雨よ降れ、風を吹け、われら往復300キロを2日で走破しなければアカンのだ!
ジャパンカップが宇都宮で行われると聞き、ローディな我々は無論のこと見学するため、
現地までの自走を敢行することにした。
今回は斎藤、田苗、加藤の3名である。平原さんはおめでたい用事でしばらくは忙しいのである。
宿はコースにいちばん近い鹿沼市内の旅館を予約。自宅から鹿沼までは片道おおよそ140kmである。
道順は
自宅→(府中街道)→是政橋→(府中街道)→所沢市→(6号)→川越市→(12号)→桶川市
→(12号)→菖蒲町→(??)→(46号)→埼玉大橋→(??)→渡良瀬遊水地→(153号)→栃木市→
→(3号)→(日光例幣使街道)→鹿沼
コース計画は斎藤さん(と加藤)。斎藤さんは各地点ごとに通過予想時間を算出したメモを作ってくれた。
朝10時に是政橋を出れば、平均時速20Kmでも夕方には到着する見とおしである。
出発日の土曜の天気は雨。朝からそぼそぼ降っている。雨でも決行である。ユニクロの折畳み雨合羽を着てエイヤっと出ていく。
雨なのだが今日一日の旅にドキドキする。ちょっと寒い気がするがとにかく期待に胸が膨らむ。集合地点の是政橋に朝10時に着いた。
時間どおりである。
あたりを見るが、誰もいない。おかしい。なぜだろう。斎藤さんに電話をしたら、いま走ってるとの声。なるほど藤沢方面は
かなり降っているようで、1時間以上は遅れるかもしれないとのこと。
それにしても、さむい。10月末の雨は夏装備に毛の生えた程度の僕にとって極寒の天候だった。
夏用半そでサイクルジャージィの上に体育用の運動ジャージを着て、雨合羽を被る。お尻は巻き上げる水で、パンツの中までナイスである。
しばらくして、近所に住んでる田苗さんが30分遅れで来た。まずは二人で手近なコンビニへ避難することにして移動。
凍死しないようコンビニでほっとレモンを飲んだ。
1時間以上コンビニで立ち読みし、いいかげん退屈したころ、斎藤さんがきた。一時間30分遅れである。このままだと鹿沼到着は
遅くなりそうだ。
3人揃い、気合をいれなおしてスタート。お昼には雨もだいぶ小ぶりになった。ありがたい。これは普段の行いが良いせいだろうか??
府中街道を北上する。
田苗さんの趣味で道々の神社にお参りする。予定時間よりかなり遅れてるので先を急ぎたいのだが、ま、これも旅である。
一緒にお参りすると案外曰く付きの歴史あるところだったりする。面白いものである。
府中を越え、所沢を過ぎ、川越のころになるとだんだん3人のペースが乱れ始めた。
練習不足でスプロケットのさび付いたMTBの田苗さんはスピードがあがらない。本人も辛そうである。
かといって止まるわけにもいかない。励ましながら平均時速20Kmをキープする。桶川市を過ぎたあたりでさらにスピードが下がる。
このままでは自分もペースがつかめなくなる。相談の上、いちばん熟達者の斎藤さんが田苗さんをリードし、僕はマイペースでしばらく
走ることにした。
ひとり国道12号を走る。もう天気は問題ない。寒さもおさまり、快調に走行する。3人の集合地点の「道の駅」を目指して
走り、補給し、また走りと、自分の身体と相談しつつ、長距離ツーリングをぞんぶんに味わった。
道の駅についたのは15時半。先行している僕でさえ1時間おくれである。今晩中に全員たどりつけるのだろうか。
ケータイで電話すると、集合地点までは、あと1時間はかかるとか。合計2時間遅れだと、鹿沼の宿に着くのは今の僕のペースでも
夜の8時だろうか。
やばい。
おちつかずに道の駅をうろうろすると、なんと閉店の準備をしている。なんだこの道の駅は17時で閉まるのか?
ずいぶん頼りない駅である。夕焼けになってきた。なんだかこころぼそい。
秋の日暮れはつるべ落しである。あっというまに真っ暗になってしまった。17時半に2名が到着。田苗さんは明らかに限界である。
ここは自転車を置き、ひとり電車で鹿沼までいってもらうことにした。
僕と斎藤さんはひきつづき自走する。
若干の休憩の後、ライトを確認してさあ出発とまた走り出す。まっ暗な埼玉大橋をわたり、街頭のない渡良瀬湧水地を行く。
追い越して行くダンプの運転手は車間を空けてくれている。めずらしいのだろうか。
暗闇に伸びる道を照らすのは、二人のロードレーサーに付けた小ぶりなライト2灯のみ。
ただただ、ひたすら進むだけである。
栃木市につくころには気温もかなり下がってきた。なんだか脚が攣りそうである。
栃木の地元スーパーを発見、カイロを買いこむ。斎藤さんがあきれて見つめる中、身体と腿にぺたぺた貼りつける。
やっぱり防寒装備はまじめに考えないといけなかったようだ。
栃木市を離れ、あとは鹿沼だけとなったが、もう夜の8時ちかくである。
いったい何時につくだろう。宿は飯を残しておいてくれるだろうか?
急ぎたい気持ちと裏腹に平均スピードが落ちてくる。栃木市まで毎時25kmだったのが、20Kmちかくに下がってきた。
つかれたのか?脚がいたくなったからか?お尻が痛くなりだしたからか?
あともう少しなのに、なんだか意地が挫けてくる。疲れがピークなのだろうか。
斎藤さんは余裕である。加藤はアップアップ。
(後で判明したが、栃木市〜鹿沼市はゆるいゆるい登りだったのである)。
ようやく鹿沼の市内が見えてきたころは、もうホントに限界ぎりぎりだった。脚は攣りそう、お尻は痛くなってきて、
へたれこみたい気分である。
鹿沼駅近くでいったん止まり、田苗さんのケータイに電話する。もう宿に着いているそうだ。宿までの道順を教えてもらう。
鹿沼の市内は道が広い。整備されている。きれいな町だ。歩道も広く自転車にもありがたい。
宿につくと勝手裏近くに自転車を止めさせてもらい、ほとんど着替えず即食事になった。ああ、走りきった。ビールが美味しい。
生まれて始めて100キロ以上も走ったのだ。すばらしい。
結局往路は135Kmを休みつつ9時間かけて走った。
雨で、寒くて、つらかった。でも楽しかった。
帰路はジャパンカップが終わった午後3時からの出発となった。
帰りは斎藤さんと加藤がまず出発。田苗さんは電車で自転車を置いた地点まで行くことになった。
(彼は都合で家まで電車で帰ったのだが。)
二人の帰り道は往路よりも難行程だった。
渡良瀬湧水地あたりはけっこう迷った。栃木市を過ぎてからいつのまにか東へ流れて、茨城の県境を越えてしまった。
リカバリーのため国道4号を走ることにしたのだが、路肩が無いのに大型トラックがガンガン走ってきて、えらく怖い道だった。
その後は道がだいたい分かったが、とにかく寒さが止まらなくなった。コンビニを見つけるたびに立ちより、おにぎりを食べた。
甘いものは昨日から食べつづけて食傷気味である。塩味の補給食って無いものだろうか。
帰りは夜間走行だったので寒さも厳しく、運動着の上に普段着の木綿のジャンパーを着込んで走ったのだが、
脚は半パンツに裏地のないレッグウォーマーだけだったのでかなりつらかった。
自転車用のウィンドブレーカをそのうち買おうと思っていたのだが、まだいらないと思って買ってなかった。うかつである。
桶川を過ぎ、川越を通り過ぎた。川越の蔵作りの店が見える。夜なのでみんな閉まっていた。
所沢あたりで左膝がいたくなった。筋が痛い。なんだかやばい痛みである。
顔をしかめて右足だけで漕ぐ。止まるわけにはいかないのだ。
痛いところにカイロを貼る。少し寒さは和らいだが痛みは消えない。
(この冬、この痛みと付き合うことになる)
府中を通り過ぎる。府中街道を走ると家が近い気がする。もうすこし頑張ろう。
是政橋が見えてきた。心にも余裕が出てくる。
斎藤さんとは世田谷街道との交差点で分かれた。今回も斎藤さんのリードがあればこそ実現したようなものである。
まったく加藤はお世話になる人が多いものだ。
ハンドルにつけたライトがなんども電池切れをして、3回目の電池がきれるころ、ようやく家が近づいてきた。
深夜の0時。復路はあまり休んでなかったがやはり9時間ぐらいかかった。
それにしても、2日で合計300kmだ。まったくもって充実した週末だった。
次の日から会社だったが、脚が痛くて数日間は階段を降りらなかったのは言うまでもない・・・
生まれて始めての100Kmオーバーツーリングで、かなりしんどかったが、長距離に関しては色々勉強になった
深夜0時に足を引きずってたどり着いたときの達成感は格別である。
ちなみに同行した斎藤先輩はさらに彼の自宅(藤沢市)まで自走して帰った。
帰宅は2時すぎだったとか。さすがツワモノである。
旅の目的、ジャパンカップを観た感想は、これまた感動的だった。
間近でみるプロの選手の走りをみて、その洗練したスピードとパワーに圧倒された。
優勝はランプレのセルジョ・バルベーロとのこと。
僕にはとにかくかっこよかった。だれもがエリートだった。
終わった直後、会場の出口で斎藤さんと2人、自転車に跨り信号待ちしていたら自動車で帰るバルベーロが手を振ってくれた。
そうそう、後でリザルトをみて気がついたが、従兄がジャパンカップに出ていた。目の前を何回も通りすぎて行ったはずである。
後になって気がつくとは、まったく。。。
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