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ゆき場のない核廃棄物と事故続発の核燃料サイクル


 秘密とウソは科学にはなじまない(福島第一原発)。

 

核環境汚染、最悪のシナリオは起こり得ないか!?

’80年代以前の冷戦時代には、核戦争による地球の破滅が現実に恐れられていた。
核がもたらす放射能汚染による人類絶滅は、映画「渚にて」などでもリアルに描かれた。
また、「核の冬」による地球環境の壊滅も科学的に予言された。
そして、全面核戦争の危機が少し遠のいたように見える今、
もっとも危惧されるのが核廃棄物による汚染や核燃料サイクルがはらんでいるさまざまな危険性だろう。
’97年3月11日の動燃・東海村事業所での火災事故は、
そんな危険についての重大な警告ではないだろうか。

核をめぐるつづけざまの事故が示すものはなにか。

 核のゴミ、それはいったいどういうものだろうか。
’95年4月に青森県・六ヶ所村に搬入された高レベル廃棄物が収められたキャスク(容器)から、もうもうと立ち上った湯気は、核廃棄物がまさに「生きている」という現実を、テレビのニュース画面を見るわたしたちに突きつけた。
 そして、同年12月8日、この年の8月に臨界したばかりの高速増殖炉「もんじゅ」で、温度計の破損というほとんど予想もされていなかった原因によるナトリウム漏れ火災事故が発生し、ナトリウムという物質の危険を目のあたりにした。
 加えて、この「もんじゅ」事故後の動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の情報伝達の不手際や事故現場ビデオの存在の隠蔽、ビデオの編集、さらには虚偽の事故報告などといった不祥事も大きな社会問題となった。この事故に関連して自殺者まででてしまった。
 その事故や不手際の反省に基づいて、原子力行政の見直しの気運が起こったわけだが、新たな態勢もまだ確定せず、「もんじゅ」事故の記憶さえも薄れないうちに、’97年3月11日、こんどは、茨城県東海村の動燃「アスファルト固化処理施設」で火災が発生、その後爆発まで引き起こすという日本の核開発の歴史上、これまでで(恐らく)最悪の事故となった。
 しかも、この事故に際しても報告が遅れ、さらに目撃証言を捏造するという最低最悪の対応となったため、動燃そのものの再編という事態にまで至っている。
 この一連のできごとで、これまで、想像と仮定で語られていた原子力政策がはらむ問題がはっきりと見えてきた。
 問題となるのは、核廃棄物処理と核燃料リサイクル、そして、プルトニウム政策をはじめとする日本の原子力政策がいったいどんな形でおこなわれてきて、今後、どういった方向に進められようとしているのかということだ。
 今までは、どんな事態になっても安全だ、日本のシステムはほかの国と違ってしっかりしている、技術も高度だし人材もすぐれている……そう説明されていた。それが次々とほころびを見せている以上、これまでの議論、討論はすべて検証されるべきだ。もう一度原子力のシステム全体を見直す必要があるだろう。
 なにしろ、この核廃棄物処理、核燃料サイクル、プルトニウム政策のどの一点でも、破綻したとき、つまり、事故や事件などで放射能が環境に放出される事態となったときにはもうすでに遅い。これこそ、数百年、数千年に及ぶ、人類史上最悪の致命的地球環境破壊となりかねないのだ。

核廃棄物処理施設から火災発生。消火したはずがさらに爆発。

 ’97年3月11日午前10時10分ごろ、茨城県東海村の動燃東海事業所の再処理工場内のアスファルト固化処理施設内で火災が発生した。スプリンクラーを作動させ、約15分後には「鎮火」したが、その夜、8時15分ごろ同じ場所で爆発が起こり、鉄筋コンクリート一部5階建ての施設の内部やガラス窓、入り口のシャッターなどが破壊された。
 アスファルト固化処理施設は、低レベルの放射性濃縮廃液を処分するためにアスファルトといっしょに固める施設だ。その中の、放射性廃液とアスファルトを混合する充填室から出火した。
 もともとアスファルトは発火しやすい(引火点約260℃)ことから、火災にはもっとも注意が必要とされていた。このアスファルト固化の施設での火災には前例がある。’81年、ベルギーの再処理工場で、放射性廃液を混ぜたドラム缶3本が出火しているのだ。
 東海村での事故当時、付近の施設では、動燃職員や下請け会社社員など59人が作業中で、そのうち10人から微量の放射性物質・セシウムが検出された。
 昼ごろ、茨城県から問い合わせを受けた動燃は「今のところ放射能漏れはない」と報告した。ところが、じつは火災から30分後に放射能の漏れを検知し、作業員は現場付近から避難していた。
 結局、34人の下請け作業員をはじめ、37人が放射能に被曝した(うち34人は爆発以前の被曝)。そして、問題のプルトニウムも環境中に放出されたのではないかという兆候も見られた(朝日新聞’97年3月15日)。
 起こってはいけない放射能漏れが、起こってしまった。約6000億円かけてきた高速増殖炉「もんじゅ」の事故に続いて、約1400億円を費やしてきた東海村再処理工場で、あってはいけない事故が起こったのだ。
 連絡の遅れなどさまざまな不祥事のなかには、事故翌日に動燃東海事業所職員と出入り業者のゴルフコンペが中止されずに実施されたといったお粗末な話もある。プルトニウムが漏れた事故の翌日に、予定通りゴルフ大会を開催するといった認識で、原子力に関わっているわけだ。
 充填室に残されたドラム缶32本の放射性物質の量は、8860億Bq(ベクレル)にものぼる。ドラム缶からの放射線量は、30cmの距離で1時間あたり7mSv(ミリシーベルト)となり、多いところでは100mSvを超えることもありうるという。
 放射性物質の作業員の年間の被曝限度が50mSv(一般人は年間1mSv)であることから、室内での復旧作業は危険過ぎることになる。
 東海村での事故は、村役場に連絡があったものだけでもこの11年間で41件にもなる。毎年事故は起こり、被曝した人は72人に登る。そのあげく「わが国の原子力開発史上最大最悪の事故」(日本科学者会議の声明)が起こったわけだ。
 動燃の報告によっても、原子力事故の評価尺度の「0から7」の8段階のうち、国内で最悪の「レベル3」の事故と報告された。「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故は「レベル1」(’97年3月27日に正式決定)、細管が「ギロチン破断」した、関西電力美浜原発事故(’91年2月9日)が「レベル2」だったことを考えると、この事故がいかにとんでもない事故だったかわかる。
 この評価尺度は、1、施設外への影響。2、施設内への影響。3、深層防護の劣化の3点から評価される。今回の事故については、3、について、「深層防護の喪失=レベル3」にあたると判断され、1、2については「ごく軽微」だったとしている。
 窓ガラスが割れ、ドアやシャッターが吹き飛んでも「軽微」ということだから、「影響が認められる事故」がどういったものになるかが逆に想像できる。鋼鉄製の床のハッチ(蓋)が吹き飛ぶ以上の爆発、つまり建物自体が崩壊するような事故が「軽微ではない」事故と評価されることになる。
 事故後、橋本龍太郎首相が「もんじゅの教訓をまったく生かしていないとしか思えない」と批判しているが、これが、あたりまえの評価だろう。
 ちなみに、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は「レベル7」、アメリカのスリーマイル原発事故は「レベル5」とされている。
 アスファルト固化処理施設は、15年前に約70億円を費やして建設されたものだが、保険などには加入していないため、補修するのに数十億円かかるという。危険な被曝の可能性のある、高コストの復旧より、このまま施設を閉鎖したほうがいいという声もある。

核物質保護のために、事故も隠される?

 動燃の再処理工場には、プルトニウムが保管されている。「もんじゅ」の燃料にするものなどだ。当然、プルトニウムは、核兵器の原料ともなるものだから、非常に厳しく管理され、プルトニウム関係施設の配置などは極秘にされている。
 今回の東海村の事故で、火災発生から消防への通知まで30分以上かかっていることやさまざまな虚偽の報告が行なわれた裏には、このプルトニウムの存在がある。プルトニウムがテロや盗難にあうリスクを避けるために、徹底した秘密主義をとっているのだ。その秘密主義が、動燃の「密室化」を招いていたという指摘もある。
 なんと「小さな事故は、ほとんどもみ消され、職員にも知らされない」と語った動燃職員までいるのだ(’97年3月27日朝日新聞)。
 また、動燃側は放射線被曝の2次災害の恐れから、事故現場の調査がすぐに行なえなかったとも説明しているが、事故時に立ち入れない場所に、リモコンのビデオカメラなど事故状況を把握できるシステムがなかったことが問題だ。
 しかも、はじめは「ない」といっていた監視カメラが、事故から2日経って、じつは「ある」ことが判明したが、なんと録画はおこなわれていなかったという。それさえも疑わしくなる。
 コンビニの監視カメラでも24時間録画されているのに、核物質を扱う施設でカメラはあったが録画していなかったというのだ。
 さらに、火災発生から8分後に、外部に放射能が漏れていたのに、この重大な事実に5時間も気付いていない。
 動燃は、火災で作業員10人が被曝したことで「対応に追われていた。排気筒モニターの警報は鳴らず、環境放射能の測定装置も異常がなかったので外部に放出されていないと判断していた」(3月14日、朝日新聞)と話したというが、10人が被曝したという事態で混乱し、周辺環境への影響チェックが十分にできなかったことになる。
 これでは、もっとシビアな事故の際にはもっと不十分な「対応」になることは明らかだ。しかも、この放射能漏れの事実の発表は、さらに3時間遅れた。つまり漏れ始めてから8時間も経ってからのことだった。
 放射能は事故現場から約60km南西の、つくば市の気象研究所で事故当時セシウム137が通常の約10倍、大気1立方mあたり100万分の10Bq(ベクレル)台検出されている。数値としてはチェルノブイリ原発事故時より3桁少ないというが、それだけの距離を汚染が拡大していることに注目すべきだろう。
 この話を聞くと、いったい事故のときのマニュアルはないのか、とだれでも思うだろう。結論は「マニュアルはなかった」である。
 動燃の野村保・安全部次長は「今回のような事態のマニュアルはなかった」と記者会見(3月12日夕方)で述べているが、「もんじゅ」事故に続いてまたもや想定外の事故ということになるようだ。
 火災と放射能漏れが同時に起きたケースが想定されていないという驚くべき事実も伝えられている。火災が過酷な大事故につながった過去の例をまったく教訓としていなかったのだ。
 しかも、最初の火災消火は下請け会社の作業員がスプリンクラーで行なったが、このスプリンクラーの放水訓練は行なったことがなかった。さらに、放水後の室内温度を確認するための温度計も充填室内にはなかった。
 いずれにしても、これが重大な事故であることはマニュアルがなくてもわかるはずだ。ところが、首相官邸の梶山官房長官への正式報告は、火災発生から6時間以上あとの午後4時過ぎだった。あろうことか、動燃東海村事業所に隣接する医療施設に、火災・爆発の説明がおこなわれたのは翌朝だった。
 茨城県や東海村には、火災については発生直後に連絡されていたが、職員の被曝や放射能漏れに関しては3時間以上経ってから伝えられている。
 さらには、周辺市町村住民への経過説明に至っては、事故5日後の16日に窓口となる「対外対応班」を設置し、翌17日から説明を開始するという超スロー「対応」だ。この通告時刻のギャップや対応の遅れが、過酷な事故の際には被曝者を限りなく増やすのに十分であることは疑う余地はない。
 動燃東海事業所のアスファルト固化施設と同じ種類の施設は、全国各地の原発にある。7ヵ所のアスファルト固化施設のある福井県(敦賀、美浜、大飯、高浜)をはじめ、北海道の泊、佐賀県の玄海、愛媛県の伊方、鹿児島県の川内の各原発でアスファルト固化処理を行なっている。
 おもに加圧水型原子炉からの低レベル廃棄物の処理に用いられているわけだが、処理する物質が異なるので、同様の事故になるとは限らないともいう。ただし、それを実証するためには、東海村での事故の原因と経過が詳細に確認されなければならない。
 東海村の爆発事故のニュースが連日報道される3月18日、青森県六ヶ所村のむつ小川原港に、フランスからの高レベル廃棄物(ガラス固化体40本、約19.6t)が、英国の輸送船パシフィック・ティールから陸揚げされた。
 

 この建物に未来への希望がつまっているのか、それとも……。(「もんじゅ」)

プルトニウムは戦争を招く最悪の核廃棄物になる。

 ウラン燃料の燃えかすからプルトニウムとウランを再処理で取り出し、高速増殖炉でプルトニウムを増殖、さらに再処理して燃料を無限に作り出す。まさに、それは夢だったかもしれない。
 けれども、肝心の高速増殖炉がいまだに実験段階でしかなく、世界各国での開発は次々と中止されている。フランスのスーパーフェニックスは、廃炉が決まった。そして、もし、高速増殖炉が日本だけで実用化されたとしても、再処理なくして存在できない、この高速増殖炉は膨大な核廃棄物をも増殖させることは約束されている。
 それにともなって、プルトニウム燃料の輸送の際の核事故や再処理での事故、プルトニウムを使って燃料を製造する過程での事故の危険も飛躍的に増殖する。
 再処理による廃棄物の問題を総合的に評価し直して、ほんとうに実施する価値があるのかどうかも再検討する必要があるだろう。
「核拡散についての国際的な疑念が生じないように余剰プルトニウムはもたない……」(前出『’97 原子力発電』)
 そのためにプルサーマルを実施するというなら、プルトニウムがこれ以上生産されないように、再処理を行なわなければいい、というのがあたりまえの考え方ではないだろうか。
 このままプルトニウムがあまってくると、日本は核武装するつもりでは? とだれでも考えるだろう。前の戦争で侵略を受けた国は、間違いなくそう感じている。プルトニウムは、汚染が危険なだけでなく、国際関係をも危機におとしいれることを忘れてはいけない。
 エネルギー問題についても、100年後を考えることも必要だが、数百年、数千年、場合によっては数万年から一億年もの間、放射能を出し続けるような核廃棄物をこのかけがえのない地球に残してしまっていいものか、どうにか取り返しのつくうちに見直したほうがいいようだ。


 この文章は、学研『改訂版・今、地球が危ない』(’97年9月発行)に『核汚染』として掲載されているものの元になる文章の一部です(ページ数がたりず、入り切らなかった部分が大半)。核燃料サイクル計画批判についての、詳細は同書をご参照ください。

 追記1:動燃は、1997年12月23日に記者会見で、名称を「核燃料サイクル研究開発機構」と変更することを発表。'98年10月に「新法人」に移行する予定という。これで、目的がはっきりしたぶん、組織の解体のメドも明確にしたということだろうか。さもなければ、まだ、危険すぎる「研究開発」をおこなう意義がある、と判断されたことになる。しかも、なぜか「開発」場所を変えてまで。


 追記2:科学技術庁は、'98年2月10日ごろに、全国の原発などを24時間監視する「センター」を設置した。これで、夜中も監視できるようになったそうだ。'95年12月の「もんじゅ」事故や、'97年3月の東海村事故への対応が批判されたため、というが……、この遅すぎる対応には、もうことばもでない。
 さっそく、科技庁のホームページを見たが、いっさいなんにも触れていなかった。さすがに恥ずかしかったのだろうか。それどころか、新聞でも記事になっていない。


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