1994年
1月、ウィリアムズ・チームのお披露目に表れたセナは、
新人ドライバーのようにウキウキしていた。
常に世界一でなければ満足できないセナは、それを約束してくれるマシン、
ウィリアムズ・ルノーにやっとたどり着いた。
チャンピオンになるはずのマシンが、天国へ旅立つことになろうとは。
1994年 サンマリノ 〜最期〜
大聖堂の鐘の音が聞こえる。
あるいはミサ曲か?
運命の週末が、赤い舌をみせた。
何かが狂い始めた。
ブラジルのバリチェロ、クラッシュ。
縁石で跳ね上がり、フェンスに激突。
一時、意識不明。鼻を骨折。
4月30日。土曜日。午後1時、予選。
再び衝撃走る!
午後1時18分、モニターテレビは、デーモン・ヒルのアタックを映していた。
その映像が突然切り替わった。
ヴィルヌーブをすぎトサコーナーへ滑り出たマシン。
激しいダメージ。
ラッツェンバーガーだった。
モノコックが裂け、体の一部が露出する。
セナのショックは並大抵ではなかった。
動悸が激しくなる。
起きてはいけないことなんだ。
医師団が心臓マッサージを繰り返す。
迫り来る死と戦うラッツェンバーガー。
予選は中断。
セナは事故現場に出かけ、コースマーシャルに事情を聞く。
みんな塞ぎ込んでいる。
何かに耐えている。
現場から戻ったセナは一言も発しない。
もう走れない、走る気持ちになれない。
セナは、ドライビングスーツを脱ぐ。
午後2時14分、ラッツェンバーガー死亡の報告が入った。
アドリアーナ:
「ラッツェンバーガーの事故の後、セナと電話で話したわ。
私がポルトガルに着いたばかりで、彼はショック状態になっていた。
『もう走りたくない。』と言っていたわ。」
その夕刻。
セナと、チームオーナーのフランク・ウィリアムズ、テクニカル・ディレクターのパトリック・ヘッド、
更にタイヤのエンジニアを加えての作戦会議が始まっていた。
セナの表情は、モチベーションに満ちた精気に溢れたものではなかった。
叱られて、泣き出す寸前の子供のようだった。
タイヤの技術者の推薦と、セナの意見が合わない。
「アイルトンの言うとおりにしろ。もしもアイルトンが事故を起こしたら大変なことになる!」
フランク、珍しく声を荒げる。
アドリアーナ:
「夜、再びセナと話した時、落ち着きを取り戻していたので安心したわ。
そしてこう言ったわ。
『心配しなくてもいいよ。ただこれだけは忘れるな。僕は強いんだ、とってもね。』」
1994年5月1日。
運命の日は明けた。
エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキットは晴れていた。
ホームストレートからタンブレロ、ヴィルヌーブ・コーナーまでは、外側に大きな川が流れている。
それ故、広いエスケープ・ゾーンが作れない。
フランスのテレビ局の解説をするアラン・プロストにセナが最後の呼びかけ。
セナ:
「親友なる友人、アラン、元気かい?
君がいなくなって寂しいよ。」
スタート間際、パトリック・ヘッドと話すセナの表情は、
今までのグランプリで一度も見たこともない、虚脱感が表れていた。
水を一飲みするセナ。
そして、時は刻まれた。
スタート。
J・J・レートがスタートできず、後続マシンが衝突して事故。
レースは赤旗中断ではなく、セーフティーカーが導入された。
やがて再スタート。
サンマリノGPへ出かける前に、セナは、母ネイジに聖書の中の詩を朗読して聞かせた。
詩編81。
「私は、あなたの肩から重荷を除き、あなたの手をかごから免れさせた。」
開幕から不調に悩んでいたセナは、その瞬間、どこかふっきれた様子だったという。
神童セナ。
1960年3月21日 午後2時35分に産まれ、
1994年5月1日 午後2時17分を迎える。
コンクリートウォールに激突。
セナの体は静止している。
軽い脳しんとうくらいであってほしい。
誰もがそう思った。
しかし、マシンのダメージ以上にセナの体は傷ついていた。
何があったんだ。
セナは何も答えず、白と青のマシンの中、じっと座ったままである。
現場での気管切開手術を済ませ、セナの体は保護シートにくるまれたままヘリコプターへと運ばれた。
エマーソン・フィッティパルディ、ベルガー、プロストらが棺を担いでいく。
アイルトン、速さをありがとう。
君が示してくれた生きることの美しさ、戦うことの素晴らしさ、至上の愛をありがとう。
君は、本当にきれいな人だった。
アイルトン・セナ・ダ・シルバ
1960.3.21生 − 1994.5.1没
ワールドチャンピオン 3回(歴代3位)
優勝 41回(歴代2位)
ポールポジション 65回(歴代1位)
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