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自転車遍歴

第1号 会社・名前ともに不明。たしかこんな 姿姿。(色は黒)
でも、ヘッドにギアMのエンブレムがついてたから、これと同系のミヤタ製(ミヤタ・ジャンボサリー?) かもしれない。兄貴のお下がりで、数年乗った後に貰った。当時小学校低学年で、初めて「自分の自転車」だった。 フラッシャーというリレーを使ったウィンカー付きテールライトがものすごくカッコイイはずだったが すでにリレーは壊れていて点滅しなかった。でもスピードメータは付いていた。ゴテゴテで重かったが 子供心に満足感を満たすものだった。
この手の「少年スポーツ車」は意外とファンも多かったようで、某ツーキニストのヒキタさんのHPに 詳しい話が載っている。


第2号 ブリヂストン ロードマン (黄色) 姿 姿
これも兄貴のおさがりで4、5年乗りつぶした後に貰った。さらに3,4年乗ったから、ずいぶんと丈夫な 自転車だったと思う。第1号に乗っているころ、兄貴が黄色い颯爽としたロードマンに乗っているのを見て、 ずいぶんかっこよくみえた。それ以来、僕にとって「ブリヂストン」は自転車のトップメーカーだという 意識が刷り込まれることになった。
お下がりで自分の自転車になってからは大切に乗った。油をさして、掃除もまぁマメにした。 用途は自転車通学のほか、遊びに行くならいつも乗っていた。いつも乗っているので実に自然体だった。 当時小学校高学年でドロップハンドルに乗っている子供は少数だったと思う。公立中学ではドロップハンドル禁止 になっていた(アホらしい)。だから余計誇らしかった。


第3号 ミヤタ カリフォルニアロード (青) (同型)
中学校に入ってすでにロードマンは兄貴とあわせて10年目になりそうな勢いだったので新車を買う話になった。 洋服も自転車も、いつもお下がりだった自分にとって「新車」は始めてである。本当はブリヂストンが良かったのだが、 父親がお店を決めてカタログを持ってきた。それがミヤタだった。
ミヤタの通学用ドロップハンドルのロードは「カリフォルニアロード」という名前で、色もいつのまにか 青になっていた。本当は銀色が良かったが、まぁ悪くない色だと思った(いや、大変良い色だった)。 どちらかというと古いものを大事にするエライ子供だったので使い古したロードマンに愛着があったが 新車はギアが多くて(2×6だったかな?)、ちょっとうれしかった。ディレイラーはシマノじゃなかったので残念 だと思ったが信頼性が高く調整さえちゃんとすれば思い通りに動く良いものだった。
中学、高校、浪人を経て大学生になるまでずっと通学で使いつづけた。不満は無かった。 今でもまたこんな自転車に乗りたいと思う。大学3年生のある日、部活で遅くなり夜道を駅から家まで ミヤタに乗って快走し、自宅前の急坂に差し掛かってギアをローに入れて踏ん張ったとたん
「バキッ」
と硬い音がしてペダルが空転した。降りて駆動系を調べると、リアディレイラーの基部がまっぷたつに割れて チェーンの先にリアディレイラーがぶらぶら揺れていた。割れた断面を見たところ、基部はアルミダイキャスト (たぶんそんなの)で出来ていたらしいが、金属がまっぷたつに割れるぐらい乗ったのだから、8年目だけど もう寿命かな?という話で新車を買うことになった。ブリジストン信者だったので当時は特に意識はしなかったが、 よく考えると実にいい自転車だった。またギアMのミヤタに乗りたいと思う。


第4号 ブリヂストン ??? (たしか青)
名前は忘れたが、憧れのブリジストンでようやく新車を買った。しかし、、はずかしい話、このころ体力が 落ちてきたのか、それまで自転車についている一番重いギアを平地で猛烈に回すことが快感だったのだが、 大学3年以降、運動とほとんど縁が無くなり、ギアが増えたが(3×7かな?)アウター×トップで高回転が 出来なくなった。これはちょっと悔しかった。
大学院の都合で愛知県豊田市へ引っ越したときに実家に残してしまい、自転車と無縁な生活が続いた。 夜遅くなることがあるので家にあった10年目のカローラを貰って自動車通学(愛知ではさほど珍しくない) をしていたが、元来のスピード狂のため廃車にしてしまい(カローラGTという、トレノ/レビンと同性能だった。 もったいないことをした)、そのあと自転車を持ち込んでしばらく通学で乗っていた。 引っ越してから自炊を始めたのだが好きなものを好きなだけ食べて運動しなかったせいか、体重がガンガン増えて 筋肉がガンガン落ちてデブになりそうだったので自転車通勤を始めたが、坂が猛烈にきつかった。
2年生の冬、修士論文提出直前の追い込み時期、自転車にかぎをかけ忘れ、2、3日駐輪場に置いておいたら、、、、
ああ。名古屋は私に向かない土地なのだろうか。方角が悪かったのだろうか。警察にも届けて散々探して歩いたが ついに見つからなかった。


第5号 ブリジストン カヤック(MTB) 青
卒業後、就職して実家に戻ったが、2年後に一人暮らしを始めて、第5号を購入した。 どうも「ブリジストンは最高の自転車」というイメージがあったのでブリジストンのお店に行った。 カタログを頼んだらママチャリとMTBもどきしかなかった。

「さいきんMTBが流行と聞いていたが、、、もうドロップハンドルは絶滅してしまったのだ、 ああ、あの颯爽とした姿は、こんなオフロード車に駆逐されてしまったのだ」

と確信し、若者ぶって今風のMTBに乗ることにした。
色はいちばん苦楽をともにしたカリフォルニアロードが忘れられず青になった。しかし、、、小学校から ドロップハンドルになれ親しんだ自分には、どうしてもフラットバーのアップライト姿勢になじめず、 「前傾姿勢以外はすべてママチャリ!女子供の乗る自転車だ!」という差別偏見を捨てきれなかった。 安物MTBのせいかフロントサスがゆるゆるで漕ぐと沈んでスピードを殺すというナイスな仕様。また アスファルトしか走らないのに超重厚なブロックタイヤのせいでぜんぜん進まない自転車となり、鈍重という イメージしかなかった。これじゃ自転車の楽しさが無いじゃないか。。。ポニーと愛称をつけてしばらく 通勤につかったが、軽快感、爽快感がなくてほとんど乗らなくなってしまった。今でもMTBを見ると
「絶対サスなしじゃないと俺は乗らんぞ!」
と思ってしまう。まぁ偏見だなぁ。


第6号 ワイズ ANT☆LES (黒) 旅行中の姿
その後、自転車を買うなら従兄のお店と決めていたが、どうやら選手活動が本格化してお店に出ていないと聞き、 どうしようかと思っていたが、ちょうど妹がトライアスロンなるものを始めていて、
「こんどそのお店が主催で展示会やるから行かない」
と誘われた。会場へ行って感激した。おお、絶滅したはずの(そんなことないのだが)ドロップハンドル車が 沢山あるではないか!おおすばらしい!
あれこれ見て試乗したのだが、やはりブリジストンの一番やすいロードに惹かれてしまった。

「ふむふむ。さいきんじゃー、変速はダブルレバーじゃないんだねぇ。」
「ふむふむ。うしろは9段変速になったんだ。毎年ふえるのかねぇ。」
「ふむふむ。さいきんじゃー、クリップじゃなくてビンディングちゅうわけね。」

当時の自分には10万円で自転車を買うのはかなーり勇気が要り、ブリジストンの最廉価モデルでもちょっと 躊躇してしまった。妹の通うお店が出した「10万円ロード」は安いのにパーツもよくて中身は充実していると 聞き、たしかに悪くなさそうなので買うことにした。後日、お店に行って採寸し、34歳の誕生日直後、その 自転車はきたのである。
この日は忘れない。たいそう幸せだった。お店で受け取り、なれないビンディングをはめて家まで帰った。 多摩高校まえで道路を横断するとき、あせってコケてしまい、脚が攣った。なんとかがんばって家にたどり着いたが それでもしあわせだった。うれしくて、うれしくて、自転車をふとんにいれていっしょに寝たいぐらいだった。
それからというもの、ヒマがあれば近場を走り、気が付けば遠くまでいくことが増えた。
ある日、お店に行ったらロード担当の梅林さんに練習会にさそわれた。今中さんという有名人がくるらしい。 別に断る理由も無かったので行った。
暑い日だった。炎天下、大井埠頭まで25キロぐらい。大井埠頭で20キロ以上、帰路が25キロぐらいか。 合計80キロぐらい走った。生まれてこの方、こんなにはしったことは無かったはずだ。でも楽しかった。 一人で帰る途中、おなかが減ってペダルが踏めなくなった。コンビニに寄ってケーキとおにぎりをしゃがんで むさぼり食べた。強い日差しのなかサングラスなしで水分補給も足りず、その日は熱中症で寝込み、冷やしても 夜まで体温が下がらなかった。でも、でも、楽しかった。

その幸せな生活は今でも続いている。

その後はレースに挑戦。ツールド沖縄で初参加。もてぎサイクルマラソンで初完走。 富士チャレンジ200の100kmの部で83位(354人中)。
アンタレスに乗るようになって一年ほど経ち、自分がレースに今後も出つづけることを確信し、 梅林さんの勧めでLOOKを買うことにした。


第7号 LOOK381i (CSCカラー) 第2回もてぎ観戦ツアー直前
LOOK...実に不思議な自転車である。オーナーになって本当にそう思う。不思議な乗り味である。 ゴムシートという表現がある。LOOKを評価する言葉。これに尽きるのかもしれない。荒れた舗装、 砂利道。どこを走行しても薄いゴムシートを敷いた上で走ってるような感覚である。 別にフォークやシートステーが振動吸収しているというのでなく、フレーム全体で衝撃を包んで どっかへやっちゃってるのである。
実にマイルドな乗り心地は、走り出してすぐ「きもちいいー」快感を乗り手に伝えてくる。 今、自分のLOOKにはぷにょぷにょに柔らかくしたサンマルコ・エラKを付けているのでお尻も快適である。 この組み合わせだと、100キロ乗っても、200キロ乗ってもケツは大丈夫である。まったくありがたい。
LOOKの強みは荒れた路面のステージレースで最高のパフォーマンスを発揮するのだろう。 とにかくLOOKになってからは、どんなに追い込んでも、遠くまで殺人ペースで曳き回されても、 踏みすぎてひざが痛くなることはあるが、腰や体全体に「ズドーン」と襲い掛かる翌日の疲れが ぜんぜん来ない。サラリーマンにとってこんなありがたいものはない。
LOOKのわるいところも顕著だ。アタックに反応できない。わりとやわらかめのフレームで、振幅が大きい。 だから巨大入力を与えると、大きな波となってぼよーんと反発する。だから瞬間的な反応には対応できない。 ダンシングもコツが要る。大きな波を作って「ウワッシ、ウワッシ」と広いリズムで重い体重を揺さぶると フレームは「ドビュン、ドビュン」と反応して前へ進む。だが、この大きな振幅、けっこう疲れる。 ガンガン攻め合いをしてヘタレてくると大パワーを大きな振幅でフレームに注ぎ込むのがつらくなる。 これが結構厳しい。ひたすら高回転でぐるぐる廻すほうがこのフレームに合っているという人もいるが、 高回転だけじゃレースはだめなのである。大パワーをどのように使うかが微妙なフレーム、そういう意味で 短距離超追い込みレースではなかなか使いにくいことが多い。逆に150Kmを超える長距離レースならば 実に快適である。スプリントは出来ないけどね。。。
よく分からん超個性的フレーム。これでもツールに出た世界レベルのフレームなのである。 まったく不思議なフレームだ。LOOKとは。


第8号 インターマックス SELVINO (オレンジ)
もうじき完成予定。楽しみ。。。(2004/9/1)
思ったより1ヶ月以上早く完成した。(2004/9/12)。うれしくて思わず写真を 撮ってしまった。思ったとおりの色、思ったとおりのハンドル位置、思ったとおりのブレーキブラケット。
まだポジション合わせの試走だけなので詳細は不明。でもイイ!今日はもう遅いので起きれたら明日、むりなら あさっての朝に、朝練で使ってその剛性感を確認。そして、、これ買ったんだからもうあとは練習あるのみ。 登坂パワーの絶対不足を今度こそ解決しないと!
これはオーベストカラー。オレンジ、白、紺色。来年のつもりが今年に出来てしまったけど、初レースは どれにしようかな。。。やっぱり正月のもてぎにするかなぁ。。

と、言いつつ、すぐに乗り換えてしまった。最初はコソ練のみで使うつもりで乗り始めたが、 あまりに自分の感覚にぴったし来るので、「俺がほしかったのはコレだっ!!」と、その後は常に乗るように なってしまった。しかも購入1ヶ月で走行距離は900キロを超え、自分にしては久しぶりに月間1MMに迫った。 (=イチメガメートルね)。初レースは富士ヒルクラだったが体調が悪くて途中で止まるなど最悪だったが 踏んだ感触が自分にぴったしで最後はペースを上げられた。
このフレームを「辛い」とか「ひざに来る」とか言うひとがいるが、幸い僕は五体が頑丈に生まれてきたので、 (ま、その分、かなり重いけど)、ガチガチアルミマンセーだということに気がつき、次も、その次もデダの FORCEが売っていれば使いたいと思っている。