダイエットするのが正しい。
 でないと、僕みたいに毎年年末ごろに風邪でうんうん言うことになる。
 むろん、風邪で減ったりしない。増えるかも。






2011年12月13日(火曜)、いや水曜
風邪で早寝したら夜中に起きたよ。


まなびておもわざれば すなわちくらし
おもいてまなばざれば すなわちあやうし


文句ばっか言ってないで本でも読もうと思った。
本もいいが、書評というのは、とても面白い。

ネットのすばらしさを実感するのは、高名な評論家でもなければ、 テレビの有名タレントでもない、市井のひとが書く書評をたくさん よみくらべて、その本の位置がおぼろげながらうかがい知ることが できるということだ。これほどすばらしい情報はあろうか? 本を読めばあるていどテーマと内容がきまり、書評をよめば、 その問題に対する意見がたくさん集まるのだ。

超・効率重視?超・合理主義の自分に、勉強のスタイルがひとつ理解できた。
あ?これは勉強するひとの常識だったか?

学生時代は、ネットも未発達で、しかも専門書のない(未開な)世界が多かったからなぁ。。。



「contingency plan ー コンティンジェンシー・プラン」というコトバを覚えた。
リスクマネジメントならだいぶ一般化してきたと思うが、こっちのコトバはしらなかった。
内容的には、仕事をしていれば知っている、いやがおうにも知らされる話なのだが、
言葉にすれば概念として独立できる。いい言葉を覚えたゾ。

日本語にうまくできないかなぁ。
リスクマネジメントというコトバはもう一般化したが、計画と対処法を具体化、
作業化するという意味で、「プラン」という単語が入ったこれは、いいかもしれない。

すこしは僕も知的になった?あはは。




2011年12月13日(火曜)その2
さいきんテレビは週末だけ観る。
土日のスポーツ、笑点、鉄腕DASH、それでお腹いっぱいだ。

ふだんは、ラジオを聴いている。さいきん残業が多いが、 早めに帰れて自炊するときは、NACK5の「おにたま」を聴いている。 パーソナリティーが喋り、リスナー投稿をまぜる、AMラジオ番組ノリ である。

テレビとラジオの最大の違いは、人物が際立つ、ということである。 テレビは情報量が多いのだが、それは雑音が多いということである。 「そのひとらしさ」とは、そのひとの言葉、会話のやりとりに出てくる。 ラジオは、それがもっとも顕著な媒体だ。

テレビはその逆だ。黙っていても、衣装や顔立ち、体型、年齢、肌つや、 そういうものが情報として大きく主張される。つまり、フェチだ。 即物的そのひとらしさを追求すると、イケメンとか、ロリコンに たどり着く。イケメンとロリコンは同根のフェティシズムである。 フェテシズムが流行るのは、普段人間との交流が過疎になり、 テレビジョンで間接的に情報を得る「人」が増える状態に原因がある。 そこには人物的な交流はなく、ひたすら「みかけ」偏重な情報の一方的受信だけになる。 女の見掛けを追求すれば少女だし、男の見掛けはイケメン高校生だろうか? 女の場合は追求しすぎればロリコンではないか。病気の理由は、 普段の交流の疎遠と、偏った情報媒体への依存である。
テレビで「絆」といってもどこかしらけるが、ラジオで「絆」というと、 ジンとくるのは、そういうことだ。

ラジオは、楽しい。

テレビのお笑いは、ごまかしがおおい。刺激的なパフォーマンスで 笑いを誘う手法で安直にながれることが多い。でも、ラジオでは通用しない。 だから、ラジオの笑いは、素朴で、じつに力強い。

テレビは、厭きる。




2011年12月13日(火曜)
消費税増税について、民主党内では食料品などの生活必需品だけ 増税しない考えを具体化する場合は、作業が複雑になるので 還付金で対応しようという意見があるらしい。 なぐってさする方式か。だからバラマキって言われるんだ。 そういう複雑な真似するから、分かりにくくなるのだな。
密室政治がいかんとか頭の古い記者どもがさも正義づらして繰り返すが、 わかりにくいのは制度だ。その制度も、公平性を期したり、弱者救済を するために複雑なのは正義があるが、が、そのやり方がツギハギだらけで 拙いと、わかりにくくなるし、抜け道をさがして不正するヤツも出る。 多様な局面では矛盾も生まれる。システムはシンプルかつ効果的にするのが 大事だ。そう、それはコンピュータのプログラムとまったく同じだ。

税金の話だが、消費税増税は、官僚、現場サイドの見方をすれば必然 なのだろう。僕は消費税増税は、いまの日本の「高福祉国家」では 当然だと思う。「高福祉国家」とは官僚の方針でなく、国民の強い要望だ。 ならばその負担として、すべからく高率な税を取るべきだ。 10%でも20%でもいいじゃないか。

でも、それでは経済は冷え込むだろう。弱り目にたたり目で、 弱体化した日本経済は海外自由貿易で負けつづけ、さらに貧困化するだろう。 一部を残して、みなとても貧しくなるだろう。でも、税率をあげても、 日本経済をうち負かした海外企業は税金を払ってくれない。 日本は弱体化する。これでは計算が合わない。

「高福祉国家」だって?

自分は「高福祉国家」には反対だ。厚労省は、生活保護について、職業訓練を 義務づける意見があるそうだが、大賛成だ。いや、それで問題が解決するとは 思えないが、まずひとつの布石として、カネをもらうなら自立する訓練をしろ、 というのは正論だ。極めて正論である。

老人じゃあるまいし、職がなくなれば自分で這い上がる、それが当然でないか。 日本政府に甘えて、いつまでもお金をせびる大人を許容することに、価値がある だろうか。そういう自立しない大人にかぎって、政府がわるいとか、社会がわるいとか、 親が悪いとか、きいたふうなことばかりいって努力しない。自分の生命だろう? いうことがすねかじりの子供と一緒。誰から金をもらって暮らしてるのだ。 それがいまの日本人の姿だ。TPPで日本は経済が上向くとか、そんな次元の話でない。

「戦後の日本人は、別の国の人だ」と大正生まれの戸田先生はおっしゃった。 ご老人はみなそう思っているだろう。過去の忍耐強い日本人と、いまの日本人は 一緒にしないほうがいい。「いつの時代もいまの若者はダメだと言われる」 とかへらへら笑って言い訳をいうが、もはや他国の人ほど違っているのだ。 見苦しいものである。

先週、後輩の松橋君と話したが、平日の朝から駅前のパチンコ店に開店を待って 並ぶ若者がたくさんある姿は異常だ、という話になった。僕もそう思う。いや、 日本に未来がないと確信した。

むかし日清戦争の直前、東郷平八郎が中国の軍艦を視察したのだが、 船内では規律がゆるみ、大砲に洗濯物を干し、船室で喫煙や賭博を する様をみて、最新鋭の戦艦をそろえた中国に、弱小な装備の日本海軍は 勝てると確信したそうだ。それと同様、朝からパチンコとかいう私営賭博場に 若者がおおぜい列をなして並ぶ日本に、未来なぞあるはず、ないだろう? そこに恥ずかしさもないのか。TPPだろうが、アジア自由貿易だろうが、 日本はさらに国際競争で負けて貧困化する。それは国が緩んでいるからだ。


ひきこもり、生活保護、はたらかない若者たち。ネットに出てきて、えらそうに 権利だとか主張する。労働に法的義務などないと主張する。だれかのために、 うごかない。「だれかのために」がない人間は弱いし、迷うし、つまらない。

「だれかのために」、それがない人間。僕はそんなのは素通りする。
弱っちいからだ。


戦後教育の最大の悪、いや、戦後文化の「自分がいちばん」こそ 最低な文化だ。じつにくだらない日本人を増やす結果になった。 そろそろ方向転換するべきじゃないのか。高福祉国家に未来はない。 老化あるのみだ。増税するぐらいならば、福祉を削減するべきだ。 自重自恃である。


・・・じちょうじじ(自重自恃)

自らを重んじて、自らに恃(たの)む

他者をあてにするのでなく、自分自身を信じて、
自分を拠り所にして自立するって意味。

「しつじつごうけん、じちょうじじ!」

当然でしょ?

矜持ってコトバも、死語なのか?



2011年12月12日(月曜)
この前の土曜、Vリーグ開幕戦のJTマーヴェラス対岡山シーガルズをCS放送で観た。
エース不在のJTはどことなく波にのれない。岡山は持ち味である粘り強いプレーが 最後まで続かない。一進一退の攻防を繰り広げていた。去年はたった1勝しか出来なかった岡山。 去年は優勝したJT。どちらも決め手を欠いていたが、粘りきれない岡山は2セット連続で落としてしまった。
第三セットは、放送がなかった。が、岡山が取った。放送しない?なんだと?ふざけるな!
第四セットは、手首の怪我でベンチスタートだったJTの外国人選手、セルビアのブラコチェビッチがコート入りし、 一気にJTペースとなった。岡山は第四セットを失い、またも敗戦。残念。

でも、試合途中で、岡山らしい、しぶといバレー、打たれてても、 打たれても、拾ってつないで、つないで拾って、最後は 相手が根負けして得点をかせねるプレーを、かなりひさしぶりに 見ることが出来た。

岡山には、未来の全日本セッターと言われる17才の宮下がいる。 今シーズンの開幕戦のスタメンセッターになったが、 途中でベテラン岡野に交替となった。でも楽しみだ。 テレビでぱっとみれば、まだ17才でいかにも「少女」な 外見だが。(ありゃきっと、中田久美二世だぜ。あははははははは!)

岡山は負けてしまったが、ワタクシ的には、MyHeart舞ちゃんを たくさん観られたから、よしとしよう。




2011年12月11日(日曜)
「坂の上の雲」第11話、203高地を観た。
くやしかった。
こんなことをしなければできなかった日本の近代化という時代が、
とても悔しかった。


にしても、日本の第七師団は、いまもむかしも精強なんだ。
伝統なんだと思った。

学校で、大日本帝国陸軍は悪魔のように教わった。
真実は闇の中だ。



ところで、放送について、ひとつNHKに注文したい。
もっとロシア兵の姿を描かないと、
もっとロシア人の生きてるを描かないと、
勧善懲悪アニメレベルになってしまう。
その点、過去の203高地の映画のほうが
いいかな。
撮影も考証も最高であるのは分かったが。
だから硫黄島からの手紙はすごいのだ。




2011年12月10日(土曜)
元気のでる音楽は、昭和だ。

昨夜まっちゃんと会話して、彼の話。
「日本って、80年代が、いちばん幸せだったんですよね。」

うーむ。

東京五輪音頭
昼のいこい
すばらしい世界旅行
野生の王国
新日本紀行



具体的に分かってるなら、達成可能だ!
あはははははははは!





2011年12月8日(木曜)
今日は、12月8日、開戦記念日だ!!

万里のー波濤をー乗り越えて!!!



今日は残業で午前様だぁ。




2011年12月5日(月曜)その2
耳のため、こころのため
忘れない
燃えている





2011年12月5日(月曜)
昨夜はまた、勇者刑事ジェイデッカーを観てしまった。
24話はアニメの定番、総集編みたいなもので、 それまでのストーリーを簡単にトレスしていた。 僕は気を抜いて、のんびり観ていたのだが、だが、 次回予告になると、あれ?いつものBGMでないぞ。 なんか静かな、静かな単調曲だよ?あれ?あれれぇ?
・・・・・
ぎゃぁぁぁぁぁぁ。

あまりの精神的ショックに、25話から29話まで ぜんぶ続けてみてしまった。うるうる。わたしのこころは、 きっと主人公、友永勇太、小学4年生と同じなのだ。
そのなかに、ちょっとしたセリフがあった。あとで もういちど観なおすとおもうけど、 思い出とメモリは違う、という言葉だ。 はっきり言及はしていない。もしかすると脚本家も 踏み込んでないのかもしれない。でも、機械として 確認できるメモリのデータというものと、思い出、 というものはちがうのか?、という命題なのだ。

ふふふふふ。あははははははは。わはははははは。
思い出はどこにある?思い出のしまってあるところは? 細胞?神経細胞の1個?それとも、どこ? 事故や病気で脳を欠損した人って、どうなると思う?

うはははははははははははは。おしえてあげない。
17年ぐらい前、戸田先生と、当時流行っていた「アフォーダンス」 に対して否定的見解の2名は「知能の基本はラベル、ラベルだけど、 その克己がね」って話をして盛り上がった。その点は共通認識である。


デッカードの話、僕だったら、こう書くな。

勇太  「デッカード。。。もう、記憶が戻らないの?」
技師  「デッカードのメモリは大幅に欠損しています。たぶん無理でしょう」
勇太  「い、いやだ、、そんなぁ」
レジーナ「勇太あきらめなさい。フォーマットしなおすわ。」
技師  「では、フォーマットでいいですね。」
レジーナ「ええ、やってください。これでデッカードは、
     完全な、完全な心のロボット刑事に生まれ変わるわ」

勇太泣きくずれる。技師、デッカードとコンピュータを配線して
超AIにアクセスする。コンピュータのモニタをのぞきこむ技師。

技師  「おかしいなぁ。。。」
レジーナ「どうしたの?はやくメモリ全部けして!」
技師  「いえ、おかしいなぁ。。。」
レジーナ「なにをしてるの?消せないの?」
技師  「へんです。メモリが、どこにあるのかわかりません」
レジーナ「わからないって、どういう意味?」
技師  「超AIは、経験とともに進化するプログラムなのですが、、、」
レジーナ「そんなこと知ってるわ」
技師  「デッカードの超AIは、進化しすぎて、どこがメモリか分からないのです」
レジーナ「でも、メモリが欠損しているって言ったわね?」
技師  「それはデータアクセス時の返答がないから、そう判断しただけで」
レジーナ「中身は、どうなってるか分からないの?」
技師  「ひとつひとつは、今でも単純なプログラムなんですが、全体が、構造が、
     人間の知識ではもう、理解できない形に発達しているんです」

黙って腕組みするレジーナ。モニタを呆然と眺める技師。
涙も拭わず立ち上がる勇太。

勇太  「デッカードの思い出は、まだあるんだ!残ってるんだ!
     ぼくが、ぼくがデッカードの記憶を、取り戻すよ!」

説明っぽいなぁ。。。これじゃ
視聴者(こども)は着いてこれないか?
ぼく、大丈夫だけどな。

なぬ、構造がどうなってるかわかんないのは、おまいのプログラムだって?


加藤   「かとーさん、、半年前のかとーさん、この構造の意味おしえて」
カナイ少尉「・・・・(またですか?どんなもん作ってんだか。)」
加藤   「どうしてこの形か、わかんなーい!むずかしすぎる!」
カナイ少尉「また自分でわかんなくなっちゃったんですか」
加藤   「ぐすっ。。。どうしてこんなに動けるか、わかんないんです。。」

(ほぼ実話)





2011年12月4日(日曜)その2

ゆけー!




2011年12月4日(日曜)
くそぉ。先月分のレポートは、昭和陸軍を例にとった組織の話になってしまった。
あーぁもういやんなる。




2011年12月2日(金曜)その2


...0...
びゅぅぅぅぅぅん
1999


パム綺麗だな〜




2011年12月2日(金曜)
一川防衛大臣、内弁慶で防衛省で威張り散らしているらしい。 そのくせ、国会そのた外では「自分はしろうと、それがシビリアンコントロール」 だとうそぶいている。人間として、最低だ。

レベルのひくい政治家はどこの党にもいるもんだ。
にしても、こんなのを大臣にまでしてしまう、民主党の層は、ごく薄い。

野田も官僚のあやつりロボットだ。
素人だから、政治がわかんないから、官僚のいうことをハイハイ聞いて
税金増やします、消費税率あげます、TPPやります、、、

「政権交代で、政治主導!」

だったよね?

一川みたいのが政治主導だったのか。




2011年12月1日(木曜)
日本の80年前の不幸はなんだったのか。
それを調べるには、携わった人たち、それに スポットをあてて見れば良い、そう分かったのだが、 すこし調べただけで、不見識で不適切な判断が原因 であることが分かった。

では、どうすれば正しい判断ができたのだろう。 もっと有能な人がかわりに担当していれば、もっと 他に専門家がいたので、そのひとが役職についていれば、 という話が多い。そうだ、判断を下す立場の人間が、 不適切な役職にいたことが問題だったのだ。

80年前の不幸は、人事制度が問題が大きかったのだ。 当時の国の命運は、軍が主導しようと、だれがなにをしようと、 判断が悪ければダメ、よければ危機だけは切り抜けられたのだ。

ありきたりな歴史IFを引き合いに出そう。戦争史好きなら たいがい知ってる、ミッドウェー海戦である。べつに 対米戦争決定でもいいけど、地味で複雑過ぎるからね。

ミッドウェー作戦は、あらかじめ米国に暗号を知られたから負けたとか、 空母の甲板上で爆弾を積み替えてるときに運悪く米軍の攻撃を受けて しまったから残念とか、いろいろ負けた理由と、IFをいう人がいる。 でも、作戦目標を知られたとしても、戦力的には日本海軍が勝っていた。 ではなぜ、なぜその戦力を活かせなかったのだろうか。

驚くべき話を本で知った。ミッドウェー海戦が5月。重大な作戦だと 認識されたミッドウェー海戦が5月だ。でも、その一ヶ月前の4月に、 帝国海軍は大幅な人事異動をしてしまった。なぜかといえば、 平時は常に4月が人事刷新のときだったからだ。国運を左右する 重大な作戦を前に、艦長やら参謀やら司令がころころ変わる。 着任わずかで不慣れな連携で、国家戦略上、重大な作戦に臨んでしまったのだ。

航空作戦があまりよく分からない司令が指示に逡巡して、 いちど飛行機に爆弾をつけ、すぐに外させ、またつけて、 こんなまごまごしたことをやっているときに、米軍機が襲来し、 日本のもっとも貴重な空母4隻を撃沈されてしまう。 事実上、日本の戦力はこれで終わったのである。

あのとき日本が先に米艦隊を発見していたら、日本が暗号を知られなかったら、 いやちがう、そんなことしても無駄だ。組織の運営がダメなら、たとえ ミッドウェーでからくも勝利したとしても、またどこかで痛烈な負けをするだろう。 アメリカの国力は日本の数倍だったのだ。たとえIFでミッドウェーで勝っても、 なんどでもそういう機会はあったはずなのだ。

真珠湾攻撃も、実は失敗している。二次攻撃をしないで早々引き上げている。 アメリカの空母を打ち漏らしているのだ。なぜかといえば、艦隊司令の南雲少将は 航空戦に無知で、本来は魚雷攻撃、水雷戦の専門だったので、二次攻撃して反撃 されるのを恐れて決断できず、そのまま帰ってしまったのだ。なぜそんな たよりない人物が航空機で真珠湾攻撃する大事な作戦の司令となったか。

陸軍では、参謀本部が司令をさしおいて戦略を決めてしまう。失敗しても 東條首相のお気に入りなので失脚しない。ピンボケだから、なんどでも失敗する。 だれも処罰、降格することができない。
海軍では、仲間意識が強すぎて、能力主義で人事を調整できず、士官学校の 成績順だけで、昇進とポストの任期までがあらかじめ決まっている。 南雲のように、航空戦専門をさしおいて、真珠湾攻撃の司令になってしまう 人事を平気でやってしまうのだ。

これではどんなに有能な人材がいてもダメなのだ。
日本には当時、海外にもその名を知られる名将はたくさんいた。陸にも海にも。 戦術の巧さだけでなく、卓越した戦略眼をもった将官さえ居たのだ。 でも、海軍の硬直した人事、陸軍の派閥や参謀の上官無視の専横と無責任体質 では、どうにもならないのだ。しかも海軍の病んでいるのは、日露戦争の英雄、 東郷平八郎の「生きて辱めを受けず」という一部だけが独り歩きし、軍令部は 英雄の言うことだから、ということで「艦長は艦と命運をともにすべし」など という命令を出してしまう。理屈じゃなくて英雄に左右される命令。この命令で 優秀な艦長クラスの人材があっという間に戦死して居なくなる。もはや継戦は 無理なのは自明ではないか。

日本の人事は世界的にみて拙い。
それはたぶん、今も変わっていない。
日本人は役職について、能力主義になれない、なりきれない。

昔からのつきあいとか、
きもちがどうとか、
そんなのはどうでもいい。能力主義である。


日本では流行らないらしいけどね。そういうの。
自分もそろそろ、世間から浮いてるのかな。