1994年 F1総集編 第3戦モナコGP より 〜
緑濃く、春イモラ。
胸躍るはずのサンマリノで、
悪魔が牙をむいたかのように事件は始まっていく。
4月29日、予選初日。ルーベンス・バリチェロ、クラッシュ。
マシンは宙を飛び、ノーズから地面に落ち1回転。
救出に5分かかった。バリチェロ、鼻骨骨折。
セナは明らかに心理的動揺を始めていた。
セナの恐れと裏腹に悲劇は続いていく。
30日、予選2日目。ラッツエンバーガー、大クラッシュ。
ヴィルヌーブ・コーナーに激突したマシンは、
惰性でトサ・コーナーまで滑り、
モノコックは粉砕され、彼の首が揺れる。
これは危ない。誰もが思った。
心臓マッサージが続けられるが容態極めて悪し。
セナの衝撃はピークに達した。
ドライバーの生死を目の当たりにしたセナの感情は一気に高ぶる。
セナ、恋人に「もう走りたくない」と語った。
ラッツェンバーガー、帰らぬ人となる。
5月1日。決勝。空気重し。
セナ、通算65回目のポールのポジション。
スタートで、レートとラミーがクラッシュ。
タイヤとパーツが空を飛び、観客席に落ちていく。
観客の8人が怪我をし、4人が病院へ。
だがレース続行。セーフティーカー導入のみ。
再スタート。
そして、7周目。タンブレノ・コーナー。
事件が起こった。
セナの体はその場で横たえられた。
ドクター達が取り囲み、
その場で臨時の緊急施術が施された。
この時セナは、前頭部を損傷し、肺にも血液がたまっていた。
事故から15分、セナの体はヘリコプターで運ばれた。
セナの体は、ボローニャの病院へ。
セナ、集中治療室で昏睡状態。
午後6時。セナ死亡。
神と話し、神を見たと語ったセナ。
今、神の元にかえる。
1994年 F1総集編 オープニング より 〜
モーターレーシング。
それは、人間がこの世に送りだし自動車を使って、競争を楽しむスポーツ。
レーサーは英雄。
車は技術者にとって英知を傾けた作品。
サーキットは発表の舞台。
レースは危険である。
しかし、この世にレースが存在するわけは、
自分の好きな道を歩み、真意としての自由があるからだ。
モーターレーシング、この崇高なるスポーツ、成熟した社会の勝ちある財産。
1994年。F1グランプリは、大きな大きな歴史の曲がり角に来ていた。
ハイテクノロジーの進化は、かつての のどかな世界を奪い取り、
幾千にも及ぶ機械的ファクターを生み、鍛え抜かれた肉体と明晰な頭脳を要求している。
この世にレースが生まれて、ほぼ100年。
人は何のために走るのか?
セナは何を求めて走るのか?
答えはすぐに出るものでもなく、一つでもない。
F1はそれを探す旅でもある。
1994年 F1総集編 第16戦オーストラリアGP より 〜
初夏のアデレードに緊張の糸はりつめる。
8年ぶりの最終戦王座決定戦。
予選白熱。
男の意地をかけ、最期の勝負をかけ、歴史に名を残す戦い。
限界に挑む。ライバルに勝つ。本能で走る。
シューマッハがまず1番にやるべきことは、1コーナをとること。
とったらグイグイ逃げる。
ヒルにも奇策はある。ベネトンと同じように3ストップもある。
エンジン高鳴り、その時を待つ。
そして、予想もつかない出来事で決着することとなる。
1994年 F1総集編 エンディング より 〜
1994年 FIA表彰式。
求めてきたものは何だったのか?
命をかけ、情熱をかけ、のぼりつめた時、与えられるものは何?
紳士淑女の祝福の嵐と、小さな盾が手に残る。
蝶を追い続けた人は蝶を愛し、
羊飼いは羊を愛す。
F1にある人は、このスポーツを愛し、
自分と自分のマシンを愛す。
F1を愛する全ての人々を愛す。
悲しみと混乱、議論と競争の果てに、明るい未来が見えてくる。
F1。
人生を凝縮して地上を進む際立つ人々の戦い。
波乱と混沌が竜巻のように人々を飲み込んだ。
嘆き、悲しみ。涙をこらえて突き進んだ。
全身全霊で競い合ったのは、優れた命の証か?
競り合い。命の限り。自分の人生を切り開く。
きれる。もとめる。ほとばしる。
気高き峰を目指して、必ずや来る栄光の日。
素晴らしきF1。
だからこそ愛しきあなたは生涯愛しぬいた。
未来へ。人々の未来へ。
人間の英知と勇気を乗せて、感動の世界へ。
F1。
この情熱に終わりなし。
いつまでも心ときめかせる。
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