1983年 F1初ドライブ

人生は、不思議。
セナが始めて乗ったF1マシンは、ウィリアムズだった。
83年7月のドニントンパーク・サーキット。

セナ:「ここドニントンでは何度も優勝したよ。
    81年にFF1600、82年にはFF2000で、今年はF3で優勝したよ。」

F3で売り出し中のセナを、フランク・ウィリアムズがテストに呼んだ。
がしかし、ウィリアムズはセナにそれほど執着しなかったという。
11年前の初の出会いから、11年後の悲劇。
セナはまだ青臭く、大きなチームに入っていけるほど信頼されていなかった。

1984年 F1デビュー。 そして、雨のモナコ

ベネトンの前身のトールマンという弱小チームからF1デビュー。
第6戦モナコは雨。
セナは予選13番手からスタート。
悪コンディションの中、セナだけは他のドライバーより3秒以上速いラップタイムで追い上げ、
グングンと上位に上がってきた。
そして、2度のワールドチャンピオンであるニキ・ラウダを抜いて、2位に上がった。
恐るべき新人。
トップはアラン・プロスト。
雨足いよいよ激しくなったが、セナはファステスト・ラップをマークしながらプロストを追う。
ところが32周目、赤旗でレース中断。
これによりプロストの優勝が決定した。
中断さえなければ、初優勝もありえた。
悔しい思いで、フランス国歌をきくセナ。

1985年 ポルトガルで初優勝

名門ロータスへ。
第2戦ポルトガルで初のポールポジション。
決勝日は、去年もモナコ以上の雨。

セナ:「僕がこんな状況下で一番注意したのは、
    ミスをしないように、とにかく集中力を失わないようにすることだった。」


セナ:「チェッカーを受けた時は信じられなかった。
    初優勝だし、本当に素晴らしかったよ。」

セナ、初優勝。デビュー16戦目の快挙であった。

1985年 ベルギーで2勝目

9月のスパ・フランコルシャンも雨模様。
予選2位。フロントローからのスタート。
雨のレースにおけるセナは、
他のドライバーと比較して限界点がずば抜けて高いところにある。

しかも2位のピケがスピンして後続を混乱させたため、
セナの逃げは簡単に決まった。
更に路面が乾いたのをみてとるや、いち早くスリックタイヤに交換。
こうした読みと決断の早さは、セナの天性のモノである。

セナはとても1年半前にデビューしたとは思えない、老練なテクニックと切れ味鋭い走りで、
この年、ポールポジション7回、このベルギーグランプリで2勝目を上げ、
新時代のエースの名を欲しいままにした。

アイルトンは速い。
いつの日か、F1界を所って立つドライバー、
いつかはチャンピオンになる男と言われ始めた。

表彰台のセンターに立ち、先輩二人を従え、歓喜のシャンパンファイト。
1位セナ、25歳。
2位プロスト、30歳。
3位マンセル、31歳。
時代を築く男達がポディウムで出会った。

1960年 セナ生まれる

1960年3月21日 午後2時35分。サンパウロの裕福な家庭に生まれた。
実業家の父ミルトン、優しい母ネイジに育まれ、何の不自由なく成長していく。

4歳の時、父から手作りのカートをプレゼントされ、
一人で顔に風を受けながらドライビングに熱中する。
カートにのめり込んだ彼は、年長のカートレーサー立ちに混じってレースの真似事をしていく。

セナ:「レースでは予選がなくて、ヘルメットの中からくじを引いて、グリッドを決めていたんだ。
    僕が一番小さかったから、最初にクジを引かせてくれたんだけど、
    引いたら何と1番だった。ポールポジションだったんだ。
    その時、初めてレースというものを味わった気がする。
    スタートしてから35周目まで、トップをキープした。
    軽かったからとても有利だったんだ。
    残り数周になった時、2位か3位。
    後ろにいたヤツが、コーナーでは僕より速かったんだけど、
    ストレートでは僕が遅くて、最後に後ろからぶつけてきたんだ。
    結局、僕はコースアウトして完走できなかった。でも楽しい思い出だね。」

13歳で公式のカートレースにデビュー。
少年セナは、みんなから彼のカーナンバーである42番で呼ばれていた。

もうブラジルに敵はいない。
1980年、家族の反対を押し切って、ヨーロッパに渡った。
幼なじみのリリアンと結婚。やがて悲しい離婚も経験する。

1982年まで、FF(フォーミュラ・フォード)1600で11勝。FF2000で21勝。
1983年。イギリスF3では、開幕9連勝。マーチン・ブランドルとしのぎを削り最終戦でチャンピオンとなる。
二十歳からのセナは、自ら道を選び、努力した。

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