これでいいのか富士チャレンジ200、じゃなくて100!!!

いきなりな書き出しですが、今回レースは3回目でなれたせいか、いろいろと 思うところがありました。ま、まずは日記風に顛末を。
(新聞じゃないんでのんびり書いてもいいでしょ?)

発端
そもそも富士チャレンジ200に参加しようと思ったのは朝練メンバーの常連が行くと聞き、
仕事で家にも満足に帰れない生活の自分だったくせに、衝動的に後先考えず参加表明
のメールを書いてしまったことからはじまりました。

このイベントは富士スピードウェイという自動車やオートバイがよくレースをやっている
サーキットで、ここを自転車で何周もぐるぐる回り、200Km、または100Kmを7時間で走りきろう、という企画です。
自分には今年正月に参加した「もてぎサイクルマラソン」と似ていたせいか、開催の話を
聞いたときには「どーしよーかなー」という程度の興味だったんです。

でも、冷静に考え、斎藤さん(会社の先輩でロードの先輩)と話をしているうち、100Km(あるいは200Km)も
走らせてくれるレースは国内にほとんど無く、ツールド沖縄か、もてぎサイクルマラソンか、コレぐらいだろう、
という話になり、朝練の諸兄が次々と参加表明してくるので「おくれてなるまじ」と自分も反応して
参加表明してしまいました。

ツアコン大忙し
会社の仕事は四月でなんとか落ちつき、土日が休めるようになりました。
余裕ができたので、
「さて富士の準備はどうしよう」
とか思って宿の情報をインターネット検索しては朝練メンバーに情報を流しているうち、
梅林さんから「宿担当」に任命。
「ま、仕事仲間で自転車合宿するときはよく幹事をやっているから良いか」
とOKしたのですが、深く考えてみれば顔をしらない人も含め、10人以上。
しかも出場者の奥さん、奥さん予定さん、恋人さんもピット要員として参加とか。うーむ、うーむ、
どないして宿きめよう。
朝練メンバーとの合宿(?)は初めてなのでイマイチ想像つかず、えらく悩みました。

金額、部屋のグレード、食事、風呂、、、ひとりカナダから来てる人もいるけど、畳でいいかなぁ。
レース前だから僕はベッドがいいかも、とか。
むずかしいもんですねぇ。合宿の幹事って。
いろいろ調べて幾つか候補がきまりつつある中、細かく調べてみると割高だったり、不便だったり。
で、ようやく決まった箱根の温泉ホテルは新しくてきれいでおしゃれだった。いちおう誰でも大丈夫だと思いました。
金額も破格にやすいのでコレも文句はないだろうと。とりあえず一安心です。でも細かいことは当日にならないと
なかなか分からなかったりしますねぇ。。

出発から飯にありつくまで
出発はレース前日の土曜日。先発隊と後発隊と分かれて東京を離脱。東名と小田原厚木道路を経て、小田原西から
国道1号で強羅へ上がります。自分は先発隊としてお昼にジェロニモを出発。自転車はワイズの
チームカーに積みこんでおきました。自分が運転する車の同乗者は去年沖縄80km8位の田口さん夫妻。
日々の練習の話とか、夫妻で初めてツーリングに行った顛末(奥さんが自転車に乗らない理由)とか聞けて、
たのしいうちに宿に付きました。二人は普段は車にのらないそうで、カーナビの威力に驚いてました。
そりゃ僕もカーナビが無ければ家とデパートと会社しか行けない人間なので、たしかにこれは効果覿面の
道具ですねぇ。
さて着いたのは午後3時すぎ。そとは雨がそぼそぼ降っているし、自転車はチームカーの中で到着するのは夜。 先発の2台6名はみんな暇なのでテレビみながら雑談してます。
僕は明日の朝の道が心配なので一人富士スピードウェイまで車を走らせて時間を計り、道順を確認して
現地の座標をカーナビに入力しました。
宿に帰るとみんなひまそう。
「ごはんまだかね〜」「おなかへったね〜」
雑談は自転車店の話、グッズのはなし、整備とかいろいろネタは尽きないので退屈はしませんでした。
そしていよいよご飯の時間。
みんなでレストランに行き、出される料理をみてみると、、、、
「す、すくない。」
そ、そうだったのだ。考えてみれば皆運動選手だからたくさん食べるのだ。
しかもこの宿はオシャレで安くて温泉のついた、いわば「女性が喜びそうなホテル」だったのだ。
うーむ。うーむ。割高でも手間を惜しまず貸し別荘にしとけば融通はきいただろうか?
でも温泉付いてないしなぁ。。。

自分は狭いお風呂が苦手なのである。狭いといっても昔の団地のお風呂ならOK、つまり
浅いお風呂(=ビジネスホテルによくある純洋風バスタブ)が嫌いなのである。
好きキライを言わないカトーが唯一「キライ」と主張するのが、この浅い"バスタブ"なのである。
そーいやツールド沖縄のときも宿の希望を宿を決めてくれた倉田さんに聞かれたとき、
「風呂が狭くなければどこでもOK」
と返事しましたっけね。。。

まだ難事は来るのである
御飯をお替りして、部屋にもどって田口さんとスナックをほおばり、ま、なんとかなったころ
なんだか眠たくなり、フトンに潜ったらウトウトしてきました。10時前から眠くなるなんて
しあわせだなぁ。あ、まだ後発隊の梅林さん達、来てないけど、道迷わないかなぁ。
強羅って道がうねうねしてるし…
電話を入れると、今はちょうど御殿場ICだと聞いたので根拠無く「だいじょぶだろう」と判断、
またフトンに入ってしまいました。
この日はなんだかもう、レースに来たのかツアコンに来ているのか分からない状態で、旅が上手く行けば
あとはもうどうでもいいや、なんて気分になってきてて、布団につけて安心してしまったようです。

しばらくして物音に気がつくと、ああ、こっちを見てる。梅林さん今日もお仕事おつかれさまです。
無事ついて何よりです。また安心。
後発隊も部屋に分かれて温泉に入り、床についたようです。ああこれで明日の朝出ればOKだな。
またまた安心して今度もぐっすり眠りにつきます。。。。すると!

闇をつんざく激しい轟音。とどろく雷鳴!!揺るがす大地!!!
すわなにごと??薄明かりの中、それはすぐにわかりました。ああ、あれです。

後発隊の一名がいびきをかいてます。
自分は両手の指を耳に詰め、必死に寝ようとしますが寝つけません。うーむ。どないしたもんか。
音源はとなりのとなり。まだ距離があったので救われた方です。僕のとなりの若い彼は苦悶の表情で
目を閉じてます。
僕もしばらく耐えてましたが耐えきれず、ついに障子隔てた縁側みたいなじゅうたんソファの窓部屋へ行きました。
ありますよね?旅館の各部屋には。和室とガラス戸の間に、奥行き180センチ程度の部屋が。
この窓部屋で毛布に包まり両指を耳に詰め、また寝ようとします。目をつぶり、指を詰め、
なるだけ違うことを考え注意をそらします。
そんな格闘しているうちに音源も大きくなったり小さくなったりしていたようで、
その日の疲れもあってか再び寝てしまったようです。

レースの朝は何時も火事場
当日の朝は6時起床。慌てて着替えて宿にチェックアウト時間が7時にできるようお願いをする。
それから皆を起こして片付け。あ、皆着替えてすでに準備をしてます。
女性陣はもうちょっととか。じゃ、その間に荷物の積み出し、出発の準備を整えて、結局7時過ぎには
宿を発つことができました。
ふー。宿幹事としては一応役目終了かな?
なんだかレースへの集中が定まらず旅行気分です。
車を走らせ、途中コンビニで朝御飯を買います。補給の話題なんで細かく書くと、僕はおにぎりが2つ、
緑茶が350CCぐらい。あと家から持参したバナナもありました。社内でおにぎりをほおばり、前日に
カーナビに設定した地点まで案内通りに車を走らせます。あれ?昨日とコースがちがうぞ?もしかして
朝は国道246号は避ける設定なのかな?裏道をどんどん行きます。ま、空いてるからいいか。
富士スピードウェイ(FISCO)に到着したのが8時ちょっとすぎ。やはり強羅は遠かったかもしれません。
入場して駐車場へ行くと、もうすでに大勢の人達が来ています。
6時半から開場してるんだからそりゃ当然か。でもみんなどこからどうやってきてるのだろう?
まさか4時起きとか?それとも近くでキャンプ?宿なんてあまりなかったはず。。。
とにかく自転車と道具を下ろしてピットへ向かいます。ピットも既に人がわんさか。
我ら出場者10名はみんな番号がとびとびなので、いちばん若い番号の人の割り当てピットに
なんとなく陣取りました。しばらくして申込書を集めて受付に走った人からゼッケンやらチップの入った
袋を受け取ります。自転車にチップを取り付けようとしている時点で既に8時30分。もうレーススタートまで
30分ないです。みんな準備におおわらわです。
とにかく自転車の調整を確かめ、ゼッケンをジャージに付け、試走しながらトイレに行きます。
戻ったころには全員だいたい準備が良いようです。背中に持ってきた補給食をつめます。
ウィダーゼリーENERGYが2つ、大福が一つ。自分には100kmなら十分の量に思えました。
なぜ大福かといえば、、通ならご存知でしょうが去年200km優勝者の奈良さんが補給食に大福を食べたという
故事にちなんで半分記念的に持ちこんで見ました。
あと水は500ccのボトルに水が9割。これも僕には十分です。
あとは持参バナナをほおばり、とりあえず準備はOKです。

スタートしてしばらく
んでようやくレースの話になります。コースに向かうとみんな並んでます。そういやもてぎのときも
こんな感じで最後尾ちかくに並びましたっけ。スタート直前に梅林さんがゼリーをあげると言いました。
最初2つで十分だと思って断ったのですが、良く考えると2本だけじゃ320Kcalなんでレースが長引いたら
足りないですよネェ。受け取っといて良かったです。
スタートの号砲が聞こえましたが、ま、いつものとおり自分達が走り出すまではタイムラグがあります。
超巨大な列の前方が少しづつ動き出し、ようやく自分達の周辺でクリートを蹴り出す音が聞こえだして
初めてレース開始の実感が沸いてきました。
開始と同時にみんな前へ前へと行きます。やはり自分は経験不足。大勢で込み合った列には気が引けて
しばらくはのんびり流れのままにゆっくり走ります。
同じペースの人を探そうかなと思うのですが多すぎて全体がごちゃごちゃな走り。特に列車ということもなく
そのまましばらく走りつづけてコースを確認していました。

スタートして最初のコーナーの後はいきなり降り。スピードがあがります。短い直線を飛ばした後は急カーブ。
その後は緩いカーブで集団走になります。ちょっと登りでヘアピンカーブ。慎重に抜けるとゆるい下り坂になり、
ダンロップコーナーというへんな曲がり角になります。ちょうど凸を横にした形って言えばいいでしょうか。
この左から電柱が突き出して迂回するようなカーブをクリアすると上り坂になり、最終コーナーまで登りが
続きます。エッサホイサと登ります。あれ?。。。あれ?もてぎよりFICSOのほうが坂がすこしキツくて難易度が
高めだと聞いていたけど、、、??坂は短くてさほどでも無いジャン、ってな感じでした。
これは不思議なのですが、ツインリンクもてぎは一度坂になるとその距離は結構長く、勾配は緩かったですが
つらく感じてました。そういえばホイールもANT☆LESについてたシマノWH-R535じゃなくて
MAVICのオープンプロ build by umebayashi になってたので楽に感じていたかもしれません。
目が慣れてくると周囲が見えます。暇なんで周りの自転車をチェックするとおもしろいもので
コルナゴ、Look、TREK、いろいろ居ますね。超人気(?)のTIMEも何台か見かけます。
そんなこんなで、いつのまにか大集団のなかに埋没して気軽にサイクリングしてました。
これって、良く考えるとレースですよね。。。

となりは何をするひとぞ?
だいたい10周ぐらい回って最後の坂を登っているとき、ひょいと左をみるとやっぱり居ましたANT☆LES。
会釈して、どちらからでもなく挨拶になります。「200kmですか?」「いえ100kmですよ」「じゃー引いてもらわないと」
冗談交じりにゃべっているうち、そのひとがワイズ・チャーリーの店長サンだと分かりました。
「この前もてぎで、、ホイールかりた者です。」
「あー、あのクッキー、凄くおいしかったですよ」
そうそう、もてぎのとき、チャーリーのバイトの学生サン(かわいい女の子である!)からレース中にピットで
ホイールを借り(まさにドラマ!)、生まれて初めて無事完走できたので(感涙である!)、お礼に「皆さんでどうぞ」と
自分が好きなクッキーの詰め合わせを持ってチャーリーまでご挨拶にいったのである。
(そのときその子は居なかったので店長サンに渡したのである。)

そんなこんなでANT☆RES乗りにはとりあえず声かけちゃったりで、のんびりツーリングのように走ってました。
でも後半になるとさすがに登りが辛くなり、どんどんスピードが落ちてきます。
「辛いけどレースってこんなもの。」
苦痛という感覚はなぜか無かったようです。。。とにかく走りつづけるのみ。
身体はどうか知りませんが、気持ちは特に負荷は少なかったです。
ん、これは次週のイベントでの顛末の伏線になるのだろうか?

ま、登りは遅いなりに、降りと平地は周囲に合わせて周回をこなします。しばらくそんな感じで走っていると、
後ろから声がかかります。おお、田口さんだ。ソロで走ってる。颯爽と抜かれます。むろん追いかけようにも坂なので脚が出ません。
またしばらく回っていると、後ろから梅林さん+岩倉さんの2名がやってきて声をかけてくれます。周回レースって良いですねェ。
二人で組んでいるようでイイ感じのペースです。こりゃ後ろで引いてもらおうと必死で食いつきます。
おおおお、はやいはやい。やっぱり走りなれている相手だと後ろに着くのも安心感がちがいます。
のぼりを精一杯頑張り、ゴール付近の直線(ホームストレッチと言う)を粘り、
下り坂、ヘアピン、どんどん進みます。良いペースです。こりゃ助かるなぁと思っているうち、ふたたび最終コーナーへの上り坂になります。
ああ、ここでは体重が重戦車(二人とも僕より20キロは軽いでしょう)な僕は、2周もついて行くことはできませんでした。

やはりあと5kg減量しよう。心臓も鍛えよう。やっぱり登りでのろのろしてたらレースになりません。

またまばらな大集団の中、一人旅が続きます。
またしばらくの後、ついこの前まで受験生だった宗像君が頑張ってる姿を見つけます。
かれは若いけど身体の線が細いです。軽くて良さそうなんだけどなぁ、、、筋肉はこれからつくのでしょうか?
僕より2周遅れているとか。ちょっとしんどそうです。
まぁ晴れて大学生になったのだから、これからは練習し放題ですねぇ。

ぼつぼつ終盤。
なんだか出力が上がらないような気がしたのでゼリーを背中から出してじゅるじゅるやります。
100Kmでも補給は大事です。ちょっとパワーが出てきたような気がします。
2本目はいきなり呑みこみます。別にかむ必要もないんだからいきなり喉を通して胃に入れます。
もうあと数周です。ぼちぼち3時間になりそう。
身体が結構熱い気がしたのでボトルの水を少しだけ頭にかけます。あ、でもヘルメット被ってるので
ほとんど手にたれました。こんどからメットの空気取りいれ穴から水をながそう。

サイクルメーターを見ると、90kmを越えたようです。おお、あと2、3周だな。ホームストレッチを走ると
観客の中から声がかかります。あ、あの声は田口さんだ。もう走り終わったんだ。励まされて元気が出ます。
応援っていいですね。そういえば沖縄では沿道の小学生の応援にずいぶん勇気づけられたっけね。。
もう一周してコースに設置した計測器の上を自転車で通過すると、場内アナウンスで「794番、あと一周」コール。
おおおお、メーターも95Kmぐらいだし、まちがいないみたいだなぁ。
その時点で残念ながら時間は3時間を越えてました。途中で「3時間未満、いけるか?」と思ったこともありましたが
やはりそこまではいかなかったようです。

もてぎのときもそうでしたが、最後の数周になると「ああ、もったいない、もっと走っていたい」と思ってしまいます。
これはペース配分がわるいのでしょうか。とにかく走れる幸せに浸りながら、最終周を走ります。坂を登って最終コーナー。
平地になって歯をくいしばり最後のスプリントまがいの力走。がんばります。
ゴール。
ふぅ。おつかれさま。今日もたのしく出来ました。
ピットに戻っても皆が見つからないので駐車場に戻ります。みんな着替えているようす。
顔中塩が吹いていることを言われて初めて気がつきました。

レースその後
参加した全員が怪我もなく完走でき、片付け後、写真を撮って無事終了。
みんなで温泉だ、食事だ、と車に乗りこみます。
でも無計画。僕が先頭を走り、お店探しになります。なんか幹事なれしてきたのかな?
準備中の立て看板を出した大きめの食堂に入って、できないかを交渉。相手は商売熱心(イイ意味で。)だったので
厨房へ確認を走らせ、のちOKの返事。
こんどこそ皆で食べたいだけ食事ができました。
そのとき宿代の会計となったのですが、ま、前日キャンセルとかいろいろあって幹事は赤字。ま、大半が
自分のミスとか連絡不足だったので仕方ないでしょう。次回?は上手くやりましょう。
伊豆大島の話をしたら田口さんがノッてくれたし。こんどは離島合宿か?
その後温泉に入り、小田原西ICから高速へ上がり帰路となりました。

今回は幹事でえらくバタバタして疲れましたが、実はレース結果も良好で、もてぎの3時間49分をめざましく
うわまわる3時間15分の記録でした。

後で集計されたクラス別男子100kmソロでは83位(出走354人)で、はじめて順位というものを意識できました。
と、考えて、そうか、レースなんだ、順位があるんだ、少しでも頑張れば順位ってあがるんだっけ、
「完走する」という自己目標以外にもすることってあったんだって、初めてのように気がつきました。
そこで良く考えてみれば、自分はなんだかサイクリング気分で流してましたし、気合はもっともリラックスムード
だったようです。そのほうがいいのかも知れません。 朝練メンバーのほかの人の走りをみてすぐに分かりますが、僕は彼らとはレース経験も違い、高速な人ごみのなかで
すり抜ける力量はほとんどありません。
いまはまだ完走とか、自己設定時間とかの目標だけですが、そのうちすこしづつレースらしい目標を持ってもイイのかも
しれません。。。今回はそんな欲がでてきました。

レースが参加目的でなく、レース目的ならば、今の僕にすべきことはたくさん有ります。
最終コーナー前の上り坂で、僕の右隣をすいすい抜いて行った先頭集団に加わるためには、
僕も坂道に絶えられるような今以上の心肺機能と脚が必要なのである。
よし、行こう、道志道へ!
もちろん美ヶ原も参加だ!
そして翌週の土曜日、僕は国道413号線を使って、道志渓谷ぞいに山中湖めざしてひた走ることになるのである。
その難航の記録は次号?請うご期待。