ツールド沖縄紀行

後左から=倉田(兄)、田口、加藤、島田 前=梅林、撮影=倉田(弟)
ツールド沖縄、行ってきました。
ハプニングの連続でしたが、とにかく楽しく行って来ました。このページでは充実した旅を写真付きで紹介します。
本来いただいた写真をURLアップして、そのトガキ(説明文)を添えるだけのつもりでしたが、どーしたことか文章が膨らんで
以下のような長文になってしまいました。えらく長いので、どうしてもひまつぶしの必要な方はご覧ください。
[レース初心者が出走するまでの決意]
ことの発端は8月下旬のある日曜日。梅林さんの「かとーさん、沖縄いかない?」から始まりました。
梅林さんは加藤のお世話になっている自転車店「ジェロニモ」のロードレーサー担当の方です。
毎週日曜の朝に練習会を召集していて、ボケた加藤にはあれこれと教えてくれます。簡単にいうと加藤のロードの先生ですね。
今回のレースにあわせて髪を金髪から赤に変えました。気合入ってます(上記写真参照)。
梅林さんによると11月には「ツールド沖縄」という自転車の大会があって、今年のシーズン最後にふさわしい大イベントであり、
朝練メンバーたちも大勢出るとのこと。僕はレースに出るのは初めてなのでちょっと悩んだのですが、
「だいじょーぶ、朝練についていけるなら。」
うーむ。最近は光陽台の急坂でもだいぶ速くなってきたし(皆には遅れるけど)、せっかくロードレーサーを買って毎週練習してるんだし、
交通規制された走りやすい舗装路をおもいっきり走ってみたかったし、沖縄は初めてだし(パスポート要らないよね?)、で、
あっさり
「ええ行きます」
と答えてしまいました。
僕の出走するのはみんなと同じ市民80Kmコース。同日開催の実業団プロ(チャンピオン200Km)のコースの一部と重なっていて、
山道の厳しい、初心者には決して楽じゃない内容です。コース内容
出場が決まって、コースの詳細や経験者の話を斎藤さんとインターネットで調べていくうちに段々と不安になり、朝練のほかに土曜日に
ひとりでコソ練(他のひとに内緒でコソコソ練習するから)をやって備えようとしましたが、本番まであと2ヶ月。。。
間に合うのだろうか...とにかくやれることをやって燃え尽きるのみと腹を決めました。
ちなみに斎藤さんとは会社の先輩でロードの先輩の斎藤さんです。僕よりちょっと年上で、ロード経験はずーっと上です。
科学的トレーニング方法やヨーロッパのプロ選手の話など話題が豊富でたくさん参考にしてます。また月に1回、交互に
ツーリング企画を立てて仕事仲間数名であちこち出かけています。斎藤さんも沖縄の80Kmに出走予定で、僕らジェロニモ集団より
1日早く現地入りしてコースを試走するとのことでした。
[加藤の考えた精一杯の沖縄対策]
まず"朝錬"とは、ジェロニモ店にあつまるメンバーが毎週日曜の朝に某所へ集まり、多摩丘陵のアップダウン含む50kmの
道のりを2時間程度で走るものです。僕はこの朝練のほかに沖縄対策として"コソ練"、土曜日、近くの霊園に行って坂道
含む3km程度の道のりを延々往復して2〜3時間すごす練習を追加しました。
このコソ練が実に面白く、やればやるほど身についてきます。最初はきつかった小坂が一ヵ月後にはすいすいと登れたり、
いままで観るだけでうんざりしてた登り坂が、「ダンシング(立ち漕ぎのことね)で一気に片付くじゃん」とか、
だらだらと緩くてめんどい坂道が、「あれ?平地に見える」(いやほんとに平地に見えてくるのだ。)、とか、
とにかく天気と体調さえよければドンドンやるべしな練習なのでした。時間も最初は1時間半くらいで「もーやめようかな〜」
と甘えが出たのですが、最後は3時間近く走って「あー、日が暮れちゃう。街灯ないし、もう走れないなぁ。。もっと早く出れば。。」と
いうふうに、持久力も上がるようです。「練習は裏切らない。」斎藤さんの言うとおりですね。
ちなみに斎藤さんの言葉は「しかもサボったときには必ず」が付け加わるのですが。
そうそう、霊園でコソ練してると意外と御同類を見つけるもので、スウェット上下でランニングするおじさんはもちろん、
どこかの大学の自転車部らしい日焼けしたにーちゃんが自動車の古タイヤをシートから紐でつないで曳いて走る姿は、
加藤の気力を倍増させるものがありました。天気のいい土曜しかしなかったけれど、この練習は今後も継続すべきかもしれません。
他に沖縄対策といえば特に無いのですが、合宿と称する自転車旅行を会社メンバーと2度やりました。
一度目は伊豆大島へ船で渡り、島一周半の70Km、本番さながらの山道を走りきるという強化練習を9月下旬に行いました。
二度目は「宇都宮ジャパンカップ観戦ツアー」と称して自宅から宇都宮のちかくの鹿沼まで片道140Kmの行程を土日で往復する
LSD練習を沖縄の二週間前に行いました。
※LSDとは"Long Slow Distance"の略で、長距離をゆっくり走って持久力をつける練習のことです。
10月になり急激に冷え込み、朝錬で脚が攣るようになり練習密度と気合が低下するなか、
何とか宇都宮ツアーを乗り切って本番までに備えました。
(これら自転車ツアーについてはまた別章にて書こうと思います。)
[ひさしぶりの飛行機は、、]
レース前日に沖縄へ渡りましたが、その顛末は後日書き足します(今書き出すとあと1000字ぐらい増えそうで怖いし)。
羽田ロビーに朝8字すぎについたのですが、電光掲示板には12:20の文字が、、、(2時間遅れ)。あと搭乗手続きで
機内持込のバッグからスプレーと折りたたみ工具(ナイフ付き)が出てきてえらいさわぎになったり、同乗者にどっかの
高校の修学旅行がいたり、飛行機が遅れたせいで前日の出走受付に遅れそうになったり、組み立てた自転車を大会へ預けるのに
タイラップが短かったり、オクマまでのシャトルバスがなかなか出なかったり、、、
ま、とにかくいろいろありましたね。
宿泊はJALオクマプライベートリゾートです。えらく立派なリゾートホテルですがオフシーズンのため僕らの宿となりました。
6名が2部屋にわかれ、僕はおじさんチーム(30代チーム)となりました。
同室の田口さんは背丈が僕と同じぐらいですが筋骨たくましく、なおかつ贅肉がない体つきで(レース後に温泉にて確認!)、
毎週の朝練ではいつも坂でちぎられます。年齢は僕より5歳くらい上なので、ひそかに目標にしています。
もうひとりはアサゾー店のロード担当島田さんで、なんと120Kmのコースに出走予定。さすが専門家にはかないませんね。
見た目は年齢不詳で、学生にも30代後半にも見えるかもしれません(ゴメンナサイ)。
むろん体格も"自転車で鍛えた身体"です。うーん、すごいなぁ。自分はまだまだ絞れるはず。。
ホテルについたのが夜8時過ぎですぐ晩御飯となり、そのあとお土産店を見たりして部屋に戻りました。
三人は旅の疲れか明日に備えてか、11時過ぎには消灯して寝てしまいました。
[緊張ながら淡々と進む出走前]
レース当日は朝5時15分に起きました。前日ぐっすり眠れたのでさほど辛くはなかったです。
起きて着替えて顔を洗い髭を剃り、荷物を抱えて朝食へ。とにかくご飯系をたくさん食べてハンガーノック予防に備えようと
思いました。
(ハンガーノック=走っている最中に血糖値が低下して走れなくなる現象)
食事後はトイレへ行き、準備万端でホテルの駐車場へ移動します。駐車場はスタート地点へ行くシャトルバスの待ち合わせ場所になっていて、
もう大勢の選手たちでごったがえしていました。我々はここで着替えて移動準備。
天気は曇り時々晴れ。雲量はあるけど時々陽もさす理想的な状態です。バスに乗り込む前に倉田さんの
デジカメで記念写真。
倉田さんは去年も兄弟で出走していてイイ成績をのこしてます。慎重で無口でツッコミのお兄さんと、ムードメーカーで
屈託の無い弟さんの二人はバランスが取れているのか兄弟仲はすごくよさそうに見えます。
シャトルバスに揺られて小1時間で宜名真港へ到着。ユニフォーム姿がたむろするスタート地点の風景はさながら運動会のようです。
大型トラックで運ばれてきた自分の自転車を受け取り、入念にチェックをします。
変速機は壊れていないか?ブレーキはOKか?タイヤのエアは十分か?
ここで自転車のトラブルを見つけないとレースが台無しになりますからね。
実はエアー、後輪が圧不足で5〜6気圧ぐらいだったでしょうか。ちょっと足りないようでした。タイヤチューブの金口が
ロングタイプではない標準サイズだったのでSHIMANOのエアロホイール(WH-R535)ではちょい長さ不足。
せっかく倉田さんが持ってきたエアポンプだと合わないらしくてエアー追加をしませんでした。
また後輪ブレーキも調整不足でブレーキレバーを握って完全にレバーをハンドルへくっつけないとブレーキがちゃんと
効かない状態で、下り坂では注意が必要でした。
(レース中はそのことを一度も思い出さずに済んだのですが。)
自転車の調整はイマイチでしたがまぁなんとかなるだろうと思い、次は人間の準備。背中のポケットに入れていたカロリーメイト
のブロックをほおばりました。背中にはまだチョコレートと「さんだーあんだーぎー」という沖縄の揚げドーナッツが
入ってましたがお腹いっぱいになったのでそのまま入れておきました。
(入れておいても走行中に食べられるとは思いませんでしたが...)
とりあえず食べ終わり、さてウォーミングアップを開始。スタート近くの車道を同行メンバーと往復しました。
おもったより自転車は快調。体調もOK。天気も気分もイイ!そもそも今回は戦うのでなく完走が目的だったので
ずいぶん気楽に流してました。
[居直ったか?あがらずにスタート?]
ウォーミングアップしているうちに整列するよう号令がかかったみたいで、地点へ戻ると道路の右車線には既になんとなく
「ぞろぞろ列」ができてました。本来はゼッケン番号どおりに整列するですが皆いいかげん。200人ちかく出走するのだから
道路は自転車であふれかえって、並び替えする訳にもいかないようです。どっちかというとレースは前にならんだほうが有利
なのですが、我々はいちおう番号どおり列の中央辺りに陣取りました。
ぼけーっと天気のよさと「熱くなりそーだなー」とか考えていると「もうすぐチャンピオン200が来ます」との号令。
後方はるかを仰ぎ見ると遠くのトンネルから先導の自動車が1台飛び出てきました、、、、つぎにバイクが1台、、、その後、
おお自転車軍団の列が!
チャンピオン200には加藤の従兄が実業団選手として参加しているはず。ゼッケン番号は62番。さてどのへんに
いるかなぁ。。。
「じゃー」
とっても信じられないスピードで、加藤らの後方に並んでいる80Km選手の列の左側を、チャンピオンの自転車集団が鬼のような
勢いで通過しようとしてます。
先頭が僕にどんどん近づいてきます。先頭は?だれ?、、、う?う?うお? なんと
62番!!
すっげー。。。
海外選手が多く出る中、まさかチャンピオンレースの先頭を加藤の従兄(西谷雅史選手)が引っ張っているとは思いませんでした。
このまま逃げ切れば本人としても日本人としても快挙!うおー!!
なんだかうれしく誇らしくなっちゃいました。
猛牛のようにチャンピオン先頭集団は我々のすぐ左車線を通り過ぎ、感化された80Km選手たちがしばらくワイワイやっていると、
「スタート1分30秒前」
おお、いきなり俺らの番か、ということで皆右足のクリートを付け出します。
(クリートとは、自転車のペダルとシューズを金具で固定するスキーのビンディングのようなものです)
[こりゃ痛快サイクリング?]
スタートの発砲「パンッ」と同時に、すぐ前にいた梅林さんが左の車線へ飛び出て先行。加藤はまわりとぶつかるのが怖いので
半分だけ「追いかけモード」で走り出しました。いつも決まらないTIME社のクリートはなぜか3、4回ですぐペダルと固定できた
ような気がします。
余談ですが、クリート(足の固定金具)は自転車の部品メーカー各社から出ていますがTIME社製のペダルシステムは足首の
自由度がいちばん大きく、加藤のような未熟者でも膝をいためることが一度もないです。えらいTIME!すばらしいTIME!
加藤はTIME信者です。カーボン部品メーカーでもあるフランスTIME社は自転車フレームも製作してます。でもフレームだけで
26万円ぐらいするとか。うーむ。。。いつかきっと手に入れるぞ。ボンジュールレプリカ!
話をレースに戻すと、スタート直後は車線いっぱいに200台の自転車が雲霞のごとく密集して「シャー」という音が重なり、
かつて一人で自転車通学をしてた加藤には感動モノでした。しかも皆が風除けになるので高速走行してもらくちん。
メータは時速40Kmを越えているのにペダルはらくらく。
「なんじゃい、サイクリングきぶんだなー」
とのんびりした気分で集団に漬かっていました。
しかし高速集団走行は危険と隣り合わせ。手をちょいと伸ばせば隣とぶつかるような距離で密集走行している集団は
一人のちょっとしたふらつきが衝突を生み、1人が転倒、後続が巻き込まれる「落車」という事故が頻発します。
加藤はさいわい一度も落車に出会わなかったのですが最初の10Km平坦コースは3回ぐらい落車があったそうで、
後方じゃすごいことになってたようです。
そうそう、ここでレース初心者がなやむのが密集時のブレーキ。密集走行は慣れないと予測がつかないので前車と
ぶつかりそうになります。でも、ブレーキは禁物です。いちど加藤は前車の挙動が怖くなり軽くブレーキしたのですが、
どうやら加藤のお尻にだれか食いついていたみたいで「ブレーキ!」の声をあげました。
「こりゃ後ろもやばいじゃん」
とその後は前とは距離を気持ちだけ空けておいて(1メートルぐらい?)、ブレーキ厳禁だと思って走りました。
なんともむずかしいものです。一列縦隊の最後尾ならば斜め後ろに20センチぐらい寄っちゃうのですが。
[どんどんドンドン抜かれていく〜]
さて最初の平地の高速走行が無事終わって、次は登り坂になります。みんなぞくぞく上るなか、加藤もギアダウンして
登りにとりかかります。最初5分ぐらい?は快調でしたが次第にペースが落ちてきます。
なぜかだんだん坂が急になるような。。。重い...重い...スピードが落ち、のろのろのろのろ、もう歩いたほうが
速いんじゃない?というペースになってきます。
後ろから斎藤さんが通り過ぎます。Go!サインを指で作ってます。追いかけようにも脚が残ってない...
次は白アンが追い抜いていく。。上り始めてすぐにぶっちぎったのに。。白アン、つまり白い色のANTALESバイクのこと、
加藤の自転車と同モデルです(加藤は黒いので黒アン)。これはワイズインターナショナルという自転車店グループが
ロードレーサー普及のために打ち出した超お値打ち入門車で、他社の同価格バイクよりパーツ、フレーム構成などで
充実してます。加藤はこの入門モデルを使い、体力のあるかぎりチャレンジしようと誓っているので白アンはライバルで、
かつ仲間なのです。
どんどん抜かれていきみんなの背中を見ながらさびしく走ってると、後ろからサポートカーやオートバイがじりじり
近づいてきます。
「いよいよ俺も、80Kmの最後尾になっちまったなぁ。。」
と、根拠もなく落ち込みつつ、「それでも負けられない!」と必死にペダルを回し、ふうふう言って何とか
山頂にある最初の関門にたどり着きました。ああ、まずは最低ラインの普久川の関門を通過したんだ。。
これで人様に顔を向けられる。。沖縄に来る前は、最悪ここで足切りかと思ってたよ...
補給ポイントでなにか配っていたので貰ったらアクエリアスでした。僕の自転車にはボトルゲージが2つ付けてあり、
持参したボトル1本には水がセットしてありました。。貰ったアクエリアスをちびちび飲んでから、
もうひとつの空いているゲージにボトルをセットしました。
[やっぱり来ました例の病気?]
「よしっ」
っと変速して下り坂を駆け下りようとすると、あれまアウターに入らない。ありゃ?
そうか、いままでアウターだったんだ。
そのとき初めて自分が緊張しているのに気が付きました。
どうやら登りが始まったとき、変速レバーは倒したのですがギアの確認をせず、そのままほぼ山頂までアウター&ローのままで
登ったようです。アウターとはペダル側のギアの大きい方のことを言います。ペダル側ギアの小さいほうをインナーといいます。
アウターはレバーをゆっくり大きく動かさないとちゃんと入らないことがあるんです。
くだりは一応快調なものの、最初ののぼりで頑張りすぎて疲れが脚にきてしまい、次の小さなのぼりに
チャレンジするころ、ふくらはぎとふくらはぎの前側(弁慶の泣き所の骨の外側の筋肉?)がぴしぴし言ってきます。
「うーむ。やばい。ここで完全に攣ってはレースができなくなるばい。」
そう思っても両足はどんどんやばい状態になってきます。アクエリアスを飲めばひょっとするといいかもと、エセ科学的に
考えてチビチビ飲みますがぱっとした効果はありません。ペダルを漕ぎながら、伸ばしつつ、登りつつを繰り返してましたが、
ついにヤバイの聴牌リーチとなり、よろよろと路肩へ逃げてひっくり返り、道端でウンウン言って脚を伸ばしてました。
加藤が最後尾のはずが、つぎつぎ後ろから80Kmの青ゼッケンがきます。
意外と声をかけてくれて
「だいじょぶか?」「あし攣ったのか?」
勝負とはいえ、自転車競技は耐久系なので会話も多いです。
路肩でひっくり返ってるとサポートカーに「メカトラブル」と勘違いされる(?)のもめんどいのでとにかくひたすら
脚を伸ばします。うんうん。
それにしても、上り坂でさんざん抜かれてしまい、後から来る小集団が自分を追い抜くたびに、
「今度こそおれは80Kmの最後尾だ!」といじけてましたが、それでも次から次から選手がきます。不思議なもんです。
しばらくして、「とにかく走らなきゃゴールはない!」と気力を振り絞り、完全に攣るのを覚悟でもういちど坂を登り始めると、
なんだ坂はすぐに終わりでした。あと50メートルも無かったんです。しばらくペダルを軽く回しながら降り坂を走っていると
意外と脚が回復してきました。珍しいです。ふくらはぎの攣りの回復。僕ははじめてかな。ま、とにかくこれ幸いと
「よっしゃ挽回だ!」
と気合を入れて平地を走りだしました。
[自転車はソロをさけるべし]
短い平地を走っていると、おお後ろから120Kmの先頭大集団が迫り来るではないですか!
結構速いペースで迫ってきます。でもこのスピードなら何とかなりそう。こりゃ渡りに船!と、大集団の群に
途中参加しようとしたら
「青いゼッケンは一番後ろについて!」
と怒られてしました。今考えると赤面ですが、120Kmの先頭集団の真中ほどに80Kmのノロノロが割り込むんだから、
そりゃマズイですよねぇ。
学生みたいにすなおに列の最後尾について、しばらく120Km先頭集団にくっついて快走します。速い速い!
坂で抜かれた80Km選手たちを面白いように抜いていきます。おお、やっぱり自転車は集団走行が命!
喜びもつかの間、短い平地区間は終わり、次の上り坂が始まってしまいました。
120kmの先頭選手たちはさすがそのままのペースで坂をガンガン登っていきます。加藤も最初だけくいつこうと
ふんばりましたがドンドン差がひらき、いつのまにか一人旅となっていました。ここらへんがまだまだ改善の余地がありますねぇ。
80Kmコース2つ目の難関、高江までの山道をえっちらおっちら登っていると周りにも同じような80Km選手がいます。
かれらも頑張ってえっちらおっちらやってます。もう80Kmのトップ集団とは離れているので皆おたがいがんばろー的な雰囲気です。
みんな黙々がんばります。
しばらくすると、後ろから集団の気配が。120Kmの先頭集団からちぎれた小集団が迫ってきます。おお、またしても渡りに船!
小さな下り坂や少ない平地を利用してスピードアップし、かれら小集団のお尻にくっつきます。
「やっぱり集団は風よけになって楽だな〜」
おかげでいきなりスピードアップになりドンドン先へ進めます。80Kmの選手を追い抜くたび、
「皆もコレに乗ればいいのに。。」
と思いますが余力がないようです。僕は「この集団にはとにかく必死でしがみつこう!」と決めて
登りはダンシング(立ち漕ぎ)で喰いつき、降りは自分の体重を利用して猛スピードで追いかけ、しばらくくっついて、
長いのぼりでちぎられたら、また別の120Kmの小集団に寄生して、、を繰り返しました。
これで結構タイムを稼いだようです。高江の関門も無事通過しました。
残念なのは、高江前でくっ付いていた120Km小集団に高江周辺でちぎられてしまい、距離が100メートルぐらい
空いてしまって、しばらく細かい上り下りを繰り返したのですが縮まりも伸びもしませんでした。
平良への長い下り坂が本格化したころになると、その集団は降り坂がえらく速かったらしく、いくら加藤が
飛ばしても追いつけませんでした。これがのちほどエライ難儀になります。
[しっかりせいや!]
ひとりで下り坂を飛ばしていたら、港町の風景になりました。「平良」の文字。おお、平良の関門か。。。
感慨ぶかいものがあります。初出場でもちゃんと第3関門を突破できたのですから。
4ヶ月前は自宅からジェロニモ店までの15Kmを走っただけで足が攣ってコケていたのに。
関門と港町を過ぎると、海岸沿いの眺めのいい車道となります。海から吹く風。遮蔽するものはありません。
空気の塊を一人切り裂いて走るのは集団走行と比べて相当つらいです。やばいなーと思ってると、
おお、赤いジャージの120Kmのあんちゃんが一人で走ってるではないですか。ずっこい加藤はその真後ろにピッタリとくっつき、
しばらく時速35km程度で走ってましたがどうもあんちゃんは辛そうです。加藤よりずっと「自転車乗り」の体格を
しているスポーツマンでしたが、すでにここまでカナリの体力を消耗していたようです。ずるずる速度が落ちるので
こりゃアカンと思い、加藤が前にでて、「よっしゃ俺が曳いたる!」と振り向きながら30Kmちょっとで走ったのですが
追いついてこない。。。うーん、恩返ししようとおもったのですがかなーりキテいたようでした。残念。
それから加藤の一人旅ははじまります。最初は35Kmくらいキープだという意気込みで頑張ったのですが次第に疲れてきます。
うんせうんせとペダルを回しても速度はどんどん低下。29Km、28Km、、、時速30Kmを割るようになりとにかくひたすら
前へ進むだけです。海はきれいだなぁ〜と考えていたか定かでないほどただ淡々と走りました。無心の境地の始まりですね。
[もはや登りマシーンと化す]
いつしか海岸通りも終わり、上り坂が見えてきました。木々に囲まれた坂道はうれしいやら悲しいやら。
沿道の看板に「あとXXキロ」という文字がみえます。自分のサイクルコンピュータを見てみると、
あれ?距離がちがう?全然積算距離が足りない?どうやら足を攣ってひっくり返ったときに初期化してしまったようです。
ま、あとは山をひとつ越えれば最終関門の源河なのはたしかです。
上り坂、うんせと登るスピードはついに16Kmぐらいに落ちます。うんせうんせ。あれもっと遅くなるぞ。。
まわりは80Km、120Kmの選手がちらほら。時間も昼近くになり、日差しは明るく気温も高く、11月とは思えない気候の中、
のんびりがんばります。
突如後ろからガシャンの音。「だいじょぶですか?」誰かが声をかけている。疲労から120Km選手が転倒したみたいです。
加藤も駆けつけたかったのですが残念ながら余裕ゼロ。でも声をかけた人がサポートしてるみたいでした。
そのまま黙々と上り坂ペダルを回していると、不気味な音楽?が藪の中から聞こえてきます。ブオンブオンどブオン。。。
うーむ、どうやらあれが有名な沖縄のアブの羽音だな。だれかのホームページにあったとおりだ、馬鹿でっかい音で
怪しい旋律。俺はいま、集めた情報のとおりの沖縄に首までどっぷり漬かっているのだ!
ツールド沖縄を満喫しながら、暖かい日差しの中いつ終わるとも分からない坂を登っていきます。
腕時計を見るともう12時を過ぎています。スタートしてから2時間以上。もう50キロは走ったでしょうか。この分だと
80キロ完走するにはトータル3時間半ぐらいの計算です。。。事前の調査だと最低ラインは3時間15分までだとか。
今のペースだと完走はかなり無理めな雰囲気です。おまけにゴール手前の陸橋って、結構長くて最後の坂としては
カナーリしんどいと倉田さんから聞いてたので
「源河まで行ければ十分!」
実をいうと事前調査でたくさんの情報を見たのですが、源河足切りのひとのホームページ記事を読んで
「ぼくのレベルじゃ源河さえも無理かなぁ。。」
と思ってたので、「源河まではたどり着こう」という目標が前々からあったのですが、ここで現実的になってきました。
[あのー、おじさん、おばさん、、]
源河までの道のりは山が3つです。山間の平地の集落では沿道の人が声援を送ってくれます。特に小学生の「がんばれ〜」は
なんだか元気がわいてきます。
でも、2つめの山を登り始めたところで応援してたおばちゃんが
「そこの曲がり道をすぎるともう登りはおわりだよ」
とか言ってたのですが、カーブをいくつ曲がっても延々と上り坂ばかり。あれ?、あれ?、あーれ?
唯一ありがたくない声援でした。
だいたいそのころは周囲を走っている選手も少なくてさびしくなり、たまに80kmのゼッケンの人に会うと
お互い目で合図して励ましあい、小柄なおじさんとは下り坂で抜かして上り坂で抜かれるのをくりかえし、
最後には
「のぼりは小柄が有利だからね〜」
と笑って追い抜いていきました。
若くてスポーツマン風のおにーちゃんが声を掛けてきて、「ツールド沖縄、舐めてました。結構きついです」とさわやかに
いってました。お互い似たようなペースでしばらく前後してましたが彼のほうが軽くて登りがよく、そのうち
見かけなくなりましたので先に行けたのでしょう。
そういえば高江あたりで見かけたTシャツにへんな落書きがいっぱい書いてあった「恋人募集中」とか、の
恥ずかしいあんちゃんはこの頃すっかり見かけなくなりました。もしかすると平良で足切りにでもあったのでしょうか。
あんだけ個性を発揮するならもっと速く走らないとかっこわるいですね。ちなみに同行の倉田(弟)さんは
写メール付きケータイを持参して走りながら撮ったとか。遊んでますね。でも練習してないのに完走、しかも上位で
余裕でした。まぁ僕との年季の違いは、谷底よりクレバスより深いようですね。
一人で3つめの大きい山をのろのろ登っていると、もうじき最後の補給所らしいです。ボトルゲージには
持参したボトルに水が2割、普久河で受け取ったアクエリアスが4割程度です。ボトルを2本とも路上からわき道へ
投げ捨て、もうすこし坂を登ると補給してくれるボランティアさんの列が見えてきました。
うまく受け取れない。アクエリアスを入手。おお、おいしい。次は水だ!
「水!」といって手を伸ばすと「水!」といっておじさんが青いボトルを渡してくれました。
水とアクエリアス。これで万全と思い、また暖かい日差しのなか、坂をのぼります。結構体温が上昇しているようで
暑苦しくないけど身体からパワーが爆発しません。これじゃのろいのでリフレッシュする必要があります。
「よし、もらった水を頭からかけて、源河までのもうちょっとを乗り切ろう!」
ヘルメットの上から受け取った青いボトルをざっとかぶったら、さっと身体が冷えて気分爽快!
うん!やっぱり元気がでる!気分が違う!もうちょっと頑張ろう!
ん?、、、べたべた?
べたべた、、べたべた。。。これ2本ともアクエリアスじゃん。
べたべたなまま最後の上り坂を走りました。
そういえばハンガーノックの話ですが、そろそろ3時間ちかく走るのに全然空腹感がありません。
出走前にチョコレートとカロリーメイトを食べて、普久川以降、アクエリアスを結構飲んだせいかもしれません。
補給食を食べようという気には全然なりませんでした。これは今後の貴重な体験かもしれないです。
話をレースに戻すと、周囲は昼時ののんびりした空気のなか、沿道の応援が増えてきました。やはり応援があると
ちょっとだけ頑張っちゃいます。
坂の頂上が見える付近で、沿道のおじさんが
「坂道はもうこれで最後だよ」。
今度は信用できそうだなと、ちょいとペースアップして登りきってみると眼前の風景が開けて、
もう前には山がなく、ただ降りの路のみが目に入ります。
嬉々としてギアをアウター&トップに入れ替えて激走します。シャー、シャー、メータがドンドン上がります。
40キロ、50キロ、60キロ、、、うすぐらい林間の降り道は風が寒いぐらいです。
ほんとは70キロ以上出せればいいのですが、さすがに知らない道の降りカーブの一人歩きだとちょっと警戒
しちゃいます。ここは難しいこと考えないでスピードを楽しみます。シャ〜〜〜
たのしいくだりがしばらく続いて、平地が近づいてきました。涼しい林間のコースから明るい日なたの町が見えたと
思ったらもう源河らしいです。
係員たちが道端に並んでます。あ、関門だな。なんだろう。赤い手旗がゆらゆら...
[それでも満足感に漬かったのです]
あー、つかれた。と素直にコースを外れて道路わきのテントに近づいていくと、青ゼッケンはまだほとんど居ませんでした。
自転車を降りて記録している係員に聞いたら
「関門はだいたい5分まえくらいからです」
とのこと。
テント周辺には10人ぐらい120Kmの選手がいます。みなすっごく悔しそうにしてる中、自転車をテント脇に横倒しし、
ボランティアのお母さんに麦茶をせがんで2杯のみました。120Kmの選手で腕を怪我した人がいるようです。
結構擦りむけていて血が出ていたので消毒していました。今考えると平良海岸線あとののぼりで転倒した人だった
のかもしれません。みんなぶつくさいってます。そうなのか?ぼくなんかここまで来てしあわせだけどなぁ。
なにせスタート前の駐車場では、周りの人のたくましくも細い脚、すね毛剃ってて気合入ってる姿に、とっても場違い
&かなわないを感じていましたから。装備もみんな高そう。自転車の値段で勝負したら白アンとともに僕が最下位だった
でしょう。でもタイヤはミシュランのPRO-Raceっていう一級品だぞ。あ、その白アンも遅れて源河にやってきました。
普久川以降、見かけなかったけどあなたも源河までなのね。そういえばのぼりで声掛けたおじさんはいないなぁ。
よかったよかった。ゴールまで走れたんだね。
しばらくテント周辺をぶらぶらしてましたが、もう満足したのではずれの芝生に座り込み、
もう一杯麦茶を飲んで、青い青い青空を見上げてレースが終わりました。
[競技終了後のゴール周辺]
最終関門からゴールまではシャトルバスに乗ります。全員ゼッケンをはずして自転車を預け、バスに乗り込みます。
僕の隣にはイタリア人らしい毛深いマラドーナが座りました。たしか青ゼッケンだったような。
バスに揺られ、バスで関門以降のコースを走り、バスでゴールをくぐり、名護市民館に到着。同行の梅林さんたちを探します。
会場は運動会のお弁当タイムのようなにぎわいです。スピーカーから流れてくる放送で各コースの結果を発表してます。
「80Km年代別、15歳〜25歳、6位倉田亮、、、、、35歳〜45歳、、、4位田口、、、」
すごい!ここで初めて田口さんの実力を、結果という形で知りました。朝錬では「追いつけないけど、いつか追いつきたい人」
だったのが俄然具体的になります。ますます見習わないとだめかなぁ。。レースは終わりましたが、また来年もあります。
これからも地道に練習すれば、僕でもできる、そう信じてまた少しづつ頑張ろうと思います。
ゴール前で記念写真
かとーは607番、右の黒いバイク ANTALES
駐車場まで歩いて帰る
けっこう歩いて帰る
[蛇足:レースの翌日顛末]
朝練の面子と島田さん、PEAK隊(倉田兄弟)の合計6人で行ったので、行動時は集団の心強さで楽ができました。
泊まっていたJALオクマプライベートリゾートは値段のわりにすっげえいいところで、泊まった部屋は、、それぞれ
別棟のなんていうんでしょう?、リゾートっぽいコテージ?でした。
#しかし、、壁が赤orピンク系が多かったのはハネムーン用途なせいか?
翌日の朝
ホテルの目の前は砂浜で、まっしろなサンゴ砂、蒼い海、青い空。
沖縄No.1の渚
レース翌日の月曜昼は砂浜で大の字になって寝てました。前日レースに出て、その晩飲んで翌日はまったり。シアワセですね。
梅林さんは「来年は彼女同伴で」とか言うけれど、そりゃ探すから始めないとアカンなぁ。
今日はリゾート
ホテル前にて
とにかく楽しい3日間でした。
旅としては飛行機の出発が遅れて2時間以上も待たされたり、逆に帰りは出発に遅れそうで空港を走ったりしましたが
けっこう楽しくできたと思います。
羽田からの帰り、電車が混んでいて自転車を背負いながらラッシュに乗るのはきつかったので蒲田からタクシーにのりました。
そしたらタクシーの運ちゃんも沖縄出身でした。ふたりでずっと沖縄の話題で盛り上がりながら
夜おそく自宅に帰り着きました。本当に楽しいたびでした。
(ホテル前にて)。
いままでかなりのペースで取り組んできた自転車。これからのオフシーズンは、焦らず少しずつ練習して、
来年はもうすこし実力アップして坂でちぎられないようにして、再度挑戦したいと思ってます。