明治四十四年一月
001 み裾野は雲低く垂れすゞらんの白き花さきはなち駒あり 〔削除〕
002 這ひ松の青くつらなる山上のたひらにそらよいましらみゆく 〔削除〕
003 さすらひの楽師は町のはづれとてまなこむなしくけしの歯茎む
004 冬となりて梢みな黒む山上に夕陽をあびて白き家建てり
005 ふしてありし丘にちらばる白き花そらのひかりに見し黎明よ
006 ひがしぞらかゞやきませど丘はなほうめばちさうの夢を載せたり
007 家三むね波だちどよむかれ蘆のなかにひそみぬうす陽のはざま
008 中尊寺青葉に曇る夕暮のそらふるはして青き鐘なる
009 桃青の夏草の碑はみな月の青き反射のなかにねむりき
010 まぼろしとうつゝとわかずなみがしらきそひよせ来るわだつみを見き
011 河岸の杉のならびはふくらうの声に覚ゆるなつかしさもつ 〔削除〕
012 とろとろと甘き火をたきまよなかのみ山の谷にひとりうたひぬ 〔削除〕
013 竜王をまつる黄の旗紅の旗行者火わたる日のはれぞらに 〔削除〕
014 楽手らのひるはさびしき一瓶の酒をわかちて銀笛をふく
015 たいまつの火に見るときは木のみどり岩のさまさへたゞならずして
015a016 夜の底に雲しづみたれば野馬どち火をいとほしみ集い来らしも
016 雲垂れし裾野のよるはたいまつに人をしたひて野馬はせくる
017 そらいろのへびを見しこそかなしけれ学校の春の遠足なりしが 〔削除〕
018 そら耳かいと爽かに金鈴のひゞきを聞きぬしぐれする山
019 瞑すれば灰色の家丘にたてりさてもさびしき丘に木もなく 〔削除〕
020 みなかみのちさきはざまに秋風の村やさびしき田に植ゆる粟
021 やうやくに漆赤らむ丘の辺を奇しき服つけし人にあひけり
022 あはれ見よ月光うつる山の雪は若き貴人の死〓に似ずや
明治四十五年四月
023 邪教者の家夏なりき大なるガラスの盤に赤き魚居て
024 高台の家に夏来ぬ麦ばたけ時に農具のしろびかり見て
025 皮とらぬ芋の煮たるをくばられし兵隊たちをあはれみしかな
026 白きそらは一すぢごとにわが髪をひくこゝちにてせまり来りぬ
027 鉛筆のけづり屑よりかもしたるまくろき酒をのむこゝちなり
028 せとものゝひゞわれのごとくほそえだは淋しく白きそらをわかちぬ
029 暮れ惑う雪にまろべる犬にさへ狐の気ありかなしき山ぞ
030 ひるもなほ星みる人の目にも似むさびしきつかれ早春の旅
031 ほの白きひかりのみち〔に〕ゆらぎいでてあまたならびぬ細き桐の木
032 黒板は赤き傷うけ雲たれてうすくらき日をすゝりなくなり
033 いたゞきのつめたき風に身はすべて剖れはつるもかなしくはあらじ
034 物がみなたそがるゝころやうやくにみ山の谷にたどり入りぬる
035 褐色のひとみの奥に何やらん悪しきをひそめわれを見る牛
036 愚かなるその旅人は殺されぬはら一杯に物はみしのち
037 泣きながら北にはせゆく塔などのあるべき空のけはひならずや
038 今日もまた宿場はづれの顔赤きをんなはひとりめしを喰へるぞ
039 深み行きてはては底なき淵となる夕暮ぞらの顫ひかなしも
040 から草はくろくちいさき実をつけて風にふかれて秋は来にけり
041 山鳩のひとむれ白くかゞやきてひるがへりゆく紺青のそら
042 十月に白き花さき実をむすぶ草に降る日のかなしくもあるか
043 だんだんに実をつけ行きて月見草いま十月の末となりぬる
044 靴にふまれひらたくなりしからくさの茎の白きにおつる夕陽
045 西ぞらの月見草のはなびら皺みうかびいでたる青き一つぼし
046 山なみの暮の紫紺のそが西にふりそゝぎたる黄なる光よ
047 専売局のたばこのやにのにほひもちてつめたく秋の風がふく窓
048 なつかしきおもひでありぬ目薬のしみたる白きいたみの奥に
049 わが爪に魔が入りてふりそゝぎたる月光にむらさきにかゞやけり
050 あすのあさは夜あけぬ前にたつわれなり母は鳥の骨など煮てあり
051 鉄のさび赤く落ちたる砂利にたちて忙しく青きはたを振る人
052 鉛などとかしてふくむ月光の重きにひたる墓山の木々
053 水車の軸棒はひとばん泣きぬ凍りしそら微光みなぎりピチとひゞいり
054 凍りたるはがねの空の傷口にとられじとなくからすのむれか
055 不具となり月ほの青くのぼり来ればからす凍えからすらさめてなけり
056 鉛筆のこなによごれしてのひらと異端文字とを風がふくなり
057 霜ばしら丘にふみあれば学校のラツパがはるかに聞えきたるなり
058 いくたびか愕きさめて朝となりしからすのせなかに灰雲がつき
059 ブリキ鑵がはら〔だゝ〕しげにわれをにらむつめたき冬の夕暮のこと
060 灌木のかれは紅き実かやのほの銀にまじりて風にふるふか
061 さいかちの実のごとくからすら薄明のそらにうかびてもだすなりけり
062 きら星のまたゝきに降る霜のかけら墓石石は月に照り
063 うす黒き暖炉にそむきひるのやすみだまつて壁のしみを見てあり
064 白きそらひかりを射けんいしころのつちぐりにあかつちうるうるとこゞえ
065 つちぐりは石のごとくに散らばりぬ凍えし丘のあかつちだひら
066 あかるかに赤きまぼろしやぶらじとするよりたちぬ二本のかれ木
067 湧きいでてみねをながれて薄明の黄なるうつろに消ゆる雲かも
068 われ口を曲げ鼻をうごかせば西ぞらの黄金の一つ目はいかり立つなり
069 西ぞらのきんの一つ目うらめしくわれをながめてつとしづむなり
070 寒行の声聞たちよ鈴の音にかゞやきいづる星もありけり
071 厚朴の芽は封〓をもて固められ氷のかけら青ぞらを馳す
072 粉薬は脳の奥までしみとほり痛み黄色の波をつくれり
073 屋根に来てそらに息せんうごかざるアルカリ色の雲よかなしも
074 巨なる人のかばねを見んけはひ谷はまくろく刻まれにけり
(補)
075 風さむき岩手のやまにわれらいま校歌をうたふ先生もうたふ
076 いたゞきの焼石を這う雲ありてわれらいま立つ西火口原
077 石投げなば雨ふると云ふうみの面はあまりに青くかなしかりけり
078 泡つぶやく声こそかなしいざ逃げんみづうみの碧の見るにたえね
079 うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり
大正三年四月
080 どこまでも検温器のひかる水銀がのぼりゆく時目をつぶれりわれ
081 かゞやきの地平の紺もたよりなし熱のなかなるまぼろしなれば
082 湧水のすべてをめぐりふとさめてまたつまらなく口をつぐめり
083 白樺の老樹の上に眉白きをきな住みつゝ熱しりぞきぬ
084 朝廊をふらつき行けば目はいたし木々のみどりとそらの光に
085 金色の陽が射し入れどそのひかりふらつく眼にはあまりに強し
086 学校の志望はすてぬ木々の青弱りたる目にしみるころかな
087 空に光木々は緑に夏ちかみ熱疾みしのちの身のあたらしさ
088 木々の芽はあまりにも青し薄明のやまひを出でし身にしみとほり
089 われひとりねむられずねむられずまよなかの窓にかゝるは赭焦げの月
090 ゆがみひがみ窓にかゝれる赭焦げの月われひとりねむらずげにものがなし
091 われ疾みてかく見るならず弦月よげに恐ろしきながけしきかな
092 まことかの鸚鵡のごとく息かすかに看護婦たちはねむりけるかな
093 星もなく赤き弦月たゞひとり窓を落ちゆくは只ごとにあらず
094 ちばしれるゆみはりの月わが窓にまよなかきたりて口をゆがむる
095 月は夜の梢に落ちて見えざれどその悪相はなほわれにあり
096 鳥さへもいまは啼かねばちばしれるかの一つ目のそらを去りしか
097 よろめきて汽車を下ればたそがれの小砂利は雨にひかりけるかな
病院の歌 以下
098 熱去りてわれはふたゝび生れたり光まばゆき朝の病室
099 〔破棄〕
100 〔破棄〕
101 〔破棄〕
102 〔破棄〕
103 〔破棄〕
104 〔破棄〕
105 つゝましく午食の鰤を装へるはたしかに蛇の青き皮なり
106 わが小き詩となり消えよなつかしきされどかなしきまぼろしの紅
107 かなしみよわが小き詩にうつり行けなにか心に力おぼゆる
108 目をつぶりチブスの菌と戦へるわがけなげなる細胞をおもふ
109 今日もまたこの青白き沈黙の波にひたりてひとりなやめり
110 さかなの腹のごとく青白く波うつ細腕は赤酒を塗ればよろしかるらん
111 十秒の碧きひかりは過ぎたればかなしくわれは又窓に向く
112 すこやかにうるはしき友よ病みはてゝわが眼は黄なり狐に似ずや
113 ほふらるゝ馬のはなしをしてありぬ明き五月の病室にして
114 いつまでかかの神経の水色をかなしまむわれにみちくるちから
115 赤きぼろきれは今日ものどにぶらさがりかなしきいさかひを父と又す
116 風木々の梢にどよみ桐の木に花咲くいまはなにをかいたまん
116a117 雲はもう、ネオ夏型、おれのからだも熱がとれ、さえざえ桐の花が咲く。
117 雲ははや夏型となり熱去りしからだのかるさに桐の花さけり
118 雲かげの山いと暗しわがうれひその山に湧きてそらにひろごる
119 空白し屋根に来りてよごれたる柾をみつむるこの日ごろかも
120 酒粕のくさるゝにほひを車ひく馬かなしげにじつと嚊ぎたり
121 蛭がとりし血のかなだらひ日記帳学校ばかま夕暮の家
122 屋根に来ればそらも疾みたりうろこ雲薄明穹の発疹チブス
123 風さむし屋根を下らんうろこ雲ひろがりて空はやがて夜なり
124 ねむそよぎ白雲垂るゝ朝の河原からすのなかにてわれはかなしみ
125 ふとそらにあらはれいでゝなくひばりやまに白くもわれは憂へず
126 北のそら見えずかなしも小石原ひかりなき雲しづに這ひつゝ
127 地に倒れかくもなげくをこゝろなくひためぐり行くかしろがねの月
128 たんぽぽを見つめてあれば涙湧くあたま重きまゝ五月は去りぬ
129 雨にぬれ屋根に立ちたりエナメルの雲はてしなく北に流るゝ
130 何とてなれかの巌壁に燃ゆる火の上にたゝざる何とてなんぢ
131 岩つばめわれ(―)につどひてなくらんか大岩壁の底に堕ちなば
132 さみだれにこのまゝ入らん風ふけど半分燃えしからだのだるさ
133 よごれたる陶器の壷に地もわれもやがて盛られん入梅ちかし
134 わがあたまときどきわれにきちがひのつめたき天を見することあり
135 〔削除〕
136 〔削除〕
137 〔削除〕
138 〔削除〕
139 〔削除〕
140 きんぽうげつめくさのはなむらがりの中に錆ある一すじの水
141 その鳥はからすにはあらずその黒鳥の羽音がつよく胸にひゞくぞ
142 踏みゆかばかなしみいかにふかゝらん銀のなまこの天津雲原
143 うす紅くくまどられたるむら雲をみつめて屋根にたそがれとなる
144 濁り田に白き日輪うつるなり「狂乱をばさりげなく抑へ」など。
145 友だちの入学試験近からんわれはやみたれば小き百合堀る
146 またひとりはやしに来て鳩のなきまねしかなしきちさき百合の根を堀る
147 あたま重きひるはつゝましく錫色の魚の目球を切りひらきたり
148 すゞきの目玉つくづくと空にすかし見れど重きあたまは癒えんともせず
149 ちいさき蛇の執念の赤めを綴りたるすかんぼの花に風が吹くなり
150 職業なきをまことかなしく墓山の麦の騒ぎをじつと聞きゐたれ
151 たゞ遠き夜の火にはこべかくわれはよるひるそらの底にねがへり
152 金星の瞑するときしわれなんだすまことは北の空はれぬゆゑ
153 対岸に人石をつむ人石をつめどさびしき水銀の川
154 すべりゆく水銀の川そらしろくつゆ来んけはひ鳥にもしるし
155 そらはいま蟇の皮にて張られたりその黄のひかりその毒の光り
156 東には紫磨金色の薬師仏空のやまひにあらはれ給ふ
157 いかに雲の原のかなしさあれ草も微風もなべて猩紅の熱
158 火のごときむら雲飛びて薄明はわれもわが胃もたよりなきかな
159 なつかしき地球はいづこいまははやふせど仰げどありかもわかず
160 そらに居て緑のほのほかなしむと地球の人のしるやしらずや
161 わが住めるほのほさ青みいそがしくひらめき燃えて冬きたるらし
162 なにの為に物を食ふらんそらは熱病馬はほふられわれは脳病
163 六月十五日より曇りしと日記につけんそれも懼れあり
164 わなゝきのあたまのなかに白き空うごかずうごかずさみだれに入る
165 ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし
166 あかまなこふしいと多きいきものが藻とむらがりて脳をはねあるく
167 物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる
168 この世界空気の代りに水よみて人もゆらゆら泡をはくべく
169 南天の蝎よもしなれ魔物ならば後に血はとれまづ力欲し
170 いさゝかの奇蹟を起す力欲しこの大空に魔はあらざるか
171 げに馬鹿のうぐひすならずや蝎座にいのりさへするいまごろなくは
旋頭歌 二首
172 雲ひくしいとこしやくなる町の屋根屋根栗の花すこしあかるきさみだれのころ
173 雨も来ずたゞどんよりといちめんの雲しらくもの山なみなみによどみかゝれる
174 思はずもたどりて来しかこの線路高地に立てど目はなぐさまず
175 君がかた見んとて立ちぬこの高地雲のたちまひ雨とならしを
176 城趾のあれ草にねて心むなしのこぎりの音風にまじり来
177 われもまた日雇となりて桑つまん稼がばあたま癒えんとも知れず
178 風ふけば岡の草の穂波立ちて遠き汽車の音もなみだぐましき
179 山上の木にかこまれし神楽殿鳥どよみなきわれはいとかなし
180 はだしにて夜の線路をはせ来り汽車に行き逢へりその窓明く
181 しろあとの四つ角山につめ草のはなは枯れたりしろがねの月。
182 碧びかりいちめんこめし西ぞらにぼうとあかるき城あとの草
183 行けど行けど円き菊石をちぞらの雲もひからず水なき川原。
184 さびしきは壁紙の白壁紙のしろびかりもてながれたる川
185 わが眼路の遠き日ごとに山鳩はさびしきうたを送りこすかも
186 しやが咲きて霧雨ふりて旅人はかうもりがさの柄をかなしめり
187 たそがれの葡萄に降れる石灰のひかりのこなは小指ひきつる
188 しんとして街にみちたる陽のしめりに白菜のたばは後光しにけり
189 鉄橋の汽車に夕陽が落ちしとてこゝまでペンキ匂ひくるなり
190 乾きたる石をみつめてありしかな薄陽は河原いちめんに降り
191 いかにかくみゝずの死ぬる日なりけん木かげに栗の花しづ降るを
192 いなびかりそらに漲ぎりむらさきのひかりのうちに家は立ちたり
193 いなびかりまたむらさきにひらめけばわが白百合は思いきり咲けり
194 空を這ふ赤き稲妻わが百合の花はうごかずましろく怒れり
195 いなづまにしば照らされてありけるにふと寄宿が恋しくなれり
196 夜のひまに花粉が溶けてわが百合は黄色に染みてそのしづく光れり
197 花さけるねむの林のたそがれをからすのはねを嗅ぎつゝあるけり
198 いざよひの月はつめたきくだものの匂ひをはなち山を出でたり
199 四時に起きて支度ができて発ちたるにはやくすばるもいでゝありしかな
200 あけがたの黄なるダリヤを盗らんとてそらにさびしき匂ひをかんず
201 夜はあけぬふりさけ見れば山々の白雲に立つでんしんばしら
202 くるほしきわらひをふくみ学校は朝の黄雲に延びたちにけり
203 しづみたる月の光はのこれども踊の群のもはやかなしき
204 羽ね抜けの鶏あまたあめふりの温泉宿をさまよひてけり
205 よるべなき酸素の波の岸に居て機械のごとく麻をうつ人
206 仕方なくひばりもいでゝ青びかりちらばりそめし空を飛びたれ
207 停車場のするどき笛にとび立ちて暮れの山河にちらばれる鳥
208 すゝきの穂みな立ちあがりくるひたる楽器のごとく百舌は飛び去る
209 青りんごすこし並べてつゝましくまなこをつむる露店の若者
210 つくられし祭の花のすきますきまいちめんこめし銀河のいさご
211 山々に雲きれかゝりくらがりのしろあとに粟さんざめきたり
212 かすかなる日照りあめ降りしろあとのめくらぶどうは熟れひかりけり
213 なにげなき山のかげより虹の脚ふつと光りて虫鳴けるかな
214 やま暗く柳はすべて錫紙のつめたき葉なりひでりあめひでり
215 秋風のあたまの奥にちさき骨砕けたるらん音のありけり 〔削除〕
216 日は薄く耕地に生えし赤草のわなゝくなかに落ち入れる鳥
217 鳥さしはをとりをそなへ北上ぎしの明るき草にひとりすはれり
218 空ひくく銀の河岸の製板所汽笛をならし夜はあけにけり
219 舎利別の川ほのぼのとめぐり来て製板所よりまつしろの湯気
220 ちぎられし毒べにだけに露おきて泣く泣く朝日のぼりきたりぬ
221 入合の町のうしろを巨なるなめくじの銀の足が這ひ行く
222 うろこぐも月光を吸ひ露置きてばたと下れるシグナルの青
223 あまの邪鬼金のめだまのやるせなく青きりんごをかなしめるらし
224 そら青くジヨンカルピンに似たる男ゆつくりあるきて冬きたりけり
225 (顔あかき)港先生。このごろはエーテルのまこと冴えて来しかな
226 狼のごとく朝疾く行くなりけりそらはかゞやく黄ばらの哂ひ
227 からくいは道にしたがひ並びたりとりいれすぎの葬式なれば
228 たらの木のすこし群れたる勾配にひつぎとそらの足の碧と
229 じやがいもの雲はくされ雲はちゞれちゞれ、先生も死にて鳥とびけり
230 たそがれの町のせなかをなめくじの銀の足がかつて這ひしことあり 〔削除〕
大正四年四月より
231 かゞやけるかれ草丘のふもとにてうまやのなかのうすしめりかな
232 ゆがみうつり馬のひとみにうるむかも五月の丘にひらくる戸口
233 ひるま来しかれ草丘のきれぎれはまどろみのそらをひらめき過ぎぬ
234 をちやまに雪かゞやくを雲脚の七つ森くらく咲くをきな草
235 ちゞれ雲つめたくひかるうすれ日をちがやすがるゝ丘にきたりぬ
236 玉髄のちさきかけらをひろひつゝふりかへり見る山すその紺
237 落ちかぬたそがれのそらやまやまは生きたるごとく河原を囲む
238 しめやかに木の芽ほごるゝたそがれを独乙冠詞のうた嘆き来る
239 まくろなる石を砕けばなほもさびし夕日は落ちぬ山の石原
240 毒ヶ森南昌山の一つらはふとをどりたちてわがぬかに来る
241 北上の砂地に粟を間引き居しにあやしき笛の山より鳴り来し
242 やまはくらし雪はこめたり谷のきざみわが影を引くすそのの夕陽
243 雲きれてにはかに夕陽落ちたればこゝろみだれぬすゞらんの原
244 野うまみなはるかに首あげわれをみつむみねの雪より霧湧き降るを
245 霧しげき裾野を行けばかすかなる馬のにほひのなつかしきかな
246 この惑星夜半より谷のそらを截りて薄明の鳥の声にうするゝ
247 ふくよかに若葉いきづきあけのほしのぼるがまゝに鳥もさめたり
248 りんごの樹ボルドウ液の霧降りてちいさき虹のひらめけるかな
249 風吹きて豆のはたけのあたふたと葉裏をしらみこゝろくるほし
250 ちぎれ雲ちいさき紺の甲虫のせなかにうつる山かひのそら
251 花粉喰む甲虫のせなにうつるなり峡のそら白き日しよんと立つわれ
252 かたくなの暮の微光にうかびたる山の仲間の一つなりしか
253 夜はあけて木立はじつとたちすくむ高倉山のみねはまじかに
254 夜のうちにすこしの雪を置きて晴れし高倉山のやまふところに
255 大ぞらはあはあはふかく波羅蜜の夕つゝたちもやがて出でなん
大正五年三月より
256 日はめぐり幡はかゞやき紫宸殿たちばなの木ぞたわにみのれる
257 山しなのたけのこやぶのそらわらひうすれ日にしてさびしかりけり
258 たそがれの奈良の宿屋ののきちかくせまりよせたる銀鼠ぞら
259 にげ帰る鹿のまなこの燐光となかばは黒き五日の月と
260 かれ草の丘あかるかにつらなるをあわたゞしくも行くまひるかな
261 そらはれてくらげはうかびわが船の渥美をさしてうれひ行くかな
262 明滅の海のきらめきしろきゆめ知多のみさきを船はめぐりて
263 青うみのひかりはとはに明滅し船はまひるの知多をはなるゝ
264 日沈みてかなしみしばし凪ぎたるをあかあか燃ゆる富士すその野火
265 あゝつひにふたゝびわれにおとづれしかの水色のそらのはためき
266 いかでわれふたゝびかくはねがふべきたゞ夢の海しら帆はせ行け
267 さそり座よむかしはさこそいのりしがふたゝびこゝにきらめかんとは
268 輝石たちこゝろせわしくさよならを言ひかはすらん凾根のうすひ
269 別れたる鉱物たちのなげくらめはこねの山のうすれ日にして
270 ひわ色の重きやまやまうちならびはこねのひるのうれひをめぐる
271 うすびかるうれひのうちにひわ色の笹山ならぶ凾根やまかな
272 風わたりしらむうれひのみづうみをめぐり〔て〕重き春のやまやま
273 うるはしく猫〔睛〕石はひかれどもひとのうれひはせんすべもなし
274 そらしろくこの東京の人群にまじりてひとり京橋に行く
275 浅草の木馬にのりて哂ひつゝ夜汽車を待てどこゝろまぎれず
276 つぶらなる白き夕日は喪神のかゞみのごとくかゝるなりけり
277 しめりある黒き堆肥は四月より顫ふ樹液と変るべきかな
278 山々はかすみて繞る今日はわれ畑を犂くとて馬に牽かれぬ
279 あらひたる実習服のこゝろよさ草に〓ぬれば日はきらゝかに
280 爽かに朝のいのりの鐘鳴れとねがひて過ぎぬ君が教会
281 北上は雲のなかよりながれきてこの熔岩の台地をめぐる
282 今日よりぞ分析はじまる瓦斯の火の静に青くこゝろまぎれぬ
283 双子座のあはきひかりはまたわれに告げて顫ひぬ水色のうれひ
284 われはこの夜のうつろも恐れざりみどりのほのほ超えも行くべく
285 伊豆の国三島の駅にいのりたる星にむかひてまたなげくかな
286 黄昏の中学校の前にしてふつと床屋に入りてけるかな
287 わが腮を撫づる床屋のたちまちにくるひいでよとねがふたそがれ
288 くるほしくひばりむらがりひるすぎてますます下る紺の旗雲
289 うすぐもる温石石の神経を盗むわれらにせまるたそがれ
290 夕暮の温石石の神経はうすらよごれし石絨にして
291 今日もまた岩にのぼりていのるなり河はるばるとうねり流るを
292 笹燃ゆる音はなりくるかなしみをやめよと野火の音はなりくる
293 雪山の反射のなかに嫩草をしごききたりて馬に食ましむ
294 一にぎり草をはましめつくづくと馬の機嫌をとりてけるかな
295 仕方なくすきはとれどもなかなかに馬従はずて雪ぞひかれる
296 風きたり高鳴るものはやまならしあるひはポプラさとりのねがひ
297 弦月の露台にきたりかなしみをすべて去らんとねがひたりしも
298 ことさらに鉛を溶しふくみたる月光のなかにまたいのるなり
299 星群の微光に立ちて甲斐なさをなげくはわれとタンクのやぐら
300 黒雲をちぎりて土にたゝきつけこのかなしみのかもめ落せよ
301 温室の雨にくもれるガラスより紫紺の花簇こゝろあたらし
302 赤き雲いのりの中に湧き立ちてみねをはるかにのぼり行きしか
303 われもまた白樺となりねぢれたるうでをさゝげてひたいのらなん
304 でこぼの溶岩流をのぼり来てかなしきことをうちいのるかな
305 ひとひらの雪をとり来て母うしのにほひやさしきビスケツト噛む
306 岩手やま焼石原に鐘なりて片脚あげて立てるものあり
307 しかみづらの山のよこちよにつくねんと白き日輪うかびかゝれり
308 雲ひくき裾野のはてに山焼けの赤ぞらを截る強き鳥あり
308a309 山やけにはえたる雲を見やりつゝ鈴蘭のつゝみをそつとおろしぬ 〔削除〕
308b309 山やけの雲を見やりつゝ鈴蘭のつゝみをそつと椅子におろしぬ 〔削除〕
309 わが為に待合室に灯をつけて駅夫は問いぬいづち行くやと
310 とりて来し白ききのこを見てあれば涙流れぬ寄宿の夕
311 た〔ゞ〕さへもくらむみ空にきんけむしひたしさゝげぬ木精の瓶
312 かくこうのまねしてひとり行きたれば、人は恐れてみちを避けたり。
313 雲かげの山の紺よりかすかなる沃度のにほひ顫ひくるかも
314 雲かげの行手の丘に風ふきてさわぐ木立のいとあわたゞし
315 かたくりは青き実となるうすらやみの脳のなかなる五月の峡に
316 曲馬師のよごれてのびしもゝひきの荒縞ばかりかなしきはなし、
317 この暮は土星の光つねならずみだれ心を憐むらしも
318 ひるすぎのといきする室の十二人イレキを含む白金の雲
320 山脈のまひるのすだまほのじろきおびえを送る六月の汽車
321 をきな草丘のなだらの夕陽にあさましきまでむらがりにけり
322 白樺のかゞやく幹を剥ぎしかばみどりの傷はうるほひいでぬ
323 風は樹をゆすりて云ひぬ「波羅羯諦」あかきはみ〔だ〕れしけしの一むら。
324 青がらすの〔ぞ〕けばさても六月の実験室のさびしかりけり
325 あをあをと悩める室にたゞひとり加里のほのほの白み燃えたる
326 はややめよかゝるかなしみ朝露はきらめきいでぬ朝露の火は
327 青山の裾をめぐり来て見返ればはるかに白く波たてる草
328 風ふきて木々きらめけばうすあかき牛の乳房もおなじくゆれたり
329 本堂に流れて入れる外光を多田先生はまぶしみ給ふ
330 うす黝く感覚にぶきこの岩は夏のやすみの夕霧を吸ふ
331 愚かなる流紋岩の丘に立ち今日も暮れたり雲はるばると
大正五年七月
332 そら青く観音は織るひかりのあやひとにはちさきまひるのそねみ
333 夏となり人みな散りし寄宿舎をめぐる青木にあめそゝぎつゝ
湯船沢 二首
334 七月の森のしづまを月色のわくらばみちにみ〔だ〕れふりしく
335 うちくらみ梢すかせばそらのいろたゞなら〔ず〕してふれるわくら葉
石ヶ森
336 いまははやたれか惑はんこれはこれ安山岩の岩頸にして
沼森 二首
337 この丘のいかりはわれも知りたれどさあらぬさまに草穂摘み行く
338 山々はつ〔ど〕ひて青き原をなすさてその上の丘のさびしさ
新〔網〕張 二首
339 まどろみにふつと入りくる丘の色海のごとくにさびしきもあり
340 しろがねの夜明け雲はなみよりもなほたよりなき野を被ひけり
大沢坂峠
341 大沢坂の峠も黒くたそがれのそらのなまこの雲にうかびぬ
仝 まひる
342 ふと空のしろきひたいをひらめきて青筋すぎぬ大沢坂峠
茨島野
343 山の藍そらのひゞわれ草の穂と数へき〔た〕らば泣かざらめやは
以上地質調査中
以下東京 秩父
博物館
344 歌まろの乗合船の前にきてなみだな〔が〕れぬ富士くらければ
345 うすれ日の旅めのきぬはほそぼそと富士のさびしさうたひあるかな
神田
346 この坂は霧の中より巨なる舌の如くにあらはれにけり
植物園
347 八月も終れる故に小石川青き木の実の降れるさびしさ
博物館
348 歌まろの富士はあまりにくらければ旅立つわれも心とざしぬ
上野
349 東京よこれは九月の青苹果かなしと見つゝ汽車に乗り入る
小鹿野
350 さわやかに半月かゝる薄明の秩父の峡のかへり道かな
荒川上流
351 鳳仙花実をはじきつゝ行きたれど峡の流れの碧くかなしも
三ッ峯 二首
352 星の夜をいなびかりするみつみねの山にひとりしなくかこほろぎ
353 星あまりむらがれる故みつみねの空はあやしくおもほゆるかも
岩手公園
354 うちならびうかぶ紫苑にあをあをとふりそゝぎたるアーク燈液
農場 二首
355 風ふけばまるめろの枝ゆれひかりトマトさびしくみちに落ちたり
356 つみごえは白くもの辺をこほろぎのなける畑にはこばれにけり
仙台
357 綿雲の幾重たゝめるはてにしてほつとはれたるひときれの天
福島
358 たゞしばし群とはなれて阿武隈の岸にきたればこほろぎなけり
359 水銀のあ〔ぶ〕くま河にこのひたひぬらさんとしてひとり来りぬ
山形
360 雲たてる蔵王の上につくねんと白き日輪かゝる朝なり
361 銀の雲焼ぐひの柵われはこれこゝろみ〔だ〕れし旅のわかもの
福島
362 しのぶやまはなれて行ける汽鑵車のゆげのなかにてうちゆらぐなれ
盛岡
363 うたがひはつめたき空のそこにすみ冬ちかければわれらにいたる
364 かくてまた冬となるべきよるのそらたゞやふ霧に降れる月光
365 夜の底に霧たゞなびき燐光の夢のかなたにのぼりし火星
大正五年十月中旬より
366 あけがたの食堂の窓そら白くはるかに翔ける鳥のむれあり。
367 雲よどむ夜明の窓を無雑作にすぐる鳥あり冬ちかみかも
368 さだめなく鳥はよぎりぬうたがひの鳥はよぎりぬあけがたの窓
369 鉄ペン鉄ペン、鉄ペンなんぢたゞひとりわがうたがひのあれ野にうごく
370 雲ひくき峠越ゆればかれくさのつめたきはらとななつの丘と
371 草の穂はみちにかぶさりわが靴はつめたき霧にみたされにけり
372 あけがたの皿の醤油にうつりきて桜の葉など顫ひあるかな
373 鈴懸の木立きらめく朝なるを乳頭山ゆきふりにつゝ
374 いたゞきにいさゝかの雪をかぶるとてあまりいかめし乳つむり山
375 蜘蛛の糸ながれてきらとひかるかな源太ヶ森の青き山のは
376 はるかなる山の刻みをせなにして夢のごとくにあらはれし雁
377 うすら酔へるつめたき気層ほの赤きひかりのしめりめぐるきらぼし
378 「大萓生」これはかなし山なるをあかきのれんに染め抜けるかな
379 みんなして写真をとると台の上にならべば朝の虹ひらめけり
380 何もかもやめてしまへと弦月の空にむかへば落ちきたる霧
381 弦月のそつとはきたる薄霧をむしやくしやしつゝ過ぎ行きにけり
382 にせものゝ真鍮色の脂肪酸かゝるあかるき空にすむかな
383 東にも西にもみんなにせもののどんぐりばかりひかりあるかな
384 こざかしくしかもあてなきけだものゝ尾をおもひつゝ草穂わけゆく
385 しろがねの月はうつりぬ humus の野のたまり水荷馬車のわだち、
386 かゞやきのかゝるみそらの下にしてあまりに沈む Liparite かな
387 灌木もかゞやくものを七つ森あまりに沈む Liparite かな
388 猩々緋雲を今日こそふみ行けと躍るこゝろのきりぎしに立つ
389 〔削除〕
390 きん色の西のうつろをながむればしばしばかつとあかるむひたひ
391 「大空の脚」と云ふものふと過ぎたりかなしからずや大ぞらのあし
392 いまいちど空はまつかに燃えにけり薄明穹のいのりのなかに
393 学校の郵便局の局長は(桜の空虚)年若く死す
394 まどがらすとほり来れる日の光り日のひかりつくゑ人の縄ばり
395 いきものよいきものよとくりかへし西のうつろのひかる泣顔
396 あてもなく遠くのぞめばひらめきてたそがれぞらはだんだらの縞
397 たそがれのそらは俄にだんだらの縞をつくりて山もゆれたり
398 こは雲の縞ならなくに正銘のよるのうつろのひかるだんだら
399 ギザギザの硬き線あり、むらがりて、ねむりの前のもやにひかれり
400 こなたには紫色のギザギザと、ひかるそらとのねたみ合ひかな
401 霜枯れしトマトの気根しみじみとうちならびつゝ冬きたるらし
402 青腐れしトマトたわわの枯れ枝とひでりあめとのなかなるいのり
403 霜腐れ青きトマトの実を裂けばさびしき匂い空に行きたり
404 はだしにて雲落ちきたる十月のトマトばたけにたちてありにけり 〔削除〕
405 ある星は空の微塵のたゞ中にものを思はずひためぐりゆく
406 ある星はわれのみひとり大空をうたがひ行くとなみだぐみたり
407 なまこ雲ひとむらの星その西の微光より来る馬のあし音
408 ねたみ合ひこがたなざいく青き顔盛岡のそらのアルコール雲
409 オリオンは西に移りてさかだちしほのぼののぼるまだきのいのり
410 三日月は黒きまぶたを露はしてしらしら明けの空にかゝれり
411 かゞやける朝のうつろに突つたちて馳する木のあり緑青の丘
412 何かしらず不満をいだく丘々は緑青の気をうかべけるかな
413 ある山はなみだのなかにあるごとく木々をあかつきのうつろ浸せり
414 ギラギラの朝日いづればわがこゝろかなしきまでに踊りたつかな
415 「何の用だ」「酒の伝票」「誰だ。名は」「高橋茂吉」「よしきたり。待で」
416 ちゞれ雲銀のすゝきの穂はふるひ呆けしごとき雲かげの岡
417 黄葉落ちて象牙細工の白樺はまひるの月をいたゞけるかな
418 霜ばしら砕けておつる岩崖は陰気至極の Liparitic tuff
419 凍りたる凝灰岩の岩壁にその岩壁にそつと近より
420 凍りたる凝灰岩の岩壁を踊りめぐれる影法師はも
421 シベリアの汽車に乗りたるこゝちにて晴れたる朝の教室に疾む
422 そらにのみこゝろよ行けといのるときそらはかなしき蛋白光の
423 そらよそらはてなく去れと行き惑ひ蛋白光のなかにわびしむ
424 流れ入る雪の明りに溶くるなり夜汽車をこめし苹果の蒸気
425 つゝましき白めりやすの手袋と夜汽車をこむる苹果の蒸気と
426 あかつきの真つぱればれのそらのみどり竹は手首を宙にうかべたり
427 とね河はしづに滑りてあまつはらしろき夜明の巻雲に入る
428 とね河はしらしらあけのあまつはらつめたき雲をとかしながるゝ
429 東京の光の〓に別れんとふりかへり見てまたいらだてり
ひのきの歌 大正六年一月
第一日昼
430 なにげなく窓をみやれば一本のひのきみだれゐていとゞ恐ろし
431 あらし来んそらのうす青なにげなく乱れたわめる一本のひのき
432 風しげくひのきたわみてみだるれば異り見ゆる四角窓かな
433 (ひかり雲ふらふらはする青虚空延びたちふるふみふゆのこえだ)
第二日夜
434 雲降れば昨日のひるのわるひのき菩薩すがたにすくと立つかな
435 わるひのきまひるみだれしわるひのき雪をかぶればぼさつ姿に
第三日夕
436 たそがれをすつくと立てるまつ黒のひのきのせなの銀鼠雲
436a437 たそがれをすつくとひのき立ちたれば銀の鼠の雲もはせたり
437 窓がらす落つればつくる四角のうつろうつろのなかのたそがれひのき
第四日夜
438 くろひのき月光澱む雲きれに、うかゞひよりて何か企つ
439 しらくもよ夜のしらくもよ月光は重し気をつけよかのわるひのき
第五日夜
440 雪融けてひのきは延びぬはがねのそら匂ひいでたる月のたわむれ
441 うすら泣く月光瓦斯のなかにしてひのきは枝の雪をはらへり
442 (はてしらぬ世界にけしのたねほども菩薩身をすてたまはざるなし)
第六日昼
443 年若きひのきゆらげば日もうたひ碧きそらよりふれる綿雪
第六日夕
444 ひまはりのすがれの茎らいくたびぞ暮のひのきをうちめぐりたる
第七日夜
445 たそがれの雪に立ちたるくろひのきしんはわずかにそらにまがりて
446 ひのきひのきまことになれはいきものかわれとはふかきえにしあるらし
447 むかしよりいくたびめぐりあひにけんひのきよなれはわれを見しらず
x日
448 しばらくは試験つゞきとあきらめて西日にゆらぐ茶色のひのき
449 ほの青き空のひそまりとびもいでん光の踊りみふゆはてんとて
大正六年四月
450 やまなみの雪融の藍にひかり湧きてとざすこゝろにひるがへり入る
451 これはこれ水銀の海の渚にてあらはれ泣くは阿部のたかし等
452 ふるさとの野は青ぐもり湛ゆなり枯草の谷にふりかへり見れば
453 ベンベロはよき名ならずや Bembero の短き銀の毛はうすびかり
454 たちならぶ家のうすかげ、をち山の雪のかゞやきみなわれにあり
455 こはいかに雪のやまなみたちならぶ家々の影みなそとならず
456 夕霧の霧山岳のかしはゞら、かしはの雫ふりまさりつゝ
457 いはて山かしはゞやしの霧の中よりふるひ来るはチルチルの声か。 〔削除〕
458 雪くらくそらとけじめもあらざれば山のはの木々は宙にうかべり
459 水色のそらのこなたによこたはりまんぢうやまのくらきかれ草
460 うつろとも雲ともわかぬ青光り陰色の丘の肩にのぞめる
461 わが麗しきドイツたうひよ(かゞやきのそらに鳴る風なれにも来り)
462 鉄の gel 紅く澱みて水はひかりたり五時もちかければやめて帰らん
463 鉄の gel そつと気泡を吐きたればかなしき草の露にあらずや
464 夜あくれば峰につゞける雑木林うす陽わづかに梢渡りくる 〔削除〕
465 かたくりの葉の斑は消えつあらはれつ雪山々の光まぶしむ
466 朝の厚朴嘆へて谷に入りしより暮れのわかれはいとゞさびしき (三 南昌山)
467 群青のそらに顫ふは木のはなのかほりと黒き蜂のうなりと
468 かむばしきはねの音のみ木にみちてすがるの黒きすがたは見えず
469 山なみの雪きらゝかににほひ出でたれば木のはなひかりすがるむれたり
470 会はてぬラツパ剥げたる蓄音器さびしみつまた丘をおもへり
471 ひしげたる蓄音器の前にこしかけてひるの競馬をおもひてありしか
472 花咲けるさくらの枝の雨ぞらにゆらぐはもとしまれにあらねど
473 さくらばな日詰の駅の桜花風に鳴りつゝこゝろみだれぬ
474 さくらばなあやしからずやたゞにその枝ゆらぎこゝろかくもみだれるは
475 paraffine のまばゆき霧を負ひたれば一本松の木とはみわかず
476 野の面を低く霧行き桑ばたけ明き入江にのぞめるごとし
477 山々の肩より肩にながるゝは暮のよろこびさとりのねがひ、
478 ますらをのおほきつとめは忘れはてやすけからんとつとむるものよ 〔削除〕
479 をのこらよなべてのもののかなしみをになひてわれらとはに行かずや
480 ひたすらにをみなを得んとつとむるはまことのつよきをのこのわざか
481 このむれはをのこのかたちしたりとてこゝろはひたにをみなににたり
482 箱ヶ森峯の木立にふみ迷ひさびしき河をふりかへりみる
483 箱ヶ森たやすきことゝ来しかども七つ森ゆゑ得越ゑかねつも
484 箱ヶ森あまりにしづむながこゝろいまだに海にのぞめるごとく
485 せはしくも花散りはてし盛岡をめぐる山々雪はふりつゝ
486 ほうさくらひとときに咲くこの国は花散りてまた雪きたるなれ
487 雪と見つありふれごととわらひしに今日はまことの雪ぞふりける
488 をきなぐさなげ贈れども七つ森雲のこなたにむづかしき面
489 七つ森青鉛筆を投げやればにはかに機嫌を直して哂へり
490 薄明の寒天をもてとざされししらくもと河と七つの丘と
491 汽車に入りてやすらふぬかのまのあたり白く泡だつまひるのながれ
494 濾し終へし漏斗の脚のぎんなゝこいとしと見つゝ今日も暮れぬる 〔削除〕
495 たそがれを雫石川めぐりきてこの草笛のさびしさを載す
(大正六年六月)
大正六年五月
496 夕陽降る高洞山の焼け痕をあたまの奥にて哂ふものあり
箱ヶ森
497 しろがねの雲流れ行くたそがれを箱ヶ森らは黒くたゞ〔ず〕む
簗川 六首
498 口笛に応ふるをやめ鳥はいま葉をひるがへす木立に入りぬ
499 鳴きやみし鳥はいづちともとめしに木々はみだれて雲みなぎれり
500 鳴きやみし鳥を求めて泪しぬ木々はみだれて葉裏をしらみ
501 口笛にこたふる鳥も去りしかばいざ行かんとてなほさびしみつ
502 木々みだれかゞやく上に天雲のみなぎりわたる六月の峡
503 もしや鳥木のしげみよりみつむらん峡の草木はみだれ輝き
植物園 二首
504 をきなぐさふさふさのびて青ぞらにうちかぶさりてひらめきいでぬ
505 な恐れそれんげつゝじは赤けれどゑんじゆも臨む青ぞらのふち
中津川 三首
506 中津川〔以下判読不能〕 〔削除〕
507 中津川河藻に白き花さきてはてしも知らず千鳥は遡る
508 中津川水涸れなんに夜をこめてのぼる千鳥の声きこゆなり
霧山岳 二首
509 さらさらとうす陽ながるゝ紙の上に山のつめたきにほひあやしも
510 うす陽降るノートの上にさみだれのきりやまだけのこゝろきたれり
公園 二首
511 うちたゝむたそがれ雲のすきまよりのぞきいでたる天の一きれ
512 雲みだれ薄明穹も落ちんとて毒ヶ森より奇しき声あり
フラスコの歌 二首
513 フラスコに湯気たちこもり露むすびひかるを見ればこゝろはるけし
514 フラスコに露うちむすびあつまりて光るを見れば山かひ思ほゆ
ブンゼン燈の歌 三首
515 くれちかきブンゼン燈をはなるればつめくさの花月いろにして
516 六月のブンゼン燈の弱ほのほはなれて見やるぶなのひらめき
517 手をひろげ窓にいたればつめくさのはなとまくろきガスのタンクと
はくうんぼく
518 静かなる花を〓ふるかゞやきのはくうんぼくにむるゝすがるら
519 あさひふるはくうんぼくにむらがりて黒きすがるらしべを噛みたり
葛根田 二首
520 葛根田谷の上なる夕ぞらにうかびいでたるあかきひとつぼし
521 葛根田薄明穹のいたゞきに光りいでたるあかきひとつぼし
夜の柏ばら 六首
522 しらしらと銀河わたれるかしはゞら火をもて行けど馬も来らず
523 天の川しらしらひかり夜をこめてかしはばやしを過ぎ行きし鳥 〔削除〕
524 かしはゞらうすらあかりはきたるなりみなみにわたる天の川より
525 あまの川ほのぼの白くわたるころすそのをよぎる四つの幽霊 〔削除〕
526 かしはゞら夜をこめ行けばうすあかり天の川よりきたるなりけり
527 かしはゞら路をうしなひしらしらとわたる銀河にむかひたちにけり
不動平
528 谷の上のはひまつばらにいこひしに四人ひとしくねむり入りたり
529 めさむれば友らもひとしくねむりゐたりはひ松ばらのうすひのなかに
柳沢
530 すゞらんのかゞやく原を滑りゆきて風のあし指の泣きわらひかな
まひるのかしはゞら 三首
531 ましろなる柳の花のとぶすそののうまわれらをしたひつゞけり
532 やなぎのはなひかり飛ぶ野なりいましらは傷つける手をいたはりて来る
533 手をひろげあやしきさまし馬追へるすゞらんの原のはだかのをとこ
北上川
534 あけがたの電気化学の峡を来るきたかみ川のしろきなみかな
公園
535 さくらの実喰ひかけをつと落しつゝかやの枝よりはなれたる鳥
七つ森
536 七つ森いまは坊主のなゝつもりひかりのそこにしんと沈めり
ちやんがちやがうまのうだ四っつ
537 よあげにはまだ間あるのに下のはしちやんがちやがうまこ見さ出はたひと
538 ほんのは a こ夜あげかゞつた雲のいろちやんがちやがうまこははしわだてくる
539 いしょけんめにちやがちやがうまかはせでげばよあげのためがなぐだ a よなきもす
540 下のはしちやがちやがうまこ見さではたみんなのながにはおどゝもまざり
大正六年七月
541 よるのそらふとあらはれてかなしきはとこやのみせのだんだらの棒
542 夜をこめて七つ森まできたるときはやあけぞらに草穂うかべり
543 川べりの石垣のまひるまどろめばよべよりの鳥なほ啼きやまず
544 川べりのまひるをゆらぐ石垣のまどろみに入りてまた鳥なけり
545 どもりつゝ蒸溜瓶はゆげをはくゆげの硝子には歪む青ぞら
546 ゆがみたる青ぞらの辺に仕事着の古川さんはたばこふかせり
547 柏原ほのほ絶えたるたいまつをひたすら吹けば火とはおもほへず
548 あけがたの琥珀のそらは凍りしを大とかげらの雲はうかびて
549 ましろなる火花をちらし空は燃ゆ岩手の山のいたゞきに立てば
550 岩手山いたゞきにしてましろなるそらに火花の湧き散れるかも
551 ひと去りし待合室はひらくなりたそがれひかるそらとやまなみ
552 散り行きし友らおもへばたそがれをそらの偏光ひたひたと責む
553 うかび立つ光のこちの七つ森みつめんとして額くらみけり
554 つるされし古着まはれば角立てるその肩越ゑて降る青びかり
555 房たれしかんざしなどをおもひ行けば夜ぞらを深み溶鉱炉もえ
556 房たれしかんざしなどをおもふことも海行く時はゆるされもせん
557 たよりなく蕩児の群にまじりつゝ七月末を宮古にきたる
558 この群は釜石山田いまはまた宮古と酒の旅をつゞけぬ
559 宮古町夜のそらふかみわが友は山をはるかに妻をこふらし
560 麗はしき海のびらうど褐昆布寂光ヶ浜に敷かれ光りぬ
561 寂光のあしたの海の岩しろくころもをぬげばわが身も浄し
562 雲よどむ白き岩礁砂の原はるかに敷けるびらうど昆布
563 寂光の浜のましろき巌にしてひとりひとでを見つめたる人
564 延べられし昆布の中におほいなる釜らしきもの月にひかれり
565 青山の肩をすべりて夕草の谷にそゝぎぬ青き日光
566 つかれ故青く縞立つ光ぞとあきらめ行けば萱草さけり
567 山峡の青きひかりのそが中を章魚の足喰みて行ける旅人
568 夕つゝもあはあはひかりそめにけりあした越ゆべき峠のほとり
569 きいちごは雲につめたく熟れたればかそけきなみだ誰かなからん
570 あかつきの峠の霧にほそぼそと青きトマトのにほひながれぬ
573 そらひかり八千代の看板切り抜きの紳士は棒にさゝへられ立つ
574 あをじろき光の空にうかびたつ三切れの雲と切り抜き紳士
575 あかり窓仰げば空は Tourquois の板もて張られその継目光れり
576 帰依法の皺たゝみゆく雲原となみだちつゞく青松原と
577 をちこちに削りのこりの岩頸は松黒くこめて雲にたかぶる
578 よりそひて赤きうで木をつらねたる青草山のでんしんばしら
579 阿片光さびしくこむるたそがれのこゝろにゆらぐ麻むらの青
580 空虚より降りくる青き阿片光百合のにほひは波だちにつゝ
581 粟ばたけ立ちつくしつゝ青びかり見わたせば百合雨にぬれたり
582 しろがねのあいさつ交すそらとやまやまのはたけは稗しげりつゝ
583 岩鐘のきわだちくらき肩に居て夕の雲は銀のあいさつ
584 いたましく川は削りぬ暮れ惑ひ白雲浴ぶる山の片面を
585 雲ひくき青山つゞきさびしさは百合のにほひをとんぼ返りす
586 石原のまひるをならぶ人と百合碧目の蜂はめぐりて
587 山川のすなに立てたるわが百合に蜂きて赤き花粉になへり
588 かゞやける花粉をとりて飛びしかど小蜂よいかにかなしかるらん
589 いつぱいに花粉をになひわが四つの百合をめぐりぬ碧目のこばち
590 この度は薄明穹につらなりて高倉山の黒きたかぶり
591 月光のすこし暗めばこゝろせく硫黄のにほひみちにこめたり
592 夜だか鳴きオリオンいでゝあかつきも近くお伊勢の杜をすぎゆく
(以下江刺地質調査中)
上伊手剣舞連 四首
593 うす月にひらめきいでし踊り子の異形を見ればわれなかゆかも
594 うす月にむらがり躍る剣舞の異形きらめきこゝろ乱れぬ
595 うす月にきらめき躍るをどり子の鳥羽もてかざる異形はかなし
596 剣舞の赤ひたゝれはきらめきてうす月しめる地にひるがへる
種山ヶ原 七首
597 白雲のはせ行くときは丈たかき草穂しづかに茎たわみつゝ
598 Opal の草につゝまれ秋草とわれとはぬるゝ種山ヶ原
599 白雲は露とむすびて立ちわぶる手帳のけいも青くながれぬ
600 白雲にすがれて立てるあざみより種山ヶ原にかなしみは湧く
601 目のあたり黒雲ありと覚えしは黒〓岩の立てるなりけり
602 しらくもの種山ヶ原に燃ゆる火のけむりにゆらぐさびしき草穂
603 こゝはまた草穂なみだちしらくものよどみかゝれるすこしのなだら
原体剣舞連
604 さまよへるたそがれの鳥のかなしけ□□□その青仮面の若者の踊り 〔削除〕
605 若者の青仮面の下につくといきふかみ行く夜をいでし弦月
祖父の死
606 うちゆらぐ火をもて見たる夜の梢あまりにふかく青みわたれる
607 香たきてちゝはゝ来るを待てるまにはやうすあかりそらをこめたり
608 足音はやがて近づきちゝはゝもはらからも皆はせ入りにけり
609 夜は明けてうからつどへる町の家に入れまつる時にはかにかなし
610 秋ふけぬ天のがはらのいさごほどわがかなしみもわかれ行くかな
611 黒つちのしめりのなかにゆらぎつゝかなしく晴るゝ山の群青
612 夜あけよりなきそびれたる山のはにしらくもよどみ羽虫めぐれり
613 きれぎれに雨をともなひ吹く風にうす月みちて虫のなくなり
614 つきあかり風は雨をもともなへど今宵は虫のなきやまぬなり
615 赭々とよどめる鉄のゲルの上にさびしさとまり風来れど去らず
616 かしはゞら雲垂れこめてかみなりのとゞろくうちを峯につむ雪
617 岩手やまあらたに置けるしらゆきは星のあかりにうす光るかも
618 ぬれ帰りひたすら火燃すそのひまにはがねのそらははやあけそめぬ
619 けさもまた泪にうるむ木の間より東のそらの黄ばら哂へり
620 あけそむるそらはやさしきるりなれどわが身はけふも熱鳴りやまず
621 さだめなくわれに燃えたる火の音をじつと聞きつゝ停車場にあり
622 冴えわたり七つ森より風来ればあたまくらみて京都思ほゆ
623 白樺にかなしみは湧きうつりゆくつめたき風のシグナルばしら
624 疾みたれどけさはよろこび身にあまりみそらもひともなみだぐましき
625 あかつきの黄のちぎれ雲とぶひまは小学校によそ行きの窓
626 あかつきは小学校の窓ガラスいみじき玻璃に替えられしかな
627 雲垂るゝ楊の原の古川にうかびあがりし夜明けの沼気。
628 楊よりよろこびきたるあかつきを古川にうかびあがりし沼気
629 空いつかうす雲みちて日輪はちゞれかしはの原をまろび行けり
630 高原の白日輪と赤毛布シヤツにつくりし鉄道工夫と
631 雲しろくちゞれ柏の高原によぼよぼ馬は草あつめたれ
632 そら青く開うんばしのせともののらんぷゆかしき冬をもたらす
633 きららかに雨はれて人もあらざれば鵝鳥はせ来てわが足をかめり
634 旧濶の沼森のみはうちたゝむ雲のこなたにうす陽あびたれ
635 雨はれて黄葉きららかにひかり立ちひとむれの雲は逃げおくれたり
636 みだらなるひかりを吐きて黒雲はよせめぐりたり黒坊主山
(冬より春に至る 白丁)
637 ひゞ入れば凍る黄ばらのあけぞらをいきもつかず鳥はかくるかも 〔削除〕
638 わがそらのうすらあかりにしらしらとわきたつ雲はかなしみのくも
639 やうやくに峯にきたればむら雲のながれをはやみめぐむくろもじ
640 険しくも刻むこゝろの峯々にうすびかり咲くひきざくらかも
641 こゝはこれ惑う木立のなかならずしのびを習う春の道場
642 夜はあけて馬はほのぼの汗したりうす青ぞらの電柱の下
643 夜をこめて硫黄つみこし馬はいま朝日にふかくものを思へり
644 これはこれ夜の間に誰か旅立ちのかばんに入れし薄荷糖なり
645 あまぐもは氷河のごとく地を掻けば森は無念の群青を呑み
大正七年五月以降
夕暮の青木
646 暮れやらぬ黄水晶のそらに青みわびて木は立てりあめまつすぐにふり
647 白光の暮れ空に立ちてその青木ひたすら雨に洗はれて居り
648 雲の原のこなたに青木立ちたれば暮の羽虫ら雨やどりせり
649 雨やめど却つて空は重りして青木も陰の見え初めにけり
650 あめ故に停りありけん青すゞめ青木をはなれ夕空を截る
651 今ははやたそがれ空となりにけり青木のかなたにからす飛びつゝ
公園の薄明
652 青みわび流るゝ雲の淵に立ちて六月に入る薄明のぶな
653 暮れざるに険しき雲の下に立ち白みいらだつアーク燈かな
654 黒みねを険しき雲の往くときはこゝろはやくもみねを越えつゝ
655 暮れそむるアーク燈の辺雲たるゝ黒山に向ひおかれしベンチ
656 黒みねを我がとびゆけば銀雲のひかりけはしく流れ寄るかな
657 天窓をのぞく四角の碧ぞらは暮れちかづきてうす雲を吐く
658 〔〕ひそやかにちかづく暮にともなひてうす雲をはくひときれの空
659 こゝはこれみちのくなれば七月の終りといふにそらふかむなり
660 みそらには秋の粉ぞいちめんちりわたり一斉にさく白百合の列
661 いづくにも不平はみちぬそがなかに何をもとむるわがこゝろぞも
662 そらはまたするどき玻璃の粉を噴きてこの天窓のレースに降らす
663 われ狂ひて死せし三木敏明にわかれて白き砂をふみ行く
664 ひがしぞら浮かぶ微塵のそのひかり青み惑ひてわが店に降る
665 月弱くさ〔だ〕かならねど縮れ雲ひたすら北に飛びてあるらし
北の又
666 霧積みて雫も滋くなりしかば青くらがりを立てるやまどり
鶯沢
667 〔廃〕坑のうつろをいたみ立ちわぶるわが身の露を風はほしつゝ 〔削除〕
葛丸
668 ほしぞらは静にめぐるをわがこゝろあやしきものに囲まれて立つ
折壁
669 たばこばたけ風ふけばくらしたばこばた光の針がそゝげばかなし
670 鳥の毛はむしられ飛びて青ぞらに羽虫のごとく流れ行くかな
671 あゝ大地かくよこしまの群を載せかなしみいかにはげしかるらん
672 息吸へば白きこゝちしくもりぞらよぼよぼ這へるなまこ雲あり
673 縮まれる肺いつぱいに息吸へば空にさびしき雲うかびたち
674 相つぎて銀雲は窓をよぎれどもねたみは青く室に澱みぬ
675 けはしきもやすらかなるもともにわがねがひならずやなにをやおそれん 〔削除〕
676 けはしくばけはしきなかに行じなんなにをおそれてたゆむこゝろぞ 〔削除〕
677 けわしくもそらをきざめる峯々にかゞやくはなの芽よいざひらけ 〔削除〕
678 しろがねの月にむかへばわがまなこかなしき雲をうたがへるかな。
679 〔〕そら高くしろがねの月かゝれるをわが目かなしき雲を見るかな
青びとのながれ
680 あゝこはこれいづちの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり
681 青じろき流れのなかを死人ながれ人々長きうでもて泳げり
682 青じろきながれのなかにひとびとはながきかひなを〔〕うごかすうごかす
683 うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり
684 溺れ行く人のいかりは青黒き霧とながれて人を灼くなり
685 あるときは青きうでもてむしりあふ流れのなかの青き亡者ら
686 青人のひとりははやく死人のたゞよへるせなをはみつくしたり
687 肩せなか喰みつくされししにびとのよみがへり来ていかりなげき
688 青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ
689 あたまのみひとをはなれてはぎしりし白きながれをよぎり行くなり
アンデルゼン氏の白鳥の歌
690 「聞けよ」(Hore,)また月はかたりぬやさしさもアンデルゼンの月はかたりぬ
691 海あかくそらとけじめもあらざればみなそこに立つ藻もあらはなり
692 みなそこの黒き藻はみな月光にあやしき腕をさしのぶるなり
693 おゝ!さかなそらよりかろきかゞやきのアンデルゼンの海を行くかな
694 ましろなる羽も融け行き白鳥はむれをはなれて海にくだりぬ
695 わだつみにねたみは起り青白きほのほのごとく白鳥に寄す
696 あかつきのこはくひかればしらしらとアンデルゼンの月はしづみぬ
697 あかつきのこはくひかれば白鳥のこゝろにはかにうち勇むかな
698 白鳥のつばさは張られかゞやけるこはくのそらにひたのぼり行く
大正〔七〕年十二月
699 沈み行きてしづかに青き原をなす炭酸銅のよるのさびしさ
700 緑青のさびしき原は数しらぬ気泡をそらにはきいだすかな
701 なげ入れし曹達はあをざめし泡をはき朧に青き液を往来す
702 このほのほかゞやきあまりしげければかへりて水のこゝちするかな
703 みちのくの夜はたちまちに燃えいでゝ赤き怒りの国と変わりぬ
704 錫病のそらをからすが二羽とびてレースの百合もさびしく暮れたり
705 編物の百合もさびしく暮れ行きて灰色錫のそらとぶからす
706 うちくらみとざすみそらをかなしめば大和尚らのこゝろ降り下る
707 むねとざしそらくらき日を相つぎて道化まつりの山車は行きたり
708 みそらよりちさくつめたき渦降りて桐の梢にわなゝくからす
709 つゝましき春のくるみの枝々に黄金のあかごらゆらぎかゝれり
710 なまこ山海ぼうず山のうしろにて薄明穹のくらき水いろ
八年八月以降
711 くらやみの土蔵のなかにきこえざる悪しきわめきをなせるものあり
712 中留の物干台のはりがねは暮れぞらに溶けて細り行くらし
713 雲母摺のひかりまばゆき大空にあをあを燃ゆるかなしきほのほ
714 雨すぎてさやかに鎖す寒天のそらにうかびぬいくひらのくも
715 暮れ方のまぼろし坂をかゞやかに油瓶来る黄の油瓶
石丸博士を悼む
716 さりげなくいたみをおさへ立ちませるそのみすがたのおもほゆるかも
北上川第一夜
717 銀の夜をそらぞらしくもながれたる北上川のみをつくしたち
718 蠍行く南のそらにうかびたつわがすなほなる電信ばしら
719 銀の夜を虚空のごとくながれたる北上川のとほきいざり火
720 銀の夜を北上川にあたふたとあらはれ燃ゆるあやしき火あり
721 北上川そらぞらしくもながれ行くをみをつくしらは夢の兵隊
722 いそがしく橋にきたればほしあかりほのじろの川をうれひひたしぬ
夜をこめて行くの歌
723 みかづきは幻師のごとくよそほひてきらびやかなる虚空をわたる
724 みがゝれし空はわびしく濁るかな三日月幻師あけがたとなり
725 みかづきのひかりつめたくわづらひてきらびやかなる夜ははてんとす
726 すみやかに鶏頭山の赤ぞらを雲よぎり行きて夜はあけにけり
727 三日月よ幻師のころもぬぎすてゝさやかにかゝるあかつきのそら
北上川第二夜
728 ほしかげもいとあはければみをつくし今宵はならぶまぼろしの底
仝 第三夜
729 ものみなはよるの微光と水うたひあやしきものをわれ感じ立つ
730 ほしもなく漁火もなく北上のこよひは水の音のみすなり
731 われを呑めぬれし酒桶われをのめようすくらがりのからの酒桶
732 はるかなるくらき銀雲、銀の雲よとびきてわれをとれ銀の雲よ
北上川第四夜
733 北上の夜の大ぞらに黒き指はびこり立たすそのかみのかぜ
734 黒雲の北上川の橋の上に劫初の風はわがころも吹く
735 黒雲のきたかみ川の風のなかに網うつ音のきこえきたりぬ
736 ほのじろき秋のあぎとに繞られし□□の野□□□行けるぞも。 〔削除〕
737 そらのはてわづかに明くたそがれの秋〔以下判読不能〕 〔削除〕
742 北面のみうす雪置きて七つ森はるかに送るわかれのことば
743 ひやゝかに雲うちむすび七つ森はや飯岡の山かげとなる
744 かゞやけどこは春信の雪なればわがゑんだうのうらうら青み。
745 朽ちのこりし玉菜の茎をそら高くほうりあげつゝ春はきにけり
746 うす雲のいつ湧きにけん見あぐればただすばるのみほのびかりして
747 北風はすこしの雪をもたらしてあまぐもを追ひうす陽そゝげり
748 打こむる〔数文字判読不能〕地も丘もうちくらみ雨雲の〔数文字判読不能〕居り 〔削除〕
749 桐の木のねがひはいともすなほなれば恐らくは青ぞらにきかれなんぞ。
750 そら青ければはだかとなりいのりつちをほりすなつちをほりいのりつちをほり
751 青ぞらは水の□のちさき□□□□桐の木うでをさゝげたるかも 〔削除〕
754 くるみの木黄金のあかごらいまだ来ずさゆらぐ梢あさひをはめり
755 鬼ぐるみ黄金のあかごを吐かんとて波立つ枝を朝日にのばす
756 あはれ見よ青ぞら深く刻まれし大曼荼羅のしろきかゞやき 〔削除〕
757 須弥山の瑠璃のみそらに刻まれし大曼荼羅を仰ぐこの国 〔削除〕
758 はらからよいざもろともにかゞやきの大曼荼羅を須弥に刻まん 〔削除〕
759 サイプレスいかりはもえてあまぐものうづまきをさへやかんとすなり
760 雲の渦のわめきのなかに湧きいでゝいらだちもゆるサイプレスかも
761 灯のしたにうからつどふをなはひとりたそがれに居てものおもひけん
762 薄明穹まつたく落ちて燐光の雁もはるかの西にうつりぬ
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
校訂一覧
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【外字の変更】
〓 A-022,A-071
〓 A-279
〓 A-429
〓 A-601
-----------------------------------------------
【異字体への変更】
逢 A-180
掻 A-645
噛 A-519
葛 A-520,A-521
錆 A-140
這 A-002,A-076,A-126,A-194,A-221,A-230,A-672
剥 A-322,A-470
(Hore,) A-690
-----------------------------------------------
【踊り字の変更】
あはあは A-568
あをあを A-713
ギザギザ A-399,A-400
ギラギラ A-414
きれぎれ A-233,A-613
さらさら A-509
しばしば A-390
しみじみ A-401
しらしら A-410,A-522,A-523,A-527,A-638,A-696
すきますきま A-210
つくづく A-148,A-294
なかなか A-295
泣く泣く A-220
はるばる A-291
ひたひた A-552
ひのきひのき A-446
ふさふさ A-504
ほそぼそ A-345,A-570
ほのぼの A-409,A-525,A-642
ますます A-288
やまやま A-237,A-270
よぼよぼ A-631
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2000.01.08 作成
(C)大山 尚
t-ooyama@ja2.so-net.ne.jp
http://www2.gol.com/users/mlv/