古河公方史

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1336年 室町幕府成立。
1349年 足利基氏、初代鎌倉公方となる。
1409年 足利持氏、鎌倉公方となる。
1416年 足利満隆、上杉禅秀ら持氏に叛く(上杉禅秀の乱)
1438年 持氏、先例を無視して子義久に加冠。上杉憲実、これを諌めるが聞き入れられず出奔。
       幕府、持氏を追討する(永享の乱)。
1439年 憲実、持氏、義久を攻め自害させる。鎌倉府滅亡。
1440年 持氏の遺児、安王丸・春王丸、常陸国で挙兵、結城城に入る(結城合戦)。
1441年 結城城落城。安王丸、春王丸捕らえられ後に殺される。
1447年 持氏の遺児万寿王丸(後の成氏)、鎌倉公方に就任。上杉憲忠(憲実の子)、関東管領に就任。鎌倉府復興。
1449年 万寿王丸、元服し名を足利成氏と改める。
1554年 成氏、憲忠を謀殺(享徳の乱勃発)。
1455年 成氏、下総古河に入る(古河公方)。
1458年 足利政知(将軍義政の弟)伊豆堀越に下る(堀越公方)。
1467年 応仁の乱勃発。

1478年 成氏と上杉氏和睦。
1482年 成氏と幕府、和睦。
1486年 太田道灌謀殺される。
1488年 山内、扇谷上杉氏の抗争本格化。
1493年 北条早雲が政知の子茶々丸を攻め、堀越公方を滅ぼす。
1497年 成氏没。
1506年 政氏ー高基(高氏)の抗争始まる。
1512年 政氏、古河城から逃れ、高基古河城入城。
1518年 足利義明、下総小弓城に入る。
1528年 晴氏元服する。
1538年 第一次国府台合戦。北条氏綱、足利義明・里見義堯連合軍を破る。義明敗死。
1539年 晴氏、北条氏綱の娘と結婚。
1546年 河越合戦。北条氏康、晴氏・山内上杉憲政・扇谷上杉朝定軍を破る。朝定戦死し、扇谷上杉氏滅亡。

1552年 上杉憲政、北条氏康に追われ、上杉謙信を頼る。
       晴氏、北条氏の圧力によって梅千代王丸(のちの義氏)に家督を譲り隠居。
1554年 晴氏、古河城に立て籠もるが失敗。
1555年 義氏元服する。
1557年 晴氏、古河城でまたも北条氏に抵抗し、立て籠もるが失敗。
1569年 北条氏と上杉氏の和睦成立(相越同盟)。義氏、古河城に入る。
1573年 室町幕府滅亡。
1582年 本能寺の変。
       義氏没。古河公方嫡流絶える。