1989年 イモラ 〜セナとプロストの紳士協定〜

マクラーレン・ホンダのジョイント・ナンバーワン・ドライバー、アイルトン・セナとアラン・プロストは、
まだ穏やかな波の上にあり、それなりに信頼関係を保っていた。
しかし、ここイモラで理想のチームの二人に、深刻な溝が出来はじめるのだ。

タンブレロでのベルガーのアクシデントにより赤旗再スタート。
プロストが絶好のスタートをきりトップに躍り出た。
プロストはセナに言った。
「序盤は無理な追い越しは止めて、後で勝負しよう。」
それが、イモラの紳士協定と呼ばれるものだった。
しかし、セナはトサコーナーでインを取りあっさりとプロストをかわした。
チーム首脳ロン・デニスは、二人の約束を知らない。
2位のプロストは真剣に追ったが、ホイールがロックしてスピン。万事休す。
セナ、89年、まずは1勝。

表彰台。
シャンパンの栓が抜けないセナを見て、プロストは笑う。
笑っているが、後で記者団に「セナは約束を破った」とぼやいた。
チームやメディアを使っての心理戦や政治力は、プロストの方が上手であった。

セナ、プロスト不仲説が流れ、慌てて否定の記者会見をするマクラーレンのボス、ロン・デニス。
彼はこの1年間、エネルギーの大半を二人の関係修復に費やすことになる。

1989年 イタリア 〜敵地にて〜

セナ、トップ快走も終盤、HONDAのテレメトリーに異変。
壊れたラジエターから漏れた、自らの水とオイルに乗ってスピン、リタイア。
残り9周の出来事。
セナのリタイアに満場のティフォシが、やんやの歓声を浴びせる。
レースは機械を使うスポーツである。
万全を期していても、ストップすることはある。

セナ:「今までレースをやってきて、勝った時も負けた時もある。
    でもこれがレース。もちろん全レース勝てたら、それはそれで嬉しいけど、
    それじゃ、何ともレースが味気ないもになると思う。
    だから負ける事も大切だし、それを受け入れる心の準備も必要だと思う。
    それが勝負の世界だ。でも、僕はいつでも勝ちたいと思っている。
    常にプラス指向でレースに挑むし、限界の中での自分の力を信じているんだ。」


1989年 ポルトガル 〜マンセルの存在〜

マンセル、ピットレーンでバックギア走行。
審査委員会は黒旗を提示。ピットインを促す。
が、マンセルは3周に渡って無視。
まだコースを走っている。
そして、1コーナー。
2位を走っていたセナをはじき飛ばす。
本来、コース上にいてはならない失格の車によって、突き出された。
怒りと悲しみに震えるセナ。
ブラジルからヨーロッパに来た時も疎外感があった。
チャンピオンになり、もう一度目指そうと言う時に、また孤独感を味わうのか?
セナは神に問う。これが私の試練なのか?
ピットに戻っても人の言葉は上の空だ。
何も聞きたくない。何も話したくない。
セナの心は虚ろになり、絞められた扉が絶望の大きさを表していた。

1989年 日本 鈴鹿 〜シケインでのドラマ〜

セナは聖書を小脇に抱えサーキット入りした。
表紙の裏には、
「この聖書には、あなたの人生を栄光に導く近道がある。神にあなたの人生のハンドルを委ねなさい。」
とサインがしてある。
渾身の力でポールポジションを取り、神に出会う時を待つ。
心の声で神を呼び寄せる。

10月22日 決勝。曇り空に一瞬、日が差し始めた。
精神と肉体を一つにして、全てを一点に集中。

スタート。プロストが前。プロストは逃げに逃げた。
そして、47周目が訪れていた。
セナは、タイヤとブレーキを温存して、じっとチャンスを伺い、
プロストはプロストで、軽いウィングにして序盤に逃げを打った。
セナは、目の前のプロストをどこで抜くか、もうわかっていた。
プロストも、セナがどこで仕掛けてくるか、充分に分かっていた。
デグナー、ヘアピン、スプーン、バックストレート、130R。
シケイン。
シケインでプロストを抜きさろうとしたセナを、
シケインでプロストがくい止めた。
プロストにとっては、これで良し。チャンピオンは、ほぼ手中にした。
セナは驚愕した。
まさかプロストがこんな手段を執るとは!
右へマシンを寄せてきた。
セナは、こんなところでリタイアできない。
鈴鹿とアデレードで勝てば、チャンピオンシップを逆転できる。
一縷の望みをかけ、エスケープロードからレースに戻った。
一方、この衝突はセナの危険な追い越しにあるとして、プロストはコントロールタワーへ向かう。

セナは、引きちぎれたウィングを取り替え、レースで優勝するのだ。
ナニーニをパスして、トップでチェッカーを受けたのである。
優勝を確信しつつ、小さなガッツポーズ。
しかし、ことはそう簡単ではなかった。
セナは、コントロールタワーの審査委員会に呼ばれた。
一体どんな裁定が下るというのか?

裁定が下った。
セナは47周目、シケイン不通過により「失格」。
優勝はナニーニ。
セナはいよいよ深い深い心の傷を負った。
89年、二つの星は、真っ向からぶつかり、大きな溝を作った。

セナ:「僕は間違っていない。」

自分の信念に基づき正しいと思うことをしたセナ。
しかし、F1を司る人々は、セナは正しくないと判断した。

プロスト:「今回の事故が今シーズンを象徴していた。
    心残りなのは、これで彼と手を握り合うことが出来ずに終わってしまうことだ。」


セナ:「残念だけど、こんな状況になった時は、自分の力の範囲で向かっていくしかないし、
    僕はやるべき事をやっているし、間違ってはいない。
    僕はレースに勝ったが、感動や表彰台に立つ感激を味わえなかった。
    チームのスタッフ、日本のファンと一緒に祝うことができないのが残念だ。」

シケイン不通過の問題

シケイン事件の波紋は大きかった。
F1のスーパーライセンスがセナには発行されないかもしれないのだ。

セナ:「僕は実際、もうF1に出ないと決めていたんだ。
    ただ、昨夜HONDAの川本副社長に電話して出場を放棄するかどうかはゆだねた。
    ただ僕が、88年にチャンピオンになって以来、お世話になり尊敬しているHONDAにとって、
    それがプラスになるなら、それでいいと思っている。
    もし法廷闘争になれば、チームスタッフの努力はもちろん、HONDAの努力も、
    マクラーレンチームの存在自体も、危ぶまれるだろうと思ったからね。」

セナは、HONDAやマクラーレン、多くの人々のため、意を決して、90年開幕戦のアメリカに向かった。
セナがFIAに誤る形で、スーパーライセンスが発行された。

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